夢色のタピスリー2

■シリーズシナリオ


担当:マレーア

対応レベル:6〜10lv

難易度:難しい

成功報酬:5

参加人数:15人

サポート参加人数:-人

冒険期間:06月04日〜06月09日

リプレイ公開日:2005年06月10日

●オープニング

「さーて、とあとは‥‥」
「リュシアン。仕事の進み具合はどう?」
 少女が覗き込んだ工房の中に溢れるのは、細かい塵と、毛の匂い。
 テーブルと、ベッド。両方をフリースに占領されたリュシアンの部屋だった。
 今は、リュシアンの、というより糸の部屋、なのかもしれない。
「ああ、エレ。これから、脱脂と糸紡ぎと染色に入るつもりだよ。脱脂と染色が終るまでは来ない方がいい。染色が始まったら、とてもじゃないけど入ってこれないよ」
「脱脂もね。父さんが準備始めてたわ。これから、大変よ。手伝いに来れないかもしれないけど、頑張ってね」
「心配しなくても大丈夫だって。なんとかなる。冒険者達にも約束したしね‥‥。あ、そうだ。エレ、牧場にミルクと‥‥あるかな?」
 囁かれた品物の名前に、少女は首をかしげてから、右左にと動かした。
「? ミルクはともかく‥‥ゴメン。それは無いわ。でも、リュシアン。一体そんなもの何に使うの? 糸の染色をするって言ってたんじゃなかったの?」
「ハハハ‥‥。それは、秘密。じゃあ、脱脂が始まるまで、俺はちょっと買いものに言ってくる」
「解ったわ。気をつけて‥‥」
「すぐ、戻るから‥‥」
 彼は軽く準備をして家を出た。
 直ぐに戻ってくるつもりだった。だが‥‥

 街を巡り、店を回る。
「「ありがとうございましたぁ!」」
 二つの声が唱和する。
 リュシアンは調合屋ロワゾー・バリエから出てきてため息をついた。
「最近、やけに高いなあ‥‥。このミョウバンの結晶は凄く質がいいけれど。この値段じゃ大して買えやしない。他の材料はパリより品揃えも今一だし。まあ、いいけどさ」
 どうやら、別の当てでもあるのだろうか。思ったほど暗くない顔をして、彼は顔を上げた。
 川沿いの街並み、ゆっくりと暮れてくる夕暮れ。
 それはとても美しくて、見事に芸術家心を擽ってくれた。もう、彼の手にはペンと羊皮紙が握られている。
「次の題材は何にしよう。聖書のモチーフとか、伝説もいいけど‥‥街並みに生きる人々とかも捨てがたいよなあ」
 カバンを足元に、すでに彼はデッサンに夢中だ。だから、気がつかない。
 背後に迫り来る影を。
 それは、音も無く迫り、傷の見える手の甲‥‥そして。
「よし、じゃあ、次‥‥えっ!!」
 ふとが気がついたとき、一気に走り去る人物の姿が目に入った。
 カバンを抱えて。そのカバンは‥‥
「俺の、俺のカバンを返せええ!!」
 リュシアンのカバンだった。

「泥棒だ‥‥」
 ギルドに駆け込んできた若い青年の顔に、見覚えがある。
 係員はアンタは‥‥と目を瞬かせた。
 だが、彼は名乗るより早く、急いた気持ちで‥‥告げる。
「泥棒に、カバンを取られたんだ。あの中には俺の全財産と、絵のデッサンと、染色の材料が‥‥。あれがないと、タピスリーが‥‥」
(「財布が無いってことは、見つけられない限りは‥‥ただ働きだな」) 
 ちらり、そんな考えが頭を掠めるが、それを口に出さないプロの顔つきで彼は依頼書を書いた。
「で、犯人の外見は‥‥?」
「そ、それが‥‥」
 言いよどむ。が、言わなくはならない。
「あっと言う間に逃げられてしまったから‥‥金髪で、俺より小柄だった、と思うんだが‥‥」
「金髪で、小柄‥‥って、あんた一体この街に何人そんなのがいると思ってんだよ! で、カバンの中身は?」
「羊皮紙数枚とペン、財布に10G弱。それから、ひよこ豆とタマネギと、ミント‥‥」
「おい! あんた織物職人じゃなかったのか?」
 と、言いつつちゃんと、書いてやる辺りが係員である。
 謎だ、何故だ、と思いつつも‥‥。

「すぐ戻るって言ったのに、エレ、心配しているかな‥‥」
 だが、このままでは帰れない。
 あのカバンの中には‥‥これからの、夢が入っているのだから‥‥。

●今回の参加者

 ea0324 ティアイエル・エルトファーム(20歳・♀・ゴーレムニスト・エルフ・ノルマン王国)
 ea1333 セルフィー・リュシフール(26歳・♀・ウィザード・人間・イギリス王国)
 ea1690 フランク・マッカラン(70歳・♂・ファイター・人間・ノルマン王国)
 ea2181 ディアルト・ヘレス(31歳・♂・テンプルナイト・人間・ノルマン王国)
 ea3266 氷室 明(34歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea3693 カイザード・フォーリア(37歳・♂・ナイト・人間・ビザンチン帝国)
 ea5013 ルリ・テランセラ(19歳・♀・ウィザード・エルフ・イギリス王国)
 ea5753 イワノフ・クリームリン(38歳・♂・ナイト・ジャイアント・ロシア王国)
 ea5808 李 風龍(30歳・♂・僧兵・人間・華仙教大国)
 ea7211 レオニール・グリューネバーグ(30歳・♂・神聖騎士・人間・ロシア王国)
 ea7400 リセット・マーベリック(22歳・♀・レンジャー・エルフ・ロシア王国)
 ea7906 ボルト・レイヴン(54歳・♂・クレリック・人間・フランク王国)
 ea8202 プリム・リアーナ(21歳・♀・ウィザード・シフール・イギリス王国)
 ea8594 ルメリア・アドミナル(38歳・♀・ウィザード・エルフ・ビザンチン帝国)
 eb0754 フォーリィ・クライト(21歳・♀・ファイター・ハーフエルフ・ノルマン王国)

●リプレイ本文

●夢へ導くものを探して
 それは、のどかに見える光景。
「こら、アスティ! だめ、だめだったら!!」
「犬さん‥‥可愛いね。そう思うでしょ?」
 犬と戯れるティアイエル・エルトファーム(ea0324)。デフォルメされたまん丸ふわふわのユニコーンのぬいぐるみに話しかけるルリ・テランセラ(ea5013)。育ちの良さげな二人の姫に仕える騎士。カイザード・フォーリア(ea3693)の忠誠心溢れるような態度や眼差しは、まるで物語の一篇のようだ。隣に蒼白の顔をした青年がいなければ。
「あ、あの‥‥」
「心配いらないよ。皆で手分けしてカバンは探すから」
 依頼人の顔に書いてある心配の文字を打ち消すようにセルフィー・リュシフール(ea1333)は笑った。まだ、完全に不安が拭われた訳ではなかろうが‥‥はい、と彼は頷く。
「現金はともかく、それ以外は泥棒にとって不要である可能性が大きい筈ですから、上手くすれば取り戻せるかもしれません。‥‥ただ、現金は難しいでしょうね」
「そうだねえ。でも、逆に言えば財布だけ抜かれて、カバンとかだけ捨てられているってこともありうるだろうから‥‥まあ、出来るだけ努力して見つけられるよう頑張るっきゃないわね」
 氷室明(ea3266)の冷静な分析にうん、うんとフォーリィ・クライト(eb0754)は同意する。正直、一度手元から離れたカバンから財布が戻ってくる確立は0以下だと誰もが思っている。世の中そう甘いものではない。
「解ってる‥‥。でもできればデッサンとカバンだけは取り戻したい。カバンは‥‥父さんの形見なんだ。野菜やミョウバンは‥‥後でお金を貯めてもう一度買い直せばいいから‥‥」
『後で‥‥』『お金を貯めて‥‥』出資してもらったお金をなくした形になって、控えめに言うリュシアンに冒険者達は笑みを浮かべた。もう一度、出資してくれないか、などと言わないところが‥‥。
「ほお、父の形見か‥‥ならばなんとかせねばな」
 腕を組みながらイワノフ・クリームリン(ea5753)は答える。‥‥なにやら考えているようだ。
「そうだ‥‥ドレスタットに長居するつもりが無かったのなら、向こうはリュシアンさんが帰ってこない事を心配しているでしょう。連絡はした方がいいですよ。飛脚代くらいは貸しにしておきます」
「あ、‥‥はい」
 明が差し出した羊皮紙にリュシアンは簡単な手紙をしたためる。字が書けないかと思ったが、一応経営や販売も考えなければならない経営者の卵。簡単な読み書きは出来る様だった。
「何か、あるのかもしれん。先ず聞き込みと‥‥それから調査。成功、失敗に関わらず夜にはここに戻ってくること。よいな?」
 最年長フランク・マッカラン(ea1690)の指示に若い者達は素直に頷いた。
 祭りが終わったとはいえ、人の多いドレスタット。ここからたった一人を捜すのがどれほど難しいか、解ってはいるがやらなくてはならない。
「皆さんに幸運を‥‥」
 神の祝福をボルト・レイヴン(ea7906)は仲間に贈る。気休めでしかないかもしれないが、それは成功を願う彼の気持ちだったろう。数名ずつに分かれる中ルリはツツとリュシアンに近づき、上目で見た。
「‥‥あのね、ルリは、リュシアンさんと一緒にいたいな‥‥ダメ?」
 涙を貯めた必殺ポーズに、ダメといわれよう筈が無い。
「あ‥‥も、勿論‥‥」
 頷いたリュシアンの様子に冒険者達が浮かべたのは苦笑だろうか、それとも‥‥。とりあえず、明が出したシフール便の手紙にはそれは、とても書けそうには無い。勿論本人も知らせなかった。

●伸びる闇、追う光
「はぁ‥‥鞄を盗られるなんて、とんだ間抜けねぇ」
 リュシアンの頭上でひらひらと踊るように飛ぶプリム・リアーナ(ea8202)は一切の遠慮無しにズバッっとリュシアンに言い放った。
「あのね‥‥そういうこと‥‥あんまり言うと、リュシアンさん、傷つくよ‥‥きっと」
「だ〜って、ホントのことだもん、ま・殺伐とした依頼でもなくこっち平和でいいけどね。何処から探したらいいのやら〜」
 ルリは精一杯庇ってくれるが、当のリュシアンは反論しない。まあ、無理も無いだろう。失敗が身に染みているのも、依頼の困難さを理解しているのも多分一番は本人だろうから。
 茶色い手作りのカバン。中身にデッサンと野菜。そして盗んだのは金髪で小柄の人物。手に傷が見えた。たったこれだけの手掛かりで、海神祭で人が溢れていたドレスタットでたった一人を探し出すのは、誰から見ても無謀に思えた。それでも、冒険者達は懸命に捜してくれているのだ。申し訳ないとしか言いようが無かった。
「まあまあ、追求はその辺にして‥‥盗まれたのはこの辺ですね」
 話を、故意か偶然か切り落としてルメリア・アドミナル(ea8594)はリュシアンに確認する。まだ昼前だから人の様子や、風景は当然違うが場所は変わらない。はい、と彼は頷いた。
「ここのところから、向こうを見つめて‥‥古い羊皮紙で、風景を映していて‥‥足元に‥‥手が伸びて気が付いたら‥‥あっちの方に‥‥」
 彼が指差した方は繁華街だ。そこから消えたのであれば‥‥一人の人間を捜すのは至難であろう。
「突然、すみません。‥‥怪しい人、いませんでしたか?」
「実は、この辺で泥棒に‥‥」
 聞き込みを始めるリュシアンとルリのセナかを見守りながら
「なら‥‥出てきてもらったほうがいいかもな‥‥」
 ちらり、カイザードは後ろを見た。
「そうですわね‥‥」
 きょろり、ルメリアも首を後ろに向ける。影がいたような、隠れたような気がするのは多分、気のせいではないだろう。
「とりあえずは、皆さんの情報を確認してからでいいのではないでしょうか? もうすぐ時間です。一度戻りましょう。お嬢様」
 丁寧な口調でリセット・マーベリック(ea7400)はルリの背を叩いた。ビクリ、緊張したように背筋が伸びる。
「‥‥あ‥‥はい。‥‥リュシアンさん、一度、戻りましょう‥‥」
 あまり情報らしい情報は得られなかったが‥‥多分それなりの収穫はあった、と感じながら冒険者達と『影』は、その場を後にした。
 
 糸と布の販売店。普段男性の入る率の少ない店で、ふと、彼と彼は顔を合わせた。
「レオニール‥‥。だったな。どうしてここに‥‥」
「貴殿も‥‥、ということは同じことを考えていたのだろうな」
「あの、何かお探しですか?」
 ジャイアントと騎士という変わった組み合わせに戸惑う店員に軽く挨拶をして、二人はさりげなく店を出た。
「そちらの様子はどうだ? 情報を交換しないか?」
 最初にそう切り出してきたのはレオニール・グリューネバーグ(ea7211)だった。同じ思いと考えを持ち、行動する者にイワノフは黙って頷いた。肯定の意味を確認しレオニールは先ず、自分の調べてきたことを提示する。
「自分は今回の件、ただの物取りだとは到底思えぬのだ。リュシアン殿の父君は染色に独自の技法を持っていたという。先に殴られたという一件のこともある。だから、考えたのだ。その技法の秘密を探ろうとしたものの仕業ということは無いだろうか‥‥とな」
 イワノフはまだ沈黙を守っている。ただ、時折微かに動く前への頷きにレオニールは話を続けた。
「そこで、当たってみた。特別な色合いを求めたり、糸を多く売買する職人や、商人はいないかと‥‥」
 言葉がそこで止まる。仲間が続きを望んでいることを知っているが、彼はしばらく口を止めた。それは、いい情報では無いからだ。
「残念ながら、特別な話は聞けなかったんだ。現時点でそれを持っている人物はいない‥‥」
「そう、現時点では‥‥な」
「えっ?」
 言えなかった続きを引き継がれてレオニールは顔を上げた。今度は聞き手と話し手が交代する。
「赤紫や、緋色は人気の色なんだ。綺麗に色を染め、長く固定させる染料や技術は糸や布を扱う人間なら誰でも欲しくて扱いたがるって話だ」
 人間の長い歴史の中、服を纏う様になったときから人は色も纏う様になったのだろう。その染色の技術はいつも、自然の中から捜す試行錯誤の努力から生まれるのだ。
「今、ある技術や染料を扱っているものは沢山いる。そして、それを求める者も沢山いる。このドレスタットにもな」
「そういえば、この間の依頼の時に、何か調べていた仲間がいたな。染料商人が怪しいって話を確か‥‥」
 こくり、イワノフは首を前に動かした。
「そいつと同一人物かは、解らないが染料商人がパリに何度か足を運んでいた、という話は聞けた。そして、その行く先がリュシアンの父親の工房らしいことも‥‥な」
 最初は思っていた。カバンの盗難まで、その因縁がらみと思うのは考えすぎなのだろうけど‥‥と。だが‥‥
「ならば‥‥それを求めて‥‥?」
「そして、まだ手に入れていない‥‥そういうことかも、しれないな‥‥」
 確証は無い。だが、二人の間に何か、同じものが流れた。そして、二人、四本の足は、同じ場所に向かって行った。

 一番先に待合場所とした酒場についたのはディアルト・ヘレス(ea2181)だった。一人、苦い顔でテーブルを叩く。ジョッキが宙に軽く浮く。
「くっ‥‥!」
「どうしたの? 暗いよ〜」
 心配そうに顔を覗き込むフォーリーに彼は真面目な顔、を作った。言える事ではない。盗賊ギルドに繋ぎをとろうとしたが、どこで何をどうすれば盗賊ギルドに接触できるか解らずにうろついてしまった、などと‥‥。
「いや、何でもない? どうだった? 聞き込みの様子は‥‥」
「どうもねえ。あんまり芳しくは無かったよ。でも、今ティオがちょっとそれらしいところ捜してる」
 犬の頭を撫でながらセルフィーはふう、と深い息をついた。
「こちらも、手掛かりは‥‥微妙な所ですね。ドレスタットは海戦祭の影響で人出が多かったですし、それ目当ての泥棒も活発に動いているでしょうから、地道に探せば見つける事くらいは出来そうなのですが」 
 明、ボルト、フランク、李風龍(ea5808)、ルリやリュシアン達も戻って来てテーブルはあっと言う間に人で溢れてくる。
「あのね、結論から言うと、はっきりは解らなかったのよ。泥棒って目に見えたら終わりだから、当たり前って言えば当たり前なんだけど‥‥」
 手分けした調査組みもまたそれぞれにフォーリーと同じことを、違う言葉、同じ意味で言う。
「だけど‥‥今、ティアイエルさんが犬と一緒に匂いを追ってる。どこまで終えるか解んないけど‥‥あ、戻ってきた!」
「ただいま。おそくなってごめんなさい」
 噂をすれば‥‥ティオが、その後ろから、別に調べていた筈の二人も丁度いいタイミングでやってきて、仲間がほぼ全てここに揃った。それとすれ違いに‥‥そっと店を出たものもいたのだが‥‥。
「どうだった? 匂いを追ってたんでしょ?」
 代わりにセルフィーの問いかけにティオはう〜ん、と困ったような表情を見せた。
「もう何日も経っているから‥‥ちゃんと訓練したわけじゃないし‥‥途中で解んなくなっちゃったみたい。その側でレオニールさんとイワノフさんと会ったから、戻ってきたの」
 髪紐をぱらりと解いて彼女は息をついた。
「‥‥ディアルト。怪しいと言っていた染料商人というのは‥‥ブレンダンと言わなかったか?」
「!」
 落ち込みの表情で話を聞いていたディアルトは顔を上げた。反応が、何よりも雄弁に答えている。
「やはりな‥‥ブレンダンの店の側でティオと出会った。それにどう見ても真っ当ではない奴らもうろついていた。‥‥可能性は高いような気がする」
 冒険者達の間に、何かが漂う。この世界に身を置くものが持つ、それは直感にも似た‥‥。
「でもさ、あたし達の今回の目的はカバンを取り戻すこと。とりあえずは、そっちを先に片付けるべきだと思うんだ。だから‥‥ね‥‥? あれ? リュシアンは」
 きょろきょろと、プリムは顔を上下左右に動かして依頼人を捜した。そうしているうちに気付く。
「リセットさん‥‥も‥‥いませんよ?」
 何か、あったのか? 緊迫した空気が走る。
 とりあえず、外を‥‥。捜そうとしたプリムは急に足を、いや羽を止めた。その様子を察したルリやルメリアもそっと外を伺う。
「あ、いた‥‥何を、話してるのかな?」
 耳を澄まさないと聞こえない、小さな声が‥‥戦っていた。

「どうしても、答えは同じですか? リュシアンさん」
「ああ、悪いけど、期待には添えないよ」
 告白のようにも見える場、聞こえる言葉。ある意味告白ではあるのかもしれないが、きっぱりとリュシアンは答える。
「もう一度、言います。私が属する錬金術工房と手を結ぶ気はありませんか? 舞踏会等に出て宣伝をする者や錬金術に長けた者は既にいます。我等に欠けているのは、最終生産品を作る技術を身に付けた者。すなわち貴方のような人材なのです」
 要するにスカウトなのだろう。彼の腕をファッションやこれからの産業開発に使えたら、と考えたようだ。
「芸術家の多くは才能があったとしても世に認められる前にこの世を去ります。妻子に楽をさせられる者は極少数です。リュシアン織の創始者かつ工房経営者の1人として、エレさんを妻に迎えたくはないですか?」
「そう、そこだ。なんだか勘違いされているようなのはな‥‥」
「えっ?」
 そこ、とは一体どこなのか。探す表情のリセットにリュシアンは小さく微笑した。
「俺は、芸術家じゃない。職人、なんだ。まだまだ未熟者だし‥‥それにタピスリーを、俺は芸術品にしたくないんだよ」
 彼の言っている意味を、理解しようとリセットはリュシアンを見つめた。
「この性格は、父さん譲りなんだろうけど‥‥ただ、良いものを作って、皆に喜んでもらえて、タピスリーを好きになって貰えればそれでいいんだ。もし、エレと結婚したとしてもきっと苦労をかけてしまうけど‥‥それで儲けようとか名を残そうとは思ってない」
 勿論、それだけじゃ生きてはいけないと解っている。父が借金をし、自分が工房を手放すことになったのも半ばそのような考え方のせいだろう、とも解っている。それでも‥‥
「あんたは、名を残す為に技術開発をやってるのか? そうだとしたら、気遣いは嬉しいけど考え方とかが違いすぎると思う。一緒に仕事はできないよ。まだ、それだけの価値は俺自身にも無いしね」
「‥‥!」
(「彼に、失礼な事を言ったのでしょうか‥‥。私は‥‥」)
 何か引きとめようと思ったらしい、言葉を捜したらしい。だが、その言葉は今、彼女には探せなかった。その隙にリュシアンは扉を潜り、自分で酒場に戻る。そして扉の横に気付く。 
「どうかしたのか?」
「「「わあっ!」」」
 一瞬、驚いた後ルメリアは一党の党首らしく、慌てた様子をすぐに立て直して、リュシアンを呼びなおした。
 勿論、本題があるのだ。
「貴方のカバンを探す為に、ご協力をお願いしますわ」
 手を引かれ、席に戻ったリュシアンを交えた冒険者全員揃っての相談は、翌日の明け方近くまでかかったという‥‥。 

●繰られる操りの糸
 翌朝、微笑ましい光景が見られた。それは、こんな楽しげな会話と共に‥‥。
「ねえ、‥‥リュシアンさん、今、考えているデザインはどんなの?」
「はい、お嬢様。古い伝承をモチーフにしたものと、海戦を取り入れたものとを考えています」
「アレクス・バルディエ卿のご息女からの支援など望んでも得られんぞ、しっかり励むことだ」
 親しげに会話する青年と少女。その間を遮るような騎士の眼差しを、中流階級風の装束をした女性は優しく窘めた。
「まあ、良いではありませんか? 才能ある者は領の宝ですわ‥‥」
「それはそうだが‥‥身分をわきまえることは大事だぞ」
 苦笑しつつも隙を見せない騎士や人々の視線に守られて二人は、歩いて行く。
「あ‥‥少し、お待ち下さい。その店で買い物がありますので‥‥」
 人通りの少ない裏通りに足を止め、青年は入っていく。
「このような場所はお嬢様には相応しくありません。さあ、こちらへ‥‥」
「でも‥‥」
「私も気分が悪いので、向こうで待つようにいたしましょう」
 行動や仕草から大人達が付き従っていた人物は少女の方だと解るだろう。青年は今、完全に一人になっていると見えた。この隙を見逃す訳にはいかない。息を潜めていた影は、ゆっくりと裏通りに足を向けた。
(「あいつが行った先はどこだろう。向こうの店か‥‥」)
 小さな音が足元で‥‥した。何かを踏んづけたのだろうか。そう思った時だ。彼の身体が空を飛ぶ。転ぶという形で。
「闇よ出でよ!」
 地面に激突した直後。ぶわり、突然立ち上った闇に、影は動きを封じられた。
「風の怒りよ、闇の中に居る敵を撃て、ライトニングサンダーボルト!」
「あ〜、こりゃ出番はあんまり無いかもね‥‥クラウ」
「ワン!」
 念の為用意しておいた呪文を放して、横に待つ犬に彼女は話しかける。
 闇が解けた時、そこには半ば黒焦げで倒れ伏す少年の姿があった。

「物取りはいけないことです‥‥」
 何重にも冒険者に取り囲まれて、ただでさえ小柄な少年は、より小さく見えて女性冒険者達にため息をつかせた。
「こんな、子供が物取りですか‥‥。世も末ですね」
「子供だからとて、甘く見てはならん。だが‥‥そなたなぜ、このような事を?」
 イワノフは穏やかに子供に語りかけた。単なるスリなら返ってよい。だが、どうやらそうでもないようだった。
「別に頼まれたわけじゃねえよ。ボーっとしてた野朗がいたからカバンを頂いただけ。カバンと中身はどっかの金持ちが買ってったし、野菜は喰っちまった。返せって言ったってむだだかんな!」
 指が使えたら目も一緒に下げていたかもしれない。舌を思いっきり伸ばした少年の言葉に冒険者達は顔を見合わせる。
「その‥‥お金持ちと言うのはどなたです? 最初はともかく、今回カバンを狙ったのは‥‥誰かの差し金でしょう?」
 青ざめた顔が明の問いかけを肯定するが、言葉での答えを拒絶する。
「言えるかい! んなこと。そんなことをしたら俺が殺られちまう!」
 子供といえど闇世界の恐ろしさを知っているのだ。彼は、下っ端。操られるだけの存在。これ以上は本当にこの少年の命と交換になってしまうかもしれない。そう思った時、少年は彼らに一つの取引を申し出た。
「俺を放してくれよ。その代わり、カバン返すからさ‥‥」
「カバン? 誰かに買われたのでは無かったのか?」
 その取引を引き受け、数分後。
「うわっ‥‥ヒドッ!」
 フォーリーが声をあげたのも、もっともだった。かつてカバンだったそれは、今や完全にバラバラにされた皮のパーツと化していた。ゴミとして捨てられていたものを少年が拾いあげたのだと言う。
「カバンをここまでにするなんて‥‥一体何の目的で‥‥ん? リュシアンさん?」
 そっと手を差し伸べて、リュシアンはそのパーツを掻き抱く。
「‥‥そう言えば、これも形見だって言って‥‥ましたっけ‥‥」
 多分、無理だとは思っていた。盗まれたカバンを取り戻すなどということは。でも‥‥依頼の一部は叶えられたのかもしれない。他の人物にとってはゴミでも、彼にとっては夢であり両親そのものだったのかも。冒険者は依頼人の表情を見て、そう、思った。

●響かない糸
 ドレスタットに近い、地方小領主サクス家の領地外れ。開拓途中の薬草園の近く猫を模した耳の位置を手で直し、受け取った手紙の封蝋を破る異形の女性。さっと目を通すなり、静かな笑みを湛えて唇が動いた。現在の仕事が一息ついたら錬金術工房の財務顧問になって欲しいとのリセットからの要請である。彼女の精一杯の証として支度金100Gが用意され、それなりの報酬も提示されている。
(「面白いわね。でも、お金で私を縛ることはできませんですわよ」)
 生まれたばかりの嬰児の、乳を飲むような無心の笑み。
「タンゴ様。仰せの通り、移植を完了致しました」
 だがその姿は、帰った来た配下の声にかき消える。サクス家に雇われた監督官の目に戻り、次の指示を送り出す。
「あの子達が気がつかない内に、環境にあった場所にお願いね。あなたこないだ間違えたでしょ」
 苦笑する声。密かに急いで行った結果、不自然な場所にハーブが生えたのだ。
「もともとハーブって雑草みたいなものだから、適った場所に植えておけば増えてくれるわよ。そうそう、山羊に食べられないように注意してねん」

●希望という名の未来
 一番に取り戻したかったのはカバン、二番目に戻って欲しかったのはデッサンだった。
 だが、彼の夢に今、必要だったものは、実は野菜だとリュシアンは語る。それも、ひよこ豆だと‥‥。
「後で、きっちり返して貰うからね。出世払いで」
 そう言って貸してくれたプリムの金で野菜を買いなおしたリュシアンはその礼に、と実にあっさりその染色の秘密を見せてくれると云う。
「このひよこ豆が父さんから教わった染色の秘伝なんだよ」 
 フリースの簡単な洗浄を終え、糸に紡いだリュシアンは冒険者達を牧場に招くと染色を目の前でやって見せてくれた。
 実は洗浄と脱脂も見たがった冒険者をエレや、リュシアンは力いっぱい止めていた。
「慣れない人は絶対倒れますって!」
 冒険者達は首を捻ったものである。
「? どうして‥‥」
 と。
 実は彼らは言わなかったが、羊の毛の洗浄、脱脂に使うのは古代ローマ以来の方法。人の尿を発酵させたものなのだ。しかも、それに加えて木炭に油を混ぜたものも使用する。その匂いたるや‥‥言わぬが鼻、いや花であろう。
 幸い、今はそれほど酷い匂いではない。
「染色は草木などを煮詰めた煮汁に糸を漬け、その後に鉱物の溶液で定着させると何処かで聞き齧った覚えがあるが、盗まれた鞄の中の荷とはもしや、その染色に使う為の材料ということではないか?」
「あ、凄い。殆ど正解」
 笑いながらリュシアンは答えるとひよこ豆を潰して作った豆汁から糸を取り出す。それを軽く洗って、煮立てておいた染色液にゆっくりと浸していく。
「この豆汁に漬けておくことで、羊毛は勿論、いろんな糸がそれをしないよりも遥かに美しく、発色よく染まる。染料は取り立てて特別なものを使ってない。この下処理と温度管理こそが父さん考案の技なんだ。そして、もう一つ‥‥」
「淡い‥‥オレンジ色?」
 染色液を作っていたときから見ていた筈のセルフィーにもその色の誕生は意外だった。何せ現物はタマネギの皮である。
「ミントは綺麗な黄色に染まる。葡萄の皮から紫ができる。草花はそれぞれに不思議な色を、身に隠している‥‥」
 煮た糸は媒染剤に浸して安定させてからまた煮る。ミョウバンはここに使うのだと云う。他に古釘から作った液や、銅から作った液も混ぜてある。
 どうして、そうなるのかの解明は未来に任せるしかないが‥‥今、確実に解ることがある。それらがとても美しいと、いうこと。
「‥‥とってもキレイ‥‥。どうして‥‥こんなにキレイなの? 元はただの葉っぱや、お野菜なのに‥‥」
 ルリの唇からこぼれる言葉。リュシアンは小さく微笑しながら胸の奥に大事に閉まってあることを、思い出す。教えられた技術と‥‥心。
『染料だけに頼っていてはいけない。たった一つのものだけでできることなど、たかが知れている。美しく染める為にどうすればいいか。染めた後それを保つ為にはどうしたらいいか。下支えと、定着。それぞれのバランスを考えることこそが染色に一番大事なんだって』
 それは、きっと染物だけのことを言ったのではないと今は、解る。
 一本の糸を彼は鍋から取り出した。オレンジから緋色へと変わったその糸をリボンに結んで、黙って‥‥ルリに渡した。
「‥‥自分一人でできることは‥‥限られている」
「自分を美しく染めるのも、それを強く残すのも‥‥一人じゃできないんだよ」
「危なっかしい、お姫さまよね♪」
「でも‥‥妹のようで‥‥」
 染色を手伝いながら冒険者は微笑む。彼女の、いや自分達が内に秘める色が見えてくるようだ。
「大切に‥‥していきたいですね」

 カバンは戻り、野菜は食べられてしまった。
 お金は勿論盗られた以上戻ってくる筈はないが、もう一つ探しはぐねたものを冒険者達は忘れてはいなかった。
「デッサンは‥‥一体どうしたんだ?」
 もう一度書き直す。最初からやり直すと、リュシアンは言った。
「いろいろ、イメージが沸いてきましたよ。みなさんのおかげで‥‥」
 そう、あれはあくまでデッサンなのだ。他人にとっては意味が無い筈。買い取って行ったというその人物の意図が解らない。
 カバンも、デッサンも、野菜もリュシアンにとっては夢を導くもの。では、他の人物にとっては、一体なんだったのだろうか? 答えは、今の彼らには、まだ想像だにできなかった。

「こんなもの、ゴミだ、ゴミ!!」
 丸めた羊皮紙の束を、その男は壁に投げつけた。
「染色の買い出しに来た、ということでは無かったのか? レシピのメモどころかまともな材料すら入っていなかったというではないか!」
 剣幕の主に向かって部下は『ゴミ』を拾ってお辞儀をする。
「やはり‥‥直接聞いたほうがいいかもしれません」
「最初から、そうするべきだったか‥‥。よし、多少手荒な真似をしてもかまわん。必ず手に入れろ!」
「ただ、東の辺境伯の御令嬢が関わっておいでのようですが‥‥」
「バルディエ卿がなんだ。こちらにも懇意の貴族様がいる。尻尾は捕まれるなよ」
「はい‥‥」

 パリに問い合わせた結果をフランクが手に入れたのは、数日後のことだった。
「リュシアン殿のお父上の工房は‥‥現在染料商人ブレンダン直営‥‥織物工房?」
 
 物語の糸は紡がれ始めた。ゆっくりと確実に、それぞれの手で染められて‥‥。