ショア城の宴 前編〜あの縦笛はどこに‥‥
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■シリーズシナリオ
担当:マレーア3
対応レベル:8〜14lv
難易度:やや難
成功報酬:4 G 15 C
参加人数:8人
サポート参加人数:2人
冒険期間:02月13日〜02月18日
リプレイ公開日:2006年02月17日
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●オープニング
真っ白なカモメが群をなし、風をはらんだ三角帆に戯れていた。二本マストの中型帆船ディアーナ号。舳先には美しい女神を模した純白のフィギュアヘッド。内海へ入った頃には波も穏やかとなり、船は軽快に波を斬って走った。更に様子の違う帆船二隻が随伴する。
潮風の香が変わった。微かに陸の匂いが、土の気配が肺一杯に吸い込んだ風に感じられた。
「うお〜い、ショア港が見えたぞ〜!!」
甲板から20mあろうマストの見張り台から一人の老水夫が叫ぶ。それが合図となり甲板に居た水夫たちは勿論、反対番で就寝中の者達も歓声をあげて一斉に飛び出し、マストに伸びるロープを昇る。戦闘員である騎士やその従者達も一緒になって昇った。
「お嬢様! お嬢様! そんな所に! そこは危のう御座いますよ!」
酒や汗、むせかえる様な数百人の男達の臭いを掻い潜り、一人の侍女がスカートと鼻先を押えながら
よろけつつ歩く。その行く先は波飛沫飛ぶ前部甲板。そこには白いドレスを濡らし、一人のうら若い女性の姿があった。
「メグか。良い。ここからお父様のお城を見たいのです」
お嬢様と呼ばれた女性は柵にしっかりと掴まり、濡れそぼる銀の髪を掻き揚げて微笑んだ。その面差しは女神像に似て麗しい。
メグと呼ばれた侍女は目をまん丸にして叫ぶ。
「良くはありません! そんなにお召し物を濡らして! お風邪を召してしまいます!」
年の頃も背格好も同じ位の二人。メグは慌てて肩にかけた上掛けを脱ぎ、ほっそりとした肢体を、下着まで透き通ってしまった主人を、下衆な男達の視線から護るべく、お嬢様の、ディアーナ・ショア・メンヤード嬢の肩へかけた。
「きゃああああっ!?」
すると船首がひときわ大きく上下し、ふわり浮き上がると急激に下がる。それと共に波をかぶる。
「ほほほほっ! もう、船上には慣れたのではなくて!?」
「お、お嬢様ぁ〜」
転落しかけるメグの体を、ディアーナの腕が掴み一気に引き寄せる。メグは目を白黒させてディアーナにしがみ付いた。
「あ、あ、危のうございますと‥‥」
「危ないのはお前です。メンヤード家に仕える者が船の上で転ぶとは何事です」
ディアーナの青く厳しい目線にシュンとして、柵に掴まり直すメグ。ディアーナは目線を舳先へと戻し、ピンと背筋を伸ばしより遠くを眺めた。
「何事も経験です。お前も一度、下にある救助用のネットに落ちてみると良い」
「お嬢様‥‥」
「私は四歳の時でした。下を鮫がうようよ泳いでいたのを今でも覚えています」
「おっ、お嬢様!?」
「お前は鮫の歯がギザギザに、奥まで幾重にも重なっているのを見た事がありますか」
ふふふと意地の悪い笑みを浮かべるディアーナ。血の気が段々に引いて行くメグは、涙目に真っ青な唇を震わせた。
「そ、それはお嬢様、私に‥‥」
「ああ、ショア城よ! メグ、ショア城が見えるわ!」
急に抱き寄せられメグはびっくり。心臓が喉から飛び出し三回転半。ディアーナはそんな事など気にかける様子も無く、手前の半島越しに見え出した城の楼閣に掲げられた青地に白い三角帆、黄色い星一つの紋章が風になびく様を懐かしくも眩しそうに眺めた。
護衛のスカロップ号とユニコール号には、絡みつく二匹の蛇の国旗、波間に浮かぶ城砦の紋章旗、そして黒地に海豚の紋章旗。これは海の向こうの大国ランと、その西海を守護するラース伯の家紋、そして黒海豚海戦騎士団の紋章である。
そしてディアーナ号には、ウィルの国旗と青地に三角帆、黄色い星一つとそれを抱く人魚一人の紋章旗がはためいていた。
平穏なショア城の広間。極彩色のタペストリーが壁を飾り、窓からは穏やかな光と潮風が入り込む。人々が居並ぶ中、礼装に着替えたディアーナと侍女のメグが、深々とお辞儀をし礼を示した。大きく膨らんだスカートに、腰をきゅっと窄ませ胸元を強調した若草色のドレス。薄いピンク色の花弁がさりげなく刺繍されており、それをたおやかに着こなす今や花の17歳。どこから見ても立派な淑女。それを人々は目を細くし、眩しそうに見つめていた。
「ディアーナ・ショア・メンヤード嬢様! ラン国ダーナへの御留学より只今御戻りにならせまして御座います!」
侍従長の澄んだ声が朗々と響き、それに合わせてラッパとホルンの奏者が楽の音を綴り上げる。石造りの城は、それらを更にわんわんと響かせ、城内くまなく行き渡らせた。
スカートの裾をそっとつまみ、ディアーナは上座に座る父であるデカール・ショア・メンヤード伯爵を見つめた。その眼には親愛の情が浮かぶ。
「お父様にはお変わり無く。ディアーナ、只今戻りまして御座います」
「うむ。良くぞ2年間の留学に耐えた。さあ、もっと近くに来て成長したお前の姿を見せておくれ」
デカールは日焼けし、長身で体躯もがっしりとした大男。金髪碧眼で瞳の色が親子である事を辛うじて伝える。うやうやしく立ち上がるディアーナは伯の前へ、そして二人は熱い抱擁を交わした。
「お父様、お懐かしゅう御座います」
「ディアよ。お前も段々と母に似て来たな。嬉しいぞ‥‥」
広間は暖かな拍手に包まれ伯と娘は満面の笑み。手を振って応えた。
そして、ディアーナは父に促されるままその横へ。伯はその場に控えたままのメグにも言葉をかけた。
「メグも娘に良く仕えてくれた。お前も我が娘の後ろに立つが良い」
「ありがたきお言葉。身に余る光栄に存じます」
感激に頬を赤らめメグは潤んだ目で主人を一度だけ見、一礼してそそくさとディアーナの後ろへと立つ。すると侍従長は次に来賓の名前を読み上げた。
「ランの国は黒海豚海戦騎士団ユニコール号が艦長バルダック・ジャニス男爵殿! 同じくスカロップ号が艦長フリッカ・コッド卿!」
ファンファーレの中、二人の艦長が三人の従者を引き連れ進み出る。バルダックの堂々とした立居振舞に淑女達は声をひそめて囁き合い、女艦長であるフリッカの粗野な雰囲気と共存する凛とした美丈夫さに居並ぶ騎士達もため息を漏らした。一同片膝を着き礼を示しその中よりバルダックが口上を読み上げようとしたその時、デカールは手を上げてそれを制した。
「ディアよ、お前は父を試しているのか?」
「あら、もうお判りになって?」
きょとんとする一同を尻目に微笑みあう二人。デカールは上座を下り、二人の艦長の間をどんどん進み、その背後に控えた色黒の中年男に片膝着いて声をかけた。
「もしやグロック提督閣下ではありませぬか?」
すると、その男はお茶目に片目を開け、一同を見渡すと真っ黒な顔をくしゃくしゃに大声で笑い出した。
「やはりラース伯! いたずらが過ぎますぞ! 皆さん、こちらの従者こそは船乗りにして伯爵、酔っ払いにして黒海豚海戦騎士団の団長! ランの西海の守護者にてウィル最大の敵!」
「がっはっはっは!! ショア伯、お前さんの結婚式以来じゃて!!」
海の男達はその場でがっしりと互いを抱き合い再会を喜んだ。
宴もたけなわ、窓辺に立つ父と娘。
「お父様。一つ気がかりな事がありますの」
「何かな?」
「夢を見ました。お母様の形見の笛が暗い淵で波間に洗われ、悲しい音色を響かせていました」
「そうか‥‥あれは盗まれたのだ‥‥」
「お父様。王都には天界人様が多数降臨されたとか。私達には不可能でも、きっと何とかして下さいますでしょう」
翌日、国書を携える使者がフロートチャリオットで城を立った。
●リプレイ本文
●王都ウィル、ショア伯別邸 1日目
貴族の屋敷が集まる一画に、こじんまりとしたショア伯の別邸がある。小さいながらも赤レンガの壁に青い蔦が絡まり、何とも味わいがあった。ギルドから指定され集合した冒険者達は奇妙な集団と共にあった。
まだ肌寒い早朝。その日は、四十、五十絡みの老騎士達が十数名、杖を突き、中には付き添いに支えられ、満面の笑みで挨拶を交わしていた。片腕の者、片足の者も多数いる。
「まぁ、その足は鮫に!?」
「ガブリと持っていかれましたわ! がははは!」
「よくまあ生きて‥‥」
豪快な笑いに目を丸くするマリーナ・アルミランテ(ea8928)やリゼッタ・ロウ(eb4227)ら、うら若い美貌の女性陣は格好の古傷自慢のターゲット。
「お嬢ちゃんら、こいつぁそん時ゃ女房の名前を泣き叫んで大変じゃった!」
「それは、おめぇそれは言っちゃ駄目じゃて!」
「まぁ。それはそれはご馳走様です」
「うふふふ」
途端に顔を真っ赤にして座り込み、皆で大笑い。笑いながらも肩を叩き杖を突かせて立ち上がらせる。そして次の自慢話が始まった。
「あんた、行かなくていいのかい?」
少し離れて立つ精悍な男、オラース・カノーヴァ(ea3486)はそり身の太刀を肩に、傍らのほっそりとした女性に声をかけた。腰に下げたサンソードのこしらえに、何となく親近感を覚えた。
「貴殿こそ‥‥」
微笑みながら両手の親指と人差し指で小さな窓を作り、その向こうの風景に、黒曜石を想わせる黒い瞳を輝かせていたリール・アルシャス(eb4402)は、ふとその手を下げて隣りを仰ぎ見た。同じ様に黒い瞳と出会う。片眉を上げ笑む、陽気な輝きをその面差しに感じた。
「なんか正直メンドクセェな」
「ほお、正直者なんだな」
何となく互いに好感を覚える。
「オラースだ。オラース・カノーヴァ。ジ・アースのノルマンから来た」
「アルシャス家のリールだ。オラース殿。リールで良い」
互いに差し出された大きな掌と小さな掌。一瞬、そのアンバランスさに躊躇するが、それを更に巨大な暖かい掌が覆い包む。
「カツドンカツドン。僕はタイラスっていいます。宜しくです」
あどけない面差しに巨大な影。一目で巨人族と判るタイラス・ビントゥ(eb4135)が巨人サイズの袈裟と数珠を身に着け、にっこり歩み寄っていた。
「お、坊主だな。回復魔法は使えるのか?」
「使えないです。でも父上から巻物、一杯貰ってます」
「それは心強い」
ほがらかにタイラスがバッグをポンポン叩くが、二人には大きく膨らんだそれが妙にこじんまりとして見えた。
「そうじゃ! 湾の海流は一年を通じてそんなに変わりはせん! じゃから網を仕掛ける位置が重要なんじゃ。その権利をかけて、あと一ヶ月もすれば、湾全部の領地が参加するレガッタが始まるじゃろう。これが見ものじゃ!」
レガッタとはボートレースの事。ここでは8人の漕ぎ手と、舵取りと船頭兼太鼓打ちが乗り、湾全体を一周する大レースとなるらしい。
巨漢のハーフエルフ、ナサニエル・エヴァンス(eb3860)は思わず口笛を吹いた。
「だが、一番エエとこにあの鯨どもが居座っておるからのう」
「結局、去年の上位陣は最後に大損じゃて‥‥」
「伯爵様とて青息吐息じゃろう? そもそも網の修理に半年はかかろうて‥‥」
途端に老騎士達の話題が暗い方へ転がり込む。
話題が遠ざかる気配に、ナサニエルは単刀直入尋ねてみた。
「おい。一年中潮の流れが変わらないならば、ゴミとか流れ着く所は決まっているのだな?」
「ん? ゴミ?」
きょとんとする老騎士達。
「そりゃあ、どっかしらかに流れ着くわな」
「嵐の翌日とか酷いもんじゃ」
それから話題は、すぐさま元へ戻ってしまった。
暫くすると、二台の四角い箱が地上より数十センチ浮き、敷地へ滑り込んで来た。
それはゆっくり停止すると、後ろの座席からもこもこと厚着した男達が降り立つ。
初めて見るゴーレム機器にロバート・ブラッドフォード(eb4464)は恐る恐る近付いてみた。
「話に聞いていたが、本当にこれに乗れるのか?」
「ああ、これが我等がウィルの誇るゴーレム兵器。ゴーレムチャリオットである!」
異界の天界人が歓ぶ様に誇らしく思いつつもグレナム・ファルゲン(eb4322)は胸ときめかせ操縦席を覗き込む。それは二台のゴーレムチャリオット。
そこへ出迎えにぞろぞろと歩み寄る老騎士達が、色黒で五十絡みの男へ一斉に敬礼する。
「グロック提督閣下。お待ちしておりました」
「よせやいっ、どうした? 海の勇士どもが陸の上で?」
「それはお互い様ですじゃて」
途端に全員くしゃくしゃの顔を更にくしゃくしゃにして高笑い。ラース伯は皆の身体をいたわる様に、そっと抱き締めて回る。
「はっはっは、違いねぇ。新しい騎士団長殿の‥‥か?」
「いえいえ。わしら年よりは、ただ消え去るのみですじゃ」
互いにニヤニヤ笑いながら、ゆっくりと建物へ歩き出す。
「そうだな‥‥お前らはまだ良いぞ。さっさと楽隠居決め込みやがって。ここだけの話、俺なんか誰に後を任せて良いやらだ。その点、メンヤードの奴は自分の娘がいるから良い。ここに居るって事は、まだ見てないだろう? 一緒にショアまで来たんだが、17になってますます奴に似ないで奥方にそっくりだ!」
「ほほ〜、それは楽しみですなぁ〜」
一同、目を細めて想像する。頬を弛緩させ一瞬至福の表情。それを打ち破ったのはエルフのマリーナだった。
「失礼致します。ラース伯様でらっしゃいますね」
「如何にも。何ともお美しい、紅き瞳のご婦人よ。親しき者は、私の事をただグロックと呼んでくれます。宜しければご婦人もその様に‥‥お名前をお尋ねしても宜しいですかな?」
これまでの打ち解けた空気が嘘の様に、ラース伯は恭しく一礼。マリーナの手を取り、軽く口付けする。
「マリーナ・アルミランテと申します。伯爵様」
「マリーナ、お名前もお美しい。私の事はグロックで構いませんよ」
そのままマリーナの手を取り、屋敷の奥へ誘おうとするラース伯に、マリーナは立ち止まり、物腰柔らかにそれを断った。
「これからショアに向かわねばなりません。もし、お時間がありましたなら、大国ランの話、ランの海の話、珍しい植物などの話をお聞きしたいと思いますわ」
「それは残念です。私もこれより我が敬愛するレベッカ・ダーナ陛下の国書を携え、王宮へと赴かねばならぬ身。もし次にお会いする機会がありましたなら、ランの話は勿論の事、うっそうと繁る緑豊かな森にありますエルフの分国、その沿岸より西へと広がる海の森、そしてそこに住まうマーメイド達の王国、広大な平原がただただ広がる東の分国、時の許す限りお話致しましょう」
先程までの砕けた口調とは打って変わった滑らかな語り口。
マリーナは、ラース伯へそっと手の中の物を差し出した。
「では、うちとの約束の印にこれを差し上げますわ」
「これは?」
ラース伯の掌は、肉厚で思ったより熱く感じられた。
「はい。波の娘の道標、という御守りですわ。どうかこれをお持ちになって下さいね」
「ありがとう、マリーナ。これを見る度に貴方を思い出すとしよう」
背後より呼ぶ仲間の声に、マリーナは数歩下がり、ラース伯の手から離れた。
「最後にショア伯様と奥方様の事を何かご存知でしたら、うちに教えて戴けませんかしら?」
「奥方はウィルの下級貴族の出で、精霊アルテイラではないかと噂される程の美貌と、笛の名手として名を馳せた才女で、この館の庭先で催された音楽会に演奏され、そこで二人は出会った。そして熱い恋に落ちたのだ。ではな、紅い瞳のマリーナよ。再び会う日まで、そなたに精霊の祝福あらん事を!」
「伯爵様にも!」
マリーナが小走りで乗り込むと、冒険者達を載せたチャリオットはふわり浮き上がり、次には馬よりも遥かに速いスピードでウィルの街を後にした。
●ショア城 2日目
それぞれ二人の鎧騎士が交替で操縦し、二日目の夕刻にはショア城の門をくぐった。
メンヤード家の家紋が浮き彫りに掲げられた重厚な城門から、合図のホルンが吹き鳴らされる。
海水がそのまま流れ込む外堀、それにかかる跳ね橋。門は落とし格子と二重になっており、楼閣の上には数名の兵士が立っている。煮えたぎった油や鉛、岩等を落とすスリットが、幾つも黒い口を開いていた。次には虎口と呼ばれる小さな広間があり、城側は城壁の四方八方から射掛ける事が出来る。右手に少し狭まった通路が伸びており、海へ面する造船施設へと続く。
小槌の響きが幾十も木霊し、大勢の船大工達が陸に引き上げた帆船の船底の修繕や、骨組みだけの船体に取り掛かっていた。
「うわ〜、お城です。故郷の寺院とはやっぱり違います」
好奇心に瞳を輝かせぐるり見渡すタイラス。のっそり降りるとチャリオットは大きく傾いた。
内堀の門前に並べ、降り立った一行は吹き抜ける潮風で肺を満たし、思いっきり伸びをする。
風除けの毛布を畳むのを手伝い、グレナムは約束通りチャリオットの操縦席に座り込んだ。
「では、動かすのである」
「最初はゆっくりで、そっとな」
隣りに座る若い鎧騎士が見守る中、教わった通りの手順で、少しづつ浮かせた。後で同い年と知る。
「よおし、姿勢を安定させろ。次はバックでゆっくりとだ」
「ふむ。判っているのである」
ゆっくりと後退。それから少し速度を上げて前へ進んだ。資材置き場の山と積まれた材木の間を抜け、数回まわってみると徐々に感じが掴めて来た。
暫くすると内門が開き、出迎えの者が姿を現す。案内されるままに内門を抜けると左右に曲がりくねる、緩やかな階段が続いていた。階段脇の青々とした植え込みに、小さな黄色い蕾が見て取れて、既に春の先触れを感じさせる。
先を進む侍従長のヨハンは物腰柔らかな三十代。ピンと姿勢も良く、こちらのペースを確かめる様にゆっくりと登って行く。後ろには騎士見習の従者であろう少年達が一行の荷物を抱えて続いた。
遠く、風がリュートの音を運んでくる。
湾を見下ろせる小高い丘を登りきると、ショア城の中心、三階建ての白い石造りの本丸が建っていた。真ん中をくり貫いた形の中庭を抜けると、内側の木造テラスに数名の侍女らしき姿があり、好奇の目で一行を眺めながら長い棒を器用に使い洗濯物を取り込んでいる。更に奥へ入り、階段を昇り踊り場を抜けるとちょっとした広間に辿り着く。そこの上座にメンヤード家の父と娘とそれに従う者達が一行を待っていた。
「ようこそショア城へ。冒険者ギルドの諸君」
初めに口を開いたのはデカール・ショア・メンヤード伯爵その人。金髪碧眼、日に焼けた壮観な身体、三十代後半とは言えピンと張りのある穏やかな声は部屋の隅々にまで響いた。
「明日いっぱいを使い、城のどこかにあるらしい妻の形見の笛を探して欲しい。漠然とした話で申し訳無いが、詳しい話は娘の方から聞いて貰おう」
そう言って紹介された伯爵の娘ディアーナは、艶やかな銀の髪を見事に結い上げ、淡い刺繍が浮かぶ白いドレスに大人びた表情を浮かべていた。そして一歩前に進み出ると、父の言葉を継いで語り始めた。
「冒険者の皆様、今日は私の為に遠い所をありがとうございます。皆様に探して戴きたいのは、母の形見である貝の縦笛の行方です。一年程前に何者か忍び込み、その際に盗まれたと父から聴かされたのですが、私はまだこの城のどこかにある気がしてならないのです」
ゆっくりとした歩調で、ディアーナは一人一人を値踏みする様に歩む。名を名乗り軽く会釈し合った。そして最後に、オラースの前に立ち止まる。
「それは、どんな形の笛なんだい、お嬢さん?」
「貴方は?」
「俺はオラース・カノーヴァだぜ」
腕を組み見下ろすオラースに、記憶を呼び起こす様に目を閉じたディアーナ。肘まである白い手袋のしなやかな腕で、3、40cm程開いて見せ、満足そうに頷いた。
「そうですね。これくらいの長さです。白くて、貝をくり貫いて出来ていると母から聞いた事があります。太さは‥‥」
次にディア−ナはまるで笛を吹くように構え、そのままその指先をオラースの目の前にかざす。にっこりと微笑み、どうかしらと目でも問い掛けて来た。
「確かこれくらいです。お判りになって?」
「ふ〜ん‥‥こんなもんかな?」
「そう。それくらいです」
二人でその大きさを他の者へ見せると、皆自分の指で大体の大きさを確かめてみる。
「で、それはどんな笛なんだ? 魔法的な力を持っているのか?」
ナサニエルが問うと、ディアーナは少し考え、少しだけ首を左右に振った。
「特に聞いてはおりせん‥‥でも、ここ暫くの間、よく夢を見ましたから何かあるのかも知れません」
軽く口笛を吹くナサニエル。
「何らかの魔法的な力があったなら、笛が己の在処を夢で伝えたのかもしれない」
そこで、唐突にデカールが口を挟む。
「それは無いだろう。何の細工も無い普通の笛だ」
「お父様?」
「あ、いや。話を進めなさい」
不思議そうに振り向くディアーナに、デカールは軽く咳払いをし、席を立ち窓辺へと向かった。
その様を目で追い、リールは一歩前に出、一礼する。
「私は、芸術品としての縦笛か縦笛の持ち主に対する想いが盗難の原因では無いかと考えます。その縦笛のいわれをご存知ならば、我々に教えて戴きたい」
「いわれも何も‥‥」
口ごもるデカールに、哀願するディアーナ。
「お父様、何かご存知なのでしたら、どうか私にお教え下さい!」
「特に話す事では無いと思っていたのだが」
「お父様!」
「人に対する想いが原因であれば、盗んだ者は城内にいる可能性があると思うのだが‥‥」
リールは、デカールの僅かな変化も見逃すまいと、目を細めて様子を伺った。
皆の視線を浴び、デカールは諦めた様に語り始めた。
「あれは若き日の私が、お前の母に、エレオノーラへ贈った物だ。私がアコヤガイの貝殻から切り出し、穴を空け、砂で磨き、そしてこう言って渡したのだ。貴方を想い、貴方の為にこの笛を作りました。どうかこの笛を私の為に吹いて下さいと」
「まあ‥‥」
ため息の様な声が家中の者から漏れ、デカールはマントをなびかせ窓の外を、茜色の海を眺めた。
「それはつまり、アレですか?」
ニヤニヤしながらオラースは鼻の頭を指で掻く。
マリーナ、リゼッタ、リール達はその光景を想像してみると急に頬が熱くなり、そっと両の掌で隠した。すると同じ様にするディアーナと、その指の先から覗く恥ずかしそうな瞳が出会ってしまい、慌てて目線を反らしてから、そっと元に戻すと四人で微笑みあった。
数名の失神した侍女がそっと運び出され、窓から差し込む夕日が一同を紅く染め上げて行く。
「だから、あれはそんな大した代物では無いのだ」
「お父様!? どうしてそんな、大切な事なのに!」
ディアーナは父親の一言に真っ赤になって食って掛かり、慌てて口元を押えて取り澄ます。
「これは伯爵様が悪いなぁ〜」
「いや全くです」
苦笑するオラースと妻子持ちのロバート。
グレナムとナサニエルは、一体何がどうなってるのかと皆を不思議そうに見渡し、何だかよく判らないタイラスはただにこにことカツドン菩薩のお経を詠んだ。
●聞き込み 2日目
会食の後、冒険者達は最初に侍従長のヨハンから話を聞く事となり、代表としてロバートが箇条書きにした質問を順繰りに尋ねた。それは
・どこに保管してあったか?
・なくなったのに気がついたのはいつでしょう?
・そこに入り込めそうな人物は?
・そのときの天気は?
・そのときの警備状況及び担当者
の五項目。
するとヨハンはゆっくりと確かめる様に答えた。
「奥様の笛は、お嬢様の部屋の暖炉の上に常に置いて御座いました。お部屋は毎日の係りの侍女が掃除を行い、窓を開け風を取り入れます。夕方には閉めて回りますので、誰かしらそこに出入り致します。天気は晴れておりました。騒ぎが起きたのは星が綺麗な夜で御座います。私目が最初に気付きましたのは、不信な物音でした。就寝しておりましたので、誰かが窓でも閉め忘れたのではと、廊下に出、それから自室の窓を開けて表を見たのです」
「何故そこで一旦廊下に出た貴方が、部屋へ戻ったのですか?」
まるでTVドラマの様、ロバートは羊皮紙にメモを執りながら尋ね、ヨハンはたんたんと答える。
「夜中に誰かがトイレに向かうのはよくある事。私の部屋は、この本丸の表門の脇に御座います。そこからですと、窓から当番の兵士の様子や、離れた内門の様子が見えるので御座います」
「なるほど。では騒ぎというのは?」
「それはで御座います。家畜小屋の方が少し騒がしく、当番の兵士に様子を見に行かせたので御座います」
「では、家畜小屋で何か?」
「いたずら者のシフールが迷い込む事も御座いますので。その間、私は当番の騎士を伴いこの館の周辺をぐるりと歩いたので御座います。カンテラを手に護身用の棍棒も持ちました。無論、賊が居たならば私は後ろに下がり、騎士にその務めを果たして貰う心積もりでした。そして賊が居たのです」
「見たのですか!?」
「はいといいえの中間と申し上げれば宜しいでしょうか? 黒い影が、パラか人間ならば10歳児前後では無いでしょうか、裏庭を駆け抜けたので御座います。名誉の為に申し上げておきますが、その騎士は足止めをする為に剣圧を放たれたので御座います」
「それはいい。で、どうなりました?」
「はい、消えたので御座います」
「まるっきり?」
「忽然と」
「捜索は?」
「無論、就寝中の方々にも協力を戴き捜索を致しました。翌朝になってからもで御座います。そうすると小さな裸足の足跡が一人分ありました。裏庭にはすぐ断崖が迫っております故、海の捜索も致しました。先日、姫様のお言葉に従い改めて海側の洞穴なども探したので御座いますが、やはり何も発見出来ませんでした」
ここで黙って話を聞いていた中からリゼッタが尋ねた。
「では、他には何も盗られてなかったのでしょうか?」
「はい。姫様の部屋の窓が開いていた事は、その日の夜の内に判りました。そして奥様の形見である笛が紛失している事も。ですが、他に荒らされた様子も無く、無くなったと思しき物は特に思い至らなかったので御座います。やはり床には子供かパラのと思しき一人分の裸足の足跡があり、賊が入り込んだ事が明白になったので御座います。旦那様は、あまり騒ぐ事では無いとおっしゃいまして、今日まで表沙汰にはならなかったので御座います」
そう言ってヨハンは深々と頭を下げた。それがもう話す事の無い合図らしく、他の者からの証言も、これを裏付けるだけの話でしかなかった。
●探索 3日目
城中に部屋をあてがわれた8人は、空が虹色に変わると共に伯爵の許可証を手に行動を開始する。オラースとリールはショアの港町へと出掛け、他の者達もめいめい各自の考えで散る。
オラースとリールが最初に尋ねたのは、ショアの港で町長をやっており商人でもあるキノーク・ニヤーという人物。ジ・アースの商人ギルドの会員証は、アトランティスではあまり意味のあるものでは無いが、城からの紹介という事もあってその老人は快く話をしてくれた。
「店先で申し訳ないのですが、只今とりこんでおりまして」
キノークの言葉通り、ショアの街全体が物々しい雰囲気に包まれていた。遠くでは太鼓の音合わせが、まるで数百人が一斉に叩いている様に勇壮な響きとなってここまで届いて来る。
店の奥では、何やら炊き出しでも行っているのだろうか、一見店の者ではなさそうな女達が忙しそうに動き回っていた。これが他の商家や宿屋、酒場等の店先でも繰り広げられているのだ。
「さて、この街で盗品を扱う様な商人がいるか、とお尋ねになりましたな?」
「如何にも」
オラースとリールは、出された黒い液体の異様な臭いに辟易しながら、老人が美味そうに飲むのを目の当たりにして、おそるおそる口を近づける。意外とあっさりとした味で、喉がスッとして来た。
「どくだみですじゃ。さて、その様な商売をされる方と申しますと、暫く前でしたらばチブール商会と言うザバの商人が支店を開いてあくどい商売で問題になっておりましたが、あそこは撤退されましたしなぁ。その後に入られましたミミナー商会さんは、まぁ古物も扱ってはおりますが、そこそこ真面目な商い。何しろ、このご時世ですから、ショアの港に残っておりますのは堅実な方ばかりで御座います」
「そのチブール商会が撤退したのは、何時の話だ?」
もしやと思い尋ねるリール。
「2年ほどになりますか」
「2年か」
何軒か商家をあたったが、特に有力な情報は得られなかった。
「夢か‥‥」
海へ伸びる城壁内部に接舷しているランの軍船で、ユニコール号という船にお邪魔したリゼッタとナサニエルは、指揮官らしきバルダック・ジャニス男爵と名乗った男に話を聞いた。彼もまた長身でたくましく日焼けした海の男。
「はい。不躾ですが男爵様は、どの様に想われますか?」
見上げる様にしてリゼッタが夢について語ると、ジャニスは少し考えてから話始めた。
「暗いという事は、光の差さない地下や洞穴の中、という事か。恐ろしくなかったという事は、カオスとは無縁と考えても良いのでは? となると水しぶき。海辺という事になる」
「はい。ですからこの辺をボートで調べてみてはと思ったのですが、もうお城の方で調べていると」
少ししょんぼりとするリゼッタに、ジャニスは首を左右に振って微笑んだ。
「なるほど、だがここの城が建っている地形をご覧。断崖には幾つも穴が開いているだろう。これは波が長い年月をかけて少しづつ削り取ったもの。そして波は海の表面だけにあるんじゃない。水の下にも波は存在する」
「水の下にも波があるんですか?」
驚くリゼッタとナサニエルに、ジャニスは力強く頷いた。
「そして潮の満ち引きで見え隠れする洞穴もある。城の兵士は、もしかしたら波が静まった凪の時に調査しただけで、水の下に隠れた洞穴が、まだ誰も調べていない洞穴があるかも知れない。もしかしたら、それを利用した抜け穴なんかがあるかも知れないな。まぁ、そんな所を見つけてしまったら、私などは祖国の土を踏む事が許されなくなる」
苦笑するジャニス。リゼッタは色々と考えてしまい、少しの間、時の経つのを忘れた。それはナサニエルも同じ事だったが、これがチャンスとばかりに色々聞き出そうと口を開いた。
「ジャニス男爵。では、この街から鳴り響いている鐘や太鼓の音は何なのだ? 先程少し街を歩いたのだが、余りに異様な光景だ」
すると、ジャニスは少し困った顔をした。
「あれは鯨を追い込む為に練習している。太鼓は漕ぎ手のリズムを刻み、鐘は方向転換や様々な指揮伝達に使われる必需品だ。ああやって全体のリズム感を掴み、何百隻もの船がまるで一つの生き物になったかの様に動ければ良いのだが、それはなかなか難しい」
「何故そんな事を!?」
驚くナサニエルに、ジャニスは少し表情を厳しくした。
「沖にシャチの群れがいてな。これが血に狂って湾に殺到したら、ただでは済まないだろう。だから、まるでそこに一匹の巨大なサーペントが居る様に、奴等に思わせる事が出来たらどうなると思う?」
「どうなるって‥‥」
「海の生き物には共通して一つの習性がある。それは、自分より大きな生き物は襲わない」
ナサニエルは、今、この湾で何が行われようとしているか、重い衝撃を受けた。
「ま、時間も無いから、こっちはこっちで短い間に出来るだけの事をやるしか無い。うまくいけば驚いた鯨も湾から追い出す事が出来るかも知れないしな。笛探し? いいねぇ〜穏やかな仕事で」
最後にそうこぼすと、ジャニスは笑って手を振りながら立ち去った。
●ぶらっくあくあく団 3日目
「よ〜お、何かこそこそ調べているみたいじゃない?」
くぐもった声。裏路地で、幾多もの気配に囲まれ、オラースとリールはそっと柄に手を置いた。だが、オラースは苦笑してその構えを解いてしまった。
「ど、どこだ! 卑怯者め!」
「おい、ガキどもが調子こいてんじゃねぇ〜ぞ!」
素早い動きで、屋根や塀の上、樽の物陰を気配が走る。だが、オラースにしてみれば、それは異様に軽い気配。幻惑されるリールの肩に手を置き、落ち着かせる。
「す、すまない」
「仕方ないさ。こいつら手馴れてやがる」
にいっと笑むオラースに、リールは幾度も頷く。
「ちぇっ、そっちの兄ちゃんは結構腹が座ってるじゃないか」
ひょいと顔出すのは十歳前後のみすぼらしい少年。すると次から次へと顔を出し、たちまち十人を数えた。
「何か調べているみたいじゃん。良かったらこれ次第でおいら達が力になってやっても良いぜ〜」
最初に顔を出した少年が指を丸くしてニヤリ。
「お前たち親はどうした? これやるから帰れ!」
オラースが銅貨を一枚放ると、パシッと受け取り少年は変な顔。
「判ってないなぁ〜。俺達ぶらっくあくあく団だ。物乞いじゃねぇぜ。それによぉ、兄ちゃん。この人数見ろよ、こいつなんか8歳を頭に5人の子供が家でひもじいひもじいって泣いてるんだぜ。そこんとこ考えてくれよな〜」
そう言って引っ張られる子供は、どうみても8歳に満たない。他の子供達もにやにやしながら様子を伺っている。
「オラース、この子達はもしかして‥‥」
「ああ‥‥おいっ、お前等物乞いじゃ無いんだよな!?」
すると、最初に姿を現した少年が口元だけをにやにやさせながら、真剣な目付きで近付いて来た。
「ああ、そうさ。おいらは団長のジム。依頼があるなら話を聞いてやっても良いぜ」
「まともなネタなら買ってやらない事もないぞ」
オラースは力を抜いてひょうひょうとして見せる。自然体、いつでも動ける状態だが一見そうは見えない。ジムは少し安心した様に、強張った表情を緩ませた。
「今から一年前だ。城に泥棒が入って何かを盗んでいった。何か知らないか?」
「一年前?」
ジムは眉にしわを寄せ9人の仲間を見渡した。すると、慌てて何かを必死で思い出そうという仕草をして見せる子供達。思わず苦笑する二人だったが、瓢箪から駒、一人が歓喜の叫びで跳び上がる。
「ジョンだ!」
「ジョン?」
すると全員が口々に同じ名前を叫び出す。子供達が落ち着いてから話を聞くと、どうやら一年前くらいに城へ忍び込めるかどうか、そういう遊びが流行ったらしい。
「あいつが一番の稼ぎ頭だった。すばしっこくて、頭が良くて。でもジョンは帰って来なかったんだ」
鼻をすする少年達。忍び込んだのは正にその事件の晩。
「お前等、いいネタだ」
絞り出す様な声で、オラースは懐から拳一杯の銅貨を握るとジムの小さな掌に。たちまちこぼれる銅貨に殺到する子供達。もう一握り渡すと、二人は風の如く走り出した。
●裏庭 3日目
館の裏庭には、様々な植物が植えられていた。ハーブの繁みを抜け、レモングラスの爽やかな香に全身を包まれたマリーナは、少し傾斜のある地面から立ち上がった。
「どうですか? 何か判りまして?」
唐突に声をかけられ跳び上がるマリーナ。すると別の繁みの向こうにディアーナが侍女を従え立っていた。侍女の持つ白い日よけ傘と彼女のドレスは少し茜色に染まりつつあった。
「いいえ。特にこれと言っては‥‥」
「そうですか。頑張って下さいね」
にっこりと会釈し、立ち去ろうとするディアーナ。その後ろを侍女が涙目で付いてゆく。
「ううう‥‥お可愛そうにお嬢様」
「よしなさいメグ。まだ何も見つからないと決まった訳ではないのですよ。頑張って下さっている方々に失礼です」
そう叱りながらも立ち止まり、ハンカチを取り出しメグの潤んだ目頭を押さえるディアーナ。するとメグの目がまん丸に開かれ、その様子にディアーナは息を呑んで振り返った。
巨体がゆっくりと近付いて来る。目の前にいる二人に気付く事も無く。テレスコープの呪文で遠くを見るタイラスがのっしのっしと歩いて来る。
抱き合う二人の悲鳴に、寸でで立ち止まるタイラス。魔法を解いてにっこり。
「あれ? ぼ、僕、目立ってます?」
「それどころじゃないですぅ〜」
二人とも転びそうになってタイラスの袈裟にしがみ付く。これはいけないとタイラスは二人を抱え上げ、数歩進むといきなり何かを踏み抜いた。
「あいたたたた〜、お嬢様!?」
「大丈夫です。それよりタイラス様は大丈夫?」
「あ、あれ〜?」
「タイラスさん‥‥ええっ!?」
マリーナの後ろからもわらわらと何人か駆け寄る。見ればタイラスは地面に片足を突っ込んでいた。ゆっくり皆で引き抜くと、地面の下に小さな空洞があり、ずっと下まで斜めに続いている。空気が吹き上がって来る。苔むした臭気に潮の香が混ざり。
「カツドンカツドン。これを使うです」
タイラスは取り出したスクロールを使い、小さな水溜りに呪文をかける。
「一年前、誰かここを通ったですか?」
すると水溜りは答えた。
『一年前なら、人間の子供が棒を持って転がり落ちたっきりだよ』