●リプレイ本文
●L夫人達の生活
グードルーン・アミエがひっそり開く通称『Lサロン』。そこで使われるアミエ男爵邸の小広間に切ない悩みを抱える夫人達と冒険者達が集まっていた。まだ昼間だが、室内は静かである。
ゆったりとしたドレスを身にまとったグードルーンが、冒険者達に丁寧に挨拶をする。
「ようこそおいでくださいました。まずは旅の疲れを癒してくださいませ」
と、冒険者達に椅子とお茶を勧める。
応えるようにシスイ・レイヤード(ea1314)が挨拶を返した。
「お心遣い、ありがとうございます‥‥。今回は‥‥お招きいただき、ありがとうございます。どこまで‥‥お力に‥‥なれるかかわりませんが‥‥全員一丸となり‥‥がんばるつもりですので‥‥よろしくお願いします‥‥」
美しく中性的な顔立ちのシスイに微笑まれ、アミエ夫人はしばし見とれてしまった。
グードルーンの後ろにいる他の貴婦人達も彼女に倣ってそれぞれ挨拶をした。
「そうですねぇ‥‥まずは始める準備でしょうか?」
「ではご夫人方からは我が輩が聞くとしよう」
眼鏡の奥から知的な瞳をきらめかせ、ディーナローゼ・メーベルナッハ(eb4107)が一歩前に出た。
「私達は侍女の方からもお話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか」
サティー・タンヴィール(eb2503)の申し出に、グードルーンは疑問げに首を傾げたが、今回は彼女らの力を借りようと招いたのだから、と何も言わずに承諾した。
小広間の出入り口に控えていた侍女へ振り向き、冒険者達を別室へ案内するよう指示する。
ここにはディーナローゼを残し、サティーやシスイ達は移動していったのだった。
グードルーンが指示した侍女、ベルは小広間の隣室へ冒険者達を連れて行った。室内にはそれぞれの夫人達の侍女が待機していた。
突然現れた冒険者達に侍女達は驚きの目を向ける。
「えーと、何かお話を聞きたいそうです」
ベルの言葉に不思議そうな顔をしつつも、彼女らは手早く室内を整え始めた。
「休んでるところ、突然おじゃましちゃってごめんね。手伝うよ」
椅子を並べ替えようとしていた侍女から、リオン・ラーディナス(ea1458)はそれを引き受けた。
「ありがとう‥‥ございます。あ、私はチェリーと申します。ガブリエラ様のこと、なにとぞよろしくお願いいたします」
深々とお辞儀をするチェリーへ、リオンは人懐こい笑顔を見せた。リオンとたいして年は違わないだろう。
「かわいい名前だね。ああ、俺もキミみたいな侍女が雇えたらどれだけ幸福だろーかっ」
「はぁ‥‥」
「ナンパしたいならマイナス100点だな」
アマツ・オオトリ(ea1842)の容赦ない減点に、ベルをはじめ他の侍女が思わず笑いをもらす。
「100点も!?」
ショックを受けているリオンの背中を、くすくす笑いながらフォーリィ・クライト(eb0754)が叩いた。
「がんばって研究しなきゃね。さて、始めようか」
彼女のその言葉で、冒険者側からの質問が始まった。
最初に質問を発したのは篠崎孝司(eb4460)だった。
「篠崎孝司だ。こっちでは天界人と言うらしいな。よろしく頼む。まずはふだんの食生活・運動量・生活のリズムを詳しく聞かせてくれないか」
冒険者達と対するように座っている侍女達は、一瞬目を交し合った後代表でベルが答えた。
「グードルーン様ですが、食事は朝と夕の二回、間にお茶の時間が入ります。就寝前にもお茶の時間があります。運動はお庭の花などを見に出るくらいですね。夜更かしはしません。でも朝は弱いです」
他の侍女達もだいたい同じようなことを言った。
「えーとまとめると‥‥食事は全員一日二回、お茶の時間は二回か三回、ビルヒニアさんを除き他の方はほぼ運動なし、夜更かししているはソフィアさんで朝が早いのもソフィアさん。後はグードルーンさんと同じ、と」
フォーリィの言葉に頷く侍女達。
「食事の量は? 一回の量がものすごく多いとか」
「奥様はおいしいものが大好きですから、いつもたっぷりお召し上がりになりますよ」
健康的ではないか、と言いたげにリオンの問いに答えるベル。
リオンは少し苦笑した。
総じて聞くと、どうやらみんなけっこう摂取量が多いように思われた。一人、ソフィアだけは人並みであり、かなり偏食だった。
「ストレスを感じるようなことが日常的に取り巻いているとかはありませんか?」
サティーの問いには、少し悩んだ後にチェリーが答えた。
「今でも気に病んでいらっしゃるかはわからないのですが、奥様の腕にはその‥‥ちょっと大きな傷跡があるんです。庭師とお庭で木の形について話し合っていた時、木の上にいた庭師の手から鋏が落ちてしまいまして、それが運悪く奥様の腕を切ってしまったんです」
ガブリエラはそれ以来ふさぎがちになり、あまり外にも出ず部屋でぼんやりしているか、でなければお茶やお菓子を口にすることが多くなったのだと言う。
言われて見れば今日のドレスも長袖であった。
「私もいいですか?」
次に手を挙げたのはソフィアの侍女グレンダだった。ソフィアよりいくつか年上だ。
「ソフィア様は口数の少ない方なので何がストレスになっているのかわからないのです。ただ、なんて言いますか、言い方は悪いですが無気力と言いますかいつもだるそうと言いますか‥‥」
サティーの記憶に、一番若いソフィアの様子が思い出される。物静かな雰囲気の女性だった。
一拍おき、塚原明人(eb4113)が侍女達全員を見渡して聞いた。
「今まで行った減量法と実践具合を聞かせてもらえますか?」
「まずはやはり、食事の量を減らしましたね。後はお庭の散歩です。でもいつも一週間くらいで終わっちゃうんですよねー」
屈託なく明るく答えるベル。
他もみんな似たり寄ったりだ。ビルヒニアは庭の散歩や時には遠出もするようで基本的に体を動かすのは好きなようだが、四人の夫人の中で一番食べる人でもあった。
「まあ、ダイエットと言って思いつくのは食事を減らすことと運動でしょうね。その二つができない、というか継続できないってことですね」
何かを考えているように呟く山田リリア(eb4239)。
「奥様が本格的にブタになる前に、どうかよろしくお願いしますっ」
勢い良く頭を下げるベルへ、ハリセンを握り締めるフォーリィだった。
その頃、小広間では。
ディーナローゼが夫人達に三つの点について質問をしていた。
ひとつめ。
「太ってきたのはいつ頃であろうか?」
「二十歳頃からかしら」
と、答えたのはグードルーンである。二十歳まではほっそりした体型だったそうだ。
続いてガブリエラが五年前、ビルヒニアは小さい頃から、ソフィアはよく覚えていないが幼い頃は体が弱くやせっぽちだったと言う。
「ふむ。ではふたつめ。失礼だがご両親のいずれか、または双方とも太っておいでであろうか?」
「母方が太りやすいようですわ」
と、ガブリエラが答える。父のほうはごくふつうの体型のらしい。
年齢による体型の変化はあるだろうが、その分を考えても遺伝と思われるのはガブリエラだけだった。
「では最後に。いつ頃の時間にどんなものを食べておられるかな?」
隣の部屋の侍女達はあっさり答えていたが、実際に体型にコンプレックスを持つ身としては少々答えにくい問いであった。
少しの間の後、グードルーンが小声で答えた。
「食事は一日二回です。その間にお茶をしますね。朝はパンとミルクと果物で夕はパンとワインとお肉やお魚のお料理ですわ」
「ふむ。お茶の時間に食するものは?」
「二杯のお茶と焼き菓子をいただいてます」
他もだいたい同じであった。
「なるほど。どうもありがとう。そろそろ隣も終わるであろう」
ディーナローゼは仲間達が出て行った扉に目をやった。
●L度調査
隣室から冒険者達が戻ってくると、一度グードルーンが飲み物を勧め一息入れた。
落ち着いた頃を見計らって皇天子(eb4426)が次の段階について説明をはじめた。
「健康診断や体力測定を始める前に、なぜ太ってしまうのかということを考えてみましょう」
真っ直ぐに四人の夫人を見据える天子。その様は先生と生徒を思わせた。
「まずこれは覚えてください。肥満は病気です。治療が必要ですね」
「病気‥‥ですか」
グードルーンが不安そうに聞き返す。
天子は臆することなく頷き返し、話を続けた。
「肥満とは、脂肪組織が過剰に蓄積した状態で、糖代謝異常、脂質代謝異常、高血圧、冠動脈硬化症を生じる可能性があります」
「ごめんなさい、何をおっしゃっているのかわからないわ」
抑揚のない声でソフィアが口を挟む。
それもそのはずで、天子がいた世界とこの世界では科学技術に大きな格差があった。それぞれの病状などについては説明すればわかるだろうが、どうしてそうなるのかを理解させるには体のことを一から説明しなければならないだろう。身体に関する知識が少ない彼女達が、天子の話の内容をきちんと理解するまでにどれほどの時間がかかるか‥‥。
「では、これだけ覚えていてほしい」
ディーナローゼが引き継いだ。
「肥満というのは、食事によって供給されるカロリーが、消費されるカロリーを上回ることで起こる現象である。カロリーというのは、食べ物を体内で消化することで発生する、生物が命を維持するための力の源である。脳も筋肉も贓物も、カロリーを使って動いているのであるよ。ここまではよろしいか?」
「まぁ、なんとか」
ソフィアはじめ、全員どうにか理解しているようだ。
「では次に、必要以上に供給されたカロリーは行き場を失うのである。そういう時、人の体というのは、カロリーを貯蔵する方法を持っているのである」
ディーナローゼの話を聞きながら、夫人達はもしかしたらふだん食べているものを思い起こしていたかもしれない。
リオンがディーナローゼの説明に同意するように頷いている。
「カロリーは『脂肪』というものに変えられ、身体のさまざまな部位に蓄えられるのである。腹、太腿、上腕部など。そして、それ以後もカロリーが過剰に供給され続けると、脂肪が次々と蓄えられていき‥‥ついには肉体そのものを著しく肥大化させてしまうのである。天子が最初に言っていたやつだな。それが肥満であるのだよ」
夫人達は黙り込んでしまった。思い当たる節が多々あるのだろうか。
「ダイエットするにはまずは健康であることが必要です。これから簡単に健康診断しますね。私は医学も学んでいますから安心してください」
そう言った天子を夫人達は尊敬するような目で見た。女性で医学知識があるというのはすごいことだという認識であった。
それから彼女は男性陣を見やり、
「殿方は少しの間外でお待ちくださいね」
と言ってさっさと小広間から追い出したのだった。
それから天子は夫人達の脈を診たり扁桃腺や舌、目の様子などをつぶさにチェックしていった。今のところ特に脈に異常があったり体調を崩している等はないようだ。
それが終わると殺陣静(eb4434)がグードルーンに巻尺を借り、前に立った。
「ダイエットには自分のサイズをしっかり把握することが大切です。失礼ですが、サイズを測らせていただきますね」
静はウエスト、上腕部、ヒップ等のサイズを四人分測り終えると、それを羊皮紙に書き写した。
「これが今の皆様の状態です。これから目標を持って焦らずにがんばっていきましょう」
夫人達は、現実の数値を初めて見た。これまでも、ドレスを新調する際には侍女らが体のサイズを測ってはいたが、基本的に彼女達は無言で作業をする。だからはっきりとした数字としては見ていないのだ。
続いて静はグードルーンにバスタブはないかと尋ねた。
「バス‥‥? あ、お風呂のことですか? ではご案内しましょう」
そんなわけで彼女達は小広間を出て、外の男性陣も交えて風呂場へ向かった。
案内された風呂場を見て、静は「うーん」と考え込んでしまう。
天界にあったようなバスタブではなく、温泉のように広々とした湯殿だった。
「あの、ここでいったい何を?」
遠慮がちに問いかけたガブリエラへ、静はバスタブを使ってあふれた水から重さを出したかったことを伝えた。
「そうでしたか。失礼ですが、その方法ではわたくし達の重さはわからないと思いますわ。わたくしのところでは金貨に混じり物がないか、その方法で確かめることがありますが、それは金貨の重さではありませんもの」
さらに、この世界に体重計というものは存在しないらしい。
体重がわかれば肥満度も計算で出すことができたのだが。
「ないものは仕方ないな」
と、孝司が言い、次の作業に移ることとなった。
「それじゃ、最後に体力測定だな」
低く言ったレイヴン・クロウ(eb3095)。侍女達の話からだいたいのことは察しているが、やはり実際見てみるにかぎる。
「ちょっと庭を走ってみてくれないか?」
何気ない彼の一言に、グードルーン達ははっきり戸惑った。
「この格好で‥‥ですか?」
夫人達は誰がどう見ても運動には適さないドレス姿であった。
が、レイヴンは意に介さず言う。
「できないことはないだろ? 靴は脱げばいいわけだし」
どうにも無愛想でその結果突き放すような言い方になってしまう損なレイヴンに、夫人達はなんとも言えない顔を見合わせていたが、やがてビルヒニアがヒールの高いパンプスを脱いで言った。
「やりましょう。どれくらい走ればいいのかしら?」
「走れるだけでいい」
レイヴンとしては普通に話しているつもりなのだが、ビルヒニアはそれを自分に対する挑戦と受け取ったようだった。
ビルヒニアがやると言ったことで、全員が庭を走ることになった。幸いまだ日が出ている。
広い庭に出ると、見かねたのかフォーリィが一緒に走ると言って夫人達と並んだ。
「競争じゃないから、自分のペースでね。辛くなったらやめていいのよ。それじゃ、スタート!」
フォーリィの合図で走り出す夫人達。
その様子を眺めながら劉蒼龍(ea6647)が何とも言えない顔をする。
「ありゃ完全に運動不足だな〜。‥‥グードルーンさん脱落、と」
「100メートルってとこかしら」
呟く華岡紅子(eb4412)。あくまで推定だが、それほど差はないだろう。
「関係ないけど、私も最近ちょっと気になりだしてるんだよね」
とは、エリシーナ・ヴェルトハイム(eb4389)。
「へぇ? どのへんが?」
「もぅ、蒼龍さんてばじっと見ないでよ、恥ずかしい〜」
「うわ、あぶねっ」
エリシーナが振り回した手を紙一重でかわす蒼龍。
そんなことをしている間に、遠距離走は終わった。
立ち止まった順は、グードルーン、ソフィア、ガブリエラ、ビルヒニアであった。
●計画と誓い〜ビルヒニア
夫人達の息が落ち着くのを待ち、再び小広間に戻るといよいよ個別指導である。
四人の夫人の中で一番肥満度の低いビルヒニアについたのは、シスイ、フォーリィ、孝司の三人だった。
庭を走り始めたあたりから、ビルヒニアの冒険者達に対する態度ははっきり変わっていた。どう変わったかと言うと、ライバルでも見るように挑戦的に冒険者達を見据え、話を聞いているのだ。それまでの穏やかで優雅な雰囲気はどこかへ消えていた。
しかし、決して反抗的というわけではない。
「まずは、お疲れ様でした。それで今後の方針ですが、継続的な運動と食事の量の制限をしていこうと思っています。運動はマラソン、ウォーキング、室内体操の組み合わせでいきます。内容は後でお話しますね」
「はい」
ビルヒニアはニコリともせず、真っ直ぐにフォーリィを見つめて頷いた。
が、「ちょっと待って」とシスイが待ったをかけた。
「他の三人より体を動かしていたとはいえ、いきなりそのメニューはキツイんじゃないか? 最初は歩くことや掃除くらいから始めたらどうだろう。食事も間食を一回抜くくらいからとか」
「なるほど‥‥長期戦だもんねぇ」
フォーリィはしばし考えた後、こう結論を出した。
「それじゃ、運動はウォーキングと室内体操で、食事は間食を減らすところから始めましょう。焼き菓子を一枚減らすとか、小さなことから。できますよね」
「やるわよ」
やはり厳しい表情のままのビルヒニアに、フォーリィは困ったような笑いを浮かべ、おそるおそる聞いてみた。
「あの‥‥何か、気を悪くなさることでもありましたか?」
「いいえ。失礼ながら言うと、私、あなた達は遊び半分でここに来たのだと思っていたの。まぁ、そうなのかもしれないけど、この格好で庭を走らされたのよ。このまま引き下がれないじゃないの。だから、あなた達が勧めることは何でもやるわよ。逃げたら兵を出して連れ戻すつもりなので、よろしくお願いしますね」
「あはは‥‥お手柔らかに‥‥。こりゃ、あたし達も誓約書が必要かな」
それはそうと、この夫人にかぎっては途中で放棄したり駄々をこねたりということはなさそうだった。
「つまみ食いなんぞは阻止だからな」
そう言って、孝司が『誓約書』と大きく題された羊皮紙をビルヒニアに差し出した。
ビルヒニアは挑戦的な笑みを口元に浮かべると、無言で署名した。
もはやこれは戦いだった。
●計画と誓い〜ガブリエラ
冒険者達がガブリエラに何か言う前に、彼女のほうから質問してきた。
「わたくし、痩せられるでしょうか。わたくしの母もその母も太っておりました。こういう家系なのだと‥‥」
どうやら不安を感じているようだ。
天子がゆっくりと言い聞かせるようにガブリエラに言った。
「確かにそういう点では苦労するかもしれません。ですが私達のいた天界では、太りやすい体質でも節制することによって健康的な肉体を維持している人が大勢います。きちんとしたデータの下に効果的なダイエット方法があるからです」
天子の毅然とした態度に、ガブリエラの顔から幾分不安さが引く。天子は話を続けた。
「低脂肪食と高食物繊維食を摂取して、適度な運動が効果的です」
「てい‥‥?」
「脂っこいものを控え、野菜などを多くとるようにするのです。お肉はお好きですか?」
「ええ」
「いきなり食事から消すのは大変でしょうから、まずは量を半分にしてみましょう。その分、野菜を増やすのです。そして一日おき、二日おき、と間隔をあけるのです。理想はダイエット中はお肉を控えることです。動物性たんぱく質はお魚でとる方がいいですね」
「なるほど‥‥」
「お魚と言っても、たっぷり油を使った料理はだめですよ。油は少なめに」
「わかりました‥‥」
ガブリエラは少し残念そうにしたが、とりあえずは頷いた。
「食事の時には青い布を用意するといいかもな」
腕組みして腰掛けていたレイヴンが口を開く。真面目な顔で彼は続けた。
「俺の親父は画家なんだが、そのせいか色についてのお伽噺をよく知っていてな。その中に『客の寄り付かない青い食堂』というのがあったんだ。父曰く、青の妖精は人の食欲を減退させるいたずらを好むらしい。また、青の妖精は眠りと相性が良いとも聞いた。眠る前に青い何かを見つめてから眠るのも良いかもな」
「青の妖精‥‥初めてお聞きしましたわ。でも、やってみましょう」
夫人も真面目な表情で返すと、レイヴンは照れたように口元を歪めた。
「まぁ、マジナイの一種だと思ってくれ」
次に運動はどうするかということになった。
見事な男装をしてきたアマツが秀麗な眉をわずかに寄せる。
「エトロ夫人くらいの年齢の女性は、あまり急な運動はしないほうがいいでしょう。体重の多寡に関わらず、体に無理がきかなくなりますからな。特に間接は脆く、腰も弱くなるものです。私の母上がそうでした」
「歩くのがいいのだが、外出がむずかしいなら、箱を用意して一定のリズムでそれを上り下りするという方法もあるな」
どうする? と二人はガブリエラを見やった。
夫人は戸惑い、決めかねた。彼女には少々優柔不断なところがある。
「‥‥まずは、室内運動からいきましょうか。レイヴン殿の言った箱の上り下りです」
ガブリエラの腕にあると言う傷跡のことを気遣い、アマツがこう提案した。
ガブリエラはあいまいに頷く。
先ほどの天子の説明を聞いても全ての不安がぬぐえたわけではない。それがこのような態度としてあらわれたのだった。
「よし。運動のペースは俺達がしっかり指導しよう。そのためにも誓いを立ててもらおうか」
と、孝司がビルヒニアに出したのと同じ誓約書をレイヴンはガブリエラの前に出した。
ガブリエラは何か怖いものでも見るような目で誓約書と書かれた羊皮紙を見下ろし、三人の顔を確かめながら名前を書き込んだ。
最後に天子がペットの子猫を見せ、つまみ食いしそうになったら替わりにこの猫にあげてくれ」と提案したが、ガブリエラはそれくらいはがんばると言って断った。
●計画と誓い〜ソフィア
ソフィアの前に腰掛けた紅子は上品な顔に親しみのこもった笑顔を見せた。
「嬉しいわ。こんなチャーミングな方とお知り合いになれて」
「ありがとう。私も光栄よ」
そう返したソフィアは無表情ではないのに、侍女の話した通りどこかけだるさが漂っていた。
紅子はそれがどうしてなのか追求する前に、ダイエット関係の方から話を進めた。
「失礼ですがソフィアさんは食べ物に好き嫌いがあると聞きました。どういったものがお嫌いなのかしら」
「味の濃い野菜は嫌いね。あとは日によって食べたくない時やお腹がすいて仕方ない時があるわ」
紅子は味の濃い野菜について考えてみた。どれも欠かしてはいけないものだ。
「うーん、それは何とかしないとね」
「今のままで痩せることはできないの?」
「無理です」
紅子は即座にきっぱり答える。できないこと、ダメなことははっきり言わなければならないことを彼女は天界にいた頃の経験から知っていた。
ソフィアはがっかりしたようにため息をついた。
「減量の道は修羅の道。己に残酷になれる者ほどたやすく理想を掴める者ですよ〜」
ソフィアの沈みかけた気分を払拭するように明人が明るい口調で言った。
しかし年若い夫人は、ついと目をそらしてしまった。
サティーは話題を変えた。
「ソフィアさんは夜が遅くで朝が早いそうですが、何か眠れない理由でもあるのですか?」
ソフィアは視線を戻すと低く短く答えた。
「つまらないからよ」
「つまらない‥‥とは?」
「眠ることも何かをすることも、毎日がつまらなくて仕方ないの。‥‥今までの減量は全て失敗で、かえって悪くなるばかり。このサロンでいい方法がないかと思っていたけれど‥‥」
つまらない、ということは日々の生活に刺激がなく、それが自分ではどうしようもなくてそれがストレスとなって太る原因となっているのだろうか。昔はやせっぽちだったと言うのだから、ガブリエラのように太りやすい体質ではないのだろう。加えて睡眠不足と偏食、ダイエットの失敗によって起こったと思われるリバウンド。
この夫人の場合、まず気持ちを立て直すことから始めた方が良さそうだ。
ふと、紅子が笑顔を引っ込めて真剣な眼差しでソフィアを見つめた。
「これだけ答えてくれるかしら。明人君が言った通り、ダイエットは修羅の道よ。厳しい自己管理が必要だわ。実行する気はあるかしら?」
夫人の表情に常にあるやる気のなさは、諦めであることが今ならわかる。だが、それではダイエットは成功しない。
「もちろん、私達も協力は惜しみませんよ。ソフィアさんは一人ではありません」
心のこもったサティーの言葉に、ソフィアはかすかに頷いた。
とたん、紅子はまた元の品の中に愛嬌のある笑顔になって、ソフィアの前に誓約書を差し出した。
「約束しましょ」
ソフィアが名前を書き終わると、具体的な方法についての話となった。
「さっきは減量は修羅の道なんて言ったけど、どうせなら楽しく痩せたいわよね。だから、食べて痩せましょ。栄養バランスを考えた定期的な食生活と筋力作りね」
「小麦粉とバターと各種オイルの全体量を5分の2にして、葉野菜や菌糸類の量を増やしたらいいと思うよ〜」
紅子の案に明人が具体的な例を出した。
それらを使った料理のできあがりを想像したソフィアはわずかに顔をしかめたが、黙って聞いている。
「まあ、食事制限や運動も大事ですが、常に理想の自分の姿を頭に浮かべながら生活してみてくださいな。イメージって意外と影響力あるんですよ〜」
「理想の自分‥‥」
「そうです。ソフィアさんはまだ若いんです。若いっていう事は、取り返しが効くってことです」
「私より若そうなあなたに言われると、変な感じね」
あっけらかんと話す明人の言葉に、ソフィアは初めておもしろそうに微笑んだのだった。
●計画と誓い〜グードルーン
まだうっすらと額ににじむ汗をハンカチで押さえながら、エリシーナとリオンの前に腰掛けたグードルーンは、恥ずかしそうに微笑んだ。
「まるで走れなかったわね」
万が一彼女が諦めの言葉を口にする前に、エリシーナは身を乗り出すようにして夫人を励ました。
「私の育った国では、グードルーンさんのような悩みを解消するための手段が数多く存在しましたっ。効果の出方は個人差がありますが、きっとうまくいきますよ!」
セリフの後半にはついに手を取っていた。
エリシーナの隣ではリオンが同意するように頷いている。
彼は誓約書を出すと、
「俺達を信じては、もらえないかな? 貴方は絶対理想のスタイルになれる‥‥って。俺は貴方に誓うよ」
リオンのさわやかな笑顔を見ているうちに、グードルーンは何やらその気になってきた。もともと遠慮のない侍女にさんざん言われてもめげない人である。立ち直りは早い。
グードルーンは席を立つと二人に深く頭を下げた。
「どうぞよろしくご指導くださいませ」
「一緒にがんばりましょうねっ」
グードルーンは誓約書にサインをした。
最後に、侍女達も交えて今日のまとめとなった。
リリアが四人の夫人達の前に立って話を始める。それぞれの料理人に伝えてほしい、という内容で。
「もうすでにお話があったと思いますが、もう一度提案しますね。まずは『いままで通り食べて今より体重を減らす方法』です。これは、脂や砂糖や肉、特に脂身を減らし、その分穀物や野菜の量を増やす。食事を変えた結果、間食の量が増えるようなら、脂、砂糖、肉の比率を元に近づける。以上の二点です」
「まぁでも、間食はしないのが一番ですけどね」
と、静が付け足した。
リリアも頷き返し、
「もしこれらの方法で減量できた場合でも、料理人の方のこれまでの仕事を責めないでください。美味を追求した料理と痩せるための料理は、超人的な料理人でないかぎり実現できないのですから」
「責めたりなどしませんわ。安心して」
リリアの気配りに好意を示した表情でグードルーンが約束した。他の夫人達も頷いている。
運動面については蒼龍が引き継いだ。
「それぞれからいろんな提案があったと思うけど、まずはみんな、歩こう! それに、なんでも召使とかに任せちゃダメだ! 明日から二日じゃ結果は出ないと思うけど、続ければ確実に変わるから」
それから‥‥と、蒼龍は急に声のトーンを落とす。
「天界人から恐ろしい話を聞いたんだが‥‥この世には『りばうんど』って恐ろしい化け物がいるらしいな。なんでもダイエットに成功した女性に取り憑いて、もともと以上に太らせるらしい」
「私、知ってるわ。もう取り憑かれているはずよ‥‥」
ソフィアがぽつりと漏らすと、他の夫人達も「私もそうかも」と不安げな顔を見交わしあった。
「こいつに対抗するにはっ」
小さなシフールの体からとは思えないような大声で、蒼龍が夫人達の注目を再び集める。
「いつも油断なく生活するしかないらしいな。これから始めることをしっかり続ければ大丈夫だ」
「甘えそうになった時は私達がいつでもお叱りに参りましょう」
半ば脅すように静が告げたのだった。