薬屋開店中4〜ティアドロップス

■シリーズシナリオ


担当:マレーア4

対応レベル:8〜14lv

難易度:普通

成功報酬:4 G 15 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:08月04日〜08月09日

リプレイ公開日:2007年08月10日

●オープニング

 セリカはずっと覚悟していた。小さな頃から弱かった身体、いつもひっそりと傍にあった死、発作が起こる度に死の淵をさ迷い。
 自分は死ぬ。それは悲観とか絶望というより、諦観‥‥諦めを多分に含んだ、厳然たる事実だった。おそらくそれは、セリカ自身だけでなく、確かに愛して心配してくれている両親や周りの者達にも共通のもので。
 だけど、その少年は違った。新しい薬士のアルクという男の子。彼の薬は今までのよりも飲みやすかった、それにすごく親身になって心配してくれた、一生懸命励ましてくれた。
「セリカさん、僕も頑張りますから、頑張って良く効く薬を作りますから、セリカさんも頑張りましょう! 病気になんか負けちゃダメです、諦めちゃダメなんです!」
 アルクさんは色々な事を話してくれた。亡くなったお父さんの事、冒険者という人達との冒険の事、花々が咲き乱れる野原や、水のせせらぎ。
 病気が‥‥自分の身体が治るわけはない。それは分かっていた。でも、いつか‥‥いつからか心の片隅でホンの少し、思うようになった。
(「アルクさんが見たモノ、見てみたいなぁ‥‥もう少しだけ、元気になれたらなぁ」)
 だけど結局、それは叶わない夢。
 暑い暑い日。セリカは今までにない発作を起こした。この所の暑さで体力が落ちていた事も災いした。
 死ぬのかな、と苦しい息の下ぼんやりと思った。浮かんだのは何故か、自分より一つ年上の薬士の顔。
(「わたしが死んだら、アルクさん悲しむかな? 辛い顔、させちゃうかな」)
 その時セリカは初めて思った。死にたくない、と。
(「野原を思い切り駆け回ってみたかった、水辺でも遊んでみたかったな‥‥それから、アルクさんと一緒にお茶したり‥‥」)
 息が苦しい、ぜぇぜぇと浅い呼吸を必死で繰り返すが、苦しさは増すばかりで。
(「死んじゃうんだね、わたし。わたし、わたし‥‥まだ恋もしてない、のに‥‥」)
 ギュッと閉じた瞳から最後に、涙が一粒零れ落ちた。

「とまぁ、そういう話。可哀相だが、ある意味どこに転がっててもおかしくない話さ」
 冒険者ギルドで、ジャクリーヌは小さく溜め息をついた。
「アルクはそりゃあショックを受けてたさ。だけどそれも、いつか対面しなければならなかったもの‥‥人の生き死になんて、医療に携わる人間なら誰でも多かれ少なかれ直面するものだ」
 それを乗り越えられるかどうか、それは本人次第だが。
「そういうのは時間が解決してくれただろうね‥‥何事もなかったら、だけど」
 ジャクリーヌはここでもう一度、大きく溜め息をついた。
 結論から言うと、セリカは死んだ。けれど、天界風に言うと成仏できなかった。未練を残したセリカは、幽霊となってアルクに憑いている、というのだ。
「聞いた話だと、そういったモノは未練を解消してやれば往くべき所に往くんだろ? だが問題は、アルクも私もセリカの家族も皆、セリカの未練が何なのか分からない、って事さ」
 も一つ溜め息をついたジャクリーヌの背後、バンと勢い良く扉が開いた。
「おまけに‥‥」
「アンデッドは人に仇なす邪悪なモノです!」
 入ってきたのは、クレリックと思しき20歳そこそこくらいの男性。意志の強そうな眉が、ぐっとつりあがっている。
「今は大人しくとも、放っておけば必ず人に害を及ぼす事は必至! 今のうちに消滅させるべきです!」
「私としては、手荒な真似はしたくないんだよ」
「そんな甘い事を言っていたら、あの少年が危険です!」
「頼むからアルクの目の前で何かしないでくれよ」
 疲れたようなジャクリーヌ、何故なら件のクレリックはそんな懇願は聞こえていないようで「邪悪滅びるべし!」とかやってるのだから。
「助けて欲しいんだ。セリカという幽霊を、アルクの為にも‥‥」
 そんなクレリックを見やり、ジャクリーヌは真剣な眼差しで頼み込んだのだった。

「依頼:幽霊を成仏させて下さい
 薬士アルクに取り憑いた、セリカという少女の幽霊を成仏させてあげて下さい。未練を果たさせる、或いは断ち切れば成仏する、という話ですが、未練は不明です。
 出来れば平和的にですが、万一の際は強制的排除もやむを得ません。薬士の身の安全を第一に、お願いします。

薬屋オーナー ジャクリーヌ」

●今回の参加者

 ea1466 倉城 響(29歳・♀・浪人・人間・ジャパン)
 ea1565 アレクシアス・フェザント(39歳・♂・ナイト・人間・ノルマン王国)
 ea1683 テュール・ヘインツ(21歳・♂・ジプシー・パラ・ノルマン王国)
 ea3651 シルバー・ストーム(23歳・♂・レンジャー・エルフ・ノルマン王国)
 eb0520 ルティア・アルテミス(37歳・♀・ウィザード・エルフ・ビザンチン帝国)
 eb4097 時雨 蒼威(29歳・♂・天界人・人間・天界(地球))
 eb4324 キース・ファラン(37歳・♂・鎧騎士・パラ・アトランティス)
 eb4460 篠崎 孝司(35歳・♂・天界人・人間・天界(地球))

●リプレイ本文

●最初で最後の
「もぉ〜一体何発、僕のあたーっくを受ければ気が済むのかな?」
 アルクの店にやってきたルティア・アルテミス(eb0520)は、その顔を見るなり、毎度お馴染みふわふわぐろーぶによる一撃をお見舞いした。だけど、本日のはコークスクリュー気味、その一撃はぶにぶにと頬に抉りこまれる。
 証拠に「ふぐぅっ!?」とか変な声がもれ、その背後‥‥身体を透けさせた少女セリカが、目を大きく見開き。
 けれど、気づいたルティアがにぱぁっ、と笑顔を向けると、その頬は恥ずかしそうに染まった。
(「わざわざアルクさんに憑いてるって言うことは、未練はアルクさんと一緒になにか、だよね」)
 思ったテュール・ヘインツ(ea1683)は、こちらもフレンドリーに提案した。
「あのね、皆でピクニックに行こうって話したんだ。でね、セリカさんにも楽しんで欲しいなぁって‥‥具体的には、身体を貸すから憑依してもらって、って事なんだけど?」
 僕でもOK、それとも女の人の方が良い?、聞かれたセリカは困ったように眉根を寄せた。
「セリカさん、どうですか?」
 見て取り、シルバー・ストーム(ea3651)はテレパシーでの会話を試みる。伝わってきた喜び、躊躇い、それから密やかな願い。
(「この年頃の娘さんとの意思疎通、正直得意ではありませんが」)
 それでも、シルバーは皆に伝える。悪いと思いつつも、セリカが望んでいる事。その小さな恋心だけは触れないまま。
「やっぱり女の人の方が良いみたいですね」
「うん、じゃあ僕の‥‥」
 ルティアが挙手した時だ。バァ〜ンと勢い込んで飛び込んできたクレリックのマリノフが、異議を唱えたのは。
「待って下さい、そんな危険な事! 皆さん分かってるんですか?! そこにいるのは‥‥」
「マリノフ、君は何処かに行っててくれないかな♪」
 ずぃっ、遮るルティアの顔に浮かんでいたのは、極上の笑みだった。が、マリノフは、青ざめた。鮮やかな赤い瞳が、全然笑みの影もないその瞳が、冷ややかな光を宿していたから。
 凄みのあるそれは『余計な口を開くな』と告げていて、マリノフはそれ以上の言葉を封じられてしまい。
「とりあえず、話し合おう」
 ついでにキース・ファラン(eb4324)やテュールにズルズル引きずられて行ってしまう。
「ピクニックにお弁当は必須です。サンドイッチを作りますけど、セリカさんもやってみます?」
 マリノフが連行されるのを見届けた倉城響(ea1466)は、何事も無かったように、ニコニコ問うた。
「良いよセリカ‥‥おいで、僕の身体を使うんだよ」
 俯いていたセリカは、響とルティアの優しい申し出に、僅かな逡巡の後、小さく頷くのだった。

「さーおにーさん頑張って料理の準備しちゃうぞー」
 腕まくりしながら、時雨蒼威(eb4097)。蒼威と響、セリカinルティアとアルクはそして、用意された食材でサンドイッチ作りに入る。
「セリカさん、それを取って下さい」
 野菜を中心にしたサンドイッチ。セリカの事を考え、出来るだけ簡単なものを、という響の配慮だった。
『はっはいっっっっ』
「ありがとうございます。後、これを軽くあぶって‥‥」
 一つ一つ確かめるように、響は丁寧に教えていく。手馴れている蒼威、最低限は身につけているアルクのサポートあり、料理は意外とスムーズに進んだ。
『アルクさん上手なんですね。わたしもっと頑張らなくちゃ』
「おっと、悪いアルク」
 セリカの呟きに顔を歪めたアルク。咄嗟に蒼威は肘でもってその後頭部をド突き。
「‥‥アルクくん、こちらをお願いしますね」
 響もまた優しい眼差しを向けると、アルクに仕事を振ったのだった。

●正しいコト
「あんたの正義ではアンデッドはすべて滅ぼすべきなのかもしれない。だが、ここはあんたの教会が支配する世界じゃないことを忘れないでほしい。」
 一方。死者の危険性を訴えるマリノフに、キースが口火を切った。
「確かにアンデッドはこの世界においても倒すべき存在と認識されることが多い。だが、倒さずとも浄化できるのであれば、その手段を模索したい。‥‥少し待ってくれないか」
「ようはアンデットが道から外れたものだから滅するんだよね」
 テュールは先ほどのセリカの様子を思い出しながら言葉を繰る。
「でもセリカさんはまだ戻れるところにいるんだから、無闇に滅するより正しい道に戻してあげる方が御心に叶うと思うんだ。ちゃんと成仏できるように今は見守っていてくれないかな?」
「装っているだけかもしれません!」
「君は他人に伝染すると言うだけで病人を殺すのか? 道に迷った人を問答無用で牢屋に入れるのか?」
 頑なな態度に、篠崎孝司(eb4460)の口調はついキツくなってしまう。
「病んだ魂、迷える魂を癒し導くのも君たちの仕事ではないのか?」
「それは‥‥」
 思い出したように、口ごもる。実は教会から、釘を刺されていたのだ。
「私は天界人故にジーザスに詳しくない。アンデットの軍勢が国に害を及ぼしたのも理解している。ただ本当にマリノフ氏が言うように、無垢な少女の魂も問答無用で滅ぼせと聖なる母は説いているのか?」
 事前に教会に赴いた蒼威が、そう主張し‥‥上から注意を受けていた。それでも見過ごす事は出来なかった。何かが起こってからでは遅いのだ。
 その懊悩を断ち切ったのは、アレクシアス・フェザント(ea1565)だった。
「セリカが邪霊として仇なすならば、或いは彼女が迷い続けるのならば、この俺が在るべき形に彼女を還す」
 静かながら、本気だと察せられたから。
「このウィルでジーザス教信仰が在るのは先人達が地道に積み重ねてきたからこそ。人の声を聞かずして、神の声を届かせる事が出来ようか」
 言葉と心を尽くし、説得した。大人しく見守って欲しい、と。
「‥‥分かりました。ただ、見届ける為にも動向させて下さい」
 やがて折れたマリノフが言うと、テュールとキースはホッと胸を撫で下ろしたのだった。

「アルク、顔‥‥暗くなってる」
 そんなわけで参加者が一名増えた、道行き。続けては申し訳ない、という事で今度は響に憑かせてもらっているセリカである。
 動きやすさを考慮し、いつもと違って洋装‥‥パンツルックの響は新鮮だ。だが、アルクの心境は複雑な様子。
 出発早々、女の子同士お喋りに花を咲かせているルティアとセリカ。見つめるアルクにスっと近づき、キースは囁いた。
「気にするな、と言っても今は無理かもしれないが‥‥」
 乗り越えて欲しい、ただキースは願う。
「楽しまなくちゃダメだよ、折角のピクニックなんだからね」
 それはテュールも同じ。心の痛みを思い、励ます。
「セリカさんの『治療』はまだ終わってない、その声を聞いて安らかに旅立たせてあげるのはアルクさんしかいないんだからさ。亡くなってからも頼りにされる人なんてそういないよ」
「そうそう。せっかく集団デート行くんだ、気を盛り上げていけ、辛気臭さい」
 そうして、蒼威はアルクの首に腕を伸ばすと、囁いた。
「‥‥お前の父も、その職業ゆえに数多くの死を見届けてきたんだ。大切なのは何をすべきか、だ。今やるべき事は悔やむよりあの少女のためにできる事をやるべきやろう?」
 その手強いホールドは、アルクが頷くまでそのままだったという。
「大切なのは生きている者‥‥そうではないのですか」
「君のその態度‥‥過去に何かあったのかね?」
 アルクを解放した蒼威は、マリノフの影のある声に、小さく肩を竦めてから。
「アンデットに対し、何か別に思う所があるのは分かる‥‥しかし、だからこそ我々のやる事を見てもらいたい」
 いつもよりも真剣な声音でそう言った。

●大地を蹴って
『わ、あ‥‥っ』
 たどり着いた目的地で、セリカは立ち竦んだ。
「大丈夫、勇気を出して!」
 差し出されたルティアの手。励ましを込めたその笑み。「行くよ!」そんな掛け声と共に、手を引かれるまま足を踏み出し。
『嘘みたい‥‥こんな、こんな風に走れるなんて』
 草を蹴って大地を走る。最初は恐る恐る、やがて歓喜と共に。乾いた風、緑の香り、降り注ぐ日差し。焦がれた、夢見たもの全て。
「今度は鬼ごっこだ。俺達を捕まえてみなよ」
 キースは言って、逃げる。当たり前の遊びを経験すら出来ず、ただうらやましく眺めていただろうセリカ。生きている間に出来なかった事を、楽しんで欲しかった。
「鬼さんこちら、手のなる方へ」
 意図を悟ったテュールが、愛犬フェンと共にとてとてと駆け出す。
 はしゃぎ声が、野原に響き渡る。
 やがて駆け行った丘の向こう側、そこでセリカの目が見開かれた。
 広がる、紫の絨毯。
「ラベンダーです」
『そう、こんなキレイな色をしてたのね』
 ウサギを遊ばせていたシルバーの説明に、セリカは嬉しそうに目を細めた。本か話かで知ってはいたが、実際に見るのは初めてなのだろう。どこか感慨深く、確かめるようにセリカはその小さな花達に触れた。微かに震える、その指先。
「ラベンダーはハーブとしてよく知られています。その香りは人をリラックスさせてくれるそうです」
 気づかぬふりで説明するシルバー。
『えっと、ではあれは‥‥』
「アキレアといいます」
 日陰に咲く、小さな花が集まり傘状になったそれ。シルバーは乞われるまま、花や草の説明を根気よく教えた。
「ラベンダーもそうですが、ミントなど色々と使えそうなものが生えてますね」
『‥‥あの、これ摘んでも?』
「これだけ生えてるんです、少しくらいは良いでしょう」
 言ってやると、セリカはそれはそれは嬉しそうな笑顔で、なれない仕草でハーブへとそっと手を伸ばした。


「そんな顔していると、彼女が心配するだろ」
 ぼんやりしているアルクに、孝司はそっと声を掛けた。
(「多分アルクは優しすぎて真面目すぎるのだろう」)
 医師として、同じく医療に携わる者として、一度はぶつかる壁。
「僕達が出来る事には限りがある。僕達がしていることは、極論すれば、治ろうとしている体に援助をしているだけだ」
 だからこそ、避けられない事実について、改めて認識して欲しかった。
「医者が人を治すのではない。治ろうとしている人に手を差し伸べているんだ。僕はそう思っている」
「当然助けられない人も出てくるぞ、これからもな。気にするなとか忘れろとは言わん。だが後に尾を引いて、それに潰されてはいけない」
「でも、もし僕がもっと頑張れていたら‥‥」
「それは僕も何度も考えた事さ。此処に来てしまってから、な」
 唇を噛み締めていたアルクは、苦い笑みに目を見開いた。
「孝司先生がですか?」
「そうだ。故郷の設備と薬があれば簡単に治る患者を、どれだけ見送ったことか‥‥」
 頷き、真っ直ぐ見つめる。伝えたい事を、ちゃんと伝えられるように。
「それでも少しでも多くの人を助ける為に、僕は医者を続けている」
「‥‥っ」
「それしか、ないんだ。そんな事しか」
 だけど、それこそが必要な意志。
「それにアルク君の仕事‥‥治療はまだ終わってない、そうだろう?」
 アルクは伝えられた事を何回も何回も反芻してから、頷いた。
(「きっとアルクは彼女の為に一生懸命だったのだろう」)
 見守っていたアレクシアスは実は、セリカの未練を察していた。『アルクが自分の死によって辛い思いをしている事』、それをこそ心配しているのではないか、と。
 アルクは多分その事に気づいていなかった。けれど今、セリカの死を乗り越えようと、少なくとも顔を上げ立ち向かおうとしている‥‥だから。
「これ以上薬師が患者を心配させてはいけない。セリカの為を思うのならば、総てを受け入れ、決して忘れないでいてやる事だ」
 その背を押すべく、諭した。アレクシアス自身、多くの命を預かる身だ。力及ばずして救えなかった命も、数多とある。しかしだからこそ、良い意味で前に進む必要があると、実感している。
「‥‥はい!」
 助けられなかった命がある。それでも、まだ自分は必要とされている。アルクは孝司とアレクシアスに深く頭を下げると、駆け出した。偽りでない、決意の笑みと共に。
「責任のある者は、時に非情な判断を下さねばならない時もある‥‥が、時には痛みを堪えてでも害だ悪だと切り捨てずに抱きしめる判断も必要なのだよ」
 蒼威は、傍らのクレリックに告げた。
「‥‥私は大切な事を忘れていたのかも、しれませんね」
 長い長い沈黙の後、マリノフはポツリ呟いた。

●ずっと忘れない
「美味しかったぁ」
『良かったです』
「セリカちゃん、頑張りましたから」
 たくさん遊んで、美味しいサンドイッチをお腹一杯食べて、キレイな花や草や景色を見て。
 そうして、楽しい時はいつか、終わる。楽しいからこそアッという間に過ぎる時間が、少し切ない。
『アルクさん、最後に一つ、お願いがあるんです』
 二人きりになったセリカは、意を決したようにアルクを見つめた。
 この人はもう大丈夫、そう確信できていた。だけどもう一つだけ、最後にワガママを言ってみたかった。初恋の、その欠片を胸に抱いて逝きたい。
 そっと目を閉じたセリカ。意を決したアルクは、ガチガチになりながらセリカin響に顔を寄せ‥‥その頬に軽く、口付けた。
「何をしても構いませんが、キスは頬にだけでお願いします‥‥夫に悪いですから」
 事前にそう響にお願いされていたから、というよりヘタレだから。
『‥‥ありがとう』
 それでもセリカは嬉しそうに頬を染めて。そして、響の身体から離れた。
 静かに手を合わせる響、笑顔で見送るテュールとキース、その横ではルティアがぶんぶんと手を振っていた。
「お休みだよセリカ‥‥何時か、またね!」
 ルティアの瞳は僅かに潤んでいた。けれど、笑顔で。とびっきりの笑顔で、手を振った。セリカがまた再び、人として生を受ける事を祈りながら。
『アルクさんも響さんもルティアさんも‥‥みんなみんな本当にありがとうございました』
 ペコリ、徐々に薄くなっていく身体を二つに折り、心からの感謝を送る。セリカはそのまま、満ち足りた笑顔のままで、空に透けるように消えた。ただ最後に一瞬、キラリと光るモノを残して。
「う、ぁ‥‥」
 覚悟していた、別れ。なのに、アルクは涙を抑えられないでいた。
「忘れないでいてやれ。それが一番の供養だ」
 今は思い切り泣くといい。アレクシアスは泣き崩れるアルクの頭を、優しく撫でてやった。
「‥‥忘れない、から」
 誓うように呟くアルクを、シルバーの抱えたハーブの香りが優しく、包んでいた。