マリーネ姫と闇の魔物4〜ミレム姫との再会

■シリーズシナリオ


担当:内藤明亜

対応レベル:8〜14lv

難易度:難しい

成功報酬:4 G 98 C

参加人数:7人

サポート参加人数:-人

冒険期間:05月24日〜05月29日

リプレイ公開日:2008年06月02日

●オープニング

●封印されし過去
 アネット男爵領の騒擾事件が解決すると、マリーネ姫は自身の生まれ故郷であるアネット男爵領を訪れた。事件の解決に力を尽くした冒険者たちへの労いと、解放された人質たちへの見舞いも兼ねてだ。
 今回の事件で命を落とした人質は2人。1人は長年、屋敷で働いてきた召使いの老人で、もう1人は8歳の子ども。共に屋敷の中で煙に巻かれて窒息し、抱き合うようにして亡くなっていた。2人はアネット領内の墓所に埋葬され、姫は2人の冥福を祈った。
 その後、姫は領主館の中を見て回る。ここは姫が生まれ育った屋敷だけれど、今の姫の目にはひどく荒れ果てた場所に見えた。
「大広間に飾ってあった、あの絵はどうしたのかしら?」
 屋敷の大広間に飾ってあった絵のことを、姫はよく覚えている。父モラードと母マルーカ、そしてマリーネ姫自身を1つに収めた絵だ。幼い頃にこの屋敷を離れて王都に移ってから、姫はずっとあの絵を見ていなかった。
 だが、足を運んだ大広間にその絵は無かった。侍女に命じて探させると、絵は物置の中で見つかった。その絵を見た途端、姫の顔は怒りに紅潮した。
「なんて酷いことを‥‥!」
 絵の2ヶ所、マルーカの顔の部分とマリーネ姫の顔の部分がごっそりと削り取られている。
「男爵の仕業ね!」
 怒りの冷めやらぬまま、姫は同行する親衛隊員たちに告げた。
「この絵の代わりに新しい絵を絵師に描かせて飾るわ。でもアネット男爵は抜きにして、代わりに先のウィル国王エーガン陛下を絵の中にお入れするのよ」
「エーガン陛下を?」
 姫の言葉が唐突に思え、親衛隊員の1人ルージェが問い返す。すると姫はあっけらかんと言葉を続けた。
「私、屋敷を離れてエーガン陛下のお側で暮らし始めてからは、ずっと陛下を実の父親のように思っていましたもの」
 なおマリーネ姫の父親にして騒擾事件の首謀者であるモラード・アネット男爵は、領主の地位を放棄させられ、今はアネット領内の別荘に軟禁されている。別荘の警備はアネット騎士団が行い、冒険者は別として外部の人間は近づけない。
 アネット領は今後、フオロ王家が所有する王領となり、先王の寵姫として王族に加えられたマリーネ・アネット姫を領主に据える方向で、話が進んでいるという。

●良き知らせ
 フオロ分国の統治者、エーロン王はこのところ不機嫌続きだ。
「あの現状知らずな奏上の次は、暴行未遂事件か! まったくいらぬ騒ぎばかり起こしてくれる!」
 エーロン王自らが院長を勤めるエーロン治療院を拡充すべく、冒険者の女医を責任者として治療院分院を発足させたところ、2名の冒険者が抗議の直談判にやってきた。
「領地を与える等安定収入がないと、あの方も分院も倒れます」
「恐ろしい事に、彼女だけが毎回負担を背負い、身銭を削る事を周囲は当然視しています。このままでは彼女は、いずれ全てを冒険者とフォロの為に絞り尽くされます。何処かの領地を与え安定した収入が得られるよう、何卒善処の程をお願い申し上げます」
 王はこの件の解決を約束して2人を下がらせたが、その後に起きたのが治療院分院長に対する暴行未遂事件。女医は無事だったが、とばっちりで看護師候補生が負傷した。しかも犯人は何を誤解したのか分からないが、女医を一連のゴタゴタの元凶と見る冒険者。
「陛下、誤解なきよう。事態をややこしくしているのは、冒険者のごく一部に過ぎません」
 王の補佐役リュノー・レゼンが取り成す。
「それは判っている。だがいい加減、この騒ぎに決着をつけねばならん。例の物は出来たか?」
「はい」
 携えてきた書類をリュノーは差し出す。エーロン治療院を実質的に取り仕切っている、町医者ランゲルハンセル・シミターと協議を繰り返し、書き上げた草案だ。

【治療院分院の組織改善案】
・伝染病の防止を目的としたエーロン治療院本院に対し、治療院分院は冒険者ギルドに持ち込まれた依頼に従事する冒険者の行動を、医療の面から支援することを目的として設立された。
・だが一部冒険者から、現状では治療院分院長が過重な負担を強いられるとの批判が為され、安定した収入源としての領地を付与すべきとの声が上がった。
・この声に応えるべく、治療院分院に対して次の改善案を示す。
・近日中に男爵領から王領へと移行する予定のアネット領に、4月に発生したアネット領騒擾事件の解決において功績のあったアネット騎士団の所領を設け、ここに治療院分院の本部を置く。アネット騎士団の首長は騎士ボラット・ボルンが就任し、騎士団には所領での自治を認める代わりに、治療院分院の医療活動に従事する義務を課す。
・フオロ王家のエーロン陛下が院長を務め、医術の経験豊かなランゲルハンセル・シミターが副院長を務める治療院本院の体制に倣い、王族たるマリーネ姫を治療院分院の院長となし、現在の分院長は副院長として実質的な運営を取り仕切る。これに伴い治療院分院を、マリーネ治療院と改称する。
・既に王領ラシェット内の通称フェイクシティには、治療院分院の仮本部が建設されているが、この仮本部は今後もマリーネ治療院の出張所として利用する。

 草案に目を通したエーロン王は、満足の意を表した。
「ご苦労だった。時にマリーネの様子はどうだ?」
「この度の計画についてのご意向を伺いましたところ、姫も非常に乗り気です」
 エーロン王の顔にようやく微笑みが浮かんだ。
「いい傾向だ。だが、あれには移り気なところがあるからな。まだまだ冒険者の支えが必要だろう」
 そこへやって来たのが王弟カーロン。冒険者ギルドの依頼では何かと影が薄いけれど、王弟には王弟としての大事な仕事を務めている。すなわち今の大ウィル国王ジーザム・トルクを始めとする、トルク分国王家との交渉だ。
「兄上、良い知らせだ。医療空中船の計画が、トルク王家の支援で実現することになったぞ」
「それは良かった。で、船はいつ引き渡される?」
「今月中には確実に引き渡される」
 医療空中船、すなわち医療活動に特化したフロートシップのことだが、これはエーロン王直属の騎士であるマーレン・ルーケイから強い求めがあった。過去、フオロ分国が戦った戦争においては戦場に救護所が設営されたものだが、今後カオス相手の戦いが増えればそれも難しくなる。先の『惨殺の廃墟』制圧戦において、魔物討伐軍は多数の魔物が襲い来るまっただ中で、大勢の人質を解放し手当てを施さねばならなかった。重傷者に対しては一刻も早い救命処置が必要になる。マーレンはそのことを討伐の戦指揮官として実感したのである。
 そして彼の願いは今、現実のものとなったのである。
「良い知らせはもう1つある。ハンの国のミレム・ヘイット姫が近々、親善使節としてウィルを訪問することが決まった。そしてミレム姫は、マリーネ姫との対面を強く望んでおられるということだ。久々の再会で、マリーネ姫も喜ばれよう」
「そうか、ミレム姫が‥‥」
 呟いたきり沈黙するエーロン王。その顔からは微笑みが消え去り、眉間のしわだけが深まる。
「兄上、どうかしたか?」
「いや何、いらぬ心配をしたまでだ。気にするな」
 程なく冒険者ギルドにエーロン王の依頼が持ち込まれる。主な依頼内容はマリーネ治療院と医療空中船の計画を推し進め、ミレム姫とマリーネ姫の対面をお膳立てすることだ。勿論、カオスの魔物への警戒も忘れてはならない。

●今回の参加者

 ea1603 ヒール・アンドン(26歳・♂・神聖騎士・エルフ・ノルマン王国)
 ea2179 アトス・ラフェール(29歳・♂・神聖騎士・人間・ノルマン王国)
 ea3727 セデュース・セディメント(47歳・♂・バード・人間・イギリス王国)
 ea3866 七刻 双武(65歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea9244 ピノ・ノワール(31歳・♂・クレリック・エルフ・ビザンチン帝国)
 eb6105 ゾーラク・ピトゥーフ(39歳・♀・天界人・人間・天界(地球))
 ec4371 晃 塁郁(33歳・♀・僧兵・ハーフエルフ・華仙教大国)

●リプレイ本文

●改革の妙案
「まったく、色々なことが起こるものですが‥‥」
 ピノ・ノワール(ea9244)がつぶやく。アネット男爵立て籠もり事件の次は、救護院分院を巡るゴタゴタだ。それでも雨降って地固まる。ゴタゴタの収集策としてエーロン王が治療院分院の組織改善に乗り出したことは、ピノにとっても喜ばしいことだ。
「流石は一国の統治者です。ですが、良案こそ実現しなくてはなりません。組織改善案は良く出来ており、実現すれば今のフオロ分国が各方面で抱える様々な問題が、解決出来るでしょう」
 アトス・ラフェール(ea2179)にしても、そのことには同感だ。
「確かに組織改善案は妙案です。医療船にしても、機動力のある医療施設実現は素晴らしい」
 時はお昼近く。ピノとアトスが滞在するマリーネ姫の屋敷でも、忙しく昼支度に励む侍女たちの声が聞こえてくる。
「さて、そろそろゾーラク殿がエーロン陛下に謁見する頃合いですが‥‥」
「陛下への進言が実を結び、計画通りに改革が進むことを祈りましょう」
「それにしても気になるのは魔物の動き。奴等は必ずや、一番騒ぎが大きくなって我々が迷惑する時を狙い、効果的な邪魔をするはずです」
「同感です」

●治療院を巡る協議
 ここは王都に所在するエーロン王の館。
「此度の一連の騒動、一重に私の不徳が原因です。陛下に御不快の念を抱かせた事、深くお詫び申し上げます。そしてなお格別の配慮をして下さった事に心より感謝致します」
 エーロン王の前で謝罪と感謝の言葉を述べたゾーラク・ピトゥーフ(eb6105)だが、王はたしなめるように言った。
「おまえがこれまでやってきた仕事は、恥ずべき不徳なものだったのか?」
「私が力不足であったが故に‥‥」
「だが、おまえは横領を働いて私腹を肥やしたわけでも、治療院分院で殺しや盗みを働いたわけでもない。むしろ、おまえは巨額の私財を投じ、仕事に忙しく駆け回っていたではないか。不徳を為してもいない者が、不徳のことで詫びを入れるな」
「お言葉、痛み入ります」
「では本題に移るぞ。治療院分院の組織改善案について、皆の意見はどうだ?」
 王に促され、ゾーラクは報告する。
「マリーネ姫に近しい冒険者たちの間に反対意見はなく、賛成が多数を占めています」
「そうか。ではこちらも、改善案の通りに事を進めるとしよう」
「1つ意見があります。近々、親善使節団を率いて訪ウィルされる、ハンの国のミレム姫殿下に対し、マリーネ姫殿下の御接見が予定されていますが、その折りにミレム姫殿下が御視察される場所に、マリーネ治療院を組み込んでは如何かと?」
「エーロン治療院分院改めマリーネ治療院は、まだ事業の着手から間もない。これまでの実績はどうだ? 他国の王族の視察に叶うものか?」
 エーロン王の側にははリュノー・レゼンを始めとする王の補佐役たち、そしてエーロン治療院の副院長を務めるランゲルハンセル・シミターが控えている。王はランゲルハンセルに意見を求めた。
「副院長の意見はどうだ?」
「これまでの実績から考え、この件は彼女に一任して良いと考える」
 補佐役たちからも反対意見は出なかった。王はゾーラクに尋ねる。
「治療院での医療行為に関して、他国に秘密とすべきものは存在するか?」
「いいえ」
「ではこの件に関しては、ゾーラクに一任する」
 それから間もなく、ゾーラクが分院長を務めていた『エーロン治療院分院』は『マリーネ治療院』と改称され、マリーネ姫がその院長に、ゾーラクが副院長に就任した。

●親衛隊入隊
 晃塁郁(ec4371)はマリーネ治療院の医療要員を希望し、これを認められた。塁郁はマリーネ姫親衛隊への入隊も希望し、ゾーラクの推挙を受けた上で親衛隊長ルージェ・ルアンを訪ねた。
「私も一員として働かせて頂けないでしょうか?」
「冒険者歴はどれほどだ?」
「まだ半年にもなりません。ジ・アースからアトランティスに来たのが2ヶ月前です」
「腕は立つのか?」
「自分は格闘には秀でておりません。ですが、カオスの魔物を探知する事は可能です。今はまだ自分が雛鳥以下の状態であることは自覚しております。が、精進して一人前の親衛隊員になれるよう尽力いたしますので、よろしく御指導御鞭撻のほど、お願い申し上げます」
 ルージェのそばにいた親衛隊副長のカリーナ・グレイスが、塁郁に歩み寄った。
「試してみるか。真剣での勝負になるが、いいな?」
 試験場はマリーネ姫の屋敷の庭。カリーナはサンソードを手にして塁郁と向き合う。
「そちらは武器無しか?」
「はい」
 塁郁は左手に『氷晶の小盾』あるのみで、何一つ武器を身につけていない。
 ルージェは呆れた。
「それで入隊試験を受けようっていうのか?」
「ならばそのままの装備で試験するまでだ」
 カリーナは表情一つ変えずに言ってのけ、ルージェの合図で試験が始まるや、塁郁に打ちかかった。
 予想通りというか、勝負はあっけなくついた。それも約1分ほどの間に。
 塁郁は盾を叩き落とされ、体のあちこちに強烈な峰打ちをくらってぶっ倒れた。痛みで声を出すのもやっと。塁郁は身につけた回避技・兎跳姿(だちょうし)を使い、カリーナの攻撃を交わし続けたのだが、それも長くはもたなかった。
「やはりな。回避技に優れることは認めるが、それだけで姫は護れん」
 と、ルージェ。しかしカリーナは言う。
「しかし素質はある」
「入隊を認めるのか?」
「それはこの者次第。それにマリーネ姫親衛隊といっても、実質的な構成員はルージェ隊長と私の2人だけだ。これでは恰好がつかん」
 そしてカリーナは、未だ地面に横たわる塁郁に声をかけた。
「命の保証はしない。自分の身は自分で守れ。それでもよければ、ついてこい」
 こうして塁郁は親衛隊への入隊を認められたが、大変なのはこれからだ。

●老志士の忠言
 その日、王都に所在するマリーネ姫の屋敷を、1人の男が訪ねてきた。名は七刻双武(ea3866)。58歳になる冒険者の志士で、出身はジ・アースのジャパン国だ。
「姫様、七刻双武様がお目通りを願っております」
「七刻双武?」
 親衛隊長ルージェの言葉に、姫は記憶のページをめくる。
「聞いた覚えのある名前だけど‥‥」
「お忘れですか? 悪代官フレーデンの盗伐戦でチャリオットに乗り込み、森から現れた魔物の大群を蹴散らして武勲を上げた強者の1人です」
「ああ、あの時の‥‥!」
 ちなみに双武は、過去のルーケイ平定戦にも従軍するなど、フオロ王家との関係は決して浅くはない。しかし姫の記憶によれば、双武は常に姫から距離を置いた場所にいた。この屋敷で姫と対面するのも初めてである。
「マリーネ姫様。マリーネ治療院院長への就任、おめでとうございます」
 屋敷の広間に通された双武は、うやうやしく姫に挨拶。だが本題はここからだ。
「姫様には、ご一層の祝福が有らん事を願う中、申し上げたき事がございます。それは、マリーネ治療院の経営を行う上でしばしの間、倹約と質素な暮らしを行わなければならない事にございます」
 姫は怪訝な顔になる。何を言い出すかと思ったら、倹約と質素な暮らしとは。
 しかし、姫は双武の武勲を思い出し、その言葉に耳を傾けることにした。
 双武は続ける。
「この様な提案、ご不快かと思いますが、治療院分院では戦(いくさ)の折に多額の治療費を投じ医療を行い、戦で傷つく人々を救って参りました。今後も多額の治療費が生じる事、また傷ついた民が領主に救いを求める中、華美な暮らしは人々に不満を与える事になります。陛下の望まれるお役目を果たす上で、気を付ける事として謹んで願い出るものにございます」
 双武が話す傍らでは、長年に渡って姫に仕えてきた衛士長と侍女長が難しい顔をしている。およそ冒険者でもなければ、これほどまでに単刀直入な物言いは出来まい。いや、冒険者だからこそ言えるのだ。
「1つ尋ねてもいいかしら?」
 姫が問う。
「いつまで贅沢を我慢して、倹約と質素な暮らしを続けなければならないのかしら?」
「それはアネット領の復興が今後、どこまで進むかにかかっておりましょう」
 双武は微笑み、答える。
「陛下の御心は、フォロの再興と領地を豊にする事にありと心得まする。多額の治療費が必要なのは、必要な器具、薬草等の必需品の為にございますれば、それらをアネット王領内で賄える事が出来れば治療費は安くなります。又、他領への輸出出来るまでの蓄えが有れば、多くの利益を生む事になりましょう。またそれは、後々の豊かな暮らしを築く事になりましょう。農民達への新たな特産として薬草の栽培と、治療に必要な器具を収める職人の育成を提案致します」
 姫もその顔に微笑みを浮かべる。
「大変な仕事になりそうね。でも、やり甲斐のある仕事だわ」
「又、天界に置いて経営に長けた御仁として、以前に姫様のお怒りを買いました、黒猫のタンゴと言う者がございます」
 タンゴ‥‥? その名に聞き覚えがあり、姫はしばらく記憶を探っていたが、やがて思い出した。まだ先王エーガンがウィルの王位に就いていた頃、姫が懲らしめた不良冒険者だ。
「あの者は道化の様にして実は才人、どうかお怒りをお静めになり招聘を願います」
 双武の言葉に、思わず姫は笑いを誘われる。
「あの時のこと、もう怒ってはいないわ。だって昔のことですもの」
 姫は遠い目になり、過去に想いを馳せる。
「あれからまだ3年しか経っていないのに、遠い昔のような気がするわ。でも、懐かしい‥‥。エーガン陛下が住んでいらしてた王都の城も、私が住んでいたあの部屋も‥‥」
 そして姫は改まった口調になり、双武に告げた。
「貴方がそこまで言うのであれば、黒猫のタンゴを私の名において招聘しましょう。アネット領立て直しの指南役として」

●医療知識の習得
 続いてマリーネ姫との謁見に参じたのは、マリーネ姫治療院副院長のゾーラク。
 ゾーラクはエーロン王との協議について報告し、その後で姫に求めた。
「僭越ではございますが、よろしければミレム姫様への話の材料として、マリーネ姫様や親衛隊の皆様も、院長のエーロン陛下より普及を命じられている知識を習得されてみてはいかがでしょうか?」
「知識とはどのような?」
「簡単な止血方法、包帯の煮沸消毒、傷口のワイン消毒による化膿防止といったものを。他にも、井戸など水場とトイレを離して設置したり、生水を飲まず湯冷ましを用いるといった医療知識です」
 すると侍女長があからさまに顔をしかめて言った。
「それは下々の行うべき仕事ではありませんか? それを、こともあろうに姫様がおやりになれと?」
 衛士長も言う。
「ミレム姫様への話のタネにするというのもな。下手をしたら外国に恥を晒すことになりかねん」
「ですが、エーロン陛下の許可は受けています」
 と、ゾーラク。
 侍女長はため息をつき、衛士長は仕方がないという顔になる。
「やれやれ、酔狂王と呼ばれる陛下だけのことはある」
「姫様はどうなさいます」
 ゾーラクが尋ねると、姫は迷うことなく答えた。
「知識の習得、やりますわ。これも王族の務めですもの」

●姫様たちのご視察
 精霊暦1041年5月25日、ハンの国の王女ミレム・ヘイット姫が訪ウィル。去年の親善訪問から1年ぶりだ。
 先の親善訪問ではフロートシップに乗って、直接に王都ウィル入りを果たしたミレム姫だが、今回は海路を使っての訪問である。ショアの海に面した港町ラースが、ウィルにおいてミレム姫が真っ先に足跡を印した地となった。
 その後、ミレム姫の率いる親善使節団は船で大河をさかのぼり、王都ウィル入りすることになるのだが、その途中で休息を名目にアネット領へ立ち寄った。その本来の目的は、この地に本部が置かれて間もないアネット治療院を視察することだ。
「何か前回ミレム姫がこられた時にはカオスの魔物が街に出たようですね‥‥。今回は何事もなければいいのですけど‥‥」
 2人の姫の警護を担当するヒール・アンドン(ea1603)にとってはそれが気掛かりだが、ともかくもヒールは礼服を着て、皆より一足早くミレム姫を迎えにやって来た。
「ミレム姫、お初にお目にかかります‥‥。ヒール・アンドンと申します‥‥」
 恭しく一礼するヒールに、ミレム姫は微笑む。
「貴方のような強い女性に護っていただけるのは、とても心強く想います」
「いえ‥‥れっきとした男ですので」
 その言葉に、ミレム姫を取り巻く警護の者達がくすくす忍び笑いする声が、ヒールの耳にも届いた。
 ハンの国の親善使節団は総勢100名を越える。ウィルとの交渉を担う騎士はもとより、ミレム姫の身辺を護衛する衛士、危急に際して姫の盾となる兵士、姫の身の回りの世話をする従者や侍女、姫の毎日の食事を提供する料理人、姫の無聊(ぶりょう)を慰めるバードと、常日頃から姫に仕える人間たちをそっくりハンから連れてきたのだから、人数が膨れるのも無理はない。
 しかし、その中でミレム姫と共にアネット領に赴くのは、常に姫と行動する騎士や衛士など、ごく一部の者達だけである。
「マリーネ姫殿下の生まれ故郷であるアネット領へは‥‥フロートシップに乗ってお越しいただきます。もうじき迎えの船が来ます」
 やがて大河の上空に姿を見せたフロートシップは、ゴーレム工房からフオロ分国王家に引き渡された旧型フロートシップ。ゆくゆくはマリーネ診療所の医療船に改装される船だ。ちなみに船の所有権はエーロン王にあり、王は船の使用権を院長のマリーネ姫と副院長のゾーラクとに与えている。
 船の中ではマリーネ姫が、冒険者ともども待っていた。
「親愛なるミレム・ヘイット姫、ようこそウィルへ!」
 マリーネ姫は満面の笑顔でミレム姫を迎える。
「私はハンの国の王女として、貴国に敬意を表します」
 ミレム姫は最初、厳かな口調で挨拶したが、すぐに打ち解け会った者同士の笑顔を見せた。
「あれからもう1年になるのね。ハンの国に帰ってからも、よくあなたの事を思い出していたわ。あれから何か、変わったことはあった?」
「色々なことがあったわ。ありすぎて話しきれないほどよ」
 ミレム姫とその随行者はフロートシップに乗り換え、アネット領までの短い飛行の間、マリーネ姫と冒険者たちはフロートシップの中で姫との会話を楽しむ。
「私、エーロン陛下から新しい治療院を任されることになったの。名前も私の名前を付けてマリーネ治療院になったのよ。この船ももうじき、医療船に改装されるの」
「素晴らしい話だわ。大国ウィルは進んでいるのね」
「でも、やるべき仕事がたくさんあるから大変。毎日毎日、新しいことを覚えていかなければならないわ」
 2人の会話に傍らで耳を傾けているアトスにも、ミレム姫は声をかけた。
「あなたも治療院の医術に携わるのですか?」
「はい。ですが本職は魔物退治と心得ています。普段は学者として暮らしていますが、私の能力では今の生業は限界があります。将来的には、医療の補助と同時に魔物への警戒ができる職を得たいと考えています。この生業ならばさぞ、やりがいがあるでしょう」
「このウィルでは、魔物による被害が大きいのですか?」
「過去に幾度か、魔物の関わる大きな事件がありました。ですが、どの事件でも魔物は最後にうち破られ、国を揺るがす程の大事には至っていません」
 会話が一段落するのを見計らい、親衛隊員としてマリーネ姫に付き従っていた塁郁は、
「今回の御接見の記念に、マリーネ姫殿下にはこの品をお贈りしたく」
と、マリーネ姫に差し出したのは、『聖なる豹の指輪』。
「ありがとう」
 マリーネ姫は感謝の言葉と共に、塁郁の贈り物を受け取った。
 続いて塁郁はミレム姫にも、
「ミレム姫殿下にはこちらの記念の品を」
 と、春の香り袋を差し出す。様々な春の花々から作られた干し花が詰められた、気品ある安らかな香りが漂う香り袋だ。
「ありがとう、とてもいい香りがするのね」
 と、ミレム姫も感謝と共に贈り物を受け取ったが、姫に随行する騎士の1人は、何てケチくさい物を贈るんだと言いたげな、呆れた視線を塁郁に向けていた。
 やがて、船はアネット領内に到着。船から下りると、そこは一面の野原。見れば小さめの砦がぽつんと立っていて、砦の前には騎士ボラット・ボルンに率いられたアネット騎士団の面々が、整列して待っている。
 ここはアネット領の東の外れにある、騎士団の駐屯地なのだ。
「ここが、あなたの治療院?」
 不思議そうな顔で、ミレム姫がマリーネ姫に尋ねる。
「そうよ。ここが出来たばかりのマリーネ治療院の本部になるの」

●侵入した魔物
 ゾーラクは騎士団の砦に入り、予定していた医療講習の準備を始めていたが、そこにヒールがやって来た。
「何か手伝うことがあれば言ってくださいね‥‥。出来ることは手伝いますので‥‥」
「でも、あなたには姫を警護する仕事があるし‥‥」
 言いかけて、ゾーラクは思い立つ。
「医療講習の練習台になっていただけますか? これなら姫の側を離れずに済みますし」
 数分後。ヒールは担架に乗せられ、マリーネ姫とミレム姫の前に運ばれてきた。その姿を見て、ミレム姫はくすくす笑う。
「それでは最初に、簡単な止血方法の講習を始めます」
 ゾーラクの医療講習が進む一方で、アトスとピノは油断することなく、砦の外で魔物への警戒を続けている。
 不意に、ピノの遙か頭上を5羽の鳥が通り過ぎた。5羽それぞれが砦の上空で円を描いたかと思うと、そろって周りの草むらの中に姿を消す。その動きがピノには不自然に思え、デティクトライフフォースの魔法を使って確かめてみる。
 鳥が舞い降りたはずの草むらの中に、生きた鳥の存在は感知できない。
「さっきの鳥は魔物です」
 その事をアトスに告げ知らせると、アトスはさり気ない風を装って砦の中に入り、姫の側にいる塁郁の耳に囁いた。
「すぐ近くに魔物が現れました」
「え!?」
 緊張する塁郁。だが、アトスは表情を変えずに続ける。
「今は動くべきではない。奴らは必ず行動する。カオスの魔物がデビルと同等の存在なら、一番騒ぎが大きくなり、我々が迷惑する時を狙ってくる。その時が勝負!」
 次いで練習台になっているヒールの耳にも囁くと、アトスは砦の炊事場に向かい、努めて冷静な口調で炊事係に求めた。
「すみませんが、お茶を入れていただけますか?」
 やがて食堂のテーブルにお茶が用意される。アトスは隙のある様子を装いつつ、油断なく周囲の気配に気を配る。
 窓から食堂の中へ5羽の鳥が入ってくるのが見えた。うち1羽がテーブルの上に乗っかり、そのクチバシを使って器用にお茶のポットの蓋を開け、口の中から何かを落とし込んだ。
「ああそうそう、一つ言い忘れました」
 アトスは何も気付かぬ振りをしつつ、再び塁郁に近づいてその耳に囁いた。
「──お茶の用意が出来たら、全員を食堂ではなく船に向かわせてください」
「お茶が入りました」
 炊事係の声がする。
「では皆さん、お茶会の場所へ案内します。‥‥あ、練習台のヒール君だけは残ってください」
 塁郁が皆を連れだしていく。食堂ではなく、砦の外に泊まる船の方に。
「あの皆さん、お茶は‥‥?」
 怪訝な顔をする炊事係にも、アトスは声をかけた。
「申し訳ない、君も皆と一緒に船へ」
 2人の姫とその随行者たちはその場から出払った。
「今だ!」
 アトスの掛け声を合図に、居残ったピノとヒールが食堂へ駆け込む。アトスもホーリーの呪文を唱えつつ食堂に歩む。彼らのその姿に驚き、テーブルの下や食器棚の陰に隠れていた鳥が一斉に舞い上がったが、うち1匹がアトスのホーリーに焼かれ、醜悪な正体を露わにした。
 ジ・アースのインプもどき、翼の生えた醜い子鬼だ。
「この場を狙うとは。心醜き者よ、早急に立ち去れ!」
 アトスの警告に対し、鳥どもは耳障りな鳴き声で答える。
「ガーッ!」
「ガーッ!」
「ガーッ!」
 その目にはことごとく、敵意の炎が宿っていた。
「懲りないならば心行くまで楽しんでもらおう。代償にお前の存在そのものを貰い受けるがな!」
 言いざま、アトスはイスケンデル・ベイの剣を引き抜く。途端、魔物の姿が一斉に消えた。
「魔物はどこに!?」
「1匹は虫に化けてあそこに!」
 アトスがデティクトアンデットの呪文を唱え、隠れた魔物の位置を探知。その指さす方向を狙い、ピノがブラックホーリーの魔法を放つ。
「滅せよ!」
「ギャアアアアアッ!!」
 隠れていた魔物が黒い光に撃たれ、魔物の正体を現す。小さな虫に化けていただけに大ダメージ。あっという間に粉々の塵となって消え去った。
「まさかとは思いましたが、こんな場所にまで。徹底的にやるしかないようですね。滅せよ!」
 再びピノのブラックホーリーが放たれ、飛び出してきたもう1匹を撃つ。
「ギャアアアアアッ!!」
 尾を引く絶叫。ピノは魔物が消滅するまで、ブラックホーリーを叩き込んだ。
「残る魔物は!?」
 再びアトスはデティクトアンデットの呪文を唱えるが、その顔が歪む。
「ここにはいません! 逃げられました!」
 見れば、ヒールの姿もない。
「ヒールはどこへ!?」

●謎の男
 ヒールは逃げる魔物を追って、食堂を飛び出していた。
「剣はあまり得意ではないんですよね‥‥うわっと!?」
 逃げていた魔物が方向を転じ、ヒールに襲いかかってきた。
「悪しき者よ消え去りなさいっ‥‥! ホー‥‥うわあっ!」
 ホーリーの呪文を唱えかけたところで、魔物がヒールの首にしがみつき、その口を押さえ首筋に牙を立てる。お陰で正確な呪文の詠唱が出来ない。
「は‥‥な‥‥れ‥‥ろぉ‥‥!」
 魔物を引き剥がそうと無我夢中で暴れていると──。
 ゴンッ!! 誰かが魔物をぶちのめす。勢い余ってヒールもぶちのめされた。
「痛ぁ!!」
 ヒールは地面に転がったが、魔物もヒールの体から離れて地面に転がり、その上からさらに棍棒が振り下ろされる。それも銀の棍棒だ。
 ゴンッ!! ゴンッ!! ゴンッ!!
「ギャアアアアアッ!!」
 ついに魔物は叩き殺され、断末魔を放って消滅した。ヒールは銀の棍棒を握りしめた男を見る。
「あれ、あなたは‥‥?」
 この男、フロートシップに乗り込んでいた人夫の一人じゃないか。でも、今のヒールの目には歴戦の傭兵っぽく映る。
「この軟弱者め! 手間取らせやがって!」
「これでも一生懸命にやったんです‥‥うわ」
 ヒールの目の前に男の棍棒が突きつけられていた。
「てめえも殴り殺されてぇか?」
 男の口調、いやに粗っぽい。
「あなたは‥‥誰なんですか‥‥?」
「俺の名は『魔物殺しのゲルザー』。さる高貴なお方の命令で動いている、とだけ説明しておこう。で、逃げた魔物は2匹か? しょうがねぇな、次からは必ず仕留めろよ」
 言うなり、ゲルザーと名乗る男はヒールを置いて、さっさと船に向かっていく。
「あの‥‥これからどちらへ‥‥」
「船の仕事をするに決まってるだろうが! 言っておくが、俺のことは秘密にしておけよ!」
 ヒールが改めて自分の体を確かめると、結構に傷ついている。リカバーの魔法で治しておこう。

●疑念
「どうしたのかしら? 何だか外が騒がしいけれど」
 それまで船の中でお茶を飲んでいた2人の姫も騒ぎに気づいたが、暫くするとヒールが仲間と一緒に戻ってきた。
「魔物が現れたので‥‥戦っていました‥‥」
「まあ! 魔物がこんな所にも!?」
「ですけど‥‥何とか追い払いました‥‥」
 魔物騒動はあったけれど、2人の姫は無事。フロートシップはアネット領を離れて王都を目指す。
 ミレム姫の様子を見に塁郁は船の客室を訪れたが、ドアの前に立った時、部屋の中で姫と話すハンの国の取り巻きたちの声が聞こえた。
「あの治療院、ゴーレムという新兵器を生み出したウィルの国のものにしては、あまりにもお粗末ではありませんか?」
「マリーネ治療院はまだ開設されたばかりです。完成までにはもうしばらくかかるでしょう」
「果たして完成するのでしょうか? 我々の目を欺き、真実を覆い隠すための目くらましに過ぎないのでは?」
「え?」
 姫の声が途切れ、取り巻きの声が続く。
「私が思うに、ウィルは何かを隠しています。あのお粗末な治療院で起きた魔物騒動といい、不可解な点が多すぎます。ここはやはり、あの疫病の噂の真偽を確かめねば‥‥」
 すると、別の取り巻きの声が聞こえた。
「しっ、声が高い! ここでは誰が聞き耳立てているか分からぬのだぞ!」
 注意を促され、後の会話は塁郁の耳に届かぬ程の小声で交わされた。塁郁は何も聞かなかったふりをして、そっとその場を離れた。

 なお、鳥に化けた魔物がお茶のポットに投じたものだが、後の調べでそれは数十人の人間を死に至らしめる、致死量の毒であることが判明した。ただし、その事実はハンの国の親善使節には伏せられている。