●リプレイ本文
●守りの像について
事の発端は貴族女学院の新たな守りである『守りの像』のデザインについて、レン・ウィンドフェザー(ea4509)が睦月が考えたデザインについて下した言葉による。
「とてもざんねんなの‥‥。せっかくの睦月ちゃんのデザインは、いちぶのひとが、とてもいやがるの‥‥。あたしは睦月ちゃんにさんせいなんだけど‥‥」
「本当に残念ですけれどね‥‥」
富島香織(eb4410)も物憂げなため息をつく。
睦月はデザイン画を見て、残念そうに肩を落とした。
「そう。イケてると思ったんだけどなぁ」
あてつけがましくそろってため息をつく三人に、ディーネ・ノート(ea1542)が割り込んだ。
「いやいやいや、まずいって。この二人なんてよく見なくても思いっきり怪しい雰囲気じゃないの。何なの、このいやらしく腰に回された手は」
どの二人かは彼らの名誉のために名は伏せておく。
白銀麗(ea8147)もディーネに加勢した。
「やはり由緒ある女学院に置くのですから、品位は保っておいたほうが良いと思いますよ」
たとえば? と尋ねる睦月に銀麗は自分の案を説明した。
「絡みのない独立した像を十二体置いてはどうですか? 曼荼羅のように十二体を円形に並べるのです。ポーズは冒険者の希望通りにして、フラワーストーンを持っている人は対応する花を持つことにすれば、清楚で気品ある仕上がりを期待できると思いますよ」
「円の真ん中にセーラさんとディーナさんも置きましょう」
さらっと言ったイコン・シュターライゼン(ea7891)の言葉に、眺めていただけのセーラとディーナは危うくハーブティを吹き出すところだった。
「それは良いアイデアですね! あ、ちゃんとお洋服は着ていますよね?」
楽しそうに手を合わせるメイベル・ロージィ(ec2078)。
「裸がいいならそうするよ」
脱ぐ? と、期待に目を輝かせる睦月にメイベルは「とんでもない」と両手を突き出した。
「全体的にあまり性を感じさせない、見た人が視線のやり場に困らない健全なものがいいですね」
という香織の意見にも励まされ、このまま清楚路線を押し通そうとディーネは話を進める。
さっきまでレンや睦月と残念がっていた香織の言葉に、睦月が軽く睨むと「最終的にはそうなるのですよ」と香織に諭されたのだった。
「台座はどうするの? 像本体はシンプルに仕上げて、台座に凝って十二種類の植物を彫るっていう手もあるわね」
「台座のことはあんまり考えてなかったんだよねぇ。でも、それいいじゃん」
そう言って、台座のデザインについてのメモを書き込む睦月。
が、最初の像のデザインを訂正する気配はない。
睦月とて、これでも真剣に考えたデザインをそう簡単に取り消すことはできないのだろう。
ディーネは睦月の手元をじっと見つめると、もう一歩話を進めた。
「皆の希望のポーズは?」
「ポーズではありませんが、衣服に関しては睦月さんに出会った時の恰好でお願いしましょうか」
「出会った時って言うとぉ、疾風の衣とレースのボレロ!」
しばしの間の後、思い出した睦月に香織はにっこり微笑んだ。正解だったようだ。
「私は夢想流の抜刀術の型を希望します。こういう感じです」
言葉で言われてもわからないだろう、と本多風露(ea8650)はさらさらと睦月のスケッチブックに描いていった。慣れた手つきから、風露には美術の心得があることが知れた。
それから、銀麗はパンジーを襟元に挟み合掌している姿を、メイベルはイチイの枝を持った姿を希望した。
続いた炎龍寺真志亜(eb5953)の希望に睦月は腕組みした。
「髪で顔を見えなくしてほしいのじゃ」
と、真志亜は言う。
自分は表に出るような者ではない、というのが彼女の言い分だった。
そんなことはないと睦月は思うのだが、本人がそう望むのだから仕方がない。何とかすることにした。
「シルバーさん、ちゃんと言っておかないととんでもないことになっちゃうわよ」
ディーネにせっつかれ、シルバー・ストーム(ea3651)は少し考えた後に口を開いた。
「十二の花で作られた花束を持ったセーラさんとかでいいのではないでしょうか?」
「あなたの話をしてるのよっ」
半裸にされるわよ、とシルバーに詰め寄るディーネ。
睦月はそんな彼女をニヤリとして見ている。
ある意味緊迫した空気を漂わせていた二人だが、深螺藤咲(ea8218)のこの発言でそんなものは吹き飛んでしまった。
「私の分は他の方に変えてください。ずっと学院に力を貸していた人に」
きょとんと顔を見合わせる睦月とセーラ、ディーナの三人。
「そんなの気にしなくていいのに。ねぇ」
「ええ。せっかく冒険者の像にするのだから、ぜひ」
睦月とセーラが言うも、藤咲は首を縦に振らない。
セーラは視線をさまよわせて少しの間考え込み、やがて慎重ともいえる口調で言った。
「私としては、一度でも私達の求める助けに応じてくれた冒険者の方には感謝の念が絶えないんだけれど、どうしても気になるなら別の形で参加してくれるかしら。守りになるものは多いほうがいいから。というわけで、睦月さん、守りの像としてふさわしいデザインの考案、改めてお願いね」
セーラの一言でディーネの努力は報われたのだった。
●三度目の地下宮殿
地下宮殿への入り口がある倉庫は、まだ移動されてはいない。封印が終わってからだ。
故に、倉庫前で冒険者達とセーラ、ディーナは睦月や花姫達に見送られることになった。
「セーラさん、失敗したら許しませんよ。今日まで図々しくこの学院に居座った分をしっかり清算してきてくださいね」
「なーにを偉そうに」
「猿は黙ってなさい」
「猿!? すっごい失礼! アンタまた生ゴミ食わされたいわけ!?」
「あら、本当のことだからそのように怒るのね」
フラヴィと睦月の仲は今日も絶好調だ。
苦笑するセーラとディーナに代わり、ブリジットが二人の間に割り込んだ。
「二人ともいい加減にしなさい。シメるわよ」
ひんやりとした声音にフラヴィと睦月はとたんに無口になった。
ブリジットは冒険者達と向かい合うと、学院のことは任せておくように言った。
「もちろん成功は信じて疑わないけれど、何かあった時は生徒達は私達が避難させるわ」
「よろしくね」
ディーネが笑顔で応じる。ランタンの点検はすませ、ポケットには預かってきたフラワーストーンが収まっていた。
「皆が帰ってくる頃には、新しいデザインができてるからねー」
「ぜひ無難なデザインで‥‥」
乾いた笑いを浮かべるリオン・ラーディナス(ea1458)に、睦月はVサインを返した。
不安に駆られるリオンにユーフェミアが乱れかけた風紀の件についてお礼を言ってきた。
「今の学院の流行はワンポイントシルバーアクセなのよ。きっとミスコンのおかげね」
「落ち着いたんだ。張り切ったかいがあったよ。役に立って良かった」
「ただ神経を尖らせてばかりじゃダメってことを学んだわ。ありがとう」
ほのぼの話す二人から少し離れたところで、準備を整えていたシルバーがセーラに尋ねた。
「何か必要なスクロールがあれば持っていきますよ」
「じゃあ、戦闘になった時に使えそうなものをお願いするわ。この前みたく壁画に封じた魔物が抵抗してきたり、わずかな隙間から別の魔物が出てきたりすると思うの」
シルバーはいくつかスクロールを選ぶとついでに石の中の蝶も持っていくことにした。
倉庫の奥の地下宮殿への入り口を睨むように見据えるセーラの隣に、アルフェール・オルレイド(ea7522)が立った。
「ここが正念場というところだな」
こくり、と頷くセーラ。
「今度こそ、ロゼの剣で‥‥」
「ロゼの剣‥‥両親から聞いたことがあります。天におわす白の神セーラ様。そのセーラ様より使わされた天の剣が、ロゼの剣」
「その通りよ、藤咲さん。今となっては、あの時ディーナに裏切られて良かったのかもしれないと思っているの。初めてここに来た時、私は一人だったけど今はたくさんの友達や仲間ができたもの」
セーラは晴れやかな笑顔で言った。
和やかに話す三人へレンが駆け寄り、セーラの手を取ってブンブン振り回した。
「せきにんじゅーだいなのー。でもセーラちゃんとみんなとで、がんばってふーいんするのー」
レンの言うとおり、これからしようとすることは責任重大なのだが、彼女やディーネが雰囲気を重くしないよう務めて明るく振舞っていたおかげか、見送るほうも落ち着いていた。
セーラは一度学院を振り仰ぐと「いってきます」と花姫達に告げて、倉庫の中へ入っていった。
●階段で
狭く薄暗い螺旋階段を一行はディーネのランタンの明かりを頼りに下りていく。
その途中、イコンがセーラに封印の方法について尋ねた。
「大ホールに魔法陣を描いて、フラワーストーンの力を借りて宮殿そのものに今後誰も入れないようにしようと思うの。さらにその上に守りの像を置けばカオスの魔物が出てくる余地はないと思うから」
「フラワーストーンは今いくつありましたっけ?」
イコンは仲間達を見回した。
そろっているのは、デイジー以外の十一個だ。
「一つ足りませんが、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫」
不安げなく頷くセーラ。
「もし問題が出た時は僕のMPでも何でも使ってください」
「ありがとう。でも、本当に大丈夫よ。大事に持っててくれてありがとう」
「ところでセーラさん。私達はこれをどう使えばいいのですか?」
手の中のフラワーストーンを眺めつつ銀麗が言った。直径一センチメートル程の小さな球体は、宝石には見られない不思議な輝きを内に散らしている。
「私が描いていく魔法陣に置いてください。タイミングと場所はその時に伝えるわ」
ふむふむ、と頷く銀麗の後ろでメイベルも頷いていた。
それと、とセーラが続ける。
「平和を祈っていてほしいの。悲しく散る命がなくなるように」
メイベルはきゅっとフラワーストーンを握り締めた。
香織も、しっかり封印できるようにしなければ、と気を引き締めながら、もう一つ浮かんだ疑問を口にした。
「封印が完成するまでにどれくらいの時間がかかりそうですか?」
「はっきりとは言えないけど、ぐすぐすしていると魔物の抵抗が激しくなりそうだし、迅速に終わらせたいわね」
初めての試みなのでどうなるかわからない、とセーラは答えた。
がんばらなきゃ、と気負うセーラの表情は先ほどよりいささか硬い。
魔物がどんな抵抗をしてくるかわからないが、前に戦った時ほど厄介ではないだろう。
その時セーラは気負いの背後にある疑心に気付いてしまった。
再度魔物と対峙したディーナは、ちゃんと隣にいてくれるだろうか?
セーラは心に広がりそうになったどす黒いものを無理矢理押し込んだ。
これから力を合わせて事に臨まなければならない時に、仲間を疑ってどうする。
そんなセーラの迷いを敏感に察したアルフェールが、励ましの言葉を贈った。
「そう気負うこともないだろう。人の心は折れることもあるがそれで終わりではない。重要なのは今の友を大切にすることだ」
ハッと顔を上げ、アルフェールを見つめるセーラ。
「ほら、今回の主役はセーラなんだから、しゃきっとせい」
力強いアルフェールの声は、成功の約束のように聞こえた。
セーラは出発前に彼に結ってもらった髪にそっと触れ、ゆっくりと頷いた。
セーラの心が弱くなりかけていた頃、最後尾ではディーナも不安に揺れていた。
許すと言ってくれたセーラだけれど、本当に信じてくれるだろうか。特にロゼの剣は鞘を預かる者と剣の持ち主の信頼が強くないと、最高の威力を発揮しなかったり、最悪の場合、剣が発現しないこともあるらしい。
自分のつま先を見ながら歩くディーナの横に真志亜が下がってきた。
真志亜はディーナの瞳の強い後悔の念を読み取ると、しょうがないやつだと言いたげに息を吐いて助言した。
「人は弱いが、その事実を知っている者と知らぬ者の差は大きい。過去を変えることはできないが、未来と人の心は変えられることを忘れないことじゃ」
ディーナは今にも泣き出しそうな顔に微笑みを浮かべて頷いた。
大ホールへの扉の前まで下りると、レンが元気に言った。
「さっさとカスをふーいんするのー!」
確かにカスだ、と誰もが心の中で納得した。
その背に先ほどとは違う不安の色を浮かべてセーラが釘を刺した。
「あの、くれぐれも天井が落ちるような魔法は使わないでね」
いくつかあるレンの異名の中に『天然の破壊神』というものがあることを、セーラは知っていた。
振り向いたレンの笑顔が、守りの像のデザインについてリオンと話していた睦月が返した笑顔に重なった。
●あなたの祈りをください
耳が痛くなるような静寂の大ホールは、どこか張り詰めた空気に満ちていた。
冒険者達を拒絶するようなこの気配は、もしかしたら宮殿そのものが発しているのかもしれない。
以前、突風で冒険者達を吹き飛ばした壁画とつかず離れずの距離で足を止めたセーラは、ディーナへと振り返る。
その意味を汲み取ったディーナは風露に言った。
「剣の鞘を‥‥」
風露は懐から、手のひらサイズの透明な球体を差し出す。それは、最初に渡された時よりも内側の虹色の花の艶が良くなっているように見えた。
受け取ったディーナは、ゆっくりと唇に弧を描いた。
「あなたに預けて良かった‥‥ありがとう」
それからディーナとセーラは向かい合うと、ディーナは一度球体を胸の前で抱きしめた。
祈りを込めるように抱きしめたそれを、ゆっくりとセーラの前に差し出す。
セーラは球体に手を伸ばし、そのまま手を突っ込んだ。
二人の間にもう迷いも不安もなかった。
不思議なことに、明らかにセーラの手より小さい球体に彼女の手は難なく入り込んでいった。
虹色の花が形を変えていく。
やがてセーラの手は引き抜かれていき、その先に煌めく細剣が現れた。
細剣が剣先まで姿を現すと、ディーナの額には汗が浮かび疲れ果てたように膝をついた。
セーラが手を伸ばすより早くディーネが支えた。
ディーナはお礼を言ってからセーラを見上げる。
「ただ疲れただけだから、セーラはやるべきことを。ね」
セーラは頷くと、冷えた気配を漂わせている壁画を見据え、一歩一歩進んで行く。
緊張のまま壁画の前まで着くと、壁のまん前に剣を突き立てた。
直後、空気が震える。冒険者達は武器を構え、または魔法の準備に入る。
セーラは魔物のことは冒険者達に預けることに決めた。
そうすることには、やはりかなりの抵抗はあったが、そのせいで封印が失敗したのでは元も子もない。
アルフェールの言った言葉、友を大切にする、とは友を心から信頼し互いのなすべきことをなす、ということでもあるのではないかと考えた。
ディーナはそれを示したのだから、次はセーラの番だ。
セーラは剣の柄を握る手に力を込めると、自然と頭に浮かぶ陣のまま地の上に剣先を滑らせていった。
入り口へ向かい、大ホールを一周するようにしてまたここに戻ってくる。
数メートル進んだ時、壁画の向こうから滲むように異形のものが現れた。
頭にヤギの角を生やした人の形をしたもの。
「‥‥アザゼル」
ディーネの肩を借りながら一行についてきていたディーナがうめいた。
「鏡に気をつけて」
ディーナが言うや否や、ヤギ角の魔物は悪意に満ちた視線を巡らせると、やがて真志亜の上で止まった。
そして抱えていた円盤状の鏡を真志亜に向けた。
その鏡に、真志亜がこれまで行ってきた後ろめたいことが映し出される‥‥はずだったが、そこには何も現れない。
真志亜が鏡の呪いに勝ったのだ。
「おぬし、今さら何をしたのじゃ?」
小バカにするように真志亜が嘲笑うと、魔物の気配に剣呑さが増した。
「真志亜さんっ、魔物が怒ってますの!」
「ふ。この程度の挑発に乗るなど、他愛もない。程度が知れるな」
メイベルは危機感を覚えた。
魔物の双眸は危険すぎるくらい危険な光を放っている。
いきり立った魔物は何をしてくるかわからない、とメイベルが言いかけた時、真志亜が小声で「今のうちに叩くのじゃ」とせかした。
ハッとしたメイベルはウインドスラッシュを放った。
真空の刃が魔物の外皮の柔らかい部分を浅く傷つけていく。
小バカにされかすり傷とはいえ傷つけられ、頭に血が上ったらしい魔物はメイベルに向けて真っ直ぐ指をさした。何らかの魔法をかける気だ。
しかしそれはあまりにも無防備で、周りを見ていなかった。
香織のムーンアローが側面から魔物を叩き、一瞬気がそれた隙をついて風露が日本刀を一閃させ首を切り落とした。骨の継ぎ目を狙うような正確さだった。
二つに分かれた魔物はじょじょに灰になっていく。
風露が見下ろした時、魔物と目が合った。
その目が、成功すると思うなよ、と言っているように見えて風露は表情を険しくさせる。
「私達は魔を断つ剣。魔には決して負けませぬ」
呟いた風露に嘲笑を残して魔物は崩れていった。
気配で最初の魔物を倒してくれたのを感じながら、セーラは陣を描いていく。
そして幾重にも円を重ねた陣にスミレ、タンポポ、デイジーのフラワーストーンを置くように言った。
「デイジーはないから、かわりにデイジーのたねをおくのー」
二つの輝石と一緒にレンはデイジーの種を並べた。
「なるほど。うん、種も効果があるかもしれない」
ないものはそのままにしておくつもりでいたセーラは、レンの機転に笑顔で頷いた。
それらが置かれセーラが祈りの言葉を囁くと、ここまでただ地を削って描かれただけの陣に息が吹き込まれたように白く輝きが走った。
セーラはそれを見届けると再び剣を握り、大ホールの入り口へ向かって行く。
次にパンジー、エーデルワイス、ローズマリーのフラワーストーンを置く。
あと半分。
セーラと並ぶようにリオンが進んだ時、首筋をゾワリとしたものが走った。
素早く周囲を警戒すれば、鳥にあるまじき鋭い視線を放つ孔雀が一羽、こちらをじっと見ていた。
重いものがリオンを包み込もうとしたが、彼は反射的に銀のナイフを投げた。
バサバサと孔雀は飛び上がり、鋭い爪で直接攻撃にかかってくる。
イコンに借りた聖剣で迎え撃とうするより先に、全身に炎をまとった藤咲が孔雀に体当たりするように突撃した。
孔雀の鉤爪が藤咲の肩口をかすめるが、孔雀は全身を炎にまかれて絶命した。
「まさしく焼き鳥ね」
「食あたりしそうだがな」
着地して魔法を解いた藤咲の耳に、ディーネとアルフェールの呑気な会話が入ってきた。
ふと緊張と緊張の合間ができた時、美しい笛の音が流れてきた。
あそこのようです、と香織が指差すほうに目を向ければ、貴族然とした男が壁に寄りかかって笛を吹いていた。
その傍には人間、黒猫、蛇の三つの頭を持ち人の体をした見るもおぞましい魔物が立っていた。手に松明を掲げている。
「あの三つの頭の魔物は火事を起こして喜ぶ癖があるわ。火に惑わされないで」
「説明はありがたいが、あんたもあたいもこの有様では何もできんのぅ」
ディーナと真志亜は笛の音につられて踊っていた。
見れば、メイベルの手足も軽快に動いている。
「倒せばいい話だ」
ランスを一振りしてアルフェールが進み出る。
松明を持つ魔物ハボリュムが三つの顔をニタリとさせて笛の魔物の壁になるように立ちふさがる。
どこに火をつけたやろうかと、ハボリュムがニタニタしていると冒険者達の影から矢が射られてきた。
正確に松明を持つ手を狙ってきたそれを紙一重でかわすハボリュム。
「そんな火、消してやるわ!」
いつの間にか冒険者達から離れていたディーネがウォーターボムを放つ。
これもくるりと身を回してかわすと、ハボリュムは魔法陣に集中しているセーラに狙いをつけ、地を蹴った。
セーラはバラ、ペチュニア、イチイのフラワーストーンを置いた陣に祈りを捧げている。
すかさずオーラシールドを展開させたイコンが回り込む。
オーラエリベイションを重ねがけしたイコンは、松明を持つ魔物の腕を掴んで止めた。
魔物の人間の顔が残忍に歪んで大きく息を吸い込んだ。
ブレスか、とイコンはせめてセーラだけでも守ろうと足に力を込めた時、リオンの剣とアルフェールのランス、ディーネのアイスコフィンが同時に魔物を討った。
松明は魔物の手から落ち、吐き出す寸前だった炎の息はわずかにイコンの手の甲に火傷を負わせた程度で、ハボリュムは倒された。
「後はあの笛吹き野郎だね」
さらさらと灰になっていく魔物から剣を引き抜きながらリオンが言った。
その時、イコンの切羽詰った声が響いた。
「まだ生きてます! ディーネさん、後ろっ」
振り向いたディーネの眼前にはいっぱいの炎。松明の火だ。
とっさに両腕で顔をかばい、後ずさるディーネ。その足がもつれて彼女はしりもちをついた。
炎を当てられた腕が痛い。
どういうことかと考える前にシルバーはオークボウで魔物の人の頭部を狙い撃った。
ほぼ同時にレンがアグラベイションで足止めをする。
直後、矢は鈍い音を立てて魔物のこめかみに突き刺さる。
音を立てて倒れたがシルバーはさらに残りの黒猫と蛇の頭部にも矢を放った。
イコンは周囲に素早く視線を走らせハボリュムが本当に倒されたことを確認した。
「どうやらあの魔物の魔法にやられたようですね。ハボリュムの死の幻を見せられたのでしょう」
ディーネに手を貸しながら香織が言った。
その笛吹きの魔物アムドゥスキアスはハボリュムが倒された事で、これ以上冒険者達を笛で操っても無駄と思ったのか、もう演奏はしていない。
踊り続けていた三人はやっと体の自由を取り戻した。
端正な顔立ちの魔物は、その顔を裏切らない綺麗な微笑みを見せると、丁寧に一礼して冒険者達に背を向けた。その際、何事か小さく呟く。
とたん、あたりは真っ暗闇になった。
ディーネのランタンもイコンのライトも用をなさない。まるで光を吸い込んだように。
セーラが描いた魔法陣から放たれる輝きも見えなかった。
こんなところに広範囲に及ぶ攻撃魔法をしかけられたらひとたまりもない。
「セーラはきっと進んでる。あの人には、道が見えているはずよ」
だから今は自分の身を守ることに専念しよう、と言ったのはディーナの声だった。
魔法である限り、永久に暗闇というわけはないのだから。
とは言うものの、やはりというべきかこの機会を逃さずいつかの突風が吹きつけてきた。空気のかたまりに体を後方へ押し飛ばされる。
受け身を取れる者はさほどダメージを受けなかったが、体術の苦手な者はまともに地面に叩きつけられ苦痛に顔を歪ませた。
この頃にはアムドゥスキアスの魔法も切れていて、周囲の状況を覗えた。
幸い大怪我を負った者はいないようだ。
セーラは、傍にいたリオン、イコン、アルフェールをクッションにして無傷だ。
「壁画のあの七本首のドラゴンだな?」
立ち上がったアルフェールの言葉に頷くセーラ。
「でも、次のブレスまでに魔法陣は完成するわ」
話しながらセーラは下敷きにしてしまった冒険者三人を気遣う。
妙なのがまた出てくる前に急ごう、というわけで一行は小走りに描きかけの陣まで行った。
円陣の中のフラワーストーンは魔法陣に守られて何の影響も受けていない。
セーラは再び浮かんできた図のままにロゼの剣を地に走らせて行く。
最後の円陣にコスモス、ポインセチア、ユリのフラワーストーンを置き、残りの陣を描いて先頭と繋げれば完成である。
「できたわ!」
セーラが歓声を上げた瞬間、壁画から蛇の尾が突き出された。
最後のこの瞬間に気を配っていたアルフェールが盾で防がなければ、セーラの体は尾に貫かれ毒に侵されていただろう。
アルフェールは流れるような動きでランスで尾を切断した。
ダメ押しとばかりに銀麗がブラックホーリーを叩きつける。
壁画の二体の魔物、いや宮殿そのものが発動しだした魔法陣の威力に抵抗を始めたように気持ちの悪いきしみをあげる。
「あの魔物達を押し戻して!」
最後の抵抗か魔物達は無理矢理壁画から出てこようとしているようだ。
叫んだセーラもロゼの剣で魔物を牽制する。
魔法を使う冒険者達はディーネからもらったソフルの実や自身のソフルの実でMPを回復させ魔法を放ち、武器を扱う者は射撃や直接攻撃で時々繰り出される爪や尾に斬りつけた。
力強い魔物も一度にそれだけの攻撃は受けきれず、また魔法陣の効果もあって抵抗はやがて弱々しくなっていき、同時に宮殿のきしむ音も静まっていった。
完全に抵抗がなくなった壁画の魔物は、もう生気の欠片も感じられず冷えた気配も消え去っていた。
誰からともなく安堵の息がもれた。
「これで一安心というわけだな」
沈黙をやぶったのはアルフェールだった。
冒険者達を振り向いたセーラは達成感に満ちた笑顔で、帰りましょうと言った。
もうじき、ここには誰も足を踏み入れることができなくなる。
●信じていたから
地上へ戻ると睦月が飛びついてきた。
そして、パーティの準備が整っていると言う。
どうやら冒険者達の成功を微塵も疑っておらず、戻ってきた彼らのために花姫達が指揮を執って料理を作ったり大広間を飾ったりしているという。
「そうそう、寮長からの伝言で、アルフェールさんは厨房立ち入り禁止! だそうだよ」
彼の楽しみを奪うような発言に睦月はケタケタ笑って続けた。
「今日は教え子の料理を堪能してください、だってさ。ねぇ、シャワー入るよね? 怪我しちゃった人は保健室に案内するよ。先生がリカバーでさっと治してくれるから」
呆然とするアルフェールを皆で押したり引っ張ったりしながら、一行は校舎内へ歩いていった。
怪我を治しシャワーを浴びてさっぱりとした冒険者達が、生徒達に導かれて大広間へ案内されると、そこはどこかの貴族の屋敷のように華やかな世界になっていた。
立食式パーティのようで、丸テーブルには生徒達が心をこめて作った料理が所狭しと並べられている。
ブリジッドの司会でパーティは始まり、学院だけでなくもしかしたらウィルまで守ったのかもしれない冒険者達を彼女は讃えた。
割れんばかりの拍手と黄色い歓声が沸き起こる。
「今日はとことん祝うわよ! 根性ある者は徹夜で私につきあいなさい!」
ブリジッドの宣言に大広間は再び沸き、パーティは始まった。
冒険者達はすぐに生徒達に囲まれてしまった。
地下宮殿で何をしてきたのか、聞きたいのだ。
そんな中、一人その場を後にしようとする姿があった。
小さな人影は誰にも気付かれずに大広間を出る。
対照的に静かな玄関ホールに出た時、覚えのある声に止められた。
「挨拶もなしにいなくなる気?」
つんとして言ってくるのはフラヴィだ。
それならば、と真志亜は挨拶代わりの忠告を贈った。
「悪になりきれないなら悪いことはしないことじゃ。プライドを持つのは悪くはないが、信念を曲げた行動をしないことじゃ」
「いきなり真面目なことを言うのですね」
真志亜はふと見透かすように微笑むと、自分の素性をフラヴィに教えた。
フラヴィは目を丸くしたが、すぐに納得したように頷く。
「どうせなら、人の心を操れるくらいの大物になれ」
と言って真志亜は一人帰っていった。
その背にフラヴィは「なってみせましょう」と冷ややかに笑んだ。
その頃大広間ではアルフェールが美声を披露していた。
何度も彼は学院に足を運んでいたが、歌を聞いたのは今日が初めてだ。
「あの人はドワーフをやめてエルフになったほうがいいんじゃないの?」
「そういえば、音楽の授業もありますからね」
リオンと風露が笑う。
「私も、これからはたまにここで武術や美術、作法を教えるのも良いかもしれません」
そう言った風露の視線はセーラ達三人組みへ移っていく。
「セーラさん、これからどうするんですの?」
生徒達の囲いからやっと抜け出したメイベルがセーラに尋ねた。いなくなってしまうことを想像したのか、メイベルはすでに泣きそうだ。
「僕も‥‥ここに留まってほしいと思います」
イコンも同意見だった。
聞かれたセーラはというと、呑気に鳥のから揚げを食べていた。
口の中をからにしたセーラは、そのことなんだけど、と言う。
「封印が完成した時にセーラ神様から戻ってくるように言われたんだけど、断っちゃった。だって、まだこの世界の半分も見ていないのよ。それに、私が記憶をなくす原因は必ずしもディーナさんの責任だけじゃないと思って。事前に魔物対策をディーナさんに授けていなかったセーラ神様にも非はあると思うの」
だから、少しわがままを言ってみたの、とセーラ言っていたずらっぽく笑う。
泣きそうだったメイベルの涙が引っ込み、顔に明るさが広がる。
イコンもホッとしたように息をついた。
「にどとあえなくなったら、さびしいなっておもってた」
「当分ここにいるから、いつでも来てねレンさん」
「あの、セーラさん。今日までの思い出‥‥というのも変ですが、これを受け取ってもらえますか?」
メイベルはシルバーリングを差し出す。
セーラはメイベルとリングを交互に見やり、「いいの?」と首を傾げる。
「はい」
「ありがとう。大事にするね。あ、そうそう、もうただの宝石なんだけど役目を終えたフラワーストーン、良かったら持っていて」
封印のために力を借りたフラワーストーンは、いつのまにか持ち主のもとに戻っていた。ただし、以前のような不思議な輝きはない。
ワインの香りを楽しんでいた香織は、セーラ達を見て薄く微笑んだ。
初めてセーラに会った時、彼女はいじめられるだけだった。
それがいつの間にか沢山の笑顔を見せるようになり、強い意志を示すようになった。子供から大人になるように。
ディーナも睦月も他の生徒達も、少女から大人の女性になろうとしている。
香織自身、この世界に来てからいろいろ成長できたのでは、と思うのだが彼女達を見ているとまだまだ成長しなければ、と思うのだ。
これからも、成長を重ねひとつひとつ幸せも重ねていきたい、と。
沢山の生徒達に握手と抱擁を求められ、照れまくっているディーネに香織は小さく笑いをこぼした。
●ずっと後の話だけれど‥‥
カオス世界への穴の封印が終わったパーティの日に、アルフェールは「この日を記念日として残しては?」と教師陣に提案した。
それは二つ返事で受け入れられ、ついでにもう一つ記念日ができた。
封印の像完成記念日。
像ができたらまた会おうと約束して学院を去ってから一ヶ月以上が過ぎたある日、冒険者達は再び貴族女学院に集まっていた。
睦月のデザインはそれほどズレていなかったと言って良いだろう。
セーラとディーナを真ん中に、フラワーストーンを授かった冒険者が注文通りのポーズで囲み、さらに彼らを守るように学院に惜しみなく力を貸してくれた冒険者数名がそれぞれ構えている。
一メートルほどの高さの台座に乗ったほぼ等身大の守りの像は壮観だった。
ディーネは像を見上げながらひたすら照れていた。
「‥‥しかし、私の像ができるとは思わなかったわ‥‥はじぃ。なんか恥ずかしい‥‥」
「これで学院は安泰じゃん!」
バチン、と睦月に背を叩かれディーネはむせた。
その時、しゃがみこんで何やらコソコソしていたレンの背にイコンが立った。
「何をしているんです‥‥ああっ、何てことをっ。ちょっ、『受』って何ですか!?」
イコンの靴のつま先に、よーく見ないとわからない大きさで『受』の文字が彫られているではないか。
どこかに『攻』があるはずだ。
レンはフクロにされる前に逃げ出した。
それからさらに月日が過ぎてから、校長室に一枚の絵が届けられた。
差出人はウィンターフォルセ領主‥‥ではなく、一介の絵が趣味な冒険者の名前で。
仕事の合間にコツコツ描いていた、守りの像をモチーフにした絵が完成したので寄贈されたのだ。
その絵は、大広間の誰もが目にする位置に飾られたのだった。