イメージノベル『欠落性渇望症候群』 作:yakigote
第3話「拡散質デイジー」
いつだって残酷な物語。
1.アーキタイプ・アーキスタイル
廃病院。『廃』病院。言葉も、空気も、外見も。それらがそれら、全てを恐ろしく際立たせている。
そこに並び立つ、彼ら。八名。よもや、人食と悪鬼と現実が錯綜するこの場所で。それらがただの平常であるはずもない。咲々・鶫を含めた彼ら、撃退士である。
無論、敵の本拠地が目と鼻の先で雑談に応じるような馬鹿はすまい。彼らは各々、その建造物から距離を取り。周囲を警戒しつつも、作戦準備を入念に行なっていた。
鶫も、それを怠るような真似はしない。作戦。配置。フォーメーション。それらを再度確認し、ひとりひとりの顔と声を覚えるに務めていた。
また、同じような過ちは犯すまい。コンプレックス。プライド。意地。それにしがみつくべき時はあろう。あるのだろう。あるのかもしれない。だが、少なくとも今ではない。今これが。それが。勝利よりも静観よりも無事よりも優先されるものではないのだから。
もう、わかっている。自分がどうあるべきかを理解している。だからそうあれと決め、そうあれと律していた。
声。名前。容姿。配置。すべて頭に入っている。ここに来るまでに。この恐ろしい場所にまた訪れるまでに、何度確認したことだろう。揺れる車体の中で必死に耳を傾け、頭を働かせた。疑問点は全て尋ね、思うところは余すこと無く口にした。
初心者。そんな目で見られてもいい。そう思ってのことだ。恥でも構わないと考えてのことだ。だが、結果に拍子抜けする。仲間達は。彼らは。そんな自分に嫌な顔ひとつせず答えてくれた。自分の意見にも聴き入ってくれた。
これに参加したのだから、知っているだろうに。これがどういう任務であるのか。加えては、自分がこれにどう関わっていたのか。知らぬはずが無いというのに。
結局は。結局は、自分の取り越し苦労だったのだろう。プライドなのだと勘違いしていた何かが、自分のことを阻害していただけだったのだろう。それをこそ。それをこそ、恥だと感じ入るべきなのだと。鶫は、今更と気づいた自分を。それでも、ただ確かに前には進めたのだろうという思いを抱いていた。
英雄。ヒーロー。それがもうどうでもいいと言えば嘘になる。それが目標で、それが目的だ。変わらない。その大志が変わることはない。ただ、分かっただけだ。気づいただけなのだ。目指すべき、それへの道のりを。その入口にある暗がりを照らす方法を。見つけ出しただけなのだ。
それは、きっと。きっと夢へと繋がるだろう。自分の歩は前へと進んでいるのだろう。だが、その感動を。焦燥にも似た感動を。今は抑えている。封じ込めている。今思うべきはそれではないのだから。
ただ、勝つのだ。あの人食いに。あの化物に。それがどれだけ悲劇哀愁に塗れた産物であろうとも。それがどれだけあどけなく幼い何かであろうとも。勝つ。勝つのだ。勝たねばならない。勝って帰らねばならない。
あのディアボロを思い出す。声を、姿を、笑顔を。背筋も反り返るほどの恐怖。だが、前ほどではない。病院の寝台で目覚め、震えていたほどではない。今は笑顔以外も思い浮かべることが出来る。幼い彼女。人を、食う彼女。
小さな彼女。前は、そうだったかもしれない。だが、今は違う。自分が英雄像を重ねた彼。最前線に踏み込み、誰よりも先に倒れた彼。聴いたところによれば、無事だそうだ。あの失敗で、あの失態で。誰一人死亡者は出ていない。それは、その報告は。鶫の中で少しだけ、救いにもなっていた。
彼の言葉が、自分の中で繰り返される。次は間違えない。間違えてはならない。自分は撃退士だ。天魔を討ち、ヒトに安寧をもたらすべく訓練された戦士だ。それは、その仕事は、その責務は。間違えても、もう手遅れなそれに手を差し伸べることなどではないのだ。
悲劇があろう。未来があったのだろう。だが、それは終わったことだ。終わってしまったことなのだ。復活はなく、やり直しもない。最早敵。どうしようもなく敵であり、敵でしかないのだ。
だから、躊躇わない。斬ることを。打ち倒すことを。躊躇したりなんてしない。そう言い聞かせる。言い聞かせている。また、迷わないように。ここで覚悟を決めておく。
顔をあげ、目を向こうのそれに。廃病院。廃病院。変わらない。ひとつ、これを終わらせたのだとしても。終わらせることができたのだとしても。変わらないのだろう。ここを好き好んで買い付ける者はおらず。いずれはまた、他の天魔が巣窟となるだけなのかもしれない。
だが、それでも。それであったとしても。戦わない理由にはならない。人を食い、人を終わらせる化物を。野放しにしておくという選択肢などあってはならないのだ。
天敵の存在を看過できない。食うのだから、逃げ惑うなどあってはならない。食われるならば、滅ぼしてしまわねばならない。それが、人間だ。圧倒的存在を前にしてなお。抗うことを決めた、戦うことを決めた人間だ。
夜風が顔を叩く。ようやっと、涼しくなり始めた心地よさ。このおどろおどろしささえなければ。この血臭の錯覚さえなければ。素直に喜べたものを。
握る柄。開けた視野。関節の具合。問題はない。完治、とは言えずども。戦うに不十分はないだろう。それに、自分だけではない。自分だけではないのだ。総勢八名。己以外に戦士がななつ。自分ひとりがその全てを担えるわけがなく、彼らもまた。自分と同じように背負い、傷つき、戦うのだ。
背中を預けるように。預けてもらえるように。意固地にならず、背伸びをせず。ただ、できることを。できるだけのことを、できるように。
廃院から目を外し、仲間達の顔を見る。皆、一様にこちらを向いていた。自分のことを待っていてくれたのだろう。嬉しさと、気恥ずかしさこそあれど。そこには以前のような劣等感を感じなくなっていた。
「いこう」
それは紛れもなく自分の言葉。確信できる。誰かが、あるいは誰でもないものが、言ったのではない。自分だ。自分がそれを告げたのだ。地に脚のついた感触。アスファルト。その硬さ。
歩く。歩を進めていく。アスファルト。階段。段差。そして、リノリウム。開きっぱなしの自動扉。破れた硝子。電気の流れていないエントランス。無機質。それと、正面に小さな少女。
「おにいちゃん、また遊びに来てくれたの?」
臆さず、飛び出さず。刃を抜いて。正面だけを見据えて。猛る気持ちを抑え、逸る心を沈めた。
大丈夫。戦える。戦えるなら。
今度は、勝てる。
2.ガッシュタイプ・ガッシュスタイル
敵、について。
改めてその性能を認識しておこうと思う。
幼い容姿。西洋人形という形容が相応しい。見た目だけで言えば人間のそれだ。無邪気。無垢な笑顔。外見相応ではあるものの、彼女が築き上げた血臭と戦争の只中ではけして正しいものではない。笑顔。そう、笑顔だ。この中において。このような場において。彼女は笑う。無邪気に、無垢に。この化物は笑う。
それは、たまらなく恐ろしい。悍ましい。夥しい。叶うものならば、願わくばと呟くならば。けして近寄りたくはない。触れたくもない。元来微笑ましいものであるはずのそれが、こんなにも異質であることを忘れ去ってしまいたい。
背筋に冷たい鉄棒を捩じ込まれたかのよう。無機質の舌で全身を舐めまわされたかのよう。恐怖と背徳感が綯い交ぜになって脳髄に警鐘を鳴らす。鳴らす。鳴らしている。
だが。だが。だが、だ。恐怖が。恐怖が。あるのだから、なんだというのだろう。恐ろしいから。悍ましいから。夥しいから。なんだというのだろう。そんなものはわかっている。そんなものは知っている。知っていてなおここに身を投じたのだ。
ならば怖れなど最早脚を竦ませる理由にはならず。決意が決断が決別が、その後押しをする要因に過ぎない。
だから、戦える。自分はもう、戦える。
それは言い聞かせるだけの願掛けではなく。それは説き伏せるための論理ではなく。本心からのそれであった。怖い。だからなんだ。剣を抜け。重心を前に寄せろ。敵を睨み、仲間と誰かの明日を思え。
それが英雄の第一歩。彼が目指し、未だ自覚のない辿り着いた答え。
「ねね、あそぼ?」
怖い。怖い。怖いさ。だけど。だけれども。口から出た買い文句はけして震えてなどおらず。寧ろ、力強く味方を鼓舞していた。
「ああ、遊ぼうか。化物」
化物。
視界から、少女の姿をしたそれが消える。それを認識したと同時、鶫は両手に構えたふた振りの得物を頭上に掲げていた。衝撃。金属音。打ち付けられたのだと、頭よりも先に記憶が理解していた。
まだ、目が慣れていない。戸惑いが消えたとはいえ、動きについていけるほどではない。それでも、受けた。直感だ。単に、前回と同じ焼きまわしであっただけ。
受け止められるとは思ってもみなかったのだろう。人食いの顔には驚愕。それが笑みに変わる。楽しいお友達を見つけたような。面白い玩具を見つけたかのような。
二度、三度。振るわれた爪による斬撃を双の刀で受け止める。速く。重い。踏み込める隙間はなく、踏みとどまるだけで精一杯だ。だが、問題ない。それで構わない。彼女の意識が自分に向いているのだというのなら、自分の役目はこれを維持することだ。確固たる前線。それが張られていてこそ成り立つというものだ。
即ち、大砲が。
ディアボロの頭部側面を光が叩く。予想をしていなかった横面への不意打ち。鶫が人食いの行動を阻害していたことによって可能になった後衛からの直接援護。魔術射撃。それに合わせ、無数の銃弾が浴びせられる。
鉛弾が、削ぐ。削ぐ。削ぐ。削ぐ。肉を、血を、髪を。削ぐ。しかし、少女はそれに怯むことはない。わかっている。わかっていた。この程度で倒れるはずもない。それに安堵しているほど夢を見てはいない。だから。
幼い顔が、自分から外される。遊びを邪魔した横槍へと意識が向かう。だからそれに、鶫は容赦なく両刀を振り下ろした。
飛び散る鮮血。赤い。皮の上だけならばともかくも、ここまでヒトに似せて残しておくなど虫酸が走る。気持ちが悪い。だが、攻め気を移すつもりはない。振り下ろしたままのそれを今度は情報へ。薙ぎ上げる。切り裂けと。
しかし、それが判断違いだったようだ。敵も、相手が複数だと気づいていつまでもそれを放置するほど愚かではない。こちらの次弾は易々と避けられ、あまつさえ刃の上に足掛けられ。自分より小さな少女が、頭上から死に至る五指を突き出した。
痛み。悲鳴。力が、抜ける。
唇を噛んだ。必要ならば、舌先すら噛み切ろうかと思った。それは覚悟の差か。鶫は意識を途切れさせることはなく。ただ最前線の戦場より十数歩引いた場所で、膝をついている。膝をつき、治療を受けている。
自分の傷が、見る間に治っていく。その光景、その感触。自然治癒ではけして成し得ない能力。これもまた、自分ひとりではどうにもならないのだということを痛感させられる。ひとりでは戦えず。斬りかかれず。血を流して、倒れていたことだろう。
死んでいた、ことだろう。
感謝は、尊敬は、彼らだけに向けてとどまらない。自分がここにいるのも、あの病院で目を覚ますことができたのも。誰かが自分を庇い、救い、運んでくれたからに他ならない。
他者によって生かされている実感。以前の自分なら、そこに屈辱を感じていただろうか。劣等を意識していただろうか。心変わりの早いことだと、自分でも感じてしまう。
幼いのだろう。だが、今となれば誇りにこそ思え。恥となど感じない。感じやしない。
「どこか、痛みますか?」
「うん、痛みはあるけど。ありがとう、もう大丈夫」
顔は見ない。見なくても誰だかわかっている。何度も、何度も繰り返したのだから。
構えて、自問する。まだ、走れるか。当然だ。まだ戦えるか。聞くまでもない。いつまで戦えるのか。
勝つまでに、決まっている。
横合いからの強襲。それを意識していない相手には極めて有効なのだと、先ほど証明したばかりである。
それでも、やはり化物は化け物か。鶫の最上段。斜め後ろからの視覚外。その攻撃も、五指に阻まれていた。しかし、それに違和感を感じる。
気持ちの悪さではない。異質さでもない。軽い。軽いのだ。否、力強さがないのだ。
いける。そう判断し、引かず無理矢理に力を込めた。人間よりも強いはずの化物。人で遊び、食らうはずの化物。それが、今や。ただ人間の未成熟な個体すら受け止められす、後方へ引くを余儀なくされていた。
罠ではない。温存でもない。衰弱。衰弱だ。紛れもなく、弱っている。追い詰めているのだ、他でもない自分たちが。追い詰められているのだ、他でもない人間に。
仲間の銃が、拳が、魔が、刃が。自分のそれが。届いているのだ。
自身への違和感を、己でも感じ取っているのだろう。最早少女の笑顔には影が混じり、混乱がありありと見てとれていた。
「あれ、おかしいなぁ?」
視線が自分たちからずれる。その機を逃さない。踏み込みんだ人口床と靴裏の間で光が弾けた。疾け。行け。踏み込む脚と、飛び込む身体と、突き出す腕と。全てをひとつの剣としろ。
流れるような錯覚。時間が順序を間違えたかのような暗い瞬間。白刃を飲み込まれるように少女の胸へと突き刺さり、その背から奥へと貫かれていた。
少女の脚が崩れ、その場へとへたり込む。心臓の位置を射抜いたことは、きっと無関係なのだろう。ここまで人間に似ていて、ここまで人間とは違うのだから。中身まで同じであるはずがない。
だから。だから。崩れ落ちたのは、単に限りが来たからなのだろう。人間個体からすれば無尽蔵にも思える生命力。その悪意に、底が見えたということなのだろう。
自分を串刺しにするそれから、自力で抜け出す力すら残っていない。されど、そこにはもう困惑の顔が浮かんでいない。始めから、そうであったように。無垢で、無邪気で、悍ましい笑みが浮かんでいた。
楽しかったのだと。その遊びが、夕暮れ時になって。終わってしまうのだというように。また明日。そう言って、手を振る程度の幸せを浮かべて。
「おにいちゃん……寒いね」
ディアボロは、悪魔に魂を奪われた人間が、作り変えられてしまったものだ。この少女も、無垢なそれをそのままに残されてしまったのかもしれないし。あるいは、全く別の誰かであったものがこう組み替えられたのかもしれない。
どちらであっても、同情はできよう。だが、それはもう終わったことだ。作り変えられた後は、人間の敵なのだ。だから、それとは関係なく。ただ。
死の間際に凍えるよう作られていたことは、なんと残酷なのだろう。
「……楽しかった?」
「うん! また、遊ぼうね?」
「……そうだね」
これが人間にしたものとは違う感触なのだということを願って、刃を引き抜いた。刀を納め、仲間へと振り返る。もう誰も、構えてはいない。戦いは、終わったのだ。その姿が、事実を実感させてくれていた。
何か軟質のものが、倒れるような音。
それに鶫は、振り返らずに帰路ヘとついた。
どこへと問われれば、日常なのだと答えられる場所に。
3.ネクストタイプ・ネクストスタイル
聞き慣れた、チャイムの音。それと同時に、黒板前の教師は教科書を閉じた。
「それじゃあ今日はここまでとしよう。昼休みの後は専門教室だろう。遅れないようにな」
半日越しに訪れた開放感。教師の忠告は、既に生徒の耳には入っていない。日直当番による号令。その後、何人かは陸上部もかくやという速度で廊下を駆け抜けていった。きっと、購買部に行くのだろう。あそこは毎日、激戦が繰り広げられていると聞く。
それもまた、いつもの光景。いつもの学校。日常。そう、日常だ。鶫はこの場所に、戻ってきていた。
あんなにも疎ましいと感じていたものが。あんなにも退屈に感じていたものが。こうまで嬉しいものだとは考えても見なかった。幸福を実感できる瞬間は貴重だとは、どこで聞いた言葉だったろうか。正しく今、自分は幸せを掴んでいるのだと言えるだろう。
自分で作り出した平和。そういえば大それたもので、そこまで公言できるほど厚顔無恥ではない。なくなったつもりだが、それでも。その一端を担えたというのは、間違いない事実だろう。
勝った。勝ったのだ。自分は、自分たちは。あの人食いに勝ったのだ。人間の天敵を討ち倒したのだ。それは、その感情は。思っていたものとは、夢抱いていたものとは違ったけれど。それでも何か、充足感のようなもので満たされているのは感じていた。
それは勝利そのものにではなく、自分がその重要性に気づくことのできた。この日常に向けられているもので。
「――――――グミッ、ツグミっ、ちょっと聞いてるの!?」
このくだり、何度目だろう。話しかけてくれていた彼女の言葉を聞いていなかった自分が悪いのだが。
「もう。いい加減、そのすぐに考えこむクセ直しなさいよね。いつか取り返しつかないことになるわよ」
それであればもう、身にしみてはいるのだが。それを口にはしない。自分のことを思っての発言だ。それくらいは、理解できている。
「ごめんごめん。えっと、なんだっけ?」
「まったく……それでね、あの―――」
聞くように促した割に、歯切れが悪い。彼女にしては珍しいことだ。何かあっただろうか。考えて、思い返して。はたと。心当たりのある自分に気づいた。嗚呼、もしかして。
「びょ、病院でのことなんだけど……伝えたいことって、な、なにかなーなんて」
すっかり、忘れていた。
否、言い訳をさせて欲しい。
正直な所、なんだ、忙しかったのだ。討伐任務があったとして、倒してしまえばはいオシマイというわけにはいかない。
依頼完了の報告、手続き、所定口座への報酬振込み確認など、など。慣れない事務手続きに負われていたのである。だから、あんなことを口走ったなんてすっかり忘れて、否々、そのイベントを蔑ろにするわけではありません。重要です。重要なことです。世界平和よりも大切ですとも鵠さん。だからその拳をどうか下ろして、そう、下ろしましょう。怒りを沈めてください。
ほら、あれですよあれ。喉元過ぎれば熱さを忘れるというかいえいえそんな害的なものと同列にするわけではございませんとも。なんと言いますか時間が過ぎれば覚悟も揺らぐと言いますか。今更言い直すのもアレと申しますか。時と場合があると宣いますか。
そう、そうだ。鵠さん。あなた僕の話を聞かないと言ったじゃありませんか。ねえ、だからほら。約束というのは始めからしてないわけでして。ね。ね。
「…………ヘタレ」
見えない攻撃が、鶫の胸へと突き刺さる。痛い。痛すぎる。これ、あの人食い幼女の斬撃より痛いんじゃなかろうか。
「うー……いつか、聞かせなさいよね。いつまでも待ってあげないんだから」
そう言われて、頷けない男がいるだろうか。いるまい。いるわけがあるまい。必死に首を縦に振る。納得してくれたのか、鵠の表情は笑みへと戻っていた。笑み。笑顔。恐ろしくはない。自然な、これが大切と思えるものだ。
一段落ついてみれば、妙に静かだ。そして感じる視線。視線。振り返れば、クラスメイトらが好奇の眼でこちらを見つめていた。女子は囁き、男子は妬みのそれを送ってきている。ひそひそ声と、壁を殴る音。
ため息。この状況、言っているも同じではないのだろうか。それでも、甘えていてはいけないのだと思い直した。男として。それくらいのプライドを持ってもいいだろう。ここはそれに、しがみつくべきところなのだ。
いてもたってもいられず、鵠の手を引いて教室を抜けだした。どこかひと目のつかないところで昼食にしよう。顔を赤くするなよ。こっちまで意識してしまうから。
身体に痛みは、もうない。戦闘で負った傷は、すっかり癒えてしまった。だが、また傷つくのだろう。また、あの日常ではない世界に脚を踏み入れるのだろう。
それは怖い。とてもとても恐ろしい。だけどそうあろうと決めたから。そうあるのだと課したから。きっともう、誤らない。自分の力を誤解しない。だから、できることを。やっていこうと、思うのだ。
いつか、英雄になったとしても。
了。