【看板息子】山のようなところてん!?

■シリーズシナリオ


担当:言の羽

対応レベル:フリーlv

難易度:やや難

成功報酬:0 G 65 C

参加人数:10人

サポート参加人数:4人

冒険期間:02月26日〜03月03日

リプレイ公開日:2006年03月04日

●オープニング

 江戸の街角に、とある茶店が開いている。決して大きくはない店構えだが、掃除が行き届き、季節の花が活けられ、元気のいい女主人が出迎えてくれる。
 仕事の前に、もしくは仕事の後に、この店へ寄れば元気が出る。また頑張ろうという気になる。彼女の笑顔はもとより、張りのある声で背中を押され、熱い茶で身体を温め、程よい甘さの団子で疲れを取る。これぞまさに日々の癒し。

 隠れた名店と呼ぶべきその茶店も、一時期は弊店の危機に陥っていた。菓子職人の修行から戻ってきた、女主人の息子達。彼らを目当てに、多くの女性が店にやってきてはひたすら騒ぎ、普通の客が寄り付かなくなってしまったのだ。赤字だらけの帳簿に業を煮やした女主人が、なけなしの金で冒険者ギルドに依頼を出したのはつい先日の事。その依頼を引き受けた冒険者達によって、今では常連客が戻ってきつつあり、また新規客も毎日やってきては新たな常連となっている。経営もひとまずの落ち着きを見せている。
「うむ‥‥この味、甘すぎない餡‥‥素晴らしい」
「おっ、おやっさんが誉めてくれるなんて珍しいじゃん。どこか具合でも悪いんじゃねぇの?」
 戻ってきた常連客のひとり、白髪のご隠居が目を細める姿に、他の席へ配膳を終えたばかりの青年が悪戯っぽく言った。青年の名前は勇二郎、この店の職人兄弟の弟だ。
「馬鹿を言うな、懐かしくなっただけじゃよ。‥‥さすが息子じゃの。先代の味に似てきたわ」
「親父の? 本当にそう思うか、おやっさん」
「わしももう年じゃし、最後に食べてからだいぶ経つが、あの味は忘れるものか。うむうむ、よい修行をしてきたようじゃな」
「‥‥‥‥」
 勇二郎は無言のまま、調理場に入っていった。ご隠居が食後の茶をすすっていると、勇二郎がまた出てきて、ずいっと菓子の乗った小皿を差し出した。
 真面目な顔で、食ってくれ、と言う勇二郎に従って、ご隠居はその菓子を遠慮なく口に運ぶ。
「ふむ‥‥こっちはまだまだじゃな。先代の味には程遠いのぅ」
「だあああああっ! やっぱりかあああああああっ!?」
 叫ぶ勇二郎。ご隠居の目が丸くなり、何事かと他の客も一斉に勇二郎を凝視する。
 すかさず響く、べしんっ、という景気のよい音。女主人が手にした盆で息子の頭をひっぱたいたのだった。
「何すんだよ、母ちゃんっ」
「店の中で騒ぐんじゃないよっ、この馬鹿息子が! ちょっとは栄一郎を見習いな!!」
 女主人が盆で示した先には、調理場の出入り口にかかった暖簾。ちょうど、出来上がった菓子を持って、兄の栄一郎が姿を現したところだった。痛みからか目尻に涙を浮かべた勇二郎は、悔しそうに歯を食いしばりながら、兄に真正面から対峙した。だが栄一郎にはなんでこんな事になっているのかがわからず、首を傾げるばかり。
「自分だけ親父に近付いたからっていい気になるんじゃないぞ! 俺だって親父みたいになれるんだからな!」
「‥‥何の事だ?」
「無駄に元気じゃのう、次男坊は」
「ええ、まったく。小さい頃から栄一郎に突っかかってばかりで」
 ご隠居が誉めたのは栄一郎が作った菓子で、まだまだと言ったのは勇二郎が作った菓子だった。同じ師の元で同じ期間修行をしてきたふたりだが、職人としての分はまだまだ兄のほうにあるようで、それが負けず嫌いの弟にはどうしても納得がいかないのだ。栄一郎はそんな事、気にもしていないのだが。
 20歳になっても子供の頃と変わらない息子に、母である女主人は肩をすくめる。いつまで経ったら成熟するのやらと、ご隠居と揃って首を傾げた。
「あら、賑やかですね」
 その時店内に入ってきたのは、先日おしとやかこんてすとが行われた際、騒がしい店内でも黙々と、かつ上品に菓子を平らげていた少女だった。

 ◆

「俺達が、そちらの集会で出す菓子を?」
「ええ。父にこちらのお菓子が美味しかったと話したら、ぜひ一度食べてみたいと言い出しましたので」
 栄一郎と向かい合い、にこりと笑うその姿はしっとりと落ち着いていて、まだ少女と呼ぶべき年齢にあるのが、残念にすら思われる。
 少女は菓子の注文にやってきたのだ。それもかなり大口の。――少女の父は大商人であり、店の名前は江戸に住む者であれば一度は聞いた事はあるだろうというもの。今度、商売上の集まりを開くので、それに出す茶受けを作ってほしいというのだ。
「しかし‥‥なぜところてんを希望する? それも100皿とは」
「お集まりいただく人数と、その方々にお連れ様がいた場合を考慮して、それくらいは揃えておきたいのです。ところてんなのは、ひとえに父の好物だからです」
 本当に目がなくて。お恥ずかしい話ですが。言いつつ、唇は笑みの形をとっていたが、漆黒の瞳はもはや笑ってなどいなかった。
「――前金で報酬の半分と、材料費をお渡ししましょう。おふたりだけで100皿は難しいと仰るのなら、人を雇うための費用もこちらがもたせていただきます」
「ずいぶんと太っ腹な事だな」
「大店として、できる事をするだけです。‥‥ただし、お引き受け頂いた時には、お客様に出しても恥ずかしくないものをお願いしますね。何人雇おうとかまいませんが、あなた方ご兄弟の作られたものとして世に出る事を、お忘れなきよう」
 女主人が眉根を寄せる隣で、栄一郎は少女と見詰め合っていた。否、腹の探り合いと評したほうがよいかもしれない。この年齢でこれだけ立ち回れるとは‥‥と、胸の内で冷や汗をかく。
「わかった。引き受けよう」
「あら‥‥いいのですか?」
「味を見込んで頼まれたのだ。断るわけにいかんだろう。予測していただろうに、不思議そうな顔をするのはやめてくれ」
 湯飲みを一気にあおった栄一郎に、少女はますます笑みを浮かべただけだった。

●今回の参加者

 ea1022 ラン・ウノハナ(15歳・♀・クレリック・シフール・イスパニア王国)
 ea1322 とれすいくす 虎真(28歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 ea4111 ミルフィーナ・ショコラータ(20歳・♀・バード・シフール・フランク王国)
 ea5171 桐沢 相馬(41歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 ea6337 ユリア・ミフィーラル(30歳・♀・バード・人間・ノルマン王国)
 ea7435 システィーナ・ヴィント(22歳・♀・神聖騎士・人間・神聖ローマ帝国)
 ea7553 操 群雷(58歳・♂・ファイター・ドワーフ・華仙教大国)
 eb0862 リノルディア・カインハーツ(20歳・♀・レンジャー・シフール・イギリス王国)
 eb0943 ミリフィヲ・ヰリァーヱス(28歳・♀・ファイター・人間・フランク王国)
 eb3467 紗夢 紅蘭(34歳・♀・武道家・人間・華仙教大国)

●サポート参加者

ミケイト・ニシーネ(ea0508)/ 巫覡 彌涼(eb0832)/ フォーレ・ネーヴ(eb2093)/ フェノセリア・ローアリノス(eb3338

●リプレイ本文

●始める前に
「性懲りもなくまた来やがったのか、てめぇ‥‥」
 冒険者達の中に桐沢相馬(ea5171)を見つけるや否や、勇二郎は食って掛かっていった。
「この前俺達兄弟にその口で言った台詞、忘れたとは言わさねぇぞ!」
「やめておけ、勇二郎。あれは彼の言った通りだったのだから」
 一瞬で沸騰した勇二郎を、栄一郎が慣れた様子で嗜める。そんなふたりを冷めた眼差しで観賞してから、相馬は独り言を呟いた。
「相も変らぬ腑抜けた兄弟よ‥‥」
「このっ」
「勇二郎!!」
 栄一郎の一喝。興奮冷めやらぬ様子の勇二郎も、仕方なく席に着いた。ただし相馬から最も離れた位置に。
「弟が見苦しいところをお見せした。後でよく言って聞かせておくので、この場は俺に免じて――」
「ああっ、そんなにかしこまらないでください〜」
 手をぶんぶん振るミルフィーナ・ショコラータ(ea4111)に、栄一郎は下げた頭をゆっくりと上げた。
 多くの人数が一度に座する事ができるようには作られていないこの店で、ミルフィーナを始めとしてラン・ウノハナ(ea1022)とリノルディア・カインハーツ(eb0862)は、シフールである事から自発的にふよふよと空中から話に参加している。
「すまない。では今回の依頼についてなのだが――」
「それについては、私達も案を考えてきました。今回はあくまでおふたりの味のところてんを作る事が目的ですから、各人の技量を考慮して、おふたりのサポートという形で班分けをします」
 リノルディアによると、栄一郎にラン、ミルフィーナ、相馬、リノルディアがつき、勇二郎にとれすいくす虎真(ea1322)、ユリア・ミフィーラル(ea6337)、システィーナ・ヴィント(ea7435)、ミリフィヲ・ヰリァーヱス(eb0943)がつく事にしたという。図らずも相馬と相馬に反発している勇二郎とは別々になっていたので、栄一郎は胸を撫で下ろした。
「しかし‥‥ところてん100皿とは、何と言いますか、少しばかり気持ち悪いですね」
 何とはなしに、虎真が思った事を述べる。資料としてか、皆が囲む席の中央には1皿のところてんが置かれている。それを元に、皆はつい、100皿分のところてんをひとつにまとめた状態を想像してしまった。透明で、ぐにょぐにょしていて、ぬるぬるで――
「‥‥あっ、あの突き器は使うのでしょうか、是非ともあれをやってみたいのです!」
 あさっての方向に視線を送るランの、逃避とも言える盛り上げ方で、他の全員もはっと我に返った。
「まず一回、作っている所見せてもらえるかな。それで手順覚えて、味見もさせてもらって、味を覚えるのがいいかなと思うんだ」
 我に返ったついでに、ミリフィヲが希望を出した。先に試食して材料や製法を当てた方が、料理人としては格好いいんだろうけどね、と続けたが、100皿も作らなければならないのだからそんな余裕も暇もない。
 料理人にとって自分の味というものは己の命にも等しい。故に使う材料や製法は秘されるものである場合がほとんどだが、今回はその料理人自身が発展途上という事もあり、口外しないという条件で明らかにする。そのように決めた事で、栄一郎は勇二郎を、そして己自身を納得させたのだ。
 よろしく頼むと兄弟が礼をして、冒険者達も礼を返した。命を預けようとする者と、預けられようとする者。双方が緊張した面持ちで臨む。
「作業に入る前に、何か質問等はあるだろうか」
「はいっ」
 一同を見渡した栄一郎の言葉に反応して、素早くシスティーナが挙手した。
「最初に、自腹でいいから、店の甘味食べていいかな?」
「‥‥ところてんではなくて、か」
「うんっ。ジャパンの甘味って、甘くて食感が面白くって全部珍しくて、美味しいのよね〜♪」
「‥‥」
 イギリスからやってきたシスティーナだが、どうも菓子に目がないようだ。ジャパンにやってきてからも食べ歩きの毎日を過ごしていた可能性がある。
「ぶはっ」
 幸せそうな表情をして、まだ見ぬ甘味に想いを馳せるシスティーナに、ついつい勇二郎がふき出した。
「いいぜ、俺が作ってやる!」
 言うなりさっさと調理場に消えていく。これだから職人は辞められないんだ、と。
 機嫌が直ったらしい弟を見て、栄一郎も安堵のため息を漏らした。

●ところてんという物
「これが材料となる天草だ」
 調理場の卓の上に、黄色っぽくて乾燥した海草が広げられた。海に潜って採集したものを何日もさらして作られる、さらし天草である。天草自体が海の深いところに生息している上に、その乾燥には手間暇がかかるため、少々高価な部類に入る。
 裕福でない庶民向けであるこの茶店では、通常ならばところてんは作らない。せいぜいが夏場にごく少量作るのみだ。材料が高価である故に、それを使って作るところてんもそれなりの値段にしなければ元がとれず、そしてそれは庶民が気軽に食べるにはためらってしまう値段だからだ。
「海の中に生えてる時は紅いらしいけどな。乾燥してる最中に色が抜けちゃうんだろうなぁ」
「はぁぁ‥‥なんだかすごいですね‥‥」
 勇二郎の言葉を聞いているのやらいないのやら、ランが天草をびろーんと広げ‥‥ようとしたのだが、小さな体では上手く広げられない。唇を突き出して考え込んだ後、結局、一部を握ったまま羽ばたいて宙に広げて見る事にした。
「これがあのところてんになるんですか?」
 材料の姿があまりにも、先ほど見たところてんの姿とはかけ離れているものだから、ランを手伝いながらミルフィーナが首を傾げる。
「どろどろになるまで煮て、煮汁を絞り、布巾でこせば出来上がりだ」
「なんだぁ、結構簡単なんだね」
「何をおっしゃる。何時間も火の側にいなければいけませんし、簡単だからこそ、材料の選び方から職人の腕が問われるというものです」
 至極端的な作り方を聞いて感想を述べたミリフィヲ。しかしいそいそと三角巾を頭に巻いている虎真からツッコミが飛んできた。
「ところで栄一郎さん。ところてんの味付けは関東風味の甘いのですかな? それとも関西風味のすっぱいのですかね? 私としては関西生まれですし、すっぱいのが良いんですが」
「そうだな‥‥特に指定は受けていないが、あそこは手広く商売しているから、呼ばれている客の中には江戸の外から来ている者もいるかもしれない」
「なるほど、地域によって味の好みが違うから、使うたれも変えたほうがいいかもしれないってことだね?」
 虎真と栄一郎はそのまま打ち合わせになだれ込む。するといつの間にかちゃっかりと試食を開始していたユリアが、椀を片手に、話に参加してきた。
「そういう事だ」
「じゃあいっその事、全部揃えちゃおうよ。やる事は増えちゃうけど、自分で好きな味を選べたほうがいいと思うんだ」
「‥‥となると、考えていたよりも多くの材料を揃えなくてはならないか。今日のところは作り方を覚えてもらって、明日は一日、市場を回ってみるか――」
「お金足ります? って、材料費はあちらのお店の方が全額払ってくれるんでしたっけ」
「遠慮する必要のない大店だ。ここぞとばかりにいい材料を使わせてもらうさ」
「あたしもついていっていいかな。ジャパン特有の物の選び方を知りたいし」
 細かい段取りがどんどん決定していく。3人はがっちりと手を組んだ。
「この店の命運がかかっている。よろしく頼むぞ」
「家事が巧いと言われとりますが、どこまで出来るか判りませんのでね。とにかく頑張りますよ」
「あたしも力の限りを尽くさせてもらうよ。和菓子はまだあんまり作った事がないから、まずは慣れる事からだけどね」
 互いの意気込みを確認し合う3人。
 その横では――
「1人分の天草ってどれくらいの量なのでしょうねぇ〜」
「これがたとえ10人分でも、10倍の量が必要なんですよね」
「10倍ですかっ? ‥‥ラン達シフールは、すっかり体が埋もれてしまいそうです♪」
 シフール三人娘が仲良く天草をいじくりまわしていたり、
「うわー、美味しいー!」
「当然だぜ、俺が作ったんだからなっ」
「これが和菓子かぁ‥‥料理覚えたのは欧州だし、こっちに来てから覚えたのは居酒屋さんの料理だしで、和菓子ってよく解らなかったんだよね」
 勇二郎作の甘味を囲んで、システィーナとミリフィヲが製作者から解説を受けていたり、
「――ごたくを並べている間に、さっさと始めればいいものを」
 店の隅で相馬が呆れていたりと、まずまずの盛り上がりを見せていた。

●あわただしくも
 それから数日間、調理場は熱気に包まれ続けた。なにしろかまどに火が入りっぱなしなのだ。
 四半日もかけてじっくりと天草を煮溶かした後、綺麗な布巾で三度ほどこす。煮る時に使う水や天草にはこだわり尽くし、思いつく限り数を揃えるたれには、父や師匠から教わった配分を自分流に昇華させる。
 根気と体力がものをいう作業の連続。額を伝う汗が滴り落ちないうちに袖口で拭うが、衣服にはじきに塩が浮き出てくる。
 女主人が自宅で作ってきた食事をわずかな合間に胃へと詰め込み、またかまどの前に立つ。卓では煮汁を搾り出す作業と木でできた型に流し込む作業とが行われ、店の外ではせっせと布巾を洗濯する者の姿も見受けられる。
「熱い鍋が通ります! どいてくださーい!」
 かまどの数は限られており、かまどの前に立つ人数も限られている。煮溶かすというきつい作業と、たれ作りという完成品の味を左右する作業を、兄弟と虎真、ユリア、ミリフィヲとで分担している。
「リノちゃん、お皿持ってきてくれ!」
「はいっ」
 どさくさにまぎれて勇二郎がリノルディアに愛称をつけて呼んでいるが、あまりにもめまぐるしいのでリノルディアは気づいていない。ちなみに女性全員に対してそんな態度だったのだが、いつもなら拳骨の一発でもくれている栄一郎にも、作業以外に手を使う余裕は無きに等しかった。
 そもそも栄一郎は、全体の味の監修もしなければならないのだ。
「どう?」
「‥‥完璧だ。俺の作る物と変わらない」
 ユリアの作ったたれをひと舐めして、栄一郎は目を丸くした。
「分量を教えてもらったからね」
「いや、それでもここまで同じにはならないだろう。すごいな、君の技術と舌は‥‥この調子で頼む」
「ありがとう。任せてもらったからには頑張るよ」
 たかがたれ、されどたれ。100皿に同じたれを使ったとしても足りる量を作るのはやはり厳しい。作っても作っても終わらない作業。
 置き場がないからと控えめに買ってきた材料は底をつきかけ、財布を預かったランが市場に向かった。
「大変です〜! ランさんが帰ってきません〜っ」
 半刻ほど経って、ミルフィーナが騒いだ。外見年齢としては最も幼いランを心配して、皆が一瞬手を止める。だが探しに行こうとした彼らをおさえて、相馬が名乗りを上げた。
「一度受けたのだろう? ソコに次はない、一期一会に二度はなし。‥‥果たせ」
 肩越しに振り返りながら店を出て行く。虎真も言っていたが、相馬も、ところてんとは単純すぎて難しいと考えていた。また一方で、全力さえだせればなんとかなる、とも。他の冒険者のように調理に秀でているわけではない自分、そんな自分はできる事をするだけだ。
「おっ‥‥重いですぅぅぅ‥‥」
 市場の入り口付近。買った物の入った袋を引きずって、ランは衆目を浴びていた。
 飛んでいけば楽だからと自ら買い出し隊になる事を志願したランだったが、非力な彼女では買った物の重量に耐え切れなかったのだ。どんなに羽ばたいても体は浮かず、歯を食いしばっているために顔は赤くなるばかり。
「貸せ」
「あっ、そ、相馬様!?」
 前回に引き続き憎まれ役を買って出た相馬は、二の足を踏みがちな栄一郎にはっぱをかける役割を暗に担っていた。その言葉は時に刺々しく、反感を買うものすらあった。しかしそれでも、ランの中ではしっかりと「いい人」に分類される事になった。

●職人
 さて‥‥と、礼儀正しい少女は疲労の色濃い皆を見渡した。
 集まりは既に終了し、客も帰った。会場だった広間では、せっせと片付けをしている頃だろう。ここは調理場――といっても、兄弟と女主人の茶店にあるせせこましい調理場ではない。少女の住まう大きな屋敷の広い調理場だ。
 卓の上には、数えやすいように5皿ずつ重ねられた器が、綺麗に整列している。5皿ずつの塔が20‥‥いや、ひとつだけ、2皿だけの塔がある。
「全部で97皿。たれに多様性を出したせいで作業が遅れたというところですか」
 塔からは少し離れた位置に重ねられている、たれの入っていた器を眺めてから、彼女は栄一郎と勇二郎に向き直った。
 兄弟の顔は見るからに強張っていた。器を並べ、突き器を用いている間にも、数が足りない事はわかっていた。けれど定められた納品時刻は目と鼻の先にまで迫っており、新たに作り足す事はできなかったのだ。
「確かに100皿には届かなかったよ。でも足りなかったのは3皿だけだし、第一こんなに余ってるじゃないか!」
「わかっていませんね。私が頼んだのは100皿なのです。引き受けた以上は、きっちりとこなしてもらいませんと」
 こらえきれずにミリフィヲが口を出すも、少女に一蹴されてしまう。
「まさか、途中で手を緩めたなどという事はありませんよね?」
「それは――」
 見透かされたような気がして、ミリフィヲはぎくりとした。おおよその数はシスティーナが数えていたのだが、そのシスティーナが「もう少しだよー!」と元気を搾り出したような声をあげた頃から、ミリフィヲは自分が料理を始めたきっかけを語り始め、他の者にもそれを尋ねていたのだ。
「まあいいでしょう。こちらが多めに頼みすぎたのですし、たれの多様性にはお客様方も大いに喜んでおられました。ところてんそのものも、父や私が満足できる出来でした。今回は痛みわけとしましょうか」
 残りの報酬がじゃらりと鳴る袋を、少女は栄一郎に手渡したが、栄一郎はその中から幾らか取り出すと少女の手に戻した。
「俺達に落ち度がある時点で、全額を受け取るわけにはいかない。かといって、この袋ごとつき返せるほど、うちの店の経済状況は良くはない」
「‥‥では、受け取っておきましょう」
 微笑んだ少女の瞳は、笑ってはいなかった。

 茶店に戻ってから、打ち上げと称してシスティーナがイギリス菓子を皆に振舞った。けれど誰の表情もいまひとつ冴えなかった。
 調理場には、教訓にと持ち帰ってきた、桶に半分ほどの残ったところてんが放置されていた。