●リプレイ本文
●ボードレールの母子
事前にマグダレン・ヴィルルノワ(ea5803)がエヴァンゼリンの養父であるノアール・ノエル卿にシフール便で交渉した結果、冒険者達は彼の屋敷に滞在することになった。
もともとは独身女性陣のみで花嫁付き添いに立候補し、また花嫁の警護も兼ねての滞在希望であったが、今までさんざん気をもませた娘がやっと結婚を決意したことで機嫌が良かったのか、ノアール卿のほうから仲間の冒険者全員にぜひ屋敷に泊まってほしいと言ってきたのだ。
新郎新婦の婚礼衣装の件も快い返事がもらえた。
その返事を仲間達に回すと、義妹ガレット・ヴィルルノワ(ea5804)が瞳を輝かせ、
「衣装代のほうは‥‥」
と、伺う。
「心配しなくていいみたいよ」
「ノアール卿もご機嫌だね」
ガレットの言葉はその内容とは反対に、少し寂しそうだった。マグダレンは黙って目を伏せ、視線をそらす。暗くなりかけた二人の間に、ラフィー・ミティック(ea4439)が明るい声を上げて割り込んで来る。
「でもね、僕はエヴァさんに幸せになってほしいよっ。だから、エヴァさんがちゃんと幸せになれるか、マティアスさんのお母さんに会いに行こうと思うの」
「それじゃ、お婿さんの衣装はそこの家でやっちゃおう」
ラフィーとガレットは笑顔を交わした。
さすがにノエル邸は広かった。ノアールは自ら出迎え、特にリセット・マーベリック(ea7400)には慇懃な挨拶。隣では懐かしそうに目を細めるエヴァンゼリンとマリアンヌ、数人の侍女が冒険者達を迎えに出ていた。
「ようこそいらして下さいました。お疲れでしょう。ゆっくり休んで下さいね」
そう言ったエヴァンゼリンは、見たところ特に変わった様子は無い。
部屋は基本的に二人で一部屋で、ヴィルルノア義姉妹とラフィーで一部屋、リセットは個室で、なんとベッドは天蓋付き、寝具は絹地の羽毛布団。専用の侍女が5人も付きドアの両脇には護衛の騎士が2名張り付いていた。まるで王族でも迎えるかのような丁重さである。しかしリセットはそれを当然のことのように受け入れていたし、侍女達も平然としている。ここらへんの手配は、あらかじめマグダレンが手紙に記しておいたのである。
男性陣は、リョウ・アスカ(ea6561)とゾナハ・ゾナカーセ(ea8210)、イコン・シュターライゼン(ea7891)とマスク・ド・フンドーシ(eb1259)の組み合わせとなって、それぞれ案内された部屋へ分かれていった。
休む間もなく、マグダレン、ガレット、ラフィーの三人はボードレール邸へ行くために慌しく準備に取りかかる。彼女達が出向くことは、あらかじめノアールから伝わっている。
お茶を運んできたマリアンヌが不意に声を潜めた。
「ところで‥‥あの方はいらしていないのですね」
その声の中にかすかに落胆の色があったのを、3人は聞き逃さない。
「あとで‥‥話すわ」
マグダレンの返事に、マリアンヌはそれ以上尋ねなかった。
「それじゃ、行ってくるね! えっとえっと、ラフィーちゃんは‥‥と」
ガレットはラフィーの襟首をむんずと掴むと、裁縫セットなどが入っているカバンに彼女も一緒に詰め込み。
「僕って荷物!? ぐ、ぐるじ‥‥」
死にそうなラフィーの声とバタバタと走るガレットの靴音が、廊下の向こうに消えていった。
ラフィーを押し込んだカバンを馬にくくりつけ、マグダレンを前に乗せ、ガレットはボードレール邸へ駿馬を走らせる。
ようやくにしてボードレール邸に着くと、ラフィーはすでに目を回していた。どうりで途中から静かだったわけだ。
ボードレール邸はノエル邸ほど広大ではなかったが、名門らしく上品で趣向をこらした造りである。
侍女に案内され、まずはマティアスの父であるロイクと隣に座る夫人に丁寧な挨拶をする。彼の両側にマティアスともう一人、彼と同じくらいの年齢の青年が三人を迎えていた。マティアスとはあまり似ていないが、ロイクとはどことなく似ている。
何やら違和感を感じなくもないが、今はそれよりも衣装合わせのほうが先である。式の日は目前に迫っているのだ。
用意された部屋で、マグダレンはあらかじめラフィーから聞いたマティアスの体格と外見に見合うデザインに調整をした花婿衣装を取り出し、実際に彼に合わせてみた。
まだすることのないガレットが質問をした。
「もう一人いらした方は弟さん?」」
「そうですよ。異母弟です。父上の隣にいたのが彼のお母様です」
「マティアスさんのお母様は?」
「私は庶子なので遠慮したのでしょう。あ、今はこの家に来ていますので案内しましょうか?」
「案内してっ」
ようやく気がついたラフィーがカバンから顔を出す。
髪が見事に爆発しているラフィーを見て、マティアスは首を傾げた。
「あれ、どこかで見たような?」
「ああっ、えっとえっと、この前はエヴァンゼリンさんを探すのを邪魔してごめんなさい。今は、お二人のお式のために来ました」
ぺこりと頭を下げるラフィー。
「あ、あの時の!」
行く先々でシフール共通語で繰り広げられたコントを思い出すマティアス。その結果患った頭痛も‥‥。
のんきそうな彼の表情に、初めて渋い色が伺えた。
「もうあんなコトはしないのよ」
「うん‥‥そうだね」
「ホントにホントにお祝いのために来たんだよ」
「ありがとうござい‥‥ます」
けっこうトラウマになっているらしい。
「はい、できたよ」
そうこうしているうちにガレットの作業が終わった。見事な出来栄えだ。
「それじゃあ、母上の部屋へ案内した後、着てみます」
その後、最後のチェックをして終わりである。
マティアスは母に似たから恵まれた容姿になったようだ。彼の異母弟の母親はいかにも貴族然とした雰囲気と容貌の持ち主であったが、こちらのほうはもう少し身分の低い、肩の力を抜いたような雰囲気があった。
マティアスの母は3人に椅子を勧め、侍女にお茶の用意を頼んだ。
「あの、あのね」
少し言いにくそうにラフィーが切り出す。
「お母さん‥‥寂しい? エヴァさんのこと、怖い? ずっと頼りにしていた息子さんを盗られると思ってる?」
マティアスの母はわずかに首を傾げ、ラフィーが言わんとしていることに耳を傾けている。
「エヴァさんは優しい人なの。エヴァさんを自分の子供‥‥娘として接してあげてほしいの。きっと彼女もマティアスさんのようにお母さんの味方になると思うの。だから、寂しい気持ちになっていじめちゃったりなんて‥‥」
「そんなことしないから安心して」
彼女は春の日差しのようなやわらかい笑顔を見せた。
「私の身分が低かったから、あの子は長男に生まれながらも嫡子となれず、申し訳ないと思っているの。今回の結婚が今後のボードレール家のため余計な諍いを避けるために仕組まれたものだったとしても、ノアール卿なら安心できると思ったから頷いたのよ。寂しくないと言えば嘘になるけれど、間違ってもエヴァンゼリンさんを恨むようなことはしないわ」
「マティアスさんは、婿養子になるのね」
母は、頷いた。
マティアスのところへ戻った3人がこのことを話すと、彼は意外そうな顔をした。
「婿養子になる、とお話しませんでしたっけ」
そろって首を横に振る3人にマティアスは苦い笑み。
「それは失礼しました‥‥」
「うん、まあそれはいいよ。それでね、マティアスさんにお願いがあるの。お母さんも大事だと思うけど、エヴァさんのことも大事にしてほしいの」
「あたしもお願いするよ。エヴァさんを愛してね」
「ずっと一緒にみんなで仲良くいてあげて」
ラフィーとガレットに詰め寄られ、じりじりと後退するマティアス。
「それは‥‥もちろんです。エヴァンゼリンさんを大事にするのは当然のことです」
その言葉を聞き、二人はようやく安心して笑顔を綻ばせる。マグダレンの衣装チェックも終わった。
帰り道、馬上でマグダレンが思い出したように呟いた。
「あの衣装、あの方がモデルだってこと気づいてなかったけど、ノアール卿の目もごまかせるよね」
「ばっちりだよ」
自信を持って答えるガレットに、
「次はエヴァンゼリン様の衣装と、それが終わったら女性陣の衣装に取りかかるわよ」
休む間もないとは、まさにこのことであった。
●結婚式前は花嫁のほうが忙しい
ノエル邸に着き、少しだけ休憩を取るとさっそくエヴァンゼリンの衣装合わせである。
可憐さと上品さを引き立てるデザインだった。彼女はそれだけで感激して満足だったのだが、同席していたマリアンヌの要望でもう少しアクセサリーを増やすことになった。マグダレンが多めに用意しておいた貴石やビーズが役立つ。エヴァンゼリンとは何度も会っていたため、ドレスのサイズに大きな補正はなく、作業は意外と早くに終わった。
続いてリセットも呼んで女性陣のドレスである。それぞれの意見を聞き、取り入れ仕上げていく。ちょうど一段落ついた頃、マリアンヌがお茶を運んできた。
「一休みした頃にお食事となりそうです」
外を見れば、もう日が沈もうとしていた。忙しいと一日が終わるのが早い。カップの中身を一口含んだマグダレンは、結婚式当日の流れをマリアンヌに尋ねた。
「ノアール様が寄付を行っている教会で、まず式を行います。その後、このお屋敷の大広間でパーティですわ」
「式の日までまだ少しあるけど、エヴァさんは教会へ通う?」
ガレットが尋ねる。
「はい。前日までお祈りは欠かさずにいたいと思ってます」
ちなみに彼女が通う教会とは式を挙げる教会でもある。
「道中はあたし達が警護するね。それで、念のためノエル家の紋章入りの何かを借りたいんだけど」
「明日までにご用意いたしますわ」
答えたのはマリアンヌだった。
「あのね、エヴァ様‥‥」
いつ言い出そうかとためらっていたことを、ようやくマグダレンは口にする決心がついた。
「あの人は、来ないの。代わり‥‥にはなれないけど、あの人の親友だと言う人達が来たから。イコンさんとマスクさんです。いずれ、二人からお話があると思います」
「そう‥‥そうなの」
ふと、リセットがマリアンヌに人払いを頼んだ。自分達とエヴァンゼリン、マリアンヌ以外部屋に入れないでほしいとのことだ。マリアンヌは了承してドア付近に移動する。
それを見て、リセットはエヴァンゼリンを真っ直ぐに見据えた。
「現状、あなたにある選択肢は大きく分けて二つ。一つはこのまま結婚すること。もう一つは狂を装い結婚相手に破談の正当理由を与えること。それ以外の選択肢もありますが、この二つに比べると成功確率は低いでしょう」
二つ目の選択肢に驚いたエヴァンゼリンが口を挟もうとするのを、リセットは手で制し続けた。
「狂を装う場合は覚悟を決めてください。こういう形で破談になればノアール卿の評判は大きく傷つきます。養女になった段階で受け入れたはずのことを拒否し、卿に大きな損を与えることになります」
「狂を装い、破談に‥‥」
呟くエヴァンゼリンの脳裏に式には来れない人物の姿が浮かぶ。破談になれば彼女に養女としての価値はなくなり、ここから追放されるだろう。そうしたら、どこへでも行ける。その代わり、ノアール卿の怒りと恨みを買うことは確実である。もしかしたらノルマンでは生きていけなくなるかもしれない。
リセットはそんなエヴァンゼリンの思考を読んでいるように話を再開した。
「臆することはありません。貴方が政略結婚の道具から、巨大な財や知識をもたらす存在に成り上がればすむことです」
「そんなこと‥‥」
「それは、茨の道という言葉が生温く感じられるほど困難な道ですが、その程度のことはしなくては、どちらのお父上にも申し訳が立たないでしょう? それに貴方には助けになってくれる者もいるはずです」
話し終えると、リセットは極上の笑顔を見せた。エヴァンゼリンの中にリセットの誘いに乗ろうとする心が芽生えたようだ。
養父に逆らい、ノルマンを追われたとしても、どこかの地で成功した自分の噂を聞きつければ、許されることはなくても安心させることはできるかもしれない。
迷い始めたエヴァンゼリンの手に、ガレットはそっと自分の手をかぶせて真摯な目で見つめた。
「あの人と共に生きたいなら冒険者になる覚悟がいるよ。でも、貴女の白い手は剣も弓も似合わない。花と土と‥‥寂しいお姑さんを抱きしめるためにある。違う?」
ノアール卿の下、淑女としての教養は叩き込まれたが、その中に馬術や政治や兵法はあっても剣や弓の稽古はない。否、触れたことさえない。冒険者という人達は身近に思うけれど、冒険者という職業はとても遠いものだった。
「マティアスさんのお母さん、いい人だったよ。でもやっぱり大切な息子が婿養子に行くんだもの、寂しいよ。エヴァさんはお母さんの手を取って、娘と呼んで下さい、と一言でいいと思うの」
マグダレンとマリアンヌは黙って成り行きを見守っている。不意にリセットが席を立つ。
「一度は結婚の決意をしたのだから、急には変えられないでしょう。式までまだ日はあるから、ゆっくり考えてください。家のことも大切かもしれませんが、貴方自身の成長と進歩もとても大切だと思いますよ」
それだけ言い残してリセットは部屋を出て行った。その晩、エヴァンゼリンはよく眠れなかった。
●伝言
それから数日が過ぎ、いよいよ式の前日となった。エヴァンゼリンは冒険者達に守られつつ教会通いを続けている。リセットへの答えはまだ出ていない。
「結婚か‥‥。俺には縁のない言葉ですな。いわゆる特定の人もいませんし」
道中、どこか空虚にリョウが呟く。ちょうど風が吹き、ますます寂しい。
「リョウさんは結婚なさりたいのですか?」
「さぁ、自分でもよくわかりません」
エヴァンゼリンの問いに、リョウはあいまいに答える。
まさかここで『結婚は人生の墓場とも言いますし』などと言えるわけがない。
「そういう人に限って、実は気になる人がいたりするんだよね〜」
「そうそう。しばらく会わないなと思ったら結婚してたり」
「結婚しただけならいいけど、子供までいたりしたら‥‥」
「いつ出来たのか逆算して突き止めないとね」
ラフィーとガレットが即席共同戦線を張る。
「馴れ初め話も聞きださないと気がすまないな」
マスクも加わってきた。何気ないつもりで口にした言葉に、いつの間にか首を絞められているリョウ。たとえ結婚出来たとしても、この面子に会わせてはいけないような気になってしまう。
「リョウさんの新居には私も呼んでくださいね」
話はどこまで飛躍するのか、エヴァンゼリンの中でリョウはすでに結婚することになっていた。その後教会に着く頃には、彼の人生設計は彼以外の者達によっていいように弄ばれ、もはや人間の範囲を超えていたとかいないとか。
その頃別行動中のイコンはというと。エヴァンゼリン達が向かっている教会でくしゃみをしつつ祭壇の十字架へ向かって懺悔をしていた。日頃の自分の行いと、今回の結婚に関して、友人のために不満を持たざるを得ない自分の心についてである。
と、そこに司祭が現れた。
「熱心ですね」
初老の彼は感心したようにイコンに声をかけた。
イコンは司祭に聞いておきたいことがあったのを思い出した。
「ちょっとお聞きしたいのですが、明日行われるノアール卿とボードレール卿の子息息女の結婚式のことで‥‥」
「はい、なんでしょうか」
立ち上がったイコンに、司祭は丁寧に応対する。
「今回の挙式は、急に決まったことなのですか? 実は日時に変更があったとか、そういうことはなかったのでしょうか?」
「なぜ、そのようなことをお尋ねなさるので?」
司祭の声はどこまでも穏やかで落ち着いている。そして彼は、いかにも神に仕える者らしい答えを返した。
「結婚とは主の思し召しによるものです。伴侶もその日時も、すべては偉大な御手の下に委ねられています」
「はぁ‥‥そうですか‥‥」
これ以上は何を聞いても埒が明かない様子だったので、イコンは一礼して教会を後にした。続いて彼は冒険者ギルドへ馬を走らせる。彼と入れ違うようにエヴァンゼリン達が到着していた。
冒険者ギルド受付けでイコンは、気にかけている友人のことについて問い合わせていた。友人の依頼に対する態度や評判についてだ。
受付け係の男は少し困ったような表情で、こう返した。
「そういったことはお教えできないんですよ。ギルドにも守秘義務がありましてね」
「それは‥‥わかります。でも友人の危機かもしれないんです」
「申し訳ありませんが、友人であろうとご家族であろうと、お教えすることはできません。まぁ、国際指名手配級の犯罪者であるとか国王様か大司教様の特許状でもお持ちになれば話は別ですけどね」
イコンはしばし考え込んだ。もしも今回の結婚が友人を引き離すためのものだったら、と思うと居ても立ってもいられない。彼はもう一度受付け係を見つめる。
「どうしても、駄目ですか」
「駄目ですね」
「人ひとりの人生が狂うとしても、ですか」
そのセリフに、受付け係は
「やれやれ」
とため息をつき、後ろにあるギルド職員専用室のドアを開け、中の人物に声をかけた。
上役の人でも出てくるのかと思いきや、現れたのは首を直角に曲げて見上げるほどの大男が2名。それも頭のてっぺんからつま先までムキムキの筋肉男だ。所謂衛兵のスタイルで印象は双子のようにそっくりだが、まったくの他人である。
思わず身を引いたイコンを、前を歩いていたマッチョその一が不気味としか言いようのない笑顔で抱え上げる。
そして後ろで待っていたマッチョその二へ振り返り、抱えてきた大きなゆりかごへ無理矢理押し込む。まるで赤子扱いである。
「いたたたたっ‥‥ちょっ、まっ‥‥!!」
「ケガさせるなよ」
「あたぼーよ」
言いかける言葉など華麗にスルーし、イコンはマッチョ2名に挟まれるようにしてギルドの外へ連れ出されたのだった。
ギルドから離れた場所でゆりかごから解放されたイコンへ、マッチョその一が凄味のある笑顔で一言一言確認するように言った。
「あのな、個人の情報をほいほい教えたりしたら、ギルドはあっという間に信用を失って潰れちまうんだよ。個人情報厳守! これがギルドが機能していくための絶対の条件だ」
「わかったか? わかったらほれ、帰った帰った」
マッチョその二が野良猫でも追い払うようにシッシッと手を振る。これ以上得るものはなさそうだ。イコンはノエル邸へ帰ることにした。
イコンがノエル邸へ着いた頃にはエヴァンゼリン達も教会から戻ってきていた。明日の式進行の確認などしている中、マスクがエヴァンゼリンに話しておかなければならないことがあるとかでマリアンヌに頼み込み、イコンを含め数人の冒険者が集まっていた。場所はイコンとマスクにあてがわれた部屋である。
「忙しいのですから手短にお願いしますね」
昨日までの余裕はどこへやら、さすがに今日のマリアンヌは少しピリピリしていた。屋敷全体がこのような雰囲気だった。彼らがそうしている間、ゾナハは考えることもあり、庭師になりすまして単独行動をとっていた。このほうが欲しい情報が手に入るだろうと判断したためでもある。
庭師のふりで庭内をうろついていると、いろいろなところで侍女達の噂話を耳にすることができた。
現在の噂の中心はやはり明日の結婚式のことである。
「マティアス様って確か庶子よね。ボードレール卿もうまいことやったわよね」
「これでお家問題が解決したものね。しかもノアール様と関係が持てたわけだし」
「こう言ったら悪いけど、ぼんやりしているようでちゃっかりしてるわよね」
「でもマティアス様ってこれといって名声もないようだけど、大丈夫なのかしら」
「婿としてこっちに来るなら従順なほうがノアール様も御しやすいんじゃないかしら」
ひどい言いようであるが、現実をよく見ているとも言える。
ゾナハが引っかかっているのは、依頼書にあった『お嬢様をよろしくお願いします』の一言である。邪推をすれば、先日のパリの騒動のようにエヴァンゼリンが何らかの陰謀に巻き込まれている、と考えられる。しかし他の冒険者の様子から察するかぎり、どうやら他に思う人がいるような雰囲気である。
貴族の女性に、結婚相手を選択する自由はない。たとえ思いを寄せる人がいたとしても、家同士が決めてしまえばそれまでである。もしもそこから抜け出したいとするなら、駆け落ちするしかないだろうが、同時に未来もないと言える。
それでもエヴァンゼリンが、その万が一の行動に出るとしたら‥‥。それが『お嬢様をよろしくお願いします』ということであるとしたら‥‥。
しかしわからないのは、マティアスという結婚相手がマザコンであるということ以外、これといって悪評も何もないことである。ここで彼がエヴァンゼリンの相手として決定的に駄目なところがあれば、話は変わってくるのだが。そんなことを思案しながら歩いていると、いつの間にやら仲間の集まっている部屋の前へ戻ってきてしまっていた。
窓から声がもれている。盗み聞きするわけではないが、ゾナハは壁に身を預け室内の声に耳を澄ました。
「我が友は今、竜の謎を追っています」
いつもの癖のある話し方ではなく、改まった話し方をするマスク。身なりもきちんと礼装をしている。最大限の敬意を払っているあらわれである。『我が友』とは、イコンとの共通の友人であり、ガレット達が言う『あの人』であり、エヴァンゼリンが気にかけている『あの方』である。
マスクは今、その友からのエヴァンゼリンへの伝言を伝えようとしていた。
「彼が竜を追うのは知識欲のためだけではありません。いずれ、その謎を巡る争いが起きることを予測していて、その災禍から令嬢を守るために不眠不休で謎を追っているのです」
「竜‥‥お父様が何か手に入れたと興奮なさっていたけれど、それのことかしら」
「おそらく」
マスクは大きく頷く。
「友には、地位も名誉も資金もありません。ただの貧乏錬金術師です。無理に令嬢を奪えば、令嬢ならず義父殿にも多大な誹りとなりましょう。彼が令嬢に差し出せる唯一の対価は、全知を振り絞り、陰ながら令嬢の身を守り続けることだけなのです」
長い間聞きたかったことを、やっと聞くことができたわけだが、エヴァンゼリンの胸は痛みでいっぱいだった。
どうして逢いに来てくれないのか、ずっと知りたかった。それがすべて自身のことを思ってだとわかった時、同時に彼女は自分を恥ずかしく思った。やや青ざめた顔をうつむけ、発した声は震えていた。
「私、恥ずかしい‥‥。自分のことばっかりで。あの人がどんな苦労をしているか知りもしないで、どうして来てくれないのかと瞬間でもうらめしく思ったことが、恥ずかしいです」
‥‥冒険者になれば。
まだ返事をしていない、リセットとの会話が思い出される。
「今は‥‥ただ幸せになってほしい。それがあの錬金術師の幸せなのだそうです。‥‥確かに、伝えましたぞ」
話し終えると、マスクは帰る支度をはじめた。最初から、この話をするためだけに来ていたのだ。エヴァンゼリンは今にも泣き出しそうな目を上げてイコンを見つめた。
「イコンさんも、このことをご存知だったのですか?」
「はい、知ってました。彼は本当にあなたの身を案じています。これだけは疑わないでください。そして僕は、貴方の意志を守るために来たのです」
「私の意志、ですか‥‥。すみません、少しだけ失礼しますね‥‥」
エヴァンゼリンは走るように部屋から出て行った。イコンはマリアンヌに目を向けると、言いにくそうに告げる。
「‥‥お仕えしているノアール卿を悪く言うようで悪いのですが、あの人がドレスタットを離れている隙に挙式するように仕組んだのではないですか?」
「ば、馬鹿なことを言わないでください!」
とたん、マリアンヌは目元を赤くして声を張り上げた。
「なんの証拠があってそのようなことをおっしゃるのですか。そもそもこの結婚式は我がノエル家と由緒あるボードレール家の繁栄のための挙式ですのよ。その栄誉ある式の日取りに、たかがいち冒険者の都合などいちいち気にかける価値もありませんわ」
すっかり機嫌を悪くしてしまったようである。どぎつい言葉を叩きつけ、マリアンヌは鼻息も荒く部屋から出て行った。
そして窓の外のゾナハは苦笑じみた表情をしていた。
「若いな‥‥」
しかし、これでいよいよエヴァンゼリンの結論を聞き逃すことはできなくなった。いざともなれば、式の中、彼女を守りつつ厳重な警備を突破しなければならないのだから。
結論は今日中に出すだろう。
ゾナハの予想通り、エヴァンゼリンはその日の深夜に冒険者達に話をしにやって来た。マスクが欠け、イコンだけがいる部屋に皆が集まっている。
「先ほどは取り乱してしまいお見苦しい姿をお見せしました。それと、こんな夜中にお呼び立てすることをお詫びいたします」
まず、彼女は深く頭を下げる。気持ちはすっかり落ち着いているようだ。エヴァンゼリンは一呼吸おくと、静かだがはっきりと告げた。
「私、マティアス様と結婚します。あの方のことは、やはり今でも‥‥でも、もう決めました。もし、あの方に会うことがあったらお伝えください。私は、石にかじりついてでも幸せになります、幸せが嫌がっても絶対放しません」
こんなふうに幸せになると宣言する花嫁もいないだろうが、ともかくこれで明日の結婚式は決定となった。
●良き日となるように
当日は見事なまでに快晴だった。マグダレンがエヴァンゼリンのウエディングドレスの着付けと髪結い、化粧を担当していた。また手袋とブーケの保管も彼女の受け持ちだった。
ガレットはヴェール持ち担当。マティアスと並び、司祭の前へ歩くエヴァンゼリンの緊張が薄いヴェールを通して伝わってくるのを感じた。エヴァンゼリンが挙式に臨んだ以上、警戒するべきものは予想外の狼藉者の出現である。
イコンは無事に式を終わらせるため正装の下で周囲に目を光らせ、ゾナハもいつでも花嫁を守れるように気を配っていた。ガレットでさえ、華麗なドレスの下にはダーツを隠し持っていたのだ。
彼らの配慮の甲斐あってか、教会での儀式はつつがなく終わり、場所はノエル邸の大広間へ移った。立場上リセットは貴賓扱いとなり、彼女はさっそくノアールへ祝いの言葉を贈っていた。
ノアールはそれを笑顔で聞きながらも、内心は穏やかではいられなかった。リセットの真の目的は何なのか、それが気になって仕方がない。まさか、ただ祝いに来ただけであるまい。そんな生易しい相手ではない。
(「バルディエの幕僚が何のために? もしや、粘土板の事を嗅ぎ付けたのでは‥‥」)
バルディエ領の広大な未開の地に眠るある遺跡。我が親友が戦死したと言われる遺跡を訪ね、弔いたい。との口実で使いを送ったばかりである。勿論、それは上辺の話。
「私が辺境伯領であれこれしてきたのは、土地と領主が社会の進歩に適すると判断したが故。評価はあっても好悪はありません」
祝辞のついでのように告げられたが、ノアールはまるで信じなかった。かえって疑心を増したほどだ。しかし神経が磨り減るような話はここまでで、ノアールは次々とやって来る貴族達の対応に追われていったのだった。
来賓客の間に挨拶回りをしていた新郎新婦は、冒険者達のテーブルにもやって来た。エヴァンゼリンの笑顔には一点の曇りもない。
「月並みですが、おめでとう」
リョウの言葉にエヴァンゼリンはふと、いたずらっぽく笑いかけ、
「どうですか、この場に気になる女性はいませんか?」
などと囁きかけてきた。するとさっそくラフィーが
「あの人はどう?」
と遠くの婦人を指す。当分からかわれそうだった。
その時、ノアールが席を立ち、重大な発表があると言い出した。その内容は、マティアスを分家の主として独立させるとのことだ。二人はすでに聞いていたのだろう、周囲へ向けてお辞儀をしている。昨夜、結婚の決意を話に来た時には、もう知っていたのかもしれない。
再び冒険者達へ振り向いたエヴァンゼリンは、素早く新たな決心を告げた。
「私、力の限りを尽くして家を大きくして、皆さんの力になりますね。待っていてください。あ、もちろん家をないがしろにはしませんよ」
皆さん、と言ってはいるが本音はただ一人のためを思っているのは明らかだ。彼女の決意をマティアスが知っているかは謎だが、こののんきな旦那なら反対することはないだろう。それを思えば、結婚相手が彼で良かったと言える。
初恋は実らないと言うけれど、次に二人が出会う時、どれだけ素敵に変身しているだろうか。