●リプレイ本文
●出会いはそれはもう刺激的に
ここはチャールズの酒場。入口には貸し切り中の札がぶら下がり、中からは陽気な笑い声がひっきりなしに聞こえてくる。
今日は依頼を受けた冒険者たちと、チャールズ一家の初顔合わせの日。せっかくだからと言うので、ささやかな宴が催されているのだ。
「わっはっはっはっはっはっはっはっは!」
豪快な笑い声は酒場の主、チャールズ。娘と妻も大笑いしている。
「あはははははは! あたし、こんなに笑ったの何年ぶりかしら!」
「ああ、だめ! これ以上笑ったらお腹が‥‥あはははははははは!」
道化師の仮面をかぶり、得意のパントマイムで一同を笑いに笑わせたフレイハルト・ウィンダム(ea4668)は、仮面を取って素顔を見せると、皆の顔を見回してさも大真面目に問いかけた。
「ところで皆さん、なぜ私はいつもこんな仮面をかぶっているのか? なぜだと思う?」
皆が首を傾げる。
「なぜなら、そのほうがカッコいいからさ!」
再び仮面をかぶると大げさに手を伸ばして胸を張り、思いっきり決めポーズをつけて言ってのけたその言葉に、またも皆が大笑い。
「あっはっはっはっはっはっは! おまえさんは世界一の道化役者だぜ! いや最高っ! どうだ、明日から俺の酒場で働かねぇか!? おまえさんがいれば客も大喜びで商売大繁盛だぜ!」
大笑いしながら上機嫌で話すチャールズを、チャールズの妻が笑いながらいなす。
「ちょっとやめてくれよ、おまえさん。おもしろすぎて、おかしすぎて、笑ってばかりで仕事にならないじゃないかい」
酒を酌み交わし、笑いながら時は過ぎてゆく。しかしこの場に集う一同の中で、たった一人だけ笑わない者がいた。それはチャールズに拾われた、まだ名も無き少女。フレイハルトはパントマイムの傍ら、さりげなく少女を観察していた。最初、冒険者たちが酒場にぞろぞろと現れた時、少女の顔には脅えの色があった。しかしパントマイムが始まると、少女は少しずつ関心を持つそぶりを見せ始め、やがて言葉なしで繰り広げられる演技を興味津々で見つめ始めた。それでも少女の表情はぎこちなく、その顔に笑いが浮かぶことはない。
「さあ、夜も遅くなったことだし、今夜はこれでお開きにしようぜ。あんまり夜更かしすると、明日の仕事に差し支えが出ちまう」
チャールズの言葉に、彼の娘は不満そう。
「え〜!? もう寝るの〜? あたし、もっと見ていた〜い!」
するとフレイハルト、まるで淑女にかしずく騎士のように、恭しく一礼すると娘の肩を抱きながら言った。
「お嬢さま。淑女たるもの、あまり夜更かしをなさってはお体にさわりますぞ。素晴らしき殿方との運命の出会いを望まれるなら、夜ごとのよき眠りを大切になさいませ。さすれば貴女の美しさは夜の眠りによって真珠のように磨かれ、世の殿方と言う殿方の心を虜にすること間違いなし。ほれ、この私のように」
かぶった仮面をさっと外して素顔を見せると、またも娘は大笑い。そのまま娘はフレイハルトにじゃれついた。フレイハルトは娘を抱えてくるくる回り、最後に娘の頬におやすみなさいのキッス。続いて、そばでじっと見続けていた名も無き少女に手を差し伸べる。
「さあお嬢さん。あなたにもお休みなさいのキッスを‥‥」
「@%@#$!!」
少女は小さく叫び、脅えた顔でチャールズの後ろに逃げ込んだ。
「おいおい、どうしたんだい? こわがらなくてもいいんだぞ」
チャールズが少女を抱きしめて落ち着かせる。
「いや、これはとんだ失礼を」
フレイハルトは非礼を詫びる騎士のように膝をついて謝り、その場を静めた。
●よみかき何語でできるかな?
その翌日。
「では、始めましょうか」
リール・ハザード(ea4873)は竪琴を取り出し、音合わせに弦を何度かつま弾くと、馴れた手つきで奏で始めた。小川を流れる水のせせらぎのように、まろやかで清々しい調べが部屋を満たす。心ときめく旋律は開いた窓から外の通りにも流れてゆき、道ゆく人が思わず足を止めて聞き惚れ、また通り過ぎてゆく。
準備中の札がぶら下がった酒場のドアの前では、日よけ帽をかぶったイルニアス・エルトファーム(ea1625)が、さも暇を持て余している店番といった風情で椅子に腰掛けている。その実、イルニアスは周囲に気取られぬようしっかりと周囲を観察していた。なにしろ少女がチャールズの元に姿を現した時の状況が尋常でない。少女を捜している者、あるいは少女をさらおうとする者が店に近づかないとも限らないのだ。それでも幸いなことに、今はまだ店の近くに不審な者の姿は見あたらない。
さて、家の中では。
「私はニルナです。貴女は?」
ニルナ・ヒュッケバイン(ea0907)が、名も無き少女に英語で質問する。少女の顔は固くこわばり、少女をリラックスさせるためにリールが奏でる竪琴の旋律もそれを解きほぐすことはできなかった。
「私の言葉、分かりますか?」
英語の問いかけに少女は戸惑ったように小首を傾げるばかり。どうやら英語は通じないようだ。そこでニルナは言葉をラテン語に変えて同じ質問をしてみた。
「私の言葉、分かりますか?」
突然、少女は脅えてニルナの前から逃げ出した。少女が逃げ込んだのはリズ・シュプリメン(ea2600)の後ろ。
「どうしたの? 大丈夫、怖くない、怖くない」
少女を抱いてなだめ、その髪の毛に手をやった時にリズは気づいた。耳をすっぽり隠す髪型で分からなかったが、少女の耳はリズと同じエルフの耳だった。
「俺は鳳 飛牙(ea1544)って言うんだ。よろしくな」
鳳 飛牙の華国語での自己紹介にも、少女は戸惑った顔のまま反応を示さない。
「俺は鳳 飛牙。キミ、俺の言葉、分かるかい?」
もう一度、華国語で話しかけたが、少女の反応は無い。心なしか、鳳を見つめる少女の顔が脅えているように見える。
「華国語、分からないのかな? ま、言葉なんて通じなくても、心が通じれば良いや!」
にかっと爽やかな笑顔を見せると、鳳は用意したお菓子をテーブルに並べた。
「キミのために特別おいしいのを買ってきたんだぜ! さあ、食べてみなよ。すっごくうめぇからさ!」
菓子の一つをつまんで食べてみせるが、少女はまるで食べようとしない。目の前の菓子をじっと見つめたまま、体をぴくりとも動かさない。その姿はご主人からおあずけを命じられた飼い犬を見ているようで、とても不憫に思えてくる。
だしぬけに、外から子どものわめく声が聞こえてきた。
「ごめんよ! ごめんよ! もうしない! もうしないったら!」
張り番をしていたイルニアスが、汚い格好をした6歳くらいの男の子を引っ張って部屋に入っていた。
「酒場を見張っていたら、こいつが窓から中をのぞいているのを見つけたんだ。さあ坊や、正直に答えてもらおうか。この家の中を探るよう、どこの誰かに頼まれたのか?」
「知らないよぉ! オレは何も知らないよぉ!」
騒ぎを聞きつけてチャールズがやって来た。
「あん? どうした、何騒いでる? ‥‥なんだい、そいつぁ近所のいたずら小僧じゃねぇか。家の中をのぞき込んでたって? まあ、いつものことだ。放してやんな。小僧、あんまり悪さをするんじゃねぇぞ」
男の子を解放すると、イルニアスはほっと一息ついた。
「少々、ぴりぴりし過ぎていたかもな。とりあえず、今のところは怪しいヤツの姿は見あたらない」
午後になって鳳 飛牙が提案した。
「なぁ、この子を連れて外へ出てみないか? 家の中にこもりっきりじゃ息が詰まるだろ? 近くに広場があって大道芸とかもやってるし、そう言うのを見せてあげればこの子の気も晴れるんじゃないかな?」
「それもそうですね」
リール・ハザードも同意する。
「もちろん、この子を狙う者がいないとも限りません。外を出歩く時には細心の注意を払いましょう」
ところが少女を外に誘っても、少女は家の中から外へ一歩も踏み出そうとしない。優しく何度も言い聞かせても、すぐにリズの後ろへ逃げ込むばかり。結局、少女を外へ連れ出すのは諦めるしかなかった。
夕方になって、フィア・フラット(ea1708)が通訳を連れてきた。飛刀 狼(ea4278)と言う12歳の武道家だ。子どもに字を教えるための読み書き板を携えて、オーラテレパスで会話を試みた。ところが、少女にゲルマン語の読み書きを教えようと、飛刀が少女の手を取ろうとした途端、
「##×△$×@&(さわらないで!)」
少女は意味の分からぬ言葉で叫んで飛刀の手を払いのけた。いや、正確に言えばたった一人、フィア・フラットだけが少女の言葉の意味を聞き取っていた。
飛刀はなんとか少女を落ち着かせようと賢明に少女へ話しかけたが、
「&×▽@×(いやだ)!」
少女は再び叫んで、とうとうリズの後ろへ逃げ込んでしまった。何か新しいことが起こるたびに、リズの後ろに逃げ込むのが少女の習い性となってしまったかのようだ。
「$%@$(こわい)!! $%@$(こわい)!!」
少女はリズの背中に顔を埋め、何度も小さく叫ぶ。その言葉の意味が分からず仲間たちが互いに顔を見合わせる中、フィア・フラットはゆっくりと少女に話しかける。
「&%××$$@△◎、◎◎□$#$&&□▽△◎◎(安心して。私たちはあなたの味方よ)」
フィアがそう伝えると、少女は不思議そうな目でフィアを見つめる。言葉の分からない他の仲間たちが怪訝な顔をしているので、フィアは説明した。
「この少女の話す言葉はシフール共通語よ」
その言葉を聞いて、仲間たちはますます訳が分からないと言う顔つきになる。
「するとこの子はエルフでありながら、シフールの言葉で育てられてきたと言うのか? いったいどこの誰が、なぜ、そんなことを!?」
「それを今から訊いてみるわ。うまくいくかどうかは分からないけど‥‥」
フィアがシフール共通語で少女に問いかける。
「できたら、あなたのことをもっと教えて欲しいの。無理強いはしないし、少しずつ話せるところからで構わないから。あなたも大変な目にあって‥‥」
フィアの言葉は少女の叫びで中断された。少女はフィアに無我夢中でしがみつき、たった一つのシフール語を繰り返すばかり。
「こわい! こわい! こわいよぉ!」
やはり質問は早すぎたか。フィアは声を落として言った。
「この子に、とてもいやなことを思い出させてしまったみたい。この子の過去を聞き出すことは、少しずつ慎重に進めたほうが良さそうよ」
●保護者会談
「これが、あの子の付けていたと言う首枷だが‥‥」
チャールズから受け取った首枷を、カーツ・ザドペック(ea2597)が子細に検分しながら言う。
「見たところ、これは神聖ローマ帝国で作られた工芸品だな」
「なぜ、そうと分かる?」
ディアルト・ヘレス(ea2181)が訊ねた。
「かつて、俺は神聖ローマ帝国出身の騎士と冒険を共にしたことがある。その騎士の武具に、この首枷と同じ意匠が使われていた。輝く鳩の精霊と天使をあしらったもので、神聖ローマ帝国ではごくありふれたデザインだそうだ」
自分の秘密がばれぬよう、カーツはそう答えておいた。しかし実のところ、カーツは生まれ故郷の神聖ローマ帝国で、その首枷に描かれたような紋様の数々をごく身近に目にしていたのである。しかも首枷にはラテン語の言葉が彫り込んであり、カーツがその出自を見誤るはずがなかった。
「しかもこの首枷には、削り取られた後があるな。家名と家紋の部分がだ」
「どれ」
ディアルトは首枷を受け取ると、しげしげと見つめる。
「なるほど。本当だ。しかも、何やら細かい文字が彫り込んであるが、私の知る言葉ではないな」
ディアルトはリズ・シュプリメンに首枷を手渡した。
「察するところラテン語のようだが、これが読めるか?」
フィアは目を細め、首枷の文字を読みとる。
「確かにこれはラテン語ですね。『××××家のもの。保護された方はお連れ下さい。謝礼を差し上げます』って書いてあります。家名は削り取られているし、紋章も削られているので特定できませんが‥‥」
「そして家名が後から削り取られたのは、何か事情があってのことだな。恐らくは、公にはできないうしろめたい事情からだ」
カーツが相づちをうった。
「そして、この服だ」
ディアルト・ヘレスが示すその服は、名も無き少女がチャールズの元に逃げ込んだ時に着ていた服。
「なんと、絹製だった。とうてい庶民に手が出せる代物ではない。念のためにパリの商家をいくつかあたって確かめてみたが、こう言う意匠の服はパリでは流行っていないと言う。あるいは、どこかの貴族が異国風の服を特注して作らせたのかもしれぬが‥‥」
しかしカーツ・ザドペックには、その服のデザインに見覚えがあった。ローマの貴族たちがその愛人たちに、よくこう言う服を着せていたのを何度か見たことがある。しかしそのことは直接口には出さず、カーツはそれとなくほのめかした。
「ずいぶんと派手好みで、しかもかなり薄手の服だな。肌が透けて見えそうだ。ノルマンよりも寒い国の服ではないだろう」
それを受けて、ディアルトもこれまでに得た知識と経験を元に、丹念に服を調べながら推測する。
「だが、夏服にしてもパリの娘たちはこうまで薄くてひらひらした服は着ないだろう。とはいえノルマンの南の田舎貴族が着る服にしては洗練されすぎている。かといって、イスパニアの服とも違うようだ。俺はパリを訪れるイスパニアの貴族の娘たちを何度か見たが、こんな服を着た娘には出会ったことがない。しかしもっと遠くのジャパンやアラビアになると、服の形がまるで違ってしまう。となればこの服は神聖ローマ帝国か、せいぜいビザンチンあたりの娘が着ている服だと言うことに落ち着くかな?」
「やはり、怪しむべきは神聖ローマ帝国の貴族だな」
カーツは我が意を得たとばかりに大きくうなずいた。
「しかもその貴族とやらは、あの子にひどい仕打ちをしてきた。あの子の脅えようが何よりの証拠だ」
ディアルトの意見にはイルニアス・エルトファームも賛成だった。
「ありがちな話で言えば、貴族当主が外に儲けた子を家に招いたものの、それを気に入らない本妻子が少女をいじめ、少女は耐えかねて逃げ出した‥‥と言うのもありえるな。まぁ例えばの話だがな」
「いや、もっとひどい話だって考えられる」
カーツがぶっきらぼうにつぶやいた。
「もっともそう言う話を、好きこのんで人に聞かせたくはないが‥‥」
「憶測はともかくとして、あの子は明らかに生活感覚や常識が壊れています」
口を開いたのはリズ。
「少女の置かれていた環境はどう考えても非常識としか思えません。たとえ少女を育てた家が明らかになったとしても、そんな所に少女を戻すのは人として間違いです」
「ああ、ちょっと失礼するな」
ウィン・フリード(ea4486)は席を外すと、余人の目が届かぬようにチャールズを外に呼び出して訊いてみた。
「おっさん、ちょっと良いか?」
「何じゃ、いきなり呼び出しおって」
「あんたが身元探しじゃなしにこう言う依頼を出したのは、やっぱそう言うことなんかね?」
「何じゃ、話が見えんぞ。いったい何が聞きたいんじゃ?」
チャールズはわざととぼけているのか、それともウィン・フリードがあまりにも遠回しに聞くもんだから分からないのか。とにかくしばし不毛な問答を続けたあげく、ウィンは言った。
「‥‥ま、いいさ。仕事は仕事としてきっちりやるよ」
家の中に戻ろうとして足を止め、最後に一つだけチャールズに聞いた。
「ところで、おっさんはボーデン商会にコネとか持ってねぇ?」
「ボーデン商会? ここからかなり歩いた大通りにご大層な商館を構えておるが、そこに何か用でもあるのか?」
「いや何、ちょいと職探しをしてて、ね」
「やめておけ。王侯貴族や大商人にコネがあるならともかく、わしらのような庶民が職を求めて出向いたところで、笑顔で追い返されるのが関の山じゃぞ」
一方、部屋ではカーツが黙りこくって何やら思案していたが、ふと思い立ったように鳳 飛牙に向かって言う。
「すまないが、買ってきた菓子を少し分けてくれないか?」
鳳が菓子を差し出すと、カーツはそれを皿の上に並べて、名も無きエルフの少女の足下に置いた。少女は何も言わず、表情に乏しい顔でカーツの一挙一動を見つめている。
「何するんだ?」
「いいから」
動かない少女の頭を撫でながら、カーツはその耳に何かを小さくささやいた。すると、それまでどんなに菓子を勧めてもそれを拒み続けてきた少女が、しゃがみこんで菓子を食べ始めた。
「‥‥やはりな。そう言うことか」
つぶやくカーツ。
「‥‥何をしたんだ?」
「ラテン語で伝えてみたんだ。食べてよし、とな」
●おそとであそぼう
夏の盛りの暑い日が続いていた。
ウィザードのジャドウ・ロスト(ea2030)は酒場の庭の軒先に立ち、クリエイトウォーターとクーリングの魔法を使って氷を作り、一人で涼んでいた。
「これだけ氷を作れば、涼をとるには十分だな。さてと‥‥」
少女の世話は他の仲間に任せて、ジャドウはもっぱら思索にふける。
「あの少女はシフール語で育てられたらしいが、なんとも興味を覚えるな。背後に悪魔でも関わっているなら、もっと興味が湧くのだが‥‥ま、関わってしまった依頼だ。謎を謎としておくのは性に合わん。少しずつでも解決していくか」
すると、かの少女が冒険者たちに付き添われて、庭に姿を現した。
「少しは外の空気を吸わせないと、体に毒だからな。おおっ!? 何だか涼しいと思ったら、でかい氷があるじゃないか! これ、ジャドウの魔法で作ったのか?」
この暑さにもめげずに相変わらず元気な鳳 飛牙が声をかけたが、ジャドウはそんな彼らの事など自分の関心の対象外とばかりに、さもそっけなく返事した。
「必要とあらば、水も作るぞ」
「水か。水浴びするのにいいな。ちょっと待ってくれ。桶を持ってくるから」
水浴び用の大きな桶を鳳が担いで持ってくると、ジャドウはクリエイトウォーターの呪文を何度も唱え、桶をいっぱいの水で満たしていく。少女はジャドウの魔法に魅入られたかのように、じっとジャドウを見つめている。ジャドウの手の先の何も無い空間から水の噴き出す光景を、とても不思議なものに感じているようだ。
「魔法に興味があるようだな」
ジャドウが訊くと、少女は何も言わずにリズの後ろに逃げ込んだ。ジャドウは内心でつぶやく。
(あの少女が魔法に興味を持つなら、俺の知る知識を少しずつでも教えてやろうかとも思ったが、あの様子ではまだまだ無理なようだ)
「さあ、水浴びしようぜ、気持ちいいぞ! ‥‥って、キミはまだ普通の言葉が話せないんだっけな」
言葉の通じない少女に、鳳は困惑気味。
「俺がラテン語で話してみますよ」
アウル・ファングオル(ea4465)が少女に話しかける。
「さあ、一緒に遊ぼう」
ラテン語で言い放たれたその言葉に魔法をかけられたかのように、少女はのろのろと動き始めた。無表情で着ているものを1枚1枚脱いでゆく。いきなり少女が真裸になろうとしたので、鳳もアウルも大慌て。
「ちょ、ちょっと待ったぁ!」
「いきなりそこまで脱がなくても!」
リズが大急ぎでタオルを持ってきて、少女の体を包んで言う。
「この子、いったいどんな躾を受けてきたのかしら?」
「だから。『そう言う』躾、だろ?」
我関せずとばかりに成り行きを見守っていたジャドウが、相も変わらずそっけなく言う。その言葉に一同は顔を見合わせたまま、気まずい沈黙に包まれた。
●月は東に日は西に
昼間の暑さも夜には涼しさに変わり、他の仲間たちがぐっすり休んでいる頃、カーツ・ザドペックはチャールズと酒を汲み交わしながら相談していた。
「あの子のことだが、そもそもこの酒場に逃げ込んできた時の話からして怪しすぎるな。食事の時の様子といい、旦那とリズ以外の誰にも懐かないことといい、そのくせラテン語で何かを命じるとまるで魔法にかけられたように従うことといい、全てがおかしい。人としての基本的な部分が欠落している。‥‥いや、そう言う風に育てられたか。なら育てたヤツは誰だ? 人間の体にヘビやカラスの頭でも生やしている珍種の異種族か? ならば文句を言う気にもなれねぇが、育てたヤツが人間だとしたら‥‥最低だな。あの子は動物じゃねぇんだ」
ここで杯のワインを一気に飲み干すと、カーツは続けた。
「俺は酒場で噂を流してみたい。人として保護者に育てられなかった可哀相な少女が、冒険者たちの手で保護されたってな。あの子を育てたのがどんな変態趣味の貴族かは知らねぇが、噂が流れればおいそれと彼女を引き取りに現れたりは出来なくなるはずだ」
カーツの話をじっと聞いていたチャールズはしばし黙り込み、自分のワインの杯を飲み干す。それからまたしばらくの間黙り込んでいたが、やがて額に深く皺を寄せて答えた。
「それだけは、だめだ。噂が流れれば、あの子が世間の好奇の目にさらされてしまう。あの子が大きくなった時に、道行く人に後ろ指をさされ、路地裏で噂のタネにされるような人生を歩ませるわけにはいかん」
「そうか‥‥仕方がないな」
噂を流す計画は諦めるしかなかった。
カーツは自分の杯に残り少ないワインを注ぎながら、つぶやいた。
「俺はあの子に、何とかして人としての尊厳と言うものを教えてやりたい。それが難しい仕事だと言うことは、分かっているがな」
いきなり、寝室のほうから悲鳴が聞こえてきた。何ごとかとカーツがすっ飛んで行くと、フレイハルト・ウィンダムが何かの攻撃を受けたらしく、ダメージをくらって突っ伏して、同室のフィア・フラットの魔法治療を受けている。
「いったい、何が起きたんだ!?」
「あはははは‥‥ちょっとばかり魔法を暴発させてしまったようだ。大丈夫、心配ない。心配ない」
合点がいかず、フィアに訊ねてみる。
「いったいこいつは何やらかしたんだ?」
「『酒場に逃げ込んだエルフの娘を狙っているローマ人の男』に向かってムーンアローの矢を飛ばしたんだけど、その矢が自分に戻ってきたのよ」
「そうか。少なくともそう言う男はこの近くには潜んでないと言うことだな。まずはめでたしだ。俺はもう寝るぜ、おやすみ」
カーツは彼らの寝室を後にした。
●そして5日後
冒険者たちがチャールズの酒場にやって来て、はや一週間。ラテン語やシフール語を話すメンバーのおかげで、ぎこちなくも少女とのコミュニケートはそこそこ取れるようになった。
しかし少女の理解する言葉がそれだけでは、ノルマンに住む普通の人々の中で暮らしていくことはかなわない。そこで、フィア・フラットとイルニアス・エルトファームが少女にゲルマン語を教える役目を買って出た。
「わ・た・し、あ・な・た。‥‥はい、言ってごらんなさい」
まずは簡単な言葉や日常の挨拶を少女に覚えさせる。そして礼儀作法の教育を担当するのはリズ・シュプリメン。
「チャールズ親父さんが覚えてくれると喜んでくれるから、頑張りましょうね」
アウル・ファングオルもジーザス教の簡単な祈りの言葉を教えたり、日常生活に必要なさまざまな単語を教えたりしている。
「それに、チャールズさんの名前くらいは、さくっと覚えさせないと可哀想ですね」
優秀かつ心暖かい教師たちに恵まれたおかげで、少女の飲み込みは早かった。
その日の授業が終わると、ニルナ・ヒュッケバイン(ea0907)が木の板に白い布地を張り付けた自作のキャンパスを携えて、少女のところへやって来た。
「今日はあなたの絵を描いてあげますね」
ニルナは木炭を使い、板に少女の顔を描いた。特徴ある少女のエルフの耳もしっかり描き込んだ。
「どう? 頑張って描いたんだけど‥‥」
ニルナから絵を渡されると、少女はその絵にじっと見入っていた。その目からすっと一筋の涙が流れ、やがて大粒の涙がいくつもこぼれ落ちた。
「どうしたの?」
不可解に思って訊ねてみたが、少女は答えずに泣くばかり。その目は絵を通してどこかを見ているよう‥‥。
しばらくして少女が泣き止んだのを見計らい、イルニアス・エルトファーム(ea1625)は自作の首飾りを少女に見せた。
「こんな物を作ってみたんだけど、どうだい?」
町の店先で売っている細工物と比べたら、出来映えはかなり下手だが、思いだけはたっぷり込められている。
「昔はよくこう言うのを、姉と妹にせがまれて作ってやったもんさ」
少女は興味津々で首飾りに見入っている。
「さあ、付けてあげよう」
ところがイルニアスが少女の首に首飾りを付けようとすると、
「いや!」
少女は悲鳴をあげて嫌がった。
「わかったわかった、さあ泣かないで」
少女をなだめて泣きやませると、イルニアスは首飾りを小さな少女の手の上に載せた。
「さあ、好きなようにお使い」
『‥‥こうして、名も無きエルフの少女の教育が始まってから、あっと言う間に5日間がすぎた。少女の理解する言葉は今のところラテン語とシフール共通語。ただしラテン語への過剰反応がよからぬ結果をもたらす恐れがあるので、普段の使用言語はシフール共通語を用いている。少女の教育は始まったばかりだが、すでに簡単なゲルマン語の言葉やゲルマン語での挨拶を覚えはじめている。この飲み込みの早さなら、少女は短期間のうちに大きな進歩を遂げるだろう。この先が楽しみだ。
ところで、この少女にはまだ呼び名がない。本名が分からない以上、何か少女にふさわしい呼び名を与えるべきだとは思うのだが‥‥』
〜フィア・フラットの少女観察記録より