【看板息子】山のようなところてん再び!?

■シリーズシナリオ


担当:言の羽

対応レベル:フリーlv

難易度:普通

成功報酬:0 G 62 C

参加人数:10人

サポート参加人数:8人

冒険期間:03月12日〜03月19日

リプレイ公開日:2006年03月20日

●オープニング

 ところてんを納品した次の日から、栄一郎と勇二郎は鬼気迫る様子で菓子作りに取り組んでいた。元来真面目な栄一郎はもとより、多少不真面目なところがある勇二郎まで。菓子作りに対して、今まで以上に、そして異常なまでに取り組むようになっていた。
 技術は日ごと上達していき、すっかり戻ってきた以前からの常連客は、口を揃えて絶賛した。今や兄弟の作る菓子は、亡き彼らの父のそれに匹敵すると。
 しかし――

「む‥‥」
 白髪のご隠居は、菓子を一口食べただけで茶を飲み、お代を置いた。
「お口に合いませんでしたか?」
「いや、うまい。うまいが‥‥何かが足りん。お前さんもわかっとるんじゃないかのぅ」
 何もかも見透かしたようなご隠居の言葉に、女主人も肩をすくめた。彼女は母として、息子達の胸の内を何とはなしに察していた。その息子達とて、自分でわかっているだろう。ただの逃避でしかないと。

 ◆

 店を閉めた後、調理場に座り、栄一郎が深く重く息を吐く。
 そろそろ冬が終わり春が訪れる。季節感を感じる事が菓子のひとつの楽しみ方であるが故に、季節ごとに新作を出すのが職人としての腕の見せ所であり、勿論、客も楽しみにしているのだが――
「‥‥駄目だ」
 卓の上に広がっているのは数々の試作品だ。どれも申し分のない味をしている。ただ、何かが足りない。口に入れただけで心躍るような何かが。
 瞼を閉じれば浮かんでくるのは幼き日の記憶。広い背中の父。その父が出してくれた、見るからに美味しそうでわくわくする菓子。自然と頬がほころぶ、ちょうどよい甘み‥‥
 あんな風になりたいのに。
 否。あの背中を越えたいのに。
「‥‥っ!」
 がんっ!!
 拳を卓に叩きつける。皮膚から骨へ、そして全身へ、衝撃が伝わる。だが目尻に滲むものの理由は、その衝撃だけではあるまい。
「なぁ兄貴、明日の仕込みの事だけど‥‥」
 勇二郎が暖簾を掻き分け、調理場に入ってきたのでするりと背を向ける。
 兄の不自然な様子は勇二郎にも伝わったが、自分もここ数日同じような行動をとっているので、それについてはあえて何も言わない。母から借りてきた帳簿を見せようと、すたすた歩いて近寄っていく。
「んがぁっ!!!」
 こけた。足元不注意もはなはだしい。
「いてててて‥‥何だ? 何にぶつかったんだ?」
 ちゃんと片付けておけよと言う兄に生返事を送りつけてから、勇二郎は改めて自分の足元を見た。そこにはひとつの桶が転がっていた。先日引き取ってきた、残り物のところてんを入れていた桶だ。
 けれども本来ならば床に散らばるはずのところてんは、なぜかまったくこぼれていない。不思議に思った勇二郎が桶の中をまじまじと眺めて、次に手を入れる。
「兄貴兄貴! これ、なんだか凄いぜっ!?」
「騒々しいぞ、一体どうした」
 勇二郎のあまりの騒ぎように、栄一郎の涙も引っ込んだ。弟の隣で片膝をつき、弟と同じように桶を覗き込む。するとそこでは、ところてんだったはずのものからはなぜかすっかりと水分が抜けて、干物のようになっているではないか。
 兄弟は首を傾げつつ、とりあえず、その干からびたところてんを水にさらしてみた。試しにひとつまみ、口の中に放り込んでみる。
「何だこれは!?」
「すげぇっ、ところてんがところてんじゃなくなってる!!」
 勇二郎はもう一口、あと一口と、止まる事を知らないかのようにその物体を飲み込んでいく。
 新しい玩具を手に入れた子供のようにはしゃいでいる勇二郎を前にして、栄一郎は暫し考え込んだ。――水分が抜けたのは凍ったからで、先ほどの水につける直前の状態ならばおそらく保存がきくに違いない。それでいて、凍らせる前よりも後のほうが美味しいとなれば――
「勇二郎」
「なんだよ、兄貴」
「もう一度、ところてん100皿を作る気はあるか」
「は?」
「作る気はあるかと聞いている」
 勇二郎は話の流れを理解できなかった。兄の真意を探るように兄と視線を合わせ、正面から見詰め合う。
 揺るぎない瞳。勇二郎が拒否したとしても、栄一郎はひとりで成し遂げようとするだろう。
「へいへい、手伝えばいいんだろ。手伝えば」
「ああ、そうだ。助かる」
 桶を卓に乗せながら、栄一郎は微笑んだ。しゃあねぇなぁ‥‥と勇二郎も苦笑した。
 春はもうすぐ隣にいる。ところてんを凍らせるには、急がなければならない。



「でもさ、やっぱりふたりで100皿は無謀だと思うんだ」
「‥‥‥‥」
 こうしてまたひとつ、新たな依頼が張り出される事になった。

●今回の参加者

 ea1022 ラン・ウノハナ(15歳・♀・クレリック・シフール・イスパニア王国)
 ea4111 ミルフィーナ・ショコラータ(20歳・♀・バード・シフール・フランク王国)
 ea5171 桐沢 相馬(41歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 ea6195 南天 桃(29歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 ea6337 ユリア・ミフィーラル(30歳・♀・バード・人間・ノルマン王国)
 ea7435 システィーナ・ヴィント(22歳・♀・神聖騎士・人間・神聖ローマ帝国)
 eb0862 リノルディア・カインハーツ(20歳・♀・レンジャー・シフール・イギリス王国)
 eb0943 ミリフィヲ・ヰリァーヱス(28歳・♀・ファイター・人間・フランク王国)
 eb3367 酒井 貴次(22歳・♂・陰陽師・人間・ジャパン)
 eb3467 紗夢 紅蘭(34歳・♀・武道家・人間・華仙教大国)

●サポート参加者

鷹見 仁(ea0204)/ ミケイト・ニシーネ(ea0508)/ バルバロッサ・シュタインベルグ(ea4857)/ 片柳 理亜(ea6894)/ クライドル・アシュレーン(ea8209)/ 柳 花蓮(eb0084)/ アウレリア・リュジィス(eb0573)/ 御多々良 岩鉄斎(eb4598

●リプレイ本文

●以前からのものと前回からのもの
 どしゃり、とその皮袋は重そうな音を立てた。
「100G入っている」
 涼しい顔で言ってのけたのは桐沢相馬(ea5171)である。今回の依頼遂行のための費用にと、自らの財布から最高100Gまで提供するというのだから豪気なものだ。それだけあれば人ひとりが何ヶ月暮らせるか。
「俺の試算では、十分に元が取れるはずだ」
「‥‥どんな試算だよ。あのな、俺達が貧乏人だからって甘く見んな。そんな大金をはいそうですかって受け取るほど落ちぶれちゃいねえんだよ。第一、そんなにいるかってんだ」
 皮袋を持ち上げたのは、今回の依頼人である兄弟のうちのひとり、弟の勇二郎。相馬と会うのはこれで三度目だが、どうにも馬が合わないらしく、毎度毎度衝突している。しかも主に勇二郎のほうから。
 勇二郎は皮袋を相馬の鼻先に突きつけた。しかし相馬は微動だにしない‥‥いや、鼻を鳴らした。それを見て一気に沸騰した勇二郎はまさに殴りかからんばかりの勢いで掴みかかろうとした。けれどそんなふたりの間に飛び込んだ小さな影、ラン・ウノハナ(ea1022)。
「暴力はいけませんわ、勇二郎様!」
「うぐ‥‥」
 愛らしく羽ばたく女の子を押しのけるなど勇二郎にはできやしない。引き下がって店の隅でうなだれて終いだ。
 代わりに、兄の栄一郎が相馬に話しかけた。
「弟はああ言ったが、金がほしいのは事実。一方で、さすがに100Gも必要ないというのも事実だ、あの少女から受け取った金も残っている。‥‥すまないが、入用の分だけ用立ててもらえるだろうか」
「ランも協力いたしますわ。あまり多くは出せませんけれど」
「ボクもカンパするよ!」
 頷いた相馬に、ランとミリフィヲ・ヰリァーヱス(eb0943)も進言した。ただ、ミリフィヲは栄一郎に前回と今回の報酬はいらないとまで言い出した。‥‥あっさりと断られてしまったが。
「前回の報酬は俺達が出したのではないし、今回も正当な報酬である以上受け取るべきだ。対価を得て次に生かす、それが職人だと俺は思っている」
 それに前回の事はミリフィヲだけの落ち度ではないからな、とも。

●作業開始
 店の外、というよりも裏口なのだが、そこには小屋としか言いようのない小屋が建っている。店で出す菓子の材料を保存しておくための場所だ。今回はこの小屋を、ところてんを凍らせるための場所――氷室にする事となった。
 まず、ランとミルフィーナ・ショコラータ(ea4111)、リノルディア・カインハーツ(eb0862)のシフール三人娘と財布役の相馬、荷物持ちのシスティーナ・ヴィント(ea7435)と彼女の愛馬が買出しに出かけた。大人数だがそれなりの量を購入するのだから仕方がない。友人達の協力もあり、山のような天草と桶や棚の材料を買って帰ってきた。
 木工の得意なミケイト・ニシーネが手伝ってくれたので作業はさくさく進んだ。元々棚が作りつけてあった壁へ更に棚を増やし、ところてんを入れるための桶も作った。
「まずはこの小屋を氷室にしてしまいましょう」
 酒井貴次(eb3367)の言葉を受けて、柳花蓮がミルフィーナから借りたスクロールを広げた。発動したのはフリーズフィールド。初級の物なので一度で小屋全体を覆う事は惜しくもできないのだが、繰り返し唱えれば済む話だ。

 同じ頃、調理場では戦いが始まっていた。小屋とは真逆に熱気で包まれ、体力の必要な鍋とのにらめっこは兄弟とユリア・ミフィーラル(ea6337)、ミリフィヲ、紗夢紅蘭(eb3467)が交代で受け持っている。各自の高度な技術が無駄のない作業を生み、行程を分担した事も功を奏し、煮溶かされた元天草が布巾でこされ、どんどん桶に溜まっていく。
「前回はアタシの不手際で手伝えなかったネ。その分、今回は全力でやらせてもらうヨ。‥‥普段手を抜いているわけじゃないケドネ?」
 そう言いながら布巾を絞る紅蘭。彼女の横では黙々とミリフィヲが同じ作業をこなしている。
(「完璧を目指す事を止めたら負け、そうだよね‥‥当たり前のことだよね‥‥。前回みたいな事の無い様に、限界を超えてでもやり遂げてみせる!!」)
 鬼気迫る気迫を漂わせ、まさか布巾を引き千切るつもりではないのかと見る者に思わせるほどに、ミリフィヲは全身全霊を込めていた。今まさに煮溶かした元天草を持ってきた勇二郎は、鍋を卓に置くなり、彼女の腕を掴んだ。
「な、何!?」
「夜に見張りするって言ってたよな。――兄貴、俺達が一番手になるから、先に寝かせてもらうぜ」
「わかった」
「えっ、ちょ‥‥」
 阿吽の呼吸とでも表現すればよいだろうか。栄一郎は勇二郎の意図を的確に把握しているらしく、理由も尋ねなければ制止もしなかった。
 ミリフィヲは勇二郎に連れられて調理場から客席へ出る。さすがにちゃんとした布団はないが、と用意済みだった毛布を運んでくる勇二郎が、ミリフィヲには信じられなかった。前回は気を抜いたために目標を達成できなかったというのに、一体何を考えているのかと。
「あのな、無理して体壊したら元も子もねぇんだよ。職人てのは体が資本なんだ、体調が悪けりゃいい味は出せねぇ。そこんとこ覚えとけ。‥‥ったく、気を緩めないってのと限界超えるってのは違うんだっつの」
 ぶつぶつ言いながら、勇二郎は自分の肩に毛布をかけて、卓へ突っ伏した。
 調理場に戻ったところで栄一郎が、作業する事を許してはくれないだろう。ミリフィヲも観念して、仮眠を取り始めるのだった。

 幾つかの桶が埋まった頃から、シフール三人娘が協力して、その桶を氷室となった小屋へ運び込んでいた。
「三人寄れば文殊の知恵って、用法違いましたっけ?」
 リノルディアが羽をパタパタ震わせながら他の二人に尋ねた。
「それはジャパンのことわざですね〜? ひとりでは無理でも‥‥という意味だったでしょうか〜」
 ジャパンに来てからまだ日の浅いミルには、その地の生活に根ざすことわざの意味が完全にはわからない。
「確か、三人集まればいい考えが浮かぶという意味だったと思いますわ」
 にっこり笑って説明するランを、リノルディアとミルがじっと見つめた。なぜかというと、ランがまるごとウサギさんを身に纏っていたからである。本人は氷室に入るにあたって、至極真面目に防寒具としての機能を重視して選択したのだが、幼い彼女と着ぐるみの組み合わせはそんな事情などあって無きが如し。
 リノルディアもミルも、笑顔のウサギさんを眺めて、なんだか幸せな気持ちに包まれた。
「あ、第一陣が来ましたね」
「ようやくお役に立てます〜」
 氷室の前では貴次と南天桃(ea6195)が待っていた。三人娘が運んできた樽を室内に置くと、桃が呪文の詠唱を始める。ちなみに桃の足元には洗濯用のたらいがあり、水が張られており、借り物の鈍器を準備した貴次がスタンバイしている。
「凍るとプルプルしたのがなくなるんでしょうか?」
「凍らせる事で全く違う食べ物になるなんて‥‥料理って奥が深いですよね」
「一体どんな風になるのか、どきどきしますわね♪」
 三人に見守られて、魔法は発動する。淡い水色の光が桃を包み込んだ。
「クーリング!!」
 発動と同時に、桃の手が冷たい空気と霧に包まれた。そしてすぐさまその手はたらいの水をすっかり凍らせてしまった。分厚く大きな氷の出来上がりだ。
 仮に真冬でもこの地域ではまず見ないような、そんな氷に、貴次は躊躇いなく手に持つ鈍器を振り下ろす。ガキン、と耳障りな音がして、氷に亀裂が生じた。――生じたが、貴次の指もそれに巻き込まれて大変な事になっていた。
「いいいい痛っ、痛いですよぉ、これはぁぁっ‥‥」
 自分にできる事を手伝おうという、その心意気はよかった。だが不慣れな動きは余計な動きを生んで、自分の指まで氷と一緒に叩いてしまったというわけだ。かわいそうに、指は赤くぷっくりと腫れ上がり、本来の太さの1.5倍程度にまでなってしまっている。
 一瞬の出来事に思わず呆けてしまった周囲も、貴次の悲鳴で我に返る。あたふたしながらランがリカバーを唱え、二度目で発動に成功し、ようやく貴次の指の太さは元に戻った。

 ところてんは作られるそばから氷室に運ばれ、クーリングで作成された氷で冷やされながら凍らされた。アイスコフィンという案も出されたが、それでは氷に閉じ込められるだけで中の物が凍るわけではないので、残念ながら却下された。

●幕間
 また別の日の事。
「様子はどうかな?」
「ああ、ユリアさん〜」
 氷室にところてん入りの桶を運んできたユリアは桃の笑顔に笑顔を返した。伴い、ぴょこんと頭頂から突き出ているふたつの毛束が揺れる。
 と、桃が何かに気づく。ユリアの右手には桶がぶら下がっていたが、左手には見慣れない籠がぶら下がっていた。
「これ? さっきの休憩時間中にちょっと作ってみたんだけど‥‥」
 視線に気づいたユリアが籠から布巾をどけると、現れたのは竹串に刺さった団子、実に基本的な団子の姿だった。
「ジャパンでは日常的に食べられてるお菓子なんだってね。差し入れにって思って、あの兄弟のお母さんから作り方教わって、自宅のかまどまで借りちゃったんだ」
「ということは〜‥‥初めて作ったという事ですか〜?」
「そうなるね。よければ食べてもらえるかな、感想を聞かせてほしいんだ」
 ジャパン生まれの桃。勿論団子を食べた経験もある。その桃が、異国からやってきたユリアの初作成団子にどんな判定を下すのか。――いや、言葉は無用だった。蕩けるような桃の表情が全てを物語っていた。
「ちょうどよかったみたいですねー。こちらもどうぞ〜」
 盆に湯飲みを乗せた三人娘が飛んでくる。湯飲みの中で湯気を立てているのは、ミルがこれまた初めて作ってみた生姜湯だ。
 団子の甘味で疲れを取り、生姜湯で体を温めるうちに、氷室から貴次がひょっこり顔を出し、リノルディアにスクロール要員としての役目を交代した。

 昼食はおにぎりだった。綺麗に整った三角形のおにぎりと、今にも崩れそうなぼろぼろのおにぎり。作成者は兄弟の母親である女主人とシスティーナであり、どちらがどちらを作ったのかは見ればわかった。
「単純なものほど難しい‥‥ところてんもそうだけど、このおにぎりも‥‥。見て、手がこんなに赤くなっちゃったんだよー!?」
 炊き上がったばかりの熱い飯を素手で握るのにはちょっとしたコツがいるのだ。

●結果は‥‥
 氷室の棚と床を埋め尽くした桶。
 桶にぎっしりと詰め込まれた氷とところてん。
 二度目だからか。そしてたれを作る必要がなかったからでもあるか。ところてん100皿分は、依頼期間最後となる前日にすべて作り終わった。残る作業は氷が溶けるのを待つ事のみ。
 
 しかし、というか何と言うか。ユリアを筆頭として、料理人達の好奇心と向上心は留まるところを知らなかった。
「新しい食べ物となると、味付けとかもある程度は新しいのを試してみると意外な発見があるかも、だしね」
 先日作ったたれをベースにアレンジをくわえたり、まったく異なる線から新たなたれを模索してみたり。菓子専門の職人として長年辛い修行を受けてきた栄一郎が唸るような新作を次々作り出していく。
「水じゃなくて他の物につけて戻せば一緒に固まったりする‥‥のかな?」
「他の物とは?」
「‥‥お茶、とかどうかなって思うんだけど」
「ふむ‥‥」
 当然、明らかな失敗もあった。だが新鮮な視点がいくつもの発見を連れてきてくれた。
 基本に忠実で、頑なだった栄一郎の菓子も、次第に柔和な物になっていった。

 ひとり氷室の見張りをかってでた勇二郎のところへ、相馬がやってきた。
 一方的に相馬を毛嫌いしている節のある勇二郎は無視を決め込んだが、相馬には、そんなつもりははなからないようだった。
「独りで上を行かれて悔しいか?」
 片眉を上げて言った相馬に、勇二郎は一言怒鳴りつけてやろうかと思った。けれどできなかった。
「ならお前も行けば良い。考えはあるのだろう?」
「‥‥ねぇよ」
 振り上げかけた拳を、爪が食い込むほどに握り締めて堪える。暴力はダメだと、言われたから。
「ないのか?」
「あったらとっくに行動にうつしてるさ。俺はそんな我慢できる性分じゃないんでね」
「はっ‥‥今、してるだろう? 我慢なら」
「てめぇが言うなよ。笑っちまうだろうが」
 拳を見つめる。一旦開き、また握り締める。今度は己の決意を確固たるものにするために。
「考えはない。だから行動するのみだ」
 ――未熟な自分の尻を叩くために、か?
 そんな風につい考えてしまった相馬は、ふっと自嘲らしき笑みを零した。