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『■彼女にとって■ 』
千獣3087)&エスメラルダ(NPCS005)





「――あら」
 小さく声を落としてカウンタ越しに千獣へと手を伸ばしたのは黒山羊亭の女主人である踊り子のエスメラルダ。
 昨日今日に知り合ったばかりというわけでもない相手の突然の動きを、千獣は警戒することはなくきょとんと紅瞳を瞬くだけで見守った。
「あなたの髪に何か――ちょっと、ごめんなさいね」
 胸元の谷間が千獣の眼前に近付くも、そこらの酔客が見せるような動揺もなく千獣は、日々手入れされているだろう踊り子の繊手が髪に触れる感覚だけを追う。それは意識してのことではなく、たとえば風が髪を揺らすには至らぬ強さで撫でていく折に感じとるような追跡だった。
「なにかが見えたんだけど」
 呟く声に首を僅かに千獣は傾げ、それで髪が流れてエスメラルダの指は対象をつまみ取ることが出来たらしい。ありがと、と意図せぬ協力に礼を言われて千獣は控えめに頷いてから、また首を傾げた。
 エスメラルダは女らしい肢体を持ちながら稚さを纏いもする少女のその様を見て微笑する。含みも駆け引きもない、歓楽街の酒場で見るには稀な仕草は踊り子の唇を日常的な柔らかさで緩ませるものだ。
 その微笑みのまま、これがね、と彼女は千獣の前に手を差し出す。
 指先には少女の黒髪に隠れていたささやかな――小さな、なんとなし瑞々しさを失った何かの葉だった。
「……葉っぱ……?」
「そうね。どこかの葉っぱ」
 自分の髪に隠れていた緑を眺めて千獣はことりと思案する。
 この女性とも少女とも曖昧な風情の、けれどエスメラルダが感じ取る空気にある無垢が抱く印象の比重を少女に傾ける、そんな人物の一つ一つの仕草は黒山羊亭という酒場にはそぐわない。だというのに違和感なく溶け込んでいる。あるいはそれは、森の動物が木々の間に身を収めたきり人に気付かせないかのような、馴染み方で。
「木登りでもしてきたの?」
「ううん……木登り、は、してない……けど」
 思案する風に声を留めた千獣の輪郭をうすぼんやりとした店内の光が飾る。
 日が落ちるのも早まる時期となれば、客達の熱気もいささか異なる気配がなくもない。
 人々の喧騒と酒精の程は変わらずとも、流れ込む夜風に冷まされてか、少女の背後の空気は夏の最中の同じ時間帯のそれよりもおとなしげであった。……かもしれない。千獣の常の通りの雰囲気を挟んで眺める酒場の様子はさしもの女主人であっても感覚がずれていく。人が森へ踏み込んだときに微かな戸惑いを抱くように。
「ここに来る前……そう、確か」
 そんな周囲の空気、あるいは踊り子の感覚などは知らぬげに千獣は記憶を辿ってぽつぽつと言葉を置いた。
 一見するに包帯と呪符が視線を捕える姿の千獣だけれど、訪れる客も訪れた客も、カウンタで静かに踊り子と向き合う彼女を注視することはなく、小さな緑を摘んだままエスメラルダはその出所を耳にして――

 様々に慌しい事柄がある中でも、暇を見出すことは難しくない。
 千獣はそのこれといった用事もない折に黒山羊亭を訪れようと足を運んでいた。
 ゆっくりと進めば店が開く頃に辿り着き、準備を邪魔することあるまい。
 そんな考えがあってか、緩やかな歩調で夏の名残の熱が昼に降り注いで漂う街路を行く。
 彼女の足の運びが止まったのは、街路の端できょときょとと困り果てた風情で周囲を見て回る若い娘を見つけたからだ。
 何かを探していると簡単に知れる様子に千獣は僅かばかり瞳を向ける。
 それから、何を躊躇うでもなく歩く先をそちらにずらすと若い娘に声をかけたのであった。

 ――ふ、と踊り子が紅を引いた唇を綻ばせたのは千獣が訥々と語るその先が予想の通りであったからだ。
 おかしなところがあっただろうかと言葉を切った少女がエスメラルダを見詰めるのに手を振って、ごめんなさいと微笑んで告げる。あなたの話がおかしかったのではないのと言い添えて。
 千獣はそれだけで素直に頷き、機嫌を損ねることもない。この、自分の言葉のままを受け止めてくれることもまた、踊り子の表情をやわらげさせるものだった。
「それで」
 と、時折にかけられる酔客や常連の声を軽くあしらいながら、エスメラルダはそのまま先を。
「風に飛ばされたリボンを一緒に探したのね」
「凄く大切な……友達から貰った、大切な物、だって話……だったから」
「あなたらしいわ」
「?……そう、かな」
「ええ。そうよ」
 きっと大切な物を探したりということでなくとも、誰かが困っているような場に行き会えば、千獣は余程のことがない限りは――あるいは余程のことがあっても、手を貸すのではないだろうか。エスメラルダはそんな風に思っているのだけれども、さて。
「それで髪の毛に葉っぱが隠れちゃうくらい、あちこちに頭を突っ込んで探して」
 だがそういった自分の抱く印象を改まって当人に告げることもない。
 らしいかな、と瞳を瞬いて不思議だと主張するような千獣の正面で笑ったまま、踊り子の手はまた動いた。
「リボン。見つかったんでしょう?」
「うん……少し、汚れてた、けど」
 草むらから植込みから覗いて回ったのだと話す千獣。
 いっそ木の枝にかかっていた方が探し易かったかしらねとエスメラルダは言葉を返しながら、カウンタ越しであるのは変わらずに、千獣の黒髪を梳くには弱い加減で指を滑らせていく。包帯も、呪符も、初見での印象には影響するけれど関わる中では意味を失う。代わりに意味を浮かび上がらせるのは滑らかにならずとも懸命な言葉だとか一途な振舞いであり、それからこの艶々と美しい黒髪や逸らし辛い視線の紅瞳。ともすれば森奥で主たる獣に見えるときのような、そういった空気。エスメラルダ程でなくとも黒山羊亭の店員や常連も、それらを感じ取ることはしばしばあった。
「見つかって、よかった」
「ええ。これだけ葉っぱをつけた甲斐があったわね」
 控えめな大きさの千獣の声。
 それに反しながら、黒髪からさらに見つけ出した小さな緑をエスメラルダはカウンタへとに並べて見せる。
「払い落としたんでしょうけど、頑張ってしがみついてたわよ」
 こんなにと言いたげにぱちりと紅瞳を瞬かせる千獣の顔を覗き込み、踊り子は笑みを深めた。幼いかと思えば大人びて、かと思えばやはり幼い、だけど何かについて考えて話す様は大人のそれ。そんな一極に偏らない少女を黒山羊亭の女店主、踊り子エスメラルダは本当に、気に入っているのである。
「…………」
 だから、ときに新しいメニューだとかワインだとかを評して貰ったり、つまむ程度の食事をサービスしてみたり、そんな女店主なればこそのささやかな贔屓をするような相手が何事かを思案していたりすれば気にはなる。思い悩む風であれば特に。
 けれどあえて言葉を引き出そうとしないのは、千獣が言葉を惜しむわけではないと思うからだ。ただ言葉を探すのに時間が要るだけで、言葉を探さないわけではないと思うからだ。エスメラルダの言葉を求めるときにはきちんと問うてくると思っているからだ。
 とはいえど、あるいは内側でぐるぐると思案する部分も強いのではと考えはする。
「この葉の植え込みも、じきに落ち葉を被るようになるのでしょうね」
「……秋に、なって」
「ええ。段々と昼間でも涼しくなって、それから寒くなって」
「この葉は、色づいたり、しないかな」
「残念ながら枯れて落ちちゃうわ」
「そう……それでまた、土に還って……巡るんだね」
「きっとね」
 ああまたあなたらしいわ、と千獣のひとりごとのように控えめな言葉に胸中で呟き、エスメラルダは双眸を伏せて何事か考える様子の彼女を見詰めた。さりげなく、表情を確かめる。内側でぐるぐると思案してはいないか、それはそのままで大丈夫そうであるのか。無理に言葉を引き出すつもりはないけれど、場合によっては水を向ける程度のことはしてもいい。
(今日のところは深刻なものもなさそう)
 信頼して依頼を預ける相手でもある千獣の様子を見、エスメラルダはカウンタに凭れていた身体を起こした。
 途端に酔客が一際大きな声で呼ばわり踊りと求めるのにはあとでと流して、ひとしきり店内へぐるりと視線を巡らせる。そして最後にその視線を千獣のもとへ。この少女に何かを問われて答える遣り取りは、己の内を見出すような印象が伴われていて新鮮だ。
「ねえ、千獣」
「?」
 エスメラルダはそうして千獣を見下ろして、名前を呼ぶ。
 酒場の喧騒の中、存外と場に馴染む姿。そして馴染みながら他の者達と同じ空気にはならない姿。
 森の奥深くのどこか不可侵の清々しさを想起させる少女が呼ばれて顔を上げるのに笑いかけ、カウンタに並べた葉の一枚を取ると紅瞳の前へと差し出した。
「この葉が枯れて、色付いた葉も落ちる頃、あなたはどんなことをどんな風に受け止めているのかしらね」
 きょとん、と幾度目かの不思議そうな瞬きが千獣の双眸に乗る。
 エスメラルダはカウンタ越しの姿勢を変えないまま、伸ばした背筋から身体をほぐして舞台へと足を向け、そうしながら言葉を添えた。
「あたし、あなたが色々と考えて話してくれるのを聞くのが好きなのよ」
 踊り子にとって、千獣が紡ぐ思索の糸端に触れるのはとてもとても新鮮なのである。
 ありがとう、とどことなし、はにかんでいるような気もする千獣の言葉を聞きながら、エスメラルダは客達の歓声に艶やかな笑みを返してみせる。
(ねえ――千獣)
 それは商売だからというだけではない笑みでもあって。
 どこかやわらかさを残している笑みでもあって。
(あなたにとって、あたしはどんなものかしら)
 千獣は、そんな踊り子の姿をカウンタの椅子に座ったままに見詰めていた。





end.
PCシチュエーションノベル(シングル) -
珠洲 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2009年09月09日

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