錬金術師変身せよ!〜私を離さないで

■シリーズシナリオ


担当:マレーア

対応レベル:4〜8lv

難易度:難しい

成功報酬:2 G 40 C

参加人数:8人

サポート参加人数:3人

冒険期間:09月10日〜09月15日

リプレイ公開日:2005年09月16日

●オープニング

 穏やかに晴れた日には謀議がよく似合う。
 ‥‥のかどうかはわからないが、ノアール・ノエル卿が進めつつある縁談話を聞きつけて、こんなことを考えた人物がいた。
「相手のサイオーニ家は身分は低いがかなりの資産家らしいな。もしノエル家と繋がりができるとしたらけっこうな勢力拡大になるか‥‥。ノエル卿としてもその財力がバックにつくのは損にはなるまい。しかし、もしそこに時の国王と姻戚関係になってもおかしくない家格の者が名乗りを上げたら、彼はどうするかな」
 しかし、そんな陰謀を巡らせた男の側近は心配そうに眉を曇らせる。
「あのお方で大丈夫でしょうか。こう言っては何ですが、いいようにあしらわれて帰って来そうな気がするのですが」
「いや大丈夫だ。充分な財力をつけたサイオーニ家が次に欲するものは地位だ。きっとボードレール卿のバックに回るだろう。もしかしたら資金面の全面的バックアップと引き換えに、卿のご令嬢との婚約くらい取り付けるかもな」
「家格だけならノエル卿の数段上ですからね」
「そういうことだ」
「‥‥それで、お人好しのボードレール卿はあなたに何らかの謝礼を約束しに来るわけですね」
 男は側近の言葉には答えず、ただ薄い笑みを浮かべた。

 それから数週間後。
 ノエル卿の屋敷は騒然としていた。いや、殺気立っていたと言ったほうが正しい。
 苛立ったノエル卿の声が養女エヴァンゼリンの最も身近な侍女マリアンヌを打つ。
「おまえが付いていながら何ということだ! まったく気付かなかったというのか!」
「も、申し訳ありません‥‥」
 マリアンヌはひたすらに平伏する。
「何としても見つけ出すのだ。万が一のことでもあってみろ‥‥いや、あってはならん。そんなこと、あってはならんのだ」
 ノエル卿はエヴァンゼリンの残した置き手紙をぐっと握り締めた。
 そこには、今回の縁談を断りたい旨が細かに書いてあった。
「このように逆らうことなど今までなかったというのに‥‥もしや! おい、最近錬金術師と知り合ったと言っていたな」
「は、はい」
 危険な想像にかられ、ノエル卿の手がぶるぶると震える。
「まさか駆け落ちしたのではあるまいな? いや、それならここまで拒否する理由がわかる。その錬金術師とは親密だったのか?」
「親密と言いますか、その、快く思ってはいたようです‥‥」
「うぬぅ」
 ノエル卿の迫力に気おされ、マリアンヌはびっしょりと汗をかいていた。
「わ、私も街へ探しに出ます」
「頼んだぞ」
 マリアンヌは逃げるようにノエル卿の前を去った。
 それにしてもマリアンヌが見たところ、婚約者となったマティアス・ボードレールは礼儀正しく心根の優しい良い青年であった。しかも顔立ちも端正とくる。家柄も文句の付けようがない由緒ある家だ。
 嫁いだ後に不幸があるとは思えない。
 それでもエヴァンゼリンはあの錬金術師が良いというのだろうか。

 エヴァンゼリン失踪の知らせは、つい数日前に正式に婚約の決まったボードレール家にももたらされた。
 マティアスはその知らせに呆然となる。
 父であるロイク・ボードレールはつっかえながらノエル家の使いに問いただした。
「それで、行く先に見当はついているのかね‥‥?」
「現在総力を尽くして探しております。面目ございません」
 ふらふらと力なくソファに身を落とすロイク。代わりにサイオーニ卿が口を出す。
「マティアス様の何が不満だったのです? お家柄もお人柄も申し分ないお方ではありませんか。だからこそ、私は身を引いたというのに」
 使者を責めても仕方のないことなのだが、己の野望をくじかれた彼としては何かを言わずにはいられなかった。両家の結婚が成立しなければ、自分のボードレール家との取引も成立しなくなるのだ。
 一番気に入らないのは、よりによって錬金術師などと駆け落ちしたという噂が立っていることだった。
「何者なのですか、その錬金術師とは」
「詳しいことは不明ですが、何度か会って親しくなったそうです。腕もそうとう立つようで」
「私たちも、捜索隊を出しましょう‥‥!」
 サイオーニ卿は絞り出すように言った。

 その頃騒ぎの張本人エヴァンゼリンは息も絶え絶えに冒険者ギルドに単身駆け込んでいた。駆け落ちなどではない。行く当てもなく、とにかく縁談から逃げるために家を飛び出したのだ。
「助けてください」
 と言う彼女を落ち着かせ、受付係はゆっくりと話を聞きだす。
 やがてすべてを話し終えた彼女は、ほとんど無意識にかすれるように呟いた。
「錬金術師様‥‥」

●今回の参加者

 ea2600 リズ・シュプリメン(18歳・♀・クレリック・エルフ・フランク王国)
 ea4439 ラフィー・ミティック(23歳・♀・バード・シフール・ノルマン王国)
 ea5803 マグダレン・ヴィルルノワ(24歳・♀・レンジャー・シフール・フランク王国)
 ea7359 ギヨーム・ジル・マルシェ(53歳・♂・ウィザード・シフール・ノルマン王国)
 ea7929 ルイーゼ・コゥ(37歳・♀・ウィザード・シフール・ノルマン王国)
 ea8210 ゾナハ・ゾナカーセ(59歳・♂・レンジャー・エルフ・ビザンチン帝国)
 ea8572 クリステ・デラ・クルス(39歳・♀・ジプシー・パラ・イスパニア王国)
 ea9345 ヴェロニカ・クラーリア(26歳・♀・バード・ハーフエルフ・ノルマン王国)

●サポート参加者

マギウス・ジル・マルシェ(ea7586)/ 柳 麗娟(ea9378)/ ユノ・ユリシアス(ea9935

●リプレイ本文

●お嬢様変装せよ!
 冒険者ギルドの控え室にて。
 パラのクリステ・デラ・クルス(ea8572)は、ついさっきこの部屋に入れたエヴァンゼリンを、壁に寄りかかり難しい表情で見つめていた。
 背を丸めて椅子に座るエヴァンゼリンは、以前の明るさは掻き消え、絶望の淵に立たされたようにうつむいていた。
 もう一人、その様子を見ている人物がいた。シフールのマグダレン・ヴィルルノワ(ea5803)である。彼女は誰かを待っているようだ。
 と、そこにドアをノックして、長い赤毛も見事なシフールが飛び込んできた。
「たまにはシフール便の真似っこもおもろいな。ほい、ヴェロニカはんからの伝言」
 どこか色っぽい笑顔で飛び回るルイーゼ・コゥ(ea7929)は、同じくシフールのギヨーム・ジル・マルシェ(ea7359)にメモ紙程度に切られた羊皮紙をわたした。それからマグダレンへ近寄り、
「すぐに追いつくはずや」
 とだけ告げた。
 マグダレンは頷くとエヴァンゼリンへ向き直る。
 彼女が今後のことを話し出す前に、クリステがきつい眼差しでエヴァンゼリンの正面に立ち何事か言おうとしているところだった。
「そなたには失望させられた、エヴァンゼリン・ノエルよ」
 いまだ顔を伏せたままのエヴァンゼリンの肩がピクリと震える。
「どこぞのエルフへのスカウト時などは、確かなしたたかさを見出していたが、勘違いか。正しく恋は盲目、女を強くもするが弱くもする。ふん、例の男には竜との契りが似合いだろうよ」
 何も言い返さないエヴァンゼリンの代わりに、ラフィー・ミティック(ea4439)が努めて明るい調子で言った。綺麗な青い髪のシフールだ。
「むりやり好きじゃない人と結婚させられるのは、かなしーよぅ。エヴァさん、元気だして」
 そう言うとラフィーはシフールの竪琴を爪弾き、歌いだした。

♪恐れないで
 ほんの少しの勇気を持って
 きみはひとりじゃないから
 忘れないで
 きみの笑顔を待ってる人がいる
 だから笑顔でいて♪

 わずかに顔を上げたエヴァンゼリンの背をやさしく撫でながら、マグダレンは言った。
「ここは危険かもしれないの。移動しましょう」
 彼女の傍らには、ルイーゼから知らせを受けた冒険者がいた。
 最初にここを訪れた時、エヴァンゼリンの脳裏に浮かんだ人物はいない。他の依頼を受けていることをマグダレンから教えられていた。
 そのマグダレンに呼ばれた少女は、どうやら彼女と服などを交換するつもりのようだ。
 クリステはまだ何か言い足りない様子だったが、
「まだ準備できてないのか。早くしろ、人探しならここは真っ先に来るべき場所だ」
 と、かくまい先を提供したヴェロニカ・クラーリア(ea9345)が現れたため、口をつぐんだ。
 ヴェロニカはいつまでも来ない冒険者達に業を煮やして催促に来たのだった。。
「エヴァ様、早く」
 マグダレンにせかされるままに、エヴァンゼリンは着替えた。
 その間、クリステは追っ手達の現在地を掴むべく、コインを媒体に太陽の声に耳を傾けていた。
 調べる対象は『ノエル家侍女マリアンヌ』『年は十代後半から二十代、エヴァンゼリンを探す中でもっとも身形が良い男』そして『ノエル卿(が乗った馬車)』である。
 ほとんど目を閉じているクリステは、時折小さく頷きながら見えた結果をしっかり記憶していった。
 やがてイメージの連鎖が終わると、一息ついたクリステがそれを冒険者達に話して聞かせる。ここを出た後は、遠距離会話可能なルイーゼと共に行動し、撹乱担当の冒険者と着かず離れずの距離を保ちつつ、辻占い師としてサポートするつもりであった。
 そしてすっかり女魔術師となったエヴァンゼリンは、冒険者達に囲まれるようにしてギルドから出た。衣装を交換した冒険者は、今日一日エヴァンゼリンとして追っ手を引き受ける。
 ヴェロニカを先頭に両脇はマグダレンとエルフのゾナハ・ゾナカーセ(ea8210)で固め、最後尾は同じくエルフのリズ・シュプリメン(ea2600)が付き、彼女達は移動とそれぞれの役割についたのだった。

●シフールDEお邪魔し隊
 一番近くにいる追っ手は『エヴァンゼリンを探す中でもっとも身形が良い男』、つまり婚約者であるはずのマティアス・ボードレールとその父親達であった。
 さっそく邪魔をしにいくギヨームとラフィー。撹乱方法はシフール共通語でコント。ネタ出しはヴェロニカ。名付けて『シフールDEお邪魔し隊』。
 ギヨームとラフィーが建物の陰で待ち伏せをしていると、ボードレール親子の会話が近づいてきた。
「エヴァンゼリンさん、無事だといいのですが」
「うむ。物騒な連中に捕まったりしていたら、何かとめんどうだからなぁ」
「私はそういうことを言ったのではありませんよ」
「わかってるわかってる」
 どことなく投げやりな口調の父とエヴァンゼリンが心配で仕方ない感じのマティアス。
 ここだけ聞いていると悪い人達ではなさそうだ。
「冒険者ギルドにいなかったら、次はどこを探しましょうか」
「そうだな‥‥港にでも行くか。この界隈に住む冒険者達の住処はノエル卿の者達が調べて探すとか言っていたな」
「はい。私達は要所を回りましょう。あぁ、それにしても‥‥エヴァンゼリンさんのお母上にも来ていただければよかったのですが」
「‥‥」
「私だったら、母上が足を棒にして自分を探しているとわかったら、いてもたってもいられなくなりますよ」
「そうか‥‥」
 マティアスの父は苦い表情でそれだけ言った。
 身をひそめて会話を盗み聞きしていたギヨームとラフィーは、ある確信を持って顔を見合わせる。
(マティアスはマザコンだ!)
 それはともかくとして、このまま彼らが進めばエヴァンゼリンらの姿を捉えてしまうかもしれない。二人は頷き合うと、作戦を実行に移した。
 ラフィーは大きく息を吸うと、思い切り叫ぶ。
『おとーさんばっかりずるいー! ボクだっておいしいお菓子食べたいんだもん!』
 同時にギヨームにタックルをかます。
『こ、これハ子供が食べルと虫に変身してしまうという、トテモ危険なお菓子なのデース!』
『そんなデタラメ信じるかー!』
 二人はもつれ合うようにボードレール親子の進路に飛び出す。
『ボクにもお菓子ー!』
『それを言うナラ、勝手に食べたおとーサンのお菓子を返しなサーイ』
『大人気ないぞー』
『食べ物に大人も子供もありまセーン』
 ちょうど目の高さでぎゃあぎゃあ騒がれては、さすがにボードレール親子でなくても進めないしやかましい。しかもシフール共通語などわからない。
 仕方なさそうにマティアスがケンカしているシフール親子に声をかけた。
「あの、もう少し上空でケンカしてくれませんか?」
 仲裁するのかと思いきや、まったくその気はなかったようだ。野次馬達が数人コケていた。
 このままでは埒が明かないと思ったのか、ボードレール親子の共をしていた二人がギヨームとラフィーを追い払いにかかった。
「いい加減にしないか、ぶち込むぞ」
 と、そこにタイミング良くルイーゼが割り込んでくる。実は入る隙をうかがっていたのだが。
『あんたらいつまでケンカしとんのや。おとーはんもいいトシなんやから』
 当然シフール共通語である。
 言葉のわからない者からすれば、さらに一人騒々しいのが増えただけだ。
 三人になったシフール達は、ボードレール親子の共の者が剣を抜き放ったところで、なおも騒ぎながらどこかへ去っていった。
 ぐったりと疲れたようになったボードレール親子だったが、再び捜索を開始した。
 そして、彼ら親子の行く先々に『シフールDEお邪魔し隊』は出没し、一行をヒステリー寸前まで追い込んだのだった。よって彼らの捜索活動はまったく進まなかったという。
 次にサイオーニ家の捜索隊がエヴァンゼリン一行に近づきつつある、という報告を受けてそちらに向かうことになったが、途中ラフィーはマリアンヌの姿を見つけた。憔悴しきった顔で一人で道の端を歩いているところだった。
 ラフィーはギヨームとルイーゼにこのことを話し、マリアンヌをエヴァンゼリンのところへ連れて行きたい旨を告げた。
「こっちのことは任しとき。ギヨームはんのお兄さんも魔法で時間稼ぎしてくれてはるしな」
 気前良くルイーゼが言ってくれたので、ラフィーは礼を言ってマリアンヌのほうへ下りていった。念のため彼女の他についてきている者がいないか、旋回して調べたが、マリアンヌは一人だった。
 彼女の進路へ先回りをし、辻歌いを装って歌い始める。歌にはチャームを交えていた。
 知らず、歌に導かれて裏路地へ入り込んだマリアンヌ。
 彼女の前にラフィーは姿を現し、自己紹介の後、会わせたい人がいるから一緒に来てほしいことを伝えた。
 マリアンヌは察したらしく、ラフィーに何度も礼を言いながらあとをついていったのだった。

●気づかなかった気持ちと岐路
 冒険者ギルドを出て少しすると、反対側の通りでざわめきが起こった。身代わりの冒険者がうまく引き付けているのだろう。
 心配そうに振り向き口を開いたエヴァンゼリンの唇を、マグダレンが人差し指をあてて封じる。
「大丈夫」
 短く、それだけ囁いた。
 そして何度か追っ手と思われる男達とすれ違いながらも、見咎められることもなく彼女達は無事にヴェロニカの家に到着した。
 しばらくするとノエル卿の名前を出した捜索隊の者がやや乱暴に玄関扉を叩いてやって来た。
 ヴェロニカが冷静に対処する。
 彼女は髪を上げてハーフエルフの証拠である、特徴ある耳をちらつかせて言った。
「あんた達が探しているのは、忌まわしき血の者に助けを請うような娘なのか?」
 捜索隊はそれ以上は詮索せず、嫌悪と恐怖の目でヴェロニカを睨み、家を去った。
 追っ手が去ると、エヴァンゼリンは吸い込んでいた息をどっと吐き出して壁にもたれかかった。
 周りをがっちり冒険者に守られていたとはいえ、ずっと緊張していたのだろう。
 まだ血の気の引いた顔色のエヴァンゼリンを落ち着かせるため、ヴェロニカは静かにリュートを奏でた。
「大丈夫だ。もう追っ手は来ない」
 ヴェロニカの音には特別な魔法の力は込められていないが、焦る者の心を落ち着かせるには充分だった。
 その間にマグダレンやリズが飲み物の準備をしてくる。
 あたたかい紅茶を飲み、しばらくすると青白かったエヴァンゼリンの頬に赤みが戻ってきた。
 もういいだろう、とヴェロニカはリュートを脇に置く。そして演奏していた曲と同じくらい静かに問いかけた。
「私のような者と話しても引かぬ者が、何故に何という事のない一人の男を嫌う?」
「嫌い‥‥というわけではないのです。私がノエル家の養女となった時点で、こういう未来がくることもわかっていたつもりでした。あの時までは、本当にそれでいいのだと疑いもしなかったのです」
「貴族の娘として、今の行動が異常だということはわかっているのだな」
 優雅ともいえる仕草でカップをテーブルに戻すゾナハ。
「自分の意思とは関係なく話が勝手に進むのことが耐えられなかったのだな」
「権力ゴリ押しはいけませんよね‥‥」
 リズも同意を示す。
 エヴァンゼリンは複雑な表情でわずかに目を伏せる。
「お話に上がったマティアス様は、お優しい方と伺いました。お家柄も由緒あるものだそうです。でも、どうしてか私はそのお話を受けるのが怖くて‥‥縁談を進めてしまったら、何もかもが終わってしまうような気がして、いてもたってもいられなくなってしまったのです」
 どうしてそんな焦燥感にかられてしまうのか、エヴァンゼリンはわからなかった。
「なんでこんな気持ちになってしまうのか‥‥」
 その呟きにゾナハは「おや?」と不思議そうにした。
 と、その時、再び玄関扉を叩く音がした。
 ビクリとして腰を浮かせるエヴァンゼリンを、ゾナハは手だけで留める。
 ヴェロニカが席を立つ。
 先ほどの捜索隊のような声高な声は聞こえてこない。その代わり、ラフィーと共にマリアンヌが現れた。
「外の人達、今日はもう諦めるんじゃないかな。暗くなってきたし。さんざん邪魔してきたし」
 いたずらっぽく笑うラフィー。
 ギヨームとのコントに巻き込まれた追っ手達は、おそらくわけのわからないシフール共通語でしばらく頭が痛いだろう。
 探していた主にやっと会えたというのに、一言も口をきこうとしないマリアンヌに、とりあえず席を譲るナゾハ。
「お嬢様、いつまでも子供のようにわがままをされては、みんなが困ります。お嬢様一人のために、ボードレール様だけでなくサイオーニ様まで街中を歩き回っておいでなのですよ」
 やっと口を開いたかと思えば、マリアンヌの口調はかなりきついものだった。
 しかしその気持ちもわからないではない。
 けれど彼女はエヴァンゼリンをかくまった冒険者達を責めるようなことはしなかった。
 無視しているのではない。
 前回の出会いで、彼らに対する認識を少々改めたのだ。
 確かに冒険者達の生活はやくざなものだが、だからといって心までそうではないことを知った。むしろ生きることに潔いと言ってもいいとまで思っている。
 マリアンヌは立ち上がるとエヴァンゼリンの手を取った。
「さあ、帰りましょう。旦那様も心配してらっしゃいます」
「帰りません」
 マリアンヌに負けない強い口調で言い放ち、その手を振り払うエヴァンゼリン。
「まだ‥‥帰れません」
「どうしてですか」
 エヴァンゼリンはそれには答えず、ぎゅっと唇を噛み締めた。
 重苦しい沈黙を誰がどう破るかと、誰もがタイミングをはかっていた時、また玄関扉が鳴った。
 再び玄関へ向かったヴェロニカと共に戻ってきたのは、外で追っ手の相手をしていたクリステ、ギヨーム、ルイーゼの三人だった。
 室内を見渡し、マリアンヌを認めたクリステは、何となく今の状況を察した。
 そして、冒険者ギルドでの続きを言い出す。どうしても言っておきたいことがあった。
「そなた、仮にもノエルの姓を得た者だろう。なぜ忠義篤い侍女を見捨てる真似をした?」
 エヴァンゼリンがハッと顔を上げる。口うるさいが、いつも支えてくれた侍女。きっとノエル卿から厳しい叱責を受けただろう。口論になったことで、そんなことにも気づけなかった。
「ノエル卿のしたたかさ、向上心、貪欲さ。わずかなりとも吸収せぬのか? その幸運に預かりたいと願う貧しき娘もおろうに」
 再び顔を伏せるエヴァンゼリン。
 しかし、ギルドにいた時のようにただ沈んでいるだけではなく、ようやく思考を始めたことにクリステは気づいていた。
 だから彼女は最後に、声をやわらげて加えた。
「自ら運命と対峙する者は太陽の加護がある。あの男は逃げないぞ‥‥たぶん」
「グダグダ考えんと胸張って、この人が好きなんですー言えばええのんに」
「その通りですわ。私は貴方の駒ではないです、一人の人間です。少なくとも結婚する気がない相手と結婚話を進めないでください、とガツンと言うべきですよ」
 ルイーゼの言に頷きながらリズが強気に言う。
「え、えっと、あの」
 なぜかエヴァンゼリンはきょとんとして自分を囲む三人を戸惑いの目で見上げた。
「好きって‥‥誰が、誰をですか?」
 同じような表情でエヴァンゼリンを見返す冒険者三人。
 間抜けた沈黙が流れた。
「そなた、ギルドであの男を呼んでおったではないか?」
「私が‥‥ですか?」
 クリステの指摘に首を傾げるエヴァンゼリン。しかし何かを思い出したのか、みるみる耳まで真っ赤になっていった。
「あ、あれは‥‥」
「あれは?」
「えぇと、あ‥‥そう、なのかな。あの、聞いてくださいますか?」
 今までふさぎ込んでいたのが嘘だったかのように、エヴァンゼリンの舌がなめらかになる。
 クリステは頷いて話の先を促した。
「ずっと、不思議だったんです。あの方のお姿が少しでも視界に入るとどうしてこんなに胸が苦しくなるのか、森であの方とお別れした時どうしてあんなに寂しくなったのか。これはやはり‥‥?」
 今時珍しいほどの天然ぶりに、クリステはもはや返す言葉もなく天井を仰ぐ。
 代わりというようにルイーゼが苦笑混じりに答えた。
「お貴族様ってのは、箱入りに見えてけっこう耳年増やと思うとったけど、あんたみたいのもおるんやなぁ。ま、気づいてよかったな」
「それで、気づいたあなたは今後どうなさいますか?」
 一番大事なことをリズが尋ねる。
 エヴァンゼリンは、目を閉じて考えた。
「選択肢は大きく二つあるな。その思い人と異国へ渡るか、一度家へ戻るか」
 戻りましょう、と言いかけたマリアンヌを制し、ゾナハは声に重みを加えて続ける。
「異国へ渡るなら、今まで関わった人々とこの地をすべて捨て去る覚悟がいるな。当然、私達も含まれる。その覚悟があるなら、まずは船旅の券の手配だ。フランクへ行くといいだろう。そのあとビザンチンへ向かうなら、故郷の知人への紹介状を認めよう」
「そんな勝手な‥‥!」
 とうとうマリアンヌが口を挟む。
「勝手は、ノエル卿が先だったのではないですか?」
 真っ先に反論するリズ。
「考えてみてください。このまま気持ちの整理がつかないまま結婚式を挙げたとしましょう。笑顔ひとつないお嬢様のお式を見た賓客は、どういう感想を持つでしょうか?」
 そしてエヴァンゼリンに向き直ると、真っ直ぐに目を覗き込むように視線を合わせる。
「己の尊厳を守りたいなら、こっちも意見を言って攻めないとダメですよ」
「それに、感情のままに逃げるだけでは、お前だけでなくあの男にも迷惑がかかる」
 リズとヴェロニカの言葉は厳しかったが、正しいことでもあった。
 どちらを取るにしろ、甘くない現実が待っている。そしてどちらを取っても、ノエル家とは縁を切られるだろう。彼女がノエル姓でいられるのは、政略結婚のためだけなのだから。
 ふと、ヴェロニカは声をやわらげて言った。
「一度、その相手の男に会ってみてはどうだ?」
「マティアス様は決してご無体な方ではありませんわ」
 元気付けられたようにマリアンヌが続く。
 しかしこれにはすぐにラフィーとギヨームが反応した。
「でもマザコン」
「デスネー」
「え?」
 と聞きかえすエヴァンゼリン。
 言い直そうとした二人を、マリアンヌは物凄い形相で睨みつけた。
 せっかく帰りそうな雰囲気に持ち込もうとしているのに、つまらないことで壊されたくはなかったのだ。
 聞き取れなかったエヴァンゼリンとは逆に、しっかり聞き取ったマグダレンだったが、話をややこしくしないためにもわざと聞こえなかったことにして、先に進めた。
「そうですね。その上で、まだ結婚する心構えができていないことをきちんと伝えましょう」
 彼女はさらにこんな提案を加える。
「決心がつくまで教会に通うことを認めてもらってはどう?」
 これはどちらかといえばマリアンヌに対してのセリフだった。
 彼女は頷き、
「そういうことでしたら、私からも旦那様に時間を下さるよう申し上げましょう」
 もちろん、その心の内はゾナハが言うような愛の逃避行にならないことを願っている。
 エヴァンゼリンも決心がついたようだった。
 席を立つと冒険者達に深く頭を下げる。
「取り乱して、見苦しいところを見せてしまいました。ここにあの人がいらっしゃらなくて良かったかも‥‥。義父に、今の気持ちを話してみます」
 顔を上げたエヴァンゼリンの目に、力が戻っていた。

 冒険者達がエヴァンゼリン達をノエル卿の屋敷まで送っている頃、いっこうに掴めない娘の行方にやきもきするノエル卿の手にある物が届けられていた。
 それは石版。いや‥‥焼いた粘土板だった。
 片面に、ドラゴンに似ているがもっと神々しさを感じさせる生き物が彫られており、見慣れぬ文字が刻まれている。それは、とある冒険者が持ち込んできたものだった。
 ノエル卿は娘のことなど忘れたかのように、それを凝視していた。