●リプレイ本文
●ざわめく大広間
道中、雨が降らなければ良いと思っていたゴードン・カノン(eb6395)だったが、その心配は無用のものだった。空を見る限り向こう一週間は晴天が続きそうに感じる。
ある店仕立て屋の前でぼんやり空を見上げていたゴードンに、待っていた人物の声がかかる。
「お待たせいたしやした。さ、行きやしょう」
どこか蓮っ葉な口調の利賀桐真琴(ea3625)に意識を地上に戻したゴードンは、すでに馬車の入り口にいる彼女の元へ歩み寄り、足元に置かれていた衣装ケースを荷台に積んだ。それから、貴婦人に対するように恭しく真琴に手を差し出し、馬車に乗る支えとなる。
馬車の借り賃は当然の事としてゴードンが支払った。
フラウ邸に着くまで、ゴードンは真琴に舞踏会での作法について教えた。
舞踏会会場の準備はほぼ済んでいた。通路には食欲をそそる匂いがかすかに流れてくる。
楽士達と曲の打ち合わせをしていたリュイス・クラウディオス(ea8765)の耳は、時折走る使用人の足音を捉えていた。そこにふと、落ち着いた足音が混ざる。顔を上げると、この屋敷の夫人、アレクサンドラがいた。
リュイスは竪琴を置くとアレクサンドラの前に一歩進み出て丁寧に挨拶をした。
「お久しぶりです、アレクサンドラ夫人。本日はお招き頂きありがとうございます。皆さんが楽しめるように、お手伝いさせて頂きます」
「こちらこそ、よろしくお願いしますね。クラウディオス様の腕前はうちの楽士達も充分に承知してますから。それから、良かったらダンスやお食事も楽しんでいらしてね」
リュイスは表情を緩めて頷いた。
その後アレクサンドラは二、三言楽士達に声をかけると大広間を後にした。
外の光の加減で舞踏会の時間が迫っていることがわかった。
フラウ邸前に馬車を寄せたゴードンと真琴は、門前で丁寧に執事の挨拶を受けと、他の招待客と共に大広間まで案内された。
真琴のドレスには撫子の花の刺繍が繊細に施されていたが、蝋燭の灯りに反射してようやくわかるほどの控え目なものだ。見る者が見れば感嘆の息を吐くだろう。
また、真琴をエスコートするゴードンの礼服の上着の胸元の刺繍も真琴の手による。こちらは色のグラデーションも見事な桔梗だ。
出席者は誰もが仮面を付けているので、すぐに人物の判別はできないがチの国の賓客は何となくわかった。まとう雰囲気がウィルの人とはどこか違うからだ。
そんなふうに真琴が会場内を眺めていると、フラウ夫妻がゆったりと入ってきて挨拶の口上を述べ始めた。
「皆様、本日ははるばる当屋敷までお越し頂きありがとうございます」
フィデール・フラウは豊かな声の持ち主だった。
一通りの挨拶が終わると、盛大な拍手が沸き最初のダンスが始まる。
礼服に豪奢なシルクのマント、それ一つで一財産になりそうな装飾品に艶やかな黒髪の、凛とした雰囲気の男が一人の若い婦人の前で胸に手を当て礼をする。
ダンスの誘いを受けた婦人は一瞬驚いたものの、すぐに優しげな笑みを浮かべて手を差し出した。
その男、アレクシアス・フェザント(ea1565)は、恭しく手を取り口付けるとすでに何組かが踊っているスペースへと婦人を誘った。仮面と黒髪のウィッグにより、誰も彼がルーケイ伯だとは思わない。だからといって、彼の立ち居振る舞いや衣装から、庶民だとも思わないのだが。
その頃アレクサンドラは懐かしい人達と再会を喜び合っていた。
その二人を見た人達は珍しそうにひそひそと囁きあう。それもそのはず、白のパーティ用ゴスロリ服の小さなレディをエスコートしているのもまた、レースを基調とした白くひらひらとしたドレスに身を包んだ女性だからだ。
どちらも周囲の囁きなど気にしていないふうだが、エスコート役のリーザ・ブランディス(eb4039)は内心緊張していた。
「はじめまして。本日はお招き頂きありがとうございます」
レン・ウィンドフェザー(ea4509)はこの場でわざわざ自分が何者であるのかわかるような振る舞いはしなかったが、ウィンターフォルセに関わりのある者だということは匂わせていた。
ふと会話の隙間に、ちょっとしたざわめきが聞こえた。
見るとダンススペースの中央で目を引く一組が優雅に踊っている。
上品なシルクのドレスにローズ・ブローチ。見覚えのあるブロンドとその者が持つ女王のような空気に思わずアレクサンドラの口元が緩む。
「いちだんとお美しくなられましたね」
アレクサンドラのチの国の友人の兄が、ブロンドの冒険者の相手を務めていた。彼女の技量に見合う技術の持ち主だ。
その冒険者、レジーナ・オーウェン(ea4665)は束の間のパートナーのリードに満足していた。踊りながら周囲を見るなど余裕でできるレジーナは、ダンススペースやテーブル周辺にエルミーヌ・アトリの姿がないことがわかると、内心で仕方ないかと息をつく。
ワルツが終わり、お互い敬意の礼を交し合うと、レジーナは大広間の隅でどこかの婦人と話しこんでいる小太りの中年男性の下へ向かった。そして話が終わったのを確認すると声をかける。
「ごきげんよう、今日は良い日ですね」
相手はさすが商売人と言うべきか、声を聞くとすぐにレジーナだとわかり、愛想の良い笑顔を向ける。
「もしもエルミーヌ様のところへ行く機会がありましたら、レジーナが気にしていたとお伝え願えないでしょうか」
「お安い御用でございますよ。あのお方も相変わらずでございます」
後半は小声で言うエルネスト。仮面の下でかすかに苦笑が伺えた。
レジーナは小さく肩をすくめると、会釈してアレクサンドラの方へと歩を進めた。
●かの仮面の方によるイベント
始めの数曲が終わったところで、アレクサンドラが会場に呼びかけた。フィデールは少し離れた壁際で楽しげに眺めている。アレクサンドラの横にはスカルフェイスの細身の男性がいる。
アレクサンドラがベアルファレス・ジスハート(eb4242)に場を譲ると、彼はまずはフラウ夫妻を立てる言葉を発した。
「皆さん、こたびの舞踏会、主催者の寛大な計らいにより身分を問わずに皆で楽しめるものとなりました。今宵ばかりは、貴族である事も庶民である事も忘れこの舞踏会を楽しみましょう」
セリフが切れると同時に大広間に拍手が沸き起こる。
ベアルファレスは拍手が落ち着くと、再び口を開いた。
「良き思い出に少しでも貢献できればと思い、記念品を用意しました。踊りの最も上手かった方に贈りたいと思います。それでは皆様、心行くまで踊りましょう」
今度は先程よりも大きな拍手が鳴り響いた。
このちょっとした催しは、事前にフラウ夫妻から了承を得ているので何の問題もない。
そしてそのおかげか、会場内で緊張気味だった庶民からの参加者達から肩の力が抜けたのだった。
再び音楽が始まると、先程までは貴族のみだったダンススペースにちらほらと庶民出らしき人が混じり始めた。
ユラヴィカ・クドゥス(ea1704)は小さく笑みをこぼすと、先程見かけた同じシフールの女性に声をかけた。
「良かったら、一曲お相手願えませんかの?」
「喜んで」
ふわふわの薄い茶色の髪の彼女は、仮面をしていてもわかる花のような笑顔でユラヴィカの差し出した手を取った。
ゴードンと真琴も曲に合わせてステップを踏んでいた。まだ動きの硬い真琴に、ゴードンは安心させるように囁く。
「焦らずに。リズムに身を任せて」
ゴードンは真琴のペースに合わせてリードした。おかげで真琴は緊張でつまずくこともなく、自然とダンスを楽しんでいたのだった。
気がついたら、セシリア・カータ(ea1643)はダンスに誘われていた。曲調も軽快なものに変わっている。名前も知らないパートナーの手を取る前は、少しコルセットがきついかなとか思いつつフルーツカクテルを飲んでいたのだが、今はどうだろう。
確かに剣を振るう方が得意ではあったが、相手のリードに合わせてくるりと回る時にふくらむドレスの裾の感触や、仮面の奥で一瞬合った目が楽しげであることは、セシリア自身の気持ちも楽しくさせた。良い相手だったのかもしれない。
ふと横を見ると、山下博士(eb4096)も彼と同じ年頃のどこかの貴族の娘と踊っていた。
いったいこの仮面舞踏会に、どれだけの人物が来ているのか。
再度のターンの後にセシリアは今のパートナーも何者かわからないことに気付き、今は博士を見習ってただダンスを楽しもうと気持ちを切り替えたのだった。
博士は博士で、チの国からの招待客に興味はあったが、まずはダンスを楽しんだ。
今のパートナーは、幼くともさすが貴族令嬢というべきか、ダンスは上手かった。誘いを受けたもののダンス経験の浅い博士は、始めのうち相手の足やスカートの裾を踏まないように神経を尖らせていたが、テンポの軽い曲に変わったとたんパートナーも跳ねるように踊りだしたので、そういう心配はなくなった。それよりも、気付けば一緒に跳ねて踊らされてた。
比較的目立たない壁際で楽しそうに踊る人達を、楽しそうに眺めるアルクトゥルス・ハルベルト(ea7579)。
上質のフルーツジュースを含みながら視線が止まった先にいたのはレジーナ。少し前までアレクサンドラと談笑していたが、またダンスに誘われたようだ。
どんな曲にも対応できるレジーナに、いったい誰なら彼女を心底満足させられるか、とアルクトゥルスは大広間を見渡したが、それよりもレジーナに一曲申し込みたくてうずうずしている殿方達を見つけるほうが簡単だという事に気付いた。
そんな事を考えていると、やわらかい雰囲気の男性にダンスに誘われてしまった。
特に断る理由もないのでアルクトゥルスは微笑んでその手を取った。
次の曲はゆったりと落ち着いたメロディーだった。
引き続き同じ相手と踊っていた博士に、少女が微笑みながら囁く。
「いい香りね。さっきから思ってたわ。それに、あなたにも良く似合うと思う」
「ありがとうございます」
素直に礼を言うと、博士にふと悪戯心が芽生え、わざと気取ったふうに言った。
「あなたに捧げるために、森に咲く花を摘んでいました。でも、意地悪な風のせいで落としてしまい、持ってこれませんでした。吸って下さい僕の胸から、匂やかな森の香りを」
少女は一瞬呆気に取られた顔をしたが、すぐに博士のセリフに乗り、大人びた笑みを浮かべると息がかかりそうなとほど体を寄せた。
また少し曲が途切れた。小休憩といったところだ。
楽士の席のリュイスとどこかの貴族の婦人と会話を楽しんでいたユラヴィカの目が合う。
リュイスが席を立ち、楽士席より一歩前へ出るとユラヴィカは彼に近い位置で周囲へ礼をする。
「少しでもお楽しみ頂ければ‥‥」
そう言って奏でられたのは、素朴なジプシーの曲。
ユラヴィカの踊りもジプシーの踊り。
ダンスとダンスの合間の、神秘的な一時であった。
●遠い国からのお客
賑わう場内を散策するように歩いていたティアイエル・エルトファーム(ea0324)は、以前のパーティの時の事を思い出していた。
「あの時は道化師の格好をしていたっけ‥‥」
思わず口元が緩んでしまい、慌てて引き締める。一人でにやけていたらちょっと不気味だ。
すると、どこか聞き覚えのある声をかけられ、足を止めて振り返る。
「アリサ!」
「お久しぶりです、ティアイエル様。お飲み物はいかがですか?」
にっこりと微笑んでいるのは、この屋敷の使用人のアリサだった。以前、少し話し込んだ事のある仲だ。
「間違っていたらどうしようかと思いました。綺麗な若草色のドレスでもしかしてと思ったので‥‥」
「大当たりだよ。ねぇアリサ、今日はチの国も方も呼ばれているんだよね」
「はい」
「確か‥‥サフィオリス卿の出身がチの国だったような‥‥」
「そうですね。チの国で鉱山開発に携わっているお方ですが、最近では山岳地帯のナーガ族の研究もなさっておられるとか」
それを聞いてティアイエルはハッとした。『竜の和平団』という単語が頭に浮かぶ。
「サフィオラル卿の弟君ですよ」
会話に加わってきたのは、最初にアレクシアスと踊った女性だった。
「ご兄弟そろって優秀な学士でいらっしゃいます。それにしても‥‥サンドラの話ではとても素敵な妖精さんがパーティに現れると聞いたのですが、今日は人の姿となって楽しんでいるようですね」
アレクサンドラを愛称で呼ぶこととサフィオリス卿のことを話す時の親しみと尊敬のこもった言い方から、この人がアレクサンドラの友人のチの国の人だと判断できた。
そしてアレクサンドラは予想以上にティアイエル達の事を話題にしているらしいことも。
「あの、えぇと‥‥」
「ふふふ。私だけ一方的に知っているのは不公平ですね。申し遅れましたが私は‥‥」
「あら、シシィ。ここにいたの?」
目の前のチの国の女性の名乗りを遮るように現れたのはアレクサンドラだった。
アリサはいつの間にか消えている。素早いことだ。
アレクサンドラはティアイエルの姿を捉えると、懐かしそうな笑顔を向けた。それから傍らのシフールを紹介した。
「ディアッカ・ディアボロス様よ。チの国に興味があるそうなのでシシィを紹介しようと思って」
ディアッカ・ディアボロス(ea5597)は仮面の下に上品な笑みを作り、丁寧にお辞儀をした。
シシィもそれに倣い礼を返す。
「シシリエーラ・シセルと申します。お見知りおきを」
それから三人はまたサフィオリス卿や『竜の和平団』に話は戻り、重い内容になりかけたところでアレクサンドラが、ダンスでも楽しみましょうと気分を変えるように打ち切った。
フラウ領内とシシリエーラの住む領地では、特に凄惨な問題は起こっていない。かといって何事もなく平和というわけでもない。大なり小なり問題は山積みで、人材は不足している。
「‥‥それは道中厳しかったでしょう?」
「いえいえ、こちらの国の方は皆さんとても親切でしたわ」
遠くから来たというこの女性のこのセリフから、ゴードンは彼女がチの国から来たのだと推測した。
「途中で馬車の車輪が故障してしまったのですが、通りかかった町の方が修理を手伝って下さったのです。野菜を沢山積んだ荷車を引いていたから、市場に行く途中だったのでしょうね」
「それは大変でしたね」
「無事ここに着いたのですから、済んでしまえば楽しい思い出のひとつですわ。ところで先程から気になっていたのですが、そちらの花の刺繍は見事ですわね。我が家にもそれほどの縫い手はおりませんでしょうねぇ‥‥」
お世辞には聞こえない感嘆の声に嬉しくなったゴードンは、ダンススペースでワルツに酔っている真琴をちらりと見やった。
「店主が天界人のようで、中々に腕が良いのです。これも天界の花をモチーフにした意匠だとか」
そう言ってゴードンは真琴の店の名を告げた。
しばしレンと別行動をとったリーザは、普通にドレスを着ると周囲の自分に対する反応もずいぶん変わるものだと、妙な感心をしていた。
ぶらぶらと歩いていれば、会話を求めてくる人やダンスを申し込んで来る人もいる。流行のドレスの話題もあれば国への不安や不満を囁きあう声もある。
ちらりと耳にしたディアッカとシシリエーラの話や、ゴードンとどこかの貴婦人の会話も通り過ぎ様に耳に入った。
ふと立ち止まってみれば、アレクシアスとディアッカが話し込んでいる。ディアッカはアレクシアスと目を合わせようとせず、むしろ機嫌が悪そうにも見えるが仲違いしている雰囲気はない。
不思議に思いながら別の方を見れば、時雨蒼威(eb4097)とユラヴィカが壁際でのんびりしていた。
「踊らないのか? 先程から何人もの誘いを断り続けておるが?」
「そういうあなたは?」
「ジプシーの踊りならいけるがのぅ。パーティダンスはちと不得手じゃ」
「じゃあ俺もそういうことで」
「‥‥おぬしもジプシーの踊りを?」
「‥‥」
ユラヴィカにはジプシーの踊りを踊る蒼威を想像できなかった。
蒼威はその会話をなかったことにするように話し出す。
「それにしても、チの国もここと似たようなところが多いのだね」
チの国の人と思われる人物とこの国の人との会話の様子を見る限り、少なくとも天界人に対する態度はこの国とそれほど差はなさそうだ。ある一面においては重宝されるという面についても。
「鉱山か‥‥」
蒼威のもらした呟きに視線だけを送るユラヴィカ。
「地球にも鉱山はあるけど、鉱山の数だけ悲惨な出来事があったなと思い出しただけ」
「そうか。考えたくはないが、そのうちおぬしが知っているものと似たような出来事が起こるやもしれんのぅ」
他人事のようだが、もしそれが大きな出来事ならこちらの国にも何らかの影響が及ぶかもしれない。その時、この国はどうするのだろうか。
●貴族も庶民も自由に
このパーティの主催者がアレクサンドラなら、影の功労者はベアルファレスだろう。
始めのうちにあった、貴族階級の出席者と庶民からの出席者の間にあった壁は、すっかり取り払われていた。
会話に加わるのを遠慮している庶民の娘達がいれば、混ぜてくれそうな貴族を見つけ、仲を取り持ち‥‥。気を遣うが、成果はあった。
そんな彼にフルーツジュースを差し出し労いの言葉をかけたセシリア。
「少し、休憩しませんか?」
受け取ったジュースは心地よい冷たさと甘さ。
ベアルファレスがホッと一息ついた時、誰かにポンと肩を叩かれた。
「服の裾がほつれてますわよ」
真琴だった。
いつもの崩れた口調はどこへやら、立派な淑女である。それでも、どこからともなくソーイングセットを出すあたり、職人根性は抱えたままのようだ。
「ありがとう」
やや苦笑気味にベアルファレスが言えば、真琴は指で通路を指した。
二人はセシリアに「また後で」と告げて出て行く。
気がつけば会話よりもダンスの時間のほうが多くなっていたアルクトゥルスは、一人でリンゴを齧っているセシリアに近づいた。
彼女に気付いたセシリアが微笑みながらワインを示すと、アルクトゥルスは微妙な笑顔でそれを断る。
「まぁ、いろいろと‥‥」
と、気まずく言えば、セシリアはベアルファレスに差し出したものと同じジュースのグラスを差し出した。
アルクトゥルスはありがたくそれを頂く。まさか酒を飲むと笑い上戸になるから、とは言いにくい。暴れるよりはマシかもしれないが。
「おや、楽士殿が踊っているな」
アルクトゥルスの視線の先を追えば、前半に竪琴を奏でていたリュイスが今はワルツを踊っている。ある意味忙しい男である。
「多才なお方だ」
皮肉ではないアルクトゥルスのこの言葉を聞けば、リュイスはきっと「ダンスはそれほど得手ではない」と端麗な顔で少し突き放したように返すのだろう。実際、今の相手にもそう断った上で踊っているのかもしれない。
まさか、それが大当たりだということを二人は知らない。
少し酔いが回った頭でアレクサンドラはそろそろお開きの時間が近いことを感じていた。
久しぶりに開いた舞踏会に彼女は満足していた。貴族と庶民の間でささいな出来事はあったものの、彼女が間に入る前にベアルファレスが仲裁してくれていたことを知っている。
そして、時々様子を見にくるレンや博士にも感謝していた。
二人が連れてくる十歳前後の貴族の子や庶民の子と会話の機会が多く持てたことも、収穫だった。
「あぁそうだ、フラウ夫人?」
「どうしました、エルトファーム様」
「あたし、セトタ語の難しい書物に挑戦してみたいのですが、誰か詳しい人をご存知ではないでしょうか?」
「難しい書物‥‥どんなジャンルでもいいのかしら?」
「えぇ」
「そうねぇ、身近なところではうちの書庫だけれど。ロキサーヌ様のところの方が幅が広いかもしれませんね‥‥」
ロキサーヌ・コロンは知識欲旺盛な夫人で、興味の範囲は物理現象から思想までと節操がない。また天界の道具にも興味があり、少し前に体重計なるものに情熱を傾けていた人である。
その頃、蒼威とユラヴィカはいつの間にやら数人の男女に囲まれていた。貴族も庶民もいる。
「依頼でスラムなどに出入りすることも多いので、たまにこういうところに来るとギャップにクラクラするのじゃ。つい先日はトチの実を拾って焼いたとちパンを食べたりしておったのじゃしのぅ」
ユラヴィカの冒険の話に人々は楽しそうに耳を傾ける。
そんな彼らの視線は、たまに気遣わしげにユラヴィカの隣の蒼威へ移る。
「ふむ。少し別の世界へ旅立っておるようじゃな」
考え事でもしているのか、蒼威の目は前を見ているようで、遠い。
そこに使用人が飲み物を乗せたトレイを運んできた。
彼女の差し出すトレイから、それぞれ好きなグラスを手に取る。
トレイの持ち主が誰なのか認識したとたん、蒼威の意識は旅から戻ってきた。そして何事もなかったかのようにグラスをひとつ取る。
妙に親しみのこもった笑顔を向けられ、彼に対しいろいろ思惑のあるネリーは何ともいえない微笑を返すのだった。
やや無理矢理な笑顔を貼り付けたネリーがその場を去り、カラになったトレイに今度は空いたグラスを乗せていくと、バルコニーにアレクシアスとディアッカの後ろ姿を見つけた。
気のせいか、ちょっと前に見た時とはかすかな違和感がある。
盗み見をするつもりはなかったが、気になって歩みを遅くすると、二人の間から笑い声が漏れ聞こえた。明るい会場内では見られなかったことだ。
しかもディアッカはアレクシアスの肩に乗り、心持ち身を傾けているようにも見えた。
「仲が良いのね‥‥」
ネリーは幼い頃の自分とアレクサンドラを重ねた。
●次のパーティまで御機嫌よう
楽しい時間もとうとう終わりになった。
そして、『ベアルファレスイベント』の記念品贈呈者が発表される。
「それでは、発表させて頂きます。フラウ夫妻と私の独断と偏見とその他もろもろによる審査の結果、この方が選ばれました!」
そう言って視線を巡らせたベアルファレスは、目的の人物を見つけると大股に歩み寄り、丁寧に手を取って前に連れてくる。
仮面の下を真っ赤に染めて驚いているのは、庶民からの出席の娘と思われた。身なりからしてそれなりの資産のある家の娘と思われる。
「こちらのお嬢様、とても楽しそうに踊っておられました。おめでとうございます。記念品は『幼い通常馬』です。お受け取りください」
沢山の拍手に包まれ、その娘は卒倒してしまうのではないかと思われるほど慌てていたが、そうはならずフラウ夫妻とベアルファレス、それから会場の人々へ向けて何度もお辞儀をしながら友人の元へと戻っていった。
その後はフィデールが閉会の挨拶をして、無事に仮面舞踏会はお開きとなったのだった。
閉会後、冒険者達はアレクサンドラと改めて話をする時間を得た。
仮面を外したゴードンがアレクサンドラの前に立ち、恭しく膝を折る。
「ササンの騎士、ゴードンと申します。お招き頂いた事、改めてお礼申し上げます」
「こちらこそ、お越しいただきお礼を申し上げます。楽しんで頂けたなら何よりです」
屈託のないゴードンの微笑みを見れば、今日の舞踏会への感想がわかるアレクサンドラだった。
そのゴードンの脇から、真琴がひょいと顔を出す。その顔は今まで見せていた淑女然としたものではなく、快活なものだった。真琴はニヤリとした笑みを見せ、地を出す。
「どうです? 貴族の淑女らしく見えてやしたかね?」
アレクサンドラは一瞬目を丸くしたが、直後には口元を手で隠し小さく噴き出していた。
「見事に化けましたのね。でも、今のほうが自然ですね」
言いながらまだ笑っている。
その笑いが収まった頃、やや真剣な面持ちでリーザがアレクサンドラを呼び止めた。
「以前に、次にお会いした時に大切なお話をしたいと言ったことを、覚えていらっしゃるでしょうか」
「えぇ、覚えているわ」
リーザの様子にアレクサンドラも聞く姿勢を整える。
リーザはゆっくりと言葉を紡いだ。
「以前からアレクサンドラ様の考え方に深い共感を抱いておりました。貴女様のお考えは私の理想でもあります」
フラウ領は相変わらずのどかな田舎のようだった。どちらがより発展するか、と聞かれれば、以前行ったアトリ領かもしれない。フラウ領にも身分の差は歴然と存在している。アトリ家でのパーティの時、学校に興味を示したアレクサンドラだったが『身分を問わず意欲のある者には学習する機会を与える』というのは、今の社会では実現は厳しいのだろう。
「願わくば、このリーザ・ブランディスの剣をいついかなる時もフラウ家のために、貴女様のために振るう事をお許し頂きたく‥‥」
真剣な面持ちで騎士の礼を取ったリーザに、アレクサンドラはわずかな沈黙の後、領主の妻としての声で返事をした。
「頼りにしています。民のためにその剣を生かしてくださいね」
そんな二人のやり取りを耳にしながら、蒼威はジーザム王から任された土地のことを思っていた。
天界から来た彼から見れば、この世界の仕組みは古い。
そして今後はそんな旧支配者に代わり、より良い手段を模索する為政者を見付けて道を示さなければならないだろう。見栄えと税を搾るだけの時代は終わりを告げるべきなのだ。
(「近領への挨拶に事業開拓‥‥」)
頭が痛い。
「俺、理系なんですけどー」
思わずもれた嘆きは、誰の耳にも拾われなかった。