夢色のタピスリー7
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■シリーズシナリオ
担当:マレーア
対応レベル:7〜11lv
難易度:普通
成功報酬:3 G 31 C
参加人数:10人
サポート参加人数:1人
冒険期間:09月17日〜09月24日
リプレイ公開日:2005年09月26日
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●オープニング
「ん〜っと、ここは、こうして‥‥やっぱり、この色のほうが、彼女の髪の色に近いかも‥‥」
リュシアンが織り機の前に座ってしまえば、周りが見えないほどに集中してしまうのはもう慣れている。
「リュシアン、食事はしないの?」
「うん」
「ムリしない程度にしてね。少しは寝ないとダメよ」
「うん」
「明日の天気は槍が降ってくるわよ」
「うん」
「‥‥‥‥‥‥」
諦めたように笑うと、エレは食事の用意をして、掃除をして、そしてそっと部屋を出る。
「エレさん、随分リュシアンさんは、集中してますね‥」
扉を後ろ手に閉めたエレに、若い、と言ってもエレより年上の青年が彼女に小声で話しかけた。
リュシアンの集中を切らないように、という配慮なのだろうが、それは多分無用の心配だとエレは普通の声で答える。
「なんだか、急ぎで仕上げたいんですって。しかも、久々の凄い大きな作品だから、一体、どこに飾るつもりなのかしらね?」
「結婚式まであと10日なのに、花嫁を放ってですかあ?」
別の織り機に向かっていた女性が少し責めるような声を上げる。
「一度織り始めると、他の事がまったく目に入らなくなる性格は、腕と一緒にお父上から受け継いだんでしょうね。メルジャンさんとよく似てる」
ドレスタットの街外れに新しく借りた工房は、リュシアンの工房とは名ばかりのこれまでの部屋よりは遥かに広く、大きい。
新しいタピスリー織り場にも、数台の織り機と若い織り手達が集まってきていた。
かつて、リュシアンの父の元で学んだ者が、動き始めた彼を盛り立てるために。またタピスリーという新しい技術に興味を持って来た者もいる。
そしてブレンダンの下で働き商会の倒産と共に、袂を別った者達もまた‥‥。
「でも、結婚式の準備とか、いろいろあるでしょうに、エレさんが気の毒ですよ〜」
「いいのよ。私はリュシアンのそういう性格も解って結婚する、って決めたんですもの。それに結婚式って言ってもそんなに大掛かりにやるつもりはないから。お世話になった冒険者の皆さんや、周りの人に来て貰えればそれで十分」
ドレスの用意もしているしね。エレはそう言うと、工房から今度は厨房に向かった。
働く織り手達への食事やお茶の準備をしてくれているようだ。
「‥‥なあ?」
「‥‥ねえ?」
「‥‥そうだな」
ちゃりんちゃりん、軽い音は、ドアが開く音と同時に止まった。
「あ、これ、皆さんの分のお茶とお菓子。疲れたら休憩して下さいね。あんまり根を詰めないで。私は、冒険者ギルドにこの招待状をお願いしたら牧場に帰るので‥‥」
「あ、エレさん!」
去りかけた工房主(もうすぐ)夫人を、一番若い青年が呼び止めた。
「これから、ちょっと街に行く用事があるんですよ。だから、良かったらその招待状、僕が置いてきましょうか?」
少し考えてから、エレはじゃあお願い、と手紙を渡した。
「冒険者の皆さんには、何にも持たず気軽に来て下さい、って伝えてね。これ以上、ご迷惑はおかけしたくないし‥‥」
「お任せ下さい!」
元気よく、青年は答えた。そして‥‥去って行く背中を見て、ニッコリと微笑んだのだった。
ギルドの係員は、その手紙を広げて嬉しそうに笑う。
「ほお、とうとうあの二人も結婚式か。そりゃあ、めでたいなあ」
依頼、というよりも招待状だが、必ず冒険者に伝えておくと、言ってくれた係員に実は別口で依頼がある、と使いの青年は続けた。
「冒険者の皆さんに、迷惑になるかもしれないんですが、お二人の結婚式、演出して貰えませんか? ちょっと派手に」
「えっ?」
意味が解らずに首を捻る係員に、青年は言う。
「特に特別な事をするつもりはない、ってエレさん言ったんですけど、やっぱり一生に一度の事ですし、思い出を作ってあげたいじゃないですか?」
そのための費用は自分達で持つと、依頼料を差し出す。皆で出し合ったもののようだ。小銭が多い‥‥。
「エレさんは敬虔なジーザス教徒ですから、あ、リュシアンさんも。羽目を外しすぎなければあとは冒険者の皆さんにお任せします。できる限り僕達もお手伝いしますから‥‥」
強制ではない、ムリだったら結婚式に来てくれるだけでもいいから、と言って彼は頭を下げた。
「苦労してきた二人を、僕らよりも良く知ってる皆さんに、祝福して欲しいんです。よろしくお願いします」
追求の手から逃れて、ブレンダンは身を隠していた。
「技術も、技も、金を生む手段‥‥。金と名誉が、もう少しで手に入るはずだったのに‥‥」
華やかな貴族社会からも一目置かれる芸術品を生む工房。
新しい技術の先駆者の栄誉。
注目と羨望を、ただの商人の息子が集める事だろう。
ただの糸の塊が‥‥大金に化ける。
金と栄光、そして名誉。全てが自分の物に‥‥。
それは、夢だった。泡のように消え去った、夢。
今、まさに掴もうとした瞬間、それらは全て転がり落ちて消えてしまった。
「いや、まだ‥‥間に合う。あの、知識があれば、いや、消えればわしこそが‥‥」
暗い光を目に灯して、彼は最後に動こうとしていた。
闇色の、夢を抱いて‥‥。
●リプレイ本文
●幸せの税金
人の大きさほどのタピスリー。そしていくばくかの金品が、テーブルの上に並ぶ。
「この度、我ら結婚することになりました付きましては掟に従い、御領主様より新床の権利を買い戻したく存じます」
神妙な顔つきで並ぶ若き二人を迎えた男性は、静かに優しく微笑んだ。
「確かに、承った。エイリーク様にもお伝えしよう。汝らの結婚に神の祝福があらん事を‥‥」
「おや、リュシアンさん。珍しいカッコをしていますね。エレさんも一緒で?」
珍しく、正装で冒険者ギルドを訪れた二人に氷室明(ea3266)は笑顔で駆け寄った。
「そうそう、ご結婚が決まったそうですね。おめでとうございます。お二人お揃いということは、今日はその準備か何かで?」
「はい、先ほどエイリーク様に結婚の報告と結婚税の支払いに行ってきましたので‥‥」
慎ましやかな笑顔で頷くエレの横で照れたようにリュシアンも笑う。
「こればっかりは、他人任せにできないからね。結婚税もタピスリーで支払ったんだ」
「ほお、もう三枚目が出来たのか?」
カイザード・フォーリア(ea3693)は嬉しそうに声を上げた。何あろう、三枚目のタピスリー発注の仲介をしたのは彼なのだから、責任と言う名目の興味がわくというもの。
「あ、いや。それは、まだ。折角の注文だから、俺が織るつもりなんで、結婚式後に織り始めるから‥‥」
「あり? 三枚目のタピスリー織るのに集中してる、って聞いたんすけど。今織ってるってのは、注文の品と違うんで? ああ、結婚税ですか?」
手を横に振るリュシアンに以心伝助(ea4744)は首を傾げて聞いてみた。
「ああ、いや。今織ってるのは、特別なつくりの奴なんだ。結婚税の分は、工房の皆が仕上げてくれた工房最初の品。お金で治めるよりも効果があるだろうってアドバイスがあってね」
珍しく、精密精巧な作りのタピスリーを御領主様は気に入ってくれたようだと嬉しそうに笑ったリュシアンが、意図的に答えを一つ落としている事を、伝助は気付かない。
「元気そう‥‥でもないみたいだな。少しやつれたんじゃないのか? ‥‥ああ!」
近づいてきたディアルト・ヘレス(ea2181)は勝手にポンと手を打ち、リュシアンの耳を引っ張る。
「さては、もう夜の生活でがんばってるのか? ‥‥そうかそうか、これも若さ故か」
「な、何を!!」
赤面したリュシアンは口をぱくぱくとさせた。何か反論したいようだが、言葉が出てこない。
「うんうん、解っているぞ。おお、そうだ。特別にこれをあげよう。効力は聞くな。‥‥何、礼などいらん。結婚祝いだ!」
なにやら理解したような理解していない口ぶりで、ディアルトは頷くと懐から卵形の瓶取り出して、リュシアンの手のひらに押し付けた。指をビシッと立ててポーズを決めると、呆然とするリュシアンの肩をぽんと叩いて去って行く。
「頑張れよ!」
何を頑張れと言うのだろう。しばらく考えて思い当たり‥‥リュシアンの顔はますます赤くなる。
「どうしたの?」
「な、なんでもない。なんでもない。行くよ!」
くすくすと笑い声が聞こえる中でリュシアンはエレの手を取った。急いで外に出ようとして、ここに来た用件を思い出す。
「良ければ、明後日の結婚式には、ぜひ、皆に来て欲しい。心からの感謝を込めて」
「お待ちしています」
二人で小さく頭を下げて、彼らは去って行く。手をしっかりと握りあって。
「おぬし達、若い二人をあまりからかうものではないぞ」
けらけら、くすくすと部屋にはまだ笑い声が残っている。ヴェガ・キュアノス(ea7463)が諌めるように言うが、李風龍(ea5808)はかんらからと豪快に笑ってみせた。
「この程度のからかいは結婚税と同じ。幸せな二人へのちょっとした試練ですよ」
「そうですよ。これくらいはねえ?」
満面の笑顔を見せるエスト・エストリア(ea6855)にリセット・マーベリック(ea7400)は完全同意の笑顔で頷く。
「場所は、ドレスタットの教会か。ここなら知っている。どれ、教会の者に頼みをしてくるか‥‥」
「その前に、聞いておいて欲しいことがある。ちと小耳に挟んだのだが‥‥」
立ち上がるレオニール・グリューネバーグ(ea7211)を真剣な顔で長渡泰斗(ea1984)は呼び止めた。
「実は‥‥さっき係員から聞いたことがある」
そこまで言って、泰斗は説明の役を係員に譲った。彼は冒険者達に言う。ブレンダンが、行方不明。逃亡中である。と。
「実際に、あいつが手を下したことは少ない。だが、捕らえられた者達は命令の黒幕はブレンダンだと告白している。見つかれば、そして捕まれば、罪は決して軽くは無いだろうな」
まだ捕まっていない、ということはもう街を離れ、逃亡したということも十分に考えられる。だが、それ以上にもう一つ考えられることがある。
(「取り越し苦労であればいいが‥‥」)
止まった言葉の糸をレオニールが察して繋ぐ。
「あの二人の結婚式を潰しにやってくるかも、しれない‥‥か」
彼の技法は守ったが、元から一番狙われていた染色の技術。人を殺め、犯罪を犯しても得ようとしたあの秘伝に彼が執着を燃やしてくる可能性は十分にある。
「これ以上、あの二人の幸せを邪魔させる訳にはいかないな」
「ええ、幸せの為の税金を、彼らはもう十分に支払いました」
「後は、俺たちの仕事だ」
そう言った彼らの決意の顔は、もう冒険者そのものだった。
●幸せな結婚式の作法
「報酬は、特製ケーキでどうじゃ?」
「うん、いいよ!」
「楽しみ!」
「じゃあ、待っておるぞ」
駆け出す子供達に手を降るヴェガの後ろでレオニールが扉を開けた。
「我が儘を申し上げてすまない」
「いえいえ、より親しき者が祝福を与えれば、彼らの喜びも増すことでしょう。問題はありません」
笑顔の司祭に向けてレオニールは頭を下げる。そして階段を降りてきた彼に向かってヴェガはニッコリと微笑を見せた。
「無事、話はついたようじゃの?」
「ああ、そっちの方はどうだ?」
「当日、近所の子供達に聖歌の合唱を頼んだ。青き空に響き渡る、清らかな子供達の祝福の歌声‥‥うむ、最高じゃ」
にんまりと笑みを浮かべるヴェガに、真顔になったレオニールが問う。
「で、向こうの方は?」
その問いに、こちらの顔も真顔に戻る。
「今、泰斗殿やディアルトが調べに当たっている。だが、今のところ特に目立った情報は無いようだな。商会は瓦解し財産も信用も殆ど失った。もう何も残されてはおらぬだろうがそれ故に闇に紛れたたった一人を探し出すのは難しい‥‥」
「何にも無くなったからこそ、やけになる可能性ってのもあるんだ」
周辺を見回っていた風龍が腕組みをしながら言う。二人はそれに沈黙で答える。
「悪人の常として、恨みがある相手がいるならその相手の一番幸せな時を、奪ってやろうと考えるかもしれないぜ。それが一番肉体的、精神的ダメージが大きいと、知っているからな」
「そんなことは、させない‥‥絶対に」
静かだが強い声でレオニールは呟く。仲間達も頷く。結婚式は、もう明日に迫っていた。
パシン!
軽い、高い音が響いた。
「痛った〜! 何すんですか? ヴェガさん。あたしはただ、結婚式の作法を教えてくれって言っただけですぜ」
叩かれた頬を手で擦りながら伝助は恨めしそうに頬を膨らませた。教会で明日の準備を手伝いながら、不慣れな異国の風習を問うてみたのだが‥‥まあか、いきなり引っぱたかれるとは思わなかったと眼が言っている。
だが、しれっとした顔でヴェガは答えた。
「何を言っておる。これが、結婚式の作法じゃ。参列者は、参列者同士で顔を引っぱたくのじゃぞ」
「はあ? 何で?」
ジャパンでは完全になじみの無い、というか考えられない風習だ。疑問符を頭に散らす伝助にヴェガもまた受け売りではあるが知人の司祭に教えられた理由を教える。
「人の記憶と言うものは曖昧じゃ。どんな楽しい事や思い出も長い年月の間に色あせ、消えていく。それは、どうしようもない自然の摂理で、人の定めじゃからな」
「それは、そうっすけど、それと結婚式に顔を引っぱたかせるのとどんな関係が‥‥」
「痛みと言うのは、人の心に深く作用する。ただの思い出よりも、怪我をしたなど感覚を伴う方が心に残るじゃろう? 結婚と言う大事な思い出をより強く人の心に残す為に痛みと記憶を結びつける。これも先人達の知恵ということなのだろう」
「‥‥そういうもんすか? 世の中にはいろんな風習があるっすね。‥‥あっ!」
もう夜更けだというのに、教会の扉が開いて、中に誰かが入ってきた。見てみると、それはリュシアン。腕に大きな、自分の背丈より大きな何かを抱えて‥‥。
司祭と話をし、お辞儀をして、彼はやがて手ぶらで帰っていく。
ヴェガと伝助は興味の眼で、司祭の背後に近寄った。
「なんです? これ。司祭様?」
「わっ! ビックリさせないで下さい。‥‥明日ここで式を挙げられるリュシアン殿からの寄進の品ですよ。神と皆さんへの感謝を込めてここに飾って欲しいと頼まれました」
「おお、三枚目のタピスリーという奴じゃな。どれどれ、どのような品なのじゃろうか‥‥。こ、これは‥‥」
「‥‥‥‥凄いっすね。あ、なんだか涙、出てくるかも」
目元を擦る二人の様子を、嬉しそうに見つめながら司祭は静かにタピスリーと神に向かって、十字を切った。
「これは、お返ししておく。ご好意は感謝するが‥‥」
牧場に宿を借りたリセットの前に、指輪は二つ。スッと押し返された。
「どうして、ですか?」
決して悪い意味ではない、と先に言い置いて花嫁の父は静かに笑った。
「結婚にあたり、あいつもちゃんと結婚指輪を用意してあるはずだからだ。メルジャン‥‥、あいつの父親が妻に贈った両親の形見の結婚指輪。あいつらは、それを使って結婚する。折角貰ったものを記念にただしまっておくだけでは申し訳ないだろう。気持ちはちゃんと伝えておくから」
「いえ、こちらこそ、かえって失礼をしました。お許し下さい」
丁寧な謝罪の言葉にリセットは、指輪をポケットに戻す。
「いつか、ご自分の時に役立てられよ」
「二十年は先のことになりそうですけどね」
苦笑する彼女の横のテーブルには明日、エレが着るのであろうドレスが広げてあった。丁寧な作りだが、豪奢ではない。普通の村娘より、ほんの少し華やかなだけの慎ましいドレスだ。
「やっぱり、招待客に普段着でいいと言ったからには自分達も普段着に近い格好で式をあげかねないと思ったのですが、その通りですか‥‥」
「まあ、あんまり派手な結婚式も分不相応だ。気楽に来てくれ、と言ったのならそうしてやってくれ」
「解りました」
言ってリセットは立ち上がる。花嫁の父。今夜は静かに一人にしてあげたほうがいいかもしれない。
「明日は、よろしくお願いします」
「こちらこそ、な‥‥」
微笑を交差させて、二人はそっと立ち上がった。
バシャ!
「うわっ‥‥どうしても上手く行かない。はあ、お祝いにしたかったんですけどね」
建物の裏手で水に濡れた色男がため息を付く。氷で彫刻を作ろうと思ったのだが‥‥思うほど簡単にはいかないようだ。
「仕方ありません。私にできるお祝いに徹しましょうか‥‥」
太陽が昇り始めている。自分にできる一番の祝い。それは、この日をよき日にすることだろうから‥‥。
小さくない、大きくない荷物がディアルトの手に届く。
「良かった。なんとか、間に合ったな」
丁寧な礼を持って大切そうに、彼はそれを握り締めた。これは、いや『彼』は今日、一番大事な参列者になるだろうから‥‥
●思い出色のリボン
結婚式の朝、一番早いのは実は花婿である。夜明け前に眼を覚まし、野原に行って朝一番の露に濡れた花々を積む。リンドウ、カツミレ、マーガレット。野ばらにエニシダ、ツリガネソウ。ハーブを取り混ぜた野の花々のブーケは、柔らかい香りを放つ。
「綺麗に出来ましたね。後の仕上げはお任せくださいな」
エストはブーケに飾りを付け、美しく飾った。
「あら、綺麗なリボンですね。流石ですわ」
虹色のリボンを手に取ったエストは微笑む。これもリュシアンが自分で染めて織ったものなのだろう。
紅の色が濃い‥‥。
「こちらの花は、周囲を飾るのに使うとするか」
大量に抱えた花をヴェガは教会の周辺に飾った。ブーケを用意しようと思ったが、やはり花婿のものが一番だろうから、と素直に譲る。その代わり、そっとブーケに魔よけのハーブを潜ませて。
「ほれほれ、花婿よ。早く準備をすることだ。もう直ぐ花嫁が来るぞ」
ヴェガは花婿の背を押した。控え室に押し込んで着替えを投げる。
「あ、解った。ありがとう」
まるで一睡もしていないような赤い眼を擦りながら、リュシアンは部屋に篭った。結婚式まで、あと一刻。
牧場では、朝から友人知人が作った料理が温かい湯気をあげている。
「ひとくち、頂いてもいいっすかあ?」
「いいですよ」
その返事の前に伝助は口の中に肉片を放り込んだ。
「あ、うまい♪」
「ダメですよ。つまみ食いしちゃあ」
牧場住まいの婦人に諌められ、素直にはいと、手に握ったハリセンで、ぺし、と彼は自分の頭を叩く。どうやら、こちらは大丈夫のようだ。
「やっぱし、狙うとしたら‥‥あっちっすよね‥‥」
「どうか、したんですか?」
「あ、いえ、なんでもないっす。んじゃ、あっしは式の方に行きますんで‥‥」
「いってらっしゃい。エレちゃんにヨロシクね〜」
彼とすれ違ってやってきた馬車から荷物が降ろされる。それに、婦人のかん高い声が上がった。
紅葉を散らしたような頬で微笑む花嫁。
「お綺麗ですよ。エレさん‥‥」
「ありがとうございます」
身支度を手伝ったエストが手を取り、エスコートする。
新品の、でも慎ましやかなドレスを身に纏った花嫁は父親の手へ渡されて、教会の前の階段を上る。花々に飾られた階段の上では、野の花のブーケを手にした新郎が待っている。
どこか、照れた顔を見せながら静かに、そっと花嫁の手を握り締めて‥‥微笑む。
「エレ‥‥」
花婿の父から受け取った細いが荒れた働き者の手に、花婿は自らが作ったブーケを、そっと差し出した。
「君を、愛してる。これからも、ずっと一緒にいてくれるかい?」
「‥‥リュシアン。貴方の愛。確かに受け取りました」
ブーケを両手で受取、大事そうに一度胸に抱えると、エレはその中の一番美しい薔薇を一本抜くと、黙って花婿の服の胸元に差す。
「君の愛も確かに、受け取ったよ」
「うわ〜」
思わず見ているほうの顔が赤くなりそうだ。リセットは思わず、手を顔に当てた。でも、幸せな二人は笑顔で、教会の戸口に向かう。そこには教会の司祭と、正装を纏ったレオニールが笑顔で待っていた。
「レオニールさん! ここ!!」
リセットは慌てて口をパクパクさせて、合図する。胸を叩く仕草に、ああと気が付いたのか勲章をしまって変わりに十字架を取り出し。
「新郎新婦より結婚式に目立つもんじゃないですよ。下手したらトラウマになっちゃいますものね?」
「そうだな」
苦笑しながらカイザードは腕を組んだ。彼もいくつもの勲章は今日はポケットの中だ。
「このまま、何事も無く終れば、いいのだがな‥‥」
僧服姿の風龍や、泰斗、ディアルト、明達と目配せする。今のところ、怪しい人物も見えない。殺気は感じられないが‥‥最後まで、油断は禁物だ。花嫁と、花婿。そして‥‥見えない敵へのアンテナを彼らは張り巡らせていた。
「エレさーんっ! リュシアンさーんっ! おーめーでーとーっ!!」
子供たちが静かに聖なる歌を歌う中、式は静かに進んでいった。花嫁の指に、花婿が指輪をそっとはめる。少し緩いそれを花嫁は、花婿の手にそれを静かに戻した。
花婿は指輪を自分の指にはめてから、もう一つの指輪をもう一度花嫁の指へ。今度はピッタリと、指輪は花嫁の指に輝いた。まるで、最初からそこが自分の場所であるというように‥‥。
「今、ここに二人を娶わせる。互いの命尽きるまで、死が二人を別ち天に戻るまで、共にあることを誓うか?」
「誓います」
「誓います」
「われらが主の御名に於いて、自助の勇気と協和の祝福を、汝らに‥‥」
二人の手が重なり、唇がそっと、重ねられた‥‥瞬間だった。
ガシャン! 何かが砕けるような音に、二人と、そこにいたもの全ての顔が階段に向かった。割れた陶器の破片から、立ち上る鼻をつく匂い。どろり広がる黒い‥‥液体。
「何?」
「そいつだ!!」
最前列から飛び出したフード付きローブを被った小さな影が階段に向かっていくのを、泰斗は見つけ声を上げた。
同時に伝助と風龍が手を広げ、飛び出した。
「うわあっ!!」
丸く、大きい訳ではない体は二つの屈強な体躯の盾に押し戻され、転がるように階段を落ちる。手からは銀色のナイフが落ちて、身体を捻った姿勢で蹲った身体は、前に立ちふさがる男達、後ろに立つ男達に挟まれるように睨まれ、太く、太く呻いた。
「く、くっそお!」
ナイフを拾って明はそれを、素早く遠ざけた。周囲を確認するが他に仲間や殺気を放つ者はいないようだ。ディアルトがはいだローブの下に、現れた顔をもう誰も意外には思わなかった。
「やはり、お前か‥‥ブレンダン」
階段の上からレオニールが冷たく見つめる。
「お前さえ、お前とメルジャンさえいなければ、わしは、世界一の商人になれたはずだ。色を支配し、新たなる技術を広める偉大な織り師に、染色家に、商人に‥‥」
憎憎しいといった目で、ブレンダンは階段の上のリュシアンを見つめた。自分のナイフで傷ついたのだろうか? 手のひらから血が滲んでいる。唾を吐いて、その表情以上に汚い言葉を吐き続ける男の前にリセットは、スッと立った。
「それは、違いますよ」
怒り、ではない。哀れみにも近い目線を降ろしリセットはもはや、言葉と自分以外の何も持たない男に向けて言い放つ。
「あなたの敗因は、乱暴な手段を使ったことでも技術を金儲けの手段にしようとしたことでもない。技術、情報、評判の持つ価値と効能を知らず、それを使いこなすことが出来なかったことが敗因です。結局あなたは、職人にも実業家にも成れなかったのですよ。その才も無かったのでしょうがね‥‥」
「哀れな男よ。目先の利に囚われ、安易な道に走った末路を知るがいい」
「人々を、苦しめてきた報いは受けて、頂きましょうね」
ディアルトと明が、強い勢いで手を引いてブレンダンをその場から連れ出そうとした時だった。
「ちょっと、待って!」
「「えっ?」」
花嫁の手を暫し置いて、花婿がこちらに向かってきた。投げられた液体を一滴指につけ、匂いを嗅ぎ舌に乗せ‥‥顔を上げた。
「これは、父さんと一緒に調合した染料? 父さんが大事にしていた蒼の色のベースと同じだ‥‥」
顔を背けたブレンダンの側に、リュシアンが近寄る。さらに強く、彼は顔を遠ざけようと横に向けた。
「そんな、そんなことは知らん! わしを早く連れて行け。とっとと、煮るなり焼くなりすれば‥‥」
投げやりに言うブレンダンの向いた横と合わせるようにリュシアンの顔が動く。無垢で澄んだ‥瞳。
「その眼、その指がずっと気に入らなかった。何にも望まない、と言いながら全てを手に入れる曇りない眼が‥‥お前もあいつと同じだ。メルジャンと‥‥」
「ブレンダン、リュシアン、お客だぞ」
いつの間にか装束を変えたカイザードは、何か大きくは無いが重たげな品を抱えてやってきた。そして、眼の高さから。それを下に向けて落とし、広げた。
「それは!」
「‥‥‥‥っ!」
リュシアンは眼を見開き、ブレンダンは顔を背ける。そこには、鮮やかな色合いこそ薄れているが、人にため息を付かせずにはいられない鮮やかな織りのタピスリーが‥‥あった。
「父さんの‥‥タピスリー」
「偶然手に入れることが出来た。確かな技術、確かな思いで作られたものは、時を越え人の心を揺り動かす。過去は思い出にしか過ぎぬが、‥‥大切なのは想いだ。想い一つあれば人は前へ進む事が出来る。そして未来に繋げることが、できるはずだ‥‥」
「メルジャンの‥‥色‥‥」
『やっとできたよ‥‥。やっと染められた』
『なあブレンダン、どうしたらもっと色が長く続くと思う? もっと工夫したらもっと良くなると思うんだけどさ』
『もういいよ。どうせ染めなんていつかは落ちるんだから‥‥』
『どうせなら長い間、綺麗な方がいいじゃないか?』
『誰もそんな気にしたりしないよ』
『でも‥‥』
「‥‥ふっ、結局、わしはメルジャンに勝つことはできなかった、ということか‥‥努力も、想いも、天与の才と運を持つ選ばれた者には叶わぬと‥‥」
人々のため息、賞賛の声。微かな自嘲を込めた笑いを呟きを抱いて、ブレンダンは自ら立ち上がった。冒険者達を目で促し、連れて行けと合図する。
泰斗達がブレンダンの手を取った時
「ブレンダン‥‥さん」
リュシアンの声が、彼の足を止めた。
「もし‥‥もし、良ければ今度、工房に来ません‥か? 一緒に、タピスリーを‥‥」
「待って、ケガを‥‥これで‥‥」
ブーケの花をと束ねた虹色のリボンを駆け寄ってきたエレが、ブレンダンの腕に巻く。
ふっ。もう一度彼は笑った。それは、完全に敗北を認めた笑みだったのではないか、と、近くにいた冒険者達は思った。
ブレンダンは、リュシアンの呼びかけに返事をしなかった。ただ、黙って背を向けて連れ去られていった。
「あやつ‥‥」
ヴェガが拾い上げたローブには、色あせた古いリボンが何故か、内側にそっと結ばれていた。
●そして、夢色のタピスリー
「あの男‥‥本当はリュシアンの父君に憧れていたのかも、しれんな」
ヴェガが拾った古いリボンを弄びながら言うと、リセットはええ、とブーケを撫でながら頷いた。
「憧れて、手に入らない、手が届かないなら壊してしまえ、というところですか」
「子供ならともかく、大人にはそんな甘えたことは通用しません。同情はできませんし、必要も無いと思います」
厳しい明の言葉にも、ええ、とリセットは頷いた。
「彼が道を間違えてしまったのは、誰の責任でもない。自分の責任、ですからね」
「あ、ここにいたんですか? 皆さん!」
教会の裏手で誰とも無く集まっていた冒険者達に、やっと見つけた、という表情で花嫁は駆け寄った。
「今日は、お式に集まって下さってありがとうございました。‥‥私達を、守って下さったんですね」
「まあ、彼が縛にでも付かない限りは二人もおちおち新婚生活と言う訳にもいくまいと思ってな。まあ、気にしなくていい」
「変な乱入もあったっすけど、‥‥いい、お式でしたよ。ほっぺたまだ、少しじんじんしますけどね」
くすくす、ハハハと小さく皆が笑う。きっと、忘れられない式になったことだろう。‥‥いろいろな意味で。
「牧場で、皆がご馳走を用意してくれているはずですから、一緒に行きませんか?」
「お誘いくださるなら、喜んで」
優雅にお辞儀をしたカイザードと共に彼らは頷いて、教会の正面に回った。
さっきまでの式が嘘のような、静けさだ。
「そういえば、リュシアンは何処に?」
「多分教会の中です。‥‥そうだ、皆さん、教会の中を見て頂けませんか?」
「何故?」
エレの誘いに冒険者達は二人を除いて、首を傾げる。そして、残った二人は満面の笑みを浮かべる。
理由が説明されぬまま、冒険者達は教会に入った。教会の中にリュシアンがいて、彼の見つめる横の壁に、それはあった。
「‥‥こ、これは‥‥素晴らしい」
明は、思わず声を上げた。それは、人物のタピスリー。壁を埋め尽くすようなそのタピスリーはノルマンの美しい春の野が紡ぎ出されていた。しかも‥‥
「なあ、見ろよ。あれは、俺じゃないか? そして、そっちにいるのは‥‥どうみても明殿だと思うんだが?」
「えっ?」
「あっしもいやすし、そっちには他の旦那方もいますよ」
広い野原でくつろぐ冒険者達。木陰で剣を降ろしながら微笑む志士、兎を追いかけ笑顔が弾ける銀と、金の髪の少女を見守るような僧兵。
礼装で立つ貴族。エルフの商人や老騎士もいるし、神聖騎士達も優しげに馬を撫でながら談笑している。太刀の猫の根付が揺れる浪人が多分、自分であると泰斗が思えば、料理を促すクレリックはヴェガで、ハーブを手になにやら真剣に話しをしている二人のエルフは、エストとリセットだと容易に想像がつく。
ちなみにハリセンを振り回す笑顔の男性は間違えようも無く、伝助のはずだ。高い空をフェアリーが笑顔で飛び、楽しげに赤い髪を揺らす。ハーフエルフとエルフ、パラと人とジャイアントが女も男も笑い合い、その中央には幸せそうな笑顔のルリ姫がいて‥‥。
「これが‥‥貴方の三枚目のタピスリーですか‥‥」
リセットは息を呑んだ。たった一枚のタピスリーにリュシアンの思いと夢が詰められているのが‥‥解る。
「皆さんに、お礼をしたいと思った時、自分に何ができるか考えたら‥‥これしか思い浮かばなかったんだ。やっぱり、タピスリーを織ることしか‥‥できないから」
そして、リュシアンは冒険者達をまっすぐ見つめると真摯に頭を下げた。
「いろいろ、本当にありがとう。心から、お礼を言うよ」
「いいえ、こちらこそ。このタピスリーは我々が死した後も、ここに残り、人に笑顔を与えるでしょう。感謝の気持ち、確かに受け取らせて頂きました」
「人を幸せに出来る技術(美術)は素晴らしいですね〜。私も自分の知識と技術を磨いて〜、多くの人達に喜んで貰えるよう頑張りますから競走ですよ♪」
手が差し出された。笑顔で、その手は握り返される。手が重なる。ぬくもりが重なる。
タピスリーの中と同じ美しい夢色の笑みで、冒険者とリュシアンと、エレは微笑み合ったのだった。
結婚祝いのパーティは夜更けまで続いた。演舞を舞う僧兵の横で、忍者が花婿にハリセンでツッコミを入れる。領主から贈られた特上の酒は、訪れた沢山の客たちが喉を潤してもまだまだ余りある。
花束を抱え、涙目のエルフの横で料理を運ぶクレリックは、静かな空を見上げて‥‥小さな声で輝く星に、願いをかけた。歌うように、思いを‥‥込めて。
「全き愛 与える主よ 今ここに誓い合う この二人 ひとつにして 恵み祝したもう♪ リュシアン、エレ、末永く幸せにの‥‥」
程なく冒険者達は、小さな工房の噂を時折耳にするかもしれない。丁寧で、確かな技術で少しずつ信用と言う名の財産を勝ち得ていく彼らの噂を。
別れの前、これから、伝えられた技術をどうしていくのかと、問いかけられた質問に、リュシアンはこう答えた。
「まだ、解りません。でも、大事に伝えて育てていきます。この技術を、思いを未来に伝えていく為に‥‥」
その言葉は守られているようだ。庶民に愛されながらも安売りされず大事に守り伝えられていく技術。
それは、きっと未来に夢を繋ぐことだろう。
冒険者達も元に残されたのは、結婚祝いのお酒と‥‥虹色のリボン。
赤、橙、黄、緑、青、藍、そして紫。
レインボーリボンは、染色を志す者が最初に目指す技術。美しい夢だと、リュシアンは語って一人一人に結んでくれた。冒険者にとっても、それは夢の色。自分たちが守り、育てることの出来た、幸せの輝きの色だった。
「司祭様、あの絵。きれーね♪」
「僕も、あんな戦士さまみたくなりたいな」
子供達のそんな小さな夢に、司祭は静かに微笑んだ。