マリーネ姫と闇の魔物1〜招かれざる客

■シリーズシナリオ


担当:内藤明亜

対応レベル:8〜14lv

難易度:やや難

成功報酬:4 G 98 C

参加人数:12人

サポート参加人数:3人

冒険期間:01月25日〜01月30日

リプレイ公開日:2008年02月03日

●オープニング

●マリーネ姫に祝福を
 その嫌な事件が起きたのは、去る精霊歴1041年11月23日のことである。この日はフオロ分国にとって積年の懸案だった、ルーケイの地の平定が成った日。冒険者出身の王領ルーケイ代官は、既に盗賊・逆賊はびこる難治の地ルーケイのほとんどを平定しており、最後に残った旧ルーケイ伯の遺臣軍をこの日にうち破ったのだ。しかも騎士道に則った、正々堂々たる戦いによって。
 ルーケイ平定という大事業を成し遂げた功績により、フオロ分国王エーロン・フオロは王領ルーケイ代官を正式なルーケイ伯爵としてこの地に封(ほう)じた。
 いわばこの日はフオロ王家と臣民にとっては、非常にお目出度い日。しかしその目出度さに傷をつけるような事件が、観戦のフロートシップの船上で起きたのだ。
 船上に魔物が出現したのである。
「ウィルは滅ぶ! フオロも滅ぶ! 滅びをもたらすのはマリーネ姫、おまえだ!」
 フオロ王家の一員として観戦にあずかっていたマリーネ姫に向かって、醜悪な子鬼の魔物はそう叫んだ。その直後に魔物は討ち取られたものの、魔物の言葉は指に刺さった小さな棘のように、姫の心に突き刺さって悩みをもたらし続けた。
 たかが魔物の戯れ言。そう言い切ってしまえばそれまでだが。
「そうさ、魔物の言葉なんか気にすることぁないよ! あれはただの悪あがきさ!」
 と、王都の民は口々に言う。民がこの事件をたいして気にしないのも、さる冒険者のバードのお陰である。彼はルーケイの戦いを題材とした素晴らしき詩を、マリーネ姫と民の前で謳(うた)いあげ、その歴史に残る戦いを讃えると共に、魔物の卑劣さをこき下ろした。そして詩の最後を次なる言葉で締めくくったのである。
「ウィルは栄える! フオロも栄える! 繁栄をもたらすのはマリーネ姫、貴女です!」
 この祝福の言葉が魔物の呪いの言葉以上に、王都の民の間に広まったことは言うまでもない。

●招かれざる客
「それにしても、冒険者達には随分と心配をかけたようだ」
 くすくす笑いながら羊皮紙の記録に目を通しているのは、マリーネ姫親衛隊のルージェ・ルアン。彼女は今日もマリーネ姫の館で警護任務についている。
 今はお昼時。姫の身辺警護は同僚のカリーナ・グレイスに任せ、自身は先に昼食を取っていた。手にした記録には冒険者が姫に語ったという数々の言葉が記されている。
「何が書いてありますの?」
 侍女が興味津々で問う。
「折角だから読み聞かせてやろう。まずは鉄仮面男爵殿の言葉だ。──マリーネ様はこの1年で随分と逞しくなられた。自信と信念を胸に歩めばカオスの魔物などは恐れるに足りません」
「ええ、まったくその通りですわ」
「次はもっと面白いぞ。空戦騎士団長殿の言葉だ。──彼らカオスの魔物にとって、姫の成長は疎ましく映っているということです」
 ここでルージェは言葉を句切り、次の一文を朗々と読み上げる。
「なにせ最初お会いしたときの姫は、それは我侭できかん気が強くて、大変に難しい方でしたから」
 侍女もくすくす笑い出した。
「そんな大声を出されては、姫様に聞こえてしまいます」
「構うもんか、今の姫殿下は心の広いお方になられたからな。さて、お次は‥‥」
 しかしルージェが続きを読もうとするのを、客人の来訪を告げる呼び鈴の音が中断させた。
「あら、誰かしら?」
 ややあって、別の侍女がやって来て告げる。
「モラード・アネット男爵様のお越しよ」
「モラード・アネット男爵様って‥‥マリーネ姫のお父上の?」
「そうよ。一体、何年ぶりかしら? 本当に珍しいこともあるものね」
 そしてアネット男爵が客間に現れた。こう言っては何だが‥‥とても姫と血の繋がりのある人物には見えない。顔の造作もさることながら、漂わせている雰囲気があまりにも凡庸で貧乏くさいのだ。しかも真っ昼間から酒の臭いをぷんぷんさせている。輝く大輪の花のごときマリーネ姫とは、まさに雲泥の差だ。
「あれは、ここにいるのか?」
 ぞんざいな口調で男爵が尋ねる。
「姫殿下は御子のオスカー殿下と共に中庭に。お会いになられますか?」
 しかし男爵はルージェの言葉に対して首を振る。
「いいや、あれに会うつもりは無い。私は館の様子を見に来たのだよ。久しく留守にしていたが、私にとっては貴重な物件だ」
 それではとルージェが男爵を案内しようとした矢先、男爵は足をよろめかせた。咄嗟にルージェが体を支えたが、だらしなく着込んだ男爵の礼服の懐からコロコロと小さな瓶が転がり落ちた。
 酒の瓶だ。拾い上げたルージェに、男爵が手を差し出す。
「それを返してくれ」
「これは酒ではありませんか?」
「私にとっては薬だよ」
 そこへ、ぬうっと姿を現したのは屈強な衛士長。
「酒は百薬の長、されど万病の元──とも言うぞ」
 そして衛士長は丁寧な言葉遣いながら、男爵を威圧するように言った。
「男爵殿はご病気の様子、今日はお引き取り願おう。まずは病気の治療に専念なされることだ」
「先王陛下の寵姫ともなると、また随分と偉ぶってくれるじゃないか‥‥」
 小声で悪態をつきつつ、男爵は不機嫌な表情で立ち去った。暫し客間は陰鬱な雰囲気に支配されていたが、それもマリーネ姫が1歳になる息子のオスカーを連れて現れるまでの間。
「あら、誰か来たの?」
「実は‥‥」
 姫の耳に侍女が耳打ち。一瞬、姫の顔から表情が消える。
「そう‥‥あの人が来たのね」
 しかし次の瞬間には、姫の顔に笑顔が戻っていた。
「私はもうしばらく、オスカーと一緒にいるわ。夕食までの時間、オスカーに竜の話を聞かせてあげようかしら?」

●呪いの血文字
 ここは王都ウィルの下町。
「清潔第一!」
「健康増進!」
「本日も、我々は王国への義務を果たすのだ!」
「おいっちに! おいっちに!」
 エーロン王が発足させたご奉仕集団、エーロンお掃除隊は今日も王都の清掃に励む。ゴミはせっせと片づけて。だが、中には始末に困るゴミもある。
「畜生! また余計な仕事増やしやがって!」
 目の前に転がるのは引き裂かれた野良犬の死骸。そのすぐ側の家の壁には、忌まわしき言葉が犬の血で大きく書かれている。

『マリーネは国に滅びをもたらす女』
『マリーネとオスカーに災いあれ』

 文句を言いつつ、お掃除隊の男は死骸をズダ袋に放り込み、壁の血文字を水とブラシで擦り落とす。実は1週間ほど前からこの悪質な嫌がらせは続いていた。災難に遭うのは野良犬に野良猫、壁の血文字は決まってマリーネとオスカーを呪う言葉。
「ねえおじさん、僕の妹と犬のロッシを見なかった?」
 やって来た街の子どもが男に尋ねた。
「朝の散歩から帰って来ないんだ」
 男は嫌な予感がした。まさか‥‥!?
「それじゃ、一緒に探してやろう」
 娘と犬の姿を探しながら通りを歩いていると、路地から飛び出し駆け去って行く女の姿が見えた。気になって件の路地に入ってみると、
「うわあっ!」
 そこには犬のロッシが無惨な死骸となって横たわり、壁にあの血文字が。

『次は小娘の番だ。恨むならマリーネを恨め』

 事件の話が広まるや、下町は蜂の巣をつついたような大騒ぎ。警備兵達の懸命な捜査にも関わらず、行方不明の女の子は見つからない。
「またしても、あの悪女の仕業か!?」
 マリーネ姫の命を2度も狙った悪女が、またしても忌まわしい事件を引き起こしたらしい。事の次第は直ちに冒険者ギルドにも伝えられた。

●今回の参加者

 ea1603 ヒール・アンドン(26歳・♂・神聖騎士・エルフ・ノルマン王国)
 ea1643 セシリア・カータ(30歳・♀・ナイト・人間・ノルマン王国)
 ea2179 アトス・ラフェール(29歳・♂・神聖騎士・人間・ノルマン王国)
 ea3486 オラース・カノーヴァ(31歳・♂・鎧騎士・人間・ノルマン王国)
 ea3727 セデュース・セディメント(47歳・♂・バード・人間・イギリス王国)
 ea4868 マグナ・アドミラル(69歳・♂・ファイター・ジャイアント・ビザンチン帝国)
 ea5013 ルリ・テランセラ(19歳・♀・ウィザード・エルフ・イギリス王国)
 ea7463 ヴェガ・キュアノス(29歳・♀・クレリック・エルフ・ノルマン王国)
 ea9244 ピノ・ノワール(31歳・♂・クレリック・エルフ・ビザンチン帝国)
 ea9515 コロス・ロフキシモ(32歳・♂・ファイター・ジャイアント・ロシア王国)
 eb4139 セオドラフ・ラングルス(33歳・♂・鎧騎士・エルフ・アトランティス)
 eb6105 ゾーラク・ピトゥーフ(39歳・♀・天界人・人間・天界(地球))

●サポート参加者

クレア・クリストファ(ea0941)/ チカ・ニシムラ(ea1128)/ アレクシアス・フェザント(ea1565

●リプレイ本文

●お目通り
 救護院男爵に付き添われ、マリーネ姫の館にやって来たのはヒール・アンドン(ea1603)。 本来なら自らがマレーネ姫様やオスカー様の護衛をしたくも、それは叶わず己が『剣』の一人であるヒールが御身を護る。──救護院男爵が姫にそのように伝えると、ヒールは畏まって名乗り上げた。
「お初にお目にかかります‥‥。ヒール・アンドンといいます‥‥」
「こんなお嬢さんで頼りになるのか?」
 姫の側に控える衛士長が疑わしげに口にする。
「これでもれっきとした男なんですよ‥‥?」
 と、ヒール。
「これは失礼した」
 見掛けがほっそりしたエルフだと、こういう間違いだってあるもんだ。だけど、姫を護ろうとする者は彼だけではない。続いて現れたのは、やたらと図体のでかいジャイアントのコロス・ロフキシモ(ea9515)。
「貴女様の護衛をさせていただきます、コロス・ロフキシモです。鉄仮面男爵からも姫様の事をよろしくと申し付かっております」
 敵には容赦しない男だが、姫の前では礼儀正しく。
「私の実力につきましては、親衛隊のお二方が御存知でしょう」
 その言葉に、やはり姫の側に控える親衛隊員のカリーナとルージェがうなづく。
「コロス殿の実力は我々が保証します」
「そうか、それは心強い!」
 コロスと言えば、決闘裁判で元死刑囚の挑戦者を散々に打ち負かした男。その評判は衛士長も聞き及んでいる。その姿は実に頼もしく目に映った。もちろん、姫の目にも。
「勇者コロス、私の命を貴方に預けます。貴方がここにいる限り、カオスの魔物など恐れるに足らず」
 信頼の眼差しをコロスに向け、きっぱりと姫は言い切った。
 さらにもう一人。館の門をくぐりやって来た者はクレリックのヴェガ・キュアノス(ea7463)。
「懲りずに姫を狙わんとするばかりか、またしても無関係な民達まで巻き込みおってからに‥‥」
 独り言つ口調は静かでも、内心では相当に怒っている。
「急ぎ少女を救出しなければ。‥‥じゃが、それだけでは終わらぬ気もする」
 冒険者達が少女の救出にかかりきりの間に、魔物が姫を襲いはしまいか? そう懸念するヴェガは姫に挨拶すると、魔物への備えとして親衛隊にヘキサグラム・タリスマンを預けた。
 共にやって来たゾーラク・ピトゥーフ(eb6105)も、マリーネ姫にホーリーキャンドルを献上。
「この蝋燭に火が灯っている間、カオスの魔物は半径3m以内には近づけません」
 さらに満1歳になるマリーネ姫の息子オスカーには武者人形を献上。魔物のことはとても心配だが、医者としては姫と息子の健康状態も気になる。そこで2人の定期健康診断を求めると、難なく認められた。
 結果は母子ともに良好。今後、ゾーラクが姫の元を訪ねた時には、引き続き健康診断を行うことになるだろう。
 さて、問題は魔物の少女殺害予告だ。
「敵の真の狙いがマリーネ姫とオスカーである可能性もあります。姫達の警護を強化する必要があるのでは?」
「それなら既に手は打ってある」
 と、衛士長が応じた。
「親衛隊2人を始め、俺の配下の衛士達が総出で姫の守りを固めている。近づく者は虫一匹たりとも見逃しはしない。だが、冒険者諸氏も協力してくれるのなら歓迎しよう」
 良い機会なので、コロスは2人の親衛隊隊員と久々に手合わせすることにした。かつての親衛隊適性試験の時より、どの程度腕を上げたか試したくもあった。
「俺も改めた装備でどの程度戦えるか試してみたいのでな。遠慮無く来るがいい‥‥」
「では、遠慮なく」
 最初にルージェ。以前よりも剣の動きが冴えている。
「ほう、腕を上げたな」
 言うなり、突き入れてきたルージェの剣をコロスは鎧で受け止め、逆にルージェの喉元めがけて剣を閃かせる。
「うっ‥‥!」
 喉を切られた! ‥‥と、ルージェは一瞬思ったが、コロスの剣はギリギリの位置で止まっていた。コロスは言葉を続ける。
「だが、それしきの腕で俺には勝てんぞ」
 続いてカリーナ。手合わせを始めたはいいが、勝負がなかなかつかない。カリーナはコロスの剣を巧みにかわしながらも、攻めの一撃を繰り出せないでいる。
 ややあって、カリーナが言う。
「勝負はおあずけということで。むしろ今はカオスの魔物への警戒を」
「では、そういうことにしておこう」
 コロスは剣を鞘に収める。勝負の続きは別の機会に。

●瑠璃姫と護り人
「マリーネお姉ちゃんのお父様に会おうと思うの‥‥なにか事情がありそうな気がして気になるから‥‥何か隠しているのかな‥‥そんな気がする‥‥」
 と、瑠璃姫ことルリ・テランセラ(ea5013)が言うので、オラース・カノーヴァ(ea3486)は案内人を買って出た。
「王都には詳しいつもりだ。任せとけって」
 過去にも依頼絡みでしばしば歩き回った王都だ。その筋に詳しい人間を通じて当たりを付けると、程なくアネット男爵の居場所は分かった。悪代官四人衆の一人として、何かと評判の悪い王領代官レーゾ・アドラの館である。
「よりにもよってあの男の屋敷かよ!」
 思い起こせば一昨年の夏。ルリもオラースもあの館を訪れていた。あの時は新ルーケイ伯の戦勝祝賀会。普段からレーゾを嫌っているマリーネ姫も、新ルーケイ伯の為にわざわざ館にお越しになったし、ルリも新ルーケイ伯とダンスを踊ったり。
 もちろん、レーゾの方でも彼らのことを覚えていた。
「これはこれは、ようこそお越し下さいました」
 客間に通され、お茶とお菓子を出されたが、今は長居すべき時でもない。
「アネット男爵殿に会わせてくれるか?」
 オラースが求めると、レーゾは品の無い顔に精一杯の愛想笑いを浮かべ、
「では、泊まり部屋へご案内を」
 と、2人を屋敷の一室に案内した。男爵の泊まり部屋である。
「男爵殿にお客人ですぞ」
 閉じたドア越しにレーゾが声をかけると、ドアの向こうからくぐもった声。男爵の声だが、まるでぶつぶつ文句を言っているようで。その返事を聞くや、レーゾは申し訳なさそうに告げた。
「男爵殿はご気分がすぐれず、今日は誰ともお会いにならないそうです」
「折角、会いに来たのにこれかよ!」
 と、愚痴ったオラースだったが、ふと思い当たって訊ねてみた。
「そういや、アネット男爵は王都で毎日何やってんだ?」
「骨董品の買い込みでございます」
「骨董品だって?」
「はい。男爵殿は気難しく人見知りの激しいお方なのですが、その一番の楽しみが骨董品の蒐集でして。毎日のようにあちこちの店を回り、気に入った品を見つけては買い込んで部屋に戻り、お気に入りの品々を眺めつつ酒をちびりちびりやるのがお好きなのです」
 オラースはげんなり。
「帰ろうぜ、ルリ。これ以上、ここにいても無駄ってもんだ」
 館を去り、マリーネ姫の屋敷に向かう道すがら。
「マリーネお姉ちゃんのお父様‥‥いつ会ってくれるのかな‥‥? るりはお父様ともぉあえないから‥‥いいほうにいってほしいな‥‥」
 姫の身を案じてルリが呟いていると、オラースが不審な気配を察知した。
「それにしても、さっきからずっと誰かに後をつけられている気がするんだが‥‥」
 オラースは立ち止まって振り返る。しかし彼の探す相手はルリの真ん前に立っていた。
「あ‥‥スレナスさん‥‥」
「何、スレナス?」
 オラースもルリの前方に目を転じ、小柄な若者の姿を目にした。ジ・アース人のスレナス。大勢の冒険者達に先駈けて、ジ・アースからアトランティスへ通じる月道をくぐり抜けた男。こうして面と向かって会うのは久々だ。
「おい、スレナス!」
 オラースは声をかけたが、スレナスはじっとルリを見つめて微笑み、そして風が吹きすぎるようにその姿を消した。
「何なんだよ、あいつは」
 と、スレナスの突飛さにオラースは呆れたが、ルリの目にはスレナスの微笑みがしっかり焼き付いていた。いつでも君を見守っているよ──。その微笑みはルリにそう告げているようで。
 その日、ルリはマリーネ姫と夕食を共にした。以前に会った姫はとても輝いて見えたけれど、今の姫はどことなく沈んでいるようにルリの目には映る。元気づけてあげたい──そう思うと、自然と言葉がルリの唇からこぼれ落ちた。
「どんなこと言われても‥‥マリーネお姉ちゃんは民やみんなを幸せにしたい気持ちがあるならそれでいいと思う‥‥マリーネお姉ちゃんはマリーネお姉ちゃんだから‥‥たとえ闇が訪れ蔽われても光はあるから‥‥マリーネお姉ちゃんだけの心の宝石を強く輝かせればいいのだから‥‥」
「え?」
 一瞬、マリーネ姫は不意を突かれたような表情になってルリを見つめ、その後で笑顔を作って言った。
「魔物の言葉なら気にすることはないわ。あれはただの魔物の戯れ言よ」
 ルリも笑顔を見せようと思ったけれど、どうしても笑顔を作ることが出来ず、
(「でも‥‥るりは弱い光だから‥‥流れ星みたいに闇に沈んで消えていくかもしれない‥‥」)
 食の進まぬまま、料理の皿を見つめてうつむいていると、心配になったのか姫が言葉をかけてきた。
「ルリ、元気を出しなさい。たとえ魔物が襲って来ても大丈夫。頼もしいみんなが私達を守ってくれるし、私もルリを守ってあげるわ」

●証言
 犬の惨殺、血で書いた文字。現場の有り様が過去の記憶と交錯する。彼らは似た様な手口で残虐な行為を繰り返す。
「こちらではカオスの魔物と言うのでしたね。呼び方は違えど奴らの行動は何処でも変わりませんね」
 デビルにせよカオスにせよ、アトス・ラフェール(ea2179)にとっては生涯をかけて退治すべきもの。
「私が‥‥いえ、私達がいる限り、好きにはさせません」
 彼を始め、冒険者達は誰もがカオスのやり口に憤っている。ともあれ、最初に会うべきは連れ去られた少女の兄の少年だ。
「さぁ、このおにいさんに話してはいただけませんか?」
 訊ねたセデュース・セディメント(ea3727)の言葉遣いが奇妙だったので、訊かれた少年は奇妙そうな表情を見せる。
「おじさんが、おにいさん? 何か変だよ」
 笑いを誘ってリラックスさせようとしたのだが、少年は妹のことを心配するあまり、くすりとも笑わない。しかしセデュースの暖かい接し方には好感を覚えたようだ。
「まずは名前からですね」
「僕はマーリオ・ロッツァ。妹の名はシャーナ」
「あの日の出来事を最初から話して下さい」
「シャーナは毎朝、犬のロッシを連れて散歩するのが習慣だったんだ。あの日もいつもの散歩道を一回りして、家に帰って来るはずだったんだけど‥‥」
「シャーナさんの姿を、心の中に思い浮かべてくれますか?」
 少年が言われた通りにすると、セデュースはレシーブメモリーの魔法を使ってそれを読みとった。
「これがシャーナさんですね?」
 ファンタズムの魔法で目の前にその幻影を作るとマーリオは驚き、きらきらと目を輝かせた。
「おじさんすごいよ! こんなことが出来るなんて! 必ずシャーナを助けてくれるよね!」
 後にマーリオの言う散歩道を仲間達と歩き、その近所の住民達からも聞き込みを行ったが、
「ああ、あの朝もシャーナを見掛けたよ」
「でも、俺の家の前は通らなかったな」
「そういや犬が吠えるのを聞いたけど、今にして思えばありゃロッシだったんだな」
 彼らの証言を付き合わせて推測すると、シャーナは散歩道の中程で連れ去られたらしい。住民達の証言とマーリオの証言との間に、とりたてて矛盾は感じられない。
「マーリオがカオスの魔物に操られている可能性は薄そうですね」
 と、セデュースは心の隅にあった一抹の懸念をうち消した。
「行方不明のシャーナですけど、やはり真の標的はマリーネ姫? 本人を狙わないでやる手口、くずですね」
 と、聞き込みに協力したセシリア・カータ(ea1643)が言う。
「悪女を倒したい気もしますが、優先順位忘れないようにしないと」
 勿論、最優先事項はシャーナの救出だ。

●魔物に鉄槌を
 セデュースにはお馴染みの店、下町の酒場『妖精の台所』は今やシャーナ捜索の本部と化した。
「これがシャーナさんです。顔をしっかり覚えてください」
 セデュースがファンタズムで示すシャーナの姿を、集まった者達は食い入るように見つめる。
「しっかり覚えたぜ、男爵様」
 集まったのは冒険者だけではない。話を聞いた町の人々も続々とシャーナの捜索に馳せ参じ、店の中は人でぎっしり。その中にあっても、ジャイアントのマグナ・アドミラル(ea4868)は図体がでかいだけにとりわけ目立つ。
「罪無き少女を浚い、風評を煽るとは許せん。必ず成敗してくれよう」
 呟いたマグナの声の迫力に、近くにいた者達がぎょっとして後退る。その様子を見てマグナは苦笑し、言葉をかけた。
「ウィルは初めて故、この国の習慣に外れた事や礼を逸した行いがあれば失礼。苦情はなんなりと」
 シャーナを浚った悪女については、ゾーラクがその姿をファンタズムで皆に示す。ゾーラクはエーロンお掃除隊に掛け合い、過去に血文字や死骸が発見された現場を訪ねて回ったのだ。パーストの魔法で調べたところ、いずれの現場にもこの悪女の姿があった。その顔をルリに確かめさせたところ、マリーネ姫のご出産の時に暴徒をけしかけて姫を焼き殺そうとした悪女と一致した。
「事件の報告書を読みましたが、この悪女はジ・アースで言うところの『夜叉』に憑依されていると思われます。女性の嫉妬心や復讐心の様な、暗い感情につけ込んで悪行を行わせる魔物です」
 と、ピノ・ノワール(ea9244)が自分のモンスター知識を元に、悪女を支配する魔物について説明した。すると町の男が問う。
「その魔物、何とかならねぇんですかねぇ?」
「憑依されている女性を改心させれば、魔物を追い出すことが出来ると聞いています」
 さらにピノは、王都で頻繁に出没する魔物についても話して聞かせた。
「冒険者ギルドの報告書に何度も登場するのが、翼の生えた醜い子鬼です。ジ・アースでは『インプ』と呼ばれていました。たいして力はありませんが、他の魔物と同様にやっかいな特性を持っています。犬猫や鳥や小さな虫など別の生き物に化けるし、その体は通常の武器で傷つけることは出来ません」
 町の人々は落胆のため息を漏らす。
「そんな魔物、俺達じゃ相手が出来ませんよ」
 そんな声が上がったので、ピノは言い聞かせる。
「とにかく魔物の存在に気付いたら、近くにいる冒険者を見つけて声をかけて下さい。私達も皆でシャーナを探して歩き回っていますから。後のことはお任せを」
 こうして情報が共有されると、皆は本格的な捜索に乗り出す。
「ではお仕事を始める前に、景気づけの一曲を」
 と、セデュースはクレセントリュートを爪弾き、声を張り上げて歌い出した。
「心正しき勇士達よ、人の心の隙間につけ込む悪しき魔物に、いざ鉄槌を〜♪」
 人々も最後の節を繰り返す。リフレインの熱気が皆を昂揚させる。
「悪しき魔物に、いざ鉄槌を〜♪」
「悪しき魔物に、いざ鉄槌を〜♪」
「悪しき魔物に、いざ鉄槌を〜♪」

●消えたシャーナ
 捜査を念入りに行ったのは、やはりシャーナとロッシの散歩道の付近だ。
 オラースはシャーナの衣類をその両親から借りると、ペットの狩猟犬にその匂いを嗅がせた。
「よし、行け! ペンドラゴン!」
 アトスもこれに倣い、ペットのハスキーにシャーナの匂いを追跡させる。
「良い訓練になります。先輩の良いところをしっかり学ぶのですよ」
 シャーナの家を出た2匹の犬が走るルートは、シャーナの散歩道と一致。ところが散歩道の中程まで来ると、犬は歩みを止めてうろうろするばかり。
 ヴェガも同じく、ペットの柴犬にシャーナの匂いを追跡させてみたが、こちらも散歩道の中程で匂いを見失ってしまった。
「シャーナはこの辺りで連れ去られたということかえ?」
 見れば、そこは犬のロッシの死骸があった場所の近く。
「もしや、空を飛んで連れ去ったのでは?」
 そう思ったヴェガは、近くに住む人々から聞き込みを行ったが、
「何か空を飛ぶ物を見なかったかだって? 鳥なら結構、飛んでるけどな」
 と、人々が指さす空を雀やカラスが飛んでいる。もしやと思ってデティクトアンデットの魔法で調べてみたけれど、魔物の反応は無い。
「ならば、パーストの魔法で」
 と、ゾーラクがその辺りを魔法で調べてみた。
 幾度か魔法を繰り返すうちに、見えた。シャーナと悪女の姿が。
 ところが、時間を追って過去の光景を見続けていると、ある時点からシャーナの姿が消えている。そして悪女だけが現場から去って行く。
「一体、何が起きたのでしょう?」
 残念ながら1日のうちに使える魔法の数には限りがある。シャーナが消えた理由や悪女が向かった先を、ゾーラクはその日のうちに知ることは出来なかった。
 ピノはシャーナが監禁されていそうな建物に目星をつけて聞き込みを繰り返し、時にはデティクトライフフォースの魔法で内部を探知。
 いた! 人気のない物置小屋の中に子どもが!
「シャーナが見つかったらしいぞ!」
 知らせを聞いて集まった人々が見守る中、冒険者達が物置小屋に踏み込むと、そこに子どもが閉じこめられていた。
「怖かったよ〜!」
 ところが、泣いて駆け寄って来た子どもは男の子。シャーナじゃない。
 しばらくして、恐縮した顔の親爺がぺこぺこ頭を下げてやって来た。
「すみません、こいつはうちのせがれです。悪戯がひどいもんで、懲らしめに閉じこめてやったんです」
 念のため、シャーナの家も調べてみた。住んでいるのはシャーナの両親に、父方の祖父と祖母。子どもはマーリオとシャーナを入れて4人。最年少は2歳の男の子だ。一家は王都で商売を営んでおり、子ども達もその手伝いをしている。
「しかし、どうしてシャーナさんは狙われたのでしょう?」
 セデュースの心に疑問が湧く。狙われたのは単なる偶然なのか、それとも‥‥。

●黒幕は誰だ?
 その日の捜索の結果は、マリーネ姫を守る冒険者達にも届けられる。
「皆が先に相手の居場所を見つけて、こちらは平和そのものならいいのですけども‥‥」
 夕食の席で仲間の報告を聞きながら、ヒールが呟いた。今日も館は平和そのもの。
「しかし前々から感じておりましたが、我々はカオスを相手に後手に回り続けておりますな。防御が大事なのは確かですが、戦いとは攻めねば勝てぬもの。敵の大将を盤面に引き出してこそ、勝利は見えてくるというものです」
 と、向かいの席のセオドラフ・ラングルス(eb4139)が言う。
「かの悪女がわざわざ王宮の牢屋から連れ出された事を考えても、そ女の背後には悪意ある知恵者の影が見えます。吟遊詩人クレアか、それとも魔術師ヴァイプスか‥‥。その尻尾を掴む事さえできれば、打つ手はありましょう」
 目下、セオドラフはマリーネ姫を狙う悪女の正体を突き止めるべく奔走中。聞き込みの助けにと、自ら描いた悪女の似顔絵を仲間達に配り、自分も似顔絵を携えて下町での聞き込みに励んでいる。

●シャーナの救出
 冒険者達の捜索は続くが、シャーナはまだ見つからない。散歩道の近辺は調べ尽くした。
「これだけ探しても見付からないなんて‥‥」
 ため息混じりにピノが空を見上げると、かなり離れた場所に群がり飛ぶカラスが見えた。
「どうしてカラスがあそこに?」
 その問いかけに、手伝いの男が答える。
「あの辺りには肉屋があって、肉の匂いでカラスが集まってくるんだよな」
 そういえば、あの辺りはまだ調べていなかった。駄目で元々。冒険者達はカラスの集まる場所に近づき、ピノがデティクトライフフォースの魔法を発動。そして真剣な面もちで仲間達に告げる。
「‥‥いました。地面のかなり下の方に子どもが」
 続いてアトス。デティクトアンデットの魔法で魔物の存在を察知した。
「見張りと思われる魔物が3匹、近くにいます。仲間に連絡されない為にも、確実に残らず退治しておきましょう」
 魔物は3匹ともカラスに化け、普通のカラスの群れに紛れ込んでいる。うち2匹は塀の上に止まり、1匹は空を飛んでいる。
 セシリアは仲間達の武器にオーラパワーの魔法をかけ、ヴェガも皆にレジストデビルの魔法を付与。そしてアトスは剣を構える。
「通常武器が通用しないことは百も承知。しかし、魔物から取り出したこの剣には適わないでしょう」
 だしぬけに空から不気味なカラスの声。空から見張っていた魔物が冒険者達の接近に気付き、仲間に警告を発したのだ。
 咄嗟に、ヴェガはホーリーの魔法で狙い撃ち。カラスの群れに紛れ込んでいても、魔物の位置はデティクトアンデットの魔法で正確に把握していた。
 撃たれたカラスは地面に落ちるや、魔物の正体を現す。コウモリの翼を生やした醜い子鬼だ。再び空に舞い上がろうとしたところを、駆けつけたマグナが一刀の下に切り捨てた。
 さらにアトスは、カラスに化けた塀の上の魔物にコアギュレイトを放つ。1匹は硬直して動かなくなったが、もう1匹は空へ舞い上がった。すかさずブラックホーリーで狙い撃ちにするピノ。魔物が落下して正体を現すと、オラースが魔物に聖剣「アルマス」デビルスレイヤーを叩き込み、魔物の息の根を止めた。
「何に化けようと位置は分かるのですよ。我々を甘く見ない事です。滅せよ!」
 コアギュレイトで呪縛された魔物にピノが言い放つと同時に、アトスが剣で斬りつけた。
「滅び去れ!」
 剣が魔物を切り裂く。先の2匹と同様、絶命した魔物の体が灰の塊のように崩れて消滅する。
「ずいぶんとあっけないな」
 マグナが呟いた。
「では、シャーナを助けるか」
 地面を調べると、そこには井戸の跡があった。井戸は大きな敷石で蓋をされていたが、虫が出入り出来るくらいの隙間がある。
「ぬううっ!」
 力を振り絞ってマグナが敷石を持ち上げると、ぽっかり開いた穴の底に少女の姿が見えた。シャーナに間違いない。やつれきった様子で、穴の底にぐったりと横たわっている。
 穴から引き上げられたシャーナは怪我をしていたので、ヴェガがリカバーの魔法を施して治癒された。気付けにと、ゾーラクは魔法瓶の中の飲み物をシャーナに与える。
「怖かったでしょう。辛かったでしょう。でも、もう大丈夫です」
 後のさらなる調査で分かったことだが、シャーナは散歩道の途中で悪女に捕まり、その魔法で小さなイモ虫に姿を変えられて連れ去られたのだ。匂いが途絶えたのは、そのせいだった。そしてシャーナは井戸の跡まで連れてこられ、敷石の隙間から地面の穴の中へと押し込まれたのだった。
「これを持ってな。護りの魔法がかかってるって噂の品だ」
 と、オラースは自分のコメットブローチをシャーナに与える。少女はすがるような目でオラースを見つめると、ぎゅっとブローチを握りしめた。

●狙われた姫の館
 所変わって、マリーネ姫の館では。
「怪しい奴がいるぞ!」
 衛士達が色めきたつ。屋敷の敷地内で怪しい人影が目撃されたのだ。
「姫、お気をつけ下さい! 不審者が‥‥」
 ところがマリーネ姫の元に向かった衛士長は、姫の居室に飛び込むなり言葉を失った。
 目の前に当の不審者がいる。腰にハルバードをぶら下げた小柄な若者、言わずと知れたスレナスだ。姫を護る冒険者達も、スレナスの突飛な行動に呆れている。
「急にそんな現れ方をするな。魔物と間違えて、危なく斬り捨てるところだったぞ」
 と、コロス。しかしスレナスは真剣な表情で言葉を返す。
「魔物が館に侵入した」
 その言葉に姫の顔色が変わる。
「魔物が?」
「大丈夫、ここにいれば安全だ」
 スレナスは姫のそばにいるルリにも言い聞かせた。
「僕のそばから離れないで」
 ヒールはレイピアの柄を握って身構えた。
「姫には手を触れさせませんよっ‥‥! 何かあったらクレアさんに何を言われるか‥‥(ぁ)」
 いきなり部屋の扉の向こうからけたたましい女の笑い声が響く。
「アハハハハハ! アハハハハハ!」
「そこか!」
 コロスが剣を抜き放つ。
「姫様を害する者はこの俺が葬り去ってやろう」
「まて、早まるな!」
 スレナスの制止に一瞬、扉へと向かう足を止めたコロスだったが、女の笑い声は止まない。
「ええい、耳障りな!」
 コロスが扉を蹴破ると、扉の外に高笑いする女がいた。そいつを突き飛ばしたが、倒れたその者に剣を振り下ろそうとしたその手が止まる。それは館で働く侍女の1人。魔物の魔法で操られていたのだ。
「囮に使われたか!」
 館の別の場所から衛士達の叫びが聞こえてくる。
「火事だ! 火事だ!」
 気がつけば周囲には煙が立ちこめ、物の焼ける臭いまでする。
「姫は任せたぞ!」
 姫の護衛は親衛隊と仲間の冒険者に任せ、コロスは火元へと急いだ。火元は侍女達の部屋だ。入口では衛士達が右往左往している。
「内側から鍵をかけられた! 中に侍女達が!」
「ぬああああっ!」
 有無を言わさず、コロスは剣で扉を叩き壊した。だが、燃える部屋に飛び込んだ途端、ナイフを手に襲ってきた者がいた。咄嗟に叩き伏せると、これも魔物に操られた侍女。残りの侍女達は部屋の中で一塊りになって怯えている。
「早く逃げろ! もたもたするな!」
 侍女達を部屋の外へと逃すコロス。その目に部屋の窓から逃げて行く生き物の姿が見えた。2匹の黒いワシだ。
「さては、あれが魔物か!」
 コロスは窓を飛び出し、全力疾走でワシを追う。
「このコロス・ロフキシモ‥‥容赦せんッ!!」
 ところが思わぬ妨害が入った。いきなり門から乗り入れて来た馬車が、コロスの行く手を塞いだのだ。
「邪魔立てするなあっ!!」
 怒ったコロスは剣を馬車に叩きつける。馬車の扉が派手な音を立てて砕け、乗っていた御者は慌てて馬車から飛び降りた。だが、この妨害のお陰で、黒いワシはまんまと逃げおおせた。
 壊された馬車の扉の向こうでは、アネット男爵が怯えて震えている。
「なぜあんな邪魔をしてくれたっ!?」
 怒鳴りつけるコロスに、風采の上がらぬ男爵は怯えた声で言葉を返す。
「き、き、君こそ‥‥よ、よくも、私の馬車を壊してくれたな‥‥」
 やがて館の中にいた者達がぞろぞろと現れ、衛士長が男爵を問い詰める。
「男爵、なぜここにいる!?」
「や、館が火事になったのを見たから‥‥し、心配になって様子を見に来ただけだ。‥‥わ、私にとっては‥‥た、大切な館なんだ」
 どもって言葉を返すアネット男爵の手には、しっかり酒瓶が握られている。
 マリーネ姫がつかつかと男爵に歩み寄り、言い放った。
「壊れた馬車は弁償するわ。だから、さっさとここから出て行って!」
「偉そうに‥‥」
 逃げた御者が戻ってきて男爵に尋ねる。
「これから如何なさいますか?」
「‥‥もう、こんな所に用は無い。‥‥代官殿の館へ帰ろう」
 馬車はマリーネ姫の館から走り去る。冒険者達の呆れた視線と、衛士達と侍女達の冷たい視線を受けながら。マリーネ姫は馬車に見向きもしない。

●闇の中の光
 殺された犬のロッシは、冒険者達の手で手厚く葬られた。
「生命は全て尊い。安らかに‥‥」
 率先して葬儀を行ったピノは、木の墓標の前で静かに十字を切る。他の者達もそれぞれのやり方でロッシの冥福を祈った。
 その日の夜は、マリーネ姫の館でこれまで集めた情報の取りまとめ。幸い、火事は侍女達の部屋を焼いただけで鎮火された。
「それにしても今回の魔物の襲撃、いやにあっさりしておるのぅ」
 ヴェガは疑問を呈する。あの悪女にとって、これはマリーネ姫を狙った3度目の襲撃。しかし以前の2回の襲撃では冒険者達との大立ち回りを繰り広げたのに、今回はあっさり逃げている。
「ともかくも‥‥あの悪女は必ず捕らえて‥‥カオスの魔物が手出しできない場所で‥‥自らの罪を償わせるべきだと思います‥‥」
 ヒールがそう進言した。
「罪を憎んで人を憎まず‥‥ともいいますし‥‥。本人の意思次第でもありますけども‥‥。願わくば自らの罪を改めてもらえるといいのですが‥‥。例えそれが一生かかったとしても‥‥」
「るりも‥‥そう思う」
 と、ルリが小さな声で同意した。
「悪女さんが捕まったらすぐにでも会って‥‥前に牢屋で会った時に話せなかったことをまた話してみたい‥‥何か原因があるような‥‥この人利用している黒幕が居る気がする‥‥」
「しかし、たとえ黒幕に操られたにせよ、魔物に唆されたにせよ、犯した罪は罪だ。自らの魂を汚しているだけだと何故気付かん」
 と、マグナが率直に思いを語る。すると、セオドラフが発言した。
「その悪女についてですが、気になる情報があります。下町での聞き込みで、さる商人の方に悪女の似顔絵を見せたところ、マラディア・ペレンという女性に面影が似ていると答えてくれました」
「マラディア・ペレン? 詳しく聞かせていただけるか?」
「はい。話せば長くなりますが‥‥」
 セオドラフの話は続いていたが、ルリの心は自分の考えの中に沈んでいく。
(「るりの光の杖でなにか役に立つ事できないのかな‥‥あの人の心の闇を打ち払う事できないのかな‥‥それともるりの過信にすぎなのかな‥‥」)
 問いかけても問いかけても答は分からない。
(「‥‥本当にるりで役に立てられるのかな‥‥役に立てられない弱い光‥‥そのままカオスの闇に沈んで‥‥消えていく光‥‥」)
 誰かの手が優しくルリの手に触れる。はっとして、うつむいていた顔を上げると、すぐそばでスレナスが微笑んでいた。
「さあ、顔を上げて回りを見てごらん。暗い夜が続いてばかりのような時でも、導いてくれる星はきっと見つかるよ」
 優しく語りかけるスレナスの言葉を聞きながら、ルリは思う。どうしてスレナスは自分にこうも優しくしてくれるのだろう?