ザ・チャンピオン〜貴公子オスカー1

■シリーズシナリオ


担当:マレーア

対応レベル:2〜6lv

難易度:難しい

成功報酬:2 G 3 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:08月29日〜09月03日

リプレイ公開日:2004年09月06日

●オープニング

 きっかけは、本当に些細で、他愛のないことだったのだ。
 例えばこの場所が、貴族のサロンなどではなく町の広場か酒場で、睨みあった子供達が名門貴族の子息達などではなく市井の子供達であれば。くだらないことで言い合って、母親の悪口を言われて怒って、つい相手に手を上げてしまった――ただ、それだけで済んだことなのだ。
 だが運悪く、その場所は貴族のサロンで。集まっていたのは自身の立場をより優位に立たせようと目論む狐狸妖怪達ばかり。そんな中で起こった、名門貴族の子息、しかも同家の兄弟同士の睨みあい。
 明らかな怒りを瞳に宿し、手袋を握り締めて立つ少年の傍らに立った壮年の貴族が、恭しくその手から彼の手袋を取り上げ、そして投げつけた。
 目の前の別の少年に向かって。
 白い手袋は狙い違わず、彼の頬に軽く、当たった。

 ――決闘だ。

 ざわついていた場が一瞬にして静まり返り、視線は対峙する幼い少年二人に集中する――

「まずった‥‥。ホンットーに、まずい‥‥」
 サロンから引き上げ、自身の館に戻るや否や。少年は苦虫を噛み潰したような表情で愛用の椅子の上に座り込んだ。その瞳からは普段のふてぶてしい輝きはすっかりなりを潜めている。いつもとは違う様子に、生まれた頃から彼に仕えている老侍従も、さすがに困惑の色を隠せない。
「して、いかがなさいますので? オスカー様」
「まあ、そうだなぁ。ここでボクがごめんなさいやり過ぎました、ってアタマ下げれば、一応片はつくよね」
「‥‥本気でございますか?」
「まさか」
 あまりの返答に驚いて訊ね返す老侍従に、オスカーは肩を竦める。
 決闘を申し込んだのはこちらなのだから、確かにそうすれば、事態は一応決着する。ただしその場合、こちらの風評は失墜、といっても過言ではないほど傷つくことは間違いない。自身の名誉を守る勇気も度胸もない弱者としてこき下ろされ、嘲笑の的になるだけだ。無論この家の後継者になど、候補にすら挙がれなくなるだろう。実際にその力量があるかないかは、この際問題ではない。
「まったくバルディエのヤツ、余計なことしてくれて」
 ふぅ、とため息をつく。あの時彼が、相手に取り上げた自分の手袋を投げつけたりなどしなければ、こんな事態にはならなかったのだ。ただの、他愛ない兄弟喧嘩で済んだかもしれなかったのに。
「どちらにしろ決闘となりますと、お互い代理人を立てることになりますね」
「そうなるね。ボクもベルナルドもまだ正式に騎士位を授かってないから、それがスジだろうね」
「バルディエ様からは、代理人ならば良い心当たりがあるとのお申し出がございましたが」
「冗談だろ! 奴に借りなんか作ったら、利子が幾らになるやら、知れたもんじゃないじゃん!」
 老侍従の言葉を、実にあっさりと切り捨てるオスカー。
 決闘を辞退するつもりがなく、かといって臨む資格がない以上、代理人は立てなくてはならない。しかし、騎士団関係者や貴族の関係者を代理人に立てることは避けたい。この事態、下手をすれば当家の内部分裂を招くか、貴族間の抗争に拍車がかかることになる可能性がある。それを避けるためにも、代理人はなるべく貴族間抗争に無関係であることが望ましい。そのうえでそれなりに腕が立ち、そして頭が回るものを探すとなると――。
「仕方ない。ここは、冒険者ギルドに頼むか。メシエ、ギルドの方に申し入れて。『決闘代理人求む』って」
「かしこまりました」
 幼い主の命に、老侍従メシエは恭しく一礼して答えた。

●今回の参加者

 ea1565 アレクシアス・フェザント(39歳・♂・ナイト・人間・ノルマン王国)
 ea1625 イルニアス・エルトファーム(27歳・♂・ナイト・エルフ・ノルマン王国)
 ea2731 レジエル・グラープソン(29歳・♂・レンジャー・人間・イギリス王国)
 ea3738 円 巴(39歳・♀・浪人・人間・ジャパン)
 ea4251 オレノウ・タオキケー(27歳・♂・バード・エルフ・ノルマン王国)
 ea4290 マナ・クレメンテ(31歳・♀・レンジャー・人間・イギリス王国)
 ea4668 フレイハルト・ウィンダム(30歳・♀・バード・人間・ノルマン王国)
 ea5601 城戸 烽火(30歳・♀・忍者・人間・ジャパン)

●リプレイ本文

●息子達の真意
 壮麗な邸が立ち並ぶ貴族街の中で、ひときわ豪勢な規模を誇る大邸宅の一角にある、ひとつの館。その館のサロンで、冒険者達は依頼人の少年と初めて顔を合わせた。

 老侍従を従え、一人の少年がサロンの扉を開けて入ってくる。年齢的にはまだまだ子供の筈だが、感じられる覇気は大人に負けていない。今回の依頼人・オスカーは、集まった冒険者をざっと見て、にっ、と笑った。
「ボクが依頼人のオスカーだ。よろしく、冒険者諸君」
「相変わらずですね。オスカー様」
 くすり、と苦笑を浮かべて、イルニアス・エルトファーム(ea1625)が幼い依頼主に一礼する。以前にも、彼の依頼を受けたことがあるのだ。その時も、この少年の年齢を越えた利発さには舌を巻いたものだ。
 イルニアスの反応にオスカーは満足げに笑い、集まった一同の中央に置かれた椅子に、身軽に腰を下ろした。
「さて、と。早速だけど依頼の確認に入ろう。今回の事の次第は、一応聞いてるよね? ――で、単刀直入に訊く。どう思った?」
 利発そうな青い瞳が、一同を見据える。一瞬の間の後、軽く咳払いをしてイルニアスが口を開いた。
「畏れながら‥‥大変憂慮すべき事態だと思います」
「どうして?」
「この決闘、どちらが勝利したとしても、今後に何らかの禍根を残すことは必至だからです。最悪、御家の内部分裂、そして貴族間抗争に巻き込まれるという事態を引き起こしかねません」
「じゃあ、どうすればいいと思う?」
「それは、簡単でしょう。どちらが勝利しても問題だというなら。どちらも勝利しなければいい」
「それは‥‥どういうことだ?」
 レジエル・グラープソン(ea2731)の返答に、円 巴(ea3738)が眉をひそめて聞き返す。レジエルは、軽く肩を竦めた。
「勝利でも敗北でもない結果。即ち、『引き分け』ということです」
「よくできました」
 ぱちぱち。レジエルの答えに、呑気な拍手を返したのはオスカー。一同の視線が再び自分に集中したのを確かめ、改めて口を開く。
「彼の言う通りだよ。この決闘、どっちも勝利すべきじゃない。白黒はっきり決着つけたら、この家も、この家に群がる連中もおそらくメチャクチャになる。だから、勝っちゃいけない。だけど負けるわけにもいかない。ボクが君たちに依頼するのはただひとつ。この決闘には、勝つな。だけど負けるな。それだけだよ」
「――御意に」
 イルニアスが恭しく一礼する。
「ただひとつ、お伺いしてよろしいですか? そのようにお考えであるということは。やはりオスカー様は、この家の家督相続争いに参加する心構えでいる、と思ってよろしいのですか」
「ん、まーね」
 問いかけに、オスカーがにまり、と笑う。
「この家に生まれて、せっかく持ってる権利なんだから簡単に捨てる気はないよ。時々鬱陶しくはあるけど、それなりに便利なモンだし、何より面白いし♪ だからこそ、こんな『ガキの喧嘩』で余計な連中にいらんクチバシ突っ込まれた挙句、おかしなことになられたら困るんだ」
 まるで子供が――実際この少年は『子供』なわけだが――、気に入りの玩具を壊されたくない、と考えているような口ぶりである。
「多分、ベルナルドも同じことを考えてると、思う。根はいいヤツだし、決してバカじゃないからね。ともかく、今更この『決闘』をなかったことにはできない。バルディエのヤツに踊らされるのは少々シャクだけど、よろしく頼むよ」
「かしこまりました。貴族ではない我々が、貴族とは違う立場から。この抗争、フォローしてご覧に入れましょう」
 べべん、と三味線をかき鳴らし、オレノウ・タオキケー(ea4251)が言う。オスカーはそれに、片眉を跳ね上げて満足げに微笑んだ。

●狐狸妖怪たちの思惑
 今回の決闘は、どちらが勝利しようと事態に混乱をもたらす。敗れたほうの名誉は地に落ち、それによって家督相続をめぐる争いがより熾烈になる可能性がある。また、その家督相続に関わる利益を狙う貴族達の抗争も。
「どちらにしろ、得をするのはあやつ、ということじゃな。子供の喧嘩を利用して甘い汁を吸おう、とは。相変わらずやり口がえげつない」
 『醜の御盾』の美称を持つフランクが、冒険者の酒場でぽつり、と漏らした言葉である。その、『得をする者』とは誰なのか――。誰しも思い浮かべた人物は、一人。しかし、それをあっさりと口の端に上らせるような危うい真似をする者も、またいない。

 この決闘は『引き分け』で終わらせる。それが依頼人オスカーの意志だ。そのために、依頼を受けた冒険者達は動き出す。
「彼との争いはなるべく穏便に収めたく、狸の策を上手く交わせればいいのですよね」
 オスカーを中心に対策を講じる。城戸 烽火(ea5601)の意見に、オスカーは「うん」と頷いた。彼女の言う『狸』とは、むろんバルディエに他ならない。
「では、事を穏便に運ぶためにも、お断りなさった助力に対して、感謝の意を伝えることをお奨めします。そうすれば、かの御仁の動きを少しは抑える一助になると思います」
「‥‥だね。じゃ、メシエ。そういうことで」
「かしこまりまして」
 部屋の隅に影のように控える老侍従が、即座に答える。
 レジエル・グラープソン(ea2731)が、ベルナルドの依頼を受けた知人の冒険者を通じ、次のような情報をもたらしてきていた。オスカーの予想したとおり、ベルナルドの方も、この決闘に『勝負をつけない』――引き分けることを望んでいる、ということだった。それならば、話は早い。
 レジエルからもたらされた情報によると、情報収集に関する技量はこちらの方が上のようだ。そのため、バルディエをはじめとする周囲の面々に関する情報は、そのための技量に秀でたマナ・クレメンテ(ea4290)と烽火が中心になって行なうことになる。マナは周囲の人々から、バルディエについての情報を探ることを選んだが。烽火は『忍び』としての技量に対する自負から、バルディエの邸内に潜入しての調査を行なうことにした。当然、オスカーはいい顔をしなかったが‥‥。
「あたしも忍びですからね。オスカー様にも専任の手下が何人もいると伺っていますが、また別の方向から確実に情報を捕まえてこれると思いますわ」
「そこまで言うなら止めないけど‥‥覚悟してやってね」
 暗に、『万一のことがあっても助けないよ』という意志標示が、オスカーからなされる。烽火はそれに不敵に笑うと、素早く姿を消した。
「では私は、周囲の同行に気を配ろう。噂のバルディエ卿や、当事者達はともかく。余計な気を利かせて、余計な真似をするという輩もいるかも知れないからな」
 円 巴(ea3738)がそう言って立ち上がる。
 オスカーは基本的に、冒険者達が動いているのを黙ってみているだけだ。ただし、意見は最後まで聞くし、問題がある、と思えば、それを指摘はするが止めない。実行するか否かは自分で決めろ、というように。
――面白いね。
 仮面の詩人、自称『フールのプディング』こと、フレイハルト・ウィンダム(ea4668)は、そんな依頼人にふと興味を覚えた。どう見ても、『貴族らしからぬ』貴族。そんな彼が、この抗争の中を巧みに渡り歩いている。非常に面白い。
「‥‥なに」
 すぅ、と背後に近付き、羽交い絞めに近い形で抱きついてきたフレイに、オスカーが怪訝そうな声をあげる。
「この道化のふとした思い付きをお聞きくださいませんか、坊ちゃま。――ねえ、オスカー様、キミ、気付いてるだろ? 別にこのまま、トンズらこくって選択肢もあることを。今なら失うものはせいぜい館と使用人程度だし、内心、時々キミは強くそうしたいと思っている。違わないか?」
「‥‥‥‥」
「キミ才能あるから貴族なんぞやらしておくのは――」
「あのさー‥‥」
 オスカーが無言のままに視線を上にあげた。何やら言いたそうな表情だ。
「ナンダイ?」
「いやぁ‥‥胸、ないねぇ。プディン――ぐ!!」

 滅殺。

「ああぁ、オスカー様!!」
 かくして、女性に対する最大の禁句を口にした少年は、今日もアタマからヒヨコを飛ばして床に崩れるのであった。絶叫する老侍従。
 そんなどこか微笑ましい(?)様を横目に、イルニアスは目の前の羊皮紙に黙ってペンを滑らせる。
 しためているのは、この家の現当主、フランシス卿宛の手紙だ。
 今回の件は、後継者候補とはいえ、まだ当主の座には遠い兄弟間の問題だ。この内部分裂さえ起こしかねない問題の解決に、現当主を差し置いて当たることはできない。その考えから、イルニアスは当初フランシス卿その人との面会を希望した。しかし卿は、現在、自領の視察のためにパリを離れている。そのため今、詳細な手紙をしたためることになったわけだが、これでは事態に本人が直接動く、というわけにはいかないだろう。時間がなさ過ぎる。
 あるいは、バルディエは現当主不在のこの時期を狙って今回の騒ぎを起こしたのか――。そんな風に勘繰りたくもなる。だがそれは今のところ、ただの邪推に過ぎない。

●傭兵貴族の思惑
 パリの酒場のシャンゼリゼが冒険者達で賑わう頃。表は真紅、裏は漆黒、派手なマントを翻し噂の男は現れた。マントと同じ色の布帽子。同じ姿の部下10人。
「ご苦労様です」
 物腰柔らかに、アレクス・バルディエは口を開く。バルディエは供の内2人とテーブルに着いた。彼を含め背格好まで同じ姿の3人の内、一番右の席である。そして、護衛らしき残余の者達は、バルディエらの背を固めるように立っている。
 その物々しい姿に、酒場は何事かと耳目を注いだ。場所が場所だけにオスカーの姿はない。
「おいおい‥‥こんな場所で良いのか?」
 アレクシアス・フェザント(ea1565)が突っ込む。自分達には気安いが、ここでは話したことは筒抜けだ。
 バルディエ本人に代わって、真ん中に座った人物が口を開いた。
「いいえ。ここだから良いのですよ」
「場所を変えて、オスカー様を呼びましょうか?」
 レジエルが気を利かせる。
「君たちに話があるのだ。それに、ここなら容易くオスカー閣下のお耳に入る」
 それにしても三人は、髭の形と言い仕草と言い、兄弟のように酷似している。流石にこの距離ではごまかされないが、遠目には区別出来ないだろう。
「注文だ! 出来次第卓に並べろ。それから、ワインを10、樽で持ってこい。杯もありったけだ」
 そして、給仕に未開封の樽を開かせ、自ら酌んでテーブルに並べる。沸き立つような若いワインだ。
「これを、あちらのテーブルへ」
 指をさして運ばせる。次々に配られるワインは、店のテーブル全てに行き渡った。店は剛毅な客の奢りに騒がしくなった。
 そうして、店の客に振る舞い切ると、最初のほうの樽から杯に注ぎ、並べられた料理に添えて冒険者達に勧めた。
「まあ、食べ給え。ここで作らせたものばかりだから、毒など入って居らぬぞ」
 言いつつ、串焼きを銀のナイフで切り分けて口に運ぶ。 
 持参の銀食器に盛りつけられた串焼きと兎肉の煮込み、パンに盛られた熔けたチーズ。そして沸き立つような若いワインが銀の杯になみなみと。それらは良い香りを放ち、食欲をそそる。
 勧められて乾杯する冒険者達は、いつの間にかバルディエのペースに引っ張られていた。奢りとは言え気安い店の料理なので、食は進む。
「君たち。オスカー閣下をどう思うかね?」
 冒険者達の口が、会話に使えないタイミングを見計らい、バルディエが話を始めた。
 口の中の料理を慌てて飲み込もうとするのを押さえ、
「オスカー閣下こそ、当代の英傑。将に将たる‥‥否! 奇に将たる希な御方だ」
 まるで恋人を語る若者のように、バルディエの目は輝いた。
「奇に将たる?」
 円 巴が問い返す。『将に将たる』とは華国の故事。しかし、『奇に将』たるとは判らない。
「将を束ねる将軍など、一国に一人や二人は必ず居る。不肖バルディエもその一人だ。だが、余人には使いにくい『奇才』を束ねて忠節を尽くさせる大将は、いったい何人いるであろうか?」
 開いた杯にワインを注ぎ、飲み食いさせながら演説する。バルディエはオスカーを、王家に連なる大貴族の息子とは言え、まだほんの子供のオスカーを、閣下の美称を付けて呼ぶ。
「バルディエ。あんた何を企んでいる?」
 アレクシアスが訝しそうに喙を容れた。その如何にも無礼な物言いに、後ろに控えし供の者達は、不快の念を露わにする。うちの一人は剣の柄に手を掛けたほどだ。
「オスカー閣下こそ我らが望み。御主君と仰ぐに相応しい御方。そのオスカー様の障りとなる物を取り除くは、臣下として当然の道と心得る! 奇に将たるオスカー閣下に対する、理不尽な侮辱を看過するならば。将来国家に大乱を招く兆しとなる!」
 穏やかならぬ話の展開に、オレノウが慌てて意志を表明する。
「バルディエ殿。我々は『依頼人が望んでいる形で』事態が終結するように動いております。何故我々が選ばれたかといえば、それは我々が特定の貴族と結びついていない自由人だからでしょう。冒険者は高度な技能を持つ自由人であり、またそれを望む者だからです」
 言葉を選び、バルディエに釘を刺した。依頼人はバルディエでは無くオスカー殿なのだから。それに応えるように、少しトーンを落としてバルディエは続けた。
「私も傭兵王の裔だ。なまじな英雄の足下には屈せぬ。仕えるに相応しき主君がなければ、世紀の大悪党として臭を万世に遺す事も辞さない」
 これが大乱を招くの本意か? いや、狡猾の噂高いバルディエである。噂が走るこの酒場でかくも大声を上げるのは、深い思案あってのことだろう。思ってアレクシアスは笑みを漏らした。
「暁(あかつき)の騎士殿」
 彼の美称でバルディエは呼びかける。
「過日の勝負眼福仕(がんぷくつかまつ)った。此度も義によって引き受けられたのだろう。貴公こそ騎士の中の騎士、オスカー閣下の御母堂様に対する侮辱を、見事雪(すす)いでくれると確信しておりますぞ」
 両の手で、アレクシアスの手をしっかり握り。下にも置かぬ賛辞を述べる。あっけに取られる彼を後目に、まるで卑怯な企みなどなにも無かったように親しげに料理を勧め、手づから酒を注ぐ。
 底知れぬ奴。と、皆は思った。少なくとも表面上は和気藹々の歓談の中。
「さて、やんごとなき御方との約束が在ります故、これにて失礼致します」
 穏やかな声で告げ、当たりに向かって、
「冒険者諸君! 今日の払いは私のツケだ! 大いに飲み食い、そして楽しみたまえ!」
 バルディエの言葉に、酒場に歓声が沸き上がった。

 しばらくして冒険者達が酒場を出ると、花売り娘が袖を引いた。
「決闘代理人の皆様ですね? オスカー君が待ってます」

 路地裏に、依頼人のオスカーがお忍びでやって来ていた。
「バルティエ卿なのですが、何か知っていることはありませんか、たとえばあまり良くない噂とか‥‥」
 笑いながら答えるオスカー。
「そうだねえ‥‥。まあ、よくない噂には事欠かないねえ。某貴族のスキャンダルの暴露の要因になったとか、決闘相手を罠に嵌めたとか、色々。特に自身が当事者である、ないに関わらず、決闘がらみのトラブルは多いよ。今回みたいにね。
 でもね、悪い噂と同じぐらいかそれ以上に、『高い評価』も持ってる。仮にも一傭兵が身一つで貴族の身分にまで上り詰めて、かつ対等にやっていってるんだ。力量に器量、度胸、人望‥‥ともかく、才能はある男だと思うよ」
 まるで自分の持つ、やんちゃな猟犬を語るように、オスカーは咲う。
「功績が高すぎる男は、嫉妬されるものさ。悪い噂も割り引いて聞いた方がいい。ただの悪党に、あれだけの部下がついてくるわけないだろ?」
 オスカーは年の割にはませた事を言う。
(「この子もなかなかの人物ですね」)
 レジエルは値踏みしつつ値踏みされている自分に気がついた。
「では、あなたはバルディエ殿を好いておられるのでしょうか?」
「彼を気に入ってるかって? 好きか、って訊かれりゃノンだよ。でも大嫌い、ってこともないね」
 オスカーは意味深げに応えた。

 この一件は、状況のせいもあって瞬く間にパリの街中に広がった。今や、パリに暮らすものの中で、この決闘騒ぎを知らぬものはいない、と言っても過言ではないぐらいに。
「まあ、ある意味ヤツの思惑通り‥‥ということかな。狙いはわからないが」
 状況を見やり、イルニアスが苦笑交じりに呟く。この決闘の結果に、多くの人間の興味が向けられている。それが吉とでるか凶とでるか、それはわからない。
 一方で、バルディエに関する情報収集を行なっていたマナが、面白い話を聞きつけてきた。
「今回の件とはあまり関係ないとは思うけど‥‥バルディエ『卿』についてね」
 『卿』をはじめ、敬称は通常、姓ではなく名につけて用いる。例えばフランシス卿、オスカー卿、というように。姓につけて用いたら、その一族の誰に対してのものなのかわからなくなるからだ。
 しかしアレクス・バルディエは、何故か周囲から『バルディエ卿』と呼ばれている。殊に貴族達などは彼が『成り上がり』であることを揶揄するために、わざとそう呼んでいるらしい。
 『バルディエ』卿。その名で呼ばれ、答えうるのはただ彼一人。何の後ろ盾も一族もなく、ただ身一つで貴族になりあがった男。どこの馬の骨とも知れぬ――。そんな嘲笑の意味が込められた敬称であり蔑称なのだ。
 しかし、この話を聞いて逆にマナは、そこにバルディエの矜持を見た気がした。好んで彼はそう呼ばせている節もあるからだ。
 他ならぬ、ただ一人の敬称。アレクス卿であれ、バルディエ卿であれ、そう呼ばれるに値する価値を持つのは、己一人だけ。
――もしかすると。凄い男なのかもしれない。
 蔑称ですら自身の誇りにできる男。そんな男が、いったい何を望んで今回のこんな騒ぎを起こしたのか――。この話を聞いて、ますます彼の真意が知りたくなったマナだった。
 
●思惑の果て
 決闘は、パリから離れた寺院の前の広場――即ち、『神の庭』を借りて行なわれる。
 この場所を選んだのは、さすがに王家にも繋がる名のある貴族の、しかも同家の者同士の決闘を、国王の膝元で行なうことは躊躇われたのと。セーラ神の加護篤いこの場所で、不正や裏工作などの悪事は働きにくいだろうという心理的な制限を狙ってのことだった。それでも、用心に越したことはない。決闘の刻限のかなり前から、巴やマナ、フレイハルトらが中心となって、今回の決闘に何ら影響を及ぼすようなものがないかどうか、入念にチェックして回る。
 やがて刻限が近付くにつれ、寺院の周囲には物見高い見物人がぞろぞろと集まってくる。パリから馬車でかなりかかる場所だというのに、まるでパリの広場を借りて行なわれる決闘のような有様を呈し始めていた。
「この中から、妨害者を警戒しなくちゃならないのか‥‥」
 イリアが微かに眉をひそめる。今回は、ベルナルド側の冒険者達の協力もあるから、これまでの決闘騒ぎのときよりも信頼できる仲間は多い。しかしそれでも、これだけ集まった人々の中から不審者をいぶりだすのには骨が折れる作業になりそうだ。
 バルディエの酒場でのデモンストレーションは、これを狙ってのことだったのか‥‥。そんな気さえしてくる。

 今回の決闘で、ベルナルド側の代理人を務めるのは騎士グラン・バグ。オスカー側は『暁の騎士』との異名をとるアレクシアス・フェザント。特にアレクシアスは、過日行なわれたカルディナスとバルディエの代理決闘において、カルディナス名代として見事勝利を収めた、という事実がある。物見高い連中が、それに飛びつかないはずもない。更に今回決闘相手となる代理人グランは、『剛の剣術』コナンの使い手。対するアレクシアスは対極である『柔の剣術』ノルドを使う。この、まったく傾向の異なる剣術同士の対決が間近で見られると、それを楽しみにやってきている者も少なくなさそうだった。周囲ではどちらが勝つかという賭けに興じる声もそこかしこで聞こえる。
 しかしながら、今回の決闘で望まれている結果は『引き分け』だ。そのための準備は、ベルナルドもオスカーもつつがなく終わらせている。
「まったく、世の中暇人が多いもんだ」
 集まった見物人達を眺めつつ、呆れたような声を漏らしたのは、決闘に望む当人・グランである。そして今回の決闘にあたり、ベルナルドが用意してくれたロングソードを、入念にチェックする。一見すると曇りひとつない美しい剣だが、実は巧みに、中央に切れ込みが入っている。これは、アレクシアスが今日使う剣に関しても同じ。この決闘を『引き分け』に終わらせる。そのための仕掛けだった。
「何か、楽しそうだね。グラン」
 いつの間に近くに来ていたのか。ベルナルドが側に立ち、グランを見上げていた。実際に戦うわけではないとはいえ、やはり当事者。瞳にどこか不安げな色がある。最終的に『引き分け』にもつれ込む勝負だとわかっていても、決闘自体は本物だ。相手とは実際に、剣を交えて戦うことになる。それなのに、目の前のこの騎士の余裕は何なのか――。
 尋ねる少年に、グランはニヤリと笑って見せる。
「楽しそう、か。確かにそうかも知れんな。一度遣り合ってみたいと思ってた相手だからなあ。どんな手合わせになるか、楽しみだぜ」
「‥‥キライなの? あの騎士のこと」
 ベルナルドの瞳が、ちょうど反対の陣営で、グランと同じように得物の見聞をしている赤毛の騎士、アレクシアスに向けられる。向こうも周囲のざわめきには一切関知せず、ただ黙して刻限を待っている‥‥そんな様子だった。ベルナルドの答えに、グランは一瞬「へ?」というように目を見開き、それから笑い出す。
「なんだよ」
 反応に、むっ、となるベルナルド。しかしグランは変わらず笑いながら言う。
「そう思うあたりが、まだまだお子様だな。いいか、これは覚えておけよ。世の中ってのは、好きだ嫌いだ、だけで関係が決まるわけじゃないんだぜ。好意を持ってるし、尊敬してるからこそ、本気でやりあってみたくなる‥‥そういう相手もいるもんだ」
「そうなの?」
「そうだ。‥‥案外なあ、お前さんも同じじゃないのかい? お前さん、あちらのオスカー様とは学問だなんだで色々張り合ってるようだが、それは、あちらさんが嫌いだからなのかい? よぅく考えてみな」
「?!」
 ベルナルドの目が丸くなる。と同時に、決闘の場に司祭と立会人が現れた。それを確認し、グランとアレクシアスが立ち上がる。
 決闘の刻限が来たのだ。

 厳かに決闘前の宣誓が行なわれ、両名がそれぞれの位置につく。高まる緊張感の中、立会人による決闘開始が告げられ、両騎士は流れるような構えから、一気に斬りこんでいく。
 まず先手を取ったのは、やはりグラン。素早い踏み込みから、鋭い一撃を繰り出す。アレクシアスはその一撃を、手にした剣で巧みに逸らし、弾き返した。が、グランもそのあたりは読めている。流された攻撃を活かす形で、剣を返し、すかさず打ち込んできた。今度は受けられず、ノルド独得の体捌きでそれをかわすアレクシアス。
「コイツをかわすとは、やるねえ。あんたとは一度、やってみたいと思ってたんだよ!」
「こっちもだ」
 グランの軽口に、アレクシアスが不敵に答える。もちろん、この会話の最中にも剣と剣は鋭い軌跡を虚空に描き、相手の剣、あるいは盾にぶつかり火花を散らしあっている。徐々に白熱してゆく戦いに、ギャラリーは息を呑み、2人の騎士の動きを魅入られたように追っている。
 『引き分け』に持ち込むのが目的の決闘。だからこそ手を抜いた戦い方をするわけにはいかない。仲間ですら「2人とも目的を忘れたのではないか」と、内心で危惧したほどの打ち合いの末、アレクシアスが微かに体制を崩した。その隙を狙って、グランが渾身の一撃を放つ。
「――!!」
 振り下ろされる剣と、それを受け止める剣。
 一瞬、全ての音の失せた会場に、金属と金属のぶつかり合う鋭い音が響く。
「‥‥あ!」
「剣が‥‥っ」
 見れば、両騎士の剣はその真ん中部分から見事に砕け折れていた。折れた剣先は高く宙を舞い、そして。
「危ない、ベルっっ!!」
 貴賓席で、イルニアス、レジエルと共に決闘を見守っていたオスカーが、血相変えて立ち上がった。宙を舞った剣先は、その先端を、対峙するもうひとつの貴賓席で決闘を見ていた、もう一人の当事者、ベルナルドめがけてまっすぐに落ちてゆく!
「いかん!」
 奥方の側についていたフランクがとっさに飛び出すが間に合わない。背後で、奥方が絶叫したのがわかった。刃は狙い違わず、少年の真上に落ちる――

 その、はずだった。

 しかし、次の瞬間、場に居合わせた者たちの目に飛び込んできたのは。
 宙を舞った剣先に貫かれた幼い少年の姿ではなく。自身の右腕を代償に、その少年を剣から守った、一人の壮年の『傭兵貴族』の姿だった。
 『傭兵貴族』バルディエは顔色ひとつ変えず、腕に突き刺さった剣先を引き抜く。しぶく鮮血に、何人かが押し殺した悲鳴を上げた。バルディエは抜いた剣先を供の者に渡し、代わりに受け取った布で無造作に止血を施した。そして恐怖と驚愕の貼り付いた顔で硬直している少年、ベルナルドに、恭しく一礼する。
「ご無礼つかまつりました、ベルナルド卿。ご無事で何よりでございます」
「‥‥‥‥」
 ベルナルドは声もない。一方ではオスカーが、安堵のため息とともに自分の椅子に崩れ落ちていた。誰を相手にしても怯まず、余裕の態を崩さなかった彼がここまで取り乱したのを、イルニアスは初めて見た気がする。
 折れた剣を手に。決闘の場で息を呑んで事態を見つめていたグランとアレクシアスもようやっと体勢を解き、折れた剣をそろって足元に置いて、姿勢を正した。
 双方とも剣が折れた以上、決闘は続けられない。
 しかし、立会人もどう判断したものか迷っているようだ。
 どちらかが血を流すまで続けられるのが決闘。しかし、今回代理人達は無傷のまま武器が壊れ、流された血は当事者以外――。これは、どう判断すればよいのか。
 重々しい沈黙の中、低い、しかし朗々とした声が響く。
「これは、仕切り直しですな」
 振り返った先にいる声の主は。先ほど折れた剣先を受け止め、負傷したバルディエ、その人だった。
「剣が折れてしまっては勝負にならぬ。しかし神は、どちらが正しいともまだ仰られていない。これは、もう一度場を設けて再度やり直すのが適当でございましょう」
「そんな――。剣が折れたことこそ、神の御意志ではないのですか? この決闘、勝負をつける必要はない、と‥‥」
 イリアが咄嗟に反論する。しかし、バルディエは神妙に首を横に振った。
「残念ながら。どちらかが傷つくまで戦う、というのが決闘の作法というもの。本来ならば、代わりの武器を渡し代理人殿には決闘を続けていただくところなのだが、本日は我が不手際にて、場に余計な水をさしてしまったようだ。ここは、日を改めて再度執り行うのが公正かと存じますが――いかがですかな、立会人殿」
「は? ‥‥あ、ああ。そ、そうでございますな。では、本日のこの決闘の儀は無効! 日を改めて再度行なうものとする! 以上!」
 立会人の言葉に、集まったギャラリーから猛歓声が起こる。それは落胆の声であったり、もう一度面白い勝負が見れるという歓喜の声であり――色々だ。
「此度の決闘の剣は、ご自身で用意されたとの事でしたな」
 巻き起こる喚声の中、地に置かれた折れた剣を拾い上げつつ、バルディエがアレクシアスに言う。
「次の決闘の儀で同じことがまた起こってはまずい。次回使用する武器は、不肖このバルディエが用意させていただきましょう。異論はございませんな? 暁の騎士殿」
「‥‥‥‥」
 無言のまま、差し出された折れた剣を受け取るアレクシアス。
「そちらの騎士殿も。公正に事を運ぶため、僭越ながら奥方に話を通しておきましょう。きっと、優れた武器をご用意くださるはずと思いますぞ」
「それは、ありがたいお話で」
 グランが皮肉げに肩を竦める。
 事態は、皮肉な方向へと転がり始めた――

《To be Continued》