●リプレイ本文
●エルミーヌ・アトリ
「え、アトリ領?」
朝の食堂で龍堂光太(eb4257)に声をかけられた旅人は、アトリ領のことについて尋ねられ、顔をしかめた。その旅人はつい先日までアトリ領にいたという。そしてその反応から察するに、あまり良い思いはしなかったとみえる。
「何か、嫌なことでもあったのか?」
「俺は何もされちゃないながね‥‥何かされているのはあそこの領民達だろうよ。大きな声じゃ言えないが‥‥」
と、旅の男は光太に顔を近づける。
奥方のエルミーヌはとんでもない贅沢三昧の暮らし、そして領主はフオロ家に絶対的な忠誠を誓っているという。
「ボイド夫人も凄いがアトリ夫人もいい勝負だな。そこに暮らす人のことなんかちっとも考えちゃいない。ま、領民でも何でもない俺やあんたには関係のない話さ」
投げやりに言って酒をあおった彼は、ふと思いついたように光太を見た。
「あんたまさか、アトリ家に雇ってもらおうとか考えてんじゃないだろうな」
「いや、そんなことは‥‥」
「やめとけとは言わんがお勧めはしないぜ。んじゃ、そろそろ行くわ。ごちそうさん」
その旅人は軽く手を挙げ店を出て行った。
その後も光太は数人の行商人や旅人にアトリ領について尋ねたが、いずれも同じような返答であった。
アトリ領のことは冒険者ギルドでも少しは調べた。ウィルより南にある平野部で土地は豊かで麦がよく育つらしい。しかしその豊かな実りも大半が税として吸い上げられ、領民の暮らしは厳しいということだった。
そして、そのような生活を強いているのが領主の妻エルミーヌである。年は40になるが、その美貌は30代でも通用するとか。
旅人より少し遅れて食堂を出ると、光太は真っ直ぐにアトリ領を目指した。
●パーティ前に
野外パーティに向かう仲間の冒険者達より一足先に会場となる森の中へ到着したリュイス・クラウディオス(ea8765)は、会場準備の責任者に身分をあかし、手伝いを申し出た。
責任者の中年の男は喜び、リュイスにテーブルの上に飾る花瓶に花を入れてほしいと頼んだ。準備をする使用人達は朝早くから来ていたのか、すでに草はきれいに刈り取られ、高級そうなテーブルクロスがかけられた丸いテーブルが何台も設置されていた。花瓶に花を入れたついでに各テーブルに置き終えると、リュイスは改めて会場を見渡した。
周囲は若葉が芽を出し始めた森に囲まれ、草を刈られた足元からは春の香りが立ち上っている。ふと、リュイスは楽士のための場が設けられていることに気付いた。そのことを近くにいた使用人に尋ねると、
「奥様のお気に入りの楽士達もいらっしゃるのですよ。そういえばリュイス様も楽士でいらっしゃいましたね。お噂は耳にしております」
ウラフ家、メイシ家と演奏を披露したリュイスの名は、ここにまで響いているようだ。
その後リュイスは会場の周辺に危険はないか見て回った。
リュイス以外にも別行動をしている人が一人。ペットのペン三郎が入っている鳥かごを傍らに早朝から何かを待っている時雨蒼威(eb4097)。冒険者ギルドで聞いた話では、今日の野外パーティへフラウ夫人はこの道を通るはずだということだった。フラウ領からアトリ領への道はいくつかあるが、この道がもっとも広く使用されているらしい。
だいぶ待った頃、ようやく馬車の姿が見えてきた。蒼威は手を振って馬車を止めると、御者に自分の名を告げ、この馬車がフラウ家のものであることを確認した。
そんなことを話していると、小窓から見知った顔が現れた。
「どうしたのですか?」
と、御者に声をかけたのはフラウ夫人の侍女のネリーだった。会場までの供としてついてきたのだろう。
ネリーは蒼威の顔を見るなり「あっ」と声を上げ、顔を引っ込めた。中から「奥様、あのナンパ男です」という声が聞こえてくる。本人は大声を出している自覚はないようだ。
フラウ夫人が、ネリーが顔を覗かせていた小窓から蒼威に会釈した。
蒼威も会釈を返し、
「先日、お招きいただいた蒼威です。覚えておいでですか?」
「ええ、覚えてますよ。あの時は来てくれてありがとう。とても楽しかったわ」
「こちらこそ。よろしければ護衛代わりに一緒にどうです?」
「では、よろしくお願いしますね」
馬車に馬を並べながら、蒼威とフラウ夫人はしばらく他愛のない世間話を交わした。そしてそのついでというように、蒼威はフラウ夫人がアトリ夫人の招待に応じたわけを尋ねた。
「特に断る理由もありませんし、敵対というほどでもないのよ。何故今日のパーティにわたくしを招待して下さったのかはわからないけれど、せっかくだから楽しむつもりでいるわ。時雨様達にも会えますからね」
「奥様は呑気すぎます」
奥でネリーのぼやく声がした。
「何か協力できることはありませんか」
蒼威の申し出にフラウ夫人はゆっくりと首を振った。
「心配してくれてありがとう。でもね、そういう行為にもしアトリ夫人が気付いたら、きっとあなた達にとってよくないことが起こると思うの。だから、気楽に楽しむつもりで行きましょう」
「そうですか。でも、以前お渡しした花の言葉に偽りはありません」
「あのカモミールね。その気持ちだけで充分よ。さあ、そろそろ着きますね。時雨様は今日は何人のご婦人をときめかせるかしら」
二人の心配をよそに、フラウ夫人は晴れ晴れとした表情で言ったのだった。
●森の中のパーティ会場
仲間達と共に会場に着いたティアイエル・エルトファーム(ea0324)が、アトリ夫人から借りた馬車の中で道化師チェスターに着替え終わった頃、外は次々と到着した招待客達で賑わってきていた。その中にはフラウ夫人や他の見知った貴族の顔もあった。
昼を過ぎた頃、パーティは始まる。アトリ夫人は深紅のドレスに身をまとっており、年齢よりかなり若く見える美貌の夫人であった。ティアイエルは彼女の前にふわりと羽のように膝を折ると、挨拶を述べた。
「ごきげんようアトリ夫人。今日は実に良い日和です」
「あら、これはこれは。森の妖精さんまでいらしていたのね。ようこそ」
アトリ夫人も心得たもので、ティアイエルの格好に合わせた返事を返す。ティアイエルは立ち上がると花瓶から花を一輪抜き、香りをかぐように口元へ寄せ、
「いえなに、動物達のパーティに誘われたのでこちらに。ホント奇遇ですね。あ、どうぞ私のことはお気になさらず‥‥」
と言って花をアトリ夫人へ恭しく差し出し、周囲の貴婦人達へも会釈をすると森を目指していった。しばらく様子を見るつもりである。ついでに木登りに失敗してみせ、客達を沸かせてみせたりする。
他の冒険者達も次々にアトリ夫人へ挨拶に出た。
「わたくしはお招きいただきました冒険者で、レジーナ・オーウェン(ea4665)と申します。本日のお誘い光栄に存じます。以後もなにとぞお見知り置きください」
今回のレジーナは、騎士らしい姿でここに来ている。礼服の上にマントをはおり、腰には剣を帯びている。アトリ夫人はいかにも貴族然としたレジーナが気に入ったらしく、
「今日は存分に楽しんでくださいね。良かったら冒険談も聞かせてください」
と、社交辞令ではない雰囲気で笑顔を見せた。良く見れば、アトリ夫人の側にいる貴婦人達は皆、生まれも育ちも上流階級といったふうである。
続いて挨拶をしたセレス・ホワイトスノウ(ea9693)は、挨拶の後に仲間と共に演奏をしてもよいかと尋ねた。すでにお抱えの楽士達が曲を奏でていたので、断られることも覚悟していたのだが、アトリ夫人は「ぜひにも」と演奏を望んだ。
「セレス様のお名前はよく存じております。リュイス様はだいぶ早くにいらして、準備に力を貸して下さったのですよ。感謝してますわ」
と、セレスと並んでいたリュイスに機嫌良く言い、自ら楽士達のところへ赴き、セレスとリュイスのために調整してほしいことを告げた。
「では、一緒にやりましょう」
と、リーダーらしき楽士が二人に声をかけたことで、しばらく共演。冒険者が演奏するということで、貴族達はしばし会話をやめ、楽士の席へ注目をした。蒼穹楽団の名前は貴族の間にだいぶ広まっている。一度は聞きたいと思っていた貴族も少なくない。彼らはじっと耳を澄ませた。
その間にリーザ・ブランディス(eb4039)はフラウ夫人のもとへ向かっていた。前の仮面舞踏会で全く見抜かれることがなかったことから、リーザは再び男装をしていた。ただし今回は髪を下ろしている。
「お久しぶりです、アレクサンドラ様」
声をかけられたフラウ夫人は、はじめリーザのことがわからなかった。戸惑いながら挨拶の言葉を言いかけたところでやっとその正体に気付く。
「まぁ、どこの素敵な殿方かと思ったら‥‥。またお会いできて嬉しいわ」
「光栄です。以前お会いした時は突然不躾なことを尋ねてしまい、失礼しました」
「あら、何のことかしら。わたくしは何も気にしていませんよ」
「安心しました」
フラウ夫人の言葉に安堵するリーザ。気付けば周囲では音楽に合わせてダンスをする貴族達が増えつつあった。せっかくの野外パーティなのだから、とセレスやリュイスそしてアトリ家お抱えの楽士達が体を動かしたくなるような軽快な曲を選んだことによるらしい。
リーザはフラウ夫人の前を辞し、ある貴族の婦人をダンスに誘い、輪の中に混ざっていった。アトリ夫人についていた貴婦人達もダンスに加わっていったところで、レジーナは改めて彼女に声をかけた。
アトリ夫人も嬉しそうに受け答え、レジーナの髪の美しさなどを褒め、レジーナも、おべっかを使っていると思われないよう加減しながら夫人の服装などを賞賛した。
「その首飾りは奥様の若々しさを胸元で引き立てておいでですね。ところでその宝石とお召し物との色の組み合わせはこちらの国で流行っていらっしゃるのですか? いえ、わたくしの国とは少し感覚が違うもので」
アトリ夫人は深紅のドレスに琥珀色の宝石を合わせていた。宝石を彩るプラチナの細工が見事な首飾りであった。
「この首飾りはバンゴ商会さんに無理を言って取り寄せていただいたのですよ。これだけの作りとなりますと、そうそう入手もできませんでしょう? 新しいドレスを我慢して求めましたの」
バンゴ商会と言えば、フラウ夫人のところのパーティにエルネストという者が来ていた。
それはともかく、アトリ夫人はよほどこの首飾りが気に入っているらしく、しばらく自慢話が続いたのだった。
塚原明人(eb4113)は、延々と続くアトリ夫人の自慢話に辰木日向(eb4078)と目を見交わし苦笑している。さすがに首飾りの自慢は終わっていたが、続いて今はアトリ領の自慢話になっている。レジーナは嫌な顔一つせず、にこやかに相槌を打つのは、当に素晴らしい精神力と言わねばなるまい。
話を聞いていると、アトリ夫人はただの贅沢者というわけでもなさそうだった。権力者とのつながりをつけておくために、領民に重い税を課している節もある。収穫を上げるために彼女なりに学者などの協力をあおいだりと、それなりの努力もしているようだ。
その時、アトリ夫人の取り巻きの一人が小さな紙片を持って何やら楽しげにやって来た。
「見てくださいな、これを。名刺というものだそうですわ」
そう言って差し出された手のひらサイズの紙片には、名前やら職業やらが記されていた。
「あら、どなたから?」
「あちらの殿方ですわ。さらりーまん、という職業のお方で‥‥」
「何ですの、それは」
「私達の言う商人だそうですよ」
その貴婦人が目を向けた方を見やると、信者福袋(eb4064)が礼儀正しくお辞儀をしながら貴族達に名刺を渡している姿があった。
「私もいただいてこようかしら。レジーナ様、少し失礼しますわね」
そう言ってアトリ夫人は信者の方へ歩み寄っていった。
「今日はようこそいらっしゃいました。私にもその名刺とやらをいただけますか?」
アトリ夫人に声をかけられた福袋は、とらえどころのない微笑で名刺を差し出す。いわゆる営業スマイルである。
「天界ではこういうふうにして挨拶を交わすのかしら」
「私のような職業の者はたいていそうしますね。一種の儀式のようなものです」
「まあ、そうですの。でも確かに、相手の方に覚えていただくには効果的ですわね。私も今度試してみようかしら。それでは、ゆっくり楽しんでいらしてね」
アトリ夫人は名刺を裏にしたり表にしたりと眺めながら、立ち去っていった。アトリ夫人がレジーナの元に戻ってくると、光太が丁寧に挨拶をしてきた。彼女はそれを受けながら、今しがたもらった名刺について尋ねる。
「光太様も名刺をお持ちですの?」
「いや、僕は持っていないよ」
「では光太様はサラリーマンというものではないのですね」
「僕はまだ学生だから‥‥。うまく就職できたら作ると思う。うーん、ちゃんと天界に戻れるのかな‥‥」
後半は独り言のように小さく呟く光太。だがすぐに用件を思い出す。
「実はお願いがあって‥‥。故郷ではこのように美しい森を歩いたことがなくて、パーティの最中に申し訳ないけど、ちょっと歩いてみたいんだ。いいですか?」
「ええ、いいですよ。でもあまり遠くへ行かれませんように。戻ってこれなくなっては大変ですもの。足元にお気をつけて」
「ありがとう」
軽くお辞儀をし、光太は少しの間パーティ会場を抜けて森の散策へと出かけた。その間リーザはダンスを通じて懇意になった婦人から、アトリ夫人のことをいろいろ聞きだす。
まず今回のパーティにフラウ夫人を呼んだことだが、やはり何かありそうな気配だった。特別危険ではないようだが、どうやらフラウ夫人に恥をかかせようとたくらんでいるとのことだった。
●エルミーヌvsアレクサンドラ?
リーザが言葉巧みに聞き出したおかげで、ネリーの心配は的中していたことがわかったが、だからといって何らかの行動に出るわけにもいかず、冒険者達はあくまでもいち招待客として振舞うしかなかった。下手に動けば逆効果になりかねない。
先ほどまで竪琴を奏で、明るいワルツでダンスを盛り上げていたセレスは、今は楽器を置きワインで喉を潤していた。
そうした後にフラウ夫人のもとへ赴き、懐かしそうに微笑む。
「お久しぶりです、フラウ様。ご機嫌いかがでしょう」
「ごきげんよう、ホワイトスノウ様。今日も素晴らしい演奏でしたね。春の陽気にぴったりですわ」
「ありがとうございます」
「ところで気付いてまして? 先ほどからあなたと踊りたそうなお方がいらっしゃいますわよ」
フラウ夫人が目を向けた方を振り向くと、フラウ夫人と同じくらいの年齢の貴族がセレスを気にしている素振りを見せていた。彼女が会話の最中だったので遠慮していたようだ。
「あ、でも私ダンスは‥‥」
言いかけたセレスにいたずらっぽい笑みを見せ、フラウ夫人はその貴族の方へ挨拶に行ってしまった。二、三言会話を交わすとその人を連れて来てしまう。
「カーシー・ボイド様よ。先日のメイシ様のところのパーティにもいらしていたんですって。せっかくだから一曲踊ってきたらどうかしら?」
セレスは一瞬考えた後、ダンスは下手であることを正直に告げた。その上でそれでもいいのなら、と続ける。
「難しく考えることはありませんよ。私にお任せください」
カーシーはあっさりと了承し、手を差し出す。多少の不安を感じながらもセレスはそれに応じて、ダンスの輪へ加わったのだった。
その輪の中にはレジーナもいた。どこかの貴族と優雅に踊っている。彼女は踊りながらこのパーティのことを褒め、相手の様子を伺いつつ目の前の男性がアトリ夫人のことをどう思っているか聞き出そうと試みて。
「さてどうかな。アトリ夫人はいろいろと噂の絶えないお方だからね。酷い人は鬼のように言うけど、本当に鬼だったらこの領地はもっと荒んでいると思うよ。確かに税は重いだろうけど、それでも暴動が起きないのはどうしてだろうね」
こんな返事をもらった。
結局彼がアトリ夫人をどう思っているかは謎のままだったが、アトリ夫人はただの横暴夫人ではないということは明らかになる。
レジーナがダンスに出ている頃、アリシア・キルケー(eb2805)はアトリ夫人ときわどい会話をしていた。
「アトリ家が素晴らしい財を築けたのは、まさにこの豊かな土地のおかげですわね。この森を見ればわかりますわ」
話は、アリシアのこんなセリフから始まった。
「でも領主様がどのように噂されているか、ご存知?」
「税が重いとかそういうことでしょう? それくらいは耳に入ってますわ」
アトリ夫人の表情は変わらないが、わずかに声のトーンが下がる。
「あまり名誉な噂ではありませんわよね。放っておいてよいのでしょうか」
「民というものは意外と勝手なものなのよ。税を増やしても減らしても不満は消えないものですわ。そして文句を言いながらもそれなりに日々の生活に楽しみを見出しているの。それよりも百年栄える方法を考えた方がずっと有益というもの」
「そうですか。では例えば、王陛下から従軍日数を今までの数倍にするとか、王家のためにという名目で王の個人的満足のために貴族位の家に特別税を課すとか、重負担を言い渡されたらどう思うのでしょう。あくまでも例えばのお話ですわよ」
「アリシア様とおっしゃいましたね。ここはそのような話の場ではありませんが、せっかくですから少しお話いたしましょう。ここは確かにアトリ家の領地ですが、同時に国から経営を任されている土地でもあるのです。契約ですわね。その国からの指示でしたら、それが理不尽であっても従わなければならないでしょう。でも肝心なのはただ従うことではありませんわ。それだけならすぐに疲弊してしまいますものね」
そのために具体的に何を行っているのか、まではアトリ夫人は話さなかった。他の貴族達がいたからだろう。
それからちらりとフラウ夫人を見やり、
「ただ慈悲だけで夢を食べさせているようでは、いずれ消えてなくなるだけですわ」
瞬間、耳を澄ませていた冒険者の間に緊張が走る。
フラウ夫人もその視線に気付き、ダンスから戻ってきたセレスとカーシーとの会話を止め、アトリ夫人を見つめた。
が、すぐに視線をそらしてセレス達との会話を再開する。
「そういえばフラウ領はいつ行ってもぼんやりとした雰囲気ですのよね‥‥」
アトリ夫人に合わせて取り巻きの一人が意地悪く言う。
「ぬるいものばかり食べていると、あのように緩んだ民草ばかりの土地になるのかしら」
「あら、実は幻の領地かもしれなくてよ」
フラウ夫人に恥をかかせよう、というのはこういうことだったのだろうか。挑発とも言えるこれらの言葉にフラウ夫人が激昂することがあれば、確かに貴族の夫人らしからぬ行為となるだろうが‥‥。どちらかといえば恥をかかせようとしているのは取り巻きの夫人達で、アトリ夫人はそれとは違った思いを抱えているように見える。
フラウ夫人が何の反応も示さないので、いざともなれば仲裁に入ろうかと考えていたリーザだったが、もうしばらく様子を見ることにした。
しかし、場の空気はどうにもよろしくない。
と、ティアイエルが慌てたようにアトリ夫人の前に躍り出た。
「見てください! この森の空気を浴びたら、石が‥‥!」
と、愚者の石を差し出す。ティアイエルの手の中で小石が黄金色に輝いていた。アトリ夫人は目を見張ってそれに見入る。
続いて森の散策から戻り様子を見ていた光太が、森の中で見たことを楽しげに話して聞かせた。
「本当に豊かな森でした。ただ生えているだけではなく、手入れもされているのには驚きです」
「当然のことですわ」
アトリ夫人は機嫌よさそうに微笑み。彼女の気持ちが落ち着いたことで、パーティは平常に戻った。
演奏席でじっと見守っていたリュイスも、いつの間にか入っていた肩の力を抜き、再びワルツを奏で始める。他の楽士とセレスもそれに加わった。
さらに福袋が「ミハイル・ジョーンズという遺跡発掘の好きな老人を知らないか」と尋ねたことで、話題は完全にそれたのだった。
ちなみにその人物について知っている人は、残念だがいなかった。
●棘だらけの花
福袋は話題を転じ、天界での効率よくお金を増やす方法について話しだした。
「天界では、株式会社という、複数の出資者が株を買うことによって出資し、配当をもらうというシステムが存在します。今までは大きなことをする時はアトリ家が全ての資金を出していたと思いますが、みんなで出し合うとなると、ひとり分の負担が減り、また成功した時はみんなが利益を得ることができるのです」
「なるほど。そういうやり方もあるのですね。ですがその方法では‥‥」
「ま、ま、ま、もう少し聞いてください。続きがあります」
福袋は言いかけたアトリ夫人をおさえて続ける。
「この方法ではアトリ家の収入が減るとおっしゃりたいのでしょう? でもよく考えて下さい。もしもいろんな事業を民の出資でまかない、成功して民が豊かになれば税を増やさなくても‥‥」
「まぁ、もう少し税を増やすことができますわね」
アトリ夫人は晴れやかに福袋の後半のセリフを奪った。しかも彼が言いたかったこととは正反対の意味で受け取っている。
「いえ、そうではなく‥‥」
「天界人とは素晴らしい方法をお持ちなのね」
まったく聞いていないアトリ夫人。
頭を抱える福袋に代わって蒼威が説明を加えた。
「アトリ夫人、福袋さんは領地が潤えば税を増やさなくても将来的に必ずあなたのためになる、と言いたいのですよ」
それに、とさらに続ける。
「有能な人材の育成も大事じゃないかな? これぞと思う人物を見つけたらその人を支援したり、そういう人物を育てるための機関を作ったり。能力ある人材を得ればきっとあなたのお役に立つはずですよ」
そのための施設として、蒼威は学校の仕組みを紹介した。
「民草が学問を‥‥?」
アトリ夫人には考えられないことだったらしい。
「でも、おもしろそうね」
フラウ夫人は興味を示した。
とたん、アトリ夫人の表情が剣呑になる。
「ま、あなたのところみたいにヒマ人ばかりのところなら、いいかもしれませんわね。私のところは皆勤勉ですから‥‥」
「まぁまぁ、学校では動物の飼育も取り入れることができますよ」
と、蒼威はアトリ夫人の気をそらせるためにペン三郎Zを鳥かごから出した。
「ペン三郎、ほらご挨拶」
蒼威が言えば、ペン三郎はぴょこんとお辞儀をした。ずんぐりとした体のその仕草は、見る者を和ませる。
「あの、アトリ夫人。昔、私のお婆ちゃんが言っていたのですが‥‥」
遠慮がちに口を挟んだ日向へ、アトリ夫人が目を向ける。ペン三郎で和んだのか、先ほどまでの険しさが消えていた。
日向はある民話を話して聞かせた。
それは、大きな頭をした男の話だった。
男は散歩中に見つけた大きな柿の木に登って実を食べていたところ、足を滑らせ木から落ちてしまった。頭から地面に落ちたため、落ちていた柿の種が頭に刺さってしまう。
しかし男が気付かずに水を飲むと、頭の上から小さな木の芽が生えてきた。男はこれも何かの縁だと思い、小さな芽を大事に育てると、木はぐんぐん大きくなり見事な柿の実を実らせ、その柿はおいしいと評判になった。
それを面白く思わない他の柿売り達は、男が寝ている間に頭の木を切ってしまう。
男はしばらく泣き暮らしたが、今度は柿の木の切り株に茸が沢山生え、その茸はまた評判になった。
それを面白く思わない他の茸売り達は、男が寝ている間に頭の切り株を抜き取ってしまった。
男はしばらく泣き暮らしたが、今度は切り株が抜き取られた穴に水が溜まり、鯉が泳ぐようになった。
男の頭の池は評判になり、沢山の人が鯉を釣りに来た。
今回ばかりは商売敵も皆呆れて男に悪さをする者はいなかったという。
「お婆ちゃんは民話の意味を教えてくれなくて‥‥すぐ結論付けず自分でいろいろ考えてみなさいって言ってました」
「考えるとちょっと気味が悪いですわね‥‥でもそうね、もしそんな人間がいたら、私の家に住まわせますわね。いろいろいいことがありそうですもの」
どんな想像をしたのか、アトリ夫人は口元をおさえて上品な笑い声をもらした。その様子を見ていた明人が、腕組みしながら納得するように何度も頷いている。
「アトリ夫人は、民は生かさず殺さず搾り取ろうという精神なんだね」
「あら、よくわかっているのね」
批判とも取られかねないセリフを、アトリ夫人はしれっと肯定した。
「確かに、殺しすぎると死ぬ気になって玉砕覚悟の反乱起こすし、そんな面倒なことになるくらいなら、死ぬよりは飼われているほうが良いって考える程度の生気を維持したレベルで搾り取ったほうがいいもんね。天界にもそれで植民地運営してた国家があったよ」
「そうですの。でも、ただ搾り取るだけでは今一歩ですわね。時には栄養も与えてあげませんと。ここは麦がよく育ちますからね、いかにその収穫を上げるか‥‥学者を招いての話し合いも欠かしませんのよ」
それでも搾取することには変わりないが、アトリ夫人にとっては民とは、保護と引き替えに喜んで奉仕すべき存在であるから、特に思うところはない。無論、彼女の家は野盗や蛮族やモンスターから、あるいは敵対領主の略奪から民を護ってきたと言う自負がある。
明人は軽く肩をすくめると、いつの間にか移動してしまっていたフラウ夫人のところへ移った。
アトリ夫人も取り巻きの貴婦人達との談話に戻る。明人は同じ話をフラウ夫人にもしてみた。すると案の定、フラウ夫人は顔を曇らせる。
「確かに、わたくしのところはアトリ夫人から見たらいい加減に見えるのでしょう。ですがわたくしはあの方の考え方には同意できませんわ‥‥。ま、仕方のないことですわね」
良くも悪くもおおらかなのがフラウ夫人である。民への精神の話はここまでにして、明人は小声になってちょっと気になる人の話をした。
「ネリーさんに、いつか休暇があったらプライベートで会いたいな〜って伝えてほしいんだけど」
「ネリーに? いいわよ、伝えておくわ。今日は供としてついてきただけで、ここにはいないのが残念ね‥‥」
ネリーはフラウ夫人をここまで送った後、アトリ家が用意した従者のための控え屋敷で待機している。
「ところで、フラウ夫人にこんなこと聞いてもいいのかどうか‥‥ここで、天界で言う漢方や食材って手に入るのかな」
「以前、エルネストさんに聞いたことがありますわ。漢方‥‥というか、スパイスの類は高価なのでほとんど手に入らないって」
「そうですか‥‥ありがとうございます」
明人は礼を言うと、リュイスとセレスが奏でる音楽のほうへ去っていった。