●リプレイ本文
「よしっと‥‥これで全部積めたでしょうか?」
「手塚さん、高槻さん、こっちのお米もお願い」
彰子の示す米俵を積み込むと、ギシと軋む音を立てて荷車が傾いた。
ひらりと軽やかな身のこなしで狩野柘榴(ea9460)が最後の荷を縄で結わえ、短息を一つ落とす。並ぶ荷車と荷馬を見下ろす顔がしぜん笑まうのが己でも分かり、慌てて天つ空へと視線を転じた。
天は遐く淡く透き通り――その隙間を縫うように子供等の甲高い声が跳ねている。
この子達が笑ってる限りきっと大丈夫――
「随分と大荷物になりましたね」
「各藩からも援助して貰えて良かったです」
「ええ、本当に有り難い事ですよね。疾風、大変だけれど八千代村まで頑張って下さいね」
手塚十威(ea0404)と高槻笙(ea2751)は冬月の寒風に玉つくる汗を拭い、人見梗(ea5028)は愛馬・疾風の口取り縄を引いてその首筋を撫でてやる。ブルルと鼻を鳴らした馬が甘えるように梗に顔を寄せた。
「魚吉君、どうしました?」
梗らを見上げ、小さな両の手を差し出す子河童は何とも微妙な表情を浮かべている。
「ナキチ、にもつもつ。がんばる。コウ、なでなでする?」
「魚吉くんもお手伝いしてくれるんですね、偉い、偉い」
十威が毛布を背嚢に詰めてやると魚吉はひどく神妙に頷いてのち、にっかりと笑った。
「コウ、なでなでする?」
梗に撫でて貰うという魅惑的なご褒美に夢中の様子である。疾風に少なからずの対抗心を燃やしたのもあろうか、人とて獣とて河童だとて褒められて嬉しくない道理など無いのだ。
「魚吉君も頑張って下さいね」
「魚吉、よかったですね。蛙のように瑞々しく愛らしい肌を撫でて貰いなさい」
「なっ‥‥しょ、笙様!」
魚吉へと伸ばした梗の手が一瞬躊躇うのを見取った笙が小刻みに肩を揺らすのを、柘榴と十威が呆れ顔で見守っていた。
「‥‥魚吉、梗さんに一番撫でて欲しいのは笙さんみたいだよ、困ったね」
「ショー、こまったむっちり?」
柘榴の耳打ちに魚吉は瞳をしばたたいて首を傾げる。
むっちりか否かは兎も角、見透かされたのは否定できまい。
「では出発前に改めて、今回皆さんのお手伝いをさせて頂く‥‥」
「ナキチ、しょーかいする!」
一頻り笑い終えた笙が居佇まいを正し語り出した口を遮って、子河童むんと胸を張った。
「ナキチ、いやらし系。ショー、こまったむっちり。コウ、バケモノかく。サラ、たまゆらすじょーず。ザクロ、犬。トーイ、きゅーり。です!」
どんな一行だよ、それ。
*
「はい、魚吉くん防寒着をどうぞ。こうやって体の温度を調節するのはとても大事なことなんですよ。覚えておいて下さいね?」
「サラ、ありがとう。ナキチ、だいじおぼえた」
藤浦沙羅(ea0260)から防寒着を受け取った魚吉はこくこくと頷いて外套を羽織り、くるりと回って見せてから照れたように笑った。
「さあ、元気に行きましょう♪ お歌を歌いながら行きましょうか?」
沙羅が微笑めば童子等の顔が綻ぶ。
「ほんま? あんな、あんな、うちお手玉の歌おしえてほしいねん」
「良いですよ、かわりに都の歌を教えて下さいね?」
小さな身体に防寒着を着せてやりながら謡い手・沙羅の清麗なる歌声が響くと、そこに童子等の倭音が重なった。
「次はうちらが“寺御幸のわらべ唄”おしえたげるな。南北の通りの唄やねん、これ覚えたら迷子にならひんよ」
てらごこふやとみやなぎさかい
たかあいひがしくるまやちょう
からすりょうがえむろころも
しんまちかまんざにしおがわ
あぶらさめがいでほりかわのみず
よしやいのくろおおみやへ
まつひぐらしにちえこういん
じょうふくせんぼんさてはにしじん
微睡む冬景色を柔く軟く包み込む、子守唄のように温かな韻律はいつまでも続く。
「俺は前回村へは行ってないんですよね‥‥」
微笑ましい情景に目見を緩めたまま、しんがりを往く十威は僅かにくぐもった声を舌先で転がす。
目指すは破壊の跫音が瞬く間に通り過ぎ、根こそぎの生を奪い去られた村。
残されたただ一人の子――幸運と呼ぶには余りにも厳しい現実を思えば、胸に込み上げるのは苦く硬いもの。
親も友も亡くし、村まで失って、一時は生きる希望さえ失っていた大吾が今どのような想いを抱いているのか。
変わり果てた村を再び訪れる大吾に飛来するであろう感情を推し量れば、指先から体温が下がっていくのを感じる。
睫毛を落とす十威の袖をツンツンと引く者。そろり眼差しを向ければ、見上げる頑是無い顔がほろほろと崩れた。
「あんな、前に兄ちゃんに教えてもろて大ちゃんに手拭いあげたやろ? ほいたら大ちゃん元気になってん。おおきにな」
そやから、これお礼やねん。
広げられた手拭いには満面の笑顔の十威が刺繍されていた。
「俺に‥‥ですか?」
目頭が熱く膨張するのを堪えて笑み返した十威の傍らで笙は穏やかな面相のまま繊細な肩を叩く。
「逆に励まされてしまいました」
「本当に逞しいですね」
生ある草木は柔脆、柔弱なるもの即ち“生”
死すれば木も人も獣も硬くなる。
しなやかなる強さこそが生そのものである。
愛しむ息吹を洩らして、眼通わせた二人はまるで童心に返ったかのように笑み曲いだ。
□■
こまめな休息を取り、日暮れ前には野営を張って、日中にはささやかに広がる自然を楽しみながらゆるゆると徒歩を進めた一行が村へと足を踏み入れたのは、予定より僅か遅れての下午だった。
昏い村に人影はない。
枯れた草木を踏みしめ、乾いた音を立てながら奥へと進む人々に言葉は無かった。
馬を繋ぎ、荷車を解いて降ろし、一先ずの手が空くと、山の端にじりじりと陽が近づき始めているのを見上げた笙が眦を決した。
「村の奥にお墓があります。皆で参りませんか?」
黒く盛られた土饅頭はただひっそりと在る。
大吾と造ったこの墓には亡くなった村人が眠っている。
と。
「あれ? お花が供えてあるよ」
大吾、お参りに来たの? 問う柘榴に大吾はふるふると首を振った。八千代村は京から大人の足でも丸二日かかる距離であり、子供が一人で気軽に来られる場所ではない。
「え? だって‥‥この村は‥‥」
大吾以外はみんな――言葉尻を呑み込む柘榴の見詰める花が少し強くなってきた風に揺れる。
「ここにお墓がある事を知っている人は‥‥そうか、兄さん達‥‥」
口中で呟いた十威と同じく、笙と梗、沙羅も微笑み、事情察した柘榴の眉宇も下がった。
「今日はお経をあげられる仲間は居ませんが、皆さんのご冥福と村の再興を祈り黙祷を」
きっと彼女達も同じ想いでいる事だから。
「さあ、大吾君」
「うん。父ちゃん見ててな、俺もっともっと大きくなるから。“大吾”ってそないな意味なんやろ? 父ちゃんがつけてくれた名前やもんな」
春には暖かい風に吹かれ
夏にはじりじりと焦がす陽光を浴び
秋には幾重に響く虫の音を聴き
冬には凍みた大地を覆う朝靄の中
黄泉還る村に幸多からんことを。
悲しい事の後には一つでも多く楽しい事が訪れますように、苦しい事の後には一つでも多く嬉しい事が訪れますように――
ささやかな恵みが続きますように、いとけない祈りが届きますように。
同じ空の下に想いはきっと通うはず。
翌日から村の修復作業が始った。
傷んではいるが建物の多くは手を加えてやれば再び使えるようになりそうである。蹂躙の痕は色濃く残るものの人々の顔は明るい。
沙羅と十威と梗が先導し、女性と子供等は掃除を始めた。
「人が住まなくなると家は荒れるといいますが‥‥本当に‥‥こほっ」
「埃を吸い込まないように気をつけて下さいね」
「あ、鼠や鼠。お姉ちゃんこんな大きな鼠がおったよ」
「鼠さんも賑やかになって喜んでいるのかもしれませんね」
「えー、かなんなぁ。鼠さん仲良うしたいけど大事な家は齧らんといてほしーわ」
「いやぁ、みぃちゃん走った先から埃舞うわ」
「そら埃さんも喜んだはるんやね」
笑い声が絶えず、その声ごとに村が生き返っていくようだった。
「布団も使えそうですし、衣類もけっこう残ってますね。魚吉くん一緒に洗濯にいきませんか?」
近くに川もあるそうですよ、十威が目一杯の衣類を抱えてよろめく後に続いて魚吉は目を輝かせる。
「トーイ、おもらしした?」
「え、ち、違いますよ」
一方。
大吾に水場などの確認をした笙と柘榴は、まずは井戸浚い。
「任せて、俺こう見えても忍びだからね!」
どう見えるのかは聞かないでやった方が宜しかろう。
「柘榴さん、どうですか?」
「うん、大丈夫、この井戸使えるよ」
井戸端に心配そうに詰めていた男衆から歓喜の声が上がり、大吾の顔にも笑みが浮かぶ。
水に浸かる柘榴の為に焚き火も用意され、やんやと賑やかな井戸浚いは一刻程続いた。
そして建物の修復は――
「任せとくんな、俺ぁこれでも元大工‥‥」
「それは心強いですね」
「‥‥の隣りに住んでたんでさぁ。長屋でね」
「なんだよ、それ。関係ないじゃん!」
「まぁまぁ、門前の小僧習わぬ経を読むって言うじゃあないですかぃ」
うーん、そうなのかなぁ‥‥柘榴うっかり丸め込まれそうになってたり。
「木、ここ置く? つぎ、どこもっていく?」
魚吉もくるくるとよく働いた。
「よし、洗濯も終わり‥‥って、魚吉くん?」
盥に洗い終わった衣類を入れた十威がきょろきょろと頭を巡らせれば、魚吉は川へと入っている。
「トーイ、ナキチ魚つかまえた! いっぱいいる!」
「え? わ、本当だ。魚吉くん凄いですね」
「ふゆ、さむい。魚じっとしてる。つかまえる、かんたん」
胡瓜の刺繍付きの巾着に魚を押し込める魚吉を見て、十威、思わず呟いた。
「あの巾着も洗濯しないと‥‥」
もはや、なんつーか主夫である。
*
村での最後の夜。
まだ細かい部分は残るが大凡の修復が完了して仮初の祝いの宴と相成った。
「皆さんのお陰で住めるようになりました。本当に有難う御座います」
「いえ、礼には及びません。お役に立てたのなら幸いです。これからが大変でしょうが、きっと皆さんなら力をあわせて村を盛り立てていけるでしょう」
さあ一献。
村の発展を祈り、皆の多幸を祈り。
「笙様、魚吉君と子供達の姿が見えませんね」
「‥‥探し‥‥」
梗に囁かれ、膝を立てた笙の手を沙羅が引いた。
「柘榴さんが追っていったから大丈夫ですよ」
「子供達には子供達の祝い方があるのかも‥‥」
どちらかと言えば、そちらの組に属するのかもしれない十威は料理を並べながらしみじみと思いなす。
「ひゃあ、星がきれいや」
「前におしえてもろた星の名前おぼえてる?」
「おぼえてるよ! ‥‥せやけど、どの星かはわからへんねん」
「ダイゴ、星すき?」
「うん。あんな、あの星いっとう光ってるやろ? あれな、父ちゃんやねん」
「トウチャン、星?」
冬天を見上げて、魚吉はぱちぱちを瞳をしばたたいた。子供等の白い息が虫食いの帳に吸い込まれてゆく。
「前にな、祖母ちゃんが言うててん。亡くならはった人は星になるねんて」
「オンジも星なった?」
「なったと思うで。ほんでいっつも空から見てはるねん」
「オンジの星‥‥」
子供等は言葉もないまま、飽きるまで星を眺め続けた。
「さぁ、いつまでも外に居たら身体が冷えちゃうよ。今日はもう寝ようね」
「柘榴兄ちゃん!」
屋根から降った声に、子供等は口を開けたまま驚きの声を上げた。
「魚吉、この村が気に入った?」
「ナキチ、やちよ村だいすき!」
しょぼしょぼと目を擦る一番年少の子供を抱きかかえた柘榴は子供等の手を引いて家へと歩き始める。月光に照らされたその表情は柔らかい。
「うちも魚吉大好きや♪」
「魚吉、魚獲るの上手いしな」
「でも寝小便たれるで」
「何言うてんの、それは竹次も同じやないの」
*
翌朝、まだ陽の昇らぬうちに冒険者達は旅立ちの用意を済ませた。
「本当に良いんですか?」
「ええ、魚吉をどうぞ宜しくお願いします」
深々と頭を下げる冒険者達に村人が慌てて返す。
「頭を上げてくださいな。よく手伝ってくれますし、こっちは大歓迎なんですから」
八千代村は魚吉を快く受け入れてくれるという。
「魚吉くん、よかったですね」
「この村で皆と仲良く暮らして、きっと立派な冒険者になれますよね」
「うん。それに魚吉の明るさと素直さが、皆の心を癒してくれると思うよ」
まだ眠る子河童の夢がいま少し楽しく続きますように――未来の健やかなるを願って、冒険日誌に文を挟んだ笙はその寝顔を優しく見詰める。
魚吉の背嚢には沙羅、梗、十威、柘榴、笙からの贈り物が入れられた。
「“さよなら”ではなく、“いってきます”かな?」
「ここに来たら魚吉くんが“おかえり”って言ってくれますね」
□■
数日後――
「冒険者登録ですか? まずはお名前をお聞かせください」
差し出された金子を受け取った京都ギルドの手代・彰子は冒険者名簿を開き、湿らせた筆を紙へと下ろした。
「ナキチ。ヤチヨ、ナキチ!」
「‥‥そう、八千代村から姓を貰ったのね。おめでとう魚吉くん、立派な冒険者になってね」
この日、小さな村に住まう小さな河童の冒険者が誕生した。
彼はその小さな身体で
その小さな手で
そして小さな足で
ありったけの希望を叶えてゆくことだろう。
時には背負いきれない大きな苦しみも、どうしようもない深い悲しみも
ただ泣きたくなる日だってあるかもしれない。
けれど――
彼が知る温もりは、きっとどんな時も彼を勇気づけ
彼が知る優しさは、きっとどんな時も彼を励まし
彼が知る寂しさは、きっとどんな時も彼を導いて
たくさんの思い出を胸に彼は歩き続ける。
しなやかな強さこそが“生”であると、泣かない事が強さではないと
彼は知っているから。
手を繋げば温かいことを、たくさんの大好きを
彼は知っているから。
空に星を探し、文に心を慰めて
またいつの日にか大切な人達に会えると信じて‥‥
その時は胸を張って話が出来るように。
それは
いつかいつか遠い日
八千代の祈りのその先に――