【大逆の咎人】 時の砂
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■シリーズシナリオ
担当:紅白達磨
対応レベル:8〜14lv
難易度:普通
成功報酬:4 G 15 C
参加人数:7人
サポート参加人数:-人
冒険期間:03月17日〜03月22日
リプレイ公開日:2009年03月26日
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●オープニング
「‥‥随分集まったな」
何ヶ月ぶりだろうか。西方地域に与えられた自分の領地。戦線から帰還したベルトラーゼは数日の休息を取った後、養父アルドバに従って兵舎を訪れていた。
「スコット領はメイの中でも一番の激戦地。バの侵攻とカオスの地に隣接した、いわば前線の砦ですからな」
「それも若のご名声があってのこと。カオスの勢力が伸張する今、多くの者たちが意味ある戦いを求めているということでしょう」
広場に集まった者たちの数、凡そ500。ベルトラーゼの名声を慕い、各地から集結した義勇兵たちだった。
「いやはや、長年指揮を執ってきましたが、これほど部隊の編成に苦労したのは初めてのことです」
太った身体は相変わらずだが、心なしか頬がこけたように見える。気のせいかもしれないが。
以前から徐々に集まり始めていたのだが、集まった者たちは兵種も種族もばらばらの雑多の兵。目を走らせれば、あちこちに色んな種族を見ることができた。人間はもちろん、エルフ、ドワーフ、何とシフールの姿まである。
「ほとんどが傭兵や冒険者として各地を転々としていた連中ばかりでして、統率には結構な苦労がありそうです」
一通りの挨拶を済ませてから、ベルトラーゼは二人を伴い屋敷へと戻った。
使用人の長であるルチルの歓迎を受けつつ、使い慣れない私室に腰を下ろせば、どっと体中から何が噴き出してきた。
「若様、お体を休めることも騎士としての大切な役目にございます」
「‥‥ありがとう、ルチル」
差し出されたハーブティーの香りが身体の中に染み渡る。数ヶ月もの戦場では決して味わえない、安らぎ。
「編成の方は完了しているのか?」
「伊達にあちこちを回っていただけあって実力は申し分ないのですが、何分癖の強いもの多く、未だ完全とは申し上げられません」
縮こまったアルドバの代わりに告げたのは無縁のはずのルチル。
「冒険者が集まっているということは、すでにパーティーを組んでいるものもいるのか?」
「大部分がそのようであると存じます。その数80ほど」
さも当然に答えたルチルに、ベルトラーゼは一考。
「なら話は早い。騎士たちは騎馬隊に組み込み、それ以外の者たちはそのまま小隊として登録させておこう」
「小隊として、ですか?」
言いよどむのは、一応編成役のアルドバ。
「すでに独自の小隊が形成されているなら、それを下手に壊すのは逆効果だろう。カルマを撃破した冒険者たちの例もあるからね」
亡父レオニ・ベクの『暁の鷹』は種族こそ雑多なれど騎馬隊として編成されていた。それを模倣したのが『鷹の氏族』だったが、これまでに何度も冒険者たちの活躍を肌で感じてきたベルトラーゼはその枠を取り払ったのだ。軍というより、これはいわば冒険者の集団といえる。
「極地戦で真価を発揮する部隊、ですか」
「しかしそれでは戦で役に立ちません。クシャル・ゲリボル率いる黒き鷲のような大規模な部隊に太刀打ちできませんぞ」
「いいんだよ。それで」
完全なる統率がない集団。それは絶対的に人間同士の戦争には向かない。だが、それでもベルトラーゼは構わなかった。その目に映った敵はすでに人間ではなかったからだ。
断言する主君の姿に、養親の表情が険しくなった。思い出されるのは以前の軍議の折、親密な言葉を交わしていたクシャルとベルトラーゼの姿。
「‥‥若の意思に反することかもしれませんが、敢えて申し上げます。クシャル・ゲリボルという者は‥‥」
「オクシアナ以北への侵攻の機会を窺っている。ちゃんと理解しているよ」
苦言を口にした養母にも、ベルトラーゼの口調は優しかった。
「あの人から野心は感じられなかった。あったのはスコット領を征服しなければならないという強い義務感。アスタリアの信仰竜とカオスの地の瘴気、バの侵攻、カオス信仰者の一揆。これらの対応に追われるスコット領は確実に疲弊していく。それをあの将軍が見逃すはずがない。全ての問題が消化され次第、間違いなく攻めてくるだろうね」
「他人事のように仰いますな!」
「そうでございます! ならば、こちらから仕掛けて先手を取るのが最良!」
「‥‥若様はどうするおつもりなのですか?」
「クシャル将軍と本当の意味で停戦条約を結び、その上でカオスの勢力に対する共同戦線を張りたいと思っている」
再び断言したのはベルトラーゼ。養親は声が出なかった。まさに開いた口が塞がらない。
「なぜクシャル将軍がスコット領を攻めてきているのか、それがわかれば手を結ぶことが出来る。上手くいけば、バ本国との休戦条約締結に発展させることが出来るかもしれない」
口の次に大きく開いたのは目。バ本国との交渉など、おそらくあのマリク・コランすら思いもよらなかったことだろう。
「アルドバ、クシャル将軍が侵攻する理由は何だと思う?」
「そ、それはその‥‥バの国王の命令に従っているのではないのですかな?」
「スコット領はカオスの地を監視することを目的として作られた独立領。歴史浅いとはいえ、バと隣接することもあってメイの中でも屈指の戦力を有する場所だ。陸続きである利点があるにしろ、そんなところに正面から攻めてくるなんておかしいとは思わないか?」
メイとバの戦争が始まってもう随分になる。あちこちでバ軍襲来の報が聞こえてくるものの、そのほとんどは手薄なところを狙ったものだ。
「私はもうこの戦をバとメイのものとは思っていない。思ってはいけないんだ。フェルナンデスがカオスの魔物との契約者であったように、この戦自体がカオスの勢力によって引き起こされたもの。戦争が激化すれば、その騒乱に紛れてやつらは勢いを強めていく。瘴気が良い例だろう」
「で、ですが若。クシャル軍は確かに我が領土を犯しているのです。それを討つは騎士として当然のことでございます。それに若が戦を嫌おうとも、あちらにその気がなければ‥‥」
「いや。クシャル将軍にもおそらく、これ以上戦を激化させる意思はない」
「ちょ、ちょっと待ってくだされ。少々混乱してまいりました」
アルドバより知恵があるはずのルシーナが頭を抱えた。
「若は先ほど、クシャルには以北に攻め入る意思有りと申したばかりではありませんか」
「それが問題なんだ。クシャル将軍の本心は以北への侵攻を望んでいない。だが、それでも侵攻しなければならない理由があるんだろう」
「そ、それは?」
「それがわかれば、とうの昔に停戦を申し出ているよ」
世界征服こそがバの目的。だがあの将軍は違った。メイの騎士が祖国を思うように、あの将軍も自分の愛する国を守るために戦っている。望まない戦争を強いられているのはメイの人々だけでないのだと、ベルトラーゼは強く確信していた。
「ルシーナが言うように理想だけに邁進するつもりはないよ。クシャル軍との決戦を視野に入れた上で動く必要がある。‥‥でも叶うなら、もうこれ以上無益な戦を続けたくはないんだ」
ゆっくりと立ち上がれば、幾分身体が軽くなっている気がした。クシャル将軍と会えたことは不幸であり幸運であった。敵国の騎士として会わなければ、信頼できる友となっていただろう。同時に同じ志を秘めた人物とこうして出会えたことは戦争の回避を可能とするかもしれない。
場所は南方陣地。
機会は一度のみ。
真の停戦を結ぶための鍵を手に入れる。
それがこの国を救うための、大きな一歩につながるはずだから。
●今回の参加者
ea0167 巴 渓(31歳・♀・武道家・人間・華仙教大国)
ea0827 シャルグ・ザーン(52歳・♂・ナイト・ジャイアント・イギリス王国)
ea7482 ファング・ダイモス(36歳・♂・ナイト・ジャイアント・ビザンチン帝国)
eb3776 クロック・ランベリー(42歳・♂・ナイト・人間・イギリス王国)
eb4077 伊藤 登志樹(32歳・♂・天界人・人間・天界(地球))
eb8475 フィオレンティナ・ロンロン(29歳・♀・鎧騎士・人間・メイの国)
eb9949 導 蛍石(29歳・♂・陰陽師・ハーフエルフ・華仙教大国)
●リプレイ本文
●陣入り
クシャルの陣地に入ったのは数刻前。
使者として参ったマリクの護衛を行いつつ、冒険者たちはそれぞれに行動を開始していた。
すでに巴渓(ea0167)の姿はない。ロットンのところへ向かった後だ。性格的に近いものを感じることが理由であるが、末端であるこの人物から重要な情報が得られるとは考えていない。メイの冒険者やスコット領の戦、カオスの勢力に対する考えを見るのが目的に過ぎなかった。
ベルトラーゼから真の和平を結びたいという旨を伝えられた冒険者たちだが、戸惑いを隠せなかったことは確実だったであろう。クシャル軍と和平を結ぶに対してではなく、交渉を行うことにである。ろくな交渉材料が用意できない現状では情報収集が限界である。そう考えた冒険者たちは交渉というよりも、情報収集に当たろうと考えた。そしてそれは正解であった。敵の陣営にはアルカナを初め口が堅いだろうと思われる者たちばかりであり、情報収集をこなすのにもそれ相応の打ち合わせが必要になる。敵陣地での行動でもあるので、どう動くかを事前にかつ念入りに考えておく必要があった。
二班三名ずつでマリクの護衛に付くことになっていたが、正直なところ打ち合わせがあやふやであった。依頼期間の前半に四人、後半に三人というのが正確なものであろうか? それを傍から見ていたマリクは不安なことこの上なかったし、打ち合わせ通り行動すると述べられても困ってしまうというのが記録する側の正直な感想である。
「怪しい動きはございませんか?」
「今のところはな。この先どうなるかはわかんねぇが、まあ大丈夫じゃねえか?」
クロック・ランベリー(eb3776)、伊藤登志樹(eb4077)が天幕から周辺を警戒する。インフラビジョンを発動させた伊藤があちこちに目を走らせるが、暗殺者などの姿も確認できない。
バの陣地に来た当初は物々しい雰囲気に警戒の目を強めざるを得なかった二人だが、徐々にその気も収まっていった。到着したのが夕刻近かったことや長旅を終えてきたことを配慮して、協定がなされるのは明日ということになった。冒険者たちが動くための時間を確保するために、ベルトラーゼが提案したのだった。
●戦う理由
「ロットンさんはクシャル将軍の事が好きなの?」
「そら好きさ。あれくらいの美人はそうはいないさぁね」
「そういうことじゃなくて‥‥」
「かかかっ、わかっとるよ。お嬢ちゃんはもう少し冗談ってもんを理解するべきだなぁ」
元は敵同士と思えないほど軽快な空気が流れていた。天幕の中ではなく、その外。丸太の椅子に腰掛けたロットンの隣に座るのは、フィオレンティナ・ロンロン(eb8475)。お嬢ちゃんと呼ばれて思わず苦笑い。なんたってもう22歳、十やそこらの子供ならともかく、さすがにこの子供扱いは抵抗があるものだ。
彼女がロットンのところに来たのはこの男が一番「本音」で動いてそうだ、というのが理由である。
「おい、おっさん、あんまりなめんじゃねぇぞ。俺たちは‥‥」
「メイの冒険者たちじゃろ。そうでなくてもお主らの話はよく聞いておるよ。国中で困っておる人たちを助ける正義の味方、じゃったかな?」
何とも豪快な説明だが、巴にはシンプルだからこそ共感が持てた。にかっと浮かべたロットンの笑みは自分と同じような感覚を覚えるには十分だった。
「何だ、結構話せるじゃねぇかよ。ぶっちゃけて言えば、俺たちはあんたらと戦う気はねえ。カオスに与するものたちとカオスのやつらが敵だ。あんたらとは手を組みたいと思ってる。いっちょ腹をわって話さねえか?」
「かっかかかっ、随分と豪快な姉ちゃんじゃな。お主みたいな変わり者は久しぶりじゃわい」
おうっと腹を立てるどころか応じる巴。それを見てロットンも一際大きい笑い声を上げた。
「わしが知っとることなど、ほとんどないぞ。わしゃあ所詮雇われ組じゃからなぁ。ろくに情報が降りてこん」
「まぁ、その辺は予想通りだ。問題はそこじゃねぇ。俺たちと手を組む気があるかってことだ!」
「私も聞きたいよ。騎士が将軍に従うのは分かるよ。けど傭兵たちがクシャルに従う理由を知りたいの。ロットンさんだって傭兵でしょ。どうして戦ってるの? 報酬目当て? ただ戦いたいから?」
会って間もないが、ロットンという人物に対してフィオレンティナは確かな好印象を受けた。粗暴な外見に隠されたロットンの本質は、信じるに値するものだと騎士として何かが伝えてくる。誰にでも本音を出していそうな振る舞いとは真逆で、この人物は心の奥を簡単に見せない。だが本当に納得する理由がなければ動かない。そんな人物だと感じた。
「傭兵はお金を貰えば働くのが仕事じゃろ?」
「それはそうだけど‥‥」
明らかに嘘を言っていることがわかった。その証拠に、ロットンはまるで逃げるように立ち上がった。
「ワタシ達、一緒に戦えると思う?」
遠のいていく背中にフィオレンティナの言葉。
振り向いたのは、ほんの一二秒。
「お嬢ちゃんたちがあの若造の側におるのと、多分同じ理由じゃよ」
「‥‥?」
「わしがクシャルのところにおるのは」
それからロットン・ライドンはまた会おうという言葉だけを告げて陣の奥へと消えてしまった。
●戦外の駆け引き
天幕の中で杯が交わされていた。手に持つのはシャルグ・ザーン(ea0827)と元『血飛沫の鋼鎧』の副将であるユリパルス・オールド。
互いに寡黙な男たちだ。会話は微々たるものであるが、互いに同じ『におい』を感じ取ったのだろう。最初は沈黙ばかりだった空間も徐々に言葉で満たされていく。
会話の内容は雑談からカオスの魔物たちに関するものへ移行していく。当然シャルグが情報を聞き出すために行っていることだが、ユリパルスもそれに気づきながらも口を閉ざそうとはしなかった。それは裏切りの将と呼ばれる男がシャルグという男に一定の信頼を置いたからに他ならない。そしてシャルグも同様であった。
「‥‥フェルナンデス卿も嘗ては紛う事なきバの将であった。国と民を憂い、バの騎士としての誇りを持つ一角の武人。多くの若者たちがあの方を慕っていた。‥‥そして、私も」
「‥‥いつからであるか?」
「わからぬ。気づいていれば、もっと早くに止められたのかもしれぬが、最早既に遅し。あの方だけではない。バの中枢に潜り込んだカオスのものどもは数知れぬ。多くの者たちがフェルナンデス卿やドスロワのように、闇に魅入られている」
ぐっと酒を煽ったユリパルスの顔は上気こそしているものの、正気を保っているように見受けられた。この男は酔いに任せてではなく、自らの意思でバの内情を伝えていた。理由こそわからないが、それを遮る必要もないのでシャルグはじっと耳を傾けていく。
「なればこそ、私は将軍に力を貸した。裏切りものとして蔑まされようと混沌のものどもに我が祖国を蹂躙されていく様を黙ってみていることなどできぬ。やつらを国から駆逐できるならば、私はどんな汚名も負って見せよう」
「クシャル将軍の目的はバ内部に潜むカオスの勢力の排除、か」
返答はないが、静かに交わされた視線は肯定の意を示していた。
満を持して、シャルグは杯を置いた。
「我が輩たちはクシャル将軍同様、カオスの勢力をメイから駆逐することを目的としている。カオスは我が輩たちの共通の敵である。やつらの暴挙をこれ以上許すわけにはいかぬと思うが、いかがか?」
シャルグが問いかけた頃、バの中央に設けられた天幕でも似たような会話が交わされていた。
「カオスの暗躍は人の誇りや思いを捻じ曲げます。カオスの干渉を退ける事はメイとバの国益に繋がり土地と民を生かす事に繋がると思います。その最初の一歩として、カオスの地の古の森の調査の継続や、カオスの地の瘴気の排除の為に、国境線の『隔ての門』での作戦の黙認か、協力をお願いします」
クシャルにそう進言したのは他でもないファング・ダイモス(ea7482)。ユリパルスの取次ぎを受けて面会に成功した彼は、将軍にカオスの地に関する提案を行っていた。
「そう遠くない将来、スコット領で非常事態が生じるでしょう。それは今のベイレルらでは対応できないからバの国が対応するしかなく、そして『人同士が争っている場合ではない程』巨大なカオス絡みの事態。ベルトラーゼ達『鷹の氏族』は対カオス戦のため構成された部隊で『国の軍』とは異なります。カオスと立ち向かうのであれば彼らと手を携え共に立ち向かう事を御一考頂けましたら幸いです」
ファングに続いたのは導蛍石(eb9949)。恭しく礼を取るのを、クシャルは軽く諌めた。導の提案通り、この場は会談という公式な場所ではなく、個人的な会合ということになっている。対峙するのはクシャルとその親衛隊長トラキア。将軍直々に出てきてくれるとはありがたいばかりだった。
クシャルは自らの象徴である黄金の鎧を身に纏ったまま、正面に対峙したファングを見る。透き通った瞳がまっすぐに自分を射抜くが、ファングはそれに臆することはない。
暫くの沈黙の後、ふっと将軍の気質が柔らかいものに変化した。
「それはこちらも望んでいた事でもある。瘴気に関してはこちらも以前から確認していた。有事の際は一部の兵を援軍として派遣することを約束しよう。隔ての門での作戦に関しても同様だ。南方の治安にもうしばらくは時間を貰うことになるが、作戦決行時には間に合おう」
「感謝致します」
「カオスという共通の敵を持つ我らの間に遠慮など不要だ、ファング・ダイモス。貴殿とともに戦場に立てる日を楽しみにしていよう」
次に金色の髪が流れた方向は、その隣。
「導だったな。そなたのいうように、我らも鷹の氏族とは懇意な関係を持ちたいと思っている。出来るならば、この後にベルトラーゼ卿との対談を願いたいのだが、よろしいか?」
「畏まりました。お伝えしておきましょう」
満足そうに微笑んだクシャル。その瞳は海の如く、緩んだ口元は本当に穏やかなものであったと、後に二人は語った。
●二つの御旗
停戦協定は無事に交わされ、クシャル軍とスコット領はレアム川を境に領土を分割することになった。結局所有権に関してはあやふやのまま、正確に表現するならば、協定の場でその件について触れられなかったのである。冒険者たちからのそれぞれに提案もあったが、彼らの中でも意見の統一ができていなかったため、マリクもどれかを推すということはしなかった。またファングの進言を受けて、『隔ての門』を含めカオスの地では両国ともに行動可能ということ形に収まった。カオスの勢力に対しては、互いに共闘するという内容も含まれている。
クシャルとの対談に応じたベルトラーゼだったが、その内容に特筆すべきものはなかった。簡単な雑談とカオスの勢力に対する共闘の誓いを改めて確認しただけで、その後は何事もなく終了している。
マリクとともに冒険者たちが去っていった後のこと。ユリパルスの天幕に、一人の女性が訪れていた。名はアルカナ・エンディア。クシャルの参謀を勤めている人物だ。
「首尾はいかがであったか?」
「ばっちりでしたよ♪ 特に怪しまれることもなく‥‥っていっても訪問されることもなかったんですけどね」
愛想良い笑いはいつものことだが、今日のは心からのもの。彼女の手に握られるのはバの紋章が刻まれた丸められた一枚の洋紙、バ本国からの使者が運んできた書状である。
これを見られれば厄介なことになると思って、魔術師まで待機させて警戒させていたのだが、どうにも冒険者たちは目もくれなかったようで助かった。アルカナが曲者であることを悟っていたから、他の者たちに接触したのだろうが、それは大した問題ではない。本国からの使者が何度もこちらに訪れていたこと、カオスの地に目を光らせていたこと、それらの情報をベルトラーゼが手に入れていなかったとは思えない。多くの情報を事前に知っていながらも、他の仲間たちと協力して行動を起こせなかったこと、それが冒険者たちの一番の敗因といえる。書状に手が届かずとも、もう少しバの陣内を動くために策を練っていたならば、今後メイ側が有利になるための手がかりが掴めていたかもしれない。
結局冒険者たちは何の情報も得られずに帰還していった。そのことはバの者たちからすれば、最高の形であるといえる。にもかかわらず、アルカナは少しだけ笑って、途端に目を伏せた。
「‥‥後悔しておられるのか?」
静かな問いかけだけに、アルカナは自問自答をする余裕があった。その末に出た答えは、前々から自分の中で燻っていたものと自覚できる。
「どうかしらね‥‥。でもそうね、本当を言うと、少しだけ期待していたのかもしれない。彼らがこれを見つけて、クシャルを止めてくれるんじゃないかって‥‥」
失敗しちゃったけどね、とお茶らけた含みのある表情の裏側には確かな悲しみがあった。
「真に共闘を望むのであれば、貴殿から情報を提供すればよかったであろう」
小さく首を振る、アルカナ。
「私はクシャルの軍師だから。あの子に付いていくって決めたから、裏切るわけにはいかないもの」
矛盾していると自分でも思う。クシャルが目的を忘れて走り出した時、止めるのが自分の役割だ。けど祖国を思い動き続ける今の段階では、信じて付いていくしかない。
上げられた視線に込められていたのは、決意。
「‥‥ラケダイモンに使者を送ってください。全て予定通り行います。時が満ちるまで待機せよと」
時が満ちた後は、一気に攻勢に出ると付け加えて。
「承知した」
矢は放たれた。
もう、止まらない。