夢色のタピスリー1

■シリーズシナリオ


担当:マレーア

対応レベル:6〜10lv

難易度:やや難

成功報酬:4 G 34 C

参加人数:14人

サポート参加人数:-人

冒険期間:05月19日〜05月28日

リプレイ公開日:2005年05月26日

●オープニング

「さーて、と引越し終わり!」
 パンパン! 軽く手を叩いて青年は腕まくりした袖を降ろした。
 それを待っていたかのように小さな小屋の扉が開く。
「リュシアン。掃除終った?」
「ああ、エレ。今、終わったところ」
「そうだろうと思って、はい。差し入れ。持ってきたわよ」
「ありがとう」
 テーブルの上に置かれた籠の中。パンを一つ取ってかじりながら、リュシアンは黙って部屋の中を見た。
 部屋の中には3つのものしかない。粗末なベッドとテーブル。そして中央にある大きな古い、機織り機‥‥。
「俺の財産は、もうこれだけだからな」
「叔父様や、叔母様の工房、取られちゃったものね」
「ああ、恥ずかしいよ。親父や母さんが大事にしてきたものを守りきれなかったなんてさ‥‥」
 自嘲するような幼馴染に声をかけられず、エレは黙って見つめた。
 彼の家族はパリでタピスリーの工房を営んでいた。
 優れた腕の持ち主だった先代が一代で築いた工房は、その死後急激に衰えを見せていった。
 生前良い織物を作るために金を惜しむこと無かった先代の借金が、残っていたこともある。
 彼の腕を妬んだ同業者が、工房の邪魔をしたこともある。
 様々な要因が重なって、リュシアンはパリの工房を手放して、母の故郷であるこの地に戻ってきたのだ。
 たった一つ。父の形見の織り機だけを持って。
 エレは心配そうな顔で、リュシアンの顔を覗き込む。
「ねえ、リュシアン。タピスリーを織るの止めないわよね」
 幼馴染の髪を、リュシアンはくしゃくしゃくしゃ、とかき混ぜるように撫でる。
「あたりまえだろ。俺にはタピスリーを織るしかできないから、何があっても続けるさ。まあ、でも今の俺には糸を買うこともできないから、どっかで別の仕事しなきゃならないけど‥‥」
「じゃあ、じゃあね。私のうちの牧場の手伝いをしない? 父さんと母さんも、心配してるから。ね」
 コネを借りるようで気がひけるが、今はそんなえり好みなどはできない。それに、本当に心配してくれているのも‥‥解る。
「ああ、頼むよ」
「うん。任せて♪」の
 エレは嬉しそうに微笑んだ。

 この依頼は小さな牧場からだと、ギルドの係員は語る。
「今、牧場は、羊の出産と毛刈りのシーズンなんだが、近くにジャイアントオウルが住み着いたらしくて‥‥羊が何匹かやられてしまったんだ」
 知り合いの牧場主に頼まれたと、リュシアンと名乗った青年はジャイアントオウルの退治を依頼していったのだ。
「夜になると放牧していた羊が何匹か、減っているだ。今は、夜は羊を外に出さないようにしてるけど‥‥このままだと困るの。お願いできないか?」
 ついでに興味があれば、牧場の仕事を手伝って欲しい。とも続ける。
「今、牧場は人手不足なんだ。俺も、知り合いに頼まれて手伝いに借り出された。だから、あんまり報酬は出ないが‥‥よろしく頼む」
 だからか? と係員は手を叩く。目の前の青年は肌が白く、指が細く、どう見ても羊飼いには見えないからだ。
「ん? あんたどうしたんだ? 額から血が出てるぞ」
「ああ、これは、街を歩いていたら、いきなり後ろから殴られたんだ」
「で? 何も盗られなかったのか?」
「ああ。財布も無事だったから、大丈夫。まあ、世の中物騒だよな‥‥」
 そういう問題ではないような気もするが、とりあえず、今回の依頼とは別の話のようだ。
 係員は冒険者達に向き合った。
「報酬は多くないが、興味がある奴は手伝ってやってくれ」

 街を歩くリュシアンは、自分を見つめる不可思議な目、怪しい視線がある事を、この時まだ知らなかった。

●今回の参加者

 ea0324 ティアイエル・エルトファーム(20歳・♀・ゴーレムニスト・エルフ・ノルマン王国)
 ea1333 セルフィー・リュシフール(26歳・♀・ウィザード・人間・イギリス王国)
 ea1690 フランク・マッカラン(70歳・♂・ファイター・人間・ノルマン王国)
 ea2181 ディアルト・ヘレス(31歳・♂・テンプルナイト・人間・ノルマン王国)
 ea3266 氷室 明(34歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea3693 カイザード・フォーリア(37歳・♂・ナイト・人間・ビザンチン帝国)
 ea5013 ルリ・テランセラ(19歳・♀・ウィザード・エルフ・イギリス王国)
 ea5187 漣 渚(32歳・♀・侍・ジャイアント・ジャパン)
 ea5753 イワノフ・クリームリン(38歳・♂・ナイト・ジャイアント・ロシア王国)
 ea5808 李 風龍(30歳・♂・僧兵・人間・華仙教大国)
 ea7211 レオニール・グリューネバーグ(30歳・♂・神聖騎士・人間・ロシア王国)
 ea7400 リセット・マーベリック(22歳・♀・レンジャー・エルフ・ロシア王国)
 ea8202 プリム・リアーナ(21歳・♀・ウィザード・シフール・イギリス王国)
 ea8594 ルメリア・アドミナル(38歳・♀・ウィザード・エルフ・ビザンチン帝国)

●リプレイ本文

●若草色の始まり
 街中の喧騒を離れると、鼻腔を擽る匂いがする。それは、萌える若葉の匂いだろうか?
 バルディエ領エスト・ルミエールの外れ。彼らの目の前に広がる新緑の絨毯に吹き抜ける風は、どこか、気持ちを伸びやかにしてくれる魔法を持っているようだった。
「う〜ん、気持ちいいなあ。やっぱり牧場はこうでなくっちゃ? ね、クラウ?」
「バウ!」
 足元のコリーにセルフィー・リュシフール(ea1333)は声をかけた。同意するようにコリーは尻尾を振る。もう走り出したい、遊びたいと全身で言っているようだ。
「確かに。海ほどではないけど、緑の牧場もなかなか気持ちがええなあ」
 コキコキ、漣渚(ea5187)は手足を慣らすと大きく伸びをする。よく鼻を動かせばいい匂いだけではない、牧場の匂いもするが、とりあえずは無視することにする。
「羊さ〜ん♪ 羊さんが一杯居るね。動物大好きなの。牧場のお手伝いが出来るなんて、楽しみ楽しみ♪」
「これ! 牧場の仕事と言うものは遊びではないのだぞ? 此度のことは牧場にとっては死活問題であるし‥」
 軽く諌めるようなフランク・マッカラン(ea1690)の戒めに
「解ってます。でも、何事も経験でしょ? ねえアスティ?」
 とティアイエル・エルトファーム(ea0324)は肩を竦める。お互いに甘えあうようなティアイエルと犬。微笑みながらもフランクの言葉に腕組みをディアルト・ヘレス(ea2181)は頷く。
「確かにジャイアントオウルの出現‥‥穏やかではありませんね。何か大事にならなければ良いのですが‥‥」
「大丈夫? リュシアンさん。痛くないの?」
「あ、ありがとうございます。ルルお嬢様、大丈夫です。大したことはありません」
 額に伸ばされた細い指に、少し頬を赤らめながらリュシアンと呼ばれた青年は苦笑した。
「依頼では初めて、となりますわね? よろしくお願いいたしますわ」
 ルメリア・アドミナル(ea8594)はリュシアンと同時に、彼に触れた『お嬢様』にも微笑みかけるルリ・テランセラ(ea5013)が領主の娘の影武者であることは重要機密。彼も、牧場の者達も彼女が本物の『お嬢様』だと信じている。照れたように頭を掻く彼の指。
 少し物憂げにリュシアンを見つめる少女と彼の指が気になって、カイザード・フォーリア(ea3693)は首を傾げた。イワノフ・クリームリン(ea5753)も同じように考えているのだろうか。顎に手を当てている。
 目の前の、一応の依頼人リュシアンと、隣に立つ羊飼いの娘エレノア。エレと呼んで、と彼女は言ったが、二人の外見はあまりにも違っていた。
 一番の違いは肌の色。健康的な笑顔を小麦色に染めるエレと違い、リュシアンの肌は白くて、春の日差しでも軽く日焼けをしていた。
 普段、あまり外を出歩くことをしていないのだろうと、簡単に想像がつく。
「君は、こういう仕事には似つかわしくないな‥‥。君の本業は牧童ではあるまい?」
 カイザードの問いに今まで氷室明(ea3266)に牧場の説明をしていたリュシアンは、ああ、と頷いた。
「本職はタピスリー職人だ。と、言ってもまだまだ駆け出し。父である先代にはまだ及ぶべくも無い、工房を潰した未熟者だがな‥‥」
「そんなに、謙遜しなくてもいいのに。叔父様、今に俺より上手くなる。天性のカンがお前にはあるぞ、って褒めてたのよ」
 彼の自虐的な言葉を打ち消して、エレは励ますがリュシアンの頬から苦笑は抜けない。
「ほお、タピスリーですか‥‥。確か西洋の織物工芸品ですよね。とても興味がありますよ」
「わー。ルリ見てみたい。綺麗なんでしょ? いいなぁ」
「良ければ今度拝見させて頂けません? 私も見てみたいですわ」
 キラリ、興味で光った瞳は明のものだけではない。ルメリアやティアイエル、ルリの目までも輝いている。
「今は‥‥まだ織るところまで行かないよ。糸を手に入れるのでさえエレや叔父さんの手を借りてやっとというありさまだからな。まったく情けない」
「情けないと思うのなら、頑張ってやるがよかろう? 織物の手伝いは、我らには出来ぬ。だが、牧場仕事とオウル退治くらいなら引き受けられるからな」
 少し厳しく、だが、少し優しいレオニール・グリューネバーグ(ea7211)の言葉にリュシアンはもちろん、と頷く。
「このままでは、終らない。新しいタピスリーを織り上げて、工房を盛り上げて、いつか父さんや母さんの残した工房を取り戻すんだ」
 落ち込んでいるばかりではないらしい。青年の姿にプリム・リアーナ(ea8202)はクスリ笑った。
「その意気、その意気、ま、がんばんなって♪」
 ひらひらと舞うシフールのお気楽な励ましでも、リュシアンは微笑む。
 前向きなリュシアンの表情に何か思うところがあったのであろうか。考え込むリセット・マーベリック(ea7400)の肩を李風龍(ea5808)がポンと叩いた。
「そろそろ準備を始めるとしようか? 何か仕事があるなら手伝うぞ。柵直しや力仕事なら任せておくといい。これも鍛錬だ」
 この細腕では無理だろうからな。風龍の言葉に皆、笑う。この細腕が誰を指すかは解っているからだ。
 指された方の人物もあまり気にした様子は無く、よろしくお願いすると頭を下げた。
 空は快晴、風は緑。じっとしているのも勿体無い。
 冒険者達はそれぞれに、やるべきことへと動き始めていた。

●乳白色の幸せ
「かなりの広さだ‥‥こら! 逃げるな!」
「クラウ! そっちに行ったよ。ああ! ちょっと待ってって!」
 広い牧場のあちらこちらに散っていった羊達は、大よそがのんびりと、思い思いのスピードで草を食んでいる。
 だが、中には元気な子羊が跳ねるように駆け出していくこともあって、冒険者達は思わぬ運動を強いられていた。
 馬を駆り羊を一箇所に追い込む。ご苦労様、とレオニールとその馬に手が振られた。
「柵の修理は終ったぞ、そちらはどうだ?」
「これも鍛錬。だが‥‥牧場というのは、思った以上に大変なのだな」
 柵のチェックを終えた風龍は、息を切らしながら広がる草原を見つめている。放牧、と言えばただ、草のある場所に羊や牛を放てばいいと思ってしまいがちだ。冒険者達の多くもそう思っていただろう。だが、それは実は大きな間違いである。
 まずは、冬から春の放牧の準備期間の間、干草から生草への切り替えをしなければならない。一匹一匹の様子を見ながら放牧の時間を変える必要があるというから大変なことだ。草を十分に食べさせつつ、食べ残しが少なくなるようする。羊たちがどのくらいの量を食べ、どのくらいの時期に牧区を変えていくか。これについては経験が必要で、自分にはまだ伯父の真似は出来ない、とリュシアンは言う。
「伯父さんやエレは羊を大事にしているんだ。一緒に草地を歩いてよく様子を見て‥‥。俺は、大した役にも立てないから‥‥」
 だから、これ以上羊をやられたくはない。彼は言った。
 ゆっくり歩くその指先に、微かに荒らされた草地が見える。血の跡と、いくつかの羽。冒険者に見せる為にそのままにしておいたものであるらしい。
「ふむ、あの辺りが襲撃地点なのですね」
「なるほど、ジャイアントオウルと断定したのはこの羽の為か‥‥。草の方向‥‥襲撃ポイントについては‥‥」
 明やイワノフは周囲の様子に目を走らせる。もう既に厳しい冒険者の目線である。
 彼らが、真剣であるのは解った。だから、リュシアンも余計なことは言わない。
「おっひるだよ〜〜。ごっはんだよ〜」
 向こうからプリムの元気な声がする。小さく笑うとリュシアンは冒険者達に声をかけた。
「伯母さんが、用意してるはずだから、どうぞ」
「そうだな‥‥」
「解りました」
 冒険者達の後方で小さく頭を下げて。側にずっとついていたルリは知っていた。冒険者達もちゃんと‥‥気付いていた。

 畜舎で、生まれたての子羊に見とれていたティアイエルも、仮眠を取っていたディアルトも、外に置かれたテーブルに集まった。昼食に出されたのは焼きたてのパンと、絞りたての牛乳。加工されたハムが少し。そして‥‥見慣れない柔らかめの乳白色の塊。
「これ、なんですの?」
 ルメリアはくんくんと鼻を動かした。それが、羊のミルクで作ったチーズだと聞かされると目を瞬かせて手を伸ばす。
「羊のチーズ? はじめて♪ あ、けっこう美味しいよ」
「少し、クセがありますね。だけど‥‥これはなかなか」
「‥‥羊の赤ちゃん、ミルク取っちゃってごめんね〜。でも美味しい♪」
 なかなか好評な様子に、牧場の一家の笑顔も明るい。
「どうぞ、遠慮なく召し上がって下さいね」
「クラウ、ちょっとだけ食べる?」
「こら、やらん! やらんって! ダメや! タンゴ」
 猫と戯れる渚。ハハハハハ。生まれる笑い声。優しい笑顔。ミルク色の柔らかい風景。今夜は、厳しい戦いになるだろう。でも、この風景を守る為に全力を尽くそうと、冒険者達は決めていた。

●暗色の戦い
 春とはいえ、まだ夜は寒い。
 風を遮るものもない草原で、冒険者達は静かに闇に潜む、夜の住人の訪れを待っていた。
「ルリは、向こうに置いて来たからな。これで心置きなく戦える」
 依頼人達を遠ざけ、ここにいるのは今、冒険者達だけだ。
 火も灯りも最低限しか使えない。小さく動きながら、気を紛らわせるしかない彼らはそれでも、声にも気をつけ、注意深く様子を見ていた。
 目の前にいるのは数羽の鶏と、羊。囮として借り受けたが、出来れば殺させたくは無い。羊達に情が移りまくっていたティアイエルは特にそう思っていた。
「ごめんね〜。ジャイアントクロウさん。必ず倒すからね。大人しくしててねえ」
「ねえ、ティオちゃん、少し‥‥いい?」
「なんですか? セルフィーさん」
「クロウじゃなくて‥‥オウルじゃない?」
 プッ。噴き出しかけた笑いを渚は慌てて口で押える。
 ティアイエルの顔が微かに赤くなっていた。恥ずかしさか、それとも天然か。少女の顔は暗い闇の中で今は、窺い知れない。
「‥‥小さいことは気にしないで! さあ、見張り、見張りってね!」

 時間は静かに過ぎようとしていた。寒さが限界に達しようとしていた頃。微かにカサリ、草の動く音。慌てて身構えるが‥‥その張り詰めた緊張と肩はゆっくりと降ろされる。
「交代の時間です。お疲れ様です」
「仮眠してきたから、バッチリだ。後は、任せて大丈夫だ」
 明とディアルトの声に、冒険者達の気持ちがスッと後ろに向いた。その時。
「‥‥来たよ! うわあっ! ちょっとやめて!」
 いきなり冒険者の上に襲いかかってきた黒い影に、冒険者達の動きが一瞬乱れた。
「何? こっちに来たか!」
「みんな! 大丈夫? うわっ、本当に大きい!」
 ティアイエルの上に覆いかぶさろうとした影は思いもかけぬ抵抗に、一度上空に逃れるように上がっていった。ジャイアントオウル。その体長は思った以上に大きかった。翼を広げた大きさはイワノフの倍以上ある。
「あれなら‥‥恐らく人間だって襲えるでしょうね。来ます!」
 明の言葉に冒険者達は身構えた。プリムは残ってた仲間達に知らせに行くことにしたが‥‥間に合うかどうか。
「うわっ!!」
 身体が小さい者を狙っているのか、今度はセルフィーに向けて一気に急降下してくる。
「危ない!」
 カイザードが素早く動いてセルフィーを突き飛ばした。ほんの少し前までそこにあったセルフィーは強い爪の攻撃から自分が守られたことを知る。
「ありがとう‥‥。もう許さないからね!」
 怒りを込めて呪文を紡ぐセルフィーの前に渚が立ちふさがる。身体で彼女を庇うと同時に一気にホイップを打ち付ける。
「グウル!!」
「逃がすわけにはいきません。ここで一気に決めて下さい」
「今が、チャンスだ!」
「行くよ! アイスブリザード!」
 呪文詠唱はいつしか二重唱になっていた。ホイップの衝撃に動きの鈍ったオウルが空に戻ろうと羽をはばたたかせ、飛翔した瞬間、完成した呪文が吹雪となって彼らの上に吹き荒れた。
 そして絡みついた雪から逃れる間もなくもがくオウルの左翼は、一陣の雷に打ち抜かれる。地上から天空へと向かう雷。ライトニングサンダーボルトだ。
「ギュルウルル‥‥」
 ドサリと草地に落ちたオウルはまだ身体を動かし逃げようと、生きようとする。だが、片翼は完全に焼かれ、貫かれていた。地面に落ちた羽が、再び空に戻ることは無いだろう。生きる為に仕方なかったのかもしれない、と思わないことも無い。
 だが、人のエゴだと解っていても、逃がすわけにはいかない。やがて、プリムに導かれた仲間達がやってきた時、オウルの姿は丁度、鳥から元鳥、となるところだった。
 イワノフとカイザードの剣が胸元を鋭く、切り裂いて。
「遅かったみたいね。ごめん、間に合わなくて‥‥」
 息を切らせながら謝るプリムに大丈夫、とセルフィーは笑った。
 怪我人は無い。ティアイエルとカイザードにかすり傷が出来た程度だ。
「ん‥‥どうしたの? リュシアンさん?」
 冒険者達と一緒に駆けつけてきたリュシアンは、心配そうに問いかけるルリの質問には答えなかった。ただ、オウルを見つめ足元から一枚、その翼を拾った。そして、オウルの命が消えるのを最後まで見つめていた‥‥。

●灰色の惑い 虹色の希望
 オウルが消えた翌日は、眩しいほどの快晴となった。今までオウルが心配で出来なかった毛刈りを今日から始める。と嬉しそうに準備を始める牧場の住人達の向こうで、一人どこか浮き上がったようなリュシアンがいた。表情は冴えない。
 荷物を細い両腕いっぱいに抱えて扉を開けたリュシアンが外に出たのを見計らって、カイザードは心持ち静かにある人物に声をかけた。
「ご主人‥‥。リュシアンという青年の人となりをお伺いしてもよろしいか? 彼は、タピスリー職人とは聞いているが、何故その人物はこのような、と言っては失礼だが、仕事をされているのだ?」
 動きを止め、手に持ったハサミを置いて、牧場主であり、エレの父。リュシアンが伯父さんと呼ぶ男性は、静かに口を開く。
「あいつの親父が、元はタピスリー職人としてパリに工房を持ってた、ってのは聞いてるか?」
「ええ、そこまでは伺っていますわ。工房を潰してしまった、とおっしゃっていたのも」
 そっと、話にルメリアも入る。あの時の寂しげな表情は忘れられない。くいくい、牧場主は冒険者達に向かい、軽く指を動かして見せた。こっちへ、そういう意味だと解り彼らは従ってついていく。廊下を通り過ぎ、家族のプライベートルームへ。
 緊張しながら入っていった時、彼らは見た。両手を広げたよりも大きな絵がそこに飾られているのを。それがタピスリーと呼ばれるものだと気付くまで彼らには少し時間が必要だった。
 タピスリーは石造りの建物の防寒が当初の目的だったと伝えられている。やがて、宗教画をモチーフにした祭壇に飾る為の絵入りタピスリーが作られ、後に風景や人などを織り込んだものも作られるようになっていった。
 だが、人や風景、織り込む模様が精緻であればあるほど、織り手には多大な技術が必要とされる。その需要は貴族の館、王宮、教会などに限られ、一般の庶民には高嶺の花どころか、まだ存在さえも知らないものが殆どであり、冒険者も多くが見たのは初めてであったろう。
 ‥‥それは聖書の一場面をアレンジしたものらしい。
 牧舎の中、嬰児を抱く美しき母。父もまた我が子を見つめているが、厳しい瞳の奥に優しい光が見えるようだ。どこか、目の前の男性に似ている。そして何よりも目を引いたのは腕に抱かれた赤ん坊の笑顔だった。
 健康的でばら色の頬。見ている者を微笑ませる程に愛らしい。全体に色は薄く押えられているが、背後に立つ天使の羽の純白。赤ん坊の頬の薄紅色、そして聖母の空気を漂わせる母の纏う薄紫が、その絵を柔らかくでも高貴なまでの輝きに彩っていた。
 暫く声も出なかった冒険者達。やがて最初に明がため息と吐息の混ざったような声で呟いた。
「素晴らしい‥‥これがタピスリーと言うものですか」
「‥‥ほんと‥‥すごいよねぇ‥‥」
 とルリ。
「あ‥‥なんだか、涙が‥‥出てきちゃった」
 目元を擦るティアイエルの肩をフランクは優しく抱きしめる。
「胸が震える、というのはこういうのを言うのだな。これは‥‥リュシアン殿の父君の?」
 そうだ、とレオニールに向けて牧場主は頷いた。
「エレノアが生まれた時に、メルジャン。リュシアンの父親が織ってくれたものなんだ。その赤ん坊はエレノアをモデルにしてくれている。我が家の家宝だ」
「そうでしょうね。素晴らしいものです。これは‥‥」
 リセットも息を呑む。陳腐になりそうな言葉を捜すのも一苦労だ。
「メルジャンと俺は幼馴染でずっと親友とお互いを思っていた。羊毛と織物は切っても切れない仲だし、家族同士も仲がよくってな」
 まるで兄弟のようにエレとリュシアンも育ったと彼は話してくれた。
「織物に天性の才を持っていたメルジャンは‥‥俺の妹を娶ってから、さらにその腕と人気を上げていった。糸の染色も自分でやってな。あいつの染める色は誰にも真似できない。特に純潔の赤と高貴なる紫は下手な織物以上の価値がある、と言われてたよ」
 そんな彼がパリに工房を開くのは難しいことではなく、その腕、その人柄、皆から彼はとても愛されていた。
「あいつは職人気質な割に、気分屋でな。いい仕事をするのが一番楽しい、って奴だったんだ。このタピスリーだって、出す所に出せばとんでもない値がつくはずだぜ。王宮や大教会に飾ったって可笑しくない出来だ」
 これのように時間と苦労をかけて織ったタピスリーをポンと人にあげてしまったり、代金を踏み倒されたりすることもあったが、それでも奥方が上手くやっていたのだ。
「だが、ほんの半年前だ。流行り風邪にリュシアンがやられたのは。一時は生死の境を彷徨ってたらしいが、夫婦の看病のお陰でリュシアンは回復した。‥‥その後直ぐだったよ。看病と仕事疲れで身体が弱ってた二人が倒れて、あっけなく逝っちまったのは‥‥」
 その後、リュシアンは工房を継いだが、経営の腕も無く、織物の腕も並み以上ではあっても父には及ばず‥‥いつの間にか出来た山のような借金に追われ、彼は工房を手放さざるを得なくなったのだという。
「今あいつに残っているのはメルジャンの最初に使っていた織り機だけ。生活費にも事欠く有様なんだよ。だから、仕事と言う口実でここで働かせてるんだ。心配だからな」
「なるほど‥‥」
「腕は悪くない。チャンスと機会があればきっとあいつは這い上がってくる。それにはバルディエ領はいいところだしな」
 ちなみに、これがリュシアンが織った物だ、と牧場主が見せてくれた。
 いくつかのドアマット、テーブルクロス。そして‥‥
「へえ。これは‥‥」

 冒険者達が外に出た時、くしゃみをするような不思議な羊の鳴き声が彼らを迎えた。
「うわっ。何だか丸裸って感じ?」
 羊の鼻先に浮かんだプリムが笑って周囲をくるくる回る。
 エレとリュシアンが二人がかりで羊の毛を刈っている。こうしてみるとリュシアンも毛刈りに関しては玄人はだしで上手にくるくると羊の毛を刈っていく。
「子供の頃から手伝ってるからな」
「はい、は〜い! 毛刈りやりたい。もうなんでもやらせてぇな!」
「どうぞ? お手伝いしますよ」
「わーい!」
 手を上げて喜んだ渚にハサミを渡し、ふうと息をついたリュシアンの側に、そっとルリが腰を降ろす。緊張の面持ちの彼にルリは優しく微笑んで、聞いた。
「リュシアンさんどうしたの?」
「いえ、何でも‥‥」
 否定して顔を横に向けるリュシアンの眼を覗き込むようにルリはもう一度、見た。
「でもぉ‥‥何でも無いって顔してないよ。ね、ルリに聞かせて」
 その真っ直ぐな瞳に、ぽつん、と小さな声で彼は呟く。
「‥‥昨日のオウルを‥‥見て」
「えっ?」
「昨日のオウルを見て思ったんだ。自分がやろうとしていることは‥‥ひょっとしたら、誰かの迷惑になっているのかもしれないって‥‥」
「リュシアンさん?」
「父さんが死んだ後、工房は規模も縮小したのに、何故か執拗に売れと迫られて‥‥何も持たずに追い出された。俺を殴った奴。工房を狙った奴。知らないうちに俺自身も恨みを買っていたのかも知れない。そう思ったら、何だか気持ちが滅入ってきてさ‥‥」
「心当たりはあるの?」
 無い、首を横に振りリュシアンは否定する。今の自分は大切なものを殆ど何も持っていないから。と。
「このまま、タピスリーを織っていいのかな? 止めろ、と誰かが言っているんじゃないかって、なんだか思考がぐるぐる回ってるよ。情けないことにな。俺は工房を取り戻さなきゃいけないのに‥‥」
 頭を抱えて、髪を掻き毟る。
「本当に情けないよ。シャキッっとしなよ。シャキッっと!」
 いきなり背中を叩かれ、リュシアンは、わあっと前のめりになった。バランスを何とか保って後ろを向くと、そこにはセルフィーが立っていた。
 腰に手を当てて。
「人が、どうこう思おうと気にしない。大事なのは一つだよ。やりたいか、やりたくないか!」
「君自身はどうなのだ? 聞かせてみたまえ、君の思いを」
 暫く時間が止まる。動き出すまでの時間を冒険者達の胸も緊張で待ち続け、やがて時は再び動き出した。笑顔と共に。
「俺は、タピスリーを織り続けたい。いつか父さんのように人々に夢を与えられるタピスリーを織りたい」
 微かに頬に浮かんだ雫から目を逸らさず、ルメリアは小さく笑った。
「なら、迷ってはいけませんわ? 昨日のオウルも、生きる為に懸命に戦っていました。最期の瞬間まで。悩むのはその時でいいでしょう。その時までしっかりおやりなさい。私達もお力になりますわ」
「‥‥私もリュシアンのタピスリー好きよ。ずっと作って欲しいわ」
「エレ‥‥」
「叔父さまも叔母さまも、工房を取り戻すことだけに夢中になって欲しくないと思うわ。自由に、そして楽しんで織って‥‥ね?」
 微笑んで告げる少女の顔を冒険者達は初めて見た、訳ではなかった。さっき見せてもらった彼が、最初に作ったという小さなタピスリー。それと同じ存在がある。
 美しく微笑むエレが天使のモチーフで描かれていたタピスリー。縦糸と横糸だけで出来ているとは思えないほど精巧で思いの篭った。生真面目で、職人気質、でも、優しい。彼の上に、彼を育てた両親の姿が見えるような気がする。
「ほら! 見てえな! 毛刈り終ったんや。なんだかうっすら羊の形してるんや! おもしろいやろ?」
 空気を入れ替えるように渚が丸めてあったフリースをバッと広げる。
「本当に。私もやらせて頂きたいですわ」
「怪我をしないようにして下さいね」
 笑いながらリュシアンは、羊の方へ戻っていった。彼の周囲を犬達が駆ける。楽しそうに微笑みかける笑顔。
 もう、大丈夫。青年を、いくつかの瞳も優しく見つめていた。

●空色の希望、闇色の陰謀
「‥‥これは?」
 ドレスタットに戻ろうとする冒険者を見送りに来たリュシアンの手に、小さな皮袋をセルフィーは落とした、
「皆で相談したんだよ。リュシアンさんに、少し出資をしようってね」
「えっ?」
 慌てて皮袋を開く。そこには言葉どおり集められた冒険者達の思いが集められていた。
「こ、こんなに沢山‥‥」
「志ある者が慣れてない仕事で糧を得るよりは、得意な事をしていた方が良い。‥‥汝の腕ならば何時か返して貰えるだろう。タピスリーの他、絹織物も学んでみるといい。きっと身になるはずだ」
「貴方は、貴方の成すべき事をなさって下さい。ドレスタットでの小売の段になったら私も売り子のお手伝いを致します。ねえ?」
「ええ、そして、いつか貴方の言った理想のタピスリーを作って。お父様の作品のように‥‥人の心を浮き立たせる素晴らしいタピスリーを‥‥」
 プリムを肩に乗せたカイザード、ルメリア、ルリ、の順番で告げられた励ましに、リュシアンははい、としか言いようが無かった。
「無茶は、しちゃだめだけどね。あとね‥‥お願いと言うか注文があるの。あのね、ママにタピスリーを贈りたいの。材料は特に問わないよ。で、出来によって値をつけるでどうかな? ダメかな?」
「私も、混ぜて頂きたいものですね。故郷への良い土産になりますからね。私自身が興味を持っている事も合わせて、美術品の類には目がなかったりしますから」
 出資と、仕事。そして何よりも希望を受取った彼の目は、最初に出会った時とは違って見えた。
 自分の腕に誇りと、自信を持つ職人の目だ。
「でも、まともなものが作れるようになるまで、暫くはかかる。いい機会だから御領主様に献上出来るだけのものを、ちゃんと作りたいんだ。紬から糸の染め、織り方まで自分のイメージどおりに。」
 そうすれば、きっとタピスリーは工芸品として認められる。新しい産業として認められれば、タピスリーに纏わる人も増えて技術の伝承や、向上も望める。
 父が残したタピスリーの技術を、その輝きを自分の代で消さずにすむはずだ。
 彼は前を見つめる。冒険者達と青空の向こうの未来を。
「いつか、最高のタピスリーを織って皆さんに見せるよ。その時まで待っていて欲しいんだ」
「頑張れよ」
「待っていますわ」
 空は青く、輝かしいまでに広がる。
 リュシアンと、その隣に立つエレの表情も空を映したように明るい。
 きっと、この青空のように彼らの未来は輝く、そう信じて冒険者達は牧場を後にした。誰の計らいかは知らないが、密かに、集められた金が持ち主に戻されていた事に気づいたのは暫く後のことになる。そして、不思議なことに寄付の金まで補われていた。
 そして一人、リュシアンに刺激されたのか動き出した者がいる。ある意味、彼のライバルとなりうるかもしれないリセットも加わったエストの錬金術工房で。
「彼に負けてはいられません。産業開発はバルディエ領の急務ですから‥‥」
 材料を買い込み、人と、実験の手配を整える。自身の技能不足は意欲ある者に託せばよい。もうじき実験が始められそうだ。額の汗を拭いながらリセットは思う。
「錬金術も織物も、技術は人を幸せにする為に存在する。まずは、実行あるのみですわね‥‥」

 同じ頃。
「技術とは、金儲けと名誉の為にあるのだ‥‥。それを成し得る物が持ってこそ意味があるのに、地獄まで持っていかれてはかなわぬ」
「ですが、残された息子はただのうすのろ。それほど気にするほどのことは無いでしょう‥‥」
「ふむ、そうだな‥‥。では、次の作戦に移るとするか‥‥」

 そして、ある館の前でディアルトは顔を上げた。
「‥‥怪しい」
 ドレスタットの街に戻ってから彼は調査と聞き込みをしていた。
 何か確信があった訳ではない。ただ、気になったのだ。
 リュシアンの頭の怪我。牧場の側で時折、感じた怪しげな目線。暗い影。それを追っているうちにたどり着いたここは、染料商人の館だった。近くの工房では織物用の糸の染色、顔料の作成など色を使うあらゆる作業が行われていた。
 眩しいまでに色彩溢れるその場所に、彼は何故だか知れない、まだ確証は無い、奇妙な感覚を感じていた。

 色で表すなら闇色の‥‥不思議な、予感という名の感覚を。