●リプレイ本文
●屋敷の外の声
『結婚当初の領主とディアーヌはうらやましいほどの熱愛ぶりだったが領主は女好きだった。若い頃もいろんな女性と付き合っていた。それからディアーヌとは正反対の活発なウジェニーを迎えて、その次に純朴な市井の女リュクレースに手を出した。三人の夫人の評判は悪くない』
鑪純直が集めてきたこの情報を見ながら、ラグファス・レフォード(ea0261)は出発の支度を整えた。
商品を売り込みながら、集まった侍女と門番達にいかにも話のついでのようにリュクレースの噂のことを持ち出すと、彼らの意見は見事に割れた。
「その噂、誰が言い出したんだろう?」
「そりゃあ‥‥リュクレース様を良く思わない人だろう? 一番可能性があるのはディアーヌ様だよな? あのご気性だし」
「ディアーヌ様はそんな方ではないっ」
放っておけばディアーヌを賛美する言葉を延々と並べ立てられそうだったので、ラグファスは侍女達に話題を移した。
「他にもご希望があれば何でも取り揃えますよ。ここのご夫人方にふさわしいものもございます」
侍女達の話からすると、ディアーヌは高価で洗練されたデザインのものしか買わず、ウジェニーは値段よりも自分の好きなデザインであるかにこだわり、どちらもパリから来る商人があるとのことだ。リュクレースはあまり欲しがらないので、贔屓の商人はいないらしい。
つい最近来たのはディアーヌご贔屓の商人だという。
「今回はパリの王宮の貴婦人達で流行しているという香水を買ってらしたわね。あなたもあのお方達に気に入られたかったら、もっと目玉になるものを持ってくるといいわ。もちろんあたし達の手が出せるようなものもお願いね」
ラグファスは愛想の良い笑顔を残して屋敷を後にした。
その後ラグファスは屋敷内の仲間達にこれらのことを伝えるための作業にとりかかった。
●孤立のリュクレース
年配の侍女に連れられて、フェネック・ローキドール(ea1605)とサラ・コーウィン(ea4567)、イワノフ・クリームリン(ea5753)がリュクレースの前で紹介された。
十八歳のリュクレースは年齢よりだいぶ大人びて見えた。
フェネック達の紹介が終わると、リュクレースは静かに席を立ち、自らも丁寧に挨拶をした。
そして庭師補佐として入ったイワノフはその責任者のところへ、他二人の女性陣は年配の侍女と共に一度部屋を出たのだった。
自分達が主に行き来する場所を一通り案内すると、年配侍女は最初の仕事としてリュクレースへお茶を運ぶことを命じた。
家事に不慣れなフェネックの代わりにサラがティーセットの支度をする。
もっとも、男装のフェネックが厨房に入った時点で他の侍女達の注目の的になり、囲まれてしまったから仕事にならなかったが。その上しばらくは解放されそうになかったので、サラは先に行くことにした。
部屋へ向かう途中、サラは窓の外の庭を見渡した。
針に毒が塗られていたなら、毒草があるはずだ。もし敷地内に生えていないとなれば、外部から持ち込まれたことになるが。
ようやく解放されたフェネックがリュクレースの部屋の前に着くと、中で興奮したような声がしていた。
何事かと中に踏み込むと、リュクレースがサラに掴みかかるようにしているではないか。
「‥‥あなた達の好奇心を満たすものなんて何もないわ」
予想以上に彼女は不安定な状態だったらしい。
「ねぇ、どうしてわざわざ私なんかの侍女を希望したの? 何が狙い? 強請り? ‥‥そうね、ユルバン様は私に甘くていらっしゃるから、何でも取り揃えてあげられるかもしれないわね。言ってごらん、何が望みなの?」
この愛妾は、屋敷ですっかり孤立していたのだろう。身に覚えのないことのせいで。
サラはリュクレースを落ち着かせるように優しく抱きしめた。
フェネックもそっと手を取る。
言葉はなくても、二人のぬくもりにリュクレースは少しずつ落ち着きを取り戻していった。
その後フェネックのメロディーの効果で精神の安定を得たリュクレースに、サラが尋ねた。
「リュクレースさま、今回のことで何か思い当たることはございませんか?」
部屋の主は疲れ切った表情で小タンスを指差す。
そこから出てきたのは、彼女の死を願う呪詛状だった。
●焦燥のディアーヌ
最近何かと機嫌の悪かったディアーヌは、新入りの侍女ヴェガ・キュアノス(ea7463)にたいへん満足し、顔から険が消えていた。
丁寧に紅茶を淹れながら、ヴェガは高価な調度品で占められた室内をさりげなく観察していた。
そして彼女は、ある香水の瓶に目を止めた。
「見事な細工ですね」
ディアーヌは嬉しそうに微笑んだ。
「わかる? これはパリの王宮の貴婦人達も使っているという香水なのよ」
それから、ヴェガの淹れた紅茶の香りを楽しむディアーヌ。
「‥‥いい香り。ずっと、わたくしの側にいなさいね」
こうしていると、自分の好きなものへの贔屓は激しいようだが、貴族であることを思えばどこにでもいる夫人である。
「あそこに、木があるでしょう」
ディアーヌの視線の先に、確かに立派な木があった。そこは彼女専用の庭である。
「あの木は、わたくしがユルバン様に嫁いで最初の誕生日にいただいた木なの。あの頃はあの方も今ほど忙しくはなくて、もう少しお会いする時間もあったのよ」
ディアーヌは寂しそうに微笑した。
まだ愛妾もおらず、ユルバンの愛を独占していた頃。ディアーヌが嫁いできたのは十五歳だった。それから十七年が過ぎた。
ヴェガの淹れた紅茶とゆるやかな日差しは、ディアーヌの心を少し弱くさせた。
「愛妾を取るのってどういうことなのかしらね。わたくしはもう必要ないのかしら。まるで自分の老いを見せ付けられているようだわ。‥‥二人が、うとましい。今は、とても不幸せだわ」
ディアーヌの装飾品は多い。宝物室自体はさほど広くないが、数々の品を収納している棚は天井まで届きそうな高さがある。
侍女の身長では踏み台を使ってようやく一番上の引き出しに手が届くか、といったところだ。
彼女が精一杯背伸びをして最上部の引き出しを引いていると、不意に誰かが背後に立ち、あっさりとそれを抜いた。
鋭く振り向いた侍女に、敵意のない笑顔を見せたのはラックス・キール(ea4944)だった。ヴェガ同様偽名を使い、ここではランドルフ・ドラゴと名乗っている。
「ランドルフさん‥‥お仕事はどうしたんですか!?」
「言われた仕事は済ませたさ。それよりも、あんたのことが気になってね」
「もぅ、さっきみんなでいた時もそんなことばかり言って。誰にでもそうなんですか?」
「そんな大声出すなよ。見つからないようにわざわざ訪ねて来たんだからさ。‥‥わかるだろ?」
耳元で甘く囁かれ、侍女は驚いたような目をした。目の前の男の真意はわからないままだが、侍女は少しだけ警戒を解いた。少なくとも、悪い人間ではないはずだ。ジェルマンが認めたのだから。
警戒していたことを詫びる気持ちもあって、彼女は小さく謝った。
「ごめんなさいね。今、このお屋敷ちょっといろいろあって‥‥」
「あぁ、そういえば街で変な噂を聞いたっけ。そいつに、おまえさんも一つ絡んでるなんてこと‥‥あいてっ」
「バカなこと言わないでくださいっ。今回のことでディアーヌ様がどれだけお心を痛めていらっしゃるか‥‥!」
「悪かったよ。じゃあこうしよう。ディアーヌ様に少しでも元気になってもらうために協力しあおう。とりあえず、今回のことについて何か仕入れたら俺に教えてくれないか?」
その言葉に侍女は機嫌を直した。
「じゃあ一つだけ。亡くなった彼女、最近入った子だったの。本当はディアーヌ様にお仕えしたかったらしいのですが、人員の関係でリュクレース様付きになったのです。でもそんなことリュクレース様の前では絶対外に出さないしっかりした子だったんです。あたし達にはこぼしてましたけど」
「もしかして、リュクレース様の悪い噂の出どころって‥‥」
「あ、それはもっと前からです。でもあの子がこぼしてたことも原因になってたのかな‥‥」
女は、憂鬱そうにため息をついた。
●空虚のウジェニー
持ち前の明るさでガレット・ヴィルルノワ(ea5804)は、すぐに侍女達と仲良くなった。
彼女は今度作るウジェニーのドレスの仕立ての補助に配置された。
他の夫人の侍女達の様子はわからないが、彼女達にとってウジェニーは太陽のような存在らしい。
「前にディアーヌ様から辛く当たられたことがあったけど、絶対くじけない強さがおありなのよ」
「それじゃ、ウジェニー様はディアーヌ様のこと、あまり良く思っていらっしゃらないよね」
「うーん、自分は自分って感じね」
「リュクレース様とは仲が良いの?」
「特に険悪ではないけど、少し苦手そうかな。ウジェニー様は言葉も行動もはっきりしたお方だから、リュクレース様のようにおっとりしたお方とは合わないのかもしれないわね」
こういった会話が作業の合い間に交わされていた。その間、ガレットの目は針仕事道具の中身も注意深く見ていたのだった。
今のところ、特に不審なものはない。
と、そこに突然ウジェニーが現れた。
彼女はガレットに目を止めると、親しみのこもった笑顔を向け、
「がんばってる? 先輩の言うことよく聞いて、早く仕事に慣れてね」
「はい、ありがとうございます。あの‥‥ヘンなこと聞いてもいいですか?」
「どうしたの?」
「旦那様にはどこで見初められたのですか?」
唐突な質問にきょとんとしていたウジェニーだったが、しだいにクスクスと笑い声を立てると簡潔にこう答えた。
「遠乗りに出ていた時にユルバン様の馬車が難儀していたのをお助けしたのよ」
その時のウジェニーを忘れられず、ユルバンは彼女に何度も手紙を送ったのだという。
楽しそうに話すウジェニー。
しかしガレットは彼女の瞳にどこか渇いたものを見たような気がした。
ウジェニーの愛馬のいる厩の掃除をしていると、執事ジェルマンが向かってくる姿が見えた。
こんなところに執事が何の用事かと不思議に思ったが、フランク・マッカラン(ea1690)は黙々と手を動かしていた。
ジェルマンはジェルマンで人がいるとは思わなかったようで、フランクに気づくとわずかに驚きの表情を見せた。
「良い、馬ですな」
さりげなく、フランクは声をかける。
ジェルマンもいつもの物静かな顔に戻ってあいづちを打った。
「そうでしょう。ご主人様がウジェニー様のために選ばれた馬ですから」
「ところで‥‥このお屋敷はここ最近辞めていく人が多いそうですが、どうかなさったのですかな」
本来なら、こういうことを聞かれても答えるようなジェルマンではない。しかし、これまで何人もの屋敷で働く者達を選び管理してきた彼である。目の前の男がどういう人物であるかくらい見抜くのは簡単なことだった。
「‥‥侍女が一人殺されてしまったのですよ。リュクレース様の差し金だという噂があるようですが、それは違うでしょう。それ以前からあの方の妙な噂も流れていますが、あれは‥‥ディアーヌ様とウジェニー様が流したものでしょうから」
「お二方が結託して?」
「証拠はありませんが、長年暮らしているとわかることもあります。けれど、まさか死人が出るとは‥‥」
執事は頭を抱え込みたい心境だったに違いない。
「まったく関係ない外部の仕業だと良いのですが、あまり考えられません」
「リュクレース様はそれほどまでに恨まれているのですかな」
「今、旦那様のご寵愛はリュクレース様に集中しておいでですから‥‥」
もしそれが理由なら、すさまじいほどの嫉妬の念である。
庭師の手伝いをしていたイワノフも重要な人物に会っていた。
リュクレース専用の庭は、三人の夫人のうちで最も小さいものだが庭師の腕は良いのか隅々まで丁寧に手が行き届いていた。
刈った草を掃き集めていたイワノフの前に、庭師は一人の侍女を連れてきた。亡くなった侍女と仲良しの子だという。
「いつまでもふさぎ込んでないで、この若者に少し話でもしてみたらどうじゃ?」
後で聞いた話だが、庭師が新入りのイワノフを勧めたのは、彼にリュクレースの味方になってほしかったからだという。
侍女も誰かに苦しみから救ってほしかったのだろう。ポツリポツリと事件当時のことを話し出した。
指を刺してしまったその侍女は照れたように笑い、血をなめたという。それから少しの間はまたふつうに仕事を再開していたが、しばらく経つと突然息苦しそうに喉を押さえ、胸をかきむしり、思い切り見開いた目を真っ赤に充血させて息絶えたのだった。
「その針はどこへ?」
「処分されました。その時使われていた全ての裁縫道具も。‥‥明日、彼女の遺体が実家へ送られます。あたし、リュクレース様のこと大好きだけど、もうこのお屋敷が怖い‥‥!」
侍女はとうとう顔をおおってすすり泣きをはじめてしまった。
問題の侍女は、亡くなる前日ディアーヌの部屋の花を替えに訪ねていたという。ディアーヌ好きの彼女は、たまにこっそり仕事を分けてもらっていたらしい。
「ごめん、ちょっと考えてみたんだけど、リュクレース様にこれだけ嫌がらせがあるってことは、まさか身篭っていらっしゃるなんてことは‥‥」
とたん、侍女はハッと顔を上げ厳しい表情でイワノフを見つめた。
「イワノフさん、どこでそれを‥‥」
「え、ただの勘‥‥」
このことはリュクレース付きの侍女の中でも特に信用されている者しか知らないということだった。目の前の侍女は、その一人である。そして亡くなった侍女も。
「お願いします。誰にも言わないでください。リュクレース様をこれ以上苦しめるようなことになってほしくないんです」
イワノフは黙って頷いた。
もちろん、仲間達だけには打ち明けるが。
潜入した冒険者達はそれぞれ周囲の目を盗んで、翌日、再び訪問に来たラグファスに集めた情報をわたし、ラグファスのほうもまとめたものをわたすことができたのだった。