●リプレイ本文
●噂
リュクレースは朝から窓の外をぼんやりと眺めたまま、食事もとらず口もきかなかった。春の陽光で眩しい外の景色とはまるで正反対の様子である。
「リュクレース様、せめて一口だけでもお召し上がりください」
見かねたサラ・コーウィン(ea4567)が勧めると、リュクレースはゆっくりと振り向いて、
「ごめんなさい、食欲がないの」
「リュクレース様、誰かがあなたの幸せを願っています。そのことを忘れないでください。私達もあなたの幸せを願っています。そしてお腹の中のお子様をお守りできるのは、あなた自身だけなのです」
言われてリュクレースは小卓の上の手紙を見た。サラを支持するようにフェネック・ローキドール(ea1605)も口を開く。
「あなたは決してひとりじゃありません。あなたの潔白を信じ続けて行動している勇敢な若者がいます。彼の想いを受けて陰ながら動く者がいます。どうか諦めないでください」
「その手紙の人、署名がなかったけど誰だかわかるわ。あの頃は、楽しかったわ‥‥」
リュクレースはしばし過ぎ去った日に思いを馳せた。放っておけばそのまま帰ってこないのではと思わせるふうに。
故にアンジェリカ・シュエット(ea3668)は少し怒ったような様子で強く窘める。
「主より賜れた御子の健やかなるために、リュクレース様は少し強かになるべきです。その命、おろそかにすること私が許しませんわ」
目を閉じて三人の励ましを聞いていたリュクレースは、少しだけ泣いた後立ち向かう決意を告げた。まずは受け身の現状を脱することだ。
イワノフ・クリームリン(ea5753)がこんなふうなことを言った。
「ユルバン様が赤子のことを知らないなら、知らせてみてはどうだろう。もしかしたら直接狙われることになるかもしれないけど。見舞いという形で訪れるなら誰も文句は言わないと思う」
フェネック達からそれを聞いたリュクレースは、静かに同意の頷きを見せる。
「それでは、僕‥‥いえ私達は準備をしてまいりますので」
そう言ってフェネック達は部屋を出て行った。念のため、イワノフに部屋の周囲の警備を任せて。彼女達には片付けておくべきことがあった。
誰もいないはずの客間に三人の侍女達が集められていた。彼女達と対峙するようにアミィ・エル(ea6592)が立ち、アミィの後ろにはフェネックとサラがひかえている。その侍女達は皆、アミィ達より少し前に雇われた者達である。
フェネックが別荘の侍女達の動向を注意して観察した結果、不審と判断されたのだ。
確たる証拠はないが、その三人はあまりにも行動を共にしすぎていた。本邸のように広ければ気に留まることはなかったろうが、それほど広くない別荘では目立ってしまったのだ。
「別にとって食おうってわけじゃありませんのよ」
怯え気味の三人にアミィは微笑む。けれど、どことなく威圧的な微笑。
「呪いなんて美しくない虚言を吐くなど、わたくしが許しませんわ」
「な、何よ。なんの証拠があってあたし達にこんなことするのよ」
三人の侍女は寄り添いあってアミィを睨み付けた。
「呪いって噂してもかかるらしいですわよ」
「それがなんだってのよ」
「あなた達のいろんな噂、流してみたらどうなるでしょうね。試しに呪われてみますか?」
こんなやり取りがなされた結果、三人はとうとう追い詰められ、リュクレースを陥れる噂の発生のことを白状したのだった。
「あたし達、言われたままにやっただけなんです」
「言い訳はいりませんわ。誰が指示したのです?」
「ディアーヌ様とウジェニー様‥‥」
いつか、ジェルマンが言っていたことは本当だったようだ。
●侍女
別荘での仕事も一段落つくと、アンジェリカはミミクリーで隼の姿となり、上空から本邸と別荘の近辺を探索した。消えた侍女の遺体を見つけるためだ。アミィの話では本邸からそれほど離れていないということだった。
何度か旋回しているうち、アンジェリカは本邸の側の森の中に小屋のかげを見つけた。人影らしきものも見えたから、何かに使われているのだろう。けれど、冒険者の勘とでも言おうか、何か引っかかるものを感じた。
アンジェリカは、やはり侍女の遺体を探しているフランク・マッカラン(ea1690)へこのことを告げに本邸を目指した。
幸い誰にも見咎められずにフランクに小屋のことを伝えると、彼は夜になったら行ってみると言葉を返す。良い機会なので彼のほうも調べたことを伝えた。
「もしも世継ぎがない場合じゃが、屋敷の者も戸惑っておるようじゃ。こんなことが起こるなんて、まず考えんからのぅ。古参の侍女の予想では、どこかから養子をもらうしかないだろうということじゃ」
「養子‥‥。ねぇ、懐妊のこと、ウジェニー様はご存知だったんじゃないかしら。別荘に侵入してきた者の中にウジェニー様の手の者がいたのだし」
「ふむ。それと、本当の黒幕の問題もあるのぅ。誰が一番得をするか、じゃ」
「あるいは、子を巡る悲劇の繰り返し‥‥。ウジェニー様の流産にディアーヌ様が関わっていたら‥‥」
夫人達の妬みや焦りの自乗効果で今があるのか、誰かが周到に計画して導いた今なのか、まだわからない。
夜になり、教えられた場所へ行くと確かに小屋があった。狩猟のためのものと思われる。 あたりに人はいないようだ。それでも念のためフランクは慎重に小屋に近づき、中の様子をうかがった。
中にも人はいない。鍵はかかっておらず、フランクはきしみを上げる扉をそっと開いて中へ入っていく。ランタンをつけて内部を照らしてみたが、特になんの変哲もない。
「ふむ‥‥」
天井から床まで目をこらしていると、ふと違和感を覚える箇所があった。わずかだが床の土が盛り上がっている。そこを丁寧に足でこすってみると、地下へ通じる板を発見した。
そして、その下で物音があった。
「まさかとは思うが‥‥」
フランクは外に誰もいないことを確認して、床板を引き上げた。
まさか、が的中した。地下室の隅で死んだはずの侍女と本邸で見覚えのある侍女が警戒心もあらわにフランクを見上げている。
「‥‥全部、話してもらおうか」
暗澹とした気持ちでフランクは二人に言った。
●悪夢
「‥‥様、ディアーヌ様!」
誰かの強い呼びかけで、ディアーヌはやっと追っ手から逃れることができた。悪夢という追っ手から。
心配そうに自分を見るヴェガ・キュアノス(ea7463)の顔に、ディアーヌは安堵の息をつく。
「スピカ‥‥」
「ディアーヌ様、もう大丈夫ですよ」
「わたくしは‥‥わたくしは、何ということをしてしまったのでしょう」
ディアーヌは、すがるようにヴェガの手を握った。
「すぐそこで、地獄がわたくしを飲み込もうとしています‥‥」
「少し、外に出ましょうか」
ディアーヌはヴェガに促されるままに夜の廊下へ出ることにした。
二人と入れ替わるようにシェーラ・ニューフィールド(ea4174)が新しいシーツを抱えて入っていった。シェーラは足音が充分遠ざかるのを待って、ディアーヌが過敏に反応した香水瓶を手に取った。そしてシーツの中に隠し持っていたグラスに中身を移す。さらにシーツを取替え、空の香水瓶の中に水を入れておく。少し忙しいが、二人が戻ってくるまでにこれらをすませておかなければならなかった。
一方、部屋を出たディアーヌとヴェガは二階にあるテラスに出ていた。その頃にはディアーヌもだいぶ落ち着いていたが、まだ夜目にもわかるほど顔色は蒼白だった。
「悪夢にうなされるのは、ユルバン様のことと関係があるのではないですか」
ヴェガの問いにディアーヌは怯えたように身を震わせた。
「何かに悩んでおられるのですか」
「わたくしは‥‥うぅ、スピカ。スピカ‥‥わたくしは罪人です。嫉妬に狂う醜い女です。自分が何をしているかわからなくなるなんて」
泣き崩れながらディアーヌは心の膿を出すようにヴェガにすべてを打ち明けていった。
リュクレース懐妊の話を聞き、悪評を流したこと。以前、ウジェニーが懐妊した時も同じようにしたこと。さらに流産するよう手配したことも。その時に使った毒入っていたのがあの香水瓶なのだ。いつの間にあそこに置かれたのか。おそらく、ウジェニーのしわざだろう。
「でも、何より恐ろしいのはこの手でユルバン様を‥‥!」
ユルバンが倒れたのは過労ではなく、食事係を買収して料理に微量の毒を混ぜていたからだという。くずおれる夫人の傍らに膝を着き、ヴェガは意を決して自分が冒険者であることを打ち明け、
「今なら解毒も間に合いましょう。毒の種類を教えてください」
「わたくしを裁きにきたのですね‥‥あの方の愛を失うくらいなら、いっそ死んでもらおうだなんて、どうして思ったのか。毒の種類は‥‥」
ディアーヌは使用した毒の内容を告げると、安堵したように気を失う。と、そこに作業を終えたシェーラが現れた。
「香水瓶の中身、やっぱり毒だったよ。少ししたらネズミが死んじゃった」
ヴェガはディアーヌとの会話をシェーラにも教え、二人がかりでディアーヌを部屋まで運ぶんだ。彼女は朝まで目覚めなかった。
翌日はリュクレースがユルバンの見舞いに来るというので、屋敷は少し騒然としていた。本邸において、彼女は疫病神のように思われていたからだ。
ラックス・キール(ea4944)は「リュクレースがおかしな行動をとらないように」見張る仕事を命じられていた。ウジェニーとジェルマンの関係を調べていたラックスは「あと少しだったのに」とため息をつく。
二人が通じているという噂の真偽は謎だが、確かに頻繁に会ってはいるようだ。ウジェニーは何の用事があるのか、よくジェルマンを呼びつけている。
ユルバンが臥せっている部屋の入り口で待機していると、やがてフェネックやサラを連れてリュクレースがやって来た。
「リュクレースか。よく来てくれたな」
半身を起こしたユルバンは、まだ四十歳だが毒にやられたせいか十は老けて見えた。
リュクレースは何かを決意した表情で言葉を続ける。
「ユルバン様は、私がユルバン様の御子を授かったことをご存知ですか」
その瞬間のユルバンの表情で彼が何も知らなかったことがわかった。
●明日からは
うろたえるユルバンの前に、今度はディアーヌが現れた。彼女はリュクレースに小さく会釈すると、自分が犯した罪を告白するためにユルバンの横にひざまずく。
すべてを知ったユルバンは、ひどいショックを受けたもののディアーヌを責めることはしなかった。と、それを待っていたかのように衛兵を連れたウジェニーとジェルマンが乗り込んできた。
「とうとう白状なさいましたね、ディアーヌ様。子の仇、とらせてもらいますわ」
「おい、病人の前だぞ」
咎めるラックスをウジェニーは強気に睨み返す。
「そこの罪人を縛りなさい!」
「おや、ご自分だけ罪を逃れるおつもりですかな」
寝室に踏み込もうとする衛兵を押しのけ、死んだはずの侍女を連れたフランクが登場。寝所を荒らすものではない、と衛兵達はイワノフに阻まれている。
「この子がみんなしゃべってくれたぞ。おぬしもよくよく罪深いお方じゃのぅ」
この侍女が鍵であった。リュクレースの信頼を得た裏でディアーヌと通じてリュクレースを陥れるために働き、そこに目をつけたウジェニーにも利用されたのだ。
「それでウジェニー様の後ろで協力していたのがジェルマンさんと言うわけじゃ」
「ジェルマン、お前まで‥‥」
ユルバンは衝撃で眩暈を起こしたように額に手をあてた。
「なぜだ。お前は止めなければならない立場じゃないのか。どうして‥‥うっ」
急激な心労についにユルバンは胸を押さえて体を曲げた。駆けつけた医師に、これ以上の会話は無理と言われ、全員寝室を出ることになった。
それから、三人の夫人は部屋に閉じこもったきり、出てこない。今後のことはユルバンの回復を待つしかないのだった。
昔、自分が貴族の血を引くと知ったひとりの男がいた。彼は異母兄弟が新領主に就いたことを知り乗っ取ろうと計画し、執事となる。そして異父妹を彼に近づけ愛妾とし身篭らせるも、夫人の妨害により流産となる。
生きる目的を失った妹は子ができた次の愛妾に、兄の指示もあり、自分がされたことと同じことを彼女に施した‥‥。
「とかなんとか思ったりして‥‥」
屋敷に居ずらくなったであろうウジェニーを遠乗りに誘ったガレット・ヴィルルノワ(ea5804)は、小高い丘の上で足を止めた後、ウジェニーにこんなことを話した。
聞いたウジェニーは、屋敷を出てはじめてかすかな笑顔を見せた。
「ウジェニー様、新しい人生を歩んでみる気はないですか?」
ユルバンにパトロンになってもらい、パリで何か商売を始めてみることをガレットは勧めた。
「ウジェニー様、センスが良いから絶対成功すると思いますよ」
「さっきの話だけど」
唐突に、ウジェニーは話題を戻す。
「もし、それが本当だったら良かったな‥‥。そうしたら、こんなに苦しまなかった」
ウジェニーはすっかり憑き物が落ちたような顔でガレットを振り返る。
「ジェルマンももう少し老けてたら、対象外だったんだけどねぇ。私も、悪い女ね」
ジェルマンは自分に惑わされただけだ、とウジェニーは言う。彼の年齢はユルバンとさほど変わらない。
「お屋敷追放になったらあなたの勧める通り商売でもはじめてみようかしら。パトロンは‥‥誰か探して。ジェルマンも連れてっちゃおうかな」
「何があっても、ウジェニー様は幸せになれます」
「ありがとう。こんなことになったけど、ユルバン様のとこに来たことは後悔してないのよ。たぶん、ディアーヌ様もリュクレース様も同じね。そのことはきっと、ずっと変わらないのよ」
二人は丘の上から数え切れないほどの思い出がつまった屋敷を見下ろした。