●リプレイ本文
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虎落笛。臘梅にやどるふくら雀が、枝にのがれてなおからむ辻風のすさまじきに、難儀している。
師走をはじめてしばらくの、事始めのしたくにとりかかろうとする町は、野分になぐられてまた一段とつよく立ち上がる葦火のようで、ちょっとやそっとの冬月などではふさげないのが、暮れの気忙しさ。びゅうびゅうと、世知辛さを写し取ったようなあからしま、冒険者をうしろからせきたてる。
「さむいー」
「寒いな」
小柄な体付きは、きっと他人より凍みるのがはやいのだろう。地と水とへ競る作用をあたえてくれる玄武の法被は、しかし大雪の寒まではとりのぞいてはくれず、月詠葵(ea0020)は両手で前合わせをしっかりとふさぐ。‥‥それから、脇のティーゲル・スロウ(ea3108)をおそるおそる見上げた。十三寸の足まわりのちがいは蓬莱山を見上げるようで、ティーゲル二十六歳、葵十二歳、でも葵はあと二十四の歳月をくっても彼のようになれる気はしない。
雨雫を綴じたがごとしの銀髪に榛の瞳の組み合わせは、冬将軍そのままなのに、ティーゲルは針で留めたように三日月の眉、ちっとも動かさないでいる。
「ティーゲルさんは寒くないですか?」
「じゅうぶん寒いぞ」
と、ティーゲル、はたしてことばどおりの顔付きはしていない。武装はなかなかであったけど、風除けの用事までは果たせるとはおもえないのに。自分も大きくなったらああやっておちついていられるのかな、と思い、けれども年少の今は遠慮なく両手に息を吹きかけて、麦粒ほどにもともしい暖をとる葵に、ティーゲルはやはり平然の顔付きのまま、尋ねる。
「俺たちは、どこへ行くんだったか?」
「んーと、ですね。ひとまず、五番隊が以前にふみこんだという小料理屋さんへ、おじゃましようと思ってます」
五番隊が「杜」に往くのまであと一日、二日、あるようだから、捜査の基本は現場百編。ティーゲルに葵、彼らは先回って「弟を殺されたお姉さん」を見つけようとしている。
念のために彼女の似姿は伝えられてはいても、彼ら、実際には遭遇したことはない。あてどなく京をたったふたりでめぐっても、滄海になくした貝殻一枚掬い上げるようなものだろう。なら、蜘蛛の糸にすがるようにでも、わずかの軌跡を追い求めるしかない。
「あとは、旅籠とか。女の人がひとりで野宿されてるとも考えにくいですし」
「妥当だな。年末はどこも殺気立っている。せいぜい追い出されないようにしよう」
「みゅ」
「あとは、神のみちびきにまかせるとするか」
ねがわくば、女神がいい。なよやかに、あまやかに、ふくらみのある。
白昼ですら陰影はあわく、目をすぎるものは象徴か抽象、ときどきは三次元の輪郭すらもあやしくて――心苦しいくらいに、冬。
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「‥‥眠い」
ばたり、と、七枷伏姫(eb0487)。横臥しばし。光沢のある雪色のくしが、木板にはらはらと散り乱れる。
陰陽寮の書庫は書庫であるが故に書庫でしかないので、寝所の用向きにはむいていないはずだのに、竹帛の山は綿をたっぷり入れた夜着のごとく、伏姫の胴をあたたかにくるむ、このまま暗夜無灯に櫓をかき櫂をさし‥‥。が、伏姫の喪失は寸出で、御影涼(ea0352)の一言にせきとめられる。
「疲れたなら、ゆっくり休んでくれ――と云いたいところだが、俺も男だからな。そう無防備に倒れられても、かなわん」
「す、すまぬ」
伏姫は二度、起きあがる。まぶたのふちの赤みごと、ぐいと片手でおしあげた。
都からひとりの人間を見つけ出す、ティーゲルたちの捜索がはてしない仕事であるように、陰陽寮につもる星の数の文献からちょうどよく目的の叙事をとりあげる、という、伏姫と涼のてわけもまた、行き先を決めない旅程によく似ている。けれど、千里の道も一歩から、というように。途方もない普請も、徐々に柱がみえてきた。
「『崇徳院』が黒の教旨をおさめていたでござるとは」
「第一線をしりぞいた公家――彼の人は上皇だが――が、沙門にくだるのはさほど珍しいことではないからな。形だけでも権力と袂を分かったことを表出するには、てっとりばやい」
「しかし、なかなか熱心だったようでござる。五部大乗教を全巻写した、と、ここにあるでござるよ」
「こういうのは、惣右衛門さんに訊いたほうが詳しいんだろうが‥‥」
白と黒の差はあれど、僧である伊能惣右衛門(eb1865)なら大乗教の宗教的価値は講説できるだろう。が、涼の知識でも写経をおこなう社会的意味合いは、おおよそ理解できる。
『華厳経』『大集経』『大品般若経』『法華経』『涅槃経』あわせて、全二百巻。これをすべて写経するは、並大抵の労力でかたづくことではないが、それだけにもたらされる功徳も相当のものである、と伝えられる。流罪の境遇で、崇徳院はそれをやりきった。そして、それを朝廷におさめようとし、かたくなに突き返された結果、彼はそれを打ち棄て、そして例の呪詛をのこし――‥‥。
「どうも史家としての興味が、先に立つな」
植物が水と光を追うように、好事が学殖と探求を欲する。悪い癖だ、と自戒しつつ、涼は別の書物を手にする。これにも気になる記述がみられる。
不遇の崇徳院は、じつのところ、雲隠れにさいして諡号すら贈られなかった。つまり「崇徳院」という名は、ずいぶんあとになってからつけられたものだ。彼の没後に数度の天災が立て続けに起こったため、御霊信仰にとりこまれるのをきっかけに、ようやく「院」つまり「上皇」を名乗ることを正式にゆるされた。
「だが、ほんとうに、災害が崇徳院のなしたものであったという証拠はない」
妖怪、化生のたぐいの報告は、同時にみられない。証拠が消されたかどうかの判断すら、つきそうにない。
――‥‥それとも、たしかに、崇徳院の怨霊は実在するのか? 冒険者ギルドの報告、縁起、史伝、洗えば洗うほど、雲霞のなかばへこぎだすよう、賽の河原の小石を積むよう、無駄な努力をかさねているような気までしてくる。
否。
それこそがなによりの罠に等しい。諦めは、己を底なしの泥土へおとしいれるだろう。涼は自らの頬を軽くはたく。
「弓削殿にもおうかがいしたほうが、いいでござろうか」
「京のギルドの元締めの? おそらく、たいていの調査書には目を通されているだろうが」
現在、とりたてて強硬な采配はおりていない。冒険者の自由意志にまかされているという、証しだ。
「‥‥体を壊さない程度に、つづけるとするか。七枷殿もムリせず、やすめるときに休んでおいたほうがいいぞ」
「う、うむ」
伏姫は睡魔を祓うようにもういちど瞼を押さえようとしたが――遠物見としてならすせっかくの双眸、傷つけてはいけない。黒い瞳、まばたき、三度。しぱしぱした。
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たとえば日暮れ時、朝焼け空。なにげなく見上げた天球が濃藍と青以外の色をたたえていることを知ると、まるで幽界へおちくぼんだような幻想、衣にはりつく。見果てぬ天地にとりのこされて、ひとりきり、行く方も来し末も。冬の杜を散策するのは、それによく似た浮遊感があった。
蘇芳正孝(eb1963)はおぼえず、長槍の石突きを地表に刺す。
そうした彼をとおくから眺むれば、まるで渡し守が竿を水面に突き入れたようにみえるだろう。流されまい、とあがく、行程のひとつに。
「いらっしゃらないでーすーねーー」
うらぶれた風光は距離感までを狂わせるのか、シャラ・ルーシャラ(ea0062)の呼びかけは、必要以上の大きな声。正孝、あぁ、と軽くうなずくだけのつもりだったのが、それではシャラの期待にそむくことになるかと考え直し、結局「そうだなー!」とがなる応答をしてから――なんとなく、照れるようなきもちになる。
どうにもガキっぽいことやってしまった、という、些細な悔い。べつにシャラを責める腹積もりまでは、おきなかったが。
「さすがに日がはやすぎますかな」
と、伊能惣右衛門。鷹揚に己をまもった彼は、いつもどおりに、いつもどおりを。静かな声差し、もろい日差しに融解する。
杜の位置は、洛内だ。だから先行を許したか、という、正孝の思案はあたらない。ここへ来るのは何度めだろう。影絵芝居のような壮観はいつ訪れても、いっしゅん気をとられる。いないですね、というのは、もちろん例の女性のことだ。だけれど、いるか、と信じて来たわけでもないのだから、そんなに気をおとしているわけでもない。
「下調べですか? 感心ですね」
と、あしうらの落ち葉くだいてあらわれたのは、新撰組五番隊・渡辺百合。おや、と意外にとらえたのは、惣右衛門と正孝、特に惣右衛門は懸念をそのまま口にする。
「ここがお嫌いだとおうかがいしていましたが?」
「だから、ほら。好き嫌いではかれないことって、ありますから」
正孝はシャラをともない、その場をはなれた。厄介事になりそうだ、という、直感。――‥‥惣右衛門ひとりにまかせるのは気が引けたが、逆にみれば、惣右衛門ならばだいじょうぶだろうという信頼のあらわれでもある。どちらかといえば、シャラをひとりきりにするほうが、よっぽど気が気でない。
さすがにこの場にすぐ、夜叉――以前、ここで戦った――があらわれるとは思えない。が、無しにちかくったって可能性は可能性。こどもこどもしたシャラを放っておくことは
渡辺はべつだん彼らを引き留めようとはせず、シャラのほうへ、ちろりと一瞥ながしただけだ。
「シャラの貌になにかついてますか?」
「べつに。かわいいですよ?」
なにかひっかかるものはあれど、正孝はついに、精神の澱をすくわない。
さて、目を転じて、ふたたび惣右衛門、ちょうどいい折だといくつかの質問をぶつける。
「渡辺さん、取引のことが知れるに不自然はございまぬでしたかな」
「んー、どうでしょう。やってみなきゃ分かんないですし」
なんともはや、心許ない。まぁ、複数の視点からならともかく、これは渡辺個人がやっていることなので自分自身の反省はしにくいものである。
「では、取引先は何処の者でございましょう?」
「ふつう、ですよ。堺の両替商ってわけでも越後の縮緬問屋でもない、ふつうに剣を売って買って。ひとくい側の提示した金額に目でもくらんだかな?」
一方の正孝は、先ほどの渡辺の険呑が気にかかってしかたがない。が、とうのシャラはほとんど気に留めていなかった。
「あのひともおねえさん、さがしにきたですか?」
「ちがうとは思うが」
じゃあ、なんなのか、とも答えられない。値踏みされてるようだったが、何故にどうしてシャラなのだろうか。シャラの面差しはこのジャパンで、実際、どこででも浮いて見えるが。
――外見?
水底をさらっているうちに金貨へつきあたったがごとく、なにか手がかりをつかんだような、錯覚。が、それはしかと骨格をなすまえに、ぱらぱらとひびわれてゆく。
「とにもかくにもお礼を申しますじゃ、お教えくださったおかげで」
惣右衛門が渡辺に礼を述べているのを耳聡く聞きつけ、シャラは正孝へ、邪気のない、うたぐりのない、白くはあっても冷たくはない顔つきを向けた。
「それじゃあ、あのひと、いいひとですか?」
「‥‥さぁ」
肯定も否定も正孝にはたいした意味をなさず、ただ、握りかけた破片の正体をさぐるのに夢中になっている。
ここは寒い、はやく帰ろう。
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ティーゲルと葵が街を足早に過ぎたのは白昼堂々だったが、渡部不知火(ea6130)と高槻笙(ea2751)が襟と袖に素肌をできるだけ隠しながら元来た道を帰ったのは、黄昏を抜ける時刻。
「こういう日は、あったかいつみれ汁でも欲しくなるわねぇ」
「どこかのお店にでも寄りますか? そろそろ小腹もすくころですし」
「やめときましょうよぉ。死者へ合わせた手のひらを洗わずに箸をもつってのも‥‥無礼なこった」
高音に近しかった不知火の声音が、菜切りで割ったように、突如低くなる。笙はべつだんおどろきはしない。むしろ、大柄の彼にはそっちのほうがずっと自然なのだから。
帰途。――死なせてしまった彼の、小さな位牌をおがんだ、復路のきわのことである。
「いなかったな、どこをどうほっつきあるいてるんだか」
もしかすると、渡辺もそこへ来るかもしれないと思っての不知火の言い分だが、前述したように彼女はまたも人喰い地蔵の杜にいるわけで、しかし、そのときでの彼らが知るよしもなし。いない人は好き勝手にあつかってもいい、と、世のならいに迎合しててきとうな肴にする。
「屯所へ出向けば、いずれ面会はかないましょうが」
「んー。それだと、あの、組長さんにも逢うことになるだろうし」
無言。
苦い過去に暗い威容がちらつく。不知火と笙、そろって沈殿するような視線を交わし合った。
「わずらわしいことを、わざわざ招く苦労はねぇな」
「まぁ、そのうち連絡してくるようなことを云ってましたしね」
放っておけばつなぎはとれるだろう。だから、それはいったん、おいといて、
「‥‥ちょっと妙だったな」
「ええ」
舳先を変える。訪問先で、すこし気になる事態に遭遇した。
不知火が彼女の両親にたしかめたことだが、彼女は弟をなくしたことを悲しんではいたが、怨み辛みを誰かにこぼすようなまねはしていなかった。だから、彼女の両親は失踪にきづいたとき、まずまっさきに疑ったのは彼女の自死だったらしい。云われてみれば、なるほど、その可能性は無ではない。が、京でそのような遺体が発見されたような報告もない。生きているからか、あるいは、
「他になにがあったっけか」
だが、気にかかることってのはそちらじゃない。前半の、それ。笙が指摘する。
「他人ならともかく、家族にまで遺憾をかくすとは、ちょっと考えにくいんですけどね。なくなったのは家族のひとりの、弟さんなんですから」
「‥‥だな」
不知火はぼうぅっと視線を、夕闇の欠片、拡散する小夜の街へ投げかける。
――‥‥隠れた誰かに玩弄されているような、不可解にして不愉快。不明瞭、不心得が、食べ物がもたれたように腑をまさぐる。不知火は浪人らしくさばけた頭髪を、かきあげた。
「あぁ、けったくそわるい」
「一休みしましょう、はやく奥さんを安心させてあげたいでしょう?」
「るせぇよ」
リュー・スノウとの待ち合わせもある。笙が一歩先んずると、負けじと不知火が三寸だけの長身の利をあらわして、越す。
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いやがおうにも、その日は来る。
円環のぐるりをなぞれば、かならず元へ返るがごとくに似て。
「いますよ、しんせんぐみー」
発音のぶれた、ひとりごと。黒色の魂の入れ子――隠身の勾玉――をてのひらに、ジャイアントの体躯を窮屈そうに、やせっぽちの立木にひそませ、ミラ・ダイモス(eb2064)は彼らをうかがう。
「新撰組って分かりやすいんですね。みんなでおそろいの青い着物を着て。うん、簡単かんたん。これなら、まちがえないですよ」
人斬りと、新撰組を。
けれど、青じゃあなく浅葱、着物ではなく羽織。が、ミラにはまだそのへんの機微がいまいち分けられない。実際、大局的にみればその程度の判断で満ち足りる。
さてミラは――ひとりだ。他のものが警戒の対象を主にくだんの姉へかけたのに対し、ミラは新撰組五番隊に主眼をおいた結果、彼女の出発はほぼ単独行にちかいものになった。
「だって私、その人をよく知りませんし。人斬りはやっぱり許せませんしね」
そして単独行だからこその潜行を成し、彼女は冒険者のなかでも新撰組へいちばん近い位置につけている。もしも新撰組が冒険者へ敵意をくだすようなら、足止めを買ってでる心算で、しかし力自慢とはいえそれなりの手練れをそれなりの数あいてすることになる、たったひとりでだいじょうぶかと思ったら、
「機嫌をそこねたらゴメンナサイすればいいんですよ、それともアリガトウゴザイマスでしたっけ? 日本語って難しいですね」
他人が耳にしたら不安でまっくらになる確認をつぶやきながら、ミラは愛用の鉄槌をとりあげる。子どものあたまほどもある金属魂を片方にすえたそれは、墜落、衝突、破滅、の銘。片手で回してできる円周から、風がひしゃげるのが快い。
これはあくまで仮定にすぎないが。
ミラがあとひとり、ふたり、仲間をともなっていれば、京の、新撰組の、五番隊の事情へ通じているものが彼女とともにいれば、のちの事態にいくらか変化は起きていたかもしれぬ。
血を流そうとしているもの、流されようとしているもの、とても一ではおさまらないのだから。
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「まさか当日になるまでお逢いできないとは、思いませんでした」
「占いでそっちは方忌みだと出たものですから。連絡はしてたでしょ、書簡で。伊能さんにもおねがいしてましたし」
笙、不知火、が渡辺をつかまえられたのは、当日、それも現場付近である。避けられていたのは、あきらかだ。不知火が顎をしゃくると、笙は心得てうなずき、すぅっと一歩前に出た。
「おはなししたいことが山と積もってたんです」
書面上ではなにもかもが遅くなる可能性が、ある。
「今日の取引の情報、いえ、今日だけではありません。以前の料亭での会合にせよ、どこから情報を得られておられたのです? 依頼料はどこから?」
すくなくとも冒険者に話をもちかけてきたのはいつも渡辺で、彼女の通知はだいたいにおいて正確、確実を期した。よって、渡辺が「ひとくい」のごく身近に間諜だののたぐいをしのばせておいているのではなかろうか、という、推測がなりたつ。
『拙者も彼女は裏で通じているような気がするでござるよ』
伏姫もおなじふうにいぶかしんでいた。
では何故、彼女はそちらの人脈を生かさずに、わざわざ冒険者に次第をたくしたのか。こんなに見晴らしも足場もよくないところで、少なくない見積もりまでしたくして。
笙はリュー・スノウの忠言を引用し、人喰い地蔵を擁する神木を斬るような依頼がなされたことを告げる。特に反応をみせぬ渡辺に、それでも笙は礼をなくさず、問いをかさねる。
「先日、社を訪れる義務があることと、人殺しは嫌だということを仰いましたが、この二つに関連はありますか?」
手持ちの最後の札をひらくように、ひとつひとつを丁重に、鍵穴へ鍵をさしこむみたいに、どうしても尋ねなければいけなかったことを、
「大切な人を失ったりしたのでしょうか?」
云いおえたとき、賽をころばせたようなこころがしたのは、どうしてだったか。
――あるはずのない「七」の目があらわれる。駄々をこねてきかぬ運命へ警告を発したい、と。
「うーん。あと一歩、惜しいな。目の付け所はよかったのに」
渡辺は口元をつり上げている。それは冒険者ギルドで見せた嘲笑とそっくりだ。
嗤われたのは彼か我か、
「あるいは、知ってたんじゃないですか? なら、手ぬるいですね。私は誰かに云われたぐらいで、はいそうですか、と、止まる性格じゃありませんよ」
不知火の胸に、ふいに、昨日の焦燥が再生された。質量をともなわぬ重荷、輪郭のくずれた嫌悪。ふと横を見れば、笙の、ただでさえ色白の相貌が、けずったように漂白されている。渡辺の言々は、淡々と、
「ええ、そうです。私は大切な人をこの杜で失ったことがあります。――それから、夜叉に崇徳院の復活をもちかけられたのは、あなたがたが追い求める女性ではなく、私、です」
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「すまん、見つからなかった」
「‥‥こっちもだ、張るしかあるまい」
なにを、という、解釈はもう必要なかろう。
結局は、それしか、のこらない。人喰い地蔵。ふりだしで、あがりの、地点。――もっとも、それらはもはや渾然一体として、誰もが欲しがる業物にだって分けられなくなってるにちがいないけれど。
来須玄之丞が仲立ちして新撰組五番隊の陣とは、ふすま一枚へだてた、というところ。いくつかの勾玉で超次元のところにひそみ、涼は、
「気付かれるか気付かれぬか、微妙な配置だな」
「なるべく接触はしたくないでござるが‥‥」
しかし、伏姫がきょろきょろと不安そうにあたりを見回したのは、そればかりが理由でない。笙、不知火が渡辺に会いに行ったまま、帰ってこないのだ。どうやらあちらにも、渡辺はもどっていないように見える。なにか不穏があたったのでなければよいが――‥‥。
と、伏姫がわずらいにおぼれだす瞬前、わぁっと、蜘蛛の子散らすどよめきがあがったので、伏姫はびくりと身を竦める。けれどそれは、いくらか遠い。新撰組の捕り物がはじまったのだ。あぁ、と、安堵しかけ、しかし伏姫は遠目に入れたものに、やっぱり驚かされるのだった。シャラが代わりに、いいあてる。
「リラさんです」
「‥‥獅子奮迅」
まさに。
水を得た魚のように――いや、それでも生ぬるい――緑酒をあびた虎とでもいおうか――ミラの長躯は生き生きと、新撰組と人斬りのはざまへ、昏迷と破滅をもぎっていった。金槌がありえない、びゅうびゅう、と風を切り、宙を裂く。重量
「まちがえてしんせんぐみのひとまで、なぐっちゃわないといいですけど」
「う‥‥ん‥‥」
と、全員の注意がそがれかけたとき、ぺき、と小枝を踏みしだく小さな音がする。
とても近く。
だのに、それは彼方からの暗示にも思えたのは、共通の認識か。その場にいるものはほぼ同時に、おなじ方角へ顔をむける。運命のからくりがそういうふうに働いたように。
いつのまにか、知っている、知らない、女性がひとり、そこにいた。手近な立ち木につかまりだちするのがせいいっぱいのよう。
「え、えと」
どんな地獄をのぞいてきたか、というぐらいに消耗しきった彼女の様子に、シャラは、
「ここからさきはあぶないんです、いっちゃいけないんです!」
信号を送るように、ばっと両腕をひろげた。碧の瞳、春のように、いよいよ、燃える。だが、彼女のかえした返答は意外だ。
「ここは‥‥? 私、いったい‥‥?」
「おぼえてないですか?」
彼女は、従順にうなずく。正孝がさらに、質問をかさねる。
「ここへは仇討ちに参られたのではないのか?」
「そんなことがあったんですか?」
さかしまに問い直されて、は、と、冒険者たちは顔を見合わせる。「ひとくい」は人斬り、だからその取引は隠密のうちにおこなわれなければ意味がない。ただびとの彼女が、まして、冒険者たちも今日まで立ち寄りを発見できなかった彼女が、いったいどうやって詳細をあばけるというのか。
「‥‥似ている」
人、ひとり、消えた術。そして、また、あらわれたこと。よりによって、この杜、人喰い地蔵へ。正孝の脳裏にふっとよぎる、過去。
「あの日と、瓜二つではないか?」
「おくにちゃんのおかあさんですか?」
「そうですなぁ。では、やはり、夜叉もそばにおられるのでしょうか」
いささか場違いにおおらかな惣右衛門の口調だったが、その実は、触れねば落ちんと、するどい。
打てば響く鐘のように、彼女のうしろから、いびつな双翼がひらかれる。とみえたのは俄狂言が織るまぼろしで、人の腕、女性のものらしくなよやかで、それはすぐさま全体をまとう。
夜叉。
「やはりあらわれたか、悪鬼よ!」
貴様の思い通りにはさせぬ、と、不退転の決意。外套が気を受けて、はためく。風籟。シャラも組み立てる指から、月魄の懲罰の矢を。
だが、
けれども、
枯山水の静寂は、死闘には似つかわしくない。新撰組のざわめきが冒険者たちのもとに届いて気を取らせたように、冒険者たちの鬨もまた、新撰組をざわつかせる。いっときで鎮まらぬ波をたたせる。
それが――‥‥、
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「あ、ちょうどよかった」
ちっともよくないです、と、葵は思う。隣のティーゲルはあいかわらずなので、どう思ってるか、分からない。
避けてきたはずの新撰組五番隊の伍長に、目の前にたたれている。渡辺は不躾にもふたりに指を向けた。
「一番隊と三番隊の子でしたっけ?」
よく把握している――しかし、特に不思議ではない。いかにもイギリス人といったティーゲルのあらましは京のどこだってめだつし、虹彩異色の葵にしたって同様だ。おそらくはいつか屯所にいるときにでも、姿をおぼえられたのだろう。
それにしたって『子』はないです、と葵は内心ぷぃっとむくれる。それに僕はティーゲルさんとちがって、まだ仮隊士見習いですし――よけいに悲しくなった。
「伝言をおねがいしたいんですけど」
「なにを? 直接つたえたほうが、恋の懸想はおさまらぬと思うがな。それとも俺が相手をしようか?」
軽口に軽口をかえして、が、ティーゲルの口元がふいの不機嫌にたわむ。自然、てのひらが木剣の柄によりそった。
いくら渡辺が依頼人とはいえ、彼らの目の前にあらわれることが、奇妙。新撰組としての仕事はどうした? ティーゲルの疑問は、彼女を追ってあらわす笙の一言でも、完全に解かれることはない。
「その人を押さえてください!」
「なに‥‥?」
「私たちこそが囮だったんですよ!」
渡辺が雇った冒険者は、そこそこに腕の立つ、数量としてはちと多めの十人。それがそもそもの、渡辺の思惑のはじまりだ。
夜叉に憑かれたとしたって、身体能力が飛躍的に向上するわけではない。たしかにその、奇怪な力を借用すればある程度の新撰組の混乱は招かれようが、たといかよわい女性ひとり付きだしたって、野口の性格ではそれすらたいした障害とはなりえない。斬って、棄てて、終わり。あっというまに場はおさめられる――それじゃあ、まずいのだ。
もっと大きな隙、ゆるみ、が要った。渡辺ごときの力量でも、新撰組五番隊をいちどきに対局できるほどの。
だから、保険として第四の勢力を呼び込んだ。冒険者。彼らをあおり、不安をつのらせ、別口のどよめきを起こさせるようにしむけて、そちらに新撰組の注意がむくようにした。
「あはは、あたり。だから、そちらもそれぞれの組長さんに報告をおねがいしますよ」
渡辺はあざけるように、とん、とティーゲルと葵の目前をよこぎる。
夜叉に酷似する、軽快な仕草。抜かれた刃筋は、葵のよく知る――彼の気剣体よりはずいぶんとつたない技だが、しかし、おぞましい用向きを果たすにはじゅうぶんすぎる――すじかいに打ち上げられる。
一刀、居合い。
血飛沫が扇状に噴き上がる。冒険者たちが名も知らぬ剣士、新撰組の隊士がどうと横側に朽ちた。
間近の見届けを宿執づけられたミラにとって、それは、奥行きのない悪夢によく似ていた。他人の血糊がミラのかまえる楯にまでいざり、異国の呪詛めいた紋様を、ぽつ、ぽつ、ときざむ。
「五番隊は今日をもって、果てました。と」
渡辺の剣は野口の鳩尾へもぐることをもって、あかしをたてる。
赤い。
声もなく、ただ、息を詰まらせる紅だけが曼荼羅を、地へ、空へ、人へ。
そして、ここに崇徳院の呪詛は永き眠りより這い出ずる。