●リプレイ本文
●仕度
朝の薄霧が漂う森の中、三つの人影が蹲っている。うち一つは青年で、後の二つは少年だ。
「ロープと枝のしなりを利用する足くくり罠は前に教えましたね」
青年――カールス・フィッシャー(eb2419)は茂みに何かを隠し、少年二人に説明する。
「今日は箱罠を教えましょう。名前のとおり、箱に獲物を閉じ込める罠です」
カールスが指差すその先、繁みの中に少年たちが目を凝らせば、木の枝で組んだ箱が口を開けていた。
「小さな檻みたいですね」
「その通り」
レオの言葉に、ご名答と褒めるように返し、青年は説明を続けた。
「足くくり罠は獲物が偶然通過するのを待つしかありませんが、これなら餌を仕掛ける事で捕獲率を高められます。傷つける事もないので、毛皮の価値も下がりません」
「作んのタイヘンそうだな‥‥」
面倒臭そうに答えるロイをカールスは嗜める。
「覚えておいて損な事など何もありませんよ。私が今度来るときまでにマスターしておきなさい。いいですね?」
次はもっと複雑になりますからね。そう言って、青年は少年達に作り方を教え始めた。
いつもどおり、というべきか。
その日、アリア・バルナーヴの一日は帳簿作業から始まった。
「今後の支出を予測した上で、計画性のある予算を立てるんです」
孤児院に着くなり、レミナ・エスマール(ea4090)は経営の鬼に豹変。
「‥‥このくらい‥‥かしら?」
赤毛の少女が恐る恐る差し出した羊皮紙に目を通すと、深い溜息を一つ吐いた。
「新年会を閉院式にする気ですか?」
多すぎたらしい。
「‥‥ちょっと贅沢しようかなとか」
「ない袖は振れません。私は雑用を手伝ってきますから、戻るまでに終わらせておくように」
レミナは厳然とやり直しを命じた。
「流石にこれでは先が思いやられます」
再び溜息を吐いて、その場を後にするレミナであった。
礼拝堂では会場準備が忙しい。
「秋緒君、テーブルはそちらへ――」
飛び交う指示に応え、神木秋緒(ea9150)はテーブルを並べ、真っ白いクロスを丁寧にかける。
「‥‥こんな感じ‥‥ね」
軽く飾り付け、担当範囲を粗方終わらせると、秋緒は一息ついて辺りを眺めた。
礼拝堂は新年会場と化しつつあった。アリアはヴィーを引き連れ、飾り付けに頭を悩ませている。
――皆無事で、本当に良かった。一時はどうなることかと思ったけど‥‥。
最近は街外れに住む老婆も協力してくれているようで、運営に光明が見えてきた感じだ。これなら、きっと‥‥。
視線に気づいたのか、アリアが振り向いた。目が合う。
秋緒は意識して笑んだ。
「俺、判りました」
厨房でブラン・アルドリアミ(eb1729)は包丁片手に何かを悟ったようだ。
「今まで不評だったのは、塩加減が間違ってたせいですよ」
ガッツンガッツン食材を断ち割り、次から次へと鍋に放り込む。裏で少年たちが処理した肉も同様に放り込むと、真剣な目つきで塩の量を計りだした。
「‥‥このまま煮込めば、上等なストックが出来ますよ」
隣で料理に勤しむ青年が笑む。出汁を取っていると思い込んだようだ。
因みに、実際に出てきた料理にはスープのみが使用され、概ね好評だったらしい。
●演奏
「今まで教えたフレーズは覚えていますね?」
広場の片隅。カノン・レイウイング(ea6284)の言葉に、エリーはぎこちなく頷いた。
「今日やる曲は今までのフレーズを組み合わせるだけですよ」
「で、でもエリー、こわいです」
初めての本番を前に、金髪の幼い少女は震えていた。
「大丈夫。あなたには無限の才能があります。その気になれば、なんにだってなれるのです。例えば――」
カノンは穏やかに笑むと力ある言葉を唱え、少女の心に直接語りかけた。
――こんな事だって。
「ホント?」
――嘘なんかつくものですか。わたくしがその手助けをして差し上げます。
「‥‥エリーがんばって、せんせみたいになるです」
真剣な瞳で竪琴に手を伸ばす少女の頭を、女は軽く撫でてやった。
「カールスさんが合流したら、開始にしたいですね」
同じく広場に陣取っていたルナ・ローレライ(ea6832)がオカリナ片手、二人に尋ねる。
「こっちは準備OKですよっ」
ピリル・メリクール(ea7976)もリュートを手に、やる気満々。リュートのケースをさりげなく開いて、お捻り要求の構えだ。
「‥‥少しくらいは入ってないと、誰も入れてくれませんよ?」
僅かに苦笑して、ケースにコインを数枚入れるルナであった。
「いつまでも、ここが平和であるように‥‥奏でましょう、平和への行進曲を」
ルナの言葉を皮切りに、演奏会が始まった。
「何とか足だけは引っ張らないようにしませんとね」
バリウスをかき鳴らし、カールスが呟く。本職という訳ではないのは確かだが、遜色ない腕前は持っている青年だ。
エリーも必死に演奏している。最初の一曲が終わる頃には、旋律に惹かれ立ち止まる人々の姿が大分増えていた。買出しついでにレミナが行った宣伝も効いているに違いない。
そんな一同を遠巻きにひっそりこっそり見守る、二つの人影がある。
「ふむう。なかなか筋のよさそうな子じゃないですか、カクさん」
興味深そうに老人が呟く。
「ご隠居なら絶対そう仰られると思ってましたよ」
その隣、カクさんと呼ばれた青年――多嘉村華宵(ea8167)は、計算どおりの反応に内心で悪魔的な笑みを浮かべ、外見で爽やかに笑んでみせた。
「孤児院でとーっても苦労してる子なんです。そんな健気な子供達を陰ながら支援する」
「ほう」
「子供達からは月一回の礼状が届きます。拙い字で『ありがとう、おじさま』‥‥なんてどうですか」
「ほうほう」
「そして、敢えて名乗らない。これが格好いいんです! ハッキリ言って並みの人に出来る事じゃありません」
「ほうほうほう!」
カクさんもとい華宵の口車に、老人は身を乗り出してご満悦。この分なら、経済支援の話は問題なくまとまるだろう。とある依頼で知り合った道楽貴族なのだが、呼び出して正解だったようだ。
「新年会には私の友人ということで出席します?」
青年の薦めに老人はやや考え、そして頭を振った。
「‥‥面が割れては興醒めというものですからな」
(「いいカモですね」)
内心は口に出さず、いやぁ流石はご隠居ですねと微笑む華宵であった。
――白の教会前。
「ご丁寧な招待状を頂いた上に、わざわざお迎えにまで」
黒の司祭、マリユス・セリエは上機嫌この上なかった。
「いやぁ、これはいい年になりそうですよ」
その隣、ブランが並んで歩く。
「ご挨拶だけでもしておきたかったですし‥‥フランクに帰ったら、もうお会いできそうもないので」
「それは娘が寂しがりますねぇ」
もちろん私も寂しいですよ、と付け加えた司祭は、少女の胸元にふと目を留めた。
「‥‥おや? 今日はつけておられないのですね」
「え?」
言われて、視線の先を手で探る。
「‥‥あ。十字架、ですか‥‥」
ブランは曖昧な笑みを浮かべた。
悪意の詩人の呪いは成就しなかったようだが、あの時千切られたネックレスの代わりは、なぜか買いなおす気になれなかった。痛みでも何でも、いやいっその事呪われていれば。すべてが色褪せ希薄になってしまう前に、あの時自分がそこにいた、その証を連れて帰ることも出来たのに‥‥。さほど深刻に考えている訳でもないが、少女の笑みはますます曖昧になる。
「ふむ」
司祭は顎の下に手を当てると、ふと己の首から何かを外し、ブランの襟元に巻いた。
「黒の物ですけど、気にしないで下さいね。些細な違いですし」
司祭らしくない事を言って、マリユスは笑う。
「‥‥大事にしますね」
首元で揺れる十字架にそっと手をやり、ブランは淡く、だがはっきりと笑んだ。
「準備は出来てるんだろうね?」
仏頂面の老婆が礼拝堂に顔を出した。
「招待状を貰ったからには、今日のアタシは客だからね。せいぜい持て成しておくれよ?」
「いらっしゃい、おばあさま」
ルナは両手を広げ出迎えた。
「おばあさまで最後です。さぁ、始めましょう」
今年最初の、そして幾人かにとってはこの地で最後の宴が、始まろうとしていた。
●祝宴
会場のそこここから、くすくすと笑い声が漏れる。
『ロイ。遊んでないで手伝ってくれないか』
『へっ。オレに命令すんじゃねーよ、シスコンやろーが』
『なんだとっ。君なんかルナさんの前で真っ赤になってたじゃないか』
『あ、あれはテメーだって一緒だろうがっ』
『君みたいにフシダラなオトコと一緒にしないでほしいな』
『んだとっ。やんのかコラ!』
全て華宵の一人芝居だが、なかなか巧みに真似ている。
「ロイさん‥‥いらっしゃい」
「な、なんだよ‥‥」
手招きするルナに、ロイは顔を赤くして応じた。声真似の直後だけに、恥ずかしいらしい。
「はい、これは今までがんばってきたご褒美です。大切にしてくださいね?」
そんな少年に、女は魔法の鋤を手渡そうとしたが。
「‥‥ワリイ、オレだけホウビはもらえねーよ」
ロイは受け取ろうとしなかった。出会った頃に比べて成長したとは思っていたが‥‥。
「大きくなりましたね。その思いやりを、忘れないようにしてください」
思わず少年を抱きしめるルナである。
「おや、あなたは確か」
会場の片隅、黙々と杯を煽るレミナを見かけ、マリユスは話しかけた。
「娘に勉強を教えてくれているそうですね。私からもお礼を‥‥」
「‥‥あなたがマリユス司祭?」
レミナはジト目で初老の司祭を見つめると語りだした。
「この孤児院にこれ以上変な物は無いのでしょうね? あんな危険な状態の場所に孤児院を作れと薦めるなんて、正直言って理解に苦しみます。だいいち、もっとしっかり彼女を教育してから孤児院経営に携わらせるべきでしょう」
据わった目で次から次へと呟くレミナ。かなり溜まっていたらしい。
「いやぁ‥‥私が到らぬばかりに、ご迷惑おかけしましたねぇ」
申し訳なさそうに謝る司祭だ。
「本来なら彼女はあれくらい出来て当然なんですよ。それをあなたは」
更に続くレミナの口撃は、暫くの間続いたようだ。
余興に巫女姿で披露した神楽を舞い終え、秋緒はアリアの隣に腰を下ろした。
「大事な話があるの‥‥いい?」
「‥‥? うん」
赤毛の少女は首を傾げ、やや不安げな面持ちで巫女の言葉を待った。
「貴女と会ってからもう一年になるのね。色々な事が有ったけど、こうして自分の夢を見つけて頑張ってる。素晴しい事だと思うわ」
「‥‥ありがとう」
淡く笑むアリア。秋緒も合わせて笑み、言葉を続けた。
「実は私、家を飛び出して来たの。ただ家に居たくない理由があったから逃げ出しただけ。でも、頑張ってる貴方を見ていて思った‥‥私も負けていられない。逃げ出すのではなく、立ち向かわなければ、って。だから私は――」
言葉が途切れる。覚悟していた事とはいえ、口に出すのは勇気が要った。
「――ジャパンに戻る事にしたの。残してきた事に決着をつける為に」
「‥‥そっか」
「貴方と別れる事は勿論寂しい。でも、そうしないと私は貴方と同じ所に立てない」
決然と告げる。それは、半ば自分に言い聞かせていたのかもしれない。
「決着が付いたらまた会いに来るわ。だから‥‥少しの間お別れよ、アリア‥‥」
「‥‥うん」
瞳に、決意の雫が光った。
「私も‥‥ジャパンに行くの」
今まで片時も離れずにいたピリルも、意を決して告白する。
「アリアちゃんはもう大丈夫だよね。すっかり過去を振り切って立ち直れたし。陰謀に巻き込まれることだってもうないし。お義父様も子供達もいてくれるし。やらなきゃいけないことだって見つけたし。だから‥‥だから、もう私は必要ないよねっ。うんうんっ、もう私がいなくったって全然大丈夫っ」
「そんな訳ないじゃないっ!」
アリアは叫んだ。
「必要じゃない人なんていないわっ! ピリルだって、秋緒だって、私は離れてほしくないっ」
その一言で、ピリルの堤防は一気に決壊した。
「ありがとう。ごめんね。すごいすごい。お疲れさま。大丈夫大丈夫。よく頑張ったね。楽しかったね。悲しかったね。元気出して。おかえりなさい。おめでとう。さようなら。でも、さようならじゃないよ」
支離滅裂だった。だがその想いは、だからこそ余すところなく伝わっていた。
「あはは、私ダメだな。最後は笑顔でって決めてたのに。私の一番のアリアちゃんには、私の一番の笑顔を最後にしたかったのに。こんなに嬉しいのに。こんなに悲しい。‥‥私、やっぱりダメだな」
「そんな事ないよ‥‥」
「もし、もし寂しくなっちゃったら‥‥夜に月を見てっ。私もきっと同じ月を見てる、見てるからっ」
「‥‥うん、うんっ」
抱き合い、別れを惜しむ二人だ。
「お手紙、書きますよ」
「ブランも!?」
「落ち着いて」
白髪の少女は微笑んだ。この調子で行けば、遠からず狂化してしまう。
「今の様に身軽に動く事は出来なくなるでしょうが‥‥遠い場所でも、ずっと幸せを祈っていますよ」
「アリアさんはもう大丈夫でしょ。守るべき家族と支えてくれる家族、仲間がいるんですから。離れてもそれは変わりません」
諭すように華宵は告げると。
「‥‥お兄さんが、いつ迄もお兄さんであるようにね」
悪戯っぽく笑み、少女の右腕で光る、腕輪をつついてみせた。
「皆が確かにいた、その証がある。それは、とても素敵なことですよ」
ブランがしみじみと呟く。
「‥‥そうね‥‥」
そっと、アリアは腕輪をさすった。
「でも、皆、いなくなっちゃうなんて‥‥」
「大丈夫。私はもう暫くあの子達の先生をしますよ」
カールスは微笑むと、隅のほうで眠そうに目を擦る子供達を見つめた。
「‥‥本当?」
「ええ」
青年が頷くと、安心したように少女は笑んだ。
「わたくしは冒険者を辞めようかと思っています」
「‥‥カノンもなの‥‥」
「ああ、いえ」
女は苦笑すると、今まで温めていた計画を告げた。
「この近くに、音楽の学校を建てるんです。これからはエリーや音楽と歌が好きな子供達の為に一生を捧げます」
門戸を大きく開き、貧富の差無く才能のある子供を音楽家として育てよう。貧しく教育の受けることが出来ずに夢を諦める子供を少しでも減らそう。それは。全財産を投じるに値する、予てからの夢だった。
「時間は有限ですしね」
思う所があるのか、華宵はブランを見つめた。
「悔いのないように生きましょうよ、お互い」
「そう、ですね」
ブランは小さく、笑った。
名残を惜しむように、夜更けまで祝宴は続いた。夜が明ければ、別れが待っている。この時が長く続けばいい‥‥誰もが、そう思っていたに違いない。
――最後に、この地に骨を埋めるだろう詩人の唄を紹介して、このささやかな物語の幕としよう。
木漏れ日に注ぐ光に導かれし若き旅人よ
貴公らの旅の平穏と幸福を我は祈る
また会うその日に笑顔と 優しい歌があらんことを‥‥