●リプレイ本文
かさなる、つらなる、木々は影絵。あわい・あわいに、雪催い。
――‥‥冷える。いっそ根刮ぎ、凍らしたほうが気楽であるかもしれぬ。血肉はもう二度と寒いということを考えないだろうし、神経は雨の日の植物のように物も言わずうなだれるだろう。
邂逅は造作なかった。待つほうも出向くほうも、それしか頭になかったから。
他のものは時相のずれはあるにせよ、渡辺百合との面識はあるよなないよなだったが、香辰沙(ea6967)はまったく初めての顔合わせである。黒の僧侶らしく、心理の裁定者らしく、過去の介入しない目線でみれば、いささか疲れているようだ、と。
「お初どす、渡辺様」
辰沙が目礼すると、反射的な礼儀が反ってきた。ただし、双方の境涯には深閑たる差異があるのだけど。無と無限は錯覚をおこしかねないほどとてもよく似かよっているが、無に無限はふくまれず、無限は無を否定する。
彼らは、向かい合っている。
体も心も鏃のようにとぎすまして、お互いだけを。事をわきまえぬ天風が時折あいだをぬってくるくる廻るのが、へだたりをいっそう暗くも深くもする。
「ほんま大事しはりましたなぁ‥‥」
辰沙が渡辺に話しかけているあいだ、シャラ・ルーシャラ(ea0062)はこそこそ、と、冒険者らのひとむらの一番うしろへ回った。阿国の姿が見えなくなることは悲しかったが、それよりも魔法をつかったときの発光を渡辺にみられるほうが、痛い。
「あたしの裡に来な。あたしはでかいから」
来須玄之丞(eb1241)に促されるまま(もちろん内密で)シャラは隠れる。と、テレパシー。揚羽が花木へすがるように、それはきちんと対象の思惟へ掴まり、見知ったものへ触れさせる。
あぁ、ちゃんと、阿国ちゃんだ。
『し、きずかれちゃダメなんです』
阿国へ一伍一什、告げようとして、けれど、はた、と止まる。不足はないだろうか? 会話にかけられる手間もすくない。天螺月律吏に沖田組長への仲介は頼んだけれど、彼女はいったいどんなふうに説明しているだろうか。そんなふうな調子はずれのそぞろ思いにまでわずらわされたり。
だから、託すことにしよう。
『おはなしをきいてください』
伊庭馨(eb1565)に。
それで六分がこときれる。シャラがカヤ・ツヴァイナァーツ(eb0601)に目配せを送る。
『ちゃんとまほうのことはつたえておいたです』
と、ツヴァイは、よくやったね、と実際に口にする代わりに、ぐしゃりと、シャラのふたつ尻尾に結わえたあたまのどっちともをつかって頭をなでた。
しかし、馨は沈黙している。
てのひらは佩刀の短いあいだを行って還る、川辺にとりのこされたひとりきりの子どものような、おぼつかなさ。居合い抜きの技を知らぬ馨だから、それは駆け引きの一部ではなく、気色を皮膚の下の檻に閉塞した引き替えというべきの、躊躇、誰にも強いられることのない義務と重複の夜の末につかんだ選択とで、ようよう口にしたのは、たしかに訊かなければいけないこと思っていたことではあった。
「‥‥人喰い地蔵と組長の行方をご存知ですか」
あまりに怜悧だ、と己で考える。
きっかけだとしても、説得ではなく事実の確認を先行させたのだから。
どちらかといえば、渡辺よりは七枷伏姫(eb0487)の反応のほうがきわだっていた。それきり、口をつぐむ馨のあと、伏姫はこんこんと続けた。
「拙者もそれを知りたいでござるよ」
吸って吐いて、一息、そのあとはまるで坂をころがるみたいにいっきで、
「崇徳院は何故その場で破壊せずに、人食い地蔵を持ち去ったのでござるか? 渡辺殿ならばなにか知らぬでござるか?」
封印されていた「もの」が封印の媒介を「持ち去る」というのは、破壊ならばまだしも、どうもちぐはぐだ。話し合って納得ゆく結論が得られるものでもなし、質問をぶつけてみたが、名残の多い仕儀とあいなる。
「それは、知りませんね」
ようやく対話らしいおもむきになる。もっとも、渡辺のななめうしろに控えさせられているのは、要所要所を念入りに括られたエルフの少女のわけで、安穏からはほど遠い。
「歴史はともかく、私は呪術の方面にはうといんです。もしかするとあの石仏には別のなんらかの作用がのこされていたのかもしれませんが、そこまでは調べたことがないですし」
「‥‥そうでござるか」
目に見えて、伏姫は肩をがっくりと落とす。それは正道をゆけなかった無念のつらさをあらわしてるより、なぞなぞをはずした幼な子の勝ち気にもちょっと似て、ちょうど先ほど誕日を過ぎたばかりにふさわしい寒々しい顔付きと相反するところ、この場にあまりそぐわない茶目っ気がある。それでか、渡辺は一度、くすりと邪気なく笑む。
「私、あなたのそういうまっすぐなところは、けっこう好きでしたよ」
「‥‥では、渡辺さんも一度ぐらい、すなおになってはいかがです?」
高槻笙(ea2751)、一度、を、最後とか終末といった直喩はもちいず、もちかける。
「復讐は終わったのでしょうか? そして、どういう結論をのぞまれますか?」
「‥‥復讐か。あぁ、うん。もうどうでもよくなってしまったとゆうか」
「どうでもいい?」
そのときまでおとなしく、利き手を逆のてのひらでおさえることで攻撃の意を抑圧していた蘇芳正孝(eb1963)だが、その、投げやりな単語だけはゆるせない。かっと、頬や首筋に血をのぼらせながら、語気は荒く、
「どうでもよくなるようなことで、少なくない数の命をうばったというのか?」
それは他者への詰問という枠組みをとってはいたが、自我に対する戒めをもあつらえていた。
――‥‥そんなものに後手をとったというのか?
そんなものにいっときでも哀れまれた、とでもいうのか? 狼にしくまれた兎のように?
「決着という形を欲する気持ちは分からぬではない‥‥だが何故拙者らだ?」
これは――これは手筈のひとつ、知略の結論であり冷静からの口上のはず。しかし、書き割りをなぞってゆくだけの正孝の声には、渡辺にかける目にも、いつか渡辺からもたらされた木刀へのせた手も、生きてゆくだけなら要らぬ火がともっている。
「新撰組に討たれまいと、他に関わりのある顔ぶれを探したからか? 拙者らは‥‥そちらにとって駒でしかないのか!?」
だが、正孝の真摯はもういいかげんに見飽きた粗略な様子ににじられる。
「だから、『どうでもいい』ですよ。どうしてかといえば、たぶん、あなたがたが一番手頃だったから」
嘲られる。が、その刻印は、いつもよりも心持ち浅い。とどかないほど。
「あぁ。何もかもどうでもいいから、なにをしちゃうか分からない。ほら。今はまだ私、抜刀してませんけれど、どうなることやら」
露悪的な挑発。けれど、冒険者らはのらざるをえない。
「かなしいからって。あたらしいかなしみをうみだすけんりはだれにもないんです。うらんだからって、それをひろげちゃだめなんです」
シャラの信じるように、それを塞き止めることこそが、彼らの為すべきことなのだろう。
――‥‥正孝が渡辺を引きつけているあいだ、玄之丞、笙、ツヴァイが裏手、もしくは横手にまわる。そうして不意をつく首尾だ。まず詠唱をすませたツヴァイが、サイコキネシス、指先で方角をみちびけばひょい、と、根無しに浮き上がる。渡辺も阿国をそこらの木につなぐまではしなかったらしい。
それと同時、馨はプラントコントロール、草木の工面をほどこそうとした彼の目に、しかしわびしい茶に染まる周囲の光景が目にとどく。
「‥‥そうでしたね」
冬、特にジャパンのように四季の変化が顕著であるがゆえ、緑が絶える環境では、プラントコントロールは大きな制限を受ける。プラントコントロールは植物の動作を制御するのがせいぜいで、性質を完全に変容させたり、成長を増進、減衰させうる魔法ではない。
「では、」
馨は魔法の指示をたがえる。樹木へ最後までのこされる枝ならば。もくろみは通じた。樹枝がしなり、渡辺の腕をはたく。肌の薔薇色はすぐさま消失したけれど、阿国を射程から遠ざけるぐらいの空隙はかせいだ。
放物線の軌跡で宙を舞う阿国は、正孝が受け止めた。軽い、とはいっても、勢いがついているのでいっしゅん呼吸を失わせる程度の衝撃はある。けれど、正孝は耐えきった。腕の輪っかのなかにおさまってもまだあまる体を、やっぱり小さなシャラに託したあと、正孝は油断なく木刀をほどく。
しかし、玄之丞の右の腕からくりだした剣戟は、おなじく剣戟の銀でふせがれる。恋人同士が欠けた部分をおぎなおうとするがごとく、二刀はどちらがどちらでもなく十字に噛み合う。
「すいません。抜刀術は得意なんです。こうして受けるくらいならどうにか、ね」
「‥‥あぁ、そうだっけねぇ。それが夢想流の真価だった」
ひとりごちる玄之丞にはとりたてて焦りはみられず、はばむ、攻める、ふたふりの刃は彼女たちの隙間でぎちぎちと、鉄を食い破る肉食獣の牙のよう、やかましく騒ぐ。
「あんたはよくやったよ。たかが私怨で、新撰組どころか冒険者も京の町まで巻き込み、ここまでやったんだ。女だねぇ」
「気分が満ち足りてるかってなると、微妙な気もしますけどね。褒められたみたいだから、とにかく、ありがとうございます」
「この状態になる事は想定の範囲だろ、なら落とし前つけなきゃね」
玄之丞の話は、知己の朱鳳陽平について触れる。いまでは堂々たる新撰組十一番隊の隊士、一番隊の隊士である律吏がそうしにいったように、彼もまた組長に口をきいているだろう、ということ。
――‥‥渡辺は、応じる。びたいち力をゆるめるそぶりはなかったが。
「なおざりにした私が云うのもなんですけれど、いったいどっちが『武士道』というものでしょうねぇ。ここであきらめてお縄につくのと、それとも、」
首を横にふって、
「‥‥やっぱりダメですよ。なにがどうなってもかまいませんが、負けるのだけはイヤなんです」
「だろうねぇ。でも、それはこっちもおなじさ。望む結末は諦めとくれ。お前さんはそれだけのことをやったんだ」
だが、玄之丞の剣は次第に押されかけていた。純粋な腕力勝負ならば玄之丞に分があったのだが、渡辺には現場でかせいだ勝負勘がそなわっている。鍔迫り合いのためにのばした筋は、張りつめながらも歪められる。
敗北を遠ざけたがるのは、武芸者として生きる玄之丞とて同様である。が、彼女は、負けが勝ちへの起点となることも知っている。その場の勝ちをしのぐためだけに、自分を献上するほど安くはない。だから、彼女はちゃんと聴いていた。辰沙のつむぐ呪がしめくくられるそのときまで。
「来須様、引いておくれやす!」
「ゆくでござるよ!」
辰沙の忠告と伏姫の宣誓、それを符号として、飛礫にはじかれたように玄之丞は横転した。そして、見る。
黒が額のすぐ上で輝く。水鏡で展開させたように、白く、剣刃の旋風がすべってゆくのも。
ダークネス、蒼いきらめきをまとう、暗黒の光珠が渡辺の身じろぎを封ず。伏姫のはなったソニックブームは空気を泡立たせながら、渡辺の胴へ吶喊した。折れる紙のように体を曲げる渡辺へ、とうとう、笙は、
「‥‥失礼します。じつはまだお話は終わっていないのです。いいえ、これでほんとうに最後ですよ」
笙はうしろから、渡辺の首筋に霞刀の抜き身を沿わせている。プラントコントロールでの緊縛ができず、綱は騎乗のものたちに残していたので、彼女を一点でとどめておく方法はこれしか考えられなかった。
――‥‥しかし、それが真に意味するところは他にある。
「夢や幻がなくても、現に光は見出せます。 あなたは自身の最期をどう望まれますか」
「‥‥なるほど」
一度は笙に送った目を、渡辺は、子どもたち――というよりは、正確には子どもたちを守っていたものたちのほうに転ずる。人差し指をはねて、合図。
「ほら」
「あ、あぁ」
「シャラ様」
正孝は阿国の体をもう一度抱え直すようにして反転させて、辰沙は袈裟のたっぷりとした袂をつかいシャラの視界を完全に覆う。よくできました。渡辺はひとつも真実のない賞賛を口ごもったあとで。
吐気と霞へけぶる剣尖へ、自らの頸動脈をさしだす。
ぱっと、散る。渡辺の長い髪がさばけるのと、血の気がひろがるのとは奇妙に同調して、振り袖をかざる絵柄のようだ。
死相が浮かんだのをみとどけて、馨は渡辺のそばによる。
「介錯つかまつります」
血から噴きこぼれるのは、泡沫の、そのときそのときの破滅、これは意味ある言語ではない。だから、馨は正確な返答を聴きとったわけではない。
しかし、馨は刀を作法にそってすべらせる。
――血を、地を、割る。肉だらけのところにむやみに突き込むより、人の首を断つ感覚は、また格別だ。首の骨を裂く実感。湯水のようにあふれる血潮。絶妙の細さが、ちょうどいい、とすら思えるときもある。
だからこそ、もう二度と、ごめんだ。
「初めて会った時の事を覚えているでござるか?」
十七歳になった伏姫は、自身に十歳のシャラとおなじことを許さなかった。見届けた、血だまりがこれ以上面積を増さなくなるその瞬間まで。渡辺の首は、馨のそなえた櫛で髪をまとめられているせいか、案外きれいで、眠る子をなだめている心持ちさえおぼえる。
――‥‥起きて泣く子のつらにくさ、と、口ずさむ子守歌。
伏姫は首をまねて、目を閉じる。と、思い返した。伏姫が渡辺を個性的だ、と評すると、渡辺はそれをよろこんでいた。
「あの時はそれが不思議でどう対応していいのかわからなかったが、こうやって全てがわかってみると理由もわかるでござる」
あれが渡辺の実相の、すべてではないにせよ一部、新撰組と同列にあつかわれぬことをおもしろがる心理。
もっと突き詰めていたら、違った結末を得られたのではないか? 伏姫は答えることをしない渡辺に問いかける、くりかえす。
「‥‥渡辺殿はどう思われるでござる?」
渡辺のその首からしたたる血飛沫は、かつては神木と呼ばれていた樹木のあった、過去形、そのあたりまで飛び散った。今はもう、根だけになり、それも立ち枯れをはじめている。しかし、真紅はまともに染み込み、もうちょっとやそっとのことではぬぐいきれなくなっていた。
「ごめんなさい」
神木に謝罪をつたえたかったツヴァイ、けれどハーフエルフである彼はそちらへまともに顔をむかせることすら許されない。
「ごめんなさい」
せめても、と、回数を重ねる。
「ごめんなさい」
鈴が鳴るように。
声と声が反響しあって、また別の声になるように。
「ごめんなさい」
幾度も。
幾度も。
「ごめんなさい。ごめんなさい。‥‥ごめんなさい」
すべての死を白妙の衣に包み、それでも冬は行進をつづける。寂静たる嘆きには目もくれず。