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『【湖に浮かぶ月輪 2】 』
三島・玲奈7134)&ティース・ベルハイム(NPCA030)





 キラキラと輝く水面。
 沈みかけた太陽が、湖に光線を反射させる。
 まぶしそうに目を細め、風になびく髪を押さえる。
 玲奈はバルコニーの欄干に身体を預け、湖上から吹き上がってくる涼しい風に微笑んだ。
 「いい避暑地よねー」
 「事件さえ起きなければね」
 ティースがバルコニーの入り口にやってきて、玲奈を中に呼びつける。
 「当局の役人さんがやってきたよ」
 「遅かったわね」
 山の上、断崖に立つ別荘。
 王族の所有する邸宅に二人は来ていた。
 手入れの行き届いた洋館の、その内装は豪奢。
 毛足の長い、複雑な紋様の絨毯が敷き詰められた一室に、玲奈は戻る。
 二十畳はあろうという部屋の中央に、天板のぶ厚い巨大なテーブルが置かれてある。その真上にはシャンデリア。壁には年代ものの額縁に入れられた、色彩豊かな風景画や静物画が飾られている。
 意匠の施された猫足の椅子に玲奈は手をかけ、その背を引く。座ろうとして、思いとどまる。
 両開きの扉の前に、二人の男が立っている。
 一人は頭髪と同じ灰色の口ひげを蓄えた初老の男。もう一人は顔中から汗を噴き出す、中年太りの男。スーツ姿の二人は、小馬鹿にしたような表情を玲奈に向ける。
 「君がIO2のエージェントか。資料にあったが、本当に若いな」
 いいながら、初老の男はテーブルに近づいてくる。
 「我が国からも援助金を出しているんだ。有能な人材が欲しかったね」
 小太りの男は両手を広げ、溜め息をつく。
 あからさまな嫌味に、玲奈はカチンときてしまう。
 口を開きかけた玲奈を制したのは、ティース。
 「この人たちは、昨晩キミが獣人化した後始末をしてくれてたんだ」
 「地元の新聞社はもちろん、駐在員もどきの連中、ローカルTVにも手を回しておいた。インターネットの規制はかけられないが、そっちは都市伝説の類としてしか見られんだろう」と初老の男。
 「警察隊の山狩りは続けさせているよ。目撃した特徴と、追うべき対象は違うだろうけどね」と小太りの男。
 あちゃあ、という顔をした玲奈は素直に謝る。
 「ごめんなさい。お手数おかけしてすみません」
 しおらしく頭を下げる玲奈に、当局の役人二人は顔を見合わせ、肩をすくめる。
 「大丈夫かね」
 小太りの男が呆れたような、怒ったような口調でいった。
 「大丈夫ですよ」とティースは笑顔で答える。
 ほう、といって初老の男は眼光を鋭くする。
 「満月は今夜だが? 神出鬼没の怪人を、どうやって追いつめる気だ? 狙われそうな年頃の少女は何十人といる」
 「今晩」
 テーブルの上に散らかした書類の一枚を、玲奈は指で押さえる。
 そこには、ペンで書きなぐった文字がいくつも書かれてあった。
 「その怪人がどこに現れるか、見当がついています」



 「敵が現れる場所には、法則性があるんです」
 いって、玲奈はA4のメモパッドに書き始める。
 「半年前、最初の誘拐事件が起こったのは、洗濯小屋の近くです。今では使われいませんが、観光客向けに看板が立てられています。そこで逢引をしていた男女が襲われましたが、ここでは失敗。おかしな影に襲われた、というだけです。同じ晩、その数時間後に、アーランド家の少女が攫われました。実質、これが最初の被害者です。続いて同じ夜、フランス屋という雑貨店の少女が攫われています」
 玲奈はひとつ息をついて、話を続ける。
 「次の月は、薬局の娘。さらにモリスン家とアウシュ家、郵便局前でも事件が起きました。深夜、ラブレターを投函していた少女は自転車で逃げきったそうです。次の月は、第8林道でいちゃついていた男女です。女が攫われ、男は逃げだしたそうです。
 「次の月は、リンガル家の寝室から事件は始まります。母親と一緒に寝ていた十一歳の少女ですが、母親が寝ている隙に攫われています。そして、酒場に父親を呼びに行こうとしていた娘が、大通りで攫われました。消防署の夜間待機をしていた女性は、突然の物音に警戒し、招集ベルを鳴らしたおかげで助かっています。そしてパラス家の娘が攫われ、この日は終わりです。
 「そして二ヶ月前、メッシ家、オブライエン家、そして国際ペンクラブが入っているアパートメントが襲われ、メッシ家と国際ペンクラブのアパートメントで一人づつ攫われています。
 「そして最後、先月ですが、ウープスハウスという若者向けのクラブで、キッチンを任されていた女性が攫われています。ここに集まった若者は、誘拐事件に挑戦しようと意気込んでいたらしいですが。本当に事件が起きて、ひどく反省しているようです。以上、十六ヶ所で出没し、被害者は十二名。そして目撃者はなし。」


1.
 Laundry Shed 洗濯小屋
 Arland アーランド家
 France Shop フランス屋
2.
 Pharmacy 薬局
 Morison モリスン家
 Aush アウシュ家
 Post Office 郵便局
3.
 8th Path  第8林道
4.
 Lingual リンガル家
 AVENUE 大通り
 Fire Station 消防署
 Paras パラス家
5.
 Messi メッシ家
 Abreien オブライエン家 
 PEN 国際ペンクラブ
6.
 oops House ウープスハウス


 「注目してほしいのは、三ヶ月目と六ヶ月目です。他の月では複数の事件を起こしている。けれど、この月は一件だけ。そして、8th path と oops House には共通点がある」
 「○がふたつ」とティース。
 「そう。もしかしたら、これは何かのメッセージなのかもしれない。調べてみると、今まで事件の現場になった場所には、その名前を示す表札なり、看板が立っています。この町の大通りには、AVENUE とだけ書かれたアーチ型の看板がありますし、洗濯小屋にも看板が立っています。
 「これは事件の起きた時間も考慮に入れて、並べたものですが。頭文字を見てください。LAFPMAFP、という文字列が繰り返されています」
 「二回だけだけどね」とティース。
 「8th Path と oops House の、○ふたつは、これで一巡したということをいいたいのではないでしょうか?」と玲奈。
 「そうなると」と初老の役人。「次は、頭文字にLが付く場所か?」
 玲奈は頷く。
 「Lを頭文字に持ち、事件が起きていない場所は、リッター家とリング家だけです。そしてリッター家には、十五歳の少女がいます」
 


 「ほんとうに、警備は君らだけでいいのかね?」
 初老の役人が玲奈に訊ねた。
 「ええ。あんまりにも警備が多いと、姿を見せない可能性がありますし、それに。相手は人間ではありません。怪我人を下手に増やしたくないんです」
 家の中の警備は玲奈とティースの二人だけ。
 セーラー服姿だった玲奈はTPOに合わせる形で、黒いワンピースに白いエプロンを着て、メイドに扮する。それでも有事にはすぐ戦闘体制に入れるよう、ワンピースの下にはいつもどおりセーラー服他もろもろを着込んでいる。
 「では、頼んだぞ。私たちは近くに車を停めて、そこから見張っている。なにかあったら、いつでも助けに入るからな」
 玄関で役人二人を見送った玲奈は、今回標的となるだろう家を見上げる。
 間口の狭い敷地に立てられた、三階建ての家屋。階段を登ると二階部分に重い扉の玄関があり、そこを開けるとリビングとダイニングが一間続きで繋がっている。三階には寝室があり、一階には書斎と浴室がある。
 そして事件は、浴室で起きた。
 少女にシャワーを使わせたのは失敗だった。
 シャワーの出が悪い、と少女がいうので、ティースを外の配管を見に行かせりしているうちに、日が暮れてしまったのだ。
 日の入りすぐに襲ってくる、というデータはない。
 だが、油断していたと問い詰められれば、頷くしかない。
 万一に備え、玲奈は浴室の入り口に待機していた。万全は尽くしていたつもりである。にもかかわらず、少女は攫われてしまった。

 突然、ゴンッという音とともに床が揺れた。
 そして少女の悲鳴が浴室の、曇りガラスの扉の向こうから聞こえた。
 玲奈が浴室の扉を開けるまでに、さらに二回その乱暴な音は響き、そして三度目で、タイルが敷き詰められた浴室の地面が割れた。
 「まさかっ!」
 玲奈は浴室に入る。
 採光と換気の窓には、格子がはめられており、そこから入り込むことはできはないはずだ。しかも外にはティースが張っている。
 だが、敵はそこにいた。地面には大きな穴が開いている。
 少女の身体は宙にあった。
 二メートルはあろうという長駆。その腐ったコケのような緑色の皮膚に、ドロリとした液体がテカっている。細い腕を天井に掲げ、その巨大な手で少女の首を掴んでいる。少女はすで息絶えているのか、気を失っているだけなのか、その身体はぐったりしている。
 「……!」
 どうする?
 玲奈は逡巡した。
 少女を人質にとられている状態では、思いきった行動は取れない。
 途中まで地下の下水道を通ってきたのだろう、排泄物の混じった嫌な匂いがプンプンしている。自身そのものの匂いだろうか、腐った水と肉の匂いがそこに混じる。
 鼻が曲がりそうな異臭に顔を顰めた玲奈だが、それでも敵からは目を離さない。
 河童。
 鼻の位置に鼻梁はなく、爬虫類のような鼻の穴があるだけだった。凹凸の少ない顔は、口にかけて尖っている。細い目は血の滴るような濃い赤で、気味が悪い。眉はなく、髪の毛もほとんどない。頭骨がむき出しになっているのかと思えるほど、頭頂部には妙に艶のある白い皿が見えている。全身の所々に黒ずんだ斑点が浮かび、背中から胸の下、腰、股にかけて金色の体毛が伸びている。
 ぐちゃり、と舌の裏で液胞が潰れたような音がした。ぐげええ、とゲップのように咽喉を鳴らした。
 河童は玲奈に一瞥もくれない。
 「待ちなさい!」
 少女を掴んでいる方とは逆の手、すなわち左手で窓の格子を掴み、外枠ごと力任せに外す。河童は裸体の少女を肩に担ぎ、その崩れた壁を跳び越えた。
 「ティース!」
 「うわぁっ」
 相棒の名を呼ぶのと同時に、ティースの驚いた声が聞こえた。
 そのとき、突然、玲奈の遺伝子が切り替わる。獣人化のスイッチが入ってしまった。
 「こんなときに!」
 身体は変質を始め、玲奈はその伸び始めた爪でワンピースを破り捨てた。下に着ていたセーラー服も一緒に引き裂き、玲奈は体操服姿となる。そして背中の翼を押さえているブルマも裂いて、白い翼を解放した。
 河童が逃げた窓を跳び越え、玲奈は薄闇の夜空に飛び立つ。
 どっちに逃げた?
 音を聞き、匂いを嗅ぎ取り、玲奈は家の裏手へ滑空する。
 その前方で、小さな光が炸裂した。
 ティースの光の魔法のようだ。攻撃力はないが、相手をひるませることはできる。やはり人質を取られているせいで、物理的な攻撃はできないらしい。
 玲奈の身体は獣人化が完了し、白い翼を持った人狼となっている。
 その狼の鼻先を河童に向けて、玲奈は突進する。
 捕えようとする玲奈の腕を、河童はすばやくよけて、裏路地を跳躍する。一歩一歩が大きなストライドの跳躍。
 翼を広げられないほど狭い路地に逃げ込まれても、人狼化した玲奈の脚力は並ではない。だが、河童の方が速かった。
 少女を担ぎ、湖に入る河童。
 それを追う、人狼の玲奈。
 鮫のエラを持つ亜人間の玲奈にとって、水中は得意とするフィールドのひとつ。
 だが、人狼化した状態での水中戦闘は初めてだった。
 「こ、これって……!」
 濡れた獣毛は身体に纏わりついて、エラを塞ぎ、その呼吸を大きく乱した。
 輝く月輪を頭上に、水面に映りこむのを眺めながら、玲奈は溺れた。
 はたして、河童は逃げ切った。



 数日後。
 「おかえり」
 ティースが駅まで迎えに来ていた。
 みすみす少女を殺害された玲奈は、IO2の本部に呼び出されていた。
 俯き加減で「ただいま」と小さく呟く玲奈を、ティースは心配したのか、元気よく声をかける。
 「キミのおかげで、あの晩の被害者はあの子だけだったよ」
 「知ってる」
 「元気ない?」
 「あるわよ」
 玲奈は俯いていた顔、前髪に隠れていた瞳をティースに向けた。
 その緑の瞳は不敵に輝き、唇は笑みを作る。
 「次の満月が楽しみだわ」
 ティースは頬に汗を垂らす。
 「本部で何かあったの?」
 「減俸三ヶ月。あと、あたしの存在を否定されたわ」
 「存在を?」
 「そう。人狼化の発毛が水中戦に邪魔なんですって。エラに毛が吸い込まれて、呼吸困難に陥るから。鮫のエラを持つ亜人間かつ人狼のジーンキャストを持つあたしにとって、それは存在を否定されたも同然よ。あと、翼も水中戦には不要。って、分かってるわよ!」
 タクシーを使わずに、蛇行する坂を二人は下る。
 玲奈の荷物を持つティースは、渇いた笑みを顔に浮かべる。
 「水中戦での理想は、鮫肌か全身鱗なんですって。でも、それって獣毛とは両立しないじゃない? 遺伝子を操作して、毛が生えないようにする。とか言いだしちゃって。あいつ、ってジーンキャスト研究の権威なんだけど。あいつ、あたしに一生、ハゲでいろって言ったのよ? 信じられる?」
 「うーん」とティースは首をひねり、「玲奈は美人だから、それはもったいないよね」
 む、と玲奈は目を丸くする。そして照れたことを隠すように声を大きくしていった。
 「ほんっと! あいつったら信じれないわ!」
 「それで、どうしたの?」
 ティースは訊いた。
 「前と同じままじゃ、前と同じ結果になっちゃうよ。玲奈がここに戻ってきた、ってことは。他のエージェントが派遣されないってことは……」
 「そう、あたしが河童をやっつける」
 「でも、水中戦は無理なんでしょ?」
 「ちゃーんと対策してきたわ」
 「対策?」
 「脱皮よ」
 「脱皮?」
 ティースはその目をパチクリさせた。
 玲奈はティースに微笑み、眼下に広がる湖を見下ろした。
 水辺の町を襲う怪人、河童。
 先日やられた借りを返す。
 「首を洗って、待ってなさい」
 ふふ、と笑う玲奈のセーラー服の襟リボンが、湖面から吹き上げてくる風に揺れた。スカートはひるがえり、セミロングの髪が揺れる。おでこがあらわになる。
 決意に満ちた眉目は、力強さを宿している。




 そして、次の満月の夜。
 「たぁーーっ!」
 人狼化した玲奈は、勢いよく湖に飛び込んだ。
 頭文字に M を持つ、年輩向けの居酒屋、ミドルス・クラブ。そこで待ち伏せをしていた玲奈たちは、河童を迎え撃つことに成功した。
 襲撃に失敗し、手ぶらで湖に戻る河童を玲奈は追った。高さ三メートルほどの崖から飛び込んだ河童に続いて、玲奈も飛び込む。
 空中で、満月の明かりに照らされながら、玲奈の身体は変化する。
 翼から羽根が抜け、その羽毛が月へと昇る。
 スクール水着を身に着けて、白い翼を伸ばす人狼。
 獣毛は互いにくっつき、硬質化する。数秒後、角質化して皮膚ごと割れた。ボロボロと崩れていく皮膚。千切れていくスクール水着。その下から現れたのは、きらきらと輝く鱗。羽根の抜け落ちた翼は縮み、ヒレへと変わる。
 ざぱん、と水中に潜った玲奈の身体は、さらに変化を開始する。
 鱗が溶け出し、ゼラチン状の膜が全身を包みこむ。魚人と化した玲奈の頭に髪の毛はなく、代わりに触覚のような触手を生えてくる。触手は全身の所々から生え、水中を泳ぐ玲奈は、それを水泡とともに後方に棚引かせる。軟体生物のようなヌルリとした裸体を晒す玲奈だが、肩口や股関節から生えた触手によって、乳首や陰部は器用に隠れる。
 乙女の恥じらいも気にすることなく、玲奈は河童に追いすがる。
 月光に照らされる湖だが、その中は暗い。
 触覚の機能を持つ触手が、水の流れを感じてくれる。
 敵の位置を感じさせる。
 「そこかぁっ!」
 玲奈が手を伸ばすと、そこに河童の足がある。掴んでいた。右腕から生える触手が河童の足に絡みつく。
 脱皮しても、獣人の力は残る。
 玲奈は力任せに河童を引っ張り、水上へと投げ上げた。
 黄色く輝く満月に、長身の河童の姿が切り取られた。




 「まだぁ?」
 ティースの声が岩場の陰から聞こえてくる。
 「まだ!」
 河童を倒し、獣化をほどいた玲奈だが、髪が伸びきるまで姿を見せないと決めていた。
 「当局の役人さんたち、待ちくたびれちゃってるよ」
 「いーの。こんな格好で会いたくないわよ」
 戦闘が終わったんだから、女の子したっていいじゃない。
 別に、彼らに色目を使うわけじゃないけどさ。
 だいたい今は、女の子ですらない。
 覗かれるのも嫌なので、念のため、男の子に変化して、時間が経つのを待っている。
 髪の毛が生えるまでの辛抱。
 下半身を湖に沈め、なるべく見ないようにする。夜で良かった、とつくづく思う。
 「ねえ、まだあ?」
 「まだ! まだまだまだ〜っ!」
 玲奈少年の声は、少女のときとあまり変わらない。
 「ん? 声、変わった? 誰かいるの?」
 不意に、ティースが岩場から顔を出す。
 その気配に玲奈は振り向く。
 目が合った。
 「の、覗くなーっ!」
 
 
 
 
 
     (了)
PCシチュエーションノベル(シングル) -
秋月 淳 クリエイターズルームへ
東京怪談
2009年09月14日

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