宝物を求めて ―王女の涙

■シリーズシナリオ


担当:姜飛葉

対応レベル:フリーlv

難易度:普通

成功報酬:0 G 65 C

参加人数:4人

サポート参加人数:1人

冒険期間:04月27日〜05月02日

リプレイ公開日:2008年05月07日

●オープニング

●壊れた偶像
 重く厚い布で遮られた窓から差し込む光は無く、灯かりの絞られた室内は薄暗かった。
 部屋の中央には、大人の男の腰ほどの高さの円台が置かれ、更にその上には3体の像が置かれており、男が一人、台座の傍らに立ち、偶像らを見上げていた。
 暗い部屋に一人佇み像を見上げる痩身の男は、どれほどの時間そうしていたのだろう。
 けれど男の瞳に映っていたのは、目の前の偶像らであって、それらではなかった。
 それらが既に芸術品としての価値を失ってしまっている事を男は良く理解していた。
 懇意にしている腕の良い芸術家や職人に頼み修復してもらったものの、男が見上げる3体の像は、決して彼の記憶にある物そのままに甦る事はない。
 修復の手が及ばないのではなく、偶像らはそれほどまでに1度壊され尽くした物だったのだ。
 彼は、1度壊れたものがその美を取り戻す事など無いことを知っていて、世の中には欠け朽ち逝く様こそが美しいものもある事も知っていたが、偶像に求めているのはそんな美ではない。
 取り戻せない事を知っていてなお、彼は取り戻したかったのだ。
「‥‥やっと見つけた。随分と長く失われていたキミの宝を、これでようやく取り戻す事が出来る‥‥いや、取り戻してみせる。必ず」
 男の口から零れた声は、まるで愛しい恋人に睦言を囁きかけるように、甘く、密やかに響いた。


●至宝の青
「久しぶりに訪れたけども、相変わらずここは賑やかだね」
 王の膝元であるパリに活気が満ちているのは良いことだと笑いながら受付係に話しかけたのは、外見年齢で言えば30絡みの銀髪のエルフの男だった。
 華美ではないが、品の良い一揃いで纏めてある装束に身を包み、穏やかそうな笑みを浮かべるのは、変わり者の伯爵――「『変』境伯」とあだ名されるギース伯その人だ。
 細くはあるが華奢ではない肩に、黒い縁取りが映える鮮やかな緑の蝶の羽根を持つシフールの少女を連れているのもある意味いつもの事ではあったが。
 受付係が依頼の話を向ければ、ギースは1つ頷くと懐からよくなめされた美しい皮細工の袋を取り出した。そのまま袋の口を開くと、中に入っていたものをつまみ出す。
「これと同じ青石玉‥‥サファイアを手に入れて欲しい」
 大人の男の爪の先ほどの大きさのその石は、宝石に詳しいものでなくとも高い価値を持つ石であることが分るほど鮮やかな濃青色。ギースがくるりと手の中で転がせば、青玉の中に見事な星が煌いているのが見えた。
「何も宝石商に出入りしろとか、石を採掘してこいとかは言わないよ。この石と対になるもう1つは、とある老婦人が持っていてね‥‥」
 ギースが求める宝石は、元々ある場所にあったものだったのだが、ある事をきっかけにその場所から流出し、幾人もの手を渡って辿りついた先がその老婦人の下だった。
「老婦人へ星青玉を贈ったのは、彼女の娘‥‥正確には、娘の遺品として遺されているようでね。それを求めるのも酷かもしれないが、私も譲れない。金銭を積む事は可能だけれど、交渉を続けた結果、老婦人は代価に金を求めなかった」
「‥‥それでは一体何を?」
 受付係が訊ねると、ギースはサファイアを持たぬ手の指を2本、受付係の前に立ててみせる。
「家族を亡くして以来、ずっと胸にある答えの出ない疑問に納得のゆく答えを示してもらえれば、譲っても良いと彼女は言った。条件となった老婦人が答えを求める問いは2つ‥‥」

 1つ目の問い――なぜ人は、争うのか?
「守りたいものがあるといっては他人のものを奪い、求めるものがあるといってはやはり他人のものを奪う。何のために言葉があるのかと彼女は嘆いていたね」

 2つ目の問い――なぜ神の姿は無く、悪魔の姿はあるのか?
「この世に神などいるのかと‥‥いるのであれば、なぜこんな世が続くのかと彼女は問い続ける日々を送っているようだよ」

 哲学者や神の使徒が得意としそうな問いだけれどね‥‥と前置いて、ギースはなぜ冒険者ギルドに来たのかの理由を、漸くそこで口にする。
「今なお剣を取り、カに満ちた言葉を操り、祈り求め与える人々に問いたいと彼女は望んだ」
 老婦人が齎された答えに納得できれば、石を譲ろうと約束したのだ。
 けれど、出来なければ、どんな大金を積まれようとも譲りはしない――と。
「彼女が望むのは四角四面の表面的な言葉ではないということだよ。生憎私には彼女の問いに答える資格がそもそもない」
 飄々と振舞うギースにしては稀な皮肉の色が混じった声音だった。
「だが、私もどうしても欲しい。1つだけでは私にとっては意味が無いからね‥‥2つで一対、初めて意味を成す宝石なんだ」
 白い手袋を嵌めた手で、濡れた輝きを返す石を愛おしげに撫ぜるギースの瞳はどこか寂しげな色を浮かべていた。
 いつも賑やかを通り越して話すシフールの少女・シェラ(ez1079)が何も話さずにいるのと同じくらいに珍しい色だった。


●王女の涙
「お母さん、お守りにこの石をあげるわ。とてもきれいでしょう? この石は『王女の涙』って呼ばれていたんですって」
 娘はそう言って簡素な組紐が通された小さな布袋を母親の首へ掛けてやった。母親が袋を開くと中には濃青が美しい石が入っており、涙という言葉に納得する。
 涙ではお守りにはならないのではないかと聞くと、「王女様の流した涙は嬉しくて流れた喜びの涙だそうよ」と娘は笑った。だからきっとお母さんを守ってくれるわと娘は笑った。
「私は大丈夫、セーラ様のご加護があるもの。それよりお母さんに持っていて欲しいの‥‥私が帰る場所ばお母さんがいるところ。そばにいられない親不孝な娘の代わりに」
 母親の手に石を握りこませ、その上から両の手のひらで包み込み、祈りの聖句を唱えるように囁いた。
 王国の騎士達を支えるために戦場に随行する娘の背を見送って、もうどれくらい経ったのだろう。
 国が奪われた時、夫も奪われた。
 国が失われていた時に、息子とその妻子達も失った。
 国が取り戻されても、娘は帰ってこなかった。
 失くしてばかりの老女の元に残ったのは、娘が残してくれた『お守り』だけ。
 平和を信じ戦争へ向った娘の祈りは結局は届かなかったのだろう。
 戦は無くならず。人が争いをやめる事も無く。
「どうして人は、争うんだろうねえ‥‥命ほど大切で、代えの無いたった1つきりのものは無いだろうに‥‥」
 すっかり色の褪せてしまった皮袋の表面を撫で、老女は小さく呟いた。

●今回の参加者

 ea7489 ハルワタート・マルファス(25歳・♂・ウィザード・エルフ・ビザンチン帝国)
 ea8789 ガディス・ロイ・ルシエール(22歳・♂・ウィザード・ハーフエルフ・イギリス王国)
 eb1460 エーディット・ブラウン(28歳・♀・ウィザード・エルフ・イギリス王国)
 ec4275 アマーリア・フォン・ヴルツ(20歳・♀・神聖騎士・エルフ・ノルマン王国)

●サポート参加者

香月 七瀬(ec0152

●リプレイ本文

●永遠の命題
 依頼人の求めるものを得るために交渉に向かう。それが今回彼らが請け負った依頼だった。
 腕にモノを言わせて討ち果たす依頼でも無ければ、分りやすい指針がある依頼でもない。
 求められる物に応える‥‥人の心を量るという目に見えない不確かな事はとても難しい‥‥それを、彼らは良く理解していた。
「御婦人の気持ちに折り合いをつけ、納得していただいた上で石をギース伯爵へお譲り戴くのですね」
 アマーリア・フォン・ヴルツ(ec4275)は依頼書を手に、その内容を纏める言葉をぽつりと零した。
「むむむ〜。ギースさん、普段とちょっと違うですね〜。この二つの宝石に、何があるのでしょう〜?」
 ギース伯よりシェラ・ウパーラ(ez1079)が預かった件の石の片割れ、青い宝石を見つめながらエーディット・ブラウン(eb1460)が小さく首を傾ける。依頼を齎した時の彼の様子が以前見知っていたものと違うように見受けられたからだ。依頼内容も然り。
「対の物は、互いを呼ぶ‥‥そういいますね」
 肩を寄せていないと寂しくていられないから。石達が望めばきっと二つ揃う事だろう、とガディス・ロイ・ルシエール(ea8789)は呟くが、「でもなぁ‥‥」とハルワタート・マルファス(ea7489)が、慣れない難しい話に頭痛を覚えてか、こめかみを揉む。
「娘さんの遺品か‥‥そら中々手放せないよな‥‥。何故戦うのかと神さんの有無か‥‥う〜ん、難しい問題だ」
 ハルワタートは淡い金の髪をくしゃりとかき上げる。
「戦いの原因と神の有無‥‥ですか‥‥人間の永遠の命題ですね」
「私は神は存在すると信じております。そこに救いがあるから」
 ガディスの呟きに、アマーリアは首から下げられた十字架のネックレスを握り小さく微笑んだ。
 老女の二つの問いは、神に使える騎士であるアマーリアも常に考え続けていることだったが、堂堂巡りで中々答えは見つからない。
 何故争うのか、神はいるのか‥‥
 問いに対し、一定の指標が纏まったところで、エーディットは傍らにいたノルマンゾウガメの甲羅を緩く撫でやり席を立った。
「私は気になるので、老女さんの所へ行く前に、彼女のご家族について調べてみますね〜」
 自分の行動は今更かもしれない。けれど、娘さん達が何を思って何を為したか、老女さんには知る権利があると思うから。
 調べがついたら、娘さんがどんな思いで何を為したか、老女さんにお話しよう‥‥そう思ってエーディットは仲間と別れ、まずはその手がかりを得るために、香月 七瀬と共にギース伯の下へ向かった。


●求める心
 冒険者達の依頼の結果を待って領地に帰るつもりらしいというシェラの話通り、ギース伯はパリに滞在していた。
「いや、普通に王都ですべき仕事もあるんだけどね」
 苦笑交じりに、けれどギース伯は友好的にエーディットを迎えてくれた。
 宝石の行方を探り老女にたどり着いたギース伯に訊ねれば何らかの情報を得られるのではと思っていたエーディットの読みは当たった。依頼を果たすのに必要とあれば依頼人がそれを拒むはずも無く、彼女らの求める答えを彼は与えた。ギース伯は宝石を持っていた女性を知っていたのだ。
「彼女はとても強い心を持った女性だったよ。ただ、彼女の手に渡っていた事を知ったのはつい最近だったけれどね」
 ギース伯は、彼が調べ得た情報と彼が持っていた情報を限られた時間でエーディットに話してくれた。
「宝石が無くなったのも、彼女が亡くなったのもこの国だ。束の間の平穏を手にした事もあったけれど、このノルマン王国の情勢は安定してはいない‥‥ぎりぎりの均衡でもたせているという方が正しいかな」
 そう話を締めたギース伯に、老女の娘ではなく宝石についても訊ねた。
「エーディット君の瞳は美しい艶やかな赤石‥‥ルビーのようだね。機知に富み、思慮深く、常に周囲を明るく照らす‥‥貴女の持つ色の如く」
 不意に意中の女性を口説くかのように、エーディットの顔を見つめながら真摯な声で告げるギース伯に、「あらら」とエーディットは頬に手を当てる。
「その様子は私の言葉を信じていないね? 私は本当にそう思っているのだけれども。‥‥彼女が母親に遺した石――正しくは『王女の涙』ではない。だから、私には2つ必要なんだよ」
 美しいルビーのような瞳。ギース伯が望むのは輝くサファイア。彼は求める宝石は、涙ではないという。そして2つ必要と繰り返す。その時、何かがエーディットの頭の中でカチリとはまった様な気がした。その表情を見て、ギース伯は楽しそうに口の端を持ち上げる。
「なぜ望むのか。私が欲しいものは、未だあと2つある。『どうしてか』は君達が結果を得てくれれば――宝が揃ったら、お見せしよう」
 ギースは微笑みエーディットへ約束する、と告げた。


●答えを持って
「ガディスちゃん、ちょっとだけ待って」
 老女の住む家‥‥むしろ小屋といっても良いような粗末な住居の扉を前に、ガディスにシェラが肩から下げた鞄から青いスカーフを引っ張り出し、差し出した。
「あのね、普通の人だから。冒険者じゃないの‥‥お婆ちゃん、びっくりするといけないから」
 冒険者ギルドに籍をおいていると薄れがちになる、けれど間違いなく存在する畏怖と偏見を示唆する言葉に、ガディスの瞳は一瞬色を無くした。ごめんなさいと謝るシェラは心底申し訳無さそうだったけれど、ここは彼が尊ばれるロシア王国ではなく、故郷と同じノルマン王国。それを思い知らされ、スカーフを受け取るとガディスは緩く額を通し頭に巻いた。
「ちょっと宜しいですか?」
 そんな彼のこめかみの横へ、アマーリアはスカーフを留める様に薔薇の花を模ったヘアピンを差す。
「貴方のきれいな瞳の色に合ってます」
 手を離せば、ふわり優しい花の香りが漂った。似合わぬ色彩を宥め、装束に違和感を感じさせぬアマーリアの気遣いに、ガディスは短く礼を述べる。
 そんな遣り取りの間に、彼らの下に届く軽い足音。シェラがハルワタートへ指し示すように白い手を上げる。ギース伯の元へ寄ってから老女の住む場所へ向かったエーディットの姿が見えた。軽く手を振るハルワタートらの下へエーディットが着く。全員揃ったところで改めて冒険者らは、扉に向き直った。


●1つ目の問い
 アマーリアが扉を叩くと、暫くして軋みながら扉が開けられた。
 入り口に立つ4人を順繰りに見遣り――ガディスの剣、アマーリアの十字架、エーディットのルーンタブレットに僅か視線を留めていたが、重い足取りで踵を返した。数歩進んだ先で、振り返る。
「あの伯爵からの『答え』なんでしょう? 聞かせて頂戴」
 そう告げた老女は揺り子の付いた木の椅子に深く座った。そっけない迎えにシェラが首を傾げるが、歩く際の様子から彼女の足が悪いのだと知ったアマーリアは仲間を促し入ると、静かに扉を閉める。
 他に室内にあったのは粗末な寝台と小さな木の卓子。家具らしい家具も殆ど無い。冒険者らが老女の周りに来ると、彼女は彼らを見上げ訊ねた。
 1つ目の問い――なぜ人は、争うのか?と。

 最初に口を開いたのはガディスだった。
「他人より劣っている自分というのが受けいれられないから、争いは起こるのではないでしょうか?」
 例えば、隣の土地が自分の土地よりたくさんの小麦がとれる事が気に入らない。自分も同じだけの小麦がとれる土地が欲しい、でも開墾するのは大変だから――ならば、奪ってしまえば話は早い。
「多分、争いの根本はそういう事なんだと思います。人を羨み、嫉む‥‥祝福するよりも先にそういう感情を抱いてしまうと‥‥だめですよね」
 人の歪んだ感情を語ったガディスに続いて、今度はアマーリアが理由を語り始める。
「そうですね、争う理由‥‥正義を問わず、自らの思いを通そうとするものでしょうか。手にいれると更に望み、手放してしまうのを恐れるから‥‥何もされなくても周囲に睨みをきかせておきたいのでしょうね」
 聖職者であるアマーリアの語る声は静かに響く。老女の亡くなった娘――石を遺した女性と同じ、女神を奉ずる信徒の言葉に老女は一心に耳を傾けていた。
「強くなった気でいる。しかし、本当の強さはそこにはない。でも、何かに縋りたいのです、きっと‥‥」
 女神の使徒らしい、断定ではなく相反する心とその在り様を話すアマーリアの『縋りたい』という言葉を聞いて、老女はそっと瞳を伏せた。
 仲間の答えに頷いて、今度はエーディットが己の理由を継いだ。
「他の方が仰るとおりですね〜。誤解や行き違いから争いになる事が多いのでしょう〜。悪意の無い害意が発端になる事もあります〜」
 ほんの些細な、小さな誤解も争いの種になり得、歪んだ気持ちではなくとも炎を育む。
「でももしかしたら、『本当に許せない』って思ってしまう心が争いを生むのかも知れませんね〜」
「多分だけどな、同じ男の俺が言うのもなんだけど、戦争って言うものを起すのは大概、俺と同じ男なんだ。だから何となくわかっちまうんだ」
 ぽつぽつと語り始めたハルワタートの言葉に、老女は小さく首を傾けた。話を促すように、聞き入るように。
「意地っ張りで、強くなくちゃいけないって虚勢をはってないと周りから置いていかれそうで、弱い自分を見せるのができない生き物なんだ。他人を頭から信じる事も出来ないから、やられるよりも先に刃を向けちまう。わかっちゃいるんだ、それじゃ何も始まらないのに」
 自分勝手な理由をつけて剣をとる。歴史は多分それの繰り返しなんだとハルワタートは出来る限り淡々と自分の考えを老女に語った。
「一言、ゴメンなさいとかお願いしますとか言えれば‥‥いいんだろうな。人を信じて自分をさらけ出す、その言葉が言えないから争いはなくならないんだと俺は思う」
「妥協と歩みより‥‥この二つが戦いを忌避する上で大切な事かもしれません」
 争いを起こすと言う男。この場にいるその二人が、争いを避けるための考えを話す。
 けれど、4人共にこのままでは争いは無くなり様がない理由を語った。老女の手が微かに震え、彼女は震えを抑えるかのように膝の上で握りしめた。


●2つ目の問い
 老婦人は暫し瞳を伏せていたが、ややあって重たげに口を開いた。2つ目を冒険者に問う。
 ――なぜ神の姿は無く、悪魔の姿はあるのか?

 姿が無い神の存在を『有』と、4人は口を揃えて答えた。
「確かにばあちゃんの言う通り、デビルはよく見かけるけど、俺は自分の目で見たものしか信じられないから。あんまり、神さんがいる実感はないな」
 小さく肩を竦めて答えたハルワタートの言葉に、「実感がないのならば、なぜ?」と老女は重ねて問う。
「そうだな‥‥いるとしたら、デビルみたいには人の世界に口出しするほどおせっかいな存在じゃないんだろうさ」
「神様は神ですから〜、『全知であるが故に何も言えず、全能であるが故に何も出来ない』という事です〜」
 エーディットの言葉は、学問的過ぎて老女はわからないというように眉根を下げる。老女の様子に、アマーリアは十字架が下げられた胸を押さえ、静かに微笑みかけた。
「私にいえることは、神は人の心の中に存在すると‥‥。近すぎて見えないのでしょう。みようと思えばみえ、きこうと思えばきこえる‥‥そういう存在のような気もします」
 老女は幾度か瞬きを繰り返し、冒険者らの話をただ静かに聞いていた。
「祈り続けるのは、我のため、人のため」
 聖句を唱えるように優しいアマーリアの囁きを継ぐように、今度はガディスが口を開いた。
「俺の家は元々神に使える人間が多くて‥‥」
 大抵が神聖騎士になる家系に生まれ、けれどその家の中でガディスはウィザードの道を選んだ異端児だった。なぜなら‥‥
「‥‥俺には姉や妹の様に、純真に神様を信じきることができなかったんです」
 だから選ばなかった道。その頃迷った先行きとその存在。けれど「今は神はいると思っています」と彼は続けた。
 人は一人では生きていけない、必ず傍にいてくれる存在がある。それは血を別けた家族かもしれないし、ひょっとしたら目に見えない誰かかもしれない。傍にいて見守っていてくれるのが神という存在なのではないかとガディスは微笑んだ。そっと見ていてくれるからこそありがたい、と。
「うるさく口出しされるよりずっといいです。その分、手は抜けないけれど‥‥」


●心の結論
 大きな枠で括れば、同じ答え。
 けれど答えに行き着くまでの求め方も、辿り方も人それぞれ。この場で言えば、4者4様のものだった。結論、答えなど求めて出るものでは無く、また他人から与えられるものでもないのだろう。長い間、老女は口を開く事無くただ何かを見ていた。老女が何かを言うまで、結論を出すまで、待つしかないと思われた静寂を解いたのは、エーディットだった。
 椅子に座る老女の前に膝付き、老女を見上げ、皺が刻まれた小さな手をとる。
「でも、どんな結論を言われても、貴女にとって、自身の胸に納まっている答えに勝る物は無いと思うですよ〜」
 老女は彼女から齎された言葉が意外なものであったように、瞳を瞬かせた。ここではないどこかを見つめていた瞳は、目の前のエーディットを映す。
「自分の運命が‥‥誰かに決められた道を歩いている‥‥なんて、思うのはなんだかしゃくじゃねぇ?」
 ハルワタートの言葉に頷いて、エーディットはそっと老女の皺だらけの手を包むように握り締めた。
「たとえ世界が無慈悲でも、貴方のご家族は信念と慈悲を持って行動したのだと、心の中で判っている筈です〜。きっと誰かが、ご家族のお陰で救われたのです〜」
 自分の意思と信念を持ち、国を取り戻すため戦う事を選んだ騎士達を助け支える事を選んだ老女の娘の意思。
 帰る場所を、故国を無くし、流離う民を哀しく思い、また帰る場所があるから頑張れるのだと、懸命に尽くしたという彼女の姿を伝えられる限りエーディットは話してあげた。
 戦争が終わってからも待ち続けとても疲れてしまった老女のために。
 初めて聞く娘の姿を語る言葉に、老女の乾いた頬に一筋涙が零れ落ちた。
「‥‥戦争が無ければ私は家族を無くさないで‥‥今、一人では無かった筈だと。神を信じ戦争が終わるようにと願っていた娘は、神がこの世にいたのであればなぜ死ななければいけなかったのか‥‥わかりませんでした」
「この世は平等ではないかもしれません。でも、人は変化を求めてもがくのです‥‥神を信じられないからこその争いであれば」
 支えるようにアマーリアがそっと手に手を重ねる。争いを起こす人の手。けれど重ねれば温かさを生み出す。
「色々考えてくださって、それから娘の最後を教えてくれて‥‥ありがとう」
 哲学者のような問いは、認めたくないモノに抗う最後の抵抗。その頑なさを解いてくれた彼らに、老女はぽつりと礼を告げた。