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『そして金と銀の蝶は夜を渡る』
柞原 典la3876

 柞原 典(la3876)は半年前に余命半年を宣告された、三十四歳の写真家である。

 確定申告書に写真家の三文字を記載するようになり早数年。普通のサラリーマンをしていた頃と比べればある程度時間に融通等も利くとはいえ、ライセンサー時代と比べればスケジュール的に都合の良い仕事を受けるだけで済むわけでも一仕事の単価が優れているわけでもなく特に典は仲介役を通している己の事情もあり、人様に聞かれたなら真人間の範疇に収まる生活習慣だと、一応は言える程度に日々を回していた。だが、それも一ヶ月程前にいよいよもって仕事に支障が出る程、病状が悪化してから破綻しつつあった。今日も目が覚めたのは頭痛を受けてのもので頭部は微動だにさせず視線を横側に向けてみるも今が朝か昼か夜かも良く判らない。というのも、看護師が昨日の夕方、開けていたカーテンを勝手に閉めたからである。疑念を全く持たずにそう考えてから果たしてそうだっただろうかと疑問を呈す。このところ毎日には代わり映えもなく、まるである夢を延々と見ている気分になる。あながち悪夢と思えないのは救いだろうか。もう頭痛や吐き気と付き合う事も普通になった為最早何とも思わない。勿論痛覚はあるのだがその代わり典には恐怖が解らなかった。
 脳にどれだけ負荷がかかろうと知った事ではないと半身を起こしベッドから出る。顔を合わせるのはもう何ヶ月かの付き合いになる医者やら看護師やらだけとしても顔を洗わなければ歯も磨かないというのはどうも据わりが悪い。病が進行する以前より緩慢な動作で一頻りルーチンワークをこなすと流石に紛らわす事が出来ない程度に頭痛が悪化したのに気付く。鎮痛剤は空腹をなるべくなら避けるように言われていて、別に無視して服用するのもよかったのだが、急に面倒臭くなってソファーへと身を預けると辺りを見回す。先にカーテンを開き景色を映すようになった窓は闇に閉ざされていた。
 会社員時代は何かにつけてトラブルに遭って、退職と転居の両方を余儀なくされるケースが多かったが、ライセンサーになってからはその心配も減って、更なる転職が済んで以降徹底的に顔の露出をしなくなった為、この部屋との付き合いももう随分と長くなった。だがその割には物品は少ない方だろう。
(結局、兄さんと同じくらいどころか、兄さんの他に好きやと思える人間はおらんままやったな)
 そこら辺の川を浚って砂金が見つけられるかというのと同程度の可能性はやはり幻のまま。彼は別に立てられても嬉しくもないだろうが操は立て続けられた。また彼以外には殺害されたくなどない、自ら死を選ぶ事もしないという答えを見つけ六年弱。彼が待つ地獄へと漸く逝けるというのに余命数ヶ月と言われた際も喜びはあるにはあったが思った程は深くもなかった。今となってもそれは少しも変わらない。一月前再会を待ち切れず彼が死んだ場所へと行き幻と会話さえもしたというのにだ。初恋を初恋のままに終える純潔の乙女よろしくいざ逢えるとなるとどういう顔をすればいいか分からないのもある。ただ一言で言うなら穏やかな心境であった。
 天井を見る視界に腕が映り、顔に影を作った。今も全く露出していない右腕には、傷跡が残る。そこは高三の頃で――と傷はそのまま記憶に形を変えて、典に深く刻み込まれていたが前よりも長く伸びた髪の毛を捲り上げる風が如く通り過ぎ、心には絶対に残らない物だとそう思っていたと言うのに。何故だか別れた瞬間にはもう会う日はこないと、忘れた誰かの顔が頭の中を縦横無尽に駆け巡る。早い内に逝った、尤も逝った先は違う所だが――小学生の時の担任や養護施設の副施設長に典に女を教えた女。その更に前に一時典を引き取ろうとしたあの老夫婦などもとうに現世を去っていったに違いない。生き長らえている者はどれだけいるだろう。
(結局、人でなしって自覚しても――俺は最期の最期まで善人にはなれんかったわ)
 だって己の行ないが外道だったと理解しても、彼らには詫びる気持ちになれずにいる。その代わり勝手に押し付けられた歪んだ愛情に対する憎悪も抱いたりしなかった。遺伝子のみ知っている両親に捨てられて、この顔を持って育った時点で真っ当な人になれる確率など存在もしなかったのだろうと思う。ただ彼を好きになって失って立ち直るまでの時間に得た多少の感情が自らの損得勘定は抜きに他人の心情を慮る程度の心を与えてくれただけ。そうでなければ彼の年齢を――正確には彼が喰った保安官代理の享年を追い越した歳になっても未だに約束を抱き続けていない。
 なんだか無性に初恋の彼に会いたくなり、典は右腕を下ろし逆に身体は起き上がらせると、ふらふら覚束ない足取りで棚に近付き本を一冊抜き取り、そしてそのままベッドの中に潜り込む。まるで、大好きな絵本を読んでほしいとせがむ子そのものの姿で。うつ伏せのほうが姿勢が楽なのは間違いないが、両手を掲げその薄っぺらい本の表紙を見た。題名は色を探す、色の無い世界――最初誰かが言った評価が、個展を開く際のタイトルとなり出版された写真集にも採用されて。顔を一切出さない事実と同程度に知られているフレーズであろう。看護師達がいないときは一日中点けっ放しの照明は本来ならば充分に、写真集の中身を見易くしてくれるだろうが典が罹った膠芽腫という病気は最悪な事にも視覚に対し影響がある部位を蝕んだらしく一部の視野が欠けている始末。書籍化の際に何度も確認したのでそのときの記憶で補いながら流し見する。
 こんな事を言うと世の写真家を志望し日夜努力を重ねる者には嫉妬に塗れた目を向けられるのだろうが何故自分が写真家として評価を受けたのか分からない。ただ彼の事を想いながら気まぐれのように撮った写真が現在クライアント兼師匠となった依頼人の琴線に触れただけだから。改めて見ても普遍的なモノクロ写真だ。カメラも持たずスマホで撮った始まりを思えば写真で食っていくに当たりきちんと師事して技術が向上したのが判る程度に過ぎない。今でも枕元に置きっ放しになっているカメラもここ暫く放置している。
 どの場所に行き写真を撮り続けても探した金色は何処にもなかった。もうこの世には存在しないのだから当然と言えばまあ当然である。唐突に虚しくなって、典は写真集を放り出し大の字に近い形で寝転がった。頭痛は激しさを増し吐き気までこみ上げる。いよいよもって終末が来たかもしれないとそんな事を思った。呼吸が止まれば彼は迎えに来てくれるだろうか。瞼を閉じて喉元に伸ばした手に触れる感触があり初めは、錯覚と思っていたが何度も何度も執拗なまでに感じた為仕方なしに目を開きそれを見る。
 金の蝶が蜜に群がるかのように無数に集うと、やがて人間の形を為した。それは色の無い世界に求めていたあの色をしている。形は他人の借物だが、彼は確かに、典の知る者に相違がなかった。重病人と違って健康的な白い肌が掬うように自分の手を取る。何と最後の最後の約束だけは果たされるらしい。狭い視界に鮮やかな色を焼き付けて典は震える唇を開き――。

 ――典は眠る。いつしか布団の中に手は仕舞われ、良い夢を見ている以外の想像が出来ない程にとても穏やかな顔をして。典が眠る傍らの空に彼と出会ったときや写真家への道を知らず知らずの内に踏み出したあの夜と同じように月が佇んでいる。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
今回、お話をいただいたときに内容を拝見していて
大きな衝撃を受けましたが、それでも自分なりには
今までの話を幾つか参考にさせていただいたりして、
典さんはこういう気持ちだったのかなというものを
色々と考えながら書かせていただいた形になります。
遺作についてもどうしようかなと少し考えましたが
本人が撮って映る=身体の一部が蝶になる的なのも
ありではありますが折角、迎えに来てくれたならば
カメラを構えている場合じゃないよなとも思った為、
どういう原理なのか特に触れないまま置いています。
会話も登場させることが出来ない為想像にお任せで!
今回も本当にありがとうございました!
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グロリアスドライヴ
2021年03月26日

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