マリーネ姫と闇の魔物5〜竜と共に歩む
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■シリーズシナリオ
担当:内藤明亜
対応レベル:8〜14lv
難易度:普通
成功報酬:4 G 15 C
参加人数:6人
サポート参加人数:-人
冒険期間:01月15日〜01月20日
リプレイ公開日:2009年01月24日
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●オープニング
●過去の人
冬枯れした野原を、初老の男が散歩している。
散歩は男の日課だった。
寒い冬だが、昼間は暖かい日もある。そんな日の昼下がりには、かなり長いこと散歩で時間を潰したりしている。
棲家の近くには葉の落ちた木が数本。男は木に歩み寄ると、ざらざらした木肌に手を当てる。空から注ぐ陽精霊の光に温められ、木肌はわずかに暖かい。
「もうすぐ春だ。そうさ、もうすぐ春だ」
呟くと、男は棲家へと歩みを転じる。
棲家の玄関では小間使いの娘が待っていた。
「旦那様、お茶の用意ができております」
「ありがとう‥‥」
男は棲家の部屋に戻る。骨董品で埋め尽くされた自分の部屋へ。
散歩の後はお茶を飲みながら、長年かけて収集した骨董品を鑑賞する。これが男の日課だ。
男の名はモラード・アネット。先王エーガンの寵姫であるマリーネ姫の父親であり、また王都の近領に領地を持つ男爵でもある。そしてマリーネ姫が先王の庶子たるオスカー殿下を出産した今では、オスカー殿下の母方の祖父ともなっていた。その立場からすれば、本来であればウィルの貴族界できらびやかな生活を送っていいくらい。だが運命はアネット男爵を翻弄し、今では人里離れた場所にあるこの棲家で、隠居同然のひっそりとした暮らしを余儀なくされている。
それでもアネット男爵はこの暮らしを気に入っていた。
「ご主人様、お客様です」
小間使いの声がした。
「そうか、中に通してくれ」
やって来た客人はルージェ・ルアン。マリーネ姫親衛隊の隊長を務める女性だ。
「ああ、君か」
「アネット閣下、ご機嫌麗しゅう‥‥」
「君の顔を見るのも久しぶりだな。お茶でも飲んでゆっくりしていかないかね?」
「では、お言葉に甘えまして」
ルージェを部屋に入れると、アネット男爵は骨董談義に花を咲かせる。しばらくするとルアンは切り出した。
「ところで男爵殿。例の件ですが、ご決心はつきましたか?」
「ああ、あの件か」
アネット男爵はおもむろに、机の引き出しから1枚の書状を引っ張り出した。それはフオロ分国王エーロンからの要請状。アネット男爵に対し、その家督を息女であるマリーネ姫に譲るよう要請するものだった。
「この要請に応じて同意書にサインしたとしても、もはや殺される心配はないだろうからね。では陛下のお望みのままに」
アネット男爵は真新しい羊皮紙を取り出して同意書をしたため、その末尾にサインした。それを受け取ると、ルージェは顔をほころばせて告げる。
「これで私もようやく肩の荷が下ろせます。アネット家の家督を正式に受け継いだ今、姫は晴れて公爵位の叙爵を受ける立場に立つことが出来るのですから。それで男爵殿は姫の叙爵式にご参列なさいますか?」
「いいや、私はこの我が家でのんびりしているよ」
「そうですか、やはり‥‥。では、これで失礼します」
ルージェは恭しく一礼し、アネット男爵の住処を後にした。
●2人の姫の出会う場所
今は亡きマリーネ姫の母、アネット男爵夫人マルーカの墓はアネット領にある。マリーネ姫が先王エーロンの寵姫に選ばれ、ずっと王都に住んでいた間、アネット男爵は墓の手入れをろくにせず荒れるに任せていた。しかし、かのアネット邸騒擾事件の後、マリーネ姫が丹念に手入れをしたお陰で、墓は見違えるように綺麗になった。
今、墓前に向う姫は両手を合わせて、今は亡き母に祈る。これは姫にとっていつもの務め。
祈りを終えた姫は、ぐるりと辺りを見回す。寒い冬景色の中、地面には去年に種を蒔き苗を植えたハーブが育っている。まだ丈は短いけれど、暖かくなればぐんぐん育つことだろう。
「来年の春には、この辺りは花の咲き乱れるお花畑になっているかしら?」
ふと、姫は気づいた。馬に乗った一行がこちらに近づいてくる。
「あれは、ルーベン閣下‥‥」
一行の先頭を行く馬上の者が誰であるか、姫はすぐに分かった。程なくして、立派な礼服に身を包んだ王弟ルーベン・セクテ公が姫の前に立つ。
「こちらに居ると聞き、やって来た。姫にこれを。つい先日、ハン国のミレム姫からの書状だ」
書状を開き、読み進めた姫の顔がほころぶ。
「まあ!」
ハンの国のミレム姫は書状で告げていた。ハンの国の親善使節団の団長を務める自分は今、王都にあるセクテ公の館に滞在しているが、マリーネ姫の叙爵式には是非とも出席したいと。そして叙爵式の前後はアネット領にて、姫と共に過ごしたいと。
マリーネ姫とミレム姫は気心知れた親しき仲。だから普通なら使者を立てて伝えるところを、セクテ公はわざわざ自らが出向いてこのことを伝えた。このことからもウィルの現国王ジーザム・トルクが、いかにハンの国との外交関係に心を砕いているかが分かる。
もっとも今のハンの国は国情不安。この先、情勢がどう転ぶかは分からない。
ともあれ、姫はアネット領の屋敷に戻ると色々と考え始める。
「ミレム姫が来られるのだから、歓迎は一国の王女を迎えるに相応しいものにしないといけないわ!」
でも屋敷の中を見回せば、がらんどうの場所ばかりが目立つ。屋敷のあちこちに置いてあった調度品も、壁にかかっていた数々の絵も、今ではその多くが取り払われてしまった。
「倹約と質素な暮らし、まだ続けないといけないんだったわ」
ため息を漏らし、姫は呟く。その胸中によみがえるのは冒険者の言葉。
『傷ついた民が領主に救いを求める中、華美な暮らしは人々に不満を与える事になります』
その言葉が正しいと思ったからこそ、姫は屋敷の中の余計な品々を売り払い、手にしたお金を領地の復興に回した。さらに冒険者の進言を受け、空いている土地でさまざまな薬草を育てた。
荒れ放題だった村々には活気が戻り、領地は復興に向いつつある。その代わりお屋敷での贅沢三昧はできなくなった。でも、やってくるお客人はハンの国の王女のご一行。ウィルの王族としての体面を損なわず、お迎えするにはどうしたらいいだろう?
「そうだわ! 私には竜の師が、そして竜の友がいる!」
姫は思い当たった。ウィルの国には聖山シーハリオンの麓から訪れたナーガの特使達と、竜の子であるドラゴンパピィがいるじゃないか。アトランティスの人々に敬われる竜族だ。彼らをミレム姫の歓待に招くなら、贅沢な品々がなくとも国としての威厳が保てる。
それに3年前、姫がフロートシップでシーハリオン巡礼に赴いた時、聖山の麓から持ち帰ったヒュージドラゴンの羽根が、今も王城の倉庫に眠っているはず。それを使って屋敷を飾ることも出来る。どんなに金をかけた飾り物も、本物の聖竜の羽根にはかなうまい。
早速、姫は手紙を認(したた)めてシフール便で送った。宛先は冒険者ギルド、そして王都に住むナーガの特使達だ。
●姫からの手紙
時は新年が明けて間もない時節。ナーガの特使達とドラゴンパピィはどこへ行っても大歓迎。意気揚々と町や村を巡り、人々に声をかけて回る。
そこへシフール便の配達人が飛んできた。
「こんな所にいたんだね〜。探したよ〜」
渡された手紙を読み、ナーガの特使はもったいぶった仕草で空を見上げた。
「そうか、姫が‥‥」
いつぞや、王都のお屋敷で姫と体面した時のことを思い出す。あれから姫はさらなる成長を遂げたはず。見知った冒険者達も手伝いに来るという。
「では、姫の元に参るか」
「アギャ!」
「アギャ!」
竜の子達は嬉しそうに鳴いた。
●リプレイ本文
●身づくろい
聖山シーハリオンからやって来たドラゴンパピィのウルルとメルルは、冒険者街に住んでいる。寒い日のウルルとメルルの楽しみは、霜柱を踏んづけて歩くこと。
「シモバシラ〜!」
「シモバシラ〜!」
ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ‥‥。
「こらこら、どこへ歩いていくのじゃ?」
「そっちではなくてこっちです」
放っておけば霜柱を踏んづけて歩くのに夢中になって、明後日の方向に歩いていってしまう。それを2人のシフール冒険者、ユラヴィカ・クドゥス(ea1704)とディアッカ・ディアボロス(ea5597)が一緒になって、水をたっぷり入れた大きなタライの方へ導いていく。
だって、今日はこれからみんなと一緒にマリーネ姫のお屋敷に向かうのだから、パピィ達にもしっかり身づくろいさせてあげないと。
「アギャ! 冷た〜い!」
「アギャ! 冷たいけど気持ちいい〜!」
ばしゃ! ばしゃ! ばしゃ!
寒いシーハリオンで育ったウルルとメルルだから、寒さには強い。寒い日の水浴びだってへいっちゃら、面白がって水を跳ね散らしてばかり。
「こらこら、そんなに跳ねてはタライの水がなくなってしまうぞ」
「アギャ?」
「はい、そのままじっとして下さい」
「アギャ!」
ユラヴィカとディアッカが、大きなブラシでウルルとメルルの体をごしごしごしごし洗っていると、金色の鱗を持つドラゴンが2匹、のっそりと現れた。1匹はユラヴィカのペットで名前はアルシノエ、もう1匹はディアッカのペットで名前は明珠。どちらもムーンドラゴンパピーで体長は4mだから、背の高さが2mくらいのウルルとメルルに比べたら一回り大きい。
「アギャ!」
「ムーン!」
「アギャ!」
「ムーン!」
出合った時からドラゴンパピィ達は互いに親愛の情を示し、心地よさげに鳴きながら頭を押しつけあったり体をくっつけたり。
「ほほえましいのぉ」
そこへオラース・カノーヴァ(ea3486)がやって来た。ナーガの特使達3人も彼と一緒だ。
「城の倉庫にあったヒュージドラゴンの羽、アレクと一緒にフロートシップへ詰め込んだぜ。いや朝から大仕事だ」
ナーガの特使達は、2匹のムーンドラゴンパピーに興味津々。
「おお! また新しい竜の子が増えたか!」
このムーンドラゴンパピーはさる縁でエクリプスドラゴンとムーンドラゴンからお預かりしたものだと、ユラヴィカとディアッカが説明しつつ紹介すると、特使達はしみじみと口にする。
「いや時代は変わったものだ」
「まったくだ」
そんなこんなしているうちに、パピィ達のおめかし完了。
「よいか、今日はマリーネ姫様の所に向かうのじゃぞ」
「アギャ!」
「アギャ!」
「以前、王都のお屋敷で姫様にお会いした時のこと、覚えてるじゃろう?」
「アギャ!」
「アギャ!」
「その時のことをよく思い出して、失礼のないように。大丈夫かの?」
「アギャ!」
「アギャ!」
パピィ達に言い聞かせるうちに、ユラヴィカの目はパピィのたてがみに釘付け。
「アギャ?」
「‥‥いやしかし、洗い立てのドラパピのたてがみは、顔を埋めたくなる誘惑に駆られるのじゃ‥‥」
するとユラヴィカの背後から、
「ムーン」
ムーンドラゴンパピィが頭で一押し。ユラヴィカの体をメルルのたてがみに押し付けた。もふっ。
さて準備の整った一行が、フロートシップの発着所まで足を運んで船に乗ると、甲板の上にもドラゴンパピィが1匹。
「ムーン」
「おや、なんと‥‥」
ナーガの特使達が顔を見合わせていると、先に乗船したゾーラク・ピトゥーフ(eb6105)が現れ、特使達に自分のペットを紹介した。
「このドラゴンパピィは私の随伴獣で、名前はベロボーグです」
特使達は再び、しみじみと口にする。
「いや時代は変わったものだ」
「まったくだ」
そしてゾーラクはナーガ達の風習に則り、特使達に岩塩を。ドラゴンパピィには幸せに香る桜餅を進呈した。
「これ、サクラモチ? いい匂い〜!」
たちまち桜餅はパピィのお気に入りになり、ようやく船が飛び立った時、その甲板からはパピィのはしゃぐ声が響いていた。
「サクラモチ、いい匂い〜!」
「サクラモチ、いい匂い〜!」
●姫様のお屋敷で
アネット領に設けられたフロートシップの発着所は、一見すると広々とした野原だ。冒険者を乗せたフロートシップが到着し、冒険者と竜族達が降り立つと、アネット騎士団の面々が出迎えてマリーネ姫のお屋敷までお供する。
以前にはアネット男爵が立てこもり事件を引き起こし、冒険者が派手な立ち回りを演じたお屋敷だが、今回はうって変わって平和なたたずまい。
屋敷の玄関口にはマリーネ姫が、その子オスカーと一緒に待っていた。周りを幾人もの従者と侍女に取り囲まれて。
冒険者と対面して一通り挨拶を交わしたマリーネ姫は、
「堅苦しい挨拶はこのくらいにして。お茶の用意がしてあるから、みんなの話を聞かせてね」
気さくな態度で一行を屋敷の中へと導き、冒険者は屋敷の中へぞろぞろと足を運ぶ。
「ムーン?」
あ、困ったぞ。冒険者が連れてきた3匹のムーンドラゴンパピィは、屋敷の中に入れるには体が大きすぎる。
「うーむ、どうしたものか」
「どうしましょう?」
侍女がやって来て促した。
「金色のドラゴン達はお屋敷の庭へどうぞ」
それでユラヴィカとディアッカがムーンドラゴンパピィを庭へ連れて行くと、
「アギャ!」
「アギャ!」
2匹のパピィも後からのこのことついてきた。
庭に行ってみると、マリーネ姫とオスカーの姿がある。
「オスカー殿下も、だいぶ大きくなられたのう」
波乱のご出産の末に誕生したオスカーも、今や1人で駆け回れるほどに大きくなった。
「ムーン?」
ムーンドラゴンパピィがマリーネ姫に首を伸ばす。マリーネ姫はじっとムーンドラゴンパピィを見つめ返している。
「姫様?」
姫を護衛する取り巻きの衛士の一人が、心配そうに背後から声をかけた。
「心配いらないわ。この竜達は人を襲ったりしないもの」
背後を振り返って微笑んだ姫は、再びじっとムーンドラゴンパピィを見詰める。瞳と瞳を合わせたまま、姫と竜はじっと立ちつくしている。
「マリーネ姫、いかがなされましたか?」
ディアッカが声をかける。
「あの夢のことを思い出しているの。オスカーが生まれた夜に見た夢を。夢の中でルナーヒュージドラゴンが現れて、私に何かを語りかけた。目が覚めたらその言葉を忘れてしまったのだけれど‥‥でもあれはとても大事なことだった‥‥」
閉じたまま開かない記憶の扉、それを何とか開けようと姫は集中していたが、それは幼いオスカーの声で中断された。
「おかあさま、パピィとあそんでいい? シフールとあそんでいい?」
オスカーの目はパピィ達とシフールの冒険者達を交互に見つめている。オスカーの目にパピィは大きなぬいぐるみのように、シフールは小さな人形のように映るのだろう。
「え? ‥‥いいわよ。でも怪我をしないようにね」
「わーい!」
オスカーは笑顔になり、ユラヴィカとディアッカに誘いをかける。
「ねえ、おいかけっこをしようよ! それからいっしょに、パピィのせなかにのろうよ!」
それからのひと時は、オスカーにとってとっても楽しい時になった。
●嫌がらせのシフール便
一夜明けたその日は、ミレム姫が来訪する日。到来までに時間があったので、アレクシアス・フェザント(ea1565)はナーガの特使達とドラゴンパピィ達をフロートシップに乗せ、アネット領の村々を回った。
アネット男爵の立てこもり事件を解決し、アネット領を窮地から救った冒険者達のことを領民は覚えていたから、アレクシアス率いる一行はどの村でも歓迎された。
「あの時、お救いいただいたせがれは、すっかり一人前になりました!」
せがれともども、深々と頭をさげてお礼を述べる親爺がいる。
「ああ、あの方のお姿をこんなに間近で見られるなんて!」
遠くからアレクシアスにうっとりした眼差しを投げかける村の娘がいる。
そしてナーガの特使達とドラゴンパピィも、アレクシアスに劣らぬ人気ぶりで。
「ナーガ様と竜の子様が村に来てくださった!」
「おお、今年はなんというおめでたい年じゃ!」
村人達に取り囲まれて、特使達3人はすっかり気を良くし。
「人の子よ。この厚き歓迎、真に喜ばしく思うぞ。そもそも聖竜の前に恥じぬ人の道たるものは‥‥」
と、いつものように長演説をぶちかましそうになるが、それをアレクシアスが止める。
「済まないが、今日はミレム姫の来訪を控えている。ここであまり時間を潰すのも‥‥」
「おお、そうであったな。では参るとするか」
行く先々の村々で領民達を元気づけ、アレクシアスの一行が姫のお屋敷に戻ると、何やら物々しい気配が漂っている。
「どうした、何かあったのか?」
「ついさっき、こんなふざけたシフール便が送られてきやがった」
報告するオラースの手には件のシフール便が。
「‥‥なんだこれは?」
手紙にさっと目を通してアレクシアスはげんなり。血のような赤い文字で書き連ねられているのは、この報告書に記するもおこがましき、マリーネ姫とその子オスカーに対する呪詛に満ちた罵詈雑言の数々。よくもまあこんなにびっしりと書いたもんだ。
「悪女マラディアの仕業か?」
「違いねぇ。こんなしょうもねぇ悪さをするのは、あの女しか考えられねぇぞ」
マリーネ姫の命をしつこく狙い続けた悪女マラディアは、未だに諦めてはいないと見える。
「シフール便の配達人は?」
「とりあえず身柄を拘束してあるが」
その配達人は騎士の詰め所に捕らえられていた。
「取調べの結果、こいつは騙されたようです」
と、取調べに当たった騎士が報告する。アレクシアスが身に着けた『石の中の蝶』にも反応はない。配達人はごく普通のシフールだ。
「この手紙を誰から渡された?」
アレクシアスが訪ねると、配達人は恐縮して答える。
「貧民街の子どもに頼まれたんです。マリーネ姫様への感謝の手紙だって。まさかこんな手紙だとは知りませんでした」
「マラディアめ、また子どもをダシに使いやがったか。大方、貧民街の子どもに金をやって、手紙を出させたんだろうぜ」
忌々しそうに呟くと、オラースは配達人に言い聞かせる。
「こう見えても、いちおう俺は王都警邏隊だ。今後、王都で怪しい動きがあったら、俺にも伝えてくれよな」
王都警邏隊、これは王都を護る警備隊のことだが、オラースもその所属ということになっている。これはフオロ家の王弟カーロン殿下に会って確かめたことだが、先王エーガンが健在なりし頃にオラースはその立場を与えられた。フオロ王家の書庫に眠っている記録にも、その事は記載されているはずだ。
必要とあらばオラースは警備隊長の権限を発動し、配下の警備兵達に命じて行動を起こさせることも可能だ。もっともエーガン王治世下には色々と混乱があり、そのことはうまく当人に伝わっていなかったようだが。
「分かりました。必ず報告します」
シフールの配達人は約束し、姫の屋敷を去った。
入れ違いに屋敷へやって来たのは、ルーケイ伯アレクシアスの妻であるセリーズ。
「アレク、あなたと一緒に仕事が出来てうれしいわ。‥‥どうしたの、浮かない顔をして?」
「実は‥‥」
シフール便のことを話すと、セリーズは呆れたように笑う。
「つまりカオスの魔物も万策尽きたってことかしら? マリーネ姫殿下の回りは冒険者ががっちり固めて手も足も出ない。だからこんなしょうもない嫌がらせをするしかできないんじゃなくて?」
「だが油断は禁物だ‥‥。ディアッカ、魔物の気配は感知したか?」
通りかかったディアッカにアレクシアスは聞いてみる。
「現在のところ反応なしです。引き続き警戒を続けます」
●ミレム姫様ご一行ご到来
「何とか時間までに、無事に仕上がりました。ありがとうございます」
屋敷の飾りつけを済ませたゾーラクは、手伝ってくれた屋敷の者達に礼を述べる。
「そろそろミレム姫様がご到来する頃です。発着所に向かいましょう。‥‥どうしましたか?」
ナーガの特使の1人が、大広間に飾られたヒュージドラゴンの羽をじっと見入っている。
「いや、その‥‥。どうにも腑に落ちぬものがあってな」
と、特使は答えた。
「これはマリーネ姫殿が3年前、シーハリオンの麓で拾い集めた数多の羽根の1つ。人の世に語り伝えられるところでは、聖竜の羽根は十数年に一度、地上に降ってくるかこないかという程に希少なもの。我らナーガが住むシーハリオンの麓でも、そう滅多に見られる物ではない。それが3年前の冬、かくも多くの聖竜の羽根がシーハリオンの麓に降り注ぎ、中には血に塗れた羽根もあったとは。いかなる異変があったのであろう?」
午後になり、ミレム姫ご一行がフロートシップでご到来。
船から下りて屋敷にぞろぞろ向かって来るのが、またご大層な人数で。
ひるがえって歓迎するウィルの側を見ればナーガにドラパピと、竜の頭が8つも揃っている。よくもまあこれだけ集まったものだ。ミレム姫の随行者はこんなにも竜だらけなのを警戒している感があったが、ミレム姫はお構いなしに先頭をぐんぐん進み、そうしてマリーネ姫とご対面。2人の姫が儀礼的な挨拶を交わした後に、ゾーラクがミレム姫の前に進み出た。
「ようこそお越し下さいました。マリーネ治療院の副院長、ゾーラク・ピトゥーフと申します」
挨拶してからゾーラクは気づいた。ミレム姫を取り巻くお供の幾人かが、きつい視線を浴びせてくる。内心、ウィルの治療院の副院長という立場の彼女を警戒しているようだ。でもミレム姫は笑顔を向ける。
「貴方にまた会えて嬉しいわ。私、あなたに教わったことをまだ覚えてるわよ」
そうして2人の姫はうちとけた口調で会話を始める。
「ここに来るのをとても楽しみにしてたのよ!」
「ようこそ我が領地へ! さあ、早くお屋敷の中にいらっしゃい!」
聖竜の羽根で飾られた屋敷の大広間、マリーネ姫とミレム姫は共にテーブルに着く。
「これは今日の記念に」
ゾーラクはマリーネ姫に微風の扇をプレゼント。そしてミレム姫にはジーザスのダイヤモンドを。するとミレム姫お付きの衛士が、囁くような声でゾーラクに言った。
「毒味の必要がない贈り物で何よりだ」
皮肉だろうか? 多分、そうだ。でもミレム姫はマリーネ姫との会話にもう夢中。
「今日の晩餐はハンの国の宮廷料理よ。マリーネにもその美味しさを是非とも知ってもらいたくて、そのために料理人を連れてきたの」
「それは楽しみね。ああ、どんな料理が出るのかしら?」
●懸念
所変わって、ここはお屋敷の調理場。
「必ずやミレム姫様を満足させて差し上げるんだぞ」
ペットの兎にそう言い聞かせると、オラースは調理場の料理人に兎を預ける。運ばれていく兎は、きょとんとした目でずっとオラースを見つめていた。
「さて、お次は‥‥」
ミレム姫の警護担当者と、警備の打ち合わせをしなければならない。でも内心で、オラースは思う。
(「警護など、本当はやらない方が良いのかもしれないな。魔物を警戒して警護してると、不幸なことに必ず魔物は襲ってくる。自分たちが魔物を呼び込んでるのではと思うくらいに」)
警護に心を砕いているのはゾーラクにしても同じだ。部屋の飾りつけにお屋敷の者達との打ち合わせと忙しい最中だが、間近に迫った叙爵式の警備にも考えを巡らせる。
「エーロン陛下とはいつ、おいでになるかしら? 相談することが沢山ありすぎて‥‥」
すると、侍女の1人に呼ばれた。
「ゾーラク様、お客様がお見えです」
誰だろう? 思いながらも侍女に案内されて屋敷の一室に足を運ぶと、そこに待っていたのはなんとまあ。
「エーロン陛下!」
会おう会おうと思っていたエーロン王が目の前にいる。それもこんなに早いうちから。
「早くからわざわざのご足労、痛み入ります。早速、皆にも知らせを」
急ぎ部屋を飛び出そうとしたゾーラクだが、エーロン王に止められた。
「まあ待て。叙爵式のことで話があるのだろう? 先にそちらを進めよう」
「はい。叙爵式はこのお屋敷を会場にして行われますが、ほぼ確実に魔物の襲来があるでしょう。ですからそれに備えて、来賓者の避難経路や誘導の流れ、警護役の冒険者の配置等を決めておきたく‥‥」
「だが、警戒すべきは叙爵式の本番だけだと思うか?」
「と、申しますと?」
「マリーネの叙爵式には大勢の重要人物が集まる。当然、警戒は厳しくなる。勿論、魔物が付け入る隙が生まれる可能性がゼロとは言えない。だがどうせ狙うのなら‥‥たとえば今はどうだ? マリーネもミレム姫も、本番の時のようには警戒はしておらず、警護の者も最大限の数を配置しているわけではない。‥‥実は妙に胸騒ぎがしてな。だから俺は早めにここへやって来た」
エーロン王の言葉を聞くうちに、ゾーラクも妙に胸騒ぎがしてきた。
●聞き込み
シフール冒険者のユラヴィカとディアッカは、ここ最近はハンの国のウス分国で潜入調査を繰り返している。だから、ミレム姫の近くで目立つ行動を取ってはまずいと思い、警備要員として魔物の襲撃を警戒しつつ、ハンの親善使節に探りを入れることにした。
ざっと見たところ、使節団の中に見知った顔はいない。ウス分国の潜入調査で出合った人物で、使節団に参加している人間はいなさそうだ。
お屋敷の見回りの途中で、ディアッカとユラヴィカは調理場にも立ち寄った。調理場ではハンの国からやって来た料理人が、料理を作っている真っ最中。ミレム姫お付きの侍女や従者も、頻繁に出入りしている。
「異常はありませんか?」
「少しでもおかしい事があったら報告をよろしくなのじゃ」
声をかけて回るついでに、たまたま出合った侍女の1人に世間話をするよう装いながら尋ねてみた。
「今後のこともあるのじゃし、ハンの国の貴族界について教えてはくれぬか?」
「特に、ウス分国と関係の深そうな男爵について」
侍女は快く求めに応じる。
「いいわよ。ちょっとこちらのお仕事を手伝ってくれたなら、教えてあげるわ」
「仕事とは?」
「料理のお毒味よ」
やがて2人の前に、作りたての料理が次々と運ばれてきた。
「うむ、これは美味い」
「なんとも絶妙な味付けで」
美味しそうに食べる2人を見て、侍女はにっこり。
「でしょう? だってハンの国の宮廷料理だもの。それじゃ自己紹介するわ。私はマリアンネよ。ずっとミレム姫様にお仕えしているの」
言いながら、侍女は手近にあった木の板に、炭で幾つもの名前をすらすら書き連ねる。
「私の知る限りでは、ざっとこんな所ね。でもウス分国の混乱はひどくなる一方で、ウスの都に住んでいた男爵の多くは、ハンの都に逃げて来たの」
「でも、ウスの都に残っている方もいるのでしょう?」
「そうね‥‥確か、名前は‥‥」
だがマリアンネがその名を口にする前に、ディアッカとユラヴィカの背後から呼びかけた者がいた。
「ほう。お二方とも、ウス分国のことがそんなに気になるか」
振り向くと、そこにハンの国の騎士が立っていた。
「いや、ウィルの者としては当然だろう。ウィルと国境を接するウス分国で大事が起きれば、ウィルもその影響を大いに受けかねんからな。申し遅れた、私はアルハート・ワインツ。見ての通りミレム姫に仕える騎士だ」
騎士は務めて友好的に振舞っている。でも本心はどうなのだろう?
「だがウス分国からは妙な噂も流れてくる」
「その噂とは?」
「ウィルを誹謗するとんでもない噂だ。その噂によれば、ウィルはウス分国に恐るべき疫病を撒き散らした元凶であり、憎むべきカオスの手先であると」
言って、アルハートはディアッカとユラヴィカの顔を交互に見つめる。まるで2人の反応を見定めるかのように。しかしすぐに笑顔を見せて続けた。
「なあに気にするな。ただの噂だ。こういうご時世には色々な噂が湧いて出るものだ」
ふと、ディアッカは携える『石の中の蝶』に目をやる。宝石の中の蝶はさっきまで何の動きも見せていなかった。だが‥‥。
「これは!」
蝶が羽ばたいている。しかも羽ばたきは次第に激しくなる。
「気をつけて下さい! 魔物が近づいてきます!」
叫ぶと同時に、冒険者の仲間にもテレパシーで警告する。
「何!? 魔物だと!?」
アルハートが周囲を見回す。ちょうどその時、可愛い声と共に小さな姿が現れた。
「シフール便の配達よ! ジーザム陛下からミレム姫様への大切なお手紙よ!」
現れたのはシフール便の配達人。
「よし。ミレム姫様には私が手渡そう」
アルハートが手を差し出すが、配達人は拒む。
「それはダメ! 大切なお手紙だから、私が直接に姫様へ渡すわ!」
だがその時、配達人の後ろにオラースが現れる。
「おまえ、この前の配達人と違うじゃねぇか?」
配達人が鋭い目つきでオラースをにらむ。
「そいつが魔物です!」
「取り押さえるのじゃ!」
ディアッカとユラヴィカが叫ぶのと同時に、配達人が手紙を投げつけた。すると解けた手紙の内側から、隠れていたハエが5匹飛び出す。瞬時にしてハエはその正体を現した。コウモリのような翼の生えた醜悪な小鬼どもだ。
ザン! ザン! ザン!
オラースの抜き放った太刀「鬼神大王」、その刃が閃く。
「ギャアアアッ!!」
「ギャアアアッ!!」
次々と響き渡る断末魔。気がつけば小鬼どもは灰と化して消滅。
「何よこれ! あっけなさすぎるじゃないの!」
配達人のシフールが叫ぶ。よくよく見ればそのお尻のあたりから、先の尖った尻尾がぶら下がっているじゃないか。
「そいつは黒いシフールだ! カオスの魔物の同類だ!」
アルハートが叫び、オラースが太刀の切っ先を向ける。だが黒いシフールはいち早く飛び去り、遠くから捨て台詞が聞こえてきた。
「覚えてらっしゃい! お前達、いつか皆殺しにしてやるわ!」
「やれやれ、現れたのはザコ魔物ってわけか?」
肩をすくめて言い捨てるオラース。報告のため皆が大広間に向かうと、そこではマリーネ姫とミレム姫が何事もなかったかのように、じっとナーガの特使達の話に聞き入っていた。2人の姫のそばにはアレクシアス。やって来た仲間達を見て声をかける。
「どうだった、片付いたか?」
「ああ。たかがザコだ。だが1匹に逃げられた」
「ともあれ姫は無事だ。みんな、よくやってくれた」
その話を耳にして、ナーガの特使達もぬうっと顔を近寄せる。
「なんと! 我々が話している最中に魔物が現れたというのか!?」
「いや、もう大丈夫だ」
と、アレクシアス。自身が携える『石の中の蝶』に目をやっても、蝶はぴくりとも動かない。
「そうか。では話の続きといたそう。そもそも人にとって最も大切なことは、聖竜の前に恥じぬ人の道を歩むことであり‥‥」
アレクシアスは笑顔で、特使の話を遮る。
「そろそろ晩餐の時間だ。その話はまた後で」
「そうか。では話の続きはまた後ほどに」
やがて、料理人が作りたての料理を運んできた。
「まずは前菜と、兎のシチューをご賞味ください」
シチュー鍋の蓋を開けると、美味しそうな匂いがぷ〜んと広がった。
「では、1曲いきますか」
傍らに控えていたケンイチ・ヤマモト(ea0760)が、おもむろにローレライの竪琴を爪弾き始める。
「ああ、ケンイチの音楽を聴くのも本当に久しぶりだわ」
食事を口に運ぶミレム姫の手が止まり、ミレム姫はうっとりした表情でケンイチの竪琴の音に耳を傾ける。曲が終わるとミレム姫はもう1曲をリクエスト。その曲が終わると、姫はさらにもう1曲をリクエスト‥‥しようとしたけれど、途中で考えを変えた。
「やめておくわ。曲を聴いてばかりで、ちっともお食事が進まないもの」
ケンイチは笑った。
「では、お食事が終わった後にもう1曲」
平和な光景だ。とても同じお屋敷で、魔物の襲撃があったとは思えない。
●叙爵式
叙爵式の日が来た。マリーネ姫のお屋敷には重要人物が幾人も集まり、その見守る中でエーロン王はマリーネ姫に公爵の位を授けた。
アレクシアスはその妻セリーズと共に、その光景を見届ける。先の襲撃が撃退されて懲りたのだろう、ゾーラクの案じていた魔物の襲撃はついぞ無かった。
(「試練の道は続けど、姫がこのまま確りと歩んでゆけるよう支えてゆかねばな」)
そう思いながらアレクシアスは隣に立つセリーズを見つめる。セリーズは黙って正面を向いたまま。でも、アレクシアスの手を握るセリーズの手には、ずっと力がこもっていた。
やがて叙爵式も終わり、セリーズと2人っきりになると、アレクシアスは小声で言葉をかける。
「‥‥そろそろ俺達にも子供が欲しい、な」
セリーズはくすっと笑って、答える。
「私も、欲しいわ」
そうだ──アレクシアスは思い出す。マリーネ姫の子オスカーにプレゼントするものがあった。銀の首飾り、『聖なる守り』だ。健やかに育つよう祈りを込めて。
「オスカーへのプレゼントを渡しに行かねば。一緒に来るか?」
「ええ、もちろんよ」
アレクシアスとセリーズは一緒に歩き出した。アネット公爵となったマリーネ姫と、その子オスカーのいる部屋へと。