●リプレイ本文
●岩洞
ジルフィーナより示された岩洞へたどり着けば、冒険者らを飲み込むかのごとき暗い穴がぽっかりと口を広げそこに在った。
『遺跡を兼ねた岩洞』という依頼人の言葉は、鉱石を優先するがゆえのルベウスの言葉をそのまま用いただけであり、実際は遺跡である事が正しいのだろう。
破滅の魔法陣という、負の遺産の残された遺跡。
誰が何故この地に残したのだろう‥‥問い掛けに答えなどなく。
あるいは、この岩洞に居るであろう妖艶なデビルならば、その答えを持つのだろうか。
ガイアス・タンベル(ea7780)の矢を受けたインプが騒ぎ立てる前に、銀のナイフでその身を切り裂いたカルル・ディスガスティン(eb0605)がダガーを振り刃を払う。
「見張りでしょうか〜‥‥」
「‥‥だろうな」
ここまでの道中も、監視の目を警戒し、最大限の注意を払って来たエーディット・ブラウン(eb1460)ら。
尖兵の存在にも気を配り、道を選び来たのも功を奏したのかもしれない。
デビルが待ち構えている場所に、あえて踏み込まねばならない依頼。だからといって、いつその手の中に飛び込んでいくかまで、相手に教えてやる必要は無い。
「となれば、ここで間違いないですね」
「そうね」
印のついた地図を荷の中へ丸めしまい、梓弓から聖剣へと持ち替えたガイアスにレテ・ルーヴェンス(ea5838)が頷く。
ルベウスの残した書き記しによれば、岩洞内は単調な作りゆえに迷宮などではない。入り口から少々の道のりを歩き、その先にある開けた一室――魔法陣が岩洞内にあるのならば、そこしかないだろうとジルフィーナは言っていた。
岩洞内は、聞き及ぶ話と外から覗き見る限り、明かり等が設置され整備された所ではなかった。
元より自然窟を利用したものと聞いていたからだろう、用意した灯りを各々燈し持つと、冒険者らはレテとガイアスを先頭に、デビルの待つ闇の中へと、その足を踏み出したのだった。
●辿着
エーディットが掲げ持つランタンの炎が大きく震えた。薄闇色の岩洞内で眇められた彼女の視界に飛び込む黒い影。唐突に耳障りな羽音が響く。
振り下ろされた鋭い爪を、咄嗟にレアル・トラヴァース(eb3361)が細身の直刀で受け流す横合いから、大江 晴信(eb3385)が短く持った柄を突き出し、銀の穂先でインプを刺し貫いた。
入り口より飛び迫ってきたというよりも、隠れ潜んでいた場所から彼らが通り過ぎるのを待って姿を現したのだろう。
突然の後方からの襲撃にも、慌てる事なく冷静に対処した後列を成す仲間を、前衛にて罠を警戒し慎重に歩を進めていたカルルらが振り仰いだ。それに小さく首を横に振ったのはレアルだ。そして晴信が天井と入り口の方を返り見、小さな声で仲間に答えた。
「大事無い、だが‥‥」
「気付かれてもうたかもしれへんなぁ。まあ尤も‥‥」
敵は踏み込む前から知っているかもしれへんけどな――心中の言葉を飲み込んだレアル。けれどそれを推し量り知るように、彼らは手に在る武器を確かめ先路を急いだ。
至極単調な作りの遺跡。確かに遺跡というよりも岩洞にしか過ぎないように思われた。
時折脇に走る裂け目や、不安定に抉れくぼんだ足元に注意を払い進む先‥‥どれ程歩いたのだろうか。
やがて、道の続く奥に淡く薄紅い不吉な光が在るのがレテの目に入った。先導の3人は、互いに目配せし頷きあう。
足音を忍ばせ光がこぼれる方へと歩み寄ったカルルの視界に映ったのは、広く開けた石室だった。
無骨な色の岩肌に、薄ぼんやりと血色の文字が輝く。魔法の知識など無い彼にも、岩肌に描かれた紋様が、何であるか直ぐに分かった。
書かれた文字が読めずとも、禍禍しいその紋様――破滅の魔法陣であるのだと。
その中央に立つ細い人影が見える。
(‥‥シェラは、何処だ?)
(‥‥まって頂戴)
自分では、一目でその姿を確認する事が出来ず、カルルが岩陰を夜目の利くレテに譲る。彼女が、瞳を眇めよくよく見渡せば‥‥人影の側に立つ鉄柱に提げられた鳥篭らしき物が見えた。このような場に似つかわしくない優美な細工の大きな鳥篭である。
けれど、その中に飼われていたのは鳥ではなかった。鳥篭の中に、篭められていたのはシェラだった。
指に在る石の中で羽ばたく蝶の姿に、人影こそがデビルだと示したガイアスに、囮に等しい陽動役を請け負った晴信らが頷いてみせた。
●邂逅
魔法の力が集束し、中空に生み出された水の塊が魔法陣に立つ存在の上で爆ぜた。
エーディットのウォーターボムを合図に、レアルとフェリシア・リヴィエ(eb3000)がデビルで在ろう人影目指し駆け出す。
祈りの聖句と共に放たれた聖なる力の奔流と共に、ヴァーチカル・ウィンドの切先が繰り出される。
細いシルエットは水の重さにくず折れる事無く、ほんの僅かよろめいただけで、ホーリーからも突きつけられる切先からも身を滑らせさらりと逃れると色鮮やかな衣が地に水の跡を残した。
シャンピニオン・エウレカ(ea7984)の祝福を受け、更に闘気魔法を施した銀の穂先を持つ槍を振るい薙ぐ晴信の一撃すらも、紙一重で避けた人影は、大きく後方に飛び退り、冒険者らから距離を置く。
水濡れ頬に張り付いた髪を掻き揚げた女悪魔の視線の先には、鈍い色を返す鋭い刃。
「私の魔法陣へようこそ、冒険者の皆様」
突きつけられる刃を前に表情を変える事無く、かつてカリツェであったデビル・ゴモリーは妖艶な笑みを浮かべ彼らを魔法陣へと迎え入れた。
「遠慮しないでいらっしゃい‥‥どうせ叶うはずがないのだから」
艶やかに笑う美貌のデビルは、青白い繊手で対峙するレアルらを手招く。
仲間の背に緊張が走るのが見える。けれど闇雲に動くわけには行かず、岩陰に在ったガイアスの聖剣を握る手に力がこもった。
身を潜め、隙をうかがい取り戻す‥‥一方がデビルの気を引きつけ、もう一方が奪還する手はずになっていた。仕掛ける機は明確には定めていない。元より、ゴモリーには彼らの面は割れている。小細工は不要と判断し、そういう手はずになっていた。
彼らが危惧していたのは、ゴモリーの手中にいるシェラが、本物かどうかわからない事。
身を賭し取り戻したとしても、それがデビルの変化であれば意味が無い。それでも何より動かなければ状況は変わらない。
「全て存じ上げておりましてよ。お嬢様がお頼みになられたのは、全部で8名の冒険者様。皆様のお名前もどんな職業でいらっしゃるのかも」
笑いさざめく声に語られる言葉と異なり、ゴモリーの前には5人しか居ない冒険者。
「獣でさえ己と相手の力量の差がわかるというのに‥‥本当に人というのは愚かだ事」
彼女を疑う事無く逃がしてしまったかつてが悔やまれ、歯噛みするフェリシアらを見つめるゴモリーの笑みは決して消える事が無い。
「想いが愚かだなんて誰が決めるのっ? 揚げ足取りばっかしてる弱い悪魔のくせに、知ったかぶりして決めつけないで! 一生懸命生きてる人を嘲う権利なんか、誰にもないんだからね!」
シェラを助けるレテ達の存在を勘繰られてはいけない、何とか隙を作らなければという思いとデビルへのもどかしい思いを、声を大にシャンピニオンは叫んだ。
彼女のコアギュレイトは成果を結ばない。苦労する様子も微塵も見せずに呪縛を退け、その言葉にゴモリーは微笑を浮かべる。彼女の反応こそが面白いというように。
けれど、先の晴信の一撃で、彼らの役目は果されていたのだ。ゴモリーが言葉遊びを弄する間に、大きく開いたゴモリーと鳥篭との距離を見てとったレテ達が、シェラの奪還に岩陰から飛び出す。一息に駆け寄り、ガイアスが聖剣で鉄柱から鳥篭を切り離し、カルルがそれを地に転がる前に受け止める。
カルルとガイアスを後背に剣を構えるレテが、鳥篭の様子を窺えば、久しぶりに見るシェラに笑みは無く、悄然と俯き何かを抱えていた。彼女の体躯では一抱えもある塊。岩洞の中、十分な灯りもなく、それが何かは冒険者らには見えなかったのだが。
レアルと晴信が間隙逃がさず繰り出す切先を大きなダメージも無く避けるゴモリーは、焦る様子も見せず奪われた鳥篭のほうを見遣り笑う。
「‥‥最初に差し上げた贈り物で望みは潰え、魔法陣はここまで整ったのだから。それも、ここで貴方達の屍を積んであげれば、あの娘に劣らぬ絶望に堕ちた贄になるわね」
幾人かの血が既に流れ、更にシェラの絶望を糧として、光を放つ魔法陣。
後ほんの僅か、少女の魂と共に必要な物を満たしてやれば、もうじきに動き出すとデビルは嘲った。
「させへん! その為に僕らが来たんやからな。デビルを倒して、魔方陣も壊し、シェラはんも無事に救い出して‥‥。笑顔でフレイアはんとジルはんの元へ帰るんや!」
突き出される飾り磨かれた鋭い爪が並ぶ手刀を、身を避けかわしざま、レイピアをつき返すレアルが叫ぶ。強い意志を込めた叫び。
誰も倒れるつもりも、負けるつもりも無い。
けれど、ゴモリーの笑みは消えない。8人もの冒険者を前に、贄を取り戻されてなお。
一方、鳥篭の中で、茫洋と座り込むシェラにガイアスは呼びかけ続けていた。そんな中で、間近に在ったカルルが不意に身をずらしたかと思うと、彼は苦悶の声をあげる。
逃れる事も出来ただろう、だがカルルが逃れればその脇にある鳥篭が焼かれる――不意に襲った後方からの炎を叩き消し、身を焼く鈍い痛みをおしてそちらを見遣れば一人の男が立っていた。
長い髪を首裏で一つに束ねた赤髪の男。皮製の外套を羽織った男の手に在る杖が本来の役目を果たすのであれば、男はウィザードなのだろう。
「彼らがシェラが招いた魔法陣のための新たな贄なのですね」
人の良い笑みを浮かべた男は、場に似あわぬ穏やかで低い声でデビルに問うた。
「ルベウス?!」
ジルフィーナらから聞き及んでいた外見的特徴に合致する名を、シャンピニオンは口にする。何よりもその存在が、自分達に向けて魔法を振るう事が信じられずに‥‥。
「‥‥シェラがとてもお世話になったそうだね」
男は、片手に炎を持ち掲げ、そう微笑んだ。
操られているのか、デビルの変化なのか‥‥あるいは本物なのか。様々な可能性が冒険者らに浮かぶ。
けれど、響いたルベウスの声に、今までガイアスの呼びかけに応えなかったシェラが小さく呟いた。
「‥‥違う、‥‥違う‥‥」
ぽろぽろと涙を零しながら繰り返し呟き続けるシェラ。
ルベウスが自分の大切な仲間を傷つける様子を見たくなくて、瞳を逸らし。ルベウスの言葉を聞きたくないと、耳を塞ぐ。
鳥篭の中の塊が、支え手を失い重たい音を立て鳥篭の床に落ちた。
淡い紅色の魔法陣の光とルベウスが持つ炎照らされ垣間見えた塊に、ガイアスらは息をのんだ。
「‥‥っ」
それは、彼らの前に立つ男と同じ顔した人の頭を模した石だった。
目の前のルベウスが本物とすれば、シェラが信じてきたルベウスが今までフレイアと仲間を傷つけてきた事になる。
けれど、目の前のルベウスがデビルの偽りの姿とすれば、ゴモリーに贈られた石こそがルベウスであり、それは彼の死を意味する。
例えどちらも偽りだったとしても、これほど消息の分からないルベウスはやはり本当に死んでいるのかもしれない。
1日中ルベウスの首を抱え。朝に夕にルベウスに裏切りを囁かれる。何が『真実』で何が『偽り』なのか、シェラにはわからなくなっていたのだ。それは『絶望』を得るには十分なものだったのだろう。紅く色付く魔法陣が、何より雄弁にシェラの心中を表していた。
「酷い‥‥」
シェラの心中を思い零れたフェリシアの言葉に、ゴモリーは満足げに笑う。
ガイアスの指に在る石の中に住まう蝶は、その羽根を震わせ羽ばたき続けている。蝶が感じえる明らかな存在がこの場に居るのだから、この石室内では対象の特定は難しい。
ルベウスと、そして鳥篭の中のシェラが、本物であるかはわからない。だが、『絶望した魂』こそがこの魔法陣の贄の条件であるならば、まずは絶望を払えば良いのだ。
「絶対に助けます。魔法陣も壊しますから‥‥デビルの陰謀は必ず阻止します! 僕達を信じて下さい、シェラさん――っ!」
今度こそガイアスの叫びが届いたのか。漸くシェラは涙で汚れた顔を仲間達に向けた。
●決意
入り口をふさぐ様に立つルベウス。石室の奥にはゴモリーが立っていた。いつの間にか魔法陣の中へと囲い込まれていたのは冒険者達の方だった。
依頼は、人質の奪還と魔法陣の破壊。デビルを倒せずとも良いのだ。シェラを取り戻した今、魔法陣を破壊し、逃れようにも退路が絶たれている現状――倒す事、助ける事を念頭に『倒せない事は考えていない』すなわち、退路の確保を失念していた彼ら。ただ一人、エーディットを除いて。その老練さこそが、フレイアへ『魔法使いの心得』を伝えてきたエーディットの、常纏うおっとりした雰囲気こそがウィザードたるべき彼女の資質の一つだったのだろう。
けれど、彼らが破滅の魔法陣を破壊する事が出来なければ、この地の生ける者全てが死に絶える。それは『家』で、冒険者らの帰還を待ち望むフレイア達も例外ではない。だからこそ、冷静に状況を見極め無ければならないと、慌てふためく事の無い自分に適した速さで、物事を見極める性質をもちエーディットは、戦線の仲間を支えていた。
「おそらくカリツェは、魔法陣を利用するためこの地を選び、贄を得ようとしていたのでしょう。目的が失われれば、デビルもこの地に執着する事はないと思います‥‥。何よりも貴方方皆が無事でなければ、フレイアは喜ばないでしょうから」
そう告げて彼らを送り出したジルフィーナ。だからこそ、機を窺わねば。
岩洞へ発つ時、彼らはジルフィーナらの見送りで此処へ赴いた。
数度に渡りジルフィーナよりもたらされた依頼も、魔法陣の発動阻止――デビルの目的を阻止する今回で最後だろう。最後だからこそ、任務は必ず遂行する。それが彼らが請け負った役目。
「今度こそシェラさんを助け出します。悪魔の陰謀は必ず阻止します。魔方陣発動は絶対させません」
「皆、大切なものを守りたいだけなんだ。だから、負けられない」
強い決意を胸に告げられたガイアスの言葉に、フレイアは小さく頷き、大切なものを守りたいからこそ、優しくいられるのだと言うシャンピニオンを眩しげに見つめる。
「とても悲しい結末も、もうこんな想いをするのも嫌。必ずシェラちゃんを助け出すわ」
出立を前に、十字架を手に祈りを捧げていたフェリシアもガイアスの言葉に頷いて、ジルフィーナを見遣った。彼女が救いを祈っていたのは、ジェノバへだった。神を捨てた彼に、祈りは必要ないかもしれないと思ったけれど、それでも彼女は祈らずにはいられなかった。
同じようにまた、晴信もジェノバの冥福を祈っていた。報われない最後だと思った。生きた年数で言えば、確かにジェノバの生きた年数の3分の1にも満たないけれど、同じ年月を生きた所で、自分には彼の気持ちを真実理解する事などできないだろうとも思う。デビルの力を請う事など‥‥。人を想う心を利用し、他者を苦しめるデビルこそが許せなかった。人の心と生命を弄ぶ罪は大きい‥‥と、デビルに備え用意した槍、銀の穂先を見つめ思う。
また、レテも不幸にも噛合わなかった歯車の歪みを大きくした元凶であるデビルを許せなかった。皆の想いを、命を、これ以上穢させないためにも。水面のように静か‥‥常に冷静であり、物事に感情が動かされない彼女。それは、感情で動くのは傭兵にとって命取りだと知っているから。けれど偶には人らしく感情に従い依頼を受けてもいいだろう‥‥口に出さず心に秘め、依頼人を前にレテはそう思った。命懸けで動いても良いと思える依頼主達に会えて嬉しい、と。
「美味しい食事を用意して待ってるから、きっと、皆、シェラを連れて帰ってきてね」
ただ待つ時間は、長く不安に思うだろうから気が紛れるようにとカルルが口にした頼みに、フレイアが見送りの言葉を告げる。
用意を整え終え、各々の装備を確認し終えた冒険者ら。
赴く前に、カルルはジルフィーナに問うた。フレイアの望みを叶えるだけで良いのか?――と。カルルの言葉に彼女は瞳を瞬かせた。そして、微笑むように瞳を細める。
「何もありません、私達の心が弱かっただけ‥‥。貴方方は違う、物事を違えぬ判断力と、揺らがぬ自分を持っていると信じています」
気鬱の病を心に抱えていたためか、感情的なフレイアに比べ、個人の感情をジルフィーナが表にする事を見る事は無かった。立場ゆえの事だと思っていたのだが、ディアシュの直系として育てられたせいか、感情をうまく表現できないだけなのかもしれない。ジェノバも悲しい男だったが‥‥二人とも不器用なところはよく似ているとレアルは思った。
悲しい時には泣いても良いはずなのだ。涙を流す事で、心に溜まる澱が流れ癒えるものもあるはずだからだ。
出立前にそれぞれの想いを抱え、彼らはここに来た。
それを思い返すように、剣を手に、魔法と共にゴモリーとルベウスに対峙する。
「悲しいことばかりやけど、もうこれ以上はゴメンやで。絶対、皆でハッピーになるんや」
呟かれた言葉は決意を秘めて。屈しない前へと進もうとする想いこそが、何よりの力になるのだと。
ヴァーチカル・ウィンドを手にレアルは元凶のデビルを睨み据え、破滅の魔法陣を破壊し、デビルの野望を打ち砕く為に彼らは最後の戦いに挑んだ。
●終決
前方のゴモリーと後方のルベウスへ、それぞれ構える彼らは鳥篭の中にいるシェラに問い掛けた。
「収穫祭の時の私はとっても素敵なお姫様でしたよね〜」
「‥‥ううん、エーディットちゃんは王子様だったよ。格好良かったの」
元気とは言い難い声だったが、それでも少し考えるようにして問いに答えたシェラ。
「栗を収穫した時に美味しい物を食べましたよね?」
「‥‥フレイアちゃんへお土産にしたクッキーと、タルトが美味しかったよ」
ガイアスの質問には、何が美味しかったか答えたと同時にそれが何の目的であったかも答える。
「決まり、やな」
その答えを聞き共に過ごした秋を認めたレアルは、優美な細工の鳥篭の枷を一刀の元に斬り壊す。悪趣味な牢から、シェラを解放した彼ら。なおも離さず抱きしめる石首を無理に取り上げる事無く彼女を囲む。
「後は、この胸糞悪い魔法陣を叩き壊すだけだな」
整った仲間達の様子に、槍を振るいゴモリーを牽制した晴信が呟いた。
「贄が自ら来てくれているのに、逃がす理由はないでしょう?」
壊せると思っているのかと嘲るゴモリーの言葉。踊るような足取りで、魔法陣の軌跡をゴモリーはなぞった。
否、間違いなく舞いを舞っていたのだろう。地面を這う音が幾重も響く。冒険者らを囲むように、この寒さ厳しい季節に不似合いな大量の蛇が姿を見せる。
大量の蛇が絡まりあいながらにじり寄る気色の悪い光景に息をのむ。踏み潰し、剣で薙ぎ払うガイアスら。毒が在るものを警戒し、フェリシアが仲間の様子に気を配る中、彼らが慌てふためく様を、ゴモリーは嬉しげに見つめる。
「‥‥ったく、悪趣味やな!」
斬りかかるレアルの言葉すらも、心地よいと微笑みは消えない。
「‥‥魔法的なものだからか、端に物理的なものでは効率が悪い‥‥ようだな」
蛇を退けナイフで岩の表面を削ったカルルがそう零すと、フェリシアがホーリーを岩床へと放つ。微かに紋様が薄れる気もしたのだが、目に見える効果がわからない。
「代われ!」
晴信の叫びに、フェリシアがはっと顔を上げる。
「攻撃を避けられているというよりも、ダメージすら通らないみたいね」
スマッシュのような一撃ではなく、常の切先すら届き難い相手を前に、レテが一人ごちた。先ほどから隙を与えぬよう、レアルと晴信と3人でゴモリーを常に攻め立てているのだが‥‥攻められているのは間違いなくゴモリーであるはずなのに、悠然と振舞うデビルに焦りの色は無く。逆に冒険者らの方に疲労と焦りが積み重ねられていく。
足元を絡めとれればとカルルが魔法の網を投げつけ、その間にフェリシアがレテとレアルの元へ掛け、彼女と入れ替わるように身を引いた晴信が、その手に闘気を集中させて、岩床へと叩きつける。
「デビルに操られているなんて、だらしなさすぎです〜」
一方、火の魔法を手繰るルベウスを、水の魔法を手繰るエーディットが牽制する。エーディットの言葉に、まるで自分自身の意思でそうしているかのように、ルベウスは意地の悪い笑みを浮かべ彼女に炎の塊を投げつける。そうしたやり取りの中で、何かがおかしいとエーディットは思った。魔法の相性の問題などではなく、シェラが頑なに『強い』といっていたルベウスは、自分の魔法に明らかに圧されているのだ。
心もとない身の動き。仲間の怪我を癒しながらシャンピニオンも、その様子に違和感を受ける。そうして漸く辿り付いた違和感の正体――ルベウスは、地の魔法を一切用いていないのだ。シェラが、そしてフレイアが言っていただろう。ルベウスは、地の魔法を得意としていたと。大地に在る物を好む彼、鉱物の類を調べ得る事を好んだルベウスは、用いる魔法も地に属していたはずだった。
「エーディットちゃん! そのルベウスは偽物だよ。本物だったら得意な地の魔法を使わないわけがないもんっ!」
「そうですね。‥‥ありがとうございます〜」
指摘に、目の前のルベウスを改めて見つめる。デビルであるなら遠慮もいらないのだから。シャンピニオンの祈りを援護に、再びエーディットはデビルを倒す為に、魔法へと意識を集中させた。
偽物と断じたシャンピニオンの声に、シェラはルベウスの方へと頭を巡らした。けれど、ルベウスにしか見えないその姿に再びシェラの目に涙が浮かぶ。
「シェラさん、デビルの言葉ではなく僕達を信じて。シェラさんが信じてくれれば、諦めずいてくれれば、魔法陣は絶対壊せるんです。フレイアさんを守るってルベウスさんと約束したんでしょう?」
「力になるっていったよね、僕達はシェラちゃんの味方だよ!」
ガイアスに頷くように、目の前のエーディットの背を支えながらシャンピニオンが言葉を重ねる。贄の絶望を望んでいるのがゴモリーなのだから、それも払わなければならない。
石首を抱え、戸惑うようにガイアスらを見上げるシェラ。そう、大切な友人であるルベウスの言葉を叶えたくてここまで来た。そして、ここまで来ることを助けてくれた皆を見上げる。
魔法的な攻撃と、発動に必要なものが欠け始め、次第に緋色の輝きが薄れてきていた。
絡めとる網を避け、体制を崩した所を畳み掛けられて壁際に詰め寄られていたゴモリーが、その様子に気付き鋭く叫んだ。
『話を 聞くな!』
魔力を込めた叫びに、シェラはぎくりと身を強張らせる。石首を再び手放し、身を震わすシェラ。
「‥‥聞かなくて良いんです。皆シェラさんの側にいます、それを忘れないで下さい」
いつか祭りの時に、何時でも力になると約束した言葉通り、魔力に縛られ言葉が届かなくても‥‥とガイアスは小さなその身を腕の中に包み込む。
シェラが約束を守るために過ごして来たのならば、自分たちもシェラと約したそのままに、此処にいるのだと理解して欲しくて。
冷たい鳥篭の中ではない、ぬくもりの中で、シェラは大きく瞳を見開いた。
やがて、揺らぐ緋色の光。
輝き揺らいだ魔法陣を見てとって、岩に打ち付けるには不似合いな、けれど聖なる力を秘めた小さな楔を、晴信は闘気の力と共に岩床へと打ち付けた。
重ねるように、放たれるフェリシアの聖なる力の奔流。
させるかと繊手の鋭い爪先を振るうゴモリーのその爪を、その身で止めたレアルの行動を無にさせまいと、レテは、唇かみ締めて全ての力を込めて剣を叩き下ろした。
高く鋭い『音』が岩室内を満たした。
それは、叫びか、悲鳴か、震える魔法陣の鳴動だったのか‥‥――
●解放
「怖かったでしょう、シェラさん。今は泣いても良いですから、また元の明るい笑顔を見せて下さいね」
負った怪我を気遣わせぬよう、ガイアスは穏やかに微笑み、我が身よりもシェラを案じる。
「ごめん、ごめんね、皆」
魔法陣が光を失うと同時に、妖艶で泰然としていた女の仮面が剥がれ落ちた。魔法陣が無ければ用はないとばかりに、岩室を崩す力をその場に解き放ったのだ。
崩れる岩洞、踏み入った際の裂けた横穴や作りの隙を把握していたカルルによって、また入り口付近でルベウスを相手取っていたエーディットの機転で、時間を掛けつつもなんとか彼らは遺跡から這い出る事が出来たのだった。
ゴモリーが逃れる間際、ルベウスの姿は無かったという。やはり、ゴモリーの配下のリリスだったのだろうと結論付けた。
ポーションでその命を繋ぎ、シャンピニオンとフェリシアのお陰で、皆何とかその身を長らえさせたのだ。癒す2人とて怪我は決して軽くは無かった。
デビルとの戦い、シェラを助け、魔法陣の壊すという大変な任を終えた仲間達。
怪我と疲労が重なり思うように動かぬ体、それでも大業を成し遂げた達成感が彼らに笑顔をもたらす。痛む身を引きずり岩室から這うように外に出た彼らに降り注ぐ天からの日差しが何より暖かい。
「シェラちゃん‥‥怖かったでしょう、辛かったでしょう。よく頑張ったわね」
フェリシアは、労り込めてその頭を撫ぜる。
「これから、フレイアもジルさんも、『家』のことで大変だと思うの。シェラちゃん自身も、傷ついていると思う。だけど、フレイアたちにはきっと、シェラちゃんの明るさが必要だわ。友達として、一緒に助け合っていきましょうね」
どんなに辛くても前を向いて、共に進もうと言ってくれるフェリシアの言葉が、何よりその手が暖かいとシェラは思った。
思って、なぜか涙が止まらない。久しぶりに見る仲間の笑顔に応えたいと思うのに。涙が止まらず、のどをつまらせるように噎び泣くシェラを宥めるフェリシアらを見てふと晴信は思った、シェラを無事に連れ帰ったら‥‥フレイアは当主の座をどうするつもりなのだろうか。
『家』を存続させるのか、壊すのか、改革するのか‥‥。ジルとフレイアは何を選択するのだろうか。
彼の疑問に答えられる2人は、『家』で待っている。依頼の一つは果したが、残るもう一つが果されていない。シェラを連れて帰る事で、漸く依頼が完遂されるのだ。自分の疑問が明らかになるとすれば、帰ってからだろう。
「フレイアはんとジルはんが待っとる。‥‥さ、帰ろか」
穏やかで明るい声と共に差し出された手を見上げれば、レアルの笑顔がそこにあった。
『帰ろう』
そう差し出された手がシェラには何より眩しかった。
「ずっと、皆の事は信じてたの。‥‥最後まで、信じさせてくれてありがとう」
助けてくれた仲間と、最後まで信を呼びかけつづけてくれたガイアスに、シェラは漸く微笑みをみせたのだった。
●先至
後に、もたらされた晴信が頼んだディアドラ・シュウェリーンよりの報せ。
「あれは、よく出来た弟子だった。見識も物事の捉え方も、魔法の腕も、学び飲み込むのが早かった。だからこそ、あれはここから距離を置いていたのかもしれない」
怪我が痛むのか、それとも別のものが痛むのか。顔を歪め語った老魔法使い。
「如何に優れた弟子であろうと、一人であればな。身内ゆえにその力を振るうことも躊躇っていたからの、だからこそ、ルベウスは‥‥」
そう、ジーハは言葉を濁した。言葉ではなく身をもって道を正そうとしたルベウス。彼はシェラが信じたように道を過たず、彼もシェラを信じ後事を託していたのだった。
それはジルフィーナも共に耳にしたもの。それをフレイアやシェラに伝えるかは‥‥まだ判断しかねると、ジルフィーナは言っていた。
言葉通りに、最後の依頼を果した冒険者ら。
その中で決して他人に口安く言えるものではない生業の異装の男は、やはりそれゆえに知らず果した事もあるのだろう。
破滅の魔法陣は破壊され、失われたものも少なくはなかったが、それでもようやく『他者を信頼する事』を思い出した少女は、笑みを浮かべる。
不安定に歪み、気が昂ぶってではなく。心穏やかに浮かべる笑顔。
シェラが言うには、かつて夜色の髪だったというフレイアの髪が、赤く色が抜けた艶の無いものである事だけが、以前デビルに魂奪われ弱り臥せっていた事実の目に見える名残だった。それもいずれは、時の流れと共に、健やかな日々を送れば元に戻るのだろう。笑顔がもどったように。
「‥‥笑顔は‥‥まぁ、悪くない‥‥」
「今、何て?」
「‥‥いや、何も」
異装から表情の伺えぬカルルを見上げ首を傾げる少女に、彼は小さく首を横に振った。
ささやかな茶会の用意が整ったのだろう、穏やかに彼らを呼ぶエーディットの声が聞こえる。
恐らく晴信などは、役目は終えたとばかりに日中から酒を希望し、レアルに笑われているのかもしれない。
誰ももう一人ではない事を識っているからこそ、大切なものを見失う事はないだろう。
呼び声に返事を一つ。
カルルの腕を引き、明るい陽光の下で広げられた卓へと歩くフレイアの胸元には、銀の十字が輝いていた。
TheEnd‥‥