●リプレイ本文
●噂
巷に流れる妖しい噂。真に、人は自分の信じたい物を信じるものだ。
「お殿様。約束が違いませぬか?」
フランク・マッカラン(ea1690)は、じろりと依頼人を睨み付ける。汗を拭いながら、しどろもどろに答えが返る。
「し、知らぬ。わしは知らぬ。仮にも若い娘を公衆の面前で裸に剥くなど、そんな破廉恥は神の呪いを受けてしまうぞ。毒殺の姦婦とて、斯様な辱めは与えられぬ。せいぜい火あぶりが関の山だ。神を懼れぬそのような悪行。仮令、家の奴隷に為したとしても、ジーザス教徒の女性の肌を素裸にして晒したとなれば、国王様が裁きを為し、影に対する復讐の辱めをその者にお許しになることだろう。教会は、わしが真に悔い改めたと判断するまで、赤子に洗礼を授ける他の一切のサクラメントを停止してしまうに決まっておる」
まして、負けたら全裸で晒し台に上げられると言う騎手、ヴィーヴィル・アイゼン(ea4582)の主君こそ創り主なのである。
「では、裸に剥くとはお殿様のご意志では有りませぬな」
念を押す。いったい、噂を撒いたのは誰であろうか?
「隠し事は困ります。勝利を望むならば、事実か否か胴元はどなたかだけでも教えていただきたい」
「義士殿。名目上はさる大貴族のご子息がレースの主催者だ。ただ、その背景にはバルディエめが居る。何を考えて居るのか判らぬが、貧民救済と銘打って何人もの貴族をレースに誘った。集めた金は、教会を通じて優勝者の名でパリの貧民に配られると聞いている」
「つまり、勝者は少ない投資で名誉を贖われるわけじゃな?」
巧妙な売名行為である。誰が勝利しようと、主催者の人気は上がるだろう。ギャンブルとは胴元が一人得をする仕組みでもあるのだ。
後ろから解説するジェイラン・マルフィー(ea3000)。
「フランク爺さん。向こうがそんなんなら、こっちも対抗するまでじゃん」
にやりと笑って皆から預かった金の袋を持ち上げた。
●シファネ
厩に進み行くと、コツコツと前掻きの音が一斉に響き始めた。飼い葉を運ぶ馬丁の他に、三つの影。騎士のカタリナ・ブルームハルト(ea5817)に、神聖騎士のニルナ・ヒュッケバイン(ea0907)とヴィーヴィルだ。いずれも美々しき女性であるが、思慮深い大人のニルナ達に対し、彼女らの娘のような年頃のヴィーヴィルは、神聖騎士と言うよりは見習いの従士と言った風に見える。
「ここから先は私たちだけで参ります」
有無を言わさず馬丁を返し、さらに奥に進み行くと、ノーマルホースとは思えない見事な馬がそこにいた。突然、辺りが静かになった。荒ぶる馬の興奮は嘘の様に解け、乳飲み子が母を見るが如く、澄んだ瞳が一点に注がれる。
「ゴメンね‥‥本当に‥‥謝って済むことじゃないけど‥‥」
ヴィーヴィルは、やんごとなき理由で別れた半身に呼びかける。そして手綱を取ると、シファネはそれが当たり前かのように彼女に従った。
「‥‥やっぱりシファネはヴィーヴィルさんの馬だよね」
微笑むカタリナが飼い葉を桶に入れると、たちまち元気になったシファネは二歳馬の様に食欲旺盛。エン麦、岩塩、空豆にレンズ豆、瞬くうちに平らげる。
「くすっ。なんか、現金だよね」
カタリナは以前とは人変わり、否、馬変わりしたシファネのたてがみを撫でてやった。
今度は気持ちよさそうに、毛を刈られる子羊のように従順だ。
「正規の決闘ではありませんが、面子と大金の掛かった勝負です。何かあるかも知れませんね。暫く預かっていて下さい」
ニルナはリカバーポーションをカタリナに渡しながら、油断無く目配りをする。
「カタリナさん。不寝番をお願いします。昼間は私が付きっきりで護りますから、今の内に仮眠を取って下さい」
「え? 私は?」
ヴィーヴィルがなんだか一人前の扱いを受けていないような気がして、不安げに訊ねた。
「ヴィーはシファネと特訓に決まっているよね? 勝てなかったら裸で晒しなんて噂も流れているし」
からかうようにカタリナは言う。さっと血の気が引くヴィーヴィル。
「皆、絶世の美人のあられもない姿を期待してますよ」
ニルナも手厳しい。見る間にヴィーヴィルの顔が色づき、
「‥‥決して負けません!」
顔を真っ赤にして叫ぶ。ポン、と背を叩き、
「大丈夫。私たちがついているから」
二人はハモるように太鼓判を押した。
●尾行
利賀桐 まくる(ea5297)の役目は馬丁の監視だ。正午の鐘が鳴る頃、牧場に馬が放たれた厩。掃除をしている馬丁の元に一人の男がやって来た。まくるはその発音を再び丸暗記する。例えば「いま何時だ」を「掘った芋弄るな」風に仲間に告げ、会話の内容を知らせるのた。
「だ‥‥旦那様」
馬丁はもじもじと言葉を発する。実は、カタリナらの提言もあって、馬丁の待遇はかなり改められていた。
「皆まで言うな。今後は自分の身だけを考えろ。世話を掛けたな。感謝する」
金貨の小袋を再び。馬丁の手に握らせて男は去った。すかさず、まくるは尾行に入る。
身のこなしからすると冒険者でも無い。だが相当の武辺者。試しに、物陰から狙いを着けてみた。するとどうだろう。何かを感じたらしく、こちらを振り向くでは無いか。振り向いたとき、風にマントがめくれ、左の腰に奇妙な武器がちらと見えた。ハルバードを短く切りつめたような得物だ。
まるで男の周りに、結界が出来て居るかのようだ。そして、その歩みは異様に早い。常人ではあっという間に引き離されていることだろう。
そして、男は馬車を停めた木の前に来た。
「はぁ!」
合図一声。駆け出す馬車の下に、必至でまくるはしがみついた。
●特訓
「さあ、やりましょうか?」
ニルナはカタリナとタッグを組んで、試合のための大特訓。先ずはシファネの負担を軽くすべく、ダイエットを兼ねたヴィーヴィルのランニングだ。馬に負担を掛けない乗り方は体力がいるし、騎手が軽ければ軽いほどスピードは出る。鼻と口を二重に布で覆い、躯全体に羊毛を巻き付け、朝のランニング。その間シファネはじっくりと時間を掛けて、ニルナ特別製のスタミナ増強食を食べる。エン麦を中心に、刻んだ青草、すり下ろしたカブ、岩塩、蜂蜜やオリーブ油も配合された贅沢な食事だ。飲ませる水は、一度湧かして古いワインを加えた物。それを通常の倍以上の時間を掛けて食べさせる。そして、食休み。
「戦場に連れて行く前に、油を加えた穀物を与えるのが秘訣です。充分に与えた後、倍の運動をさせますからね」
どうせ人の金である。勝つためには存分に使わねば損と言うもの。
シファネが食事を終えた頃、ようやくヴィーヴィルが帰って来た。暑さでふらふら、塩を舐めて水で薄めた古ワインを流し込む。
「わぁー凄い汗」
羊毛を解くと、晩夏の厩に湯気が立つ。羊毛を絞れば汗が滴る。水を浴びて汗を流し、僅かなパンとミルクと野菜だけの簡単な食事を、マッサージを受けながら摂る。
「さ、時間は無いわ。やりましょう」
声は優しいが、しごきのツープラトン攻撃だ。ヴィーヴィル以外を拒むだけあって、最初から人馬は一体。仮令手では持たずとも、シファネの手綱はヴィーヴィルが心でしっかり握っている。行くも止まるも自由自在。周りの者は今更ながらに、なぜ馬を手放したのか不思議に思う。多分、よくよくの訳があったのだろう。
「すごい! 直ぐに実践に行ってもいいね」
ニルナは、愛馬ヴァサーゴに跨りヴィーヴィルの隣に貼り付く。カタリナも反対側に位置取る。試合の感覚を実戦的に再現するのだ。勝負を賭けるタイミング。脚を残す駆け引き。初日は正統テクニックを身体に叩き込んで。調教を終えた。
「さぁ、もっと痩せなきゃね」
「えー!」
シファネを休ませている間も、カタリナは鬼コーチ。ダイエット目的の重装ランニングをもう一度。ヴィーヴィルの一日の終わりは、夕食と同時のマッサージの中で暗転した。
●競技場
即席ながら木柵で隔てられた観客席は、スタートすなわちゴールに近い辺りに高台と天幕付の貴賓席が設けられ、コース全体を見下ろしている。そこから見て、コースは短く刈られた草が横に引き延ばされた楕円状。コース左右の柵に沿って赤茶けた土が、馬1頭分の幅で続いている。
ナスターシャ・エミーリエヴィチ(ea2649)らは、散策を装ってぐるり辺りを偵察し、夜に成果を持ち寄った。
「当日は、周囲を取り巻く見物人があちこちに散らばっているでしょう。敵がどこで仕掛けるのか、絞り込むのは厄介ですね」
ナスターシャは考え込む。
「ええ‥‥こちらから見れば、まさに死地ですね。そう考えれば襲撃ポイントだらけです」
広範囲に散らばった観客に混じり込めば、正しくお手上げだ。
ため息を吐くイリア・アドミナル(ea2564)。念入りに設営ヶ所を見て回っていた月読 玲(ea1554)も頭(かぶり)を振り、
「コース自体には何も有りませんね。何度もコースを回る以上、何が起こるか判らないので、敢えて仕掛けはしていないと思います」
三人は顔を見合わせた。見通しは不気味すぎるほど良く、遮蔽物は何もない。そう、当日象(かたちづく)られる観客の存在以外は。
競技場は、守るに至難の立地条件だった。
●獅子と狐
どのくらい経ったであろうか? 馬車は貴族の狩り場らしき場所に着く。忍んで探って行く内に、そこでまくるは信じられぬものを見た。立派な武人風の男が、片膝を付き我が子のような少年に向き合っている。
「オスカー閣下。お願いの儀があって参上仕りました」
閣下と呼ばれた少年は、気の無い顔で
「ふーん。今をときめくバルディエ卿が、こんな子供になんの用? どうせ詰まらないことだろ」
「恐れながら、閣下の力に私めの微力微才が加われば、陛下の騎士団とて、事を構えるのを躊躇致しましょう。我が剣をお納め願えませぬか?」
「お前一人でも一軍を催し、小国の一つも切り従える事が出来るだろ? 跡継ぎでも無い僕の力なんて必要なもんか。君臣の契約を結ぶなら、もっと適任者がいるはずだ」
するとバルディエは目を細め。
「主君は家臣が選ぶもの。なにより家臣を妬み疎んじる者は、主君たる資格がございませぬ。疑い深き者も、また上辺しか見れぬ者も‥‥。獅子の子は、いずれ狐など及びも付かぬ強者となるのは世の道理。下町の少年少女も良き腹心、良き耳目(じもく)となるでしょう。しかし閣下には、爪も牙もお要り用と愚考致します」
その言に、困ったような笑い声。
「判った。勝手にすればいい」
オスカーは根負けしたようにそう言った。
あらましを、茂みの後ろで見ていたまくるは、ふと、背後に気配を感じた。殺気は無い。だが氷のように冷ややかな存在が後ろにいる。さっきの男だ。
「静かに‥‥僕の話を聞け」
ものすごく妙な発音だが、ジャパン語だ。
「ゲルマン語は判るか?」
まくるが理解していないことを看取ると、
「ラテン語はどうだ?」
今度は流暢なラテン語だ。
「す‥‥少しだけ‥‥ほんの‥‥少しだけ」
「いいだろう。お前達は、馬丁を口封じするとでも思っているが、隊長殿はそんなケチな方ではない。何も知らぬ平民を殺したところでなんの益があるものか。勲を立て、それなりの修羅場は潜っているとは言え。身分でしか、上辺でしか物を見れない連中が、高位顕官を独占しているのがこの国の現状だ。確かに彼らには有能な者が多い。だが、この国には二つの人種が居る。門閥貴族とそうでない連中だ。そうでない連中には道が閉ざされている。さあ、帰ってここで見聞きした事を仲間に告げるがいい。罪もない馬の脚をへし折っても勝負に勝ちたい輩と一緒にしてくれるな。約束しよう。馬にも騎手にも危害は加えぬ」
男は、そう言い捨てると姿を消した。
●試合の行方
羽音が聞こえる羽音が聞こえる、幾百ものざわめく鼓動の音が。風が光る風が光る、幾千もの見つめる瞳の声が。ファンファーレの音。滾(たぎ)る空。そして、流れて行く雲。
一列に並ぶ馬たちの、嘶(いなな)く声がつーんと澄んだ空に響く
ピュー。誰かが口笛を吹いた。
「へへへっ。きれいな姉ちゃんだなー」
卑野な哄笑が有らざるものを期待してヴィーヴィルの耳に届く。そのいやらしい目が彼女に注がれる。勝利の黒ではなく、悲壮な決意を示す白い服。だがそれが、百合を連想させ、比無(たぐいな)き美しさを醸し出す。
にこりと、見守るフランクの慈愛に満ちた双眸にヴィーヴィルは応え、強く鐙を踏み、手綱を握った。
少年の手がさっと上がる。白い旗がさっと上がる。どっくんどっくんと心臓の音。喉が乾き指先がぴくりと動いて已まない。
「シファネ‥‥行こう」
腰を浮かし前傾姿勢。闘うには不利な小さなヴィーヴィルの体躯が、今は有利に働く。
さっと振り下ろされたその瞬間。張りつめた弓が繰り出す矢の様に、切られた積水が踊り出す様に、各馬一塊りになって飛び出した。力強いシファネの走りも水平に滑り出す。
と、シファネを囲むように、前後左右が周りの馬に固められた。しかし、これも想定のこと。ナスターシャ直伝の秘策が人馬にはあった。すっと、一番大外を阻む馬の、左後ろに位置を取る。首を回せば確認できる位置だ。
レースは最後のコーナーに差し掛かる。
「え?」
コーナーまで後僅か。シファネの右前を進む騎手が確認のため何度目かに振り返った時、ふっと消えていた。
(「やばい!」)
外に回った筈のシファネを遮るため、大きく右に寄せる。
「うわーーーー!」
歓声が上がる。シファネが囲みを破って飛び出したのだ。前を遮った騎手には、何が起こったのか判らなかった。
実は。騎手が確認する直前。シファネはピタリと後ろに着けた。そして、外に寄せてあいた血路を、一直線に射抜いたのだ。そして、そのまま速度を上げて、先頭集団へ躍り出る。慌てたのは彼らだ。
ヴィーヴィルは、鞍も鐙も手綱も自身の靴さえ投げ落とし、シファネにしがみついた。
策を授けたナスターシャの言葉が脳裏に浮かぶ。
「権力でコマは揃えられても、人の心‥‥気迫までは買えぬものですよ」
騎手の面々は名だたる騎士。妨害は本意ではない。だから、あからさまな事は出来ないと言う心理的盲点が存在した。最後のコーナーを回った直線コース。タイミングを計ってさり気なく寄せようとした馬達を、ゴボウ抜きに抜いて行く。そして、ついにトップに躍り出て、ゴールラインを走り抜けた。
「はいはい。勝負は決まったよ」
落胆する人々を後目に、市民相手のトトカルチョを主催していたジェイランがほくほく顔。随分と利益が出た。これを合わせれば馬を取り戻せるはず。
こうして、依頼人が勝利の美酒に酔いしれる中。神聖騎士の馬は安価で買い戻された。