●リプレイ本文
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「前は鬼神で今度は蛇神。駿河もよくよく神様と縁があるみたいね」
肩を竦めてみせたのは、少女のような可憐な相貌と凶悪ともいえる豊かな肢体をあわせもった娘で。名をステラ・デュナミス(eb2099)という。
「ね?」
同意を求めるかのようにステラがむけた視線の先で、風守嵐(ea0541)が咳払いした。彼は鬼神の一件でステラと共にあったのだが、その時からどうも彼女のことが苦手なのである。
嵐はもう一度咳払いすると、観空小夜に眼を転じ、嘆くが如く声をもらした。
「戦乱の混沌がこの様な事態を招いてしまったか」
「乱世が混沌を呼び、人ならざる者達の厄災を招こうとしているのかもしれませんね」
「うむ」
肯いた嵐の胸に吹きすぎるものがある。それは神々に対する畏敬の念だ。
「ともかく」
御神楽澄華がステラの袖をひいた。
「ステラさんには馬術の鍛錬でもしていただきましょうか」
「えっ」
ステラが眼を丸くした。そして慌てて手を振る。
「い、いいわよ、私は」
「そうはいきません。一角馬でゆかれるのでしょう。だったら、せめて少しでも練習しないと」
「風守さんが教えてくれるんだったら、いいんじゃないですか」
くすくすと笑ったのは少女としか思えぬ美しい顔立ちの娘で。
リン・シュトラウス(eb7760)。北条家家臣である吟遊詩人だ。
「どういう意味?」
「ど、どういうことだ?」
同時にあがった声は二つ。が、それぞれに響きは違っていた。
ステラはきょとんと首を傾げ、嵐はただうろたえている。
「さあ、どういう意味でしょうか」
なおも可笑しそうに微笑い、次いでリンは一人の若者に眼をむけた。
薄く笑みを口元に漂わせた相貌は女のように美麗である。が、恐るべき戦闘力を身にやどしていることは身ごなしでわかった。
蔵馬。北条早雲からつかわされた風魔の忍びである。
「ねえ」
「何だ?」
蔵馬が顔をむけた。
「早雲様が伽羅の遊び相手に黄幡神がいいって云ったっていうの、ほんと?」
「ああ。そう聞いている」
「ふーん」
リンは唇を尖らせた。そして蔵馬を横目で見た。
「嫁候補の間違いじゃないの?」
「嫁候補?」
柳眉を寄せて、蔵馬が問い返した。するとリンは大きく肯いて、
「そう。ひょっとして黄幡神ってすっごく美しい神様で、それで早雲様は嫁にしようと目論んでるとか」
「そうだな」
蔵馬は苦笑を零した。神を嫁にするなど途方もないことだが、確かに早雲にはそのような図抜けたところがある。
「まあ、いいわ」
ともかくもリンは得心したようである。そしてにこりと蔵馬に微笑みかけた。
「早雲様に伝えて。近々、会いに行くからって」
「これは」
リン達からやや離れたところでアキ・ルーンワースが呆れたように声を発した。
「賑やかですねえ。とてもこれから神と対決する人達とは思えない」
「それでいいんだ」
すっ、と。アキの背後に人影が浮かび上がった。
端正な顔立ちの男。どちらかといえば優男といった方がよいかもしれない。
が、その眼には強い意志の光があった。大切なものを守る為に命をかけて戦うことのできる者だけが持ちうる光が。
「木賊さん」
アキは男――木賊真崎(ea3988)を見上げた。
「黄幡神と対峙する前に、できれば村の様子を見てほしいんだ」
「村の様子?」
「うん。蛇神って火や地を司ることが割と多いけど、もし人々が焼死で亡くなったじゃないとしたら‥‥地震とか自然に纏わる災厄、を呼ぶ神なのかもしれないからね」
「もしやすると俺と同種の術を使うかもしれぬということか」
真崎は眉をひそめた。そして左手で下げた盾に眼をおとした。
鏡面の如く磨きあげられたその盾の名は浄玻璃鏡の盾。レミエラを装着してあり、結界を張ることができる。この盾をもってすれば、少しは蛇神に対抗できるかもしれない。
真崎はちらりと一人の娘に視線を移した。
妖しく、それでいて眩しい白い髪の娘。名を所所楽林檎(eb1555)という。
実は、林檎という娘のことを真崎はまんざら知らぬということもない。彼の弟と林檎は依頼で一緒になったことがあるのだ。
その弟を見る時、林檎の氷の表情に春が訪れる。それは林檎を知る者にとっては驚くべきことであったのだが――
そのことは知らず、ただ真崎は案じた。俺に、この娘が守れるだろうか、と。
当の林檎は、しかし不惑であった。ただ彼女は見つめている。運命のその先を。
災いも愛も、すべては試練。黒の法の教えは過酷だ。が、その茨の先に楽土がある。
林檎は歩みだした。禍なる地にむかって。
見送るキドナス・マーガッヅはただ一言、ご武運を、と呟いた。
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「災厄の神‥ですか。さて、どうしたものか」
思う惑う声が零れ。が、その声の主には漣ひとつ見えず。ただ玲瓏たる美貌のみ鮮やかであった。
声の主の名はゼルス・ウィンディ(ea1661)。志士である。
ゼルスは一人、街道を辿っていた。他の冒険者達はすでに村近くに辿り着いている頃であろう。
この時、すでにゼルスはいくつかの情報を耳にしていた。黄幡神についてのことである。
どうやら黄幡神とは巨大な体躯をもつ蛇神のようであった。十五間とも二十間とも噂されている。
さらに村の様子。当てにはならないが、村人は石像と化したらしい。
「となれば、ミドルヒドラのようなものでしょうか」
ゼルスは呟いた。
蛇身。さらには石化の術。この二つの条件を満たすものはミドルヒドラしかない。
となれば厄介だ。ミドルヒドラの鱗は厚く硬く、刃はほとんど効果をなさない。
ゼルスは溜息をもらし――
ふと足をとめた。
街道脇の獣道に、何か白いものが見えた。よく見ると、どうやら修験者らしい。
普通なら気づかず通り過ぎたはずである。それが眼にとまったのはステラやリンが修験者のことを云っていたからに他ならない。
国津神復活の裏に黄泉人の修験者あり。
「では」
ゼルスは素早く印を切った。幾つかの輝く呪紋が空に踊り、一瞬後、ゼルスは眼に光がともった。
「ふふん」
ゼルスは美しい、しかし恐い笑みをうかべた。
彼にはわかったのだ。修験者が呼吸をしていないことが。
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「早く逃げるんだ」
切迫した声音で嵐が告げた。が、対する老人――村長であるが――の反応は鈍い。
「とは申されましても」
「時がないんだ」
嵐は焦れた。
どうやら黄幡神は南下しているようだ。襲われたと噂される村を辿れば、いずれこの村に行き着く。
「俺を信じてくれ」
「しかし」
「ええい」
嵐は立ち上がった。こうなれば直接村人に訴えるしかない。
立ち去りかけて、しかし嵐は足をとめた。気になることがある。
「村長殿。この村が黄幡神に襲われる理由について何か心当たりがないだろうか」
「いいや」
「何?」
嵐の口から彼自身気づかぬ声がもれていた。その胸に渦巻く疑問が一つ――
では、黄幡神は何故一直線に南下を続けているんだ?
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呆然と四人の冒険者は立ちすくんだ。
そこには死が満ちていた。すでに白骨化しているかのような乾いた無機質な死が。
四人の冒険者が立っているのは最初に襲われた村であった。どのような衝撃によるものか家々は潰れ、人の姿は見えない。
いや――
「こいつは‥‥」
鋼をよりあわせたような筋肉に覆われた巨漢が呻いた。
三菱扶桑(ea3874)という名の浪人であるが、このふてぶてしい男が呻き声をもらすなど珍しい。それほど異様なものが彼の眼前にあった。
石像だ。ある者は倒れ、ある者は走った姿勢と姿は様々だが、一つだけ共通していることがある。
表情だ。どれも色濃い恐怖を顔に刻みつけている。
「人ですよ」
薄い笑みをうかべたまま、瀬戸喪(ea0443)が身の毛のよだつようなことをさらりと告げた。
「本当か」
問いつつ、扶桑はそれが本当であることを知っている。
道中、彼は喪が聞き込みを行っていたところを目撃していた。それは決まって女であるのだが、その女達がすらすらと見知らぬ喪の質問に答えるのだ。
やはり面か、と思い、扶桑は問うたものである。その様子だと女には不自由はしないな、と。
が、喪は苦笑しつつ、こう答えた。僕は女には興味はないのですよ、と。
「黄幡神が怒れる時、地は荒野となる。伝承は嘘じゃなかったようですね」
喪が石像の一つを指で突ついた。リフィーティア・レリスから駿河のことを聞いていたが、喪自身、まさか神の力がこれほどとは思ってもいなかったのだ。
「何ということだ」
唇を噛み、真崎は屈みこんだ。
彼の足元に砕けた石像がある。少女の石像だ。
真崎はちらりと林檎を見遣った。林檎は無表情で首を振る。彼女のもつコカトリスの瞳で石化を解いたところで、これでは少女の命を取り戻すことはできない。
林檎が屈み込んだ。そして少女の砕片をつなぎあわせる。
「ごめんなさい。あたしにはこれくらいしかできない」
「くっ」
少女の石像から視線をもぎ離し、真崎は手近の草花に歩み寄った。そして印を組み、瞑目。
ややあって真崎は眼を開いた。
「何かわかったのか」
蔵馬が問うた。すると真崎は小さく肯き、ああ、と答えた。
「蛇神が村は壊滅した。村人を石と化して」
真崎はある方角を指差した。
「どうやら黄幡神はあの方角から襲来したようだ」
「そうですね」
同意し、林檎のまたその方角に眼をむける。
「石化された人々の様子から、その方向から黄幡神が現れたのは間違いないと思います」
「では、あそこにむかえば黄幡神が封じられていた場所があるのだな」
扶桑が云った。
黄幡神は災厄の神と恐れられていた存在だ。ここにきて急に暴れだしたとするなら、今までどこかに封印されており、それがどのような理由でか解かれたと考えるのが自然である。
「その前に」
林檎が壺を取り出した。中にはコカトリスの瞳が入っている。
林檎はそれを年寄りらしき石像にかけた。すると――
まるで溶け消えるように老人から灰色の死が抜け落ちていく。ややあって老人の眼がゆっくりと開いた。
「こ、これは‥‥」
惑乱する老人であるが。林檎がその手をそっととった。
「もう大丈夫です。助けにきました」
「た、助け‥‥」
声を途切れさせ、老人は身を震わせた。そして嗚咽した。村壊滅の現実が彼を打ちのめしてしまったのだ。
林檎は優しく老人の背を撫でさすった。
「お気持ちはお察しします。しかし今は危急の時。是非ともお尋ねしたいことがあるのです。‥‥いったい何が起こったのですか」
「黄幡神様じゃ」
老人は歯をかちかちと鳴らせ、答えた。
「黄幡神様が目覚め、災厄を撒き散らされた。地が揺れ、村の者すべてが石にを変わった。空に舞い上げられた者もおった。唯緒様がお守りしていたはずなのに」
「いお!?」
老人の最後の一言を耳にし、思わずといった様子で真崎が声をあげた。はっとして林檎が顔をむける。
「どうかしたのですか」
「黄幡神が云っていたらしいのだ。唯緒という言葉を」
託宣のように真崎が告げた。
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ゼルスは木陰に身を潜めた。
彼の眼前にはぽっかりと洞窟が口を開いている。修験者はその中に消えた。
中に忍び込むか。ゼルスは迷った。
たおやかに見え、その実、ゼルスの狩人としての技量はかなりのものである。それ故修験者にも気づかれず後をつけることもできたのだが‥‥
が、さすがに単独で潜入は危険であった。敵が黄泉人一人とは限らない。
そう判断し、ゼルスは踵を返した。
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「風守さん」
呼ぶ声に、嵐は振り向いた。知らず、嵐の顔が綻んだ。ステラとリンだ。
「どうやら間に合ったようね」
ステラがほっと胸をなでおろした。
村の避難が間に合わず、嵐が黄幡神の襲来を防ぐ為に森に入った――彼女とリンは村で聞いたのである。それで急ぎ駆けつけてきたというわけだった。
「馬鹿だな。黄幡神と戦うのは俺一人でよかったのに」
「一人でいいかっこはさせないわ」
ステラは片目を瞑ってみせた。
「私達、仲間でしょ」
「あっついなー」
リンがひらひらと手で首筋をあおぐ。それから子猫のように微笑み、
「私達、きっと強いよね」
「ええ」
ステラが肯いた。
「もしかすると雷さんの時のように人と神を争わせようとする者がいるのかもしれない。それだけは防がないと」
「うん」
リンが肯いた。
その時だ。木がなぎ倒される音が近づいてきた。
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局所的な地震でも起こったかのようだった。
粉々になっているのはお堂であろうか。地に開いた穴は巨大で、底が知れなかった。
「ここに黄幡神が封じられていたようだな」
扶桑は周辺を歩き始めた。
黄幡神は代々お守り様という巫女が鎮めていたという。それが、何故今になって暴れだしたか。
「うん?」
扶桑が屈み込んだ。そして布切れのようなものを拾い上げた。
「何だ、これは?」
「結袈裟の切れ端だな」
蔵馬が答えた。
「結袈裟?」
「ああ。修験者の装束に使われるものだ」
「修験者か」
扶桑の眼がぎらりと光った。それは獲物を見つけた獣の眼であった。
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遥かな高みに爛と光るものがある。
眼だ。八対の。
そう――
八叉の首をもつ巨蛇。それが黄幡神の正体であった。
三人の冒険者は身をすくませた。
黄幡神から吹きつける超絶の気。鬼気とも殺気ともつかぬ異様な気にうたれた為だ。
まず最初に立ち直ったのはステラであった。唇を引き結ぶと、嵐が止めるのもかまわず足を踏み出し、インタプリティングリングを掲げた。
(黄幡神様)
ステラは呼びかけた。
(貴方は目覚めた。何故? 何を望んでいるのですか)
(いお)
うっと呻き、ステラは頭を抱えた。怒りのこもった高圧の思念がステラの脳内で荒れ狂っている。
慌ててステラは念話を中断した。このままでは精神を破壊されかねない。
刹那である。黄幡神の八対の眼が赤光を放った。
咄嗟に嵐がステラを庇った。その手には興津鏡がある。が――
嵐の眼から光が消えた。一瞬にして嵐は石と化してしまったのだ。ステラがアグラベイションをかける余裕さえなかった。
「嵐さん!」
ステラの口から悲鳴にも似た叫びが迸り出た。
その絶叫と重なるように歌声が響く。リンのメロディー。
それは潮騒の唄だ。全生命の母なる海への想いを込めた――
「ああ」
ステラの口から嘆くが如き声がもれた。
彼女の眼前、リンは微動もしない。リンもまた石と変じていた。
直後、ステラは膝を折った。彼女の身に高密度の呪力が叩きつけられたのだ。
ステラは必死に耐えた。抗することができたのはステラなればこそである。
ようやくステラが立ち上がった時、黄幡神の巨大な姿は遠くなりつつあった。もはや打つ手はない。が、ステラの瞳には燃える炎が踊っていた。
「仲間をこんなにして‥‥このままじゃすませない。でも」
ステラの胸に奇妙な違和感があった。黄幡神の怒りの波動の中に紛れ込んでいたものを彼女は敏感に感じ取っていたのだ。それは――
「思慕?」