●リプレイ本文
●沈黙のタピスリー工房
「ふう、静かだな‥‥」
旅人が荷物を背負って道を歩いている。だが、ここは街道から少し離れた古い家。
「あっと‥‥道を間違えたかな?」
周囲を見回し、荷物を確認し、男は家を離れて行った。近くの木々が、微かに揺れるが‥‥動かない。
「見張りは、二人ってところか?」
男は呟き、家を見る。あそこから、今、音はしない。沈黙の工房から彼、長渡泰斗(ea1984)はそっと離れた。
ブレンダン商会の工房はざわめいていた。
「急げ! 一日も早く織り上げるのだ!」
染色工房の隣に開かれた工房で、男が職人達に声を荒げて命じているのが聞こえる。
「ダメだ、ダメだ! こんなものでは売り物にはならん! やりなおせ!」
目の粗さに、糸の選びに、筬の運びに、職人の一挙一足に目を光らせているようだ。時折、布を裂くような音も聞こえる。
「今回の依頼は、貴族の方にお届けする為のものだ。この地方にタピスリーを知らせる最初のもの。これが、今後の商会の全てを決めるのだと、覚悟してやれ!」
職人は口答えせずに、また織り機に向かう。急いで。でも、質を落とすな。
今まで多作多売の為に誇りを失った織りしかできなかったことを考えれば、職人としてはこの仕事は決して嫌な仕事ではない。だが、彼らにはブレンダンがイメージし、織り師として作りたいイメージを形にする技術が欠けていた。それを持つ前に荒い仕事を余儀なくされた。若い職人達は研鑽の暇すらない。
「こんな時、メルジャンさんや、リュシアンさんがいてくれたらなあ‥‥」
そんな思いは口に出すことができない。ブレンダンの前で二人の名が禁句であることはわかっているのだから。彼らは織りに戻る。沈黙して糸に向かう。
「ここでは、少なくともなさそうですね」
氷室明(ea3266)はブレンダン工房の横を通り過ぎた。ブレンダンが本気でタピスリーを織っている。その事の意味を頭の端で考えながら‥‥。
貴族達の集うサロンでは、穏やかな音楽と共に優雅な会話がそこかしこに広がる。
自慢話、という。
「そういえば、ご存知? 最近タピスリーと言う織物が流行しているそうですわ」
婦人の口から紡がれた聞きなれない言葉に、周囲の女性達も興味の眼差しを示す。
「タピスリー、ですの?」
「ええ、織りで絵を描く技術だそうですわ。縦糸と横糸だけで作られたとは思えない精緻なものができるそうですのよ」
「それは、素晴らしいですわ。奥様はお持ちですの?」
友人の言葉にええ、と婦人は頷く。
「今、この街唯一の工房に、オリジナルを依頼しておりますの。もうじき完成予定ですのよ。完成の暁にはぜひ、皆さんにもご披露いたしますわ」
ホホホホホ‥‥。周囲の賞賛の目が婦人をうきうきとした気持ちにさせる。人の持っていない素晴らしいものを誰よりも最初に持つ。その優越感こそが貴族の喜び‥‥。
「モチーフはどのようなものなのですか? せっかくの作品でしたらモチーフの指定もされたほうが宜しいのでは?」
逞しい銀の髪の貴族はワインを傾けながら微笑んだ。
「モチーフ‥‥そうですわね」
「その工房。ご婦人のお目にかなった以上技術は確かでしょうが、やはり職人任せでは何か問題が起こってしまうこともあるでしょうしね」
ふむ、と婦人は考えた顔をする。
「貴方は、そのようなことにお詳しいの? 良ければお話を聞かせて頂けませんこと?」
(「かかった!」)
心で思いながらも、表面には出さない。
「喜んで‥‥」
カイザード・フォーリア(ea3693)は優雅に婦人の手を取り、キスをした。
●天使、舞い降りて‥‥
(「大丈夫、なのだろうか?」)
かすかな心配を胸に抱いて父親は牧場に戻ってきた。
「どうじゃったかの?」
牧場の犬達が心配そうに足に絡みつく。それを腕に抱きながらヴェガ・キュアノス(ea7463)は主人に向かって微笑みかける。
「あいつは、相変わらずだ。エレを探し出す気も無いらしい」
言いながら、ヴェガは頷く。仕草は手紙は渡した。解ったと言っていた。と答える。
「タピスリーは、どうだった?」
牧場の娘のようにエレの代わりに働いていたティアイエル・エルトファーム(ea0324)は心配そうに尋ねる。
「それだけ根を詰めていれば、完成は間近じゃろうな」
「ああ、明日の昼には完成する、とか言っていた。その足で出掛けるとか言っていたが‥‥」
心配、と顔に書いてある。娘と、甥。二人の命と未来が今危ういのだ‥‥。
「娘は、大丈夫なのだろうか‥‥」
「イワノフが、調べているようじゃ、大事無いじゃろう」
あくまで父親が頼んだ娘の捜索としてイワノフ・クリームリン(ea5753)を始め、何人かの冒険者達も動いている。
表向きだけではなく、裏からも。
「信じて、心と身体を整え、待つことじゃ。それが、今そなたにできる、一番のことじゃと思うぞ‥‥」
ヴェガは微笑みながら、抱いていた犬をそっと彼に渡す。
ぺろり、舐められた舌の感触は柔らかく、素直に頷く力を彼に与えてくれていた。
スカートを大きく翻し、大股開きで歩いてくる女性に、リセット・マーベリック(ea7400)は全速力で駆け寄り、腕を路地の裏へと引き、
「ちょっと、伝助さん! その格好でその歩き方は拙いですって!」
「あ〜、すんません。店をおん出たらちょいと、気ぃ抜けちまったみたいで‥‥」
以心伝助(ea4744)はそう言ってぽりぽりと頭を掻く。もともとこういう格好は好きでやっているわけではない。仕事第一と思うから、私情と恥を横に置いてやっているのだ。
「で、どうでしたか? 商会の様子は‥‥」
「ん〜、それがどうもねえ〜。なんだかはっきりしねぇんでやんすよ。あそこにいると、確証は得られなかったっす」
囁かれた問いに伝助は答える。
まず、自警団の詰め所に行って、捕らえた男に雇い主のことや、商会内部のことを聞いてみる。だが、これは大した成果は得られなかった。元よりブレンダン商会に深く関わっているわけではない、雇われのごろつきのようだから、これはまあ仕方あるまい。
構成員や仲間についても、なかなか口を割ることはしてくれなかった。
「これを持っていって下さいな。なにか、尋問のお役に立つかもしれませんわ‥‥」
エスト・エストリア(ea6855)が持たせてくれた石と木の枝が何故か妙に役立つ。
「とりあえず、あいつらの潜伏場所については聞き出せやした。それについては他の人たちに伝えておきやしたから」
街の中の調査に当たっているディアルト・ヘレス(ea2181)やフランク・マッカラン(ea1690)、李風龍(ea5808)らが動いている。
そしてレオニール・グリューネバーグ(ea7211)が犯人の監視とさらなる尋問に当たってくれているはずだ。
「最後に、ブレンダン商会の店に行ってみやした。でもねえ、なんとなく、あそこにいるとは思えないんですよ。だって、普通、お客がいる店に誘拐した女の子連れ込みます?」
従業員も笑顔、店のお客達も楽しげで‥‥変化は何も見られなかった。
「近頃工房の方に篭ってるっていうブレンダンがいない分、いつもより、活気がありやしたよ。だから‥‥」
無論、地下やその他別の場所にいないという確証までは無い。
「あと、この間見たご婦人? あれが、なんだか発注訂正とやらで来ていて、急に慌しくなったので抜けてきやしたけど‥‥」
「そうですか‥‥じゃあ、皆さんに相談してみましょうか。取引はもう今夜のはずですし」
「それが、いいかもしれないっすね」
とりあえず、二人の女性は静かに路地を離れて行った。
「まさか、このような強硬な手段に出るとは、思いませんでしたわ」
ルメリア・アドミナル(ea8594)は誰にも聞こえないほどの小さな呟きで微かに息を吐いた。
「商売を商う上で、誘拐の発覚は致命的ですのに‥‥」
よほどの覚悟があるのだろうか? 目の前の人物を追いながらルメリアは考えを巡らせる。タピスリーの完成を確認し、リュシアンの家に張り付いていた男達は町に戻ろうとしている。
もう監視はいないだろうが、泰斗が付いているからリュシアンの心配は無いだろう。そう思って彼女は一足先に街に戻ってきたのだ。彼らはブレンダン工房にも、商会の直営店にも行かず、郊外の小さな家に入って行く。周囲の様子を伺いながら‥‥。
「ここが‥‥彼らのアジトでしょうか‥‥。きゃあっ!」
いきなり背後から伸びた手にルメリアは口を押さえられた。
「シッ! 大丈夫だと思うけど、声出さないで!」
聞き覚えのある声にルメリアは従う。目を開きなおすと、そこにティアイエルとディアルト。
「ごめんなさい。静かに様子を見るつもりでしたのに‥‥」
「お帰りなさい。ルメリアさんが、戻ってきたってことは、やっぱりここだね。ディアルトさん」
「そのようだな。‥‥皆を集める。手伝ってくれ」
「OK!」
駆け出したティオの背中と、小さな家、二つを見比べながら‥‥ルメリアは小さく息を飲み込んだ。
直営店から、工房へ人が走る。
「何だ? この忙しいのに!」
職人達の目を避け、使者はひそひそと主に耳打ちをする。
「モチーフの変更? 天使の絵柄だと! 仕方ない‥‥奴らに知らせるのだ!」
苛立った目は黒い光を帯びて‥‥やがて工房からまた人が走り出し
「モチーフの変更ですか?」
職人達は問う。
「‥‥いや、‥‥もういい。いつもの仕事に戻れ」
「は?」
「くそ‥‥一体、どこまで邪魔を。技術などもういらん、あいつさえ、いなくなれば‥‥そう、思ったのに‥‥」
怪訝な顔の職人達は、ぎりりと歯軋りをする主の形相をただ、眺めていた。
●潜入、奪還、そして‥‥
「動いた! 今、人が出て行くよ」
物陰から、注意深く様子を伺っていたセルフィー・リュシフール(ea1333)が低い声を上げる。
「1、2‥‥4人。出て行ったのは4人。エレさんは‥‥いないみたい」
「ならば、彼女はまだ家の中だな」
「彼女をとりあえず、リュシアンさんの目の前で人質にする気は無いみたい‥‥だね」
「でも、交渉決裂したらエレさんの口を封じ、全てを無かった事にするつもりかも知れませんわ」
「早く、エレさんを助けないと!」
焦るセルフィーを、ルメリアがまあまあ、と押さえる。
「今なら、まだ大丈夫。彼らの目的が何にしろ、交渉が失敗した時、再度脅すためにもエレさんの命は、必要ですわ」
「向こうに行ったのが4人なら多分、あいつらはリュシアンを守りきれるだろう。向こうが安心して戦えるように‥‥こっちはエレの救出を急ごう」
風龍の言葉に冒険者達の目が頷くように輝いた。ここ数日、敵の数、様子をしっかりと調べていたディアルトは仲間に家の様子と敵の数を素早く知らせる。
「中にいるのはおそらく数名だ。だが、エレを人質に取られたら拙いことになる。一気に行くぞ! GO!」
掛け声と同時に、冒険者達は行動をかける。フランクが扉を抑え、ティオとセルフィー、二人が身軽に部屋の中へ飛び込んだ。
「エレさんを誘拐するなんて許せない!」
「この溜まりに溜まった怒りのエネルギーを受けてみな!」
二人の身体が緑と青に輝くと同時、異変に気付いて剣を握り締めた男の一人は氷の彫像となり、一人は魔法に利き腕を射抜かれた。
「鉄よ時を越え、その姿を失え‥‥」
取り落とされた剣を拾おうと伸びる手より早く先に拾い上げたルメリアの手で、赤黒い錆の塊に変わり‥‥音を立てて崩れ落ちて行く。
「こう見えても、私も、怒っているんですよ」
「何事だ!」
物音を聞いて奥の部屋から人が出てくる。剣を帯びたその男を一切の遠慮なしに風龍は踏み込みざまダブルアタックを腹に向けて打ち込んだ。
「ぐあっ!!」
鈍い声を立てて膝を付く男を蹴り飛ばして、ティオとセルフィーは奥へと飛び込んだ。
奥には見張りが一人、横に鍵のかかった部屋がある‥‥。
「エレさんは、あそこ?」
その時だ。
「やめて! 助けて!!」
布を引き裂くように高い、助けを求める声。
「「エレさん!」」
ティオは扉に向けて、全力のストームをかけ。前にいた男ごと、扉は中に向けて吹き飛んだ。タイミングを合わせて中に飛び込んだセルフィーは視線の先のものを見たとき、自分の中で何かが切れる音がしたという。
遅れて中を見たティオは一瞬立ち止まり、そしてセルフィーの顔を見た。怒るのも無理は無い。そこにあったのは、ベッドの上で、今まさに、迫られ‥‥襲われようとしている少女の姿。
「こ〜ん〜〜の〜、外道!!」
「エレさん、避けて!」
扉解放の衝撃で、自らを捕らえる力は弱まっている。全力でその手を振り切るとエレはティオに委ねるべく体を飛ばす。
その刹那、彼女の横を氷の吹雪が駆け抜けていった。
壁に扉と共に縫い付けられたような男、全身を氷で包まれ、貼り付けられた男。少し遅れて部屋に入った冒険者達は少女達の怒りにほんの少し背筋を凍らせながらも、身体を震わせるエレを見つめて小さく微笑み。
「無事でよかったよ。エレさ〜ん!!」
エレを受け止めたティオは力いっぱい、その肩を抱きしめた。手のぬくもりが少女の振るえを少しずつ溶かして行く。
「大丈夫か?」
風龍はそっと自分のローブをエレの肩に落とす。大きなローブは破れかけた服を隠し震える肩を包み込んでくれる。
「助けに来てくださって、ありがとうございます」
「辛いでしょうけど、立てますか? リュシアンさんを助けにいかないと‥‥」
ルメリアの促しにエレは気丈にも自分の足で、力で、立ち上がった。
「大丈夫です。早く、リュシアンのところに‥‥」
「よし、行くぞ!」
「‥‥待って!」
倒した敵を縛り上げたディアルトにまだ、敵を睨みつけていたセルフィーが声をかけた。
「少しだけ‥‥待って。逃げられたら、困るもんね‥‥フフフフ‥‥」
それから、暫くの後彼らはその場を後にした。彼女の怒りをその身体に刻んだ男達を残して‥‥。
岬には人影が無く、古い廃材や、人気の無い船が周囲に転がっている。自分を照らすのは月明かりと、小さなカンテラだけ。リュシアンは、空を見上げたあと、足元に包み置いてある二本のタピスリーに視線を移す。
(「どのくらいの時間が立ったんだろう。エレは、無事だろうか?」)
ふと、海と反対の方から炎が揺れるのが見えた。
身を硬くするリュシアンに、やがて近づいてきた人影は、男達となって彼から少し離れたところに立ち止まり
「約束のものを、持ってきたんだろうな?」
「ああ、ここにある。だから、エレを返せ!」
「まずは、品物を確かめてからだ。品物を置いたまま、海に向かって下がれ!」
言われたとおり、リュシアンはタピスリーの包みを、置いて背後に向けて下がった。
彼の足の後退と同時に前に進んだ男は、注意深く梱包を解いて一本目を軽く見やって閉じたあと、もう一本を広げ、笑みを浮かべる。
「あったぜ、天使の‥‥っていうのが」
「よし‥‥。早くもってこい」
二本のタピスリーを抱いて、男はリーダーらしい男の下に戻った。
「約束は、守ったぞ。エレを返せ!」
「まあ、慌てるな。まだ、お前にはやってもらわなければならないことがある。それが終わったらエレはお前のところに帰るだろうよ」
「何を、しろって言うんだ?」
数歩、前に戻ったリュシアンに向けてリーダーの男は首をしゃくる。
「死ね!」
同時に男が一人、剣を握り締め踏み込んでくる。
「うわあっ!」
思わず目を閉じる。その時だ。
ガキン! 鈍い音がした。リュシアンは顔を上げる。
「あ、貴方は‥‥」
「まさか、ここまで直線的に貴方を狙ってくるとはね。予想が大分違ってしまいましたよ!」
日本刀で太刀筋を受け流し、明はリュシアンを背後に庇った。
「大丈夫か?」
周囲に転がっていた舟や廃材は安来葉月と明がこの時の為に、用意しておいたもの。
砂を払いながら同じように隠れていた泰斗も駆け寄り、明の隣を固める。
「大人しく、縛に付いたほうが身の為ですよ」
「現場と、悪事は見届けた。もう逃げられん!」
「ほざけ! 二人増えたところで、皆殺せば何の問題も無いわ! やれ!」
「二人では、無いとしたらどうじゃ?」
再び剣を振り上げた男に、二人の侍は刀で応じなかった。そこに現れた三人目。ヴェガの言葉が終わらないうちに男の身体は、刀を上げたまま静止した。
彼女のか弱い足払い一つで、倒れる。
「これで、3対4、互角以上じゃなあ」
余裕の笑みを浮かべるヴェガに、明らかに焦った表情で男は怒鳴った。
「こっちには、人質がいるんだぞ! 俺達が戻らなければ人質の命は‥‥」
「どっちみち、人質の命も奪うつもりだったのだろう? 非道な奴らめ!」
今度は、背後からの声。男は振り返った。さっきまで気が付かなかったのに、そこには鋭く自分達を見つめ射抜く、イワノフの巨体があった。
「お、お前は‥‥」
男の一人が声を上げる。酒場でエレを捜していた冒険者。魔物がどうのと見当はずれな事を言っていたので気にも留めていなかったのに。
「そうだろうと、お前達は俺達を返すしかない。さあ、そこを退け!」
「その必要は無いぜ!」
今度は、その海辺にいた全員が声をそちらに向ける。イワノフは気付いていたようだ。近づいてくる彼らに。
「リュシアン!」
「エレ!」
涼やかな声と、激しい炎のような声が、姿よりも先に抱き合った。また闇夜の中、お互いの姿は遠い。だが、その場に確かにお互いの存在がいると確信を持つ。
「人質は助け出した。もう、お前達に切り札は無い!」
「く、くそお!!」
破れかぶれだったのだろう。必死の形相で、男の一人は一番手近のイワノフに切りかかろうとする。
もう一人は、まだ人の少なく見えた海辺の明達の方へ。
だが、その身体は翻されたマントに包まれ‥‥日本刀の柄を腹にめり込まされ、砂に埋もれたままの仲間の隣に崩れ落ちる。
そして‥‥イワノフのメタルロッドの一閃が男の剣を吹き飛ばし、腕を砕いた時、その場の男達から抵抗は消えうせた。最後の一人は、タピスリーを抱えたまま、震えるばかり。
「リュシアン!」
「エレ!」
砂の上を二つの思いが駆けた。隔てる者はいない。冒険者達も道を空けた。
監禁で足の力を奪われていたエレが、よろめく。一週間、ほとんど不眠不休で働き続けていたリュシアンの身体も傾く。
お互いの手が触れたのを確かめるように、二人は砂に同時に膝を付き。
「無事で‥‥良かった。本当に‥‥」
「リュシアン‥‥。ありがとう。私を、助けてくれて‥‥」
「俺は、何もしてない。君を助けてくれたのは、冒険者だ」
「いいえ、貴方のおかげよ‥‥。リュシアン。私、解ったの。貴方のことが好き。‥‥一緒に、いさせて」
「‥‥俺も、解った。君を愛してる。どうか、側にいてくれ。もう離れないでくれ。僕の‥‥天使」
月明かりが二人を照らす。セルフィーは、震えるうらなりの男から、二本のタピスリーを取り返していた。見事なタピスリーの天使よりも、もっと美しい光景がそこにあることを彼女は悟る。
そして、その光景をこの場にいられなかった仲間にも、見せてあげたかった、と心から思っていた。
「やっぱり、こっちにはいないみたいっすね‥‥、あっと、でも、いいもの見っけ!」
「見事に、静かで空っぽ。でも、このまま引き下がるのも‥‥つまりませんねえ〜」
「この様な事はぜーったいに許せませんしねぇ。ふふふふふ」
「火事だああ!!」
夜更け、ブレンダン商会の直営店から、そんな叫び声が上がった。火事は周囲の大問題。わらわらと、人が集まってくる。だが、そこに火は無く、ただ、幾枚もの羊皮紙が散らばるのみ。
「何だ? これ?」
「うわあっ、ひでえな!」
「この店、こんなことやってたの?」
夜更けに広がったその波紋は、翌朝までに街中に知れ渡っていた。
たった、一人を除いて。
●心、篭ったタピスリー
タピスリーを改める。
そう言って部屋を出たサクス家の奥方が、部屋に戻ってきたのはリュシアンと、付き添いのティオがタピスリーを届けに来て数刻後、のことだった。
「タピスリーを、拝見させて頂きました。ご苦労でした。想像以上です」
今までの値踏みするような表情から、軽やかな笑顔に変わった婦人の言葉に、リュシアンは大きく息を吐く。
それは、自分の技が、認められた瞬間でもあったからだ。
「正直、今ひとつ、と思ったところもあります。海賊退治の描写は見事でしたが、我が子の顔はあまり似ておりませんでしたから。まあ、これは子の姿を見せていなかった私にも責任はありますし‥‥」
そう言って彼女はさらに明るく笑う。今度があれば、ちゃんと息子にモデルをさせよう、とも言って。
「貴方‥‥何を思ってあのタピスリーを織りました?」
「えっ?」
突然の言葉に言いよどむリュシアンに、ティオは不安げな目を向けた。心配だったことがある。タピスリーを織る間、彼の心には不安や恐れ、そして焦りがあったはず。
作品はココロを映し出す鏡。どんな風に仕上がっているのだろう。と。
「‥‥大切な人を、助けたい。守りたい。どうか‥‥。愛する者の為に‥‥と」
「貴方の、その気持ちがタピスリーに現れていたようです。息子もまた、海賊退治に向かったのは愛する者の為。あの子に相応しい宝となるでしょう‥‥‥」
「あの! 失礼を承知で見せて頂けませんか? その、タピスリーを!」
無礼な願いであったろうが、婦人は手招きしてティオを隣室に呼ぶ。そこに広げられたタピスリーには、一面に広がる水面、ゆれさえも感じさせる舟の上、敵にまっすぐな瞳を向ける勇者達が描かれていた。
強い、勇気を秘めた顔、瞳。ティアイエルはそこに、全く似ていない勇者の顔に、自分の良く知っている細指の勇者の面影を見たような気がした。
アレクス卿はリュシアンの、使者として訪れたカイザードとヴェガを鷹揚に迎えた。二人はタピスリーを見る卿の表情に、成功を確信する。
果たしてそのとおり、卿は満足した。言い値で引き取ろうと、滅多に見ない笑顔を見せて、
「ご満足いただけたようで何よりでございます。さて、卿、そこで一つ、ご提案があるのですが‥‥」
「街からこの織り手を失う事は卿にとっても大きな損失となろう。何とぞ善きお計らいを‥‥」
ふむ、と頷いて彼は二人の話に耳を傾ける。それは、誰にとっても悪くない提案だ、と思えた。
たった、一人を除いて‥‥。
そのたった一人。翌朝、やってこない職人に苛立ち工房で足を鳴らしていたブレンダンは直営店からやってきた部下に事情を告げられた。
「な、なんだと!」
たった一晩でいくつも重なった、とんでもない事情を。第一に、エレを捕らえていた者達が、何者かによって捕まり。エレは家に帰り、リュシアンも無事。捕まった者達は自警団に突き出された。
「その中には‥‥タピスリーの運搬を命じた、我が店のものも‥‥」
「そんなことは、知らん。いいか? 誘拐などを企んだのは我々ではない。店の者が勝手にやったのだ。それで、いい!」
青ざめた顔で、ブレンダンはそう指示するが、さらに次の報告でその青は完全に血の気が引いた、白に変わる。
「リュシアンは、朝一番に、アレクス卿と、サクス家にタピスリーを納品したということです。この点を聞き及んだと言って、発注は取り消され‥‥賠償をと」
誰も持っていないからこそ、最初に持つのが価値がある。貴族の虚栄心を煽って受けた発注だけに、先に納品が為されてしまっていたら、もう意味が無い。
「そ、それは‥‥、代金の返却と‥‥より優れたタピスリーをこれから織り直す‥‥と」
だが、部下は首を降る。織り直しはおろか代金の返却さえも、もうままなりはしない。とその第三の理由と共に。店に泥棒が入り、中にあった様々な書類を近所周辺に撒き散らしていったと。
「借金の偽造証文や、商品の原価表、それから、脱税の裏帳簿。それには、ごろつきどもを雇ったときの金額も‥‥」
「な、何故? そのようなことが‥‥」
店の周囲には、抗議の声や、自警団が集まっている。こちらに来るのも、時間の問題だろう。織り師達、店の従業員達も皆、店を辞めると言っていった。
「私も、このご報告を最後にお暇させて頂きます。これ以上、お付き合いしては身の破滅だ」
「ま、待て! あいつさえ、いなければこの店が、この工房が街一番だ。いくらでも金が稼げるんだぞ。おい!!」
最後のお辞儀をして、最後の部下が去って行った。ブレンダンに残されたのは、孤独と迫り来る、追求の足音だけ。
「何故だ? どうしてだ!!」
彼の叫びに答えてくれる者は誰もいなかった。
「と、いうわけだ。此度の事件解決に協力して下さった方の注文をお願い出来るだろうか?」
気遣うように頭を下げるカイザードに、勿論、とリュシアンは微笑む。三枚目のタピスリーの発注に、腕がなると嬉しそうに。
「もう、まだ無茶をしちゃだめよ。身体、完全に治ってはいないんだから」
困り顔で諌めるエレの表情は、もうすっかり若妻で、冒険者達の笑みを誘う。
「職人としての腕も、認められてきたし、なんだか弟子みたいな人も来たんでしょ? そろそろ結婚してもいいんじゃない?」
からかうような口調でセルフィーはリュシアンの顔を覗き込んだ。ブレンダン工房にいた、かつての同僚がもう一度一緒にやり直したい、と声をかけてきたのだそうだ。
アレクス卿とサクス家の後援もあって、近いうちに新たな工房を作れそうな見込みも出てきた。
「あ‥‥。叔父さんも許してくれたし、近いうちに‥‥その」
「式を‥‥今度挙げるつもりです」
顔を赤らめた二人にひゅう、と風龍は口笛を鳴らし。
「あら、それはいいことですわね」
「リュシアン工房と、結婚。どちらも自分で成し遂げましたか‥‥」
エストとリセットはずっと見てきた二人に、感慨深く微笑む。
「お式には呼んで下さいましね! 何があっても行くでやんすよ」
サインを切った伝助に、さらに顔を赤くして頷く。
幸せそうな二人、その笑顔を守れた事を冒険者達は、嬉しく思っていた。
‥‥それが、何よりの報酬だと。
リュシアンの織り機には、今、一枚のタピスリーが織りかけられていた。
エレを助けてもらった次の日に、糸をかけた、本当の意味での三枚目。まだ、その絵が何を表しているのかは、見えてはいない‥‥。