レディへの道2〜慈しみの嘘

■シリーズシナリオ


担当:マレーア

対応レベル:3〜7lv

難易度:難しい

成功報酬:2 G 45 C

参加人数:15人

サポート参加人数:-人

冒険期間:10月12日〜10月17日

リプレイ公開日:2004年10月20日

●オープニング

 暑い日が続いていた。
 その日のお昼過ぎ、酒場の親父チャールズが冒険者ギルドにふらりとやってきた。
「やあ、親父さん。うちが派遣した冒険者たちの仕事ぶりはどうだった?」
「みんな、よくやってくれた」
 口ではそういうが、チャールズは何やらうかぬ顔だ。
 あの事件が起きたのは8月の月初め。とびっきりに美しい幼い娘が、チャールズの酒場に逃げてきたのだ。娘のドレスはあちこちが破れ、しかも娘の首には高価な宝石のはまった首枷。しかも娘は異国の言葉しか分からない。
 この異常な出来事を前にしたチャールズは冒険者ギルドに助力を求め、ギルドから派遣された冒険者たちは事件の調査を進めながらも、心をこめて娘の世話をした。その甲斐あって娘も彼らに心を開くようになり、ノルマンの言葉も少しずつ覚え始めている。
「わたし。あなた。ぱぱ。まま。おねえちゃん。こんにちは。さようなら。はい。いいえ」
 赤ちゃん並の片言だが、これが現在話せる言葉の全てだ。少女が「ぱぱ」と呼んでいるのは酒場の親父チャールズであり、「まま」とはその妻、「おねえちゃん」とはチャールズの家の一人娘である。
 娘の着ていたドレスや、首枷に刻まれていた文字などから、彼女に手ひどい仕打ちをしたのは神聖ローマ帝国の貴族らしいことが分かった。野獣めは人前で言うことさえはばかれるおぞましい性癖の持ち主で、動物同然の生活を強要し、その苦しさに耐えきれずに首枷をつけたままの姿で逃げてきたのだと思われる。
「で、どうだい? 神聖ローマ帝国の変態貴族とやらが、娘を取り返しにくる気配はないかい? ヘンな野郎が酒場にやって来るとか、怪しい手紙が届くとか?」
 ギルドの職員が水を向けると、チャールズは頭を振った。
「いいや、幸いなことに毎日平和な暮らしが続いておるよ。近所のいたずら小僧があの子に好奇心を持って、やたらと店の中をのぞきたがるのだけは困りもんじゃがな」
「そうか。それは良かった」
「じゃが、あの子の心の傷はまだ癒えてはおらんのじゃ。真夜中、わしらが眠っていると、あの子は悪夢にうなされて叫ぶんじゃ。わしはその声で目を覚まし、あの子を抱いてなだめてやる。あの子はわしの腕の中で思いっきり泣いて、そして再び眠りにつくんじゃ。ここのところ、そんなことの繰り返しじゃな」
「可哀想に。あの子は‥‥」
 机の書類を整理する手を休めて職員が顔を上げると、チャールズの厳ついひげ面がすぐ目の前にあった。懇願のまなざしで職員を見つめている。
「頼みがある。知恵を貸して欲しいんじゃ」
「なんなりと。代金は十分に貰っているからね」
 チャールズは周囲に聞こえないよう、声を潜めてささやいた。
「わしはあの子に幸せな人生を歩ませてやりたい。だから、あの子の過去が人に知られぬよう嘘をつかねばならん。あの子はおぞましい仕打ちを受けて逃げてきた娘ではなく、どこか別の場所で別の人生を生きてきた娘なのだとな。しかもそれは、すぐに見抜かれる嘘ではいかんのだ。じゃが、わしの頭では良い知恵が浮かばん。それに、あんな小さな子に、自分の過去を嘘で隠してこれからの人生を生きていけなどと、どうやって教えたらいいものか‥‥」
「分かったよ、親父さん。うちの冒険者は知恵者ぞろいだ。みんなで考えていけば何とかうまい知恵が絞り出せるさ」
 事務員が新しい羊皮紙を取り出し、依頼書を書こうとすると、チャールズが付け加えた。
「それから、できればあの子に新しい名前を付けてやりたいんじゃ。本当の名前は解らぬ。かといって、いつまでも名無しのままでおくわけにもいかんじゃろう。それに‥‥」
 酒場の仕事を終え先に眠っている少女の様子を見に行くと、恐ろしい夢でも見ているのだろうか、いつも枕を涙で濡らしているのだ。眠りもあまり深くないのであろう。時に啜り泣き、時に小さく悲鳴を上げる。そんな時に聞こえるのはいつもシフール語。こちらも少ししか覚えてないとはいえ、この単語はいやでも分かる。
『ママ! ママ!』
 確かにまだまだ心は癒されていないだろう。だがしかし、毎晩といっていいほどに悪夢にうなされる少女の姿は、家族たちの心をも締め付けた。

 チャールズの酒場からさほど遠くない街の広場に、旅芸人の一座とおぼしき一行が馬車に乗ってやってきた。
「さあ皆さん、お立ち会い。エンジェル・カルテットが遠路はるばるやって参りました。パリの皆様に神のご加護を。そしてパリの子どもたちに楽しい夢のひとときを!」
 流暢な口調で挨拶するのは一座を率いるナイフ投げの軽業師。派手に飾り立てられた馬車には空を飛ぶ天使の絵が大きく描かれ、その絵の下で天使の羽根飾りをつけたエルフの楽師がにこやかに笑い、楽しく竪琴をつま弾く。それに合わせてシフールの笛吹きが横笛を吹きながら空を舞い、集まってきた子どもたちに太ったパラの恭しくがお菓子を配る。
「さあ、おいしいお菓子があるよ〜。遠慮なく食べるんだよ〜。まだまだたくさんあるからね〜」
 わ〜い! 歓声をあげてお菓子に群がる子どもたち。そして太っちょ恭しくと笛吹きシフールの道化芝居が始まり、広場に笑いの輪が広がってゆく。
 それは街で毎日のように見かけるほほえましい光景の一つにすぎない。だがそれは表向きの話。人の目の届かぬ闇の中で、失ったものを取り戻さんとするおぞましい計略は進みつつあった。

●今回の参加者

 ea0907 ニルナ・ヒュッケバイン(34歳・♀・神聖騎士・人間・神聖ローマ帝国)
 ea1605 フェネック・ローキドール(28歳・♀・バード・エルフ・イスパニア王国)
 ea1625 イルニアス・エルトファーム(27歳・♂・ナイト・エルフ・ノルマン王国)
 ea1643 セシリア・カータ(30歳・♀・ナイト・人間・ノルマン王国)
 ea1681 マリウス・ドゥースウィント(31歳・♂・ナイト・人間・ノルマン王国)
 ea1708 フィア・フラット(30歳・♀・クレリック・人間・ノルマン王国)
 ea2181 ディアルト・ヘレス(31歳・♂・テンプルナイト・人間・ノルマン王国)
 ea2564 イリア・アドミナル(21歳・♀・ゴーレムニスト・エルフ・ビザンチン帝国)
 ea2600 リズ・シュプリメン(18歳・♀・クレリック・エルフ・フランク王国)
 ea2762 シャクリローゼ・ライラ(28歳・♀・ジプシー・シフール・エジプト)
 ea3770 ララ・ガルボ(31歳・♀・ナイト・シフール・ノルマン王国)
 ea4668 フレイハルト・ウィンダム(30歳・♀・バード・人間・ノルマン王国)
 ea4747 スティル・カーン(27歳・♂・ナイト・人間・イスパニア王国)
 ea5187 漣 渚(32歳・♀・侍・ジャイアント・ジャパン)
 ea5840 本多 桂(32歳・♀・浪人・人間・ジャパン)

●リプレイ本文

●うたはともだち
「‥‥そういう事があったのですか」
 フェネック・ローキドール(ea1605)がチャールズの店に集まった冒険者達に話を聞いて溜息をつく。異種族に厳しい隣国から逃げ出したと見られるエルフの少女。言語もまともに話せず、帝国の公用語であるラテン語に怯え盲目的に従う少女。酒場の主のヒゲ親父チャールズか自身と同種族の少女リズ・シュプリメン(ea2600)の後ろに引っ付いたままのこの娘が話題の中心であった。少女と同じエルフのフェネックだが、このような年頃の少女‥‥というか「子供」との接触経験が浅い為にどう対応していいか困惑している模様である。唯一の救いは彼女に対し少女がそれほど悪い反応を示さなかったことだろうか。リズやチャールズの後ろに隠れながらも、その目には怯えや怒りといった意思を感じることはなかった。
(「過去の辛い経験に目を背け記憶を閉ざした、偽善者的な僕から見れば‥‥己の記憶を手放さなかった少女は、ちょっと眩し過ぎますね」)
 自嘲的な笑みを浮かべながら。フェネックはチャールズに提案した。
「少し言語は覚えたようですが、まだ時間がかかりそうですね。よろしければこちらに通わせていただきたいのですが。あ‥‥『歌姫』というには少々色気のない格好ですけど」
 女性の姿の方が良いならそのようにします、と付け足して。
「同じ種族の方が彼女も怖がらないようですし。護衛の役にはならないかもしれませんが、少しくらいなら音楽も教えられますよ?」
 少女の方を向きなおして、にっこりと微笑んだ。
「?」
 興味を示したように首を傾げる少女に、フェネックは何やらむにむにと呟くとぴかりとその細い身体を光らせる。
『こんにちは。僕の名はフェネック・ローキドール。よろしくね』
 びっくりした少女はしばらく黙っていたが。
「はい」
 フェネックに笑顔を見せると、数少ないゲルマン語のレパートリーのひとつを披露した。彼女が何を聞いたのかは流石に分からなかったが、拒否反応が見えなかったところを見ると悪い感情はなさそうだ。チャールズは膝をぽんと叩くと、フェネックに向かって言った。
「給金はあまり出せんぞ。あと、服の方はお前さんで何とかしてくれ。うちの客はそれほどガラは悪くないが、絡まれないという保証はないぞ? お前さんのような別嬪が歌うならな」

●偽りの過去
「流行病で母親を亡くし、商人の父親は娘と暮らすための最後の一稼ぎとして他国に旅立っている‥‥というのはどうでしょう」
 哀しいけどよくある話です、とマリウス・ドゥースウィント(ea1681)。
「おいおい、それじゃシフール語とラテン語の理由が分からないぜ」
「うーん、世話役が二人いたとか。一人はシフール、もう一人が神聖ローマからの移民者だったのだが、前者に比べて後者が意地悪でそれが刷り込まれてしまってそれ風の発音を聞くだけで身構えてしまう‥‥苦しいですね」
 ちなみにマリウスは騎士である。嘘をつく事は騎士道に外れる行為ではないか? という考えもあったのだが、彼は思い悩んだ結果ここにこうして提案を述べている。一人の少女も救えずに何が騎士か。誰にも迷惑をかけぬ嘘一つで少女の安息が守られるなら。それが彼の騎士道であった。
「なあなあ、その子、リズさんの妹って話じゃ駄目なンか? よぉ懐いてるみたいやし、手っ取り早いと思うんやけど」
 チャールズよりも逞しい腕をひょいと上げて漣渚(ea5187)が言う。少々訛りの強いノルマン語だが、彼女も彼女なりに少女を思ってくれているらしい。だが彼女の提案にもやはり穴が生じてしまう。
「おいおい、リズにもちゃんと親父さんがいてだなあ」
 ここにいないリズの父親を巻き込むわけにもいかない。ジャパン人らしい丈夫そうな黒髪をもしゃくしゃと掻きむしると、渚もうーんと押し黙ってしまった。
「あんま難しい事はアカンねん‥‥」
 艶やかなシフール、シャクリローゼ・ライラ(ea2762)が頭を捻りながら意見を言う。
「本物のご両親が現れた時の為に、亡くなった事にするより『現在捜索中』の方がよろしいかと思うんですけど」
 ‥‥ローマで言語に影響するまで育てられた娘の親がノルマンに現れるだろうか? そしてこの小さな酒場まで辿り着けるだろうか。シャクリローゼは自分が言った意見で思考の迷宮に突入する。
「遠方で暮らしていたので、まだゲルマン語を会得出来ていない。酒場の常連客の冒険者の子で、旅生活の為に極度の人見知りになってしまい、同年代の子がいるチャールズさんに預かって欲しいと言われ、預かる事にした。‥‥こんな感じでいいんじゃないですか?」
 イリア・アドミナル(ea2564)が板に棒状の炭でなにやら書き込みながら口にすると、ニルナ・ヒュッケバイン(ea0907)がぼんやりと意見を述べる。
「私は『事故か何かで両親を亡くし、孤児になっていた少女を縁があったチャールズさんが引き取る事にした』‥‥位しか思いつきませんね」
 最もニルナが考えていたのは、少女に関する嘘よりも彼女を追い込んだ祖国の事の方が多かった訳だが。
(「‥‥嘘をつかなければならないほど彼女を追い込んだ者達を、私は許せるでしょうか‥‥?」)
 己の生まれ育った祖国から突き付けられた「闇」。ニルナの心情は‥‥穏やかではない。
 リズが板切れにまとめた文章はとんでもなく話が交差していた。
「えーと、チャールズ様のお父様が昔お世話になった命の恩人の冒険者夫婦の孫」
 ずびしっと娘を指差す。
「で。彼女の父親は娘の出産費用を稼ぐ為に張り切って冒険に出たが冒険中に行方不明になり。母親も実家に娘を預けて夫を探す旅に出たままそれっきり」
 この時点でもなかなかディープな設定だが。どうやらまだ先があるらしい。
「預けられた親が今年の夏に心労と夏の暑さが重なってついに他界。元々高齢で親類も頼る宛も無かったらしいが、死の間際にチャールズ様のお父様の事を思い出し『世話になったお礼は必ず返します』という約束をしたらしく、それで親父を探していたら、ここに辿りついたということらしい」
 チャールズの耳から煙が噴いてる様に見えるのは気のせいか。
「この子が持っていた手紙にそのことが書いてあって、放り出すわけにも行かないし不憫なのでウチャールズ様の家で引き取ることにした。証拠の手紙はラテン語で書いてあって、それが読めなかったので私たち冒険者に頼ってい」
「長いわーーーーーーーーーーーーっっ!!」
 ‥‥チャールズより先に、ララ・ガルボ(ea3770)が切れた。まあ仕方ない。面倒な事大っ嫌いなシフールだし。
「もーみんな難しく考えすぎ。覚えきれないってば。要するに、ポイントさえ押さえておけばいいんじゃないの?」
 この言葉に全員顔を見合わせて納得。皆の話をまとめ、とりあえずあいまいながらも通じる話を作り上げた。以下にその内容を記す。
『少女の両親は大変な変わり者で、少女もひどく変わった育てられ方をされてしまった。なんでもシフールの乳母を雇って育てさせたとか、幼い頃にローマ出身の盗賊にさらわれたとかいう話も聞いたが、どこまで本当なのか分からない。その両親はチャールズに少女を預けて失踪中。どこかで冒険の最中らしいが何しろ変わり者のことだから、いつ戻ってくるかも分からない。もしかしたら不慮の死を遂げている可能性もあるが、その時にはチャールズが養女として育てることになっている』
 なに? 無茶だ? 勿論、無茶は承知の上である。

●新しい名前
「アリス」「グラーティア」「フローラ」「フィオ」「ラクメリア」「マリン」「チェルシー」「ソフィー」「フェリシア」「イリス」。
 少女の為に、皆が考えた名前である。‥‥ちょっと多すぎる感も無くはないが。
「とりあえず、本人に聞いてみるか。気に入るものがあればそれに、なければ俺が選ぶとしよう」
 チャールズが言うと、シャクリローゼとララが少女に告げる。少女はこくりと頷いた。
 一つ一つ、綴りを見せながら。チャールズが少女に名前を読み上げていく。
(「仮とはいえ、この子の名付け親になれるのかぁ。ちょっとどきどきっ☆」)
 ララの考えた名前が読み上げられる。
「ソフィー」
 ‥‥少女、無反応。ちょっぴり切ない気分になりながらも、名前が読み上げられる度に少女の反応をチェックする。そういえば二人に対しても少女は特に抵抗はない。やはり「人間」という種族を恐れていたようだ。
「その割にはチャールズにはすぐに打ち解けた‥‥というか馴染んだというか、っていう話ね。同じ人間だってのに、何でこんなに違うのしら」
「ああ、それは」
 本多桂(ea5840)の疑問にイルニアス・エルトファーム(ea1625)が答える。
「髭のせいだろうね」
「ヒゲ?」
 予想外の意見に桂もびっくりである。
「あの国には『髭を剃る』習慣があるのだよ。髭を生やしているのはみっともない事なのさ、どんなに手入れをしてもね。だから」
「髭のあるこの人ならローマとは関係ないから助けてくれると思った、ってこと?」
 イルニアスはゆったりとした動きで首を縦に振る。
「‥‥まあ、ドワーフと勘違いした可能性も否めなくはありませんが」
 噴出した桂に微笑を見せるイルニアス。と、彼の提案した名前が読み上げられた。
「グラーティア」

 少女の目が、大きく見開かれた。

「なに? どうしたの?」
 少女の反応に、二人のシフールが同時に話を聞こうとする。
「ぐらーてぃあ?」
 『恩寵』という意味をこめた名前だ、と先ほどイルニアスが話していたが。この反応は、いったい何があったというのだ。
「どうしたの? いやな名前?」
 少女は首を横に振る。彼女がシフール語で話すには。
「いやじゃない。でも、駄目。ぐらーてぃあ、駄目」
 ‥‥よく分からないが。駄目であるらしい。しかし、「いやじゃないけど駄目」とはいったい‥‥?

 次々と名前が告げられていく。スティル・カーン(ea4747)は祖国の言葉『幸福』から「フェリシア」と。フィア・フラット(ea1708)は「フィオ」。こちらは彼女が将来自分の子供につけたかったという名前なのだそうだ。どれを読んでもあまり反応はない。ララやシャクリローゼがこめられた意味を説明しても、頭を捻るだけでどうも決め手にかけるらしい。本当に考えているのかどうかは少しばかり不明だが。

「アリス」
 ニルナの考えた名前である。『真実の子』という意味があるのだそうだ。よい名前だろう。
 本来ならば。

 少女はその名を聞いた瞬間。がたがたと震え出した。耳をふさぎ、首をぶんぶんと振る。髪の毛の乱れも気にせずに。それは二ヶ月前のあの日、彼女が叫んだ言葉とほぼ同一で。
「いや! いや、いやいやぁっ! だめ! こわいっ!!」
 リズやフェネックが抱きしめ、介抱する。涙こそ流れていないものの、顔色はただでさえ白い肌を更に青白くし、唇まで震わせている。何が彼女をそこまで怯えさせるのか‥‥? それは、今は彼女にしか分からない事実である。
「‥‥そうか。じゃあ、『アリス』は駄目だな。どうかな、いい名前はあったかな?」
 優しく頭をなでながら、リズがチャールズの代わりに尋ねた。呼吸も少し落ち着いて、ようやっと顔に血の気が戻ってきた時。
「‥‥シー」
「ん?」
「ちぇるしー‥‥チェルシー」
 どうやらお気に入りは、シャクリローゼのものだったらしい。

●少女の教育・本当の過去
 さて、だいぶ道草を食ってしまったような気もするが。
 本来のチャールズの依頼もきちんとこなさねばなるまい。
 という事で、お勉強である。

 ‥‥はい、そこの渚君。何で君はチェルシーの隣に座って黒板を用意しているのかね。
「あはは。ええやん、一人で勉強したかておもろないやろ? うちも綺麗なゲルマン語覚えたいねん、一緒に勉強させてぇな。ライバルいる方が張り合いあるでぇ? な、な、ええやろチェルシー?」
 普段見慣れぬ大きなお姉さん。一方的にライバル宣言されてるとも知らず、チェルシーはニコニコ顔だ。勿論勉強することの楽しみと、新たに登場したこの愉快なお姉さんとのお話(あまり詳しくはわからないが渚はなんだか見ていて楽しい)が、チェルシーをわくわくさせているのだ。
「た・の・し・い」
「う・れ・し・い」
 草木が水を吸うように。チェルシーは言葉を、少しずつだが覚えていく。負けてられませんよ、渚君?
「わ‥‥わーっとるわいっ!」

 少女と女ザムライの二人が競う様に勉強している頃。
「先生」達は「お父さん」チャールズと面談中であった。きっかけはイルアニスの一言である。イルアニス本人としては何気ない一言だったのだろうが、チェルシーにとっては少々厳しい言葉だったようだ。
「もしかしたら彼女を囲っていた貴族‥‥パリにいるんじゃないですかね」
 チェルシーは恐怖におびえ、その日一晩がたがたと震えるばかり。リズが添い寝をしてくれたおかげで何とか助かったが、やはりまだ彼女の過去に関しては触れるべきではないのかもしれない。
「以前、彼女は私の描いた絵で涙を流しました。‥‥私は、あの涙の意味が知りたいのです」
 ニルナがぽつりと語った。確かにあまり上手いとはいえないだろうが、彼女が自分を描いた絵で涙をこぼす理由。ニルナには踏み込めない領域なのかもしれないが、だけど、あの涙は何とかしてあげたい。そう語った。
「でも、急ぐ必要ってあるんでしょうか」
 イリアが小さく手を挙げた。
「勉強もそうですが、無理に詰め込んだり引っ張り出したりする必要ってあるんですか? 僕は‥‥彼女が自分から口に出してくれる日がきっとくると思ってます。だから‥‥」
「だからといって下手に同情することはないと思います」
 ついと意見を口にするリズ。いつでもチェルシーの近くにいる人物は、やや冷酷とも思われる意見をさらりと口にする。
「あの子は少し変わった環境で育っただけの『普通の女の子』なんです。少なくともここにいる間は。で、誰かあの子を『本来の主』の元へ返そうと思ってる人は‥‥いませんよね? なら、あの子は『普通の女の子として』扱うべきです。本当にあの子の事を思うなら」
「賛成。いくら外は危ないからといって、幽閉するわけじゃないよね〜?」
 ララである。ナイトにあるまじきというか非常にシフールらしいというか、そんないたずらっぽい笑みを浮かべると。
「彼女を『普通の女の子』に戻すために。れっつ課外授業っ☆ なんか芸人さん達が来てるらしいですよっ♪」
 そう言うと、ふわりと飛んで少女たちの勉強室へ。
「あ、ちょっと、あたしもっっ!!」
 桂がばたばたと後を追う。やれ、一気に賑やかになったものだ。
「‥‥ところで、なんで桂は箒なんか持ってるんだ?」
「さぁ?」
 ‥‥まあ、特に気にすることでもないだろう。ひと段落ついてしまったところに、スティルがポツリと自分の考えをもらした。
「彼女が嫌がらないなら、気分転換に‥‥なんて言うかな、髪形とかいじってみるってのはどうだろう。男でも髪を切ると気分がさっぱりするものだ。まあ、これはチェルシーの考えもあるけどな」
 ああ、俺自体は女の子の髪なんていじれないぞ? と付け足しながら、それでも彼は彼なりに彼女のことを考えている。あごの辺りを指先で掻くと、少し照れくさくなったのか「護衛にいってくる」と立ち上がったスティル。一見冷たいように見えるが、どうしてなかなか紳士である。
「まあ、細かい事はおいておいても。あの子に関しては、下手に探り出そうとしない方がよさそうだな。‥‥いつかは向き合わねばならない事だが、今はまだその時ではない。時が経てばあの子から言い出してくれると信じてるから。ゆっくり行こうじゃないか」
 チャールズの言葉に一同が頷いた。
「え?! な、なんで動かないの?!」
「あ、箒? これの事?」
「ちょっと、何掃き掃除になんか使ってるのよ?!」
 あはははは‥‥。
 にぎやかな声が外から聞こえてきた。‥‥少しずつ、心の枷は解けているのだから。

●警戒
 静かで穏やかな宿の日常。一つのテーブルを囲み、祈りを捧げてパンを割く。野菜主体のメニューだけど、立ち上るスープの湯気が、家庭の暖かさを少女の心の襞に、また今日も染み込ませていく。
「親父さん。いいか?」
 フレイハルト・ウィンダム(ea4668)が主を呼びに来た。
「ああ、込み入った話のようだな‥‥」
 彼女の眼差しに席を立つ。家族や、特にあの娘に聞かれてはならない話であろうと合点して、チャールズは地下の酒樽置き場に手招きする。
「ここなら立ち聞きもされん。話と言うのは?」
「多分、追っ手は近づいている。チャールズ一家が総手で警戒しても、一日中見張っているわけには行かない。その手の専門家は子供が息を止めていられる時間、たったそれだけの隙が在れば拐かせるものだ。少し危険だが、荒療治をするしかない」
「言いたいことは判る。それでどうする積もりだ?」
「こちらから仕掛けて、芋蔓式に相手を嵌めて行くしか方法が無い。何時までも私たちがガードし続けることが無理な以上、守りの堅い今しかできない」
「今の内に膿は絞り出せと言うのか?」
 フレイハルトはゆっくりと頷いた。

 日が昇る。太陽の輝きが地上を掃き清めて行く。箒を手に宿の周囲を回っていると、今朝も一人の少年が、もじもじしながらうろうろしていた。
「やあ少年、やはり来ていたか」
「あ‥‥あの‥‥」
 いきなり声をかけられてどぎまぎする少年に、フレイハルトは顔に吐息のかかるほど間近に近づいて囁いた。
「お目当ては、この店にいるかわいいあの子だね」
「う‥‥うん‥‥」
 少年は頷くだけで精一杯。
「あの子が気になるのかな? いつもここに来るってことは、かなりのお熱なのかな?」
「そ‥‥その‥‥その‥‥」
「ん? なるほど、その様子では‥‥やはりそういうことか」
 フレイハルトがにんまり笑う。
「今度、一緒に会わせてあげようか?」
「お、オレ、オレ‥‥」
 少年の顔は真っ赤だ。
「ふふふ、誘い出すときには私がお膳だてしてあげよう」
「オレ、今日はもう帰る!」
 少年は逃げるように走り去ろうとした少年に、フレイハルトは声をかけた。
「私とキミは今日から友達だ。頼みがあるならいつでもおいで」
 少年の足がぴたりと止まる。
「う、うん。分かったよ。お姉ちゃん」
 そして少年は再び駆け出し、路地裏に消えた。
 その後ろ姿を見つめてつぶやくフレイハルト。
「目立ってるねこの上もなく目立ってる」
 フレイハルトの目にあれだけ目立つということは、あちら側の連中にとっても‥‥。フレイハルトの胸中で、いたずらっ子な策士の自分がささやきかける。さあ、お次はどんな手を打ってやろう?

●旅芸人にご注意
 太鼓の律動が聞こえるくらいの近所での興行。
「やっぱ、連れてかなんだら不自然やろか? 近所やし」
 渚は興味深げな少女の様子に気を使う。ガードを固めていたら大丈夫。と言う目算もあった。
「いや、用心した方がいいであろう。芸人一座が件の貴族の追っ手であったら薮蛇だ。私たちも一生傍にいて護ってやれる訳ではない以上、危険な真似は避けた方がいい」
 ディアルト・ヘレス(ea2181)が慎重論を唱える。
「いざというときは斬って捨てても」
 と、物騒な覚悟の桂を制し、ディアルトは、
「追っ手がもう来ないとは言い切れない。逆に場所を特定されて仕舞うかも知れないぞ」
 そして、長い黒髪のカツラを示し、
「どうしても行くなら、せめてこれを付けて行け」
 自身も付け髭を付ける。
「ほな、うちが肩車して連れてくさかい。あんじょう頼みますわ」
 渚が少女を担ぎ上げた。

 恥じらう乙女のように憧れの眼差し。幾重にも出来る人の輪。
「はいはい、子供は前に。買った子供はもっと前に」
 芸の途中で、太鼓とシンバルを身体に身につけた奇妙な風体の菓子売りが籠で飲み物と焼き菓子を売って歩く。小麦の焼き菓子に麦の水飴、ブドウ水と言ったメニューだ。料金はたかが1Cの安い菓子だが、買えない子供の方が多い。
「うわぁ〜」
 歓声が上がる。人の肩に人、その肩に人。シーソーを使ったジャンプで、文字通り人梯子。城壁よりも高くあれと積み上がる。

 興味深げにそれを眺め、歩み出そうとしていた少女をニルナの腕が優しく抱き留めた。
「だめ。ここにいなさい」
 不吉な予感がし、思わずラテン語で命じた。びくんと反応し、こくりと頷く少女。彼女を連れ戻しに来た連中かも知れない。

「見事なもんだな」
 様子を見に来たイルニアスが呟いた。大人達も仕事の手を止め見物に来るほどの賑わいだ。

「おじょうちゃん。もっと前へ」
 シフールの道化が、曲芸飛行で金髪の少女の前を飛び回る。
「え? あたし‥‥」
 お金が無くて遠くでじっと見ていた子だ。短剣投げが近寄って、手招きする。
「出し物のゲストは、昔から可愛い子に限るってね。さ、手伝っておくれ? 美味しいお菓子もたんとあげる」
 金髪の少女も、可愛い子と言われて悪い気はしない。
「さ、皆さん拍手を!」
 拍手の中、照れくさそうに人混みを分けて中央へ。

「おかみさん。この一座は良く来るのかい?」
 隣に立ち見している近所のおかみさんに、イルニアスは訊ねる。
「いいや、あたしもこんなの初めてさ。子供の時から一度も見たこと無いよ。あぁ、素晴らしい芸だね。ご覧!」
 少女の頭と広げた両手の上にりんごが置かれた。シフールの道化は、金髪を掻き上げ、
「怖くないよ。絶対に安全だから。さ、勇気を出して。おみやげのお菓子が待っているよ」
 笛に息吹を込める道化師。異国の不思議な旋律が非日常に人々を酔わせ、少女は聖母のような笑みを浮かべ、一座のスターになった気持ちに成って行く。
 不意に笛の音が止まった。太鼓の小刻みな律動。シンバルの音と共に短剣が放たれ、
 ドス! ドス! ドス! っと三連の響き。
 観客からぱちぱちと起こった拍手に、金髪の少女はスター気取りで促されるままに一礼する。そして、参加のご褒美は両手一杯のお菓子。満面の笑顔で輪の中に戻って行く。
「いいなぁ‥‥」
 羨望の眼差し。
「さぁ。次はどの子に手伝って貰おうかなぁ〜?」
 子供達が、次は自分が選んで貰おうと、自然に足が前に出る。
「あらあら、そんなに詰めたら迷惑でしょう?」
 様子を見に来ていたセシリア・カータ(ea1643)が、成り行きに子供達を注意した。前の方は、旅芸人達が地面に引いた円のぎりぎりまで、子供が押し合いへし合いの状況に成っている。
「あ、そこの絶世の美女!」
 最初セシリアは自分のこととは気づかずに、きょとんとしていたが。
「君たち、あの綺麗なお姉さんを連れてきて。一緒に出て貰うから」
 指名を受け、待ってましたとばかりに飛び出した金髪の男の子と女の子の二人に両手を掴まれ、あれよあれよという間に中央へ。
「この箱に入って下さい」
 彼女の腰まである大きな箱。何カ所かに切れ目が開いている。
「何も心配在りませんよ。入ったら屈んで下さい」
 冷たい鉄の感触が、屈んだ足に伝わって来る。
「さ、これは良く切れる剣ですよぉ〜」
 びゅんと一振り、麦藁の束を両断する。レイピアにしては良い切れ味だ。いや、奴らの腕も相当なもの。
「さ、ぼくたち。この剣で切れ目から箱を刺して」
「大丈夫なの?」
 不安げに女の子は聞く。
「これは魔法の剣だから、美人のお姉ちゃんには刺さらないよ」
 少女の金の髪をなで上げた。
(「そうでしょうね。中は鉄の箱だもの」 )
 仕掛けに気づいたセシリアは、子供達を不安がらせないようににっこり。
 場を盛り上げる小刻みな太鼓の音。剣が突き刺される時のシンバル。観客をどきどきさせながら、出し物は終わった。
 ちゃっかりとお菓子を貰いながら、ようよう戻るセシリアに、同じく様子見に来ていたイリアが近づき。こう告げた。
「ねぇ。気づきました?」
「え?」
「さっきから、金髪の女の子ばかりですよ」
 イリアの言うとおり、必ず金髪の、それもあの子と同じ年頃の子が混ざっている。そして、何気ない動きで髪を掻き上げている。
「‥‥まさか‥‥」
「状況が状況だけに注意しないと」
 次ぎに呼ばれたの中にも、金髪の、それもあの子と同じくらいの女の子が入っており、
「やっぱりね。ああして耳を確認しているのですよ」

 夕刻。天使の幌を持つ馬車は、一日の講演を終えて郊外の草原に宿を取った。茂みの中から楽屋の馬車に近づいたシャクリローゼは、エックスレイビジョンで中を探っていた。一枚の絵を囲んで小声で話をしている。
(「あれって‥‥。あの娘ですね‥‥」)
 描かれているのは紛れもないあの子。首輪だけをつけたあられもない姿で豪華なソファーに寝そべっている。その様は、飼い慣らされた仔猫のようであった。微かに聞き取れる言葉は、ゲルマン語では無い。内容は判らないが、どうやらラテン語のようであった。