シロきクロ・四 【夜鶴】
|
■シリーズシナリオ
担当:紺一詠
対応レベル:5〜9lv
難易度:やや難
成功報酬:2 G 74 C
参加人数:8人
サポート参加人数:1人
冒険期間:10月18日〜10月23日
リプレイ公開日:2005年10月26日
|
●オープニング
意識をとりもどすと、裂かれたと思っていた下腹には、布がまかれていた。抜けるような冷たさと違和のあるぬめりという相反する触感が、布にかくれた膏薬の存在をつたえる。にじむ視界でまわりをたしかめれば、まったくみおぼえのない景色ではないことも、理解できるようになってくる。‥‥多少のがたは身体にのこっているが、もとのとおりに修正は可能、そう自分を位置づけた。
「だいじょうぶかい? いったい、あんなところでなにがあったんだい」
聴感も平気だ。ことばはきちんと聞き取れているし、いたわる声音におぼえがあることもみとめられる。しかし、起きあがろうとすると顔色がわるいからと止められて、たしかに、鏡でもなけりゃそこまでは分からなかった。
問いは、層畳される。ほんとうにだいじょうぶなのか、と。反復と反射が意識野を攪拌し、おぼろげな過去が浮上する。
夜叉に斬りかかられた。現実は、たったそれだけだった。
‥‥云ってしまおうか? すべてここで教えてしまったほうが、いいだろうか?
「あのあと、私以外に、変わったことはありませんでしたか?」
しかし、望外にも、出てくることばは自分でもまったくかんがえてもいなかったこと。飢渇した口唇の身勝手が、身体の統率の狂いをあらわしているようで、心底自身がうらめしくなるが、ためしに唇に糸切り歯おしつければ、痛みと湿りと、搦め手より来たるものが、それまでばらばらだった破片たちを急速にひとつにまとめる。
――呼びさまされる。いろいろなこと。そして、そのときこそ、おそらくは完全に覚醒した。
行かなければ、ならない。
返辞を待たず、身をたてる。彼らはたしか、徒歩で移動するはずだ。今からでも馬を走らせれば、中途で追いつけるだろう。‥‥脾の疼痛は、極力、知覚からとっぱらうことにする。
※
二十に満たない数というのは捜索の人手として足りない感はあったにせよ、逃亡の方向は分かっていたのだし、しょせんはたいらな土地になじんだ人の足、青々と繁るくさむらを分けてそう深いところまでは行けないはず。だのに、どれだけ捜しても求めても、見つからない。
まるで、飛び立った水鳥を湖沼で追うような、あてどないむなしさ。一点鐘もすれば疲弊もあがる、誰の胸にも、これ以上はなにをしてもむだだ、と、やるせない諦念が飛来した。
ひとりを、のぞいて。
「おかあさんは?」
母御に去られた少女は、泣きじゃくっていた。それだけしかできずにいた、てつだいもせずに。
――けれど、咎めたり責めたりはしなかった。それが刃刀であることを知っていたから。冒険者らはなにもはじめから放逐を目的としていたわけではない。‥‥むしろ、この地で一滴の血もこぼれなかった分、事態は最悪というわけでもなかった。
「まさか、憑依をといているとは‥‥」
意表をつかれたことを、考慮に入れれば。
憑依によってえられる肉体はある種の隠れ蓑でもあり俘虜でもあるが、同時に、その肉体の法則にしばられることにもなる。戦闘に特化しようとした場合、憑依をといたほうが優位になる場合もありうる。
ここでできることは、もうなにもなかろう。しかし、予感はあった。跫音がする。悪意は遠ざかりはしたが、けして消え失せたわけではない。きっと虎視眈々と機会をねらっているだろう、その悪意をふたたび十二分に発揮するべき時勢を。
いや、土の硬質を蹴り上げるてひびかせるは、たしかに、現実で踏みとどろかすひづめ。
「なにがあったでござるか?!」
銀の髪をふりあげて、愛馬駆けさせて、到着する。
※
阿国自身も、同行の信徒たちも、京のどこへ身を寄せるか、具体的な行き先は知らなかった。‥‥冒険者らもだ。事務的な手続きは、逃亡した彼女がいっさいにぎっていた。しかたがないので、冒険者らは阿国をいちどギルドに連れてゆくことにした。また、彼女のほうがそう望んでいるふしもあった。
「母様の代わりにはならへんおもうけど、せいいっぱいのことはしますさかい」
しかし、冒険者らには日常のとばぐちに、阿国の母の名義で召喚状がとどけられる。日時と場所(それは明け方の、とある鎮守の杜の奥を指定していた)の他に、条件はひとつ。
『卑弥呼を同行すべし』
彼女にとっては、少女はいまだ「卑弥呼」である。
はたしてそこにいるのは‥‥いったい「何人」だ?
「さぁて‥‥暁の宴は、『ひとくい』を醒まさずとも、閉じたまぶたをふるわすことぐらいできるかしら?」
●リプレイ本文
●
あといくらか寒がすすめば、荒樫、楓、柳に銀杏、衣通郎女の裳裾とまがう光彩陸離に染められしを、今はただ鱗のならびの常磐の緑、かまびすしく、鈴鳴るようにさらさらと。なにかを守る鎮守の杜は、久けき長閑にまもられて、おぼれるように。
「ふつうの杜みたいやの。ぜんぜん人影もみあたらへんし‥‥」
前宵。
暮れ六ツを告げる梵鐘が、どこか彼方で、雪虫の飛ぶようにながれる。
杜のへり、四つ足から姿を返して、香辰沙(ea6967)、頬をてのひらで支えながらほぅっとことばを吐きだした。辰沙のいう「みあたらない」とは、獣の身での捜索だけでなく、生命探査の法もふまえてのことだ。狐や狸に準じたとおもえる小さめの息づかいはそこらじゅうにあったが、人(けっこう大きいはず)にちかいようなものはあらわれていない。
べつに、おかしなことでははなかった。季節はずれの肝試しでもできそうに、うっそりとした風情の、まぁまぁおおきな木立。昼でさえ人気のすくないそこいら、日が落ちてまで動き回るほうがかえって不審者で、となると自分たちこそが妖しいのでしょうか。伊庭馨(eb1565)、自嘲気味の自己批評。
「一目で気になることがあれば、噂になってるでしょうしね」
伊能惣右衛門(eb1865)と手分けして付近を聴き回ったかぎりでは、おかしな兆候はまったくなかった。
雉の尾羽のごとく、日々、深まりゆく秋と夜。泰然とした音楽的なひろがりにおける、変奏ときたらそれくらい。
――さかしまにも、かんがえられる。井戸端会議のはじにものぼらぬこと、昨日の昨日から連続することこそが、おかしいのだと。それが証拠に、惣右衛門、骨がささったように喉元でひっかかっていることがある。
「この杜‥‥。少々、気になることを聞き及びまして」
けれど、それを聞いたからといって、なにをしようか、というのが思いつかない。あまりに、たわいなさすぎるのだ。ほんとうは「そこ」へ行き着ければいいのだけど、時刻は夜分、じきに童子の落書きのようなまっくらやみが目をつぶす。
「‥‥いったん、引きますか」
あしたは、はやい。
●
そういうところだから、明け方になって踏み入ったとしても、幾重もの白々とした光のひだにとりかこまれば、平地での一歩のはずが、まるで上昇する段差にでものせられたような錯覚にさいなまれて、くらくらする。
シャラ・ルーシャラ(ea0062)は「阿国」の手を引きながら――なのか、引かれながら、なのか――たぶん五と五。千鳥足もどきに進みながらふらふらするのを、セラフ・ヴァンガード(eb1362)、ときどき利き手、触れるか触れないかぐらいにあとから添えてやって、道行きをなおす。
ほんとうは。
都合だけを視野に入れれば。シャラより自分か、男性がいけないというなら七枷伏姫(eb0487)のほうが手を引くべきだ、と、蘇芳正孝(eb1963)はかんがえた。阿国がいくらたぐいまれなる舞踊の腕をもっているといっても、親をもとめる、年歯のゆかぬ女童なのだ。想像以上のことが起こったとき、どういう行動にでるか知れたものでなく、シャラの力では、すぐにもふりほどかれてしまうだろう。
――けれど、正孝はついに、そのままであることを、採る。『目』があれば、じゅうぶんだから。
行列のいちばんうしろから。ほ、と、惣右衛門は改めて、冴え冴えとした風光をみとおした。僧籍の身上である惣右衛門だが、ジャパンには西洋からみれば少々特殊な宗教観が蔓延しているせいで、杜とゆう神道の真中をゆくこと、ためらいはわかない。むしろ、隣人の庭にでも出向くようなこころで、さくさくと落ち葉ふむ足運び。
なぜなら、実際にこの杜、仏道のかげがないわけではなかったから。
そして、話の種に聞いたそれが、惣右衛門、ひいては冒険者たちへ、針でついたような、ぽつねん、と、寸毫の疑問を投げかけている。‥‥けれど、今は、それにかまっていられない。
「えとですね。ジャパンで『人』っていうじはひととひととがささえあってるって、きいたことがあるんです」
という、シャラの説明は異国のどよめき。ゲルマン語。――漢字はもともと華国のものじゃなかったかしら、というのはあっちにおいておく。シャラは指でいっしょうけんめいに習いを披露してみせて――あ、それ『入』――直さなかった――から、笑う。
お雛様のように、くちびるあげて。
「オクニちゃんにオクニちゃんのおかあさんががずっといっしょにいてくれたように、オクニちゃんのおかあさんにもだから、きっと、だいじょうぶなんです」
おぼえてまもない、ゲルマン語。それで語られる母国の文字の成り立ちは、耳朶をころころくすぐった。言霊字霊になじみのふかい務めをになう、陰陽師、本多風華(eb1790)はくすりと小さくほころぶ。いつものどこか高慢な涼しい顔とちがい、もっと優しくて、もっとまるっこい、たとえば貝合わせで偶然の手がどんぴしゃだったときにほろりとこぼれる、そういう笑まい。
けれどもあるときをさかいに、風華の柳眉はすぅっと、筆をひとすじ刷いたかのよに細くなり。
「来ましたわね」
伏姫が木刀の柄に指、おく。冷されて、触れるものはじくほどに、しんと、杣はこわばっている。
「『中に入る』のは、いつでもできるもの」
と、せせらわらい浮かべて。
二人、は分離していた。ハーフエルフの彼女は樹木のひとつ、夜叉の遣い魔なのか、まさに走狗、狗の外側の魔性をを足下にはべらせながら、毛氈に打った針のようにぬいとめられて。もひとり、夜叉、その片手には、ぬらりとくちなわめき、銀にきらめく反り刀。
「‥‥辰沙さん」
けれど。目に見えるものが、すべてそのままである、とかぎらない。悪鬼の行使する変化の術は、見えるものをまどわせる。馨が声をひそめて辰沙をうながすと、しかし、辰沙は云いにくそうに目を伏せて、
「‥‥あの。すいません。うち、言い忘れてたんやけど」
辰沙曰く、デティクトライフフォースで分かるのは生命あるものの「おおよその方角」だ。だから、同じ方向の接近したものを厳密に区分けする方法としては、少しばかり荷が重い。あいだにはいって、右か左か、ならばいけたかもしれぬが。
「あなたの用件は、いったいなに?」
しかし、セラフ、内心の動揺かかくすよう、強い表情で夜叉をねめつけた。
「さきに云っておくけど、交換だってゆうのは聞かないから。私はふたりに幸せになってほしい。だから、ふたりはいっしょにいないと」
「ちょうど、よかった。ふたりとも、あたくしが幸せにしてあげる」
夜叉の欲望を満たすには――都へ不幸な潮騒をもたらすには――阿国の典型的なエルフの見目形、ジプシーの精霊魔法、卓越した舞踊の才能、これらは「呪い」を蔓延させる際のめくらましとして、すべてがちょうどよかった。ところがまだ幼い子どもの阿国は、夜叉が憑依して自由にできるほどの、負の棚をかけていない。だから、ジャパンに逃れてなお、ハーフエルフの劣等感をひきずる彼女の母親に目を付け、憑依と変化で彼女をおびき、彼女の娘を間接的に支配した。からくりとしては、そんなところだ。
――けれど、まだなにか、それだけで説明のつかないようなことが残されているような気がする。
と、駿足に踏み出す、伏姫。人を小馬鹿にした物言いからそれが本物の夜叉であろう、という見当はつけていたものの、確定といえない彼女が横に薙ぐ木刀は、少なからずの躊躇をはらみ、精彩を欠いた一振りはわらをもつかむよな泳法だ。
すると、黒の神聖魔法とはおもむきをすこし異にする、にごった暗い靄が夜叉のまわりを球体となって出現する。伏姫、もぐるようにして、腕からそのなかへ落ちてゆく。――肌へやすりおしつけられたよな痛痒が、つ、とすべって、伏姫はたじろぐ。が、感覚の正体をしかと見極める寸前に、彼女の空間へくわえられる、刀の反転。とっさにくりだす堅陣が、火花散らしながらそれを咬む。
重い。
あのときの剣筋は、ふいを付かれただけの、まぐれではなかったということか。‥‥なるほど、憑依を解く価値はある。たわむ竹にも似て体をそらし、しのぎながら、伏姫は判ずる。
奉丈陽がおしえてくれたことだが、肉体をもってしまった憑依者はその肉体の臨界にしばられる。阿国の母はハーフエルフのジプシーだから、剣をすさぶ荒事には不向きだ。
引いた夜叉に、伏姫は刀つきつけて、目は刀よりもっとするどくさしだして、問う。
「尋ねたいことがあるでござる。『ひとくい』とは‥‥なんでござるか?」
すでに惣右衛門から話は聞き及んでいたので、「ひとくい」について、些少の思いあたりがある。しかし、きちんと夜叉自身の口からも聴いておきたかった。
「人を喰らうものよ」
「まぜっかえさないで、ほしいでござる」
「だってアレはむしろ、あなたたちの領域でしょう?」
まるで知ってることがあたりまえのような、謎かけじみた返答に、伏姫は、ぐ、と息を詰まらせた。得意の駆け引きか? 伏姫の逡巡をたのしむようにして、夜叉は身ひるがえすと、邪魅たちにまもらせた阿国の母へ飛ぶ。
‥‥これを望んでいたのでしょう、と、あざけるばかりに、夜叉は憑依をみせつけた。
「さぁ、お母さんといっしょに『イ』きましょうね。『卑弥呼』」
夜叉を宿した彼女は、我が子へ手を伸ばす。けれども、童女は手を振り払い、
「ちがうんです!」
いいや、それは卑弥呼でも阿国でなかった。
シャラだ。
「シャラはオクニちゃんと、おふくをとりかえっこしてきたんです。それだけなんです! それだけだのに、みまちがえるなんて、『あなた』はオクニちゃんのおかあさんじゃありません!」
「‥‥うちらも、『卑弥呼』ゆう子はつれてきてまへんしな」
辰沙。
やりきれない苦さ、こらえるように、ゆっくりと云う。よくよく瞳とおなじの紅さすまなじりが、青く、白くなっている。悲憤の焔と同じ色。
「ここにおるのは、『阿国』様いう、母様が大好きな御子だけや‥‥。だから‥‥」
ほんものの阿国はシャラのなりをして、惣右衛門にしがみつくようにしていた。そこへ行こうとする夜叉の面前に、
「お話は終わっておりませんよ。私はまだ、お名前を聴かせていただいてませんから」
立ちはだかる。
手は、空。馨の右はいつでも武具をにぎれるようにはしてあったが、今は寒々しさをかんじさせるほど、なにもない。それをすぃっと、前に出した。
「‥‥つらかったでしょう。身勝手な同情かもしれませんが‥‥」
ハーフエルフの苦境、日ノ本に生まれては、伝え聞くのみ。分かる、とはとうてい言い難い。
「生の荒波は私も怖いです。刀を振るい魔術を使い、奪った命の分だけ心に闇が生じる。例え厳しく辛くても、引いてはならない戦いがあります」
約束です。
あなたはもう、ひとりではないと。
そこへ、ざっと吹く、草を分けて枝を揺らす風にまぎれて、律にのる言の葉。
――自らを省みよ
――今の自らの姿は子の為なるものか
呪歌。謡い慣れしていない風華、冷気に喉をやられて、コン、とむせぶ。が、生まれつきの気丈さまで、やすくなったわけではなかた。
「どちらを選ばれますか? 夜叉の心と、菩薩の心と。子を、娘を、慈しむ心をお捨てになるおつもりですか? そうまでして、あなたはいったい何をまもるおつもりですか?」
それは、ほんの一瞬のことだ。
八方破れる慟哭が、近いところから遠くのようにこだまし、二人で一人であったものは、また生身を裂くようにして二人へと分かれる。
セラフはそれを見逃さなかった。体全体で、跳梁する。
「‥‥っ」
彼女を細腕でかいこみ、落ち葉のふりつむ地へ、もんどりうった。土に血がいくらか混じり、口腔に耐え難い風味を入れる。けれど、セラフはそれをぬぐうこともせず、枷よりも強固に一度抱いたものを離さない。
「今だ。ぜったい許さないで。そいつを!」
ハーフエルフの尊厳をにじるだけでなく、蚊遣火のごとくもてあそび、食い散らかそうとした、夜叉を。
狂化寸前のセラフの懇願、汐先にして、夜叉へ斬り込んだのは正孝だった。長槍を夜叉のはすむかいにながして、彼女のうごきをはばむ。
「いつぞやの礼を、返しに参った」
「知らないの? あたくしには、只の武器はつうじなくってよ」
「しかと、刻んでいる」
胸の裏に。
利き腕と対称の側から、正孝は西洋造りの小柄をとりだした。銀。
濃さをはじめた日光をはらみ、聖製はぎらりと、獲物を待ち受ける獣の牙のごときに、艶めいだ。正孝、涌きあがる凶暴を臼歯でがちりと食い止め、義務と献身と責任と、それから憧憬めいたものとで、銀を、
「二度は退かぬ‥‥っ!」
夜叉の胸へ、推す。
次いで、風華が月魄の鏃をたむける。標的は、夜叉。短い令。彼女に応えられることに、光は歓喜をもって夜叉を射抜く。
生き身に似て非なる胴から、やはり生き血に似て違う液状が、ぱっと正孝にかかった。けれど、彼が己の着物を見返したとき、そこにはなんの痕もない。おなじように夜叉の骸も、集めた霧が溶けるように、いつのまにかなくなっていた。
●
夜叉の真のもくろみを知らないか、という、馨と惣右衛門の質問はからぶりに終わった。
されたものにしか分からぬことだが、憑依は意識をのっとるわけではないのだ。寄生木のごとく、すきまにそっと忍んで、毒ある実働を吹きこむだけ。精神のもろいものは見えぬ声に唯々としたがってしまうので、傍目からは同一化したようにもみえてるが。
「立てますかな?」
惣右衛門のメンタルリカバーの申し出を、しかし彼女は丁重に断った。
自分の力で歩ける、といった。
惣右衛門は、いつもそばにいられるわけではない。だから、自分で歩く、といった。娘の手を引いて。
「それは、けっこうでございます。自力救済、よろこばしいことです。‥‥というのは、どちらかといえば、黒なる布教ですが」
「え、あの。‥‥うちは、うちも、それでええ思いますけど」
黒といえば、辰沙。なんだか曖昧に返答して、自分でもその、分からなさ加減に、顔、染める。馨は、夜叉ののこした日本刀を、一度、振った。上等の出来だ。――‥‥これで、断ち切れればいいのに。
いまだ、ほどかれぬ符牒を。
●
「この杜‥‥。少々、気になることを聞き及びまして」
惣右衛門は語る。手厚くしらべたのちに披露するのが本来なのだろうが、そうするには夜も更け、時間もたりない。だから、聞かれたとおりのことを、訥々と。老体の信仰には、とても甘やかな誘惑であったのだけれども。
この杜の奥の、また奥へ。御神木とあがめられる大樹のうろ、石の地蔵が、花がいろどられ菓子そなえて、一、二本の線香をそばにして、しめやかに祀られている。その名を、
人喰い地蔵という。