【小さくて幸せな箱庭1】お社の姫巫女

■シリーズシナリオ


担当:恋思川幹

対応レベル:2〜6lv

難易度:普通

成功報酬:2 G 38 C

参加人数:8人

サポート参加人数:1人

冒険期間:04月25日〜05月04日

リプレイ公開日:2005年05月05日

●オープニング

●盗賊の侵入
「領内に盗賊が入り込んだと?」
「はっ! 隣の領主殿より追捕の為、兵を入れる許可を求められております」
「追捕の為? ふん、やつめ、どさくさに紛れて、あやふやな境界を取り込む口実を作るつもりだな」
 部下からの報告を受けた領主は苦々しげに言った。
「我が領内に入りし、盗賊は我らの手で成敗いたす。ご助勢の申し出、まことに恐縮なれど、構えてお気遣い無用、と申し伝えよ」
 表向きは丁重に断るように部下に伝える。
「陣触れを出せ! 盗賊どもを蹴散らすぞ!」
「お待ち下さい。領内の地侍どもはすでに春の農作業に取り掛かっております。今、陣触れを出すのは差し控えるべきかと‥‥」
「ううむ‥‥。兵がいないと申すか‥‥」
 領主は苦々しく呻いた。
「なにやらお困りのご様子ですね」
 不意に女性の声がする。
「ん? 松風局殿か? 何用あって参られた?」
「今年も祭祀の時期が近づいてまいりましたので、その打ち合わせに。ところで、差し出がましいこととは存じますが‥‥」
 部屋の入り口に一人の女性が座り、頭をさげていた。松風局(まつかぜのつぼね)と呼ばれている女性である。彼女はすっと面をあげると領主達の懸案について提案をしてみせた。
「‥‥冒険者を雇え‥‥だと? 益体もない、我らに兵がいないのを内外に知らせよというのか?」
 松風局の提案を聞いた領主は提案を一蹴する。が、
「使いどころ次第と存じます。盗賊退治にはお社の兵をお使いになるのがよろしいかと。お社の兵は自分の土地を持たない、扶持を与えて召抱えている兵達でございますから、農作業に左右されませんのでしょう?」
「そして社の守りを冒険者に任せろ、と?」
「はい、表向きは姫巫女様をお慰めする為に物語りなどさせる‥‥とすれば、余人の目もご任せましょう。わたくしが江戸へ赴きとうございます」
「なるほど、面白い提案だ。松風局殿、江戸へ赴き冒険者を雇う務め、任せよう」
 ただし、と領主は付け加える。
「姫巫女様のこと、むやみに人目に晒すことは許されぬ。それは弁えておるな?」
「はい。言われずとも。むしろ、それはわたくしの領分にございます」
 松風局は深々と頭を下げた。


●依頼の真意は?
「楽しいお話を聞かせてくれる方を探しております」
 江戸のギルドにやってきた松風局は、手代にそのように申し入れる。
「楽しい話ですか‥‥。確かに冒険者には奇談、珍談を抱えている人は多いですがね」
 手代は苦笑いする。
「冗談がお上手なこと。わたくしがお仕えしている姫巫女様をお慰めする為、見聞の広い冒険者の方々に物語りなどしていただきたいのです」
 松風局もつられるように笑ってみせる。
「姫巫女様?」
「はい。ここ江戸より数日を行きました山の中腹のお社にいまします、都のさる高貴なお血筋と、不思議な神通力をお持ちのお方でございます」
 松風局は我がことのように誇らしげに言う。
「わたくしの母は姫巫女様の乳母でございましたので、乳母子として幼き頃よりお仕えさせていただきております。姫巫女様は、わたくしと同じく‥‥‥‥歳でありながら、まだ十代半ばのような若々しさを保ち、神憑りして神の言葉を伝える術をもっておられます。まこと、霊験あらたかなるお方にございます」
「‥‥何歳ですって?」
 松風局が言葉を濁した部分を手代は聞き返した。
「重要なのはそこではありません」
 答えた松風局は笑顔であったが、どこか恐ろしかった。
「とにかく、その方を楽しませることが出来ればよいのですね?」
 背筋に寒いものを感じた手代はいそいそと依頼を受理しようとする。
「いえ‥‥ここから先は内密に願いたいのですけれど‥‥」
 松風局は声を潜めて、姫巫女を楽しませることは表向きで、本当は手薄になる社の警備であると告げた。
「心得ました。では、そのことも踏まえた上で‥‥」
 手代も声を潜めて応じたが、松風局はそれを遮った。
「うふふ、実はそれも表向きの話なのですけれどね」
 松風局は悪戯っぽく笑った。
「はっ!?」
「裏の、そのまた裏は表ということです」


●社の姫巫女
 いくらか時間を遡る。松風局が江戸に発つ前のこと。
「座笆様! 座笆様! 吉報にございます」
 件の社にて、松風局は弾んだ声をあげた。
「なんじゃ、松風。騒々しいことよの」
 姫巫女は『磐座比売命』と呼ばれ、名を座笆(くらは)という。
 もっとも座笆という名を知る者、その名で呼びかけられる者は限られている。磐座比売命という呼び名も外部には知られていない。
 近隣の住民達でさえも、ただ『お社の姫巫女』と呼び、その姿も実態も何も知らないでいる。
「お社に外の人間を招きいれる好機を得ましたのでございます」
「そうか! 松風、大儀であるぞ」
 なぜならば、社に余人が立ち入ることは厳しく制限されているからである。例え警備が厳しくとも、長い間に幾分かの情報が外に漏れ伝わるだろうと思われる向きもあるかもしれない。だが、正体の知れない『神聖』とされる存在の領域を冒そうとする発想は容易に生じるものではない。そういう心理に頼っている為、実際の警備はさほどに厳重ということもない。
「外の世界に広い見聞を持つという冒険者なる者ども‥‥。話を聞くのが今から楽しみじゃ」
 座笆は嬉しそうに頬を綻ばせる。外の人間が座笆を知らないということは、翻って座笆が外の世界を知らないということでもある。
「ただし、座笆様、このことはご内密に。冒険者が座笆様に謁見する許可はえておりませんので‥‥忍び込ませることになりまする」
 松風局が声を潜める。
「ほほう、それもまた一興であろうぞ。わらわはとにかく退屈なのじゃ。少々の無礼は大目に見ると申し伝えるがよいぞ」
 座笆は娯楽に飢えていた。物心ついた時には既に、この箱庭のような社にいて、一歩も外に出たことがない。松風局があれこれと座笆の退屈を紛らわそうと努力を重ねてきたが、松風局自身、その行動範囲は広いとは言い難いのである
「‥‥それほど退屈でございますならば、常々申し上げておりますように『万葉集』や『古今和歌集』などを覚え、貴人に相応しい教養を‥‥」
「と、とにかく、わらわは冒険者なる者どもに会うのを楽しみにしておるぞ! よき者どもを集めてくるのじゃ!」
 松風局の小言を遮って、座笆は話を切り上げた。娯楽は求めているが、学問はその範疇に入らないのであろう。
「はは、かしこまりました。行って参りまする」
 松風局は深く頭を下げて、その場を辞した。

●今回の参加者

 ea3811 サーガイン・サウンドブレード(30歳・♂・クレリック・人間・フランク王国)
 ea4492 飛鳥 祐之心(36歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 ea9191 ステラ・シアフィールド(27歳・♀・ウィザード・ハーフエルフ・フランク王国)
 ea9885 レイナス・フォルスティン(34歳・♂・侍・人間・エジプト)
 eb0833 黒崎 流(38歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 eb1098 所所楽 石榴(30歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 eb1670 セフィール・ファグリミル(28歳・♀・クレリック・人間・イギリス王国)
 eb1821 天馬 巧哉(32歳・♂・陰陽師・人間・ジャパン)

●サポート参加者

逢莉笛 舞(ea6780

●リプレイ本文


「わたくし達を二組にわけ、こちらの皆様とあわせて、三組による持ち回りで警備につくのはいかがですか?」
「ざっと社の様子を見せてもらったけど、外壁の中、内壁の中、それと休憩待機。そんな感じでわければ、いい具合じゃないかな?」
 セフィール・ファグリミル(eb1670)の提案に、所所楽石榴(eb1098)が捕捉を加えたものは、しかし社に残った兵達にいい顔はされなかった。
「内壁の中の警備は‥‥」
「冒険者は見慣れぬかもしれないが、腕は確かだぞ。何なら試して頂いても構わないしな?」
 社の兵が何かを言おうとするのを遮って、黒崎流(eb0833)が自信ありげな態度を示す。
「内壁の警備を、ずっと皆様だけでなされるのは大変でございましょう。ここは冒険者の方々のご好意を受け取られてはいかがでしょう?」
 松風局の取り成しもあって、冒険者の提案は受け入れられる。
「ともに協力する者同士、よろしく頼むな」
 レイナス・フォルスティン(ea9885)がそう声をかけて、社の警備体制が整えられた。



 二組に分かれた冒険者のうち、一組が内壁の門の前に詰めている。すでに陽はとっぷりと暮れ、明かりは星と提灯の明かりくらいのものである。
「社の姫巫女様、ねぇ。俺の友達が江戸で色々と聞きまわってくれたんだが、ほとんど何もわからなかったってさ」
 天馬巧哉(eb1821)が話すところによれば、江戸にまでは姫巫女の存在は伝わっていないようである。
「そうなのか。あまり詮索しようとも思わないが‥‥ある程度は、ここがどういう場所であるのか知っておきたいものだな」
 レイナスが答える。
「奉公人達と世間話のついでに聞いてみるのもいいかもな。自分としては結構、この社のこと、気にかかってるしね」
 流はそう言う。
「社の者にか‥‥。そういえば、姫巫女のお付の女を何人か見かけたが、一人、綺麗な肌をしたのがいたな」
 ナンパ好きで、目標はハーレムを作ること。レイナスはすでに社の女性に目をつけているらしい。どうせ、話を聞くならば好みの女性がいい。
「‥‥鳥?」
 不意に巧哉の視界の端、上のほうを大きな影が走った。急いでそちらに視線を走らせるが、すでにそれらしき影は見失っている。
「どうした?」
 レイナスが問いかける。
「ああ、今、鳥が飛んでいかなかったか?」
「さあ、気のせいではないか?」
 飛鳥祐之心(ea4492)はそう言ったが、巧哉が見たものは気のせいではなかった。
 それはミミクリーで変身したジャイアントオウルに変身したサーガイン・サウンドブレード(ea3811)であた。ジャイアントオウルはサーガインがかつての依頼の中で目撃したものを擬したものであるが、実際に目撃したものよりは一回り小さい個体ということになるだろうか。
「所所楽さんくらい乗せられるかと思いましたが」
 人でも鬼でも捕食するほどに獰猛なジャイアンオウルであれば、子どもや小鬼程度なら楽々と飛びさらうこともあろう。だが、石榴のように豊満な大人の女性の肉体を安全に空輸できるかという点で確たる安全の保障はなかった。
「‥‥所所楽さん、いますか?」
 ミミクリーで今度は足を伸ばしたサーガインは、壁の外側で待っているはずの石榴に囁きかける。
「‥‥サーガインさん」
 壁の外側に伏して隠れていた石榴を認めると、さらにミミクリーを使い、腕を伸ばす。
「さ、所所楽さん、お手をどうぞ」
「えっ‥‥? あ、うん‥‥」
 石榴は照れ臭そうにして、手をとるのを躊躇う。年齢的にはすでに十分に大人であるし、娘と呼ぶにはギリギリのところである彼女が男性の手を握るのに、こうも可愛らしく恥らっている様子はサーガインには微笑ましいものに思われ、つい余計な一言が口をついて出る。
「さ、お早く、可憐なお嬢さん」
「か、かれんっ!? ‥‥あ、ありが‥‥とう‥‥」
 石榴はますます照れて、ワタワタとしてしまう。
 二人が壁を乗り越えるのは、もうしばらく後のことである。



「そこにおるのは、何者じゃ?」
 厳めしい口調とは裏腹に、可愛らしい少女の声が暗い部屋の奥から聞こえてきた。
「狼でございます」
 そう言ったサーガインは『まるごとオオカミさん』という防寒具を身につけている。
「ほお、狼とは人語を話すものであったか」
「はは。美しく、高貴で、また神々しくいらっしゃる姫巫女様の御前に出れば、心無き狼でさえも、その威光を讃える為に言葉を身につけるものでございます。もっとも狼であれば、かように夜這いに参ったのでございますが」
「よ、よば‥‥!?」
 サーガインの使った単語に、石榴が声をあげそうになるが、サーガインに遮られてしまう。
「狼というのは、存外、口達者なものよの。しかも、女子連れで夜這いとは愉快この上ない、たわけた愚か者もいたものじゃ」
 楽しげな笑い声が辺りに響く。
「お楽しみいただけて光栄でございます」
 たわけた愚か者と言われても、サーガインは別段気にする風でもなく応じる。むしろ、そのように粗略に扱われることを好む節がないでもなかった。この場合、相手に悪意もなかった。
「さて、これでも故国では結構有名でありまして、ドラゴンや悪魔退治を成功させた話をしてもよろしいのですが‥‥」
 そこで一度区切って、石榴を示す。
「まずはこちらに控えております、所所楽石榴と申しますものが扇舞を姫巫女様に献上したいとのよしにございます」
「えっ!? いきなり、僕なの!?」
 いきなりの指名にぎょっとする石榴。
「ご紹介にあずかりました、所所楽石榴です。え、えっと‥‥本当は鉄扇を使った受け重視の武術なんだけどね。その基本の型はそのまま、舞として‥‥」
 石榴は懐から『雲間の透扇』と呼ばれる、凝った細工の扇を取り出した。



「ステラさんも一緒に行きませんか?」
 松風局に用意してもらった社の女房衆の服を着付けてもらっているセフィールはステラ・シアフィールド(ea9191)に声をかけた。
 セフィールは松風局に伴われて、堂々と正面から乗り込むつもりでいた。物怖じしないその性格が、そういう大胆な作戦を思いつかせるのであろう。黒目黒髪といっても、欧州人とジャパン人では顔の作りが違うものだが、そこは既に石榴達に兵達の注意を引き付けてもらう算段をつけている。それで、パっと見には気づかれまい、というのがセフィールの読みであった。
「いえ、私などが姫巫女様に話せることは何もありません。せいぜい身の上話程度です。けれど、そのようなお話お聞かせするわけにも参りません」
 ステラはそう言って、セフィールの申し出を断る。瞳の色が違ってもやはり黒髪のステラであれば、同じ方法で潜り込めるとセフィールは考えていたのではあるが。
「着物の用意ならば、心配は無用でございますよ?」
 松風局もそう言ったが、ステラは辞した。姫巫女に会ってみたいという気持ちはあったが、自分も行ってセフィールが姫巫女に会える可能性を減らすのは望むところではなかった。

 セフィールと松風局が姫巫女のもとへ向かった後、石榴もサーガインもその手助けの為に席を外した。
 ステラはポツンと一人取り残される。
 春の麗らかな陽気、山の斜面を駆け上ってくる風が心地よかった。
「‥‥‥‥♪」
 囁くように故国の歌を口ずさむ。
 故国での度重なる迫害を受け、一度は廃人同然となったというステラ。師となった人物に救われなければ、立ち直ることはなかったであろう。
(そんな身の上話、聞くほうも聞かせるほうも楽しくはないですしね‥‥。でも‥‥この歌くらいは、姫巫女様を楽しませることが出来たでしょうか?)
 ステラが故国の歌にどのような想いを込めているのか、はかり知ることは出来なかった。

「ええい! 放せ、放すのじゃ!」
「ああ、可愛いです〜♪」
 セフィールの大きな胸に埋められた座笆が悲鳴をあげるが、セフィールの抱きつき癖はその程度では止まるものではなかった。
 大体、悲鳴をあげる姫巫女の様子そのものが、可愛らしくて仕方がないのですから止めあれるはずもありません、というのがセフィールの主張である。松風局もその主張に同意して、あえてセフィールを止めることはなかった。
 サーガインと石榴は夜陰に紛れての対面であった為、はっきりと見ていなかったが、陽光のもとでセフィールが見た座笆は14、5歳の可愛らしい少女であった。
 松風局も若作りではあるが、それでも大人の女性であることにかわりはない。その松風局と同じ年齢であるという。
「本当に愛らしくて、私より年上だなんて信じられません」
 そう座笆の頭を撫でながら、しかし欧州の冒険者であれば、当然に辿りつきえる推論を頭に思い浮かべていた。
 松風局や社の人間達は、座笆の異様な若さを「姫巫女様の神通力」と信じ、崇拝している。
 だが、セフィールの推測は‥‥。
(まさか、とは思いますけれど‥‥)
 それを確めるべく、セフィールはそろりと手を伸ばそうとしたが、
「座笆様、セフィール様、人が参ります!」
 松風局の警告に、セフィールは物陰へ身を隠す。
 その後、セフィールは故国イギリスの話などをしていたが、推測については確かめる事ができないまま、うやむやとなってしまった。



「は、はじめまして! わ、わたしは飛鳥、ゆ、祐之心と申します!」
 可愛らしい姫巫女の姿に祐之心はすっかり舞い上がってしまう。15歳前後より上の年齢の女性が苦手であるらしく、普段とは喋り方、さらには一人称まで変ってしまう有り様だ。
「わ、私は依頼の話っでも、と。そうですね‥‥かのエロ河童のお話でも‥‥。女性の裸を見る事に命をかけたエロ河童ども‥‥あの執念は実に凄かった。いえ、河童の割に妙に統率取れた動きをしますし、それを向かい討った冒険者達も色々凄かったし‥‥飛び交う雷撃、闘気、矢、あとちゃぶ台‥‥大混戦だったな、と!」
 祐之心は座笆から声をかけられるのも待たずに、一気にまくし立てるように喋ってしまう。
「‥‥はぁ、はぁ‥‥」
「まあ、落ち着けよ。姫さんが呆気にとられてるぜ」
 祐之心の背中を叩いて落ち着くよう、巧哉が促がす。
「‥‥よいのじゃ、その程度、無礼の内に入らぬ。しかし、いきなり『女の裸』の話とはのう‥‥」
 薄く頬を染めて姫巫女は答えた。
「す、すみません!」
 祐之心としては平身低頭するばかりである。
「俺は陰陽師の天馬巧哉だ。‥‥まあ、俺もずっと京の都で修行の日々で、あんまり外のこと知らねぇんだが、何を話したもんかな?」
 祐之心をフォローしようと会話に割り込む巧哉は、何を話したものかと思案する。
「そうそう、俺は都育ちだったんでな。江戸へ来る途中の旅が、富士を見る最初の機会になったんだ。いやぁ、話には聞いていたが、実物を見た時は本当に驚いたもんだぜ」
 姫巫女が想像していたよりも、ずっと幼い容姿をしていた為、ついつい言葉がくだけた調子になっている。
「ほう。富士の山か‥‥。わらわもまだ、一度も見たことがないのお。定めし、美しきものなのであろうな」
「富士を見たことがない? そんな馬鹿な‥‥‥」
 寂しげに呟いた座笆に、巧哉は思わず疑問の声をあげる。関東からであれば、少し見通しのよい場所へ行けば、富士が見える場所などそこらじゅうにある。現に巧哉自身、この社へ向かう途中でも富士を見ているのである。
「わらわは、この社から出たことなどないのじゃ」
「あっ‥‥すまねえ」
 社は山の南東側の斜面にあった。社からでは直接、富士を見ることはできない。座笆の生きている世界のいかに小さいことが、富士を見ることがないという一言で知れる。
「富士の嶺を高み畏み天雲もい行きはばかりたなびくものを」
 不意に祐之心が万葉集から富士を詠んだ一首を声に出した。
「人知れぬ 思ひをつねにするがなる富士の山こそ我が身なりけれ」
 気づいて巧哉も古今集から歌を引用する。
「歌の中にはあちこちの風物を詠み込んだものや、人の気持ちを読み上げたものが多い」
「勉強と思わず、あちこちへ行ってみた気分になれる‥‥そんなつもりで詠んでみれば、少しは楽しめると思うがな」
 祐之心と巧哉はそう言って、座笆を励ますのであった。



「左衛門様が凱旋されたぞ〜!」
 レイナスが門番をしていると、一人の男が叫びながら、社に向かってくるのが見えた。
 左衛門というのは、ここの領主のことである。
 レイナスが社に仕えている女といい感じになって、色々と聞いた話によると、ここの領主は非常に低いものではあるが、左衛門府の官職を賜ったのだと言う。低い官位と言っても、比較的上位の武士でも無官の者が少なくないので、端役であっても官位を持っているのは、多大なステータスである。
「兵達が無事に帰ってきたのなら依頼も終りか。実戦はなかったか。依頼としてはよいことたが、武術を磨く機会がなかったのは残念だな」
 レイナスはそう一人ごちた。

 領主の帰還によって、社の中は俄かに騒々しくなった。そんな喧騒を利用して流は、ひょいっと姫巫女のもとへ顔を出した。
「彼らはどうでした? ご期待には添えたかな」
「なっ!? おぬしは‥‥」
 思いもよらぬタイミングでの流の出現に座笆は驚きを隠せなかった。
「自分も何か出来ればよかったんだけど、生憎と、大して面白い事も知らなくてね‥‥だが」
 流は懐から『早春の梅枝』と称される凝った作りのかんざしを、すっと座笆の長く艶やかな黒髪に差し入れた。
「綺麗なモノを見るのは好きだからな。‥‥これは作り物だが」
「あっ‥‥」
 事前に待ち構えていた他の冒険者達はともかく、突然の訪問には座笆では為す術もない。
「うん‥‥綺麗だ」
 そう言いながら、流はすっと座笆の髪を掬い上げる。
 顕わになった耳の形は、小さく尖ったものであった。