【禁じられた記憶】ほころび

■シリーズシナリオ


担当:夢想代理人

対応レベル:2〜6lv

難易度:やや難

成功報酬:2 G 21 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:04月24日〜05月02日

リプレイ公開日:2005年04月29日

●オープニング

 ―胸が焼けるように熱い

「あっ‥‥がっ‥ぐ‥‥‥!!?」
 女は生き延びたかった。理由はうまく説明できないし、自分でも何故そこまで悪あがきをしているのかは全く不明であった。答えるとしたら、『それが本能だから』と言うしかない。

「あっ‥‥は‥‥ぎ‥!!」
 胸の傷は血だけでなく、自分の中から気力や体温さえも奪っているよう。酷く刃がこぼれた刀を杖にしてあてもなく彷徨い続ける。

 が、それももう長くは続きそうになかった。時間や距離の感覚はとうに吹き飛んでいるが、我ながら中々遠くまで逃げ延びたと思う。
(「逃げる‥? 逃げる‥?」)
 女はばたりとその場に崩れ落ちた。朦朧とした意識が、冷えた地面によってわずかに覚醒する。

(「ところで私は、『何から逃げているんだ?』」)

●聖オルガ教会・食堂にて
「さあ、今日もこの糧を我等が偉大なる御父に感謝しましょう」
 胸につけた黒薔薇のコサージュがトレードマークの、シスター・ディアーヌはにこやかに微笑むと、食事を今か今かと楽しみにしている子供達にそう言った。
 子供達は口々にはぁいと元気に返事をすると、手を組んで目を伏せ、シスターの祈りの言葉を復唱した。

「‥‥。よし、『いただきます』」
「ふふ、記憶がなくても、習慣は体が覚えているんですね、ベアトリスさん」
 ベアトリスと呼ばれた女性はシスター・ディアーヌの言葉にばつの悪い返事をすると、子供達と一緒に焼きたてのパンに手を伸ばした。


「‥‥‥」
 食事が終わって数刻の後。読み書きの稽古を終えた子供たちは教会の表で無邪気に遊びまわっていた。そしてそれをぼんやりと眺めるベアトリス。子供達の何人かは彼女の姿に気がついたのか、てくてくと駆け寄ってきた。

「ねえねえ、お姉ちゃんも遊ぼうよ〜」
「え、あ、いや。私は‥」
「無茶を言うなよ、ベアトリスさんはまだ傷が治ってないんだぞ?」
「ぶー!!」
 ほとんど自分を無視して子供達は会話をしているようだが、悪い気はしなかった。むしろ何か微笑ましいものを感じて思わず笑ってしまう。
「‥‥‥」
 この教会の厄介になってから、それなりの日数がたつ。今ではすっかりと教会の一員になってしまい、子供達にも懐かれている。だが‥‥。

 ―私は、誰だ?

 ベアトリスには過去の記憶がなかった。
 自分を発見し、助けてくれたシスター・ディアーヌ曰く、血にまみれて今にも死んでしまいそうなほどボロボロの状態だったらしい。
 その時のショック症状だか何か知らないが、自分の名前さえも思い出せないのだ。ちなみにこの名前はシスター・ディアーヌから貰ったもので、当然本名ではない。

(「後の手がかりは、この胸の傷と、刃こぼれをした日本刀、か‥‥」)
 意識すれば、胸の傷は今でもずきりと大きく痛んだ。ぐ、と傷を押さえ、地面を見つめる。


 ふと、視界が影で暗くなる。
「?」
 ベアトリスが視線を上げたその先に、全くはじめて見る男達の姿があった。各々腰や肩に物騒なものを持っている。あまり歓迎できる客ではなさそうだ。
「まさかこんな所にいたとはなぁ‥‥。てっきり冒険者に先を越されたと思っていたが、オレたちの運もなかなかのモンだ」
 ゲラゲラと下品な笑い声が耳に障る。ベアトリスは彼等の言っている意味がわからない。教会に用でもあるのだろうか。
「‥。教会に何か用か? 懺悔したいのなら‥‥」
「ハァ? 何言ってんだよオメェ。お前に用事があってきたに決まってるだろうが」
「な‥‥」
 言葉が詰まる。自分に用事? それはつまり。
「わ、私の事を知っているのか!?」
「あぁ?」
 思わず顔を見合わせる男達。
「フフ、ハハ‥‥。ハハ‥‥ギャハハハハッ!!!!」
「な、何がおかしい!!」
「な、何がおかしいってお前‥‥。何だ、それ? 新しいギャグか何かか?」
 男達の反応は余計にベアトリスを混乱させた。目の前の男達は自分の反応を見て楽しんでいるとしか思えない。しかも彼等は何かよくない雰囲気がする。子供達はこの招かれざる訪問者たちをあからさまに警戒していた。
「おい、笑ってないで‥‥!!」

「まあ、いいや。とにかくお前、死んでくれよ」
「‥‥え?」

 何の脈絡もなくベアトリス目掛けて振るわれる武器。常人ならば到底反応する事などできるはずもないそれを‥‥。
「ッ!!?」
 ベアトリスは余裕をもってかわしてしまった。
「‥‥!」
 男達の、いや子供達の表情も凍りつく。何より一番驚いたのは当人自身かもしれないが。
「て、テメェ‥‥!!」
 男の一人がロングソードを構えて襲い掛かってくる。

 ―何だ、これは‥

 駄目だ。この男の体捌きはまるでなっていない。動きがのろすぎる。話にならない。
 美しくない。むしろ醜悪だ。芸術の域にまで昇華しうる殺人技術に対する冒涜だ。私ならもっと‥‥。

 ―私ならもっと、上手に人体を『斬り、刻む』事ができる

●冒険者ギルドにて
「‥‥よー、景気はどうだ?」
 君がギルドに現れるなり、毎度お馴染みの女性ギルド員が手をあげて挨拶してきた。
「新しい依頼がきてるぞー。内容は、ええと‥‥見習いシスターの救出‥になるかな、一応」
「‥『一応』?」
 語尾の曖昧な言い方に、思わず聞き返す。
「あー、なんか『稲妻の猟犬』っちう傭兵団に属する奴らがよ、聖オルガ教会でそのシスターと一悶着起こしてさぁ。報復だかなんだかで、そのシスターを追い掛け回してんだ」
 シスターと傭兵が喧嘩するとは、また奇妙な話だ。思わず首をかしげる。

「そのシスターの名前は‥ベアトリスっちうらしい。傭兵相手に今は教会の近くの森に逃げ込んで潜伏してるっちう、えらい気合の入った奴だ。教会から助けてやってくれとの依頼だ」

 さて、下手をすれば傭兵たちと命の奪い合いになりそうな依頼だが‥‥。

●今回の参加者

 ea6282 クレー・ブラト(33歳・♂・神聖騎士・人間・神聖ローマ帝国)
 ea7256 ヘラクレイオス・ニケフォロス(40歳・♂・ナイト・ドワーフ・ビザンチン帝国)
 ea7815 相麻 了(27歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea8076 ジョシュア・フォクトゥー(38歳・♂・ファイター・人間・神聖ローマ帝国)
 ea8889 ルクミニ・デューク(34歳・♀・ファイター・ハーフエルフ・インドゥーラ国)
 ea8991 レミィ・エル(32歳・♀・レンジャー・ハーフエルフ・ビザンチン帝国)
 eb0485 シヅル・ナタス(24歳・♀・バード・ハーフエルフ・ロシア王国)
 eb0565 エレ・ジー(38歳・♀・ファイター・人間・エジプト)

●リプレイ本文

 ―知らない事は幸福だ。見てくれ、あの羊達を。
   あいつら自分の罪深ささえ知らないんだ!―
              〜ある喜劇作家の言葉〜

●聖オルガ教会にて
「ええと、衣装はこれでよろしいのでしょうか?」
「‥ん? ああ、せやせや。これでうまくいくやろ、おおきに」
 手持ち無沙汰に教会の聖堂で時間を潰していたクレー・ブラト(ea6282)は、シスター・ディアーヌが持ってきた修道服を丁寧に受け取った。祭壇の前でかがんでいたヘラクレイオス・ニケフォロス(ea7256)も祈りを捧げ終えたのか、てくてくとクレーのところまで戻ってくる。
「重畳、重畳。これで必要な準備はほぼ整ったな」
「せやねぇ。あと暫くもすれば徒歩組も着くやろうし。‥‥。‥?」
 何か視線を感じ、聖堂の入り口を振り向く。半開きのドアからは、子供らが好奇と羨望の眼差しで聖堂に立つ2人の騎士の様子を伺っていた。
「あ、す、すみません‥。あの子たちったら‥!」
「なるほど、騎士が子供達の憧れなのはどこも同じという事ですな」
 恥ずかしそうに謝罪するシスターに、ヘラクレイオスは朗らかに笑う。子供達の歓声が聞こえてきたのは、それからすぐの事だ。


 数刻の後、遅れて徒歩で移動していた者達も教会にたどり着いた。
 玄関付近でヘラクレイオスやクレーと遊んでいた子供達は目ざとく冒険者の一団を見つけると、わっと声をあげて彼等に駆け寄り、辺りはてんやわんやの大騒ぎとなってしまった。
「こらー! 皆さんに迷惑をかけてはいけませーん!」
 シスター・ディアーヌはプンスカという擬音が聞こえてきそうな調子で声を荒げると、手馴れた調子で子供達をなだめて中庭へと追いやってしまった。
「んー、どうやらフィリップの奴も元気そうだねえ。あすこで手ぇ振ってら」
「久しぶりだな、シスター。聖夜祭の時はありがとう」
 子供達から解放され、相麻 了(ea7815)やレミィ・エル(ea8991)が次々に口を開く。
 シスター・ディアーヌはお久しぶりです、とかはじめまして、を連呼して次々に冒険者達と挨拶をこなしていく。
 あんまり普通に挨拶されたせいか、ハーフエルフであるルクミニ・デューク(ea8889)やシヅル・ナタス(eb0485)は少々面食らった様子で目を白黒させている。
 エレ・ジー(eb0565)はというと、先の子供達の嵐で混乱したのか、少々ふらふらしている。まて、大丈夫なのかそれは。

「さあ、着いてすぐだが、ノンビリとはしてられねえぞ。傭兵どもよりも先にベアトリスとやらを救出しねえとな」
 バン、と拳を合わせてジョシュア・フォクトゥー(ea8076)が皆に出発を促す。冒険者達は不要な荷物を教会に預けると、早速問題の森へと向かった。

●猟犬との接触
 木々が生い茂る森の中を、4匹の猟犬‥いや、傭兵どもが闊歩している。全員が人間を『狩る』為に特化した物騒な得物を握り締め、目をぎらつかせながらたった1人のシスターを追い掛け回しているのだ。
「‥いたぞ」
 傭兵の1人が呟く。それを合図に彼等は一斉に息を殺し、あたも風景の一部であるかのように気配を溶け込ませてしまった。
 弓を持った傭兵の1人が背中の筒から矢を引き抜き、ゆっくりと狙いを定める。

 1、2、3‥命中。悲鳴もざわめきも何もなく。ただただ無機質に事はなされた。
「‥後3人。変な奴等がいるな‥。あいつらはどうする?」
「ほっとけ。あのシスターを庇うようなら殺そう」
 隠れていた茂みから傭兵は立ち上がり、剣を手に持つ。
「そうだな、そうしよう」
 さもそれが何の事はない会話かのように、傭兵達は小走りで意中の者を仕留めるべく接近を開始した。

「がっ‥くっ!!?」
 修道服を着たレミィの右肩には矢が突き刺さっている。矢じりには抜けないよう『かえし』がついているようだ。強引に抜くと同時に、中から血と一緒に少し肉がこぼれた。
「‥っ! できれば不意をつきたかっけど、逆にやられたね‥!」
「ふむ‥。おびき寄せたまでは良いが、少々派手に喧伝しすぎたか」
 舌打ちして呪文の詠唱を始めるシヅルとは対照的に、ヘラクレイオスはゆったりと抜剣して更に盾を構える。彼としてはハーフエルフと共に戦うなど、まったくもってありえない事態であったが、冒険者として依頼を受けた以上、そこは譲歩するしかなかった。
 思考から余計な雑念を排し、呼吸を整えてオーラを練り上げる。体中に活力がみなぎったのは、オーラエリベイションが成功した証拠。
「同業者か!? だがなぁ、そいつの首はオレたちのモンだぜ!!」
「やかましい、野良犬どもめ! 獅子の怒りを知りやがれッ!!」
 傭兵のロングソードと相麻の忍者刀が激突し、激しく火花を散らせる。互いに2、3歩たたらを踏んだが、息を吸って力を溜めると同時に再び二者は激突した。
「ぬぅんっ!!!」
「ぐぁっ!!? っこ、この馬鹿力め‥!!」
 ヘラクレイオスのウォーアックスが盾ごと相手を吹き飛ばす。傭兵3人を同時に相手する事になったが、既に1人の武器は破壊した。残りの1人はシヅルのスリープで逐一行動を阻害され、寝たり起きたりを繰り返して戦闘どころではない。
「この野郎‥!!」
「‥!? おい、待て、違うぞ!!?」
「あぁっ!!? ‥あ」
 気がついたのは武器を失った傭兵が先だった。武器を持っていた者も仲間の視線を追う事で、すぐに事態を理解する。
「気がつくのが遅すぎる、と言いたいところだけど‥。まあ、傭兵のおつむではそれが限界ですかしらね?」
 傭兵の視線の先では狂化したレミィが弓をつがえている。勿論、この時点で彼女の弓から逃げられる者などいない。

「ぎゃぁぁぁぁっ!!」


「おっと‥。向こうでは先に勝負が決まったみたいだな」
 森の東から聞こえてきた悲鳴に耳を傾け、ジョシュアは眼前の敵にそう告げた。無論、悲鳴が仲間のでないという確信はなかったが、この場合言ったもの勝ちである。
「チッ‥退くぞ!!」
 傭兵達の行動は早かった。言うや否や、森の中を脱兎の如き素早さで駆け抜けてあっという間に冒険者たちの前から姿をくらませる。
 ルクミニ、エレ、クレーは肺にたまった空気を吐き出すと、武器を下ろして全員同じ方向に顔を向けた。
「ありがとう‥助かった。教会の皆には、いらぬ心配をかけてしまったようだな」
 その視線の先には、言わずもかな。錆び付いた日本刀を持ったシスター・ベアトリスの姿がある。

 ‥ベアトリス? まさか。
 彼女はヤナギだ。斬り刻むヤナギ。ヤナギ・ザ・スラッシャー。今まで幾度となく冒険者と対峙した稀代の殺人屋。
「‥‥‥」
 一体全体何故こんな事になっているのか、冒険者はまったくわけがわからなかった。彼女の噂話を聞いただけの者はともかく、直接戦ったことのある者などは動揺を隠しきれそうもない。
「‥どうした? 私の顔に、何か?」
「‥。いや、何でもない。そういえば、お互い自己紹介がまだだったな。
 はじめましてだ、ベアトリス。俺はジョシュア。ジョシュア・フォクトゥー。シスター・ディアーヌと子供達の願いでお前を守りに来たのさ。よろしくな」
 ぎこちない調子でジョシュアは笑い、手を差し出す。ベアトリスは少し首をかしげた後、ああ、こちらこそ、と笑顔で握手を交わした。


「さあ、つかまえたぞこの傭兵風情め。覚悟は良いのであろうな?」
 冒険者らは逃げ遅れた傭兵の1人を捕獲する事に成功した。顔を盛大に殴られた傭兵は古びた大木に背中を押し付けられ、ヘラクレイオスと相麻に詰問されている。やや後方ではレミィとシヅルが佇み、事の様子を伺っている。
 だが。
「へ、へへ、へへへ‥‥」
「何がおかしいんだこの野郎!!」
 傭兵は冒険者4人に囲まれているこの状況でもへらへらと笑っていた。苛立ちから思わず相麻が声を荒げるが、それに臆する様子もない。
「へへ‥‥、そりゃあ、おかしいさ。お前ら、オレっちを捕まえて『一体何を聞き出したい』っていうんだい?」
「何‥!?」
「あのシスター『もどき』が‥どんな奴か。お前らは知ってンのかよ?」
「『もどき』‥? まて、どういう事だ!?」
 相手の予想しない返事に、冒険者らは混乱していく。レミィが詰め寄るも、傭兵の男は更に意外な事を口走った。
「あいつはシスターなんかじゃねえよ。あいつの本当の名前はヤナギ。『斬り刻むヤナギ』。金を貰って人を殺す賞金首さ」
「な‥‥‥」
「へへへ‥。オレっちを騎士団にでも差し出すつもりだったのか? 当てが外れたな。オレっちは何も悪いことはしてねえのさ。ただ、人を殺した悪い殺人鬼を追いかける‥『正義の』傭兵なんだよ! バカめ! ひゃハハハハ!!!」
「〜っ! この小悪党!!」
 憤ったレミィが相手の胸ぐらを掴むが、傭兵は笑い続けた。ヘラクレイオスが男に拳を見舞おうとした刹那、シヅルのスリープが傭兵にかかり、耳障りな笑い声がピタリと止む。
「いちいちよく笑う奴だね。残りの質問は後でゆっくりとしよう」
 異論を唱えるものはなかった。まずは情報の確認をしなければならない。分かれた仲間と合流すべく、森の中央に向かわねば。眠りこけている傭兵を担ぎ上げたヘラクレイオスを先頭に、先へと進む。相麻はポリポリと頬を掻くと、誰ともなしに呟いた。

「麗しのベアトリス嬢が、あのヤナギだって‥? ユーモアにしちゃあ、黒すぎる‥」

●しこり
「ベアトリスさん! 良かった、無事だったんですね」
「ああ、ここにいる冒険者たちが助けてくれた。心配させてしまったな、すまない」
 聖オルガ教会に到着した一行は、シスター・ディアーヌと子供達の歓迎を受けた。

「‥‥‥」
「‥‥。言いたい事があるなら、言った方がいい」
「そ、それは‥。ルクミニさん‥も、同じなんじゃ‥‥ない‥ですか?」
 依頼の間、ほとんど口を開くことのなかったルクミニとエレは喧騒の輪の少し外に立ち、ぼんやりとベアトリスを眺めていた。
 確かに、今の彼女から受ける印象は、かつてのものとは大分違う。あの獣のような刺々しさは影を潜め、今では子供達と楽しそうに会話をしている。
 演技には見えない。否、むしろ冒険者が知るところの『ヤナギ』という人物は、そのような細々とした姑息な手段をとれるような人間ではないはずだ。

「わ、私‥」
 エレがおもむろに口を開く。
「あの人のした事は、ゆ、許せない‥‥。で、でも、彼女がこのまま改心してくれるのなら‥‥記憶を失ったままだというのなら‥」
「‥‥‥」
 ルクミニは何もこたえなかった。言葉が見つからなかったのか、返事をする気がそもそもなかったのかは不明である。

「あの、すまないが‥‥」
 ふと、気がつくと、いつの間にか2人の前にベアトリスが立っていた。
「ルクミニ‥だったか? 以前、私はおま‥いや、あなたとどこかであった気がするんだが‥」
「あ、いや‥その‥‥」
 まさか、『橋の上で殺しあった仲だ』などとは言えない。返事に困り、言葉が詰まる。
「その‥信じられないかもしれないが、私は自分の昔の事を何も覚えていないんだ。
 だが、今日冒険者の幾人かと会って、『何か』が私の心に引っ掛かっている。なら、もしかして‥」
「いや。あー、えーと‥‥」

「知りません」
 突然の声に、ベアトリスとルクミニは目を見開いて驚く。言ったのはエレだ。普段の彼女からは想像もできないほど、声は冷たく抑揚がなかった。
「私たち、あなたの事なんて知りません」
「そ、そうか‥。すまない、変な事を聞いてしまって」
 ベアトリスはそう言って踵を返すと、しずしずと教会へ戻っていく。いつの間にか辺りの喧騒は消え、教会の門にはシスターと子供達が、街道の方には帰途につく冒険者等がこの3人の会話が終わるのを待っていた。

「‥‥‥」
 風が吹き、髪がたなびく。

 ベアトリスはエレとルクミニに振り向くと、最後にこう言った。

「記憶がないというのは、恐ろしいものだな‥。まるで自分が、得体の知れないモンスターのようだ」