灰  《前編》

■シリーズシナリオ


担当:紺一詠

対応レベル:11〜17lv

難易度:難しい

成功報酬:12 G 48 C

参加人数:10人

サポート参加人数:5人

冒険期間:06月20日〜07月05日

リプレイ公開日:2006年06月29日

●オープニング


 前京都守護代の翻した動乱の反旗は、神皇軍のはたらきによりあわやのところでひきずりおろされた。しかし、それですべての帰趨が付いたとするには、あまりに遠い真実と背景。
 五条の宮――京都守護代に就くまでは世俗からほとんど忘れ去れていた十五歳の少年が、たったの一箇月たらずのあいだに、どうしてあれだけの兵数をそろえられたのか。京都守護代の身分をもちいたとしても四千の多勢を急ぎでしたてるのは至難の業、北陸の豪族が力を添えたにせよ、だ。だいいち五条の宮と豪族ら、いつ、どこに、接触をもったというのか。
 どこかにあいだをとりもったものがいるのではないか?
 いまだ姿のみえぬ、名前のない『彼』の正体は?
 その推量にゆきあたったものは少なくなかった。幸いといっていいのか五条の宮は活命のまま投降したので、宮の口より、それらの猜疑は晴れるかと思われたが――‥‥、
『すべては我ひとりのはかりごとよ』
 ここに逆転の発生する。五条の宮はいっさいの証言をこばんだのだ。
 これには詮索にあたったものたちも難儀した――宮がそうする理由が見えてこなかったのだ。五条の宮の懲罰は流刑と決まった、流石にこれ以上の減免はなかろうが、何者かに躍らされたひよわな童子を演ずれば、せめて配流先にいくらかの温情を与えられたかもしれぬというのに。
『くどい。兵卒らは余の指示にしたがっただけ、責を被るは個人のみでよい』
 ――京都守護代のときと代わらぬ、彼のこの清廉な態度に、審理は迷走をきざす。
 さすがは神童とうたわれただけはある、背信の身に落ちたりとはいえ潔い、真に京を憂いての挙兵だったのだろう、と、思わぬ同情論が、ほんのかすかにだが、まきあがる。こうなれば五条の宮を京に留め置くことは、牙持つ虎を子飼いにするようなもので、ただちに流刑が執行されることとあいなった。むろん罪状の加減はないままに。
 流れる先は、周防大島。屋代島ともいう。国産みの神謡における大多麻流別、天沼矛のしたたりのひとつ。
「‥‥もろい」
 咎人の舌先にこうまで惑わされるとは、地盤とは名ばかりの水のような不定のうえに京はあるのか、そんなものに自分は敗れたのか。――この手は傘骨のような透き目ばかり、掴んだと信ずるものすら錯覚か。
 軟禁先の第宅から、五条の宮、破風からまろびる白っぽい斜光に身を置き、鋸刃のような日映りに目を灼かれるのをそのままにする。初夏を吟詠する鳥の高音を、遠感のように聞く。逃げ水のように聞く。目の届く領分には、塵埃、砥の粉を模すひらひらとあてどない舞いにおぼれるばかり――開いて閉じる手には、灰の空虚。蝶の羽のかたちに拉げた。


 一から十まで秘匿にしてほしい、と。
 ――天下の儀にかかわることだから、と。
 起毛の毛布のように間仕切りを分厚くしただけでは飽きたらず、借金取りですらなまぬるいというくらい天井に床下をくりかえしあらため、人払いは掃き清めるようにことごとく。苦笑すら誘う一連の丁重かつ滑稽な所作のあと、ようやく依頼は俎上に引っ張り上げられた。
「近日、謀反人・五条の宮の護送がとりおこなわれる。尽いては貴殿らに、道中の同行と護衛をおねがいしたい」
 さて、
 それだけの御大層な前座のあとだからうすうす勘付いていたとはいえ、あらわれた名前が名前だ。聞かされたものたちの胸中は、霹靂を受けたがごとく、いちだんととどろく。
「役人をつかわないのはそれだけの訳がある。今から話すが――そして、それが、おねがいしたい依頼の仔細でもある」
 依頼人、かつ、かつ、と奥歯に物が挟まったような物言いで、五条の宮の詮議が思うようにすすんでいないむね打ち明ける。
「しかし、これ以上、宮を京にとどめおくわけにもゆかぬ。あとはもはや護送の最中に傾聴するしかなかろう。かといって、これまでと同様の体裁ではまたしても宮に軽くいなされるのみ、だから冒険者の皆にはぜひともこれを最後の機会として宮の真意を聞き探ってほしい」
 むろん、それだけでなく。
「宮の流刑に不服をもつものらが道中、宮のお命を狙って来ぬとはかぎらぬ。そのようなこととなれば、宮を預けられた長州藩の恥ともなる」
 ここで依頼人は、遅ればせながら、名告りを上げる。
 裃を一分の隙なくぴっしりと着付ける彼の名を、長州藩の名代、周布政之介といった。


 閉じられた矩形の部屋は、黴の胞子をかすかにはらむ。薄闇の心央あたり、菜種油の灯りが一丁きり。それのまわりに円座になって十を超える蜉蝣の人々、灯りの気流に呑まれてゆらゆら振れる、まるで水面の月のはかなさ、漆喰の壁に映し出される影絵芝居。
「五条の宮が京から出る――」
 一の存在の開口に、だが、他の影どもの感じ入った様子はない。
「弑したてまつれ」
 ふっと、灯心が闇に切られる。影は影のそれぞれの思いを果たしに、青みのある小夜へ、掻き分け薙ぎ裂き溶けて流れる。

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>長州藩
藩主は毛利氏。周防国、長門国を領地する。薩摩藩(支配地は、薩摩、大隅、日向。藩主は島津氏)とならぶ藤豊派の大大名。

>周布政之介
長州藩所属。依頼を持ってきたところをみると、おそらくそれなりの地位にはあるのでしょう。
眉毛が太いとか、どうでもいい設定がある。

●今回の参加者

 ea0841 壬生 天矢(36歳・♂・ナイト・人間・ジャパン)
 ea2988 氷川 玲(35歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 ea5062 神楽 聖歌(30歳・♀・侍・人間・ジャパン)
 ea8545 ウィルマ・ハートマン(31歳・♀・ナイト・人間・ロシア王国)
 ea9275 昏倒 勇花(51歳・♂・パラディン候補生・ジャイアント・ジャパン)
 ea9285 ミュール・マードリック(32歳・♂・ナイト・ハーフエルフ・フランク王国)
 eb0524 鷹神 紫由莉(38歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 eb0601 カヤ・ツヴァイナァーツ(29歳・♂・ウィザード・ハーフエルフ・ビザンチン帝国)
 eb2099 ステラ・デュナミス(29歳・♀・志士・エルフ・イギリス王国)
 eb2257 パラーリア・ゲラー(29歳・♀・レンジャー・パラ・フランク王国)

●サポート参加者

リュヴィア・グラナート(ea9960)/ タケシ・ダイワ(eb0607)/ 神哭月 凛(eb1987)/ レオーネ・オレアリス(eb4668)/ メイユ・ブリッド(eb5422

●リプレイ本文


 木目込み人形のようにしっとりした物腰の、神楽聖歌(ea5062)はもともと江戸の人形町に寓する侍で、だから京の動向は今以て茫々朧、めまぐるしい取り取りの出来事は襖越しの告白のような、なかなかどうにもしっくりこず。小首をひねれば柳の腰ばせまで落ちる髪が、水鳥が気まぐれで起こした白波、ただ一度だけさらりと打ち重なり静かへ還る。
「私、宮様のことはほとんど知らないんですの。どんなお方なのでしょう?」
「んーっとねぇ。みっしょんいんぽっしぶる?」
 パラーリア・ゲラー(eb2257)が悩みながらも精一杯に噛み砕いてみたが、それはちょっと、待ちなさい。壬生天矢(ea0841)、少女教育達人の異称をもつ彼にとっちゃ、彼の腰間にとどくかとどかないくらいのパラーリアはかわいい教え子みたいなものなのだろう、苦み走った笑み、肉喰む獣にはけして呈せぬ優しさでさえぎった。
「俺たち黒虎部隊の――俺の場合、黒虎部隊に正式に召し抱えられたのは乱の最中だからすこし事情が違うかもしれんが――ほんの一時だが上司だった人だ。だな?」
 燻したような映えの金の髪を菅笠にまとめながら、ミュール・マードリック(ea9285)は大儀そうに深慮するばかりだが、鷹神紫由莉(eb0524)、夜風に鈴鳴らすような、しゃなりと物憂げに首肯する。
「えぇ‥‥残念でしたわ、ちょっと好みでしたのに」
 ――まぁ、はじめから硬くなっていてもしかたがないのだし、だいいち行く果てはとてつもなく長い。ステラ・デュナミス(eb2099)、長命種族の彼女にとっても一ヶ月ちかい徒歩きがもといの旅路というのはうんざりするくらいで、けれどこの先に待つであろう事々物々を思うと楽しみで心臓は跳ねる、長旅への出立を鹿島立ちというらしい――と、どこかから仕入れたばかりの素養に一杯やったようなよい機嫌になりながらも、しかし、ミュールを見やるときに一抹の愁いがさっときざした。
「私もそうしようかしら‥‥」
 これは目立つわよねぇ、と、銀の髪留めに束ねた同彩の髪、百合の葉鞘のようにぴんと張り出す耳殻を順にたしかめる。パラーリアは少々彩度はおとなしめであるもののジャパンの土着のパラだし、ウィルマ・ハートマン(ea8545)は人間、色目の組み合わせもそれほどジャパン人のそれと遠く離れてはいないからごまかしようもあろうが、ミュールにステラ、カヤ・ツヴァイナァーツ(eb0601)――異邦人らしいエルフとハーフエルフ――の三人、道中さぞかし浮き立つであろうと思われる。
 それを小耳に挟んだ周布政之介、編み笠を数点ほど持ち出してきたが、ツヴァイがここぞとふるって反駁する。
「異議あり! 僕もミュールさんと同じのがいいです」
 ずい、と、晒しをたらす涼しげな編み笠、鬼の首でもあるかの威勢で突きつける。
「市女笠って女の人の使うものでしょ、僕も三度笠がいい」
「‥‥あぁ、それは」
「もしかして素だな、素。長崎での愛と旅立ちの日々はいったいなんだったの(←たぶんそれが原因です)。あ、それとも、これ秀吉さんが使ってたのじゃないよね!?」
 ――‥‥硬くなってもしかたがないので。そろそろ苦しいが。
 むろん氷川玲(ea2988)のように、後始末どころか下準備からひとりで背負わされる貧乏籤もいて、玲はどうして自分がと――今更かまいつけてもしかたがない、と誰にもみえぬところで嘆息する。彼は周布からおおよその軌道を聞くがてら、飛脚の寄り合いに見舞い、道のりの模様や宿場のを聞き付けようとしたが――すると、周布のどうやら列島横断の幹線をそのまま使ってはいないようだ。飛脚の道のりにおいては平常いっとう囃されるのは迅速と確実であり(むろん例外もあるにはある)、此度のように、安全と内々をたっとぶのとはおのずと寸分ずれがある。
「‥‥ふむ」
 玲の下聞きした報せは七分目ぐらいしか役に立ちそうではないが、それがまた行く手の茨や棘を薔薇のごときに匂わせるようで、剣を思う背筋がぞくりとどよめく。そういう旅になるのだ。という自覚こそが魔性、平和にすがる気持ちもむろんあるわけだが、起き伏しの練磨がためされる格好なのだと深思すれば、おのずとわきあがる無聊の真逆。
 調査といえば、昏倒勇花(ea9275)はタケシ・ダイワに、五条の宮と此の節の京の怪異とを結びつけるような風聞がないか調べるよう頼み入ったのだが、これは早々と頓挫する。そもそも五条の宮について正しく知る人が庶民のなかにまったくといっていいほど在せぬからだ。冒険者らは、五条の宮の出現、京都守護代への着任、を、不意打ちの出来事のように感じていたが、それは洛中のほとんどにも通じることで、彼がタケシの聞き及んできたことといえば、宮を洛北の鬼の手先のように呼ばう色眼鏡や、それとはまったく逆の判官贔屓、てんでばらばらなこと、吉原雀のお喋りかというくらいにおびただしい。
 いたずらによじれた糸目をほどいているような気怠さ、勇花、頬に片手をそっと添える、いとも切なく愛くるしく――愛が苦しい、愛じゃなくても――ほぅと息をつく。誰とはいわない、おもむろに目を反らしたのはたしかに彼の仲間である。
「聞いてるだけでぐったりしちゃうわねぇ」
「鬼か、それくらいががちょうどおもしろいんだがな」
 ウィルマ、剣呑なふぜいで喉をくつくつ鳴らすが、そう易々と認めるわけにもいかず、
「鬼が出ようと蛇が出ようと、やりとげるだけだ」
 新撰組一番隊の隊士として最後の始末――玲、すでにあとには引けぬ。博奕の札はとうに裏返されて、あとは賭け代の吊り上げられるのを待ちわびるばかり、出目を探る目つきになりながら、玲の褐色の肌に下がってかっかする血汐。さぁ行くか「喧嘩屋」よ。利き手の二の腕を、玲、ぽんとはたく。


 彼、五条の宮、いくばくかおもやつれしているように見受けられる。といったって冒険者ら、五条の宮の以前の風情をこまごまと知るわけでもない、そういうふうに思われただけである。熨された白紙のように浮沈の見えにくい少年、白紙の鶴のよう雅に歩き、けれど紙は通り風にもろい、咎人の生活に足が萎えていたのか浅くつまづく少年に、聖歌は我とはなしに袖から零れ落ちる白々の双手をさしのべるが、それはにべなく放される。
「傀儡の使い捨てか。くだらんな」
 使う方も使われる方も、救いようのない阿呆にはちがいない――と、続く。悪意なくいっそセーラ神のように世界という皿からこぼれるくらい慈悲深いウィルマのつぶやきには、若年にはそぐわぬ深いまなざしを閃かせるが、怒も激もみせず、冒険者らが周布を頼りにして支度した駕籠に乗ろうとする――と、その間際。駕籠の縁に手をかけ、紫由莉へ矢庭に声をかける。
「これでよいのか?」
「周布様のととのえてくだすった人夫ですから、懸念はございません。身柄も腕前もしっかりしたものたちばかりですわ」
 駕籠かきは四人、二人と二人が順繰りに交替する。
「余の案ずるのは、そのようなことではない。別の‥‥」
 五条はなにかを言い添えようとしたようだが、音の手前にふと引き上げる。
「まぁ、よい。お手並みを拝見するとしよう」
 するりと体を入れる――紫由莉のあつらえた敷布に身を横たえ、無防備に目を閉じる。天矢、垂れを下げる役目を負うが、それのがてらに垣間見れば五条の宮の面立ちは、情動の色はうすいといってもたしかに十五の少年の顔付きで、天矢は――きりきりした。彼の刑にくわわることこそ罪障のような――いいや。ほんの一ヶ月前、彼の決起に苦しめられたは幻想でない。ようようむしろを下げれば、くぐもった沙汰が内からのびる。
「出せ」
 味も素っ気もない旅立ち。メイユ・ブリッドがにこりとパラーリアに投げるのが、唯一の花になる。
「行ってらっしゃいませ」
「うん。ありがとぉ」
 そうして冒険者ら、はるかな、倦怠と辛抱と苦痛と迷盲の都落ちに足を初める。

 さて、冒険者らの組み分けだ。
 ツヴァイとウィルマ、玲が道の先に立つ。宮の駕籠からは間隔にして五町にもとどくかとどかないかを歩く、行脚には似つかわしいとはいえぬツヴァイの細身優形、玲はまるで腫れ物のように気遣いながらも、時折豹狼がごとき獰猛さで周囲を視線で分割するが、あるとき目に収めた道すがらに、ふいと気付く。
「あと一刻もすすめば、次の宿場に出るな」
「よく分かるね」
「そりゃ調べておいたからな‥‥というより、俺以外には誰もしらべてないようだが」
「誰かひとりが了解しとけば不足はないでしょ。それに僕、外国人だし、道なんて分からないもーん」
 市女笠の恨みが奇抜な方向にかたぶいたか、ツヴァイ、「がいこくじん」のあたりをやに熱っこい発音で、あぁでも到着したらリヴィールエネミーやブレスセンサーでちゃんと検索するからね、と、おまけのように接ぎ穂する。玲、張り合うべきかとも思ったのだが、気の利いた科白もひねられず、そうか頼む、とぶっきらぼうな応答。――惜しむらくは彼のそんなところ、始終の苦労をいやますのだろう。扇子代わりの軍配、ばたばたとそよがし、暑さ以外の発汗を干す。
 さてここまでで二人――ウィルマ、彼女は哨戒に出るのだといって先の先を駆けていったのだが、今時分はどこでどうしているのだろう、と、悠々思いを馳せるまもなく、横合いの山群へじかに張り合わされた繁みから、がさり、ごそり、と、獲物でも燻しだそうかというよう、ちと乱暴に、草っぱを大きく摺り合い、掻き分け、ひょいと真ん中から首を抜く。
「あぁ、このあたりは平気だぞ。猪もいなけりゃ熊も出ない」
「‥‥そうか」
「人もいなかったな」
 鬼は、いる。ウィルマの額にひっかける面頬は、かっと開いた面妖なあぎとの奈落の獄卒、鬼のほうがおもしろいとはよくぞ云ったものである。
 そして対称的に、宮の駕籠の後ろを行ったのは、天矢にミュール。
『後方の警戒も怠るなよ、敵が前から来るとは限らんからな。そう、我々の出立後に京から敵が追いすがってくるというのも、いかにもありそうなはなしだ』
 とのウィルマの説教を間に受けたかどうかはともかくとして、ミュール、二歩進んでは三歩を歩けるぐらいのあいだを律儀に見返りに費やすものだから、また一段ぐいとまにまの距離がひきのばされる。そのたび、恢々の肉体(もっとも例のひょろりとしたウィルマもふくめて、本日の冒険者らは橋桁のような大柄がせいぞろいだけど)を揺すぶって追いつく。
「ほどほどにな」
 天矢、彼は青い片目をまっすぐ瞠って――ここからでは駕籠をとりまく人群、まるで雲雀の離散集合のつつましさ。蒸し暑いは暑い、天象は墨汁をまだらにこぼした曇りがち、かえってざぁっと一雨きてくれたほうがさっぱりするだろうに。
「‥‥宮は吐くと思うか?」
「‥‥分からん」
 それで、のこりの――パラーリア、ステラ、紫由莉、勇花、聖歌――雁首だけそろえても賑やかしいのかそうでないのかいまいち不明のとりそろえ――面々は、宮の駕籠をとりまくように前方右、前方左、後方右‥‥にそれぞれ位置する。なかでもパラーリア、とりわけひたむきに駕籠へ声をかける。
「ね、ね。宮様、つかれてないですかぁ?」
 沈黙の、虚無へ響くような、こだま。
「お水ありますよぉ。おいしいの、さっきねぇ。すごいきれいな湧き水からもらってきたばかりなんですよぉ☆」
 やはり、無言。
 聖歌、はらはらしながら見詰める――差し押さえようとはしない。彼女にはそれしかなかった。人形のような娘は人形のように瞠ることで、彼を知ろうとしていた。
 さて、それはいったん横へ置こう。だしぬけになるが、改めて、旅の道筋を確認する。
 玲の按検のとおり、追っ手をまくためかおりおり脇街道へずれることはあるものの、大筋はだいたい山陽道(西国街道)に沿う。山陽道は太宰府と京を結ぶ幹線、江戸が赤ん坊よりまだ小さい時分であった頃は、このジャパンでもっとも有用な大街道とされた。ジャパン第一の都市が江戸となってからはそれほどでもなくなったとはいえ、現在でも陸の要路に変わりはなく――ひらたくいって、わりあい整備されているほうなのだ。
 どんな獣道を歩かされるかとひやひやしていたステラだが、悲壮ともいえる覚悟に反して、ずいぶん動きやすい道に拍子抜けしたぐらい。しかし、じきに馴れた。森を抜けたり山を超えるだけでなく、海と隣り合わせに行くこともあると聞かされ、ふたたび心臓がわくわくと澄む、なんせ京は船着きをもたぬ都市だから、浜辺とじっくり付き合う機会もすくなかったのである。
「海沿いっておもしろい植物が多いのよね」
 それに異状があるかどうか、そこから敵襲の予報を導くのが彼女の勤めなのは忘れちゃいなかったが――いないはず――潮の香りにたなびくハマヒルガオのひめやかな紫の群生を見かけたとき、どこかの国の赤頭巾のように寄り道を提案しかけたことは内緒にしておく。
 そういうふうに数日が過ぎた。


 泊まりは内湯をそなえた上等の旅籠、これはありがたい。
「ばっちり調べておいたよ。東はあっちでだから西がこっち、そっちが表口、裏口は向こう。今日の晩御飯は山菜でっす!」
 あ、敵意のある人はいなさそうだったから、と、蛇足のように継ぎ足すツヴァイ。ところで、いっとう熱の入った主張が終いのあたりであったことはいうまでもない。
「よろしいですか、宮様」
 ――夕食後、紫由莉は五条の部屋をおとずれる。べつに全員が相部屋になったってよかったわけだし、安旅は大部屋が通例の時代である。そのほうが見張りだってしやすいだろうに、みょうに慎み深い冒険者らは彼に一人部屋をあてがったのである。
「お茶はいかがでしょう。よい天目を手に入れましたので、お目にかけたく思いまして」
「いただこう」
「にゃん☆」
 三番めの台詞、当然、紫由莉のでも宮のでもなく、いきなりこっそりのパラーリアで「にゃん」というのは彼女のかかえる三毛の仔猫のまろの挨拶――という設定。にゃんにゃん、とパラーリア、まろにかこつけ、ぴょこぴょこと。
「あたしもお茶が欲しいなぁ。いっしょしてもいーい?」
「私はかまいませんけれど‥‥」
「‥‥別にかまわぬ」
 それで紫由莉は二人分、いや途中で「あら、いいわねぇ」などと勇花も混じったから、なぜか計三人もの薄茶(そもそもそれだけの茶葉をそなえてなかったので、しかたなく切り詰めの薄茶にせざるをえなかった)を点てるはめになる。
「皇族の方には不自由な長旅でございましょう。お気に障ったことはございますか?」
「つまらん気をつかうな。苦労は慣れておる。余は安祥ではない、起き伏しの糊口をしのげるだけで御膳上等だ」
 するり、と、紫由莉は茶筅を上げる、無から有を見いだす軌条を引いて――剣でなくても虚空が裂ける。
 ――‥‥上出来だ。高麗茶碗にふさわしい茶を煎れられた、という自負が、彼女の内側をあたたかくする。香り高い嗜好がたなびくと、がんじがらめの気詰まりがくたくたとろかされていくようで、ふわりと笑みたくなる。そして、紫由莉が笑むと、それはもう茶よりもぜんぜんあたたかいのが、彼女の肌色よりあたたかさを感じさせるものがゆぅるりそこらを漲るのだ。
 だから、それをさしだすとき誇らしい気持ちで、
「宮様に援軍を出された方のお名前を教えて戴けませんか?」
 なんのてらいもなく、紫由莉、切り出したのである。茶碗を添えて。
「‥‥私もおなじことを言いに来たの」
 とは、勇花、
「歳も云っていたけど、貴方が私心のためだけに乱を起こしたとは到底思えないし、貴方だけの腹で乱を起こしたとは思えない。もし貴方が、これからの京や日ノ本を想う心があるなら、真実を云って欲しいの」
 息を切り、
「でなければ、貴方が大切に思っていたもの、いるものがいずれ消えるわ」
「戯言は時と場合をかんがえて披露するものだ」
 しかし、冷えていた。
 厚ぼったい陶器が湯の熱をなかなか吸い込まぬのと同様の理屈、五条の声音に冒険者らの思いは一片も込められてはいなかった。五条は無欠の作法で一口飲み下し、
「逆に、問おう。貴殿らの考える先行きとは何ぞ? 私が底を割ることで、いったいどのような波紋を望む?」
 ――‥‥口をつぐむ。
 皆が皆『それ』については、誰も考慮に入れていなかったのだ。すべては京の行く末のため、と、唱えつつ、それではいったいどのような治世がおとずれ、どのような究極となりうるか。「下々を思うなら」「このままでは悪くなる」と漠とした不安の虚仮威しは、方便のともなわぬ理想論となんらたがわぬ。
「未来を語りながらそれの具象に触れずして、どうして余の唱和を買うことができようか?」
 呆れたものだ、と、ぴしゃりと閉じようとする五条へ「神皇様です」紫由莉、弱々しくさえずる。
「神皇様の施政基盤が弱い事は宮様もご存知でしょう。彼の人のため、どうぞ打ち明けてくださいませんでしょうか」
「弱い? どこがだ? 江戸の源徳に愛される安祥は、罪人を祖父にもつ私などよりよっぽど後ろ楯には不自由しないであろう――もっとも今は私自身が罪人の身だが」
 口元をたわめただけのなおざりな笑み、五条の宮は、
「‥‥そうだな。京を戦火に沈めたくなかったは、事実だ。だからこそ、片腹痛い」
 褪せた物思いに、けれど惚けようとはせず。十五歳の身にして、彼は情熱を的確に分けへだつ術を心得ていた。
「では、答えよう。余の大事に思うは、個々にあらず、あまねく日の本の民。余が告白しなければ、国家一丸となって滅びるというわけか? ――冗談にしても、出来が悪すぎる。そのような由々しき事態を、どうして貴殿が予言できうるというのだ。私にひそむ材料すら察せぬ貴殿に」
 説得力がどこにもない、と、五条は落とす。
 しん、と。
 茶に浮く気泡の破れるかすかな撥音が、恋うてもくだされぬ天上の恵みがごとく、ぱち、ぱち、と呟くのだけが騒がしい。
 ――失敗したのだ、冒険者らは。五条の宮を芯の欠けた同情でくるめようというのは、甘い概念であったという他ない。ほんの一時とはいえ人の上に立つ資格をもつ者、それの底辺ごときはたやすく見透かす能力がある。なれば彼を流すには――、
「お風呂に入ろぉ!」
 パラーリアである。
「熱いお風呂に入って汗を流すとさっぱりしてね、いがいがする気分も治るよ。あたし、背中ごしごしするから。ね、ね。いっしょに入ろうよ〜♪」
「待って、あたしもいっしょに行くわ」
「‥‥え?」
 不承認の紫由莉をさしおき、てけてけ、どたどた、と宮を連れ出す一行。様子をうかがいに来た天矢に、紫由莉、ようよう事情を伝えるのがせいいっぱい。
「宮様はお風呂に‥‥パラーリア様と勇花様といっしょに‥‥」
「‥‥つまり、その三人で混浴か?」
 ――――永遠が、凍る。
 大騒ぎだった。

「宮、おやすみの前によろしいですか?」
「入れ替わり立ち替わりご苦労なことだ。入れ」
「失礼します」
 と、天矢、そしてミュール――二人の黒虎部隊隊士。天矢と似た論理の勇花が打破されたのはすでに聞き及んでいたので、天矢、名と身上のみを告げると、あとはミュールにゆずる。ミュール、あいかわらずのっそりと二足だのに四つ足のような鈍さで、けれどこれでも戦場のときは孤高にまっすぐひたはしるのだ。――敢えていうなら、ここも戦場であったろうか。
「これを見て欲しい」
 ごとりと、重い、太刀。
 戦渦にさらされたか、赤茶けた染みは血の塗られた爪痕か。これは不死者と化した五条軍の武将の軍装のものだ、と噛みしめるように、歯軋りするように、ゆっくりと説き、
「‥‥この遺品を遺族の元に届けたいと思っている。心当たりはあるだろうか」
「‥‥そうそう、一兵卒の家族まではあずからぬよ」
「では、しかたがない」
 ミュール、おとなしく引き下がる――というのは見せかけで。
 彼等は残った。五条の宮も、去れ、とは言わなかった。
 暗黙を摘みに空谷を酒に、ひたすら向き合う、座談もはさまず、なんて沈鬱の宴だろう。それをようやくこじあけたのがいつも残像のようなミュールだというのも、皮肉な話だ。
「俺から尋ねることがあるとすれば、戦い起こした貴殿の想いは恥じることなきものであったかどうかということだろう。革新を信じ散った者たちの純粋な思いに対して――表も裏もなく」
 今日は星がきれいだ、あとで見るがよかろう。と、どこかちぐはぐの付け足し、どうしてか五条はそれまで強情にうつぶけていた顔を上げる。
「無駄にはせぬよ」
 そうして彼の兵を鼓舞したのか、淡いいろどりの声音は苦い妙薬のように、聞くものの精神の五臓六腑へ染み渡る。
「そう‥‥余へ委ねれた信心、誠、けして徒にさせてなるものか。星くずと散った鱗片を太陽のまばゆさに還す遣り様は、いまだのこされているのだから」


「昼は曇っていましたが、夜はきれいに晴れ渡りましたね」
「なんだ、まだ寝てなかったのか」
 よぎる斜影にすわ不審者かと短刀へ指をからめた玲、それが聖歌だと気付いた先駆けは、声を聞いたからというよりふっくらと突き出る胸の双丘だったなんてことは、まぁ秘密。
「はやく寝たほうがいいぞ、体をこわす。遅番だからってツヴァイは、とっとと寝くさったぞ。俺も遅番なんだがな‥‥」
「ええ、もう寝ます」
 夜空を眺めたかっただけです、と、夢見がちのつややかな明眸もたげる。
「‥‥東も西も、あまりかわりありませんね」
「星も月も、これだけは、貧乏人もお貴族様も平等だしな」
 釣られて、玲も見上げて、もうすぐ天矢が戻ってくる。そうしたらいっしょに張り番をねばる約束だが、宮へ行き渡らせる厳戒の何分の一か、いや何百分の一かを、空をめざす葉っぱのように上へ上へと伸び上がるのもいいだろう。
 そして、五条も空を仰ぐ。


 しかし、おそらくはじめに駕籠に乗せられたときにはすでに、五条の宮、悟っていたのだろう、冒険者らの見過ごしを。万全を揃えたつもりで手ずから欠陥をつくりだしていたこと。堡塁のつもりで石を積み上げても、基礎でまちがえるなら、蟻がくずすのを待つまでもなく、細雨の唄うようにささやかな白玉にすら防備は溶け出してゆくというのに。
 前述のように街道は比較的なだらかなことも多く、これだけはジャパンのどこへ行ってもさほどのうつろいない、見慣れた田畑のかたわらをよぎるのもたびたび。あどけなくたゆとう稲穂、野菜。梅雨の有終を間近に迎えたそこは懸崖の難所でもなければ要所でもなく、ごくごく凡庸な農地――つまり、旅路では半ば以上を占める、飽きるぐらいの光景で。
 集団のなかの一人の農夫がこちらを見やる。
 それ自体はおかしなことではない。ウィルマがふと異変に気付いたのは、彼の隙をかんじさせぬ風情、そしてなにより鎌を提げていたからである。刈り入れ期でもないのにか? いや、あれは鎌というには小振りすぎるし、形状だって八方に尖ってようで――。
「気をつけろ!」
 あぁ、気をつけるべきだったのだ、最初から。
 ――五条の宮は、今、誰に託されているかを。
 農夫のかぶった手から放たれて飛翔する刃、三日月の弧でぐるりとめぐり、
 人夫――宮の駕籠をあずかっていた彼等――の頸動脈へ、
 足跡がぬかるみへ耽るように、ずぶ、生々しい濡れた鳴りで沈む。血煙が扇にしぶくのは楓の色づくのもどこか似て、鉄色ともいう赤が、息をのむほどうつくしい。くるくる、たぁん、と、独楽鼠の回転、瞬くまに前と後ろの二人がどうと倒れる様は糸を切らした人形、絵画とも友禅ともほどとおい丈夫どもですら、うつくしい。
 宮を駕籠かきにゆだねるを決めたは、冒険者ら自身だ。だのに彼等は、駕籠かきの無事をまったく考慮してはいなかった。駕籠をかついだ人夫ら、全身の何もかもを仕事にささげ、武器もとれず注意をはらえぬ彼等こそ、弱者ではなかったか。道に繰り入れて前と後ろへの細い布陣は、横っ面をはたかれるのに弱かった。
 そう、たとえば勇花、撃ち合いには少々心得があった。いざというときの飛び道具のために十手まで携え、懸かる矢を払いのける自信はあった。しかし「自分のところへ」飛んできたものを「待つ」という消極性だけで、彼を行き過ぎて毒しようとする矢玉まで勇をとどかせるにあたわない。
「なっ」
 聖歌、狼狽えながら日本刀にオーラを込めるが、彼女の足下で露の命が追い追いと朱い蓮華にぱっと咲き零れ、すでに役向きを果たした凶器の前には、斬の補強、あまりにむなしい。足で追いつく天矢、薬水を彼等の口腔へ流し込もうとしたのだが、たらり、たらり、と、それはもうただの清水に等しく、意志なくしどけなくしたたるばかり。そして、はやばやと第二の刃。
「周布よ!」
 天矢、知った。駕籠かきに続いて際疾いのは、彼。長州藩に属する、容貌も役所も天下に明らかであろう彼こそねらいをつけやすい、しかし撫で斬りの棒っきれ二本ばかり振り回したとて、はしゃぐ飛礫へ取りすがるのは容易でなく――、
「よぅ」
 二手が合わさって、どうにか一をころばせる。
 玲、ようやく本来の意図にかえった軍配を打ち振る。手裏剣、ごろりと、石くれのようにすげなく地に落ちる。
「こん人は俺が見てるから、追っかけてこい!」
「恩に着る!」
「ちっ」
 ウィルマ、「十人張り」の弦を連続で鳴らしながら、舌を打つ。草葉にまぎれて撃とうとした彼女だが、それくらいは相手方だって心得ており、緑陰に姿を晦ましたもの同士の命中は、格段に落ちる。都を離れれば猟師の領分と自得していたが、まさかありふれた水田の、整然と生い茂る稲穂が、これほどの穏形を発揮するとは思ってもいなかった。鬼のように卓越した眼力をもってしても草むらを巧みに這い回る彼等へ狙いは付けがたく、ならばこの場は、ステラのアイスブリザードのような範囲対象の呪法のほうが効を奏しやすい。
「‥‥ごめんなさいね」
 ステラ、謝罪の向きは水稲。凍結の波動で刻めばそれらは二度と起き上がらないと知っていても、彼女はけっきょく呪を織り上げる。平たい氷雨が実りの夢の途中を、いっさいがっさい薙ぐ。聞こえるはずのない稲の泣き声に、ステラ、耳をふさぎたいが哀れなるかな魔法使い、封鎖のてのひらで次の新たなしるしを紡ぐ。次へ、次へ、真摯をなくして自動的に、けれどどうしてこんなにきりがないのだろう。まるでなにかを水に流したままで事を進めているような――、
 作業の半ばで、思い至った。
 血はとびきり慌ただしく、多く流れた。常人であってもこれには心乱されるだろう、では、ハーフエルフならば――、
「あぁぁぁぁっ」
 ――ツヴァイとミュール、それぞれが赤い目の変遷にむしばまれる。泡を食って、パラーリア、アイスコフィンのスクロールをひろげた。
「んにゃっ」
 いざというときは結氷により五条の宮を助けようとしたはずだのに、まさかこういうことに使うなんて。どこで何が用いられるか分からない。なんにせよ冒険者らはあらたかな攻め手を失い、苦戦を強いられるかとおもわれた。
 が、どうしたことだろう。それを契機に彼等は下がりだしたのだ。
 ほどいたままのスクロール、湿り気の多い白南風にひらりと遊ばれる。彼女、それを結ぶのも忘れて、きょとんとする。それは紫由莉も同様で、彼等が駕籠の寸前まで寄せたときは楯になろうとしたひたむきな決心、けれど果たされることはなかった。彼等はまったく打ち寄せず、一線の攻め懸けが極まったとみるや、それ以上近づこうとはしなかったのだ。
「えぇー? こっちに来なかったね‥‥?」
「そのようですわ」
 五条の宮を守りきったのか。冒険者らにおそれをなして引き下がったのか――?
 けれど、紫由莉、振り返って愕然とする。旅路の中葉が咽せるように赤黒いこと、見るよりもはやく、脳裏をまさぐる死臭が教える。
 三人。
 三人の駕籠かきが、死んだ。残りの一人は右腕の腱を裂かれ、もはや駕籠かきとしての生活はのぞめず、旅を続けることすらむずかしい。
 ――庶民を戦乱に巻込むのは宮の本意ではなかった筈。そう五条を説こうとした冒険者等の策の最中に、三人が死んだ。
 紫由莉のあらわな双肩では耐えきれなかったか、ホムラの銘の霊刀がくずおれる。刀身は鮮烈にまたたき、仮借ない赤を放射する。流血はいつか静まり黒へ落ちるだろう、だけど魔の抜き身は魔であるがゆえにいつまでもけぶることなく、血溜まりを映して紅である。