灰 《後編》
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■シリーズシナリオ
担当:紺一詠
対応レベル:9〜15lv
難易度:難しい
成功報酬:9 G 0 C
参加人数:10人
サポート参加人数:9人
冒険期間:07月05日〜07月20日
リプレイ公開日:2006年07月15日
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●オープニング
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「見くびられたものだ」
五条の言にいっぺんの寛容はない。
「『下々のため』『京の行く方のため』中身のないおためごかしは、とうに聞き飽きたわ、たかがその程度の推察を余がまったくはからず、意地や我が侭をつらぬいているだけと思われておったのか? 浅はかな。貴殿らこそ今一度胸に手を当てるべきだな、他人を駒としてみておらなんだかどうか」
異国の信仰においても熱心に語られるではないか、
罪なきものがまず石を投げよ、と。
「‥‥哀れよの」
駕籠の仕手、京からも周防からも遙かにくぎられた異域の骨に奏する目は、わずかにぶれる。風をはらんだ水面のごとく、漣、けれどふたたび冒険者にもどすとき、それはまた真夜中の太陽めく、蒼然とする。
●
京の冒険者ギルド設立の遠因として、黄泉人の復活をあげたとしても、それほどの考え違いではなかろう。冒険者ギルドとは、その地方の安寧に亀裂が入り、人民が銭金と引き替えにしてでも保安への希求を必要としたときに仕掛けられるものである。京の場合、それは不死者の増加であった。‥‥こまごまと打ち明けるまでもない、復活した黄泉人が手勢を増やして、京への黄泉の侵攻をはかっていたのだ。
よって、その黄泉人の統率・黄泉大神を葬った新撰組、とりわけ一番隊の、市街における信望は必然的にはねあがった。時つ風を巧みに利用して拡張をはかった源徳麾下の新撰組だが、前後してほぼ同時に、京の市内で人斬りの異変が逓加する。京の為政に関与する要人まで次々と討たれ、終いには平織氏の極致ともいうべき前京都守護職・平織虎長にいたるまで人斬りの兇刃の露と化した。
平織にとってはあまりに偉大な痛手でもあったが、その人斬りの嫌疑が、新撰組一番隊の組長・沖田総司にかけられたとあっては、源徳もしょせんは他人事と悠長にかまえるわけにもいかぬ。蝶よ花よともてはやされた分、源徳の転落は平織の波乱よりもなおさら逼迫していたやもしれぬ。
手も足もでなくなった源徳、平織に代わって京へ足場を着々とのばしたは、それまで大阪にかしこまっておった藤豊氏。空席となった京都守護には、三派のどれにも属さぬ五条の宮が就き、ようやく落ち着きのきざしがみえた京だが、五条の宮はまもなく現神皇に反旗を翻し――‥‥。
これが今日に至るまでの、京の、明るい部分のほうが少ないぐらいの、空模様だ。
「でも、五条の宮に信長様の暗殺ができるわけないわよね」
むぅ、と虫の羽音のように軽くうなりながら、ステラ・デュナミス、黒虎部隊隊長・鈴鹿紅葉の示唆を思い返す。
そのころの、京都守護に就く以前の五条の宮といったら、名さえ忘れられ、神皇家の末裔とは思えぬようなつつましい暮らし向きであったと聞く。人斬りになるのはもちろんだけど、彼があやつったとも考えにくい。
「そういえば、鈴鹿さん。なんていってたかなぁ」
沖田総司の名が上げられる以前、京の人斬りの嫌疑は九州や中国・四国の諸藩――あのあたりは藤豊の息がかかっている地方が多い――にかけられていた。だから鈴鹿、九州の大大名、薩摩藩に通じる大店の内偵を冒険者らに依頼したのだった。うん、あれはしんどかった、と、幼心みたいになつかしく思い返しながら、砂粒を舌にのせたようなふと違和感。
「‥‥ん?」
あれ?
今から向かう周防国を治むるは、長州藩。中国の大大名。薩摩藩・島津氏を藤豊派閥の左の翼とするなら、右の翼は長州藩・毛利氏。島津氏が京での暗躍の場を広げるあいだ、毛利がじっとしていたとは考えにくい。
「じゃ、毛利さんはなにしてたんだろう?」
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「‥‥すまぬ、此の先の宿は手配できぬ。駕籠もだ」
と、周布が告げる。
二度とは戻ってこれぬ旅路、冒険者らにはそうだったかもしれぬが、遠いその地のへりにも住まうものたちはむろんある。あんなにもあからさまなどんぱちで殺戮を起こせば、どうしたって地元の取り調べはまぬがれえない。折衝にあたったのは周布だが彼にしろ、すべてを内々にするまでゆけなかった。
「どうやら奴等、五条の宮――都の謀反人がここいらを行き掛かる旨の風聞、ばらまいたらしい。宿は断られる、石は投げられる、唾は吐きかけられる――これからあとは、そういう道のりとなるだろう。我等は隠密性すらはぎとられたのだ」
だから、彼等は――あの影のような追っ手は、虚仮の一心に攻め上らなかったのだろうか。奇襲すら次へかかる布石にせんと。
「なに、気にするな。一度で我等を葬らず、二度めの機会にのばしたこと、あとで思い知らせてやればいい。それにあと五日もすれば、周防だ」
いいかえれば、五日のあいだは何があっても気が抜けぬ。
壬生天矢、西洋づくりの直剣を掻いこむように、胸の間近に抱き直す。彼の天壬示現流「雲耀」融通無碍の大上段を見舞うすらもなく、逃げられた。
情報戦と間接の遊撃を使い分ける――あれはおそらく忍びの技か。見切ったのはこちらもおなじ、周布のいうよう、二度はない。身を切るように冷たい剣が、天矢の息をかけられて、生類のいきれに沁みてゆく。
●
「宮様、おばんです。いいですかー」
「一度にすませることはできんのか」
「まぁ、まぁ、まぁ。すぐにすませますから」
終の訪問者、カヤ・ツヴァイナァーツ。不均衡の紫の瞳に愁色を濡れてにじませて、そっと室内をうかがう。
「ちょっと訊きたいことがあるんだ。あの‥‥全然関係ないけど。崇徳院って宮はご存知ですか?」
「歴史の書で見たな」
と、ここで短く切る。
「‥‥もしかして、私の祖父が崇徳院だと思っているのか? とすると、それはまったくの思い違いだぞ。祖父は神皇に『なれなかった』男だ、崇徳院は短期間とはいえ神皇にあったはずであろう」
「あ」
実は、そのとおりだ。五条の宮の素性についての情報は少ないとはいえ、それぐらいなら市中で調べてもどうにかなった範囲である。
「んっと、あの。ごめんなさい、本題は別です。えーっと」
ツヴァイ、らしくなく語調をぼやかす。
「僕‥‥ハーフエルフでしょ。宮はハーフエルフについてどう思われてるのかと思って」
五条、はぁぁ、と
「呆れ果てるな。種族がどうのこうの、些末にとらわれるのはくだらぬことよ。それにとらわれるのは、する側・される側、どちらにとっても不幸なめぐりあわせを呼ぶだけだ」
――尋ねるまでもなかった。五条は公家として絹の御座を約束された身ではなく、晒し者の孫として零落の生活を送ってきたのだ。差別を受ける側の無念に親しい彼が、種族や生まれだけで人を見るわけはない。彼が人へ求めるのはまた別のもの、たとえば彼は卑賤の出身にも約束した、新しい世代の到来を、そのとき五条は見返りとして彼等になにをのぞんだか?
「弄舌がすんだら、出て行ってもらおうか。余はもう目蓋が重い、気の利かぬ貴殿らに関わるのはまことに疲れる」
有無をいわさず会話を断とうとする彼に、死神の黄昏はどこにもみられず、そしてまたミュール・マードリックへの反応を思えば、彼が道中での他界をのぞんでいるとは考えにくい。
いや、むしろ、五条の宮は――‥‥。
●リプレイ本文
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いずれの気鬱が大きすぎる天幕のように全幅を張り込めるけれど、お通夜みたいだとは底抜けに黴びた修辞で、もはや誰もいいたがらない。彼等はすっかり凋落していた。今日も叉、人が往生した。どこかの医者が欠伸まじりで名簿に故人の数を増やすであろう、たったそれだけの毎日の一角に。しかし、氷川玲(ea2988)は三十両、真面目な職人でも半年はかかるだろう嵩を死人のために用意立てた。金子の目方と命数の尺度とは、とても秤にかけられたもんじゃあないが‥‥自己満足といわば、いえ。貨幣と変じた黄金は、存外公平にほほえみをふりまく。
横を見やる。路傍の石くれを裂いて、すくすくと榎草、花序は敬虔な灰赤をにじませるが、しかしそう可憐な様子さえあざけりを連想させるのが、心のすさみか。けれど、ウィルマ・ハートマン(ea8545)は昨日とたいして違わぬ一顰一笑、いやどうも心気の天秤は片方に落ちくぼんだままで。かかえる弓弦にもよく似たひょろながい肢体、旅装をくゆらし哄笑する。
「なかなか愉快なことになってきたじゃあないか」
くっくっと喉をしならせるのに忙しい有り様は、首のながい鳥が次の獲物をねらうのに腐心するような――あぁ、いた。野禽の生き餌、ちょうどよいのがそこにある。ウィルマはつかつかとまっすぐ、それ、に歩み寄り、車輪のような循環気質、日の行き届かぬ表側を開ききった。
「なぁ。そう思わんか? ‥‥ん? 貴様、なんといった?」
貴様、に、敬意が仕込まれたのはずっと昔、今日の石膏がいにしえの貝殻であったくらいの過去――ウィルマは当然、現在、半畳入れるほうに使っている。
「ミヤミヤとかアオビョウタンとか、そんな名だったな。たしか」
前者はともかく、後者、人名の消息てんからどこにも残っておらぬ。そしてウィルマのねつこく話しかけているのは、五条の宮その人なのである。
神楽聖歌(ea5062)、それをなかば、どころでなく、ずいぶん呆れたおももちで眺める。彼女自身は五条の宮に話しかける気概はとうに失って、焼け石でも食道にくだしたような、真空を腑の底に格納したような、疎ましい心持ちだけれど、こうして真逆な例を見せつけられれば、のんびり屋の彼女とていろいろとやるせなく思うところはある。――しかし聖歌、やはり黙止をそのままに。「仕事」のけじめさえ都合すればいいのだから、と自己の整理を付けるも、張らずともうずたかくそばだつ胸先、水銀でも吸ったようにいちだん重くなる。
ところで、唖然とするような事情は他にもある。
そちらは空から下ってきた。天狗飛礫の狼藉かというような辻風、乾坤をあべこべにして吹き荒れたかと思えば、十枚ほどの木の葉、気流に沿ってばさりと対称的に上昇する。
「わ〜☆ ちろ、ひさしぶり〜☆」
パラーリア・ゲラー(eb2257)がようやく潜まったそれに抱き付く――ロック鳥。ジャパンどころかジ・アースをくまなく見渡したってそうはいない、双翼をいっしんに広げればちょっとしたからくり仕立ての数寄屋のようにも見えるおおよそ三丈、これでまだまだ年少というのだから恐れ入る。パラーリアが「こ〜い、ちろ〜!!」(つまりロック鳥の名は「ちろ」で、パラーリアの飼い鳥だ)と片腕、槍のようにぱしんと突き上げたら、来てしまったのだほんとうに。ちろ、動くものはなんでも口にするといわれる巨鳥がパラーリアに接するときは、山鳩の雛のようにおとなしく甘える。
「来てしまったものは、しかたがない」
とはミュール・マードリック(ea9285)、狐に摘まれたような風貌になって、ちろのこぼした羽根一枚を掬い、しげしげと見やる、これがまた手のひらのように大きい。‥‥なんとなくなんとなく、自ずの手を鋏のかたちにして、勝ったように思われる。なにに勝ったかというと、うまくあらわしようがないが。
「けど、この大きさじゃあ轆轤っ首みてぇに思われねぇか?」
玲、首をすくめ、いかにも猛禽らしい自在鉤めいたくちばしを見やる。
現在、冒険者らは苦界のなかの絶崖に追いやられてるといってもいい。行くも地獄退くも地獄の――それではどこぞの三文芝居――このままではずるりずるりと、生きながら泥土にしまわれそうな閉塞感。だからさしあたって、パラーリア、ちろを招いたのだ。ロック鳥の機動をつかえば脱せるのではないかと、しかし、これを人里へ寄せれば天魔波旬のたぐいにまちがわれてもいたしかたない、との、玲の憂患も道理だ。ただ争点はむしろ、それ以前にあったのやもしれぬ。
――五条の宮、あからさまな怪訝をつくって、
一言、
「‥‥余に乗騎の心得は、ない」
これは皆の意想の外――というよりは、どうやらほとんどの冒険者らの念頭に、ロック鳥の操縦に関する加減までは考えがおよんでいなかったようで。
平野をゆるゆるとそぞろに馬掛けするぐらいなら、繰り手にいくらかのたしなみがあれば済むだろう。が、巨鳥の滑空、それも二人乗りでの、ともなれば、同乗者、繰り手、どちらともにもそれなりの――万一いたずらな風におおきく煽られたとしても、平衡をどうにか保てるぐらいの――腕前は欲しい。が、五条は鳥には乗れぬといい(気分や感情ではなく、可能性の課題)、パラーリアも五条のつたなさをおぎなえるほどの上手ではなかった。
「う」
でもでも・ちろはいいこだもん〜、と、首元にかじりつこうと――届かないので弁慶の泣き所らしいところで手を打つ――傍目からはパラーリアは飼い主というより、ちろの飾りにもみえたろうか。まぁ、たしかにちろはパラーリアによく馴染んではいる、彼女一人ならどうにかやれただろう。が、相乗というのはまったく別種の問題。
ウィルマはもうまったく、愉快になる。
「そうか、そうか。乗れんのか」
おのずもとりたてて騎乗の技巧はあるといえぬというのに、曲馬が得意の道化師といった風情に、五条の肩を鼓もかくやにばしんと叩く、くりかえし。五条の宮はなおさらむっつりとするばかりだが、とりたてて弁駁はこころみず、ロック鳥に臨んではこういうふうに処置をとった。
「目立つというなら、逆の遣り様をためしてもよい。いくらか距離をおけばかえって囮としての詮もあるやもしれぬ‥‥無下に帰すのもそれはそれで懸案となろう。ここまで来たのだ、それくらいのしつけはどうにかなるのではないか?」
「‥‥それに、」
と、ふたたびミュール、墨染めの衣を漉して発せられる声音は、衣の墨でも沁みたか、どこかいがらっぽく錆びていた。それが彼の常態だが――或いは、アイスコフィンの冷却が喉笛をいまだ縛っていたのやも。
「ロック鳥を見掛けたなら、我々とは関係のない末々はおのずと避難するのではないか、という見方もある‥‥とてつもない楽観論であるのは、承知の上だ。しかし追っ手がまたぞろこちらを討つつもりならば、ロック鳥ごときで退却は決めないだろう」
戦いは、必ず、ある。
楽観論と前に思い切ったわりに、悲壮な判断だ。が、ミュール、そのどちらをも信じているのだ。神を信じるがごとく――というのとはまた異なるけれども、敢えてあらわすのならば、己の過去を疑わぬように。
「ん、まぁそうだな」
玲、ぞろりと顎を撫で付ける。――ここに来て辛抱が積んだせいか、ざりざりと雑駁な手当たりが抜けがたくなってきているような、心なしか、釘や鋲をあざむく頭髪まで、熱射にさらされどおしの芝のごとくしんなりとしてきたような。気に掛かって次はそこへ手をやりながら、品行方正な眉根をひずませる。と、壬生天矢(ea0841)の横目が突き当たった気がして、そちらへ首をねじむければ、深くも浅くもある付き合いの彼には玲の所感がうっすらと浸透したか、けわしく剣呑なままの天矢に、錯覚かもしれぬが、なまぬるい含み笑いでも茫々と浮かんだようだった。むろん仮構だったのだろう。きちんと見据えたとき、天矢、無調法といってもあながちまちがいでないような、どこか剣呑さを秘めた薄氷の表情へたちかえる。
ふと思う――まぁ、いいさ。俺が狂言回しになって気が晴れるヤツがいるようなら、それでかまわねぇよ。
「壬生はどうだ?」
「‥‥まぁ、いい」
「それでは、私たちとごいっしょに陸路でよろしいですか?」
鷹神紫由莉(eb0524)が五条の宮へ問いの水を向けると、彼はおとなしく肯定のそぶりをみせる――もしかすると、なかでいっとう五条への敬意を相変わらずにしていたのは紫由莉だっただろうか。紫由莉、京を出たときから五条の背にあった綾地を駕籠からとりあげる。こちらはまだまだ使えるだろう、掻巻を素干しする要領でいったん拡張する。使い慣れた、とはいってもせいぜい半月そこらだけど、気慰みが袂にあったほうがまだ五条にとっては気が休まるだろう、と思い。
綾には五条がもたれたらしい痕跡が、絵の具でも塗ったように濃く彫られている。紫由莉、ふと物柔らかに笑んだ。少なくとも「これ」は拒まれていなかった――それを見定めると、十全とはいかずとも、安んじる思いがゆくりなく横切る。昏倒勇花(ea9275)、残された駕籠を触覚と視覚でいちいち確認をとり、最後には玲にまでたしかめて――職人の目での按検まで得て、問題のないとの結論を得る。
「駕籠なら、あたしがかつぎましょうか?」
「いや、悔しいが捨てていこう。駕籠かきに体力をとられるのも、惜しい。だいいち胆力はあるようだが、たったひとりで五日ちかい道中、駕籠をかつぎどおしというわけにもいくまい」
こちらは周布が応答する。五条、苛烈な性質のわりにさっぱりしたもので、途方に暮れることなく言い切る。
「かまわぬ、歩こう。そもそも罪人にそれだけ気遣いをくばる必要はない」
「よかったら、あたしがおぶってもいいわよ?」
「‥‥そこまで墜ちたくないのでな、断る」
墜ちる、とはどういう意味よ、との勇花の抗議はあっさり封殺される。
さて仰々しくなったが、これからの行程の予定をまとめよう。基本は、今までとほぼ等しく、総員での徒歩。街道の比較的見晴らしのいい道をとおることとなった。パラーリアはパラのマントを五条にすすめたが、これで隠せるのはせいぜいパラの平均身長四尺一寸(1.3メートル)までで、五条の身の丈は五尺を超える、少々ムリがあるだろうか。
「じゃ、ちろはどうしよう」
「駕籠かきを助けたくて呼んだのだったか? 私は御免被るが、彼なら乱暴な遣り繰りに耐えてでも、迅速な移動をのぞむだろうな。話し合ってみるがよい。周布、紹介状なら書いてやれ」
「うん」
じゃ、そうするね♪ と。パラーリア、ててて、と、どうにか止血の効き目の出てきたらしい駕籠かきへ寄る。
遅れてステラ・デュナミス(eb2099)も首肯する。けれどそれは、不堪な芸事をなぞるように、一拍遅れの、はかないはたらき。
「‥‥うん、分かったわ」
恭順しめしながらも、ステラは心ここにあらず、電気石めいた千尋の深淵の瞳をぼんやり天へやる。と、ロック鳥を追うように、ロック鳥にくらべればたいそう小さい、けれども悠悠たる天空の覇者・猛鳥であるという点ではちろにもひけをとらないであろう、鷹、アラケルが舞い上がる。吹き抜けるような空へ、瞬く間に、粟粒のような真昼の星となり、それもやがてすぅと溶ける。
それをステラは、ずっと見る。そうしていれば何かが見返してくるというように――神のおわすとも言われる空に、しかし、心はない。袖知らぬ涙は悲しみでなく、それはただの天象である以上、夜毎に娼館で交わされる睦言となんら違いは、ない。
●
ステラも――そして図らずも、彼女と同様にウィザードであるカヤ・ツヴァイナァーツ(eb0601)も、或いは気障を承知でその表現をつかうなら、ウィザード、魔法の研究者でもあり奇怪の造詣の探求者でもある彼等だからか、自己に巣くった疑惑とたたかっていたのだ。あぁ、それはほんとうに闘いで、真剣勝負で、けれども闇へ飛沫をしぶかせるわけでもなく、青白い蛍火が乱れるわけでもない、ひたすら静謐、何物もとどかぬ井戸の底にのみ俯せてあるような。
ステラはアラケルを通じ、カッツェ・ツァーンに此の度の流刑地を「誰が」選定したのか詮索してもらおうとした。これは天矢がアルバ・シャーレオに、紫由莉がルクス・シュラウヴェルに、ツヴァイが天螺月律吏に、それぞれ託した正味とほぼ同列である。特に律吏、新撰組一番隊の隊士の立場をもって調査にあたったが――これ、と歴とした名は出てこない。だいいちこういうことは専断を許せばすなわち明証にもなる、書き付けに記されていたのはわかったようなわからないような、もったいぶった不得要領の文詞。
「でもやっぱり、藤豊派の貴族が西国への流刑に賛成にまわったのはたしかみたい」
あぁ――と、ステラ、氷山すらとろかしそうな熱い溜息。人を悪し様に罵るといつか自分に返ってくるよ、と、昔誰かに云われなかったか、だが、思うだけでそれが叶うというのはいったいぜんたいどんなめぐりあわせか。
「あたしの方は、ちょっと気になることが書いてあるわねぇ‥‥」
勇花、タケシ・ダイワから着いたばかりの信書をはらりとめくる。小指をぴんとそばだてて、ひとつひとつを丁寧すぎるほどの曲線で、見ているほうが物憂くなるようなたしなみ。
「毛利氏は中央政界との折り合いが上手くいってなかったよう、なんですって」
「そうなの?」
「蔑ろにされてたみたいね。あんまり高い地位をもらえてなかったみたい」
みたい、よう、と当て推量の語尾が続くが、しようがなかろう。大急ぎでの検索だ、確証あげつらうところまでもいかなかった。
「‥‥そんなところに、僕たちは行くんだ」
これもまた、疲労と喪失のみちびく旅路における少憩の一コマ。ツヴァイ、棒を通り越して竹のようになった脚の筋をほぐしながら、ぽつり、と。
「基本だったかもね、今から行くところがどんなところかくらい、事前に調べておくのは」
そうすれば、もっと早く材料が得られたかもしれぬ。
――周布さんを疑うのは、いい気持ちがしないけどね。
三度笠、くるんと手元でめぐらせる。思ってた以上のお役立ちだ、日を適度にはじいてくれるし、風を通す邪魔もしない。ジャパンの旅行にはジャパンの用具でまにあわせるのが誂え向き、ということだろうか。ステラを真似たわけではないが、ツヴァイ、溜息をひやひやこぼす。三度笠に滲んで、菅の細工はどこか冷たい。
――宮に死ぬ意思はない、生きたまま周防に入る‥‥その事が宮にとっての利得。
「追っ手の正体は分からなかったんだよね?」
「忍びは忍びだもの。そうひらたくは尻尾を掴ませてくれなかったって」
勇花にかたちばかり念をおしてはみるが、ツヴァイの内部、ある種の予兆、爛熟の匂いを強く立ち込めながら結実してゆくのを感じる。
――動きを察した源徳派が宮殺害を企てる可能性もある‥‥僕らが火種を運んでいる可能性も有り。ツヴァイの、狂うでない瞳孔をゆるくしばたたかせる。一度、二度。右の、菖蒲や杜若をあざむく彩度から、左へ、赤をなかだちに、紅藤へ。瞑目のたびに世界にしたたる薄闇が喫水を深めてゆくのは、けして幻ではなかろう――夜になったのだから。
「京はどうなってるかしら‥‥」
ステラ、これはすでに手に負えぬと見廻組正の御神楽澄華を通じて黒虎部隊隊長・鈴鹿紅葉に通達を送った、が、京はあまりに遠すぎた。切片のつたえる報告はあまりにも逼迫し、切実すぎて、かえって実際から乖離しているようだ。真に迫る芝居は人を現実からきりはなし、異界へと近づける用事しかはたさぬがごとく。
しんしん、と刻が更けこむ。
明けても暮れても蒸し暑いのはそのままだが、だのに、きみょうに切り火が愛おしくもあった。しかし、勇花の案で火は符丁になるから、とくべるのをとりやめている。聖歌、こわばった手をかざしながら空を仰いで、西方へ繰り出そうと、月は月で星は星。あれからずっと躁の醒めやらぬウィルマが、西洋の旋律に東洋の賄語をまかせるという、じつに画期的な鼻歌にいそしんでいるのが漏り聞こえて、天体の神妙はいささか興をそがれた。
粗末な夕餉はとうに喰らった。露宿の準備はすませてある。あと半刻もたてば、皆――立ち番をのこして、寝入りをはじめなければならない。息抜きもなかば債務となってある。
「不都合はございませんか?」
もうお茶のご用意はさしあげられませんけれど、と紫由莉、淡くほころぶ。うなじから肩にかけてをするりと着崩し、あらわになった鳶色の肌は星の気を受け、いよいよ燃えるように映える。徒花にも喩えたい危なげな色香は、しかし日の落ちるにかけてだんだんひそまり、代わりに匂い立つようなすこやかな香気が少しずつほころびかける。それはさながら夕顔のひらくような、笑顔ももてなしの一環だから、と、紫由莉は後背の苦労なぞ知ったことでないというふうに、せっせと天幕の内側を片付ける。五条は、それ、を観察するときは、機嫌がなおったようである。
「‥‥健気だな」
「あら、ありがとうございます。それが私の務めですから」
「黒虎部隊の隊士だったな。それか?」
「えぇ。それは関係あるような‥‥ないような、ですね」
では、なんなのだろう、と。
紫由莉は初めて気が付いたように、はたと己の頬に手を添え、しばしの深慮。答えを躍起になって掘り出そうとも思わなかったが。
と、長い張り番に立つはずの玲が、寝る前に、と、そこへ割って、
「おっと。邪魔かい?」
「そう思うなら、はじめから話しかけないことだ」
「ちがいない。けど、でもそれじゃあすまねぇこともあるだろ?」
すまねぇな――と、紫由莉に目礼、察した紫由莉は席をはずす。あとにのこされたのは五条、玲、それから――天矢。が、天矢はわずかに訪問を告げただけで、それ以上口をひらかなかった。実際の質疑は玲にまかせて、天矢はただ、しかと目を見開いていただけである。目隠しにおおった、だから見えるわけはない、右の――銀の――瞳まで、にらむように据え付ける。夜の帳は一如でも、開くのと閉じるのとでは、おのずと瞳孔に忍ぶ色はちがってくる。
「訊きたいことがあるんだよ」
「いいかげん、しつこいな」
「ただの学のねぇ馬鹿の話だ。伽だと思って聞き流してくれ、色っぽさにゃあ欠けるが」
紫由莉の姐さんにねがったほうがよかったかねぇ、と、玲、自嘲気味に。扇情的な諧謔は五条には通じず、玲も、忘れてくれ、と、がほ、と咳払いで場を祓う。
「お前の乱。お前は全部自力と言っちゃいたが、正直俺は納得できねぇ。で、個人的に思い浮かんだのが藤豊。今回の流刑先。どうやって決まった?」
「‥‥その様子では、甲斐を得られなかったようだな。咎人の余が配剤の過程を知るわけなかろう」
「ら」
知れていたようだ、まぁ、皆が皆いっせいに似たような手を打っていたのだから、勘付かれてもしかたないのところ。ここでくじけるわけにもいかず、玲、けして得意とはいえぬ、故にそれは半ば以上失敗作の、無表情で話をつづける。
「平織も居ネェ今、奴にとって根回しは容易だろう。自分の弱みたりえるお前を手元において、もう一度駒として利用する考えも見て取れる。お前‥‥奴への復讐も考えてねぇか? お前に命かけた奴らのために」
五条、すぐには応じない。
――束の間。鼓膜のしびれるようなそして。
にぃ、と紅唇のはじをつりあげる。五条の底意地の悪さがなにかに取って代わるということはなかったが、
「五割‥‥といったところか」
――はらりと目を落とす。そこには松明に身を焦がす蛾をいつくしむような、小さいものを相哀れむような、あどけない憐憫、かすかに澱とよどむ。
「そりゃ肯定か」
「なかんずく貴様の意見を肯定してやる必要はないな。先程の女志士のもてなしのことだ」
とうそぶいてみせるが、天矢は寄る辺をからくもつかんだような気がするのだ。幽明への蜘蛛の糸、嵐の海にすさぶ木っ葉――これを亡くしてたまるものか、と、しかしそうして強く握る指から砕けそうでもあるから、代償に手の窪へ爪をかける。線にはしる痛みがなお、絆のようで、心地よくとどいた。
●
疲労と焦燥と緊張とが制する、最悪の道程だ。ウィルマ、例の、彼女の知るかぎりの猥雑な文句をちりばめた戯れ唄を口ずさみつつ、ひょい、ひょい、と、身軽に先駆ける。そして、紫由莉の備えた韋駄天の草履を履いているせいか、五条はかさぶたのような旅疲れこそ額といわず褄取る裾といわず、どこかしら見え隠れしたが、当て擦るのも億劫なのだろうか、なかなかさっさと歩く。
むしろ彼の側に付けたツヴァイ、のほうが遅れ気味だったろうか。むろん折節の魔法で索敵をおこなっていたからというのもあるが、彼にしてはめずらしくちょいと気圧されていたのだろう。五条の性分に。――そりゃあ予想はしてたけどね、まさしくってかんじで、あべこべにどうしていのか分からない。むぅ、と、ツヴァイ、かぶせた三度笠を面輪にかかるようひきずりおろす。周布が時折、気遣ってくれるのが逆に面映ゆいよう、痛い。ある意味ではツヴァイらしい、つっけんどん。それを端から見る勇花のほうが、長崎仲間というのもあって、乙女らしく気兼ねするぐらい。
あまり愉快な旅でなかったことは予想どおりであったし、人の露悪を連ねるのも気分の悪いことだから、省略する。悪事数里を駆けるというように、根も葉もない猜疑ほど浸透がはやかっただけのことである。
「俺の心に響かない」
ミュール、讒言に――田舎のそれは沼からひきずってきたように、陰険だ。周布のいっていたような出来事の屡々に、そのたび云うのだ。
「俺は驢馬と呼ばれ名がなかった。村を出るまで自分が人であると知らなかった」
と。
――何をそれもあるにはあったのだが小指のおもりぐらいには、
そして、数度めの石の枕、月の棟。
「今晩は‥‥ここいらか」
鬼のような一里塚の蔭を、今夜の寝床と見据え、天矢、蠍の銘きざむ名剣を杖の代わりに立つ。こうなれば草臥しも手慣れたもので、銘々手短に夕の役割を終え、休息につこうとしたとき――朱夏にはとても似付かぬ、ほんのり物柔らかな絹のかぐわしさ。
「やはり春香の術か!」
寝込みよりも一息ついて全員が等しく気の抜けところを襲うほうが、攪乱を呼ぶと判じたか。しかし、それは天矢のなかの青く凛冽な火柱をかきたてたにすぎなかった。直刀を狼の楯にたたきつけて、冒険者らの心へ覚醒を送る。玲が左の上肢に月露の短刀をすべらせれば、夜の白露よりずっとたぎるものがあふれ、根無しの草を赤黒く潰す。ミュールがリュートベイル、楯の影から繰り出す斬戟、
「あぁ、来たか。待ちくたびれたよ!」
恋人のようにな。歓喜もひとしお、ウィルマはあの節回しに合わせながら、羽根をほどく。今宵の月は爪月といい細い――しかし、ウィルマの漆黒の視界は嫋々たる薄闇から的確に敵を見通し、矢筈の降られるごと、胸板へ鮮血の花をにじませる。聖歌、それに縋るようにして刀を中条流の横に薙ぐ。ずしりと腕へ食い込む質感のウィルマほど夜目のきかぬ彼女は、合図を追うことでどうにか敵手をとらえられたのだから、昨日の唄の不躾なことは、不問に帰そう。
勇花は五条をせかす。
「こちらへ!」
この間に、こうして韋駄天の草履などの方便をもつものたちが五条を逃がすはずだったのだが――、
――が、
韋駄天の草履はけして瞬発力をつちつかう道具ではない。それが身替わりするのはあくまでも長距離における軽減負担であり、そしてまた? 野宿の地の選定までは斟酌にかまけられなかったので、一方を岩にする等の注意もおこないえなかった。そしてこれまでの行状により、追っ手には幾分地の利がある――ならば、この襲撃が。
追っ手は「前から」来た。五条の宮を逃そうとした方向をはばむように。
ステラが高速で呪文をつむぐまにまに、ほろほろと紐解く交錯の曼荼羅、ツヴァイの、それより木枯らしは押しのけて――‥‥。竜巻の術。はっと紫由莉は五条を覆う、悪心の疾風は些少とはいえ、確実に人へ隙をつくりだすのだ、それも肉体ではかばいきれぬ。生も死も賭けられないのならば、と、紫由莉は賭けた。身魂を。重心ははげしい上下に酩酊し、命知らぬ無機のように大きくはねた。そこへ、一閃、風が。
より強く、故に残忍な、風。
――剣風、
「逃がすか!」
天矢の八相の構――円月の流線から斬り落とす。腱を裂き、骨を折る、白く湛えた脂肪を見透かすとき、天矢の青く澄む瞳、倒錯をやどしたように束の間、赤く、爆ぜる。
●
「おーい、おーい、ここだよ〜☆」
‥‥ええと。
周防国への出迎えは、拍子抜けするほど頓狂な明るさ、物覚えのある鳥のかたちの大岩――つまり、パラーリアと彼女の愛鳥。ロック鳥は速すぎた、というより、どんな鳥もかえって遅速では飛べないのである。けっきょくパラーリアは地上のものたちと前進の速度がかみあわず、仲間から外れてとっくの早めに周防国へ着いてしまった。それが彼女の望みでもあったし、周布の記した書状のせいで咎められはしなかったが。
「あのね、駕籠かきさん。無事だったよ」
よかったねぇ、と、パラーリア。玲や天矢の供出した資金でよい医師や薬師を思いの外はやめに差配できたので、この国で気長な養生もかなうだろう。――結果からみると、最後の数日、パラーリアは五条の護衛を怠ったことになるのかもしれぬが、
「でも、いいの」
にへら、と、パラーリア目尻を下げる。それでも‥‥後悔したくなかったんだ。そうそう、彼女が周防で冒険者らをその待っていたあいだに京からまた別便が届いている。ジークリンデ・ケリンからは乱の前後の長州藩の動き、藩邸はいっそ不気味なぐらいに静まりかえっていたらしい。水葉さくらからは、慇懃な激励と憂患。京の陰と陽はどこまで
「フランク王国ザクセンはゲラー子爵公女パラーリア・ゲラー、皆様の艱苦を讃えまっす!」
「あぁ、互いにご苦労だったな」
ミュールにぐしゃりと髪を梳かれて、パラーリア、またひときわふにゃりとにやける。大島への渡航は冒険者には許されていない。これでほんとうに終わりなのだ。
あぁ、最悪だった。
――疲れた。薬もなくした。命も消えた。ろくに水も浴びられなかったから、着物はずいぶん煤けている。こそぎきれなかった血が垢とからむ。汚臭は理性をふやかす死臭に等しい、ミュール、巻きどおしの衣から油断なく周囲をみわたした。この地の様子は特に存じぬが、とりたててあたふたする気配はかんじとれぬ。
「ここで再起の準備はできそう?」
ステラは五条に尋ねた――彼女自身は花に水をやるような何気なさを装ったつもりだ、しかし、あの戦闘を経たあとで、平素もなにもあったものではなく、かたかたと震える。見透かしたか、五条はなにも答えず、うっすら空笑いでくくめたあと。
「女」
と、紫由莉を呼ばう。
「なにか」
「いつか、云っていたな」
『謀略に踊らされ得た物は謀略でまた失うかと。貴方の器量を考えますと貴方が元に何もなかったとは考えにくいですのに。貴方の器量を考えますと、貴方が元に何もなかったとは考えにくいですのに――‥‥』
と、そんなことを。
「‥‥踊ったとか踊らされたとか、それは本人の主観で決まることだ。余はそのようなこと、思っておらぬ」
それだけ言い捨て、五条はくるりと背を向ける。疲労など知らぬような歩きぶりで、冒険者らから去る。あとにのこされた冒険者らは、ただ、今はただ、依頼の終了を喜ぶゆとりすら残されてはいなかった。ただもう、すべてを投げ出して眠りたい。大それた野望が、すべてだった。