マチルド農園繁盛記10

■シリーズシナリオ


担当:マレーア

対応レベル:9〜15lv

難易度:易しい

成功報酬:4 G 50 C

参加人数:9人

サポート参加人数:1人

冒険期間:01月05日〜01月10日

リプレイ公開日:2006年01月12日

●オープニング

 海賊の首魁にしてマレシャルの宿敵、海蛇公ハイドランはマレシャルの刃に倒れた。海賊との長き戦いは、ここに終止符を打たれたのだ。
 海賊団『海蛇の牙』の最後の拠点である岩島を制圧したマレシャルと冒険者たちは、岩島をくまなく調べ上げた。その過程で、島の地下牢に監禁されていた一人の男を発見。男はバルディエ辺境伯に縁ある者で、拷問によって瀕死の状態にあったものの、冒険者たちの手厚い介護を受けて無事に回復した。
 こうして、一人の男の命という大きな宝を手にすることができたマレシャルだが、岩島に貯め込まれていたはずの金銀財宝の類は、見事な程に何一つ残されていなかった。
「我らの命運ここに尽きたり。なれば我ら、虜囚となりて処刑場へ引かれ行くよりは、戦いによる死を選ぶ。──というわけで、首魁もその手下達も、死を覚悟して戦いに臨んだのでしょうな。残されていた宝も、むざむざ敵の手に奪われるよりはというわけで、海の底に沈めてしまったとみえる。いや勿体ない」
 これは、岩島の調査に同行した『減らず口のジョー』の言葉。そういうわけでマレシャルの手にした戦利品は、首魁との一騎打ちに望んだ部屋に飾られていた、銀の十字架のみとなった。

 最後の戦いの後の何日かは、ドレスタット領主エイリーク辺境伯との謁見や官憲への報告など、事後処理で慌ただしく過ぎていった。その忙しさも一段落すると、マレシャルはセシール・ド・シャンプランの屋敷を訪れた。かねての約束通り、マレシャルの戦勝を祝って盛大な祝賀会が行われる運びとなっていたが、その事前の挨拶のためである。
「よく帰ってきたね、マレシャルや。私は必ず、おまえが勝つものと信じていたよ」
 大手柄をたてたマレシャルがあたかも自分の孫であるかのように、親しみ深く接するセシール。マレシャルはその姿に温かいものを感じつつも、警戒を疎かにすることはなかった。なにせ目の前の相手は、貴族の世界に住む人間である。
「有り難う御座います、セシール様。ですが、私は次なる戦いに備えねばなりません。今日はその戦場の下見にやって参りました」
 その言葉には、かつて自分を冷たくあしらった貴族連中に対しての皮肉も幾らかは含まれていた。が、それを聞いてセシールは大笑い。
「剣の技量だけではなく、言葉という武器の使い方もうまくなったものだね。その分なら宴卓での戦いでも、大勝利間違いなしだよ」
 言ってセシールは侍女の一人を手招きして、招待客の名簿を読み上げさせる。祝賀会の主宰者であるマルク・ド・ブロンデルとその父ブノワ、マルクの妻のエレーヌ、並びに高名なる貴族や名士の面々。しかしその中に、貴族グラヴィエールの名は無い。
「グラヴィエール様からは言伝を承っておりますわ。『先の『グリフォンの鼻』岬沖で私の命を救って頂いたマレシャル殿に、篤く感謝申し上げます。本来ならこの私が真っ先にマレシャル殿の勝利を祝わねばならぬところですが、今はあの海賊事件の後始末に追われる身。祝賀会への不参加を、なにとぞお許し下さい』とのことです」
 そう伝えてから侍女は、マレシャルにひそひそと耳打ちする。
「ここだけの話ですけど、あのグラヴィエールって奴には今や少なからぬ方々が、疑いの目を向けていますの。そういうわけでセシール様とマルク様との間で打ち合わせて、あの胡散臭い男が祝賀会に来れないよう、裏で手を打っておきましたの」
 思わず安堵の吐息を漏らすマレシャル。海賊に勝利を収めた後も、一連の事件の黒幕の一人であろうグラヴィエールのことが気がかりだったのだが、祝賀会であの顔を見ずに済むというだけで心は大いに軽くなった。そしてセシールに感謝の言葉を贈る。
「お心遣い、有り難う御座います。これで私も安心して、共に戦った冒険者たちを、そして何よりも婚約者のマチルドをこの祝賀会に招くことが出来ます」
 その言葉にセシールもにっこり笑う。
「そういうわけで、マチルドとお仲間さんの冒険者たちと共に、祝賀会を存分に楽しんでおくれ」

 セシールの屋敷を辞した後、マレシャルはふと思い出す。事件に巻き込まれたブロンデル家の小間使い、アンナの保護されている教会がこの近くにあることに。
 そういえば、今までの私は戦うことだけで頭が一杯。アンナのことを気遣う余裕も無かった。今はアンナに対する疑いも晴れた身。あの教会の司祭殿にも挨拶をせねば。──マレシャルはそう思い立ち、教会に足を向けた。
 出迎えた司祭はマレシャルを温かく迎え、長きに渡った海賊との戦いでの労を労った。マレシャルがアンナのことを訪ねると、最初にここに来た日に比べれば、だいぶ良くなったと答えが帰ってきた。
「じゃが失踪した思い人、すなわちお腹の子どもの父親のことが、未だに大きな心の重荷となっておるようじゃ。無理もなかろうが‥‥」
「ブロンデル家からは何か言ってきましたか?」
「そのことじゃが、冒険者の中にも色々と気を回してくれた者がおってな。その取りなしのお陰で、ブロンデル家からは次のような返事を戴くことができた。『当家で働きながら小間使いのアンナを身籠もらせ、今は失踪中の御者については、何ら処罰を下さない訳にはいかない。しかしその御者が改悛の情を見せ、その不始末に対しての責任を負うならば、アンナとその子の益となるよう、然るべき取り計らいを為す』とな。しかしその御者が姿を現さんことにはどうにもならぬな。自分のしでかした不始末がこれだけの大騒ぎになっては、表に出るに出られぬのじゃろうがな」
「ならばその御者、このマレシャルが隠れ家から引きずり出し、ここに引っ張って参りましょう。何、居場所は既に分かっています。海賊退治に比べたら、容易い仕事です」
「うむ」
 老司祭は頷き、その顔に暖かな微笑みが浮かぶ。
「その仕事、そなたに任せたぞ。御者が見つかったら、アンナも連れてブロンデル家へ参ろう。わしも一緒じゃ」

 所変わって、サクス領のマチルド農園。マチルドはシャンプラン家に仕える家政婦長ミゼットの訪問を受けていた。ミゼットには同行者が二人。ドレスタットでも指折りの、腕のいい仕立屋である。
「私のためにドレスを2着も!?」
 祝賀会に出席するマチルドのために特製のドレスを、さらに結婚式のためにウエディングドレスを贈ろうというシャンプラン家からの申し出に、マチルドは受け入れていいものか一瞬迷ったが、タンゴが言葉で後押しした。
「とても名誉なことですわ。ぜひともお受け取りなさい。勿論、このご恩に報いることも忘れずにね。セシール様とは、これからも長いおつき合いになるのですから」
 有り難う御座いますと、お礼の言葉と共にマチルドが受諾すると、仕立屋の寸法取りが始まった。貴族御用達の仕立屋だけあって、態度は慇懃、仕事運びもてきぱきしている。
「それではマチルド様、祝賀会と結婚式を楽しみにしていて下さいな」
 ミゼットはにっこり笑い、優雅にお辞儀。
 マチルドが待ちに待ったその日は、もうそばまで来ている。

●今回の参加者

 ea0901 御蔵 忠司(30歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea1544 鳳 飛牙(27歳・♂・武道家・人間・華仙教大国)
 ea1683 テュール・ヘインツ(21歳・♂・ジプシー・パラ・ノルマン王国)
 ea3000 ジェイラン・マルフィー(26歳・♂・ウィザード・人間・ビザンチン帝国)
 ea3446 ローシュ・フラーム(58歳・♂・ファイター・ドワーフ・ノルマン王国)
 ea5068 カシム・キリング(50歳・♂・クレリック・シフール・ノルマン王国)
 ea5297 利賀桐 まくる(20歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea6930 ウルフ・ビッグムーン(38歳・♂・レンジャー・ドワーフ・インドゥーラ国)
 ea7906 ボルト・レイヴン(54歳・♂・クレリック・人間・フランク王国)

●サポート参加者

イェール・キャスター(eb0815

●リプレイ本文

●農園にて食事会
 やっと、やっとここまできた。とうとうきた、と言うべきか。
 思えば長い月日とたくさんの苦労があった気もするが、一瞬のうちの出来事だったような気もする。
 それはマチルドだけでなく、共に過ごしてきた冒険者達も同じ思いであって‥‥。
 農園に戻ってしばらく、一同は言葉もなく一つの部屋でそれぞれの感慨にふけっていた。本当に大変なのはこれからなのだが、今くらいこうしていてもいいだろう。
 満たされた沈黙を破ったのは鳳飛牙(ea1544)だった。
「さぁ‥‥」
 言いかけたところで小気味良い音を立ててスリッパではたかれる飛牙。頭を抱え、うめく。
「ぐぉぉぉ〜‥‥まだ何も言ってねぇー!」
 とうとう彼のお約束もここまできた。極めた、と言っていいだろう。
 そしてスリッパの人、タンゴは悪びれもせずチラッと舌を見せる。
「あらあら、ごめんなさいねん。つい条件反射で」
「つい、ってどういう意味だコラ」
 その飛牙が言いかけたこととは、農園の奉公人見習い達も呼んで皆で婚前祝いをしよう、ということだった。
 当然、反対する者はいない。
 さっそく飛牙やテュール・ヘインツ(ea1683)らが呼びに出て行く。
 台所にはカシム・キリング(ea5068)、ウルフ・ビッグムーン(ea6930)にボルト・レイヴン(ea7906)が立ち、さらにマチルドも加わって賑やかに準備が開始された。
 奉公人見習い達も全員がそろい、充分すぎるほどの料理が広いテーブルに幾皿も並べられると、まずカシムが祝いの言葉を贈った。
「とうとうここまで来たのぅ‥‥。真っ直ぐな男と清らかな女が出会う。おとぎ話ならそれでめでたしめでたしだろうが、実際はそれから試練がはじまる。もう気付いていると思うが、『試練』とは神の恩寵じゃ。『試練』を乗り越える日々に幸福がある。いや、『試練』を乗り越える日々こそが幸福なのじゃ」
 穏やかに見つめ返すマチルドの目は、カシムの言葉を充分理解している目だった。
「乾杯」
 というカシムの音頭と共にグラスが鳴る。
 それからは、皆ではじめてこの農園に来た日から順に思い出話を語った。
「一時は破産しかけて大変だったよな」
 ふと遠い目をして呟くジェイラン・マルフィー(ea3000)。隣で何度も頷いている利賀桐まくる(ea5297)。
 ジェイランは視線をマチルドに移す。
「いよいよマチルドさんも‥‥いや、公式の場ではマチルド様と呼んだほうがいいな。‥‥社交界デビューか。海千山千のタヌキやキツネの巣窟だろうけど。傍らには強い絆で結ばれたお人がいるから大丈夫だよな」
 マチルドははにかんだような笑顔を返した。
 つられるようにジェイランも微笑む。
「おいらも祝賀会でへまをしないように気をつけなきゃじゃん」
「じぇいらんくんは‥‥大丈夫‥‥」
 小さく保証したまくるにジェイランは照れ笑いを隠せなかった。
「そういやタンゴさんは、ずっとココに居るのかな? てゆ〜か、ずっとその格好でいるのか」
 飛牙のセリフは最後まで言い切れなかった。音もなく近づいたタンゴに膝蹴りをもらったからである。めでたい日はお約束も二倍になるようだ。サービス精神旺盛。
「で、さっきの質問だけど。多分、私はもうじきスレナスを探す旅に出ることになるわ。この恰好、いつまで続けるかは、スレナスと巡り会えた後でゆっくり考えるわねぇん」
 沈没した飛牙を置き去りに、話題は祝賀会や結婚式へと移った。
「せっかくですからお手伝いしましょう。受付や雑用に使ってください」
 と、御蔵忠司(ea0901)。
 マチルドはそれをありがたく受けた。
 続いてテュールの案でマリアとイーダにフラワーガールをやってもらうことになった。無邪気に喜ぶ二人の少女に、
「マチルドさんの衣装に合ったドレスを着ようね。きっとかわいいよ」
 と、笑いかける。後で、費用は自分が出すよ、とテュールは告げた。
 祝賀会や結婚式には大勢の重要人物が来る、というわけでウルフはついでに営業活動もしてみてはどうか、と言った。
「当然、今回はこちらが招待する側であるし、めでたい席でそのような話をするのも誉められたことではない。あくまでも印象付けといった程度だ。それに農園自体まだまだ小さいしな」
 それでもいつか役に立つ日が来るだろう、とウルフは読んでいる。
 マチルド自身もそのことは考えないでもなかったが、おそらく挨拶だけで手一杯になると予想していたので、この件に関してはウルフに任せることにした。
 まくるはマチアかマリアの新しい奉公先を心配していた。
「もし、二人の就職口をパリで探さなければならないなら‥‥パリのじたにーさんのお店に‥‥伝を願うよ‥‥」
「パリ‥‥さぞや華やかな所なのでしょうね」
 しばし、マチルドは遠い目に。マチルドはまだパリを訪れたことは無い。
「でも、パリで働くとなったら、色々と大変なこともあるでしょうし。まだまだ時間はありますから、ゆっくり考えましょう」
「お店といえば、ロワゾー・バリエのファニィとレニーもいらっしゃるんでしたね。会うのは久しぶりです。ところでマチルドさん、良かったら私を結婚式で司祭様達に加えていただけませんか?」
 ボルトの冠婚葬祭に関する知識はそうとうのものである。きっとよりよい式になるだろう、とマチルドはお願いすることにした。話はマチルドから通すことに決まった。ボルトを見れば否やはないはずである。
 そして最後にこの人。
「行商人氏への恩赦はあるんだろうか」
 ローシュ・フラーム(ea3446)である。行商人のためではなく、今も悲嘆に暮れているであろう残された家族を思っての問いだった。
 マチルドはハッとしてタンゴを見やる。
 タンゴは素っ気なく首を振った。
「そうか‥‥」
 皆、行商人とその家族のことを思い出し、沈んだ空気が流れたが、
「不幸はいつまでも続くものではないし、やがては‥‥。でも今は、彼らの為に祈りましょう」
 そう言ってマチルドは十字を切る。タンゴは何か言いたそうだったが、マチルドに合わせて十字を切った。
 婚前祝いの食事会、マチルドと冒険者仲間たちとの水入らずの一時は、こうして和気あいあいと過ぎていった。食事会が終わると、まくるは遠出の支度。遠い村に住むマチルドのご両親を迎えに行くのである。まずはドレスタットに行き、そこで早い馬車を頼んで、結婚式の行われるサクス領までご両親をお連れするのだ。
「それでは‥‥いってきます」
 ジェイランから借りたフライングブルームに跨ると、まくるはドレスタットに向かって飛んでいった。

●祝賀会
 控え室で祝賀会用のドレスに着替えたマチルドは、深呼吸を繰り返していた。
 大勢の貴族の前で、マレシャルの婚約者として恥ずかしくない振る舞いを完璧にこなさなければならないからだ。何度も鏡を見て、服装に乱れがないか確かめた。以前教えてもらった、貴族相手の会話の仕方も何度も反芻した。
 繰り返す深呼吸で頭がクラクラしそうになった時、ドアがノックされた。
 シャンプラン邸の小間使いと共にカシムがそっと顔をのぞかせた。
「なにか、助けは必要かの?」
 カシムをはじめ、冒険者達はいつもマチルドが心細くなっている時に手を差し伸べてくれる。そのことにマチルドは感謝しつつ、今の心境を正直に話した。
「では、基本からおさらいしようか」
 静かに話すカシムと共に礼儀作法のおさらいをしているうちに、マチルドは呼吸が落ち着いていくのを感じた。

 祝賀会が始まってしまえばマチルドはマレシャルの側を離れることはないので、冒険者達はしばらく自由の身となった。
 飛牙やローシュは積極的に警備を担当し、そのお陰かこれといった問題はひとつとして起こっていない。マレシャル側の冒険者も警備には万全を期しているので、悪さをしたくとも隙がないのである。
 マチルドが立派に振舞っていることを見届けると、カシムはバルディエ卿へと挨拶に行った。
 テュールは裏方として手伝いに参加していた。使用人の使用人といった位置だ。やることはたくさんあった。人を呼びに行ったり、下げられた食器類を洗い新しい料理を盛り付けたり、通路をきれいにしたり。休む間もないとはこのことだった。
 そんな怒涛の時間も過ぎ去り、使用人達にも幾分かの空き時間ができた頃。
 やっとのことで、飛牙はルルを連れ出すことに成功していた。
 本当はもう誰が見ていようと構う気などないのだが、一応辺りに人がいないのを確認すると、咳払いをひとつして話し出した。
「この前の‥‥返事を聞きたいんだ」
 返事を聞くまでは離さない、と飛牙はじっとルルの目を見つめた。
 その頃祝賀会会場では。
「あのぉ‥‥ルルさんがいません」
 最近、お屋敷で働き始めたばかりの幼い小間使が、ルルの姿が見当たらないことに気付いた。しかし、長くお屋敷で働く小間使い達は、既に飛牙とルルの仲を知っているから、今頃どこで何をしているかはとっくにお見通し。
 そんな小間使いの一人が、ふと悪戯心を起こした。
「え!? ルルがいない!? それは大変だわ!」
 周りの小間使い達も、内心でほくそ笑みながらこれに便乗。
「ルルったら、どこに行ったのかしら?」
「もしかして‥‥もしかして‥‥」
「きっと、お客様達の中に変質者が混じっていて」
「そうよ、きっと今頃はどこかに追いつめられているかもしれないわよ!」
 周りでひそひそと交わされる囁き声を聞くうちに、幼い小間使いの顔から血の気が引いていく。
「大変! 早くルルさんを助けなくちゃ!」
 その言葉に、表向き相づちを打つ先輩達。
「冒険者の人達に助けてもらいなさい。私達は今、手が離せないから」
 幼い小間使いが真っ先に助けを求めたのは、冒険者達の中で一番話しかけ易そうなテュール。
「え!? なんでそうなるの!?」
 叫びたいのを必死に抑えるテュール。
「いや、だから‥‥。ルルさんは鳳さんと一緒で、今は鳳さんが男になれるかどうかの大事な時だから、心配しないで」
 と、そこにローシュが外回りから戻ってきた。
 通路で出会ったテュールに、ローシュは血相を変えて詰め寄る。
「ルルという小間使いが不埒者にいたずらされ、自殺しそうというのは本当か」
 一体、誰にそんなこと吹き込まれた!? もはや訂正する気力もなくテュールは壁にもたれかかり、コツンコツンと頭を打ち付けている。
 そしてやっと事の真相を聞いたローシュは盛大にため息をつき、
「まったく、人騒がせな」
 と、呟いた。
 飛牙もまさかこんなことになっているとは思うまい。
 その何も知らない飛牙は、やはり大勢の目に覗かれていた。
 ルル失踪の情報を聞きつけ、ルルがいるならあそこしかないとにらんで集まってきた小間使い達である。

 シーンはお芝居なら最後の見せ場である。
 怖いほど真剣な目を向ける飛牙と、その目から視線をそらしたくともそらせないルル。
 飛牙にとっては、とてつもなく長い十数秒だった。
 ふとルルが一度まばたきをした後、その目が幸せそうに細められた。うるんだ瞳からは今にも涙がこぼれそうである。
「‥‥こんな私で、よかったら」
 飛牙は何も考えられなくなっていた。マチルドのことも何もかもがその瞬間消え去った。
 ただ、腕の中の愛しい人の存在だけを感じていた。
 きつく抱きしめる直前に交わしたやわらかい唇の感触は、生涯忘れないだろう。
 そんな嵐のような気持ちも落ち着いてくると‥‥。
 パチパチパチパチパチパチパチパチ!
 なぜか、今度は盛大な拍手の嵐。
「え!?」
 ここは劇場か!? いや、まさしくその通り!
 周りを見回すと、後は恥ずかしさと照れの現実が二人を取り囲んでいた。
「とうとう、やったわね!」
「おめでとう! ルル!」
 歓声を上げる小間使い達に混じって、テュールとローシュも拍手を送っている。
「後はセシールに許しをもらうだけだな」
 わざと難問を突きつけるように、ローシュが意地悪くニヤリと笑った。
 あれよあれよという間に、飛牙とルルはセシールのところへ引っ張られて行き、話を聞いたセシールは悪戯な魔女のおばあさんのように、にっこり笑う。
「そうかい、それはおめでとう。と、言いたいところだけれど、後のことをしっかり考えておいでかい? 結婚式にかかるお金に、一緒に住む家のためのお金。子どもが出来たら、それを養うのにまたお金がかかる。さてさて、この前途有望な若者がルルと一緒に幸せな家庭を築くのに、どれほどのお金がかかることだろうねぇ?」
 セシールのその言葉を受け、会計担当の小間使いが算板を使って必要経費をはじき出す。
「大まかな計算では、こんなところですわ」
 出された数字を見て、思わず飛牙の口が半開きに。ちょっとやそっとじゃ捻り出せない大金だ。それを見てセシールはくすくす笑い、付け足した。
「これだけのお金を用意できたら、また私のところへおいで。その時にこそ、ルルとの結婚を認めてあげよう」
 飛牙の試練の道はまだまだ続く。いや、悲観することはない。だって、試練は神の恩寵。試練を乗り越える日々こそが幸福なのだから。

 来賓の中にバルディエ卿の姿を認めた忠司は、入れ替わり立ち替わりバルディエとの話に興じる来賓たちの間に何とか割り込み、やっと話す機会を得ることができた。
「機は熟しました。ジャンの領地ですが‥‥結果は、どうですか?」
「そのことで、ジャンから預かってきた物がある」
 バルディエは従者を手招きし、従者は預かってきた大荷物と1枚の書状を忠司に手渡した。
 しばし祝宴の場を離れて荷物を紐解くと、中にはがらくたの山。折れた槍、ボコボコになった鎧、ローマ貴族の紋章の入ったカップや燭台。
「‥‥やはり」
 幾分、落胆の思いを胸にしながらも、忠司は書状に目を通す。領主ジャン手ずからの書状には、まず忠司の資金援助に対する礼の言葉が述べられ、さらに忠司が資金を出した牧場の現状が述べられていた。あれこれ努力を重ね、苦労を乗り越えながらも牧場経営は順調に進んでいるが、1年で借りた金の全てを返すところまではいかなかった。残念ではあるが約束に従い、復興戦争での戦利品を忠司に譲り渡す。手始めに、手荷物として持ち運べる品を贈るので、残りについては我が領地まで取りにこられたし。と、そのような内容が書き連ねられた手紙の終わりは、忠司との再会を楽しみにしているとの言葉で結ばれていた。
 手紙を閉じ、ジャンは遠き地にしばし思いを馳せる。
「1年で駄目なら、もう1年待ってみるか」
 今は懐かしきジャンの領地を訪れる機会があれば、そのことをジャンとゆっくり話し合ってみようと忠司は思った。

●結婚式
 場所は移って翌日のサクス領内の教会。
 祝賀会で覚えた緊張とはまた別の緊張がマチルドを襲う。一生に一度だけの緊張感。
 控え室でウェディングドレスに身を包んだマチルドの側には、テュールの計らいでフラワーガールになったマリアとイーダが別人のようにかわいらしくなったお互いの姿にはしゃいでいた。
「ご立派です‥‥きっと大丈夫ですよ‥‥。皆さんと‥‥がんばってきたことを‥‥信じてください‥‥」
 ベール持ちのまくるが癒すような微笑みをマチルドに向ける。
 椅子に座っていたため、まくるを見上げる形となったマチルドは、すぐ側に立つ彼女に軽く身を預けた。
 まくるは包み込むようにマチルドの肩に手を置く。
「結婚してからが‥‥本当に大変ですが‥‥また何かあれば‥‥お呼びください‥‥。お力になれるようがんばります‥‥」
「ありがとう。でも、何もなくても遊びに来てね。それと、両親のこと本当にありがとう」
「まだ‥‥泣いちゃダメですよ‥‥」
 その言葉にマチルドは小さく笑った。
 その頃忠司は招待客の受付を勤めていた。客の列の中には彼自身が話しをしたいと思っているバルディエ卿もいたが、残念ながらこの場では会話をする時間はなかった。
 最後の客の受付が終わると、披露宴まではすることがない。暇をもてあましていると、警備に当たっていた飛牙が声をかけてきた。
「式に行かないのか?」
「俺は参列する資格はないと思ってますから」
「ふぅん‥‥とか言っちゃって、ヤセ我慢は体に良くないぜ。ほらほら」
「あ、ちょ、ちょっと!?」
 無理矢理忠司を引っ張り参列席の最後尾に押し込むと、
「んじゃ、俺は警備に戻るから」
 と、飛牙はさっさと姿を消してしまった。
 結婚式はちょうど新婦とその父、新郎が対面している場面で、まさかここでどこかへ移動するわけにもいかず、忠司はそのまま参列客の一人として見届けることになってしまった。
 やわらかい午後の日差しを通したステンドグラスの光と蝋燭の灯りが何ともいえない神秘的な空間を作り出していた。その光の中をゆっくりと祭壇へ進む二人はどこか世俗離れした存在に見える。
 ベール持ちのまくるをジェイランはハラハラと見守っていた。
 新郎新婦が祭壇の前に足を止めると、思わずホッと肩の力が抜ける。
 祭壇の中央、ジーザス教のシンボルである十字架を背にこの教会の老司祭が立ち、両脇に補佐の司祭達が並んでいる。その中にボルトの姿もあった。
 老司祭が厳かに、けれど歌うように祝詞を紡ぎだす。
 そして指輪交換をし、誓いのキスを交わす。
 控え室ではしゃいでいたはずのマリアとイーダが、やや緊張した面持ちで新郎新婦に花束を贈った。
 司祭達の導きのもと参列者全員で聖歌を歌い、余韻まで過ぎた頃拍手の中マレシャルとマチルドは入場してきた時と同様、ゆっくりと退出していった。
 二人の姿が重厚な扉の向こうに消えると、客達の間にはじめて緩んだ空気が流れた。かすかなざわめきも起こる。
 次にボルトに先導されて参列客達は教会の外に出て、新郎新婦が乗る馬車までの通路に花道を作った。その際、それぞれの手に色とりどりの花びらが手渡される。摘んだばかりの新鮮な花びらだ。
 サクス領内の村々からそれぞれ精一杯のおしゃれをして人々が拍手と歓声を送っていた。その人だかりは教会の敷地の外にまであふれている。
「そういや花嫁のブーケを取ったらナンとかっていうジンクスがあったっけ」
 警備のため花道には立っていない飛牙がふと呟いた。
 隣にいたウルフが目を向けて記憶を探るように答える。
「それは花嫁から次に花嫁になってほしい人へ渡されるのではなかったかな。ボルトに聞けばわかるだろうが‥‥」
 今は司祭の務めの最中である。
「いや、そもそもキミはもう願いは成就したではないか」
「まぁね」
 シャンプラン邸でのことを思い出した飛牙の顔がだらしなくゆるむ。
 そうこうしているうちにマチルドのブーケはまくるへと手渡された。その時マチルドは何か囁き、まくるの顔がみるみる赤くなっていったのだった。何があったのかは二人以外には聞こえていない。
 それからマレシャルとマチルドの二人は、花やらリボンやらで飾られた馬車に乗り、披露宴の行われるサクス邸へと揺られていったのだった。

 サクス邸でも忠司は引き続き受付けを担当した。招待客が全員広間に集まった後も、彼は裏方の手伝いに回った。
 披露宴ではマチルドは淡いピンクのドレスに着替え、マレシャルと共に入場してきた。マレシャルは襟を飾るスカーフの色をドレスと合わせていた。
 サクス邸の使用人による司会進行が始まり、次々と祝いの言葉が贈られていく。
 一通りの堅苦しい挨拶がすめば、あとはほとんど自由となる。
 楽士が優美な曲を奏でれば、紳士淑女が手を取り合いダンスを始める。場合によっては新しい恋に発展することもあるだろう。
 人が引けた頃を見計らってテュールがマチルドへタロットカードの束を差し出した。
「ドキドキするわね‥‥」
 変なカードを引いてしまったら落ち込んでしまうかもしれない、と心配しつつマチルドはカードを一枚引いた。
 伏せたまま、テュールに差し出す。
 テュールはそのカードを見ると、思わず吹き出しそうになってしまった。
 それは『試練』のカード。
 それを見せられたマチルドは、ふとカシムを見てしまった。農園での食事会の時に言われたことを思い出したのだ。
「幸福の印ね」
「では、その幸福のためのせめてもの力となれるように、これを贈ろう」
 ローシュがうやうやしく差し出したのは、一振りの剣であった。作りはきわめて簡素で、装飾と呼べるようなものは柄頭に象嵌されたサクス家の紋章と農園の印のみだ。
 これはローシュが自ら鍛えた剣であった。
 受け取ったマレシャルは抜かなくてもわかるその見事さに、感嘆の息をもらした。
 世には数々の名剣があるが、これは間違いなくその一つだろう。
 その頃ジェイランはずっと世話になってきた商人ギルドの親方と挨拶を交わしていた。
 そして自分が去った後の農園のためにも、直接マチルドに引き合わせようと考えた。
 その前に‥‥。
「親方、紹介するよ。おいらの婚約者の利賀桐まくるちゃんだ」
 突然の紹介に肝の据わった親方もさすがにしばし言葉を失ってしまっていた。
 ジェイランの横ではまくるが深々とお辞儀をしている。
「そ、そうか。あんたが『まくるちゃん』か。話には聞いていたが‥‥そうかそうか。いや、かわいらしい」
 正面から褒められ、照れのあまりジェイランの後ろに隠れてしまうまくる。
「それと、もう一人会ってほしい人が‥‥」
 と、ジェイランは次に親方をマチルドの前まで案内し、彼女に紹介した。
「本日はまことにおめでとうございます」
 そんな挨拶から始まり、商人ギルドの親方とマチルドはしばらく言葉を交し合った。
「あ、そういえば‥‥」
 と、マチルドはローシュのことを思い出した。
 呼ばれたローシュは親方の姿を認めると、気難しそうな顔を精一杯穏やかにして話を持ちかけた。
「で、どうだろうか」
 親方に尋ねたのは農園への来訪についてである。
 ローシュは前もってまだ行き先の決まっていない奉公人見習いの資料を親方に預けていた。そして後日奉公人見習い達には知らせずに、彼らの働き振りを見てもらい新しい奉公先を探すのに役立ててもらおうとしたのだ。
「ぜひ伺わせてもらおうと思う」
「それはありがたい。ま、この話はまた後でということで‥‥」
 今は結婚披露宴の場である。細かい打ち合わせは後にして、とりあえず二人はグラスをあけた。
 司祭の仕事が一段落したボルトは、年甲斐もなく浮かれそうになる気持ちを抑えつつ広間の人々の間を縫っていた。探しているのは二人。
 ようやく人の波の隙間に二人の姿を認めたボルトは思わず「あ」と声を出してしまっていた。
 その声が聞こえたのか二人は振り返り、向こうもボルトの姿を認めた。
「お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
「私達はいつも元気よ。ボルトさんも元気そうで良かった」
「お店はどうですか?」
「おかげさまで順調よ。本当に、いくら感謝してもしたりないくらい」
「いえいえ、お役に立てたのならそれでいいのです」
 三人はしばし懐かしさに浸った。最後に顔を見た時からそれほど時が過ぎたわけでもないのに、不思議な懐かしさに満たされていた。

 挨拶をするべき人達への挨拶もすみ、一息つくとジェイランとまくるは何となく二人になれる場所を探した。大勢の人が入り乱れる今なら、少しくらいいなくなっても問題はないだろう。事実、化粧直しのため婦人方はたびたび広間を出ている。
 その人達に混じって二人はこっそり広間を後にした。
 誰もいない部屋を見つけると、ジェイランが目配せしてまくるを連れ込む。
 ようやく静かな空間に来れたおかげか、まくるはホッと息をついていた。
 そんなまくるの前に、いきなりジェイランが片膝を着いた。まるで騎士のように。
 緊張が解けたのも束の間、まくるは目を見開いてジェイランを見つめている。ただならぬ彼の様子にどうしてか胸が高鳴りだす。
「まくるちゃん‥‥」
 ジェイランの声は決して大きくはないが、静かすぎる部屋には充分なほど響いた。
 まくるの耳にブーケを渡された時のマチルドの言葉が甦る。
「今度はあなたの番ね。今日、来るんじゃないかしら」
 その瞬間、まくるは耳まで真っ赤になっていた。心臓の鼓動もいっそう早くなり、膝が震えそうになる。
 それはジェイランにとっても同じことで。それでも、言わなければ前に進むことはできないから、覚悟を決めて思いを口にした。
「まくるちゃん。おいらと結婚してください」
 とてもシンプルに、だからこそ真っ直ぐにその言葉はまくるの胸に響いた。
 気がつけば、まくるの思いも口をついて出ていた。
「嬉しい‥‥ずっと一緒にいて‥‥いいんだね‥‥」
 幸せすぎて息がつまってしまいそう、とはこのことかもしれない。こらえようにもこらえきれない涙が次から次へとあふれて仕方がなかった。
 ジェイランはまくるの手にくちづけをすると、その手を取ったまま立ち上がり思い切り抱きしめた。
 直後、ドアの向こうが騒がしくなり、人がなだれ込んできた。
 いつの間にか細く開けられたドアから覗かれていたようだ。
 折り重なった人の一番下に、マチルドがいた。広間からいなくなった二人にいち早く気付いたのだろう。
 後で周囲に何を言われるかわからないがこんな日だ、周りも大目に見るだろう。。
 世界中に、この瞬間に、いったいどれだけの夫婦が誕生しただろうか。
 誰もが、自分達ほど幸せな二人はいないと信じている。
 その確信が永遠となりますように。

 『幸いなるかな!
 神は二人にすでに祝福を与えていた。
 あまりに大きな祝福ゆえ、それを受け取れるかが問題だったのじゃ。
 今、おぬし達二人はつまずくことなく、この祝福を受け取る器を示した。

 さあ、改めて受け取るがよい!
 大いなる父の愛、二人して更なる高みへ止揚する新たな『試練』を!
 されど、気を付けよ。この恩寵、この大いなる愛はつまずきやすきもの。

 『敬虔』であること。
 それは神の与えたもうた『試練』を感じ、引き受けること。
 今、ここにいる二人は誓いにより敬虔なる一つとなった。

 大いなる父よ!
 新たな一つである二人と二人を見守る我ら皆々の敬虔さがくじけぬように。
 つまずきやすき我らに絶えず御顔を向けて御配慮くださいますように』
 〜『タロンの祝祷』より。