●リプレイ本文
●トゲニシア副学長
学園都市ウィルディアの貴族女学院に臨時講師として潜り込んだ冒険者達は、校長室に集められて他の臨時講師共々、教師陣に紹介されることとなった。騎士学校と貴族女学院では、騎士である武官を教官、学師である文官を教授と言い、二つを合わせて教師と称す。
正面の広い机の向こうで校長がまず自己紹介をした。若い頃はさぞハンサムだっただろうと思わせる初老の男性だ。
「ようこそ。私が校長のアドルフ・バスカヴィルだ。今日は通常の授業の後に全校生徒集まっての親睦会が大広間で開かれる。先生方も臨時講師としていらした方も、ぜひ楽しんでいってもらいたい。学校に関することはこちらの副学長、トゲニシア・ラルに聞いてくれ」
指名されたトゲニシアが臨時講師達に向かって一礼する。
髪の毛一本の乱れもなくきっちり結い上げられた髪にやせぎすの体型は、見るからに神経質そうだ。年齢はよくわからないが、副学長と言う職と比して若いことは確かだ。
それから、各教科の教師達が簡単に自己紹介をした。
ほとんどが女性だったが、わずかに男性もいる。もっとも年齢は校長とたいして変わらないが。女学院故に若い男性教師を雇うのは控えたのだろう。
「それでは臨時講師の皆さん、今日のスケジュールをお話しますから部屋を移動するざますよ」
トゲニシアに促され、一行は教師用会議室へと移った。
そこでトゲニシアは今日一日の流れを話した。
10時〜11時45分まで午前の授業。12時55分まで昼休み。1時〜2時45分までが午後の授業だ。その後は宿題や自習となる。
そして今日の親睦会は午後5時30分〜8時の予定だ。
臨時講師は午前と午後の授業時間の中で講義を行う。関連する教科であれば学院の教師と共に教え、そうでない場合は前もって生徒を募る。ちなみに今回のことは学院側で調整済みだ。
「質問はございますか?」
トゲニシアが臨時講師達を見渡すと、リオン・ラーディナス(ea1458)が手を挙げた。彼は少しでも良い印象を与えるため、ふだん身につけている装飾品を外し、衣服も着崩すことなくきちんと整えていた。
「聞きしに勝る素晴らしい学院ですね。それでお尋ねしたいことなのですが、セーラ・エインセルという生徒についてです。記憶がない上、身元もはっきりしないそうですね。その上、お偉いトルクの騎士が二人も世話を焼いたそうで‥‥いったいどういう生徒なのです?」
「申し訳ありませんが、それにはお答えできないざます。他には?」
一瞬、ピクリと片眉をはねてトゲニシアは素っ気なく答えた。
リオンは食い下がることはせず、さっさと話題を変えた。
「失礼しました。では、この学院の伝統などを教えていただけますか?」
「そういうことでしたら喜んで。ですがもうじき授業ざます。休み時間にでもお話するざます」
その口調から、先ほどのリオンの質問に特に気を悪くした様子は見られなかった。
●依頼人三人組
武術の教官はカサンドラ・ワーウィックという女性だった。スラリと背の高い、凛とした雰囲気の人だ。
この授業では乗馬服ではない動きやすい服装に着替えて授業を受ける。
セシリア・カータ(ea1643)は、現役冒険者としてカサンドラの補佐で参加していた。
この授業には藤野睦月がいた。彼女にもうヤマンバの名残はほとんどない。ガングロは白い肌となり、どこかの民族のような化粧は最低限のもののみとなった。ただ、髪の色は脱色しすぎて砂のような色だったが。それでも素顔の睦月は表情のよく出るパッチリした目の可愛らしい顔立ちだった。
そんな睦月の友人であるセーラとディーナ・メイスフィルードは学年が違うのでここにはいない。この科目は通常科目のため、授業は学年ごとに行われるのだ。
今日は剣術の基本的動作の講義だ。
セシリアが授業用の刃のない剣を持って構え、カサンドラが説明をしていく。
「このようにキチンと武器を構え、守りに徹する者を害することは、騎士の腕前でも容易ではありません。レディの武術は賊の一撃から身を守るためにあります。それさえ防げば、護衛が賊を倒してくれるからです。受け流しから突きに転じますが無理しないように。レディー攻撃は相手の攻撃を鈍らせるための物で十分です。もしも突きが賊に刺さった場合、このように、くいっと捻りを入れて引いて下さい。そうしないと賊の筋肉が刃を咬んで抜けません」
どの生徒も熱心に話を聞いている。
それから生徒達一人一人に刃を潰した剣を配り、実際に構えを取らせた。
セシリアとカサンドラで生徒達の間を見てまわり、注意を与えていく。
その時、シセリアは睦月の側に寄り一瞬だけ目を合わせる。
カサンドラに見つからないように二人はひっそり笑顔を交わした。
その頃セーラとディーナは、白銀麗(ea8147)の特別講義『錬金術入門』に出席していた。
錬金術は正規の科目ではないため、臨時講師の特別授業となり開講が決まった時から聴講生を募集していたのだ。他にもこういった科目はあり、シルバー・ストーム(ea3651)の『精霊碑文学』、富島香織(eb4410)の『心理学』がそれに当たった。これらの授業では学年は問わない。
銀麗は錬金術と一緒に道徳についても話して聞かせた。
何を極めるにしても、根底にしっかりした道徳観念がなければ全ては悪魔の業に変わる。
「それに、もしこれから皆さんがどこかの錬金術師に何かの購入を勧められた時、錬金術には何ができて何ができないのかを前もって知っていれば、騙されることもないでしょう?」
セーラとディーナは銀麗の言葉を少しでも聞き漏らすまいと耳を傾け、羊皮紙に羽ペンを走らせていった。
午前の授業の二限目に、睦月、セーラ、ディーナはそろって精霊碑文学の講義へ向かった。
15分の休憩と移動の間に、三人は一限目の授業について語り合った。
「アタシもいつか冒険の旅に出てみたいなぁ」
「睦月、あなた世界一のパティシエになるとか言ってなかった?」
出会って間もなくの頃の睦月の言葉は、まだディーナの記憶に新しい。
「‥‥戦うパティシエになる」
「それは‥‥とても無理があると思うわ」
ディーナはやれやれと首を振った。
「睦月さんはなぜ冒険者になりたいの?」
セーラの問いに、よくぞ聞いてくれましたと睦月は目を輝かせた。
「冒険者になって知名度を上げて大金持ちになって、ゴージャスに暮らしたいんだよねー」
「あら、それなら錬金術のほうがいいかもしれないわ。金を作って売るのよ」
「他の珍しい物質でもいいかもね」
セーラとディーナは一限目に受けた錬金術入門の話をした。
そんな金欲まみれの会話で盛り上がっているうちに、三人は精霊碑文学の講義が開かれる教室の前に着いたのだった。
生徒達が全員着席したのを確認したシルバーは、精霊碑文学というものの説明をするためにフレイムエリベイション初級のスクロールを見せた。
「これを発動させることにより魔法として使用できますが、私はそのことよりも遺跡などにある碑文を読むことで、過去の出来事について知ることができるほうが素晴らしいと思っています。有用ですから、スクロールは活用させてもらってはいますがね」
こんなふうな言葉で授業は始まった。
そしてどんなスクロールがあるかを挙げている時、冒険はどんなふうだったかと質問してきた。
彼女の瞳は、どこか夢を見るようにうっとりしている。
きっと吟遊詩人が歌う英雄譚のようなものを期待しているのだろう。
実際はそんなことはまずありえないのだが、とシルバーは内心苦笑しつつ、過激な表現は避けて過去に引き受けた依頼のことを話せる範囲で話した。
依頼人と関係者の皆様、名前は伏せてあるのでご安心を。
昼休み、セーラ達三人はレン・ウィンドフェザー(ea4509)に誘われて、中庭に出ていた。
昼食はイコン・シュターライゼン(ea7891)と天野夏樹(eb4344)、香織によって、食堂でバスケットに詰められ運ばれている。
広いこの女学院でレンがあっさりセーラ達を見つけることができたのは、彼女の地位の力が大きく働いていた。
ウィンターフォルセの領主が知識を深めるために聴講生として来ている、という噂はあっという間に広まっていた。そして実際『領主さま』を目の前にした生徒は、予想外の姿に戸惑うのが常だ。
レンは休み時間にスケッチブック片手に学院を歩き回り、人目に触れない場所や移動経路を調べていた。
そんな彼女を見た生徒達は迷子になっているのかと思い、驚きと戸惑いの後に行く先を聞くのだった。
レンと夏樹は睦月とは旧知の仲だ。この三人がまずはお互いの連れを紹介しあった。
「睦月さんは自然な姿のほうが魅力的ですね」
微笑んで香織が言えば、睦月はびっくりしたように顔を赤くした。
サンドイッチを口にする睦月に、夏樹が囁いた。
「睦月ちゃん、妙な同人誌を学生の間で流行らせないようにね?」
睦月は何も言わずかわいく微笑んだ。その目はイコンを見ている。まるで獲物を狙うかのように。
その目を見て夏樹は「手遅れだったか‥‥」と頭を抱えた。
せめて作られたものがイコン達男性陣の目に触れないことを願うしかない。
昼食の後、レンは睦月に人物画のモデルになってくれと頼み、それをカモフラージュに今夜の計画について話し合うことにした。
巡回を担当する先生達の名前と巡回ルート、それとディーナの彼氏が来るルートと時間を夏樹が聞き出す。レンとイコンはそれを頭に叩き込んだ。
もっとも、巡回ルートに関してはセーラ達にもわからなかった。後で教官か教授に聞くしかないだろう。これは臨時講師として来た冒険者達のほうが良いかもしれない。
「すれちがいがないように、にがおえかいてくばるの♪」
レンの提案にディーナは彼氏の特徴を挙げていった。
その様子を眺めていたセーラは、何やら考えに沈んだ表情だ。
「どうかしましたか?」
イコンの声にセーラは顔を上げると、頼りなさそうな微笑を浮かべる。
「私にも、ディーナさんのように思い出せる誰かの顔があればいいのに、なんて。でも、何もないの」
「記憶喪失で失くした記憶は、ある日突然戻ったりするそうです。時が来れば記憶はきっと戻ると思います。焦らないで」
「時が来れば‥‥」
その言葉が、セーラの心の奥深くにある何かに引っかかった。
しかし、それを探ろうとすればするほど、あいまいになり遠ざかっていってしまう。
「時‥‥その時のために‥‥戻さないと‥‥集めて‥‥」
「セーラさん?」
どこか遠くを見つめるような目で何事か呟きはじめたセーラを不審に思い、イコンが呼びかけた。
セーラはたった今目が覚めたように数回まばたきをすると、イコンを見て恥ずかしそうにほんのり頬を染めた。
「ありがとうございます。記憶のことは、焦らずにやっていくわ」
ついさっき自身が呟いたことは覚えていないようだった。
イコンが睦月やレン達を見れば、自分と同じように不思議そうにセーラを見ていた。
午後の二限目は香織の心理学だ。
セーラ達は三人ともこの講義に出席する予定だったので、予鈴が鳴ると香織と共に教室に向かった。
香織はまず心理学がどのような学問であるかを紹介し、次に心理臨床士が患者にどのように接するのかをいくつかの例を挙げて説明した。
「心理臨床士が訪れた患者さんに対してどのような態度で接するかで、その後の展開は大きく変わっていきます。これはとても重要なことです」
患者さんと築いていかなければならない信頼関係や、患者さんの明るい未来の可能性を疑わないこと、心理臨床士が患者さんを変えるのではなく患者さん自身が変わっていくのだということ、などを香織は話した。
セーラはずいぶん熱心にこの講義を聞いていた。
失くした記憶のことを考えていたのかもしれない。
●学院の花たち
親睦会の開かれる大広間は午後5時に開場となった。パーティは立食形式のようだ。
臨時とはいえ講師の立場を利用し、イコンはトゲニシアから外の見回りを聞いた。風紀を守ることに協力する、と言ったらトゲニシアが教えてくれたのだ。
イコンは続々と集まってくる生徒達の中に講師である仲間達を見つけると、雑談をする素振りで聞いたことをこっそり伝えた。聴講生の立場の仲間達やセーラ達三人には、パーティが始まってからのほうが見咎められないだろう。
「私達の世界の学生は、これが正装なんです」
地球での学生服姿で、会場の入口で生徒達の服装の乱れをチェックしていたトゲニシアに、こう夏樹が主張すれば、トゲニシアは夏樹を上から下までじろじろと見回した。ウィルの基準ではいささか刺激が強すぎるが、紋章の刺繍された制服にはそれなりの風格があった。
「いいざます。異世界の文化を否定する気はないざます。お入りなさい」
夏樹は一気に緊張を解いて大広間の中に入っていった。
パーティ開始10分前に、会場が突然大きくざわめいた。
入口のほうだ。
数人の生徒達と談笑していたメイベル・ロージィ(ec2078)は、何事だろうかとそちらを見やった。
やがて人垣を分けて現れたのは三人の生徒だった。彼女達の囲むのはたくさんの取り巻き達だ。
「ブリジット様よ‥‥」
メイベルの隣の少女がうっとりとした目で、自分の所属する寮の寮長の名を呟いた。
ブリジット・クラフ。
ローズ寮の寮長を務める華やかな顔立ちと雰囲気の最高学年の生徒だ。彼女はすでに結婚しているらしい。
もう一人はブリジットと同い年のリリー寮の寮長ユーフェミア・リトン。彼女は婚約はしているが結婚は卒業後という話だ。
そして花姫の中で最年少16歳のヴァイオレット寮の寮長であるシャーリーン・ジェナス。大商家の次女で、婚約者も付き合っている人もいない。
「どういった人柄なのじゃ?」
とろんとした目のその生徒に尋ねる炎龍寺真志亜(eb5953)。
頭が半分ほど夢の世界へ旅立ったまま、彼女は答えた。
「ユーフェミア様ははっきりした性格の方ね。曲がったことが許せないの。シャーリーン様は一見おとなしく見えるけど、ちゃんと考えていらっしゃるわ。ブリジット様は‥‥あぁん、ブリジット様〜」
言い終わる前にその生徒はブリジットのほうへ行ってしまった。
真志亜とメイベルは肩をすくめ苦笑を交わした。
花姫達の周りは、アイドルを囲むファンの様相だ。
しかし、そんな騒ぎもトゲニシアの咳払いですぐにシンとなる。
「皆さん、そろったざますね。それでは、今から親睦会を開くざます。学年を問わず語り合い、皆さんに生涯にわたるような素晴らしいご友人ができますように」
乾杯、とトゲニシアの声に、生徒も教師も各自グラスを鳴らした。
真志亜とメイベル、それに香織などの聴講生や臨時講師は『外の世界からのお客様』として沢山の人に声をかけられた。
この学院にいるかぎり、外の情報はほとんど入ってこない。そういったことを知りたい生徒には、冒険者達は恰好の的だったのだ。
それ以外にも、真志亜は気が付けば恋愛相談を受けていたりしたのだが。
そんな人の流れも一段落着いた頃、真志亜とメイベルのもとにディーネ・ノート(ea1542)がやって来た。
「あちらでディーナさん達が待ってるわ。今夜のことで‥‥」
手に持った皿に少量ずつ料理を取り分けながら、ディーネは小声で言った。
それから彼女は誰かを探すように場内を見渡す。そして一点を見つめると、困ったわね、とため息をついた。
その視線の先には、生徒達に囲まれて身動きの取れなくなってしまったイコンがいた。
「彼が先生方の巡回ルートとかを教えてくれるはずだったのに」
「あれでは無理じゃのぅ」
真志亜の口から乾いた笑いがこぼれる。
「まぁ、まだ時間はあるし。何とかなるでしょう」
ディーネは気軽に言い、セーラ達の待つテーブルへと向かった。
そこでは夏樹と睦月が地球の学校の話で盛り上がっていた。
ディーネ、真志亜、メイベルが到着すると、香織がイコンに代わって教師達の巡回ルートなどの詳細を伝えた。
集まったのは女性陣のみだった。
「彼らの尊い犠牲のおかげね‥‥」
ディーネは遠い目でアルフェール・オルレイド(ea7522)、イコン、シルバー、リオンの四人の生贄達を見やった。
「あの強面のアルフェールまでモテモテなのは驚きだよ」
「あら、あの人は身だしなみのきちんとした人よ。髭も毛先まで手入れがされているし。それに聞いた話では作法の時間でのあの人の講義はとても的確でわかりやすかったらしいわ。私も受ければ良かった」
夏樹に答えたセーラは、最後に残念そうに肩を落とした。
●隙を作って抜け出そう
話し合いも終わったところでトゲニシアに怪しまれないうちに散ったセーラ達は、それぞれ行動の時間が来たことを確認すると動き出した。
いまだ捕まったままの男性陣も、計画はわかっているのだから近くに寄った時に目配せをすれば、きっと気付いてくれるはずだ。
まずは、誰にも気付かれずにセーラ達を大広間から出さなければならない。
夏樹はワインボトルを抱えると、教師達を見つけては愛想良くグラスに注いでいった。
少しでもお酒が回って動きが鈍くなればいい。酔い潰れてくれるのが一番だが、生徒の手前さすがにそれはないだろう。
特に外回りの教師に夏樹は何度もワインを勧めた。
レンは入口付近の生徒達の注目を集めることに力を注いだ。
仮にもウィンターフォルセ領主の言葉だ。おろそかに聞く者はいない。まして、修行を積んだ魔法使いと言う。そうなるまでにさぞや多くを学んできたであろう。
「りっぱなひとになるには、べんきょーができるだけじゃなくて、たくさん『じんせーけーけん』をつむのがひつよーなのー♪」
たとえそれが呑気な口調だったとしても。
そしてディーネは、ちょっとした騒ぎを起こすのにちょうど良い場所とタイミングを探しながら会場内を巡り、男性陣に合図して回った。
合図を受け取ったシルバーは、こんな時のために持ってきておいた感状を、冒険の話を聞きたがる生徒達に見せた。
これはシルバーが戦場で功績を立てた証だ。
狙い通り、生徒達の目はその布製の勲章に釘付けになった。
この中にいるかもしれない、逢瀬を邪魔しようとする生徒達も、きっとそのことを忘れてしまっているだろう。
ちなみに、何があっても学校を抜け出して騎士学院の生徒と会うなど許さない姿勢のトゲニシアの相手は、リオンが引き受けていた。朝と同様すっきりとした装いに加え、気持ちが安らぐような香水をつけている。
彼は朝の約束通り、彼女に学校の伝統や栄えある歴史について聞き、できるだけ周りに注意を向けさせないように努力していた。
その様子は生徒や教師も気になり、彼らは時折盗み見ていた。
あの副学長を口説く変わり者がいる!
密かに注目されていた。
「この学院は勤勉で、それでいて美しい女性が多いと思いましたが、理由がわかりました。生徒の範たる副学長が、そうであるからです」
リオンの言葉を聞いた、周りの何人かは料理を喉につまらせ、何人かは「その通り」と頷いた。
実際のところ、トゲニシアは美人の部類に入るだろう。年もリオンとあまり変わらない。ただ、いつも厳しい表情なので誰もそれに気づかないのだ。
教育一筋の彼女は、果たしてリオンにどう答えるのか。
「ありがとうございます。外からいらした方にそのように評価していただけるのは、とても光栄ざます」
瞬間、行方を見守っていた周囲は衝撃に凍りついた。
あの副学長が微笑んでいる!!
恐怖に近いものが彼らを襲っていた。
その時、ディーネがイコンに向かって小さく頷いてみせた。
イコンが素早く大広間の隅に目を走らせると、間もなくしてディーネの足首を何かがくすぐった。
どこから入ってきたのか、ネズミだ。
イコンがあらかじめオーラテレパスで呼びかけておいたネズミ達だった。
「きゃぁ〜、ネ、ネズミよ〜っ」
少々わざとらしさがあったが、大広間中の注目を集めるのには充分だった。
ただでさえそれぞれの興味のものに集中していたところに、予期せぬ悲鳴があがり、大広間は束の間混乱状態になった。
「今のうちじゃ」
真志亜が細く大広間の扉を開け、セーラ達を外に出した。
セーラ達はひとまず無人の教室へ駆け込んだ。
ディーナが息を整える間もなく、銀麗がミミクリーをかける。
「これは姿を変える御仏の加護です。効果は一時間。持続時間中は何度も姿を変えられます。体の体積は変わりませんし、身につけた服も変えられませんから、誰の姿を借り、どう演じ、窮地にどう対処するのか、あなた自身が悩み考えなければいけませんよ」
「が、がんばります」
決意のこもったディーナの表情に、銀麗は微笑みを返した。
「私はディーナさんのアリバイ工作ができるよう、お部屋で待機していましょうか」
「じゃあ、私と睦月さんも一緒にいたほうがいいわね」
セーラの申し出に銀麗は頷いた。そうしてくれると助かる。
緊張するディーナに真志亜はそっと香水瓶を握らせた。
「逢瀬をするなら、第一印象は大事じゃな。これを使うがよいのじゃ」
ローズウォーターという香水だった。
「貸してみろ。少し身形も整えてやる。走ったから乱れてるぞ」
ディーナの手から香水をもぎ取るアルフェール。
彼は見かけによらず理美容に関する知識がある。
手先の器用さとは無縁のような手で、走ったせいでもつれてしまったディーナの髪を整えていくアルフェール。
セーラと睦月はその手の動きを、魔法でも見るように見つめていた。
襟を整え、コサージュの向きを直す。
たったそれだけで、とても見栄えが良くなったのだ。
アルフェールが最後にローズウォーターをディーナの耳たぶの裏や手首に控え目につけている時、真志亜がとんでもないことを言った。
「男を常に自分のものにするなら、既成事実を作っておくことを推奨するのじゃ」
瞬間的に顔を真っ赤にし、大声をあげそうになったディーナの口を、アルフェールの大きな手がふさいだ。
真志亜10歳。将来は魔性の女になるかもしれない。
「と、とにかくもう行きましょう。後のことは私達に任せてください」
気を取り直すように言った銀麗に、ディーナは深呼吸を一つして頷いた。
●妨害する者を振り払え
大広間のネズミ騒動が落ち着くと、トゲニシアは時間を確認し、外の見回りのために各教師達へ呼びかけた。
その副学長に一人の生徒が歩み寄る。
「先生、私達も手伝います」
そう言った彼女の後ろには10人ほどの生徒がついていた。
トゲニシアは頷き、よろしくお願いするざます、と答えた。
数人の教師が大広間を出る準備をしていたのを見つけた夏樹は、とつぜん今までお酌していたワインボトルの口を、自分の口に含むと一気に中身を飲みだした。
半分ほど残っていた中身をほとんど飲み干した夏樹は、とたんに足元が覚束なくなった。
「これは、けっこう‥‥」
ゆらり、と体が大きく傾ぐ。
アルコールの一気飲みは非常に危険です。絶対にやめましょう。
そんなフレーズを頭の片隅で思い出しながら、夏樹はその教師達の一人にもたれかかった。
「せんせえ〜、私酔っちゃった〜♪」
「あなた‥‥いったいどれだけ飲んだのです!?」
ヘラヘラ笑う夏樹を支えたのはカサンドラだった。
カサンドラは夏樹をこのまま放ってはおけないと判断し、一緒に見回りに行くはずだった他の二人の教師に、先に行ってくださいと告げた。
二人は歴史学と手習いの教授だ。
偶然とはいえ夏樹は対峙した時にやっかいな人物の足を止めたのだった。
酔ったフリで充分だったのでは、と気付いたのは翌日の二日酔いの中だった。
その頃外ではトゲニシアに協力を申し出た十数人の生徒が、目を皿にして規則違反の生徒を探していた。なぜか皆、手にはモノサシやらモップやら花瓶やらと得物を装備している。
リーダー格の生徒が仲間達に気合のこもった声で言った。
「皆、いいわね。違反者に情けは無用よ。ビシビシ行くからね!」
「了解よ!」
彼女達の結束は固そうだ。
と、そんな集団の雰囲気にそぐわない、やわらかな声がかかった。
学院で見回り用の教師に支給されたランタンを掲げたセシリアだ。
「あなた達、こんなところでどうしたのですか?」
セシリアはとぼけて尋ねた。
するとリーダー格の生徒が生き生きと答えた。相手は臨時とはいえ講師の立場なので、自分達の敵ではないと判断したのだ。
「違反者の見回りです。トゲニシア先生には許可を取っています」
「そうですか。ご苦労様です。ですが、このへんには誰も来ませんでしたよ」
「では、別の場所を見てきます」
「暗いから足元に気をつけてくださいね」
両者は和やかに笑顔を交わしあい、別れた。
生徒達の姿が見えなくなると、セシリアは肩の力を抜いた。
「回り込んで遭遇するまでに、だいぶ時間を稼げましたね」
ディーナについて来ていた真志亜は、後ろのほうから複数の足音と話し声が近づいてくるのを聞いた。
「待ち合わせ場所はもう少し先だったかの」
「ええ、もうすぐよ。たぶん、もう来ていると思うわ」
「そうかそうか。ではあたいはここで少し引きつけておくとするかの。そうそう、友達への義理はしっかり返すのじゃぞ」
真志亜は軽くディーナの背を押し、自分は来た道を引き返していった。
彼女が会ったのはセシリアが遠回りさせた生徒の一団だった。
「あなた、聴講生よね。どうしたの、こんなところで」
「うぅ、ここはどこなのじゃ。学校の周りを見学していたら迷ってしまったのじゃ」
「この学校、けっこう広いものね。もう大丈夫よ。あなた達、この子を校舎まで案内して差し上げて」
リーダー格の生徒の指示で二人の生徒が真志亜について、校舎に戻ることになった。
二人は気遣わしそうに代わる代わる励ましの言葉を真志亜にかけてくる。
弱々しそうにしていたのが良かったようだ。
真志亜は半泣きの演技をしながらこっそり笑んだ。
違反者を追う一団のリーダーは、ふと立ち止まり考え込んだ。
「トゲニシア先生はどうしたのかしら。他の先生方の姿も見えないし‥‥何かおかしいわ」
「でも、この先は例の断崖の真上よ。ここで立ち止まるわけにはいかないでしょう?」
一人の生徒が進むことを促す。
いろいろ不審に思いながらも、リーダーは頷いた。
そして問題の地へあと一息というところで、臨時講師としてやって来た香織と遭遇した。
リーダーは少し警戒し、香織もその気配を敏感に察知した。
「先生、私達はトゲニシア先生の代わりに見回りに来たんです。この先行かせていただきますね」
「誰もいませんでしたよ。あなた達の働きのおかげではないでしょうか」
「それならいいのですが、先生は今日初めてここに来て、隠れるのにちょうど良い場所とかご存知ないでしょう? 詳しい私達が念の為に確認してきます」
香織の向こうでは、ディーナだけでなくこの時を楽しみにしていた両校の生徒達が甘く語り合っている。
香織はそれを壊したくなかった。
仕方がない、とチャームをかけようとした時、別の声がかけられた。
「おまえさん達、人の恋路を邪魔するようなことをしてもしょうがないだろう」
やれやれと言いたげな顔のアルフェールだった。ディーナと彼氏が出会えたのを見届けて戻ってきたのだ。彼氏のほうは一足先に来ていたイコンの友人に状況を聞き、ハラハラしながら待っていたのだった。
アルフェールの登場にリーダーはショックを受けた。
「先生まで‥‥! 先生、ここは勉強する場所です。浮かれた心を満たすための場ではありません」
「どうしてそんなに反対する?」
少しの沈黙の後、リーダーは屈辱に耐えるように言葉を絞り出した。
「‥‥悔しいからです! だって、ズルイじゃないですか、自分達ばっかり好きな人と会えるなんて! 騎士学院に彼氏がいる子のみの特権みたいで許せないんです!」
「そうよ、私なんて彼氏さえもいないのに!」
「彼氏持ちだからって見せ付けてんじゃないわよ!」
ぎゃあぎゃあと不満をぶちまける生徒達。きっとディーナ達まで聞こえているだろう。
アルフェールと香織は困り果てて顔を見合わせた。
年頃の女の子の嫉妬だった。
一方トゲニシアは、リオンとイコンに引き止められていた。
しかしついに二人に盛大な雷が落ちた。
大広間中に響き渡るような声でガミガミ言われているリオンとイコンだったが、こうしている間は恋人達の場は安全だろう、と小さく笑みを交わしたのだった。
翌朝、学院を去る臨時講師と聴講生の前にディーナ達三人が現れ、感謝の言葉を告げた。
「でも、このことで辛い思いをしている人もいるんだなと考えさせられました。皆が好きな人と会える時間を持てる方法があればと‥‥」
ディーナの言葉にセーラも睦月も賛成するように微笑んだ。