●リプレイ本文
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その日の朝早く。
とはいえ、陽光はすでに白く、熱していた。
旅立つ人影は八つ。
瀬戸喪(ea0443)、風守嵐(ea0541)、ゼルス・ウィンディ(ea1661)、木賊真崎(ea3988)、ファング・ダイモス(ea7482)、ラザフォード・サークレット(eb0655)、所所楽林檎(eb1555)、ステラ・デュナミス(eb2099)。北条早雲の依頼を受けた冒険者達である。
そして見送る人影は三つあった。
渡部夕凪、木賊崔軌、所所楽柳。こちらもまた冒険者であり、夕凪は真崎の義姉、崔軌は真崎の弟、柳は林檎の妹であった。
「頼んだぞ、姉者」
「可能ならば迎えに、と楓と伽羅に繋ぎとりゃあいいんだね?」
真崎に対し、夕凪が答えた。夕凪は北条家家臣であり、将来的には城一つ、または五色備の部隊を増やし、その一つを任せたいと早雲が考えているほどの逸材である。そして楓は風魔くの一であり、伽羅とは座敷童子であった。
「ああ。本当ならば早雲公に出張っていただきたいところだが、さすがにそうもいくまい」
「そうだねえ。確かに今早雲公は動けなかろうし、駿河が安住の地との信用にはやや足りぬ、か。私も直に動けぬ身だが‥真崎の頼みだ、請け負うよ」
「これで事後は何とかなりそうですね」
微笑んだのは、可憐ともいってもよい相貌の若者で。喪である。同じく女性的ともいえる美貌の主であるゼルスは、しかし首を疲れたように振った。
「とはいえ、上手くそこまで持ち込めるか、どうか」
「ミドルヒドラ、かね? やれやれ、厄介な事この上ない」
ラザフォードが肩を竦めてみせた。アイスブルーの瞳が煌く。言葉ほど厄介だとは思っていない眼の色であった。
その時、いや、と首を振った者がいる。闇を凝固させたかのような男。嵐である。
嵐は云った。
「黄幡神よりも、むしろ厄介なのはゼルスが見たという黄泉人だ」
「そうね」
こたえたのは天使の美貌と魔性の肉体をもった凶悪ともいえる娘で。ステラである。
ステラは顎に指をあてると、
「お守り様と呼ばれる巫女がいなくなって、その巫女さんの名前を慕うように呼びながら彷徨う神様。そして修験者。偶然とは思えないわ」
「では、その修験者――黄泉人が黄幡神の暴走に関係あると?」
はっとしてファングがステラを見た。ステラが頷く。
「なるほど」
林檎の朱唇から沈鬱な呟きがもれた。
「慕う者の消失こそが黄幡神を動かした理由だとすれば‥唯緒を神より奪った者の目的は、神そのものということだろうな」
真崎が眼を伏せた。ファングの拳が怒りに震えた。
「黄幡神の怒りが江戸に降りかかったら、大きな惨事となる。何としても食い止めなければ」
「はい」
静かに、しかし決然として林檎はこたえた。
この時、彼女の脳裏に黄幡神に蹂躙された村の様相が蘇っている。
踏み潰された家々。冷たい石と化した人々。まるで化石と変じたかのような沈黙の地。
江戸をあの悲劇の巷とするわけにはいかない。
「人と精霊の絆、その形を見たくはあるけど、今は止めないと」
ステラが歩みだした。後を追うように林檎もまた足を踏み出す。
「林檎」
呼びとめる者があった。崔軌だ。
崔軌は歩み寄ると、林檎の純白の髪を翡翠のリボンで結んだ。
「俺ァ、難しいことはよくわからねえ。が、何となくその神サンの気持ちはわかるような気がするんだ。一等大事なモン、見失っちまったんだろうなぁ‥その神サン。取り戻してやってくれよ、林檎?」
「はい」
林檎が小さく微笑んだ。
黄幡神は強大な相手だ。さらに黄泉人は狡猾、かつ手ごわい。困難な依頼になることは確実である。
が、不思議と林檎に不安はなかった。
勇気がここにある。
宝物に触れるかのように、林檎はそっと翡翠のリボンにそうした。
くすり、と微笑ったのは柳である。
普段、氷のように冷厳である姉が微笑っている。それが何故だか嬉しかった。
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森を抜けたところでゼルスは足をとめた。目の前に洞窟の入り口がある。
「あれですか」
喪が洞窟に眼をむけた。その瞳を彩っているのは、その少女のような相貌にはそぐわない殺戮への期待だ。
「あそこに何かある」
嵐が云った。
「黄幡神と相対してわかった事だが、制御できない強力な黄幡神を保険も無しに野に放すような事をする輩ではあるまい。おそらく奴らは黄幡神を制御できる何かを握っているはず」
「唯緒ですか」
ファングの口から押し殺した声がもれた。と、同時にその顔に希望の色が滲む。
「行きましょう。手遅れにならないうちに」
「待ってください」
林檎がファングを押し止めた。
「念のために試してみます」
林檎の口から呪がもれた。ふわりと髪がもちあがる。ゼルスのフレイムエリベイションにより彼女の士気は高揚していた。
ややあって――
林檎は告げた。
「洞窟内に命の鼓動はありません」
林檎の身に緊張の波がはしった。
生命の存在が掴めぬことは、必ずしも敵の存在の否定にはつながらない。いや、むしろ不気味さが募る。なんとなれば黄泉人をデティクトライフフォースで捕捉することは不可能であるからだ。
その時だ。
がさりと草を踏む音がした。はっとして振り向いた冒険者はそこに一人の人間の姿を見出した。十七歳ほどの少女である。
林檎が歩み寄っていった。
「ここから離れてください」
「えっ」
少女が戸惑った声をあげた。
「どうして」
「黄泉人がいるからですよ」
ゼルスの声がした。
刹那である。風の怒号が轟いた一瞬後、少女が見えぬ何かにはじかれたように吹き飛んだ。
地に叩きつけられた少女がよろよろと恐怖の滲んだ顔をあげた。その衣服が刃でも受けたかのように斬り裂かれている。
「ど、どうしてこんなことを」
「云ったでしょう。黄泉人がいるからだと」
ゼルスがひどく酷薄な笑みをうかべた。と――
ましらのような身軽さで少女がはねおきた。その身の傷が瞬時にして回復している。少女の眼と唇の端が吊り上がった。
「貴様、どうして我の正体がわかった?」
「ミラーオブトルース。私にはあなたの正体が見えるのですよ」
「おのれ!」
少女が繊手をさしのべた。その先端から迸るのは嵐にも似た旋風である。
たまらず嵐、ゼルス、林檎は吹き飛ばされた。が、地に仁王立ちし、踏み耐えている者がある。おお、喪とファングの二人だ。
「ふん!」
突風がやんだ瞬間、 喪とファングが馳せた。滑るように瞬く間に間合いを詰める。
黄泉人が飛び退った。
「遅い!」
喪の腰から白光が噴いた。夢想流神速の一閃だ。
黄泉人の胴が裂けた。が、すぐさま傷が塞がる。恐るべき不死身性であった。
「馬鹿め。効かぬわ」
「これならどうだ!」
ファングの叫びと共に、まるで嵐の怒号にも似た剣風が巻き起こった。
疾る剣光は一条。黒血がしぶいた時、黄泉人は唐竹割りになっていた。
「これでもはや復活できまい」
二つになった地に倒れた黄泉人を見下ろし、ファングは重い息を吐いた。そして洞窟を見遣り、
「急ぎましょう。やはり何か中にある」
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太陽を背に黒影が浮かんだ。
翼ある馬。跨るのはステラだ。翻る髪がきらきらと光っている。
「あれね」
ステラが眼下を見下ろした。森を押しつぶしつつ、八叉の巨蛇が地を這っている。黄幡神だ。
その黄幡神の進む先には小さな村があった。まだ数人の人影が見える。家財道具を荷車にのせた逃げようと試みているようだが、黄幡神の速度には及ばない。
村人の中に子供らしき小さな人影を見出して、ステラは唇を噛んだ。このまま見過ごすことはできない。
ステラが呪を唱した。唸りをあげて、彼女の指先から拳大ほどの水塊が飛ぶ。ウォーターボムだ。
黄幡神の前方の地が爆ぜた。が、黄幡神の歩みはとまらない。
「とまりなさい。とまらなければ力ずくでとめることになるわ」
インタプリティングリングを用い、ステラが念を飛ばした。返ってきたのは雷鳴にも似た怒号だ。
(やってみろ)
黄幡神が速度をあげた。あとわずかで村人に牙が届く。そうはさせない!
高速詠唱。瞬間発呪。
再びのウォーターボム。歪む空間を疾る。
悲鳴はステラの口からあがった。見えぬ巨手に握りつぶされる感覚。グラビティーキャノンだ。
類まれなるステラの魔法的抵抗力がグラビティーキャノンの威力を削いだ。が、それでも華奢なステラにとってはかなりの損傷だ。衣服がちぎれとび、真っ白な上半身が露わになっていることからも威力のほどが知れる。
「おのれ」
ステラが黄幡神に視線を戻し――かっと眼を見開かせた。
黄幡神の姿がない。空に溶けたかのように消えうせてしまった。
「そんな‥‥馬鹿な」
呻くステラの背を焦燥の炎が灼いた。
まずい。ここにいるのはまずい。
そうステラが判断した刹那だ。
ステラの腹を何かが貫いて疾った。それが地から現出しざま、黄幡神が放ったクリスタルソードであると彼女が知る由もない。
驚くべし。黄幡神は口でクリスタルソードを咥え、ステラめがけて投げつけたのであった。
血の尾をひきつつ、ステラの身がぐらりと揺れた。落下する。
一度エウルスが受け止めたが、跳ね、またもや地に。もはや誰もステラを救うことはできぬ。地に叩きつけられたステラは人形のように砕け散るだろう。
ステラは死を覚悟した。
が――
ステラの身は暖かい腕に包まれた。耳に届いた声は真崎のものだ。
「待たせた」
「あんたが軽くて助かった」
ステラをサイコキネシスで支えた主―― ラザフォードがニヤリとした。
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どれほど進んだか。
五人の冒険者達は洞窟の奥に辿り着いた。何が光っているのかわからないが、内部は薄明るい。
その薄闇の中に、冒険者は少女の姿を見出した。気を失っているのか、ぐったりとしている。
「もしや――唯緒!?」
駆け寄ろうとしたファングを、しかし林檎が制止した。そして氷の瞳で少女をにらみつけた。
「その手にはのりません。正体を現しなさい、黄泉の者よ」
「ふふん」
少女がむくりと身を起こした。幼い顔に、老人のような嘲笑をへばりつけている。
「よくわかったな。おっと」
少女が手をのばした。
石柱に。いや、少女の姿をした石像に。
「黄幡神に逆らった愚か者がいたようだが、どうやらうぬらのようだな。動くなよ。動かば、唯緒を砕く」
ぴたりと冒険者の足がとまった。
「どうやら本気のようですね」
林檎が云った。高速詠唱によるリードシンキングで林檎は少女――黄泉将軍の表層意識を読み取ったのである。
黄泉将軍がニタリとした。
「その通りだ。おい、そこのでかいの。そして女のような奴」
黄泉将軍がファングと喪を見た。そして次にゼルスと林檎に眼を転じた。
「うぬとうぬ。殺しあえ。さもなくば唯緒を砕く」
「ぬっ」
冒険者達の身から殺気が迸り出た。が、どうすることもできぬ。魔人の云うことをきかねば唯緒が砕け散る。それだけは避けねばならなかった。
ファングと喪が同時に刃を疾らせた。肉が裂け、血がしぶく。
ゼルスは風の刃で林檎の身を切り裂いた。対する林檎はブラックホーリーでゼルスの肉を穿つ。たちまち冒険者達は満身創痍となった。
黄泉将軍はくつくつと笑った。
「手をぬくなよ。その時は――」
気配に、はじかれたように黄泉将軍は手刀を疾らせた。
ズンッ、と手刀が沈む。唯緒に――いや、舞い降りた嵐の胸に。
「これ以上、好きにはさせぬ」
嵐が一文字を黄泉将軍の腹に突き立てた。が、黄泉の魔物に通常の刃はきかぬ。
「くらえっ」
黄泉将軍が残る手を尖らせて唯緒に叩き込んだ。が、寸前でその手刀はばっさりと斬り落とされている。眼にもとまらぬ喪の抜刀によって。
「しゃあ」
黄泉将軍が飛び退った。化鳥のような絶叫をあげる。
嵐と喪の身体が旋風に飲み込まれて空に舞い上がった。二人の身体が地に叩きつけられるより早く、黄泉将軍が唯緒に迫った。
「砕けろ」
「させぬ」
今度は黄泉将軍の身体が旋回しつつ空に舞った。ゼルスのトルネードによって。
瘴気の渦は洞窟に上部に一度ぶち当たり、そしてはじかれたように落下した。地に引かれるように。刃にひかれるように。
「ぬん!」
ファングの薙ぎあげた刃が閃いた。
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「先ず話を聞き給え! 事と次第によっては協力も惜しまない!」
ラザフォードが叫んだ。が、返答はない。颶風のような殺気が叩きつけられただけだ。
ラザフォードの面に苛立ちが滲んだ。
「ええい、ききわけのない。殺戮が望みか? 若しくは、その果てに何かがあるのか?」
「ううぬ」
真崎が抜刀した。
「もし黄幡神を人への厄災に仕立てるつもりならば、思惑通りいかぬ時を考え手は残している筈だ。‥最も効果的で、他に揺るがせないモノを」
「唯緒、だな」
ラザフォードの問いに、真崎は肯いた。
「必ず唯緒は生きているはずだ。ならばきっと林檎達が救い出してくれる。それまで何としても黄幡神をとどめるんだ」
「よし」
ラザフォードが間合いをつめた。レビテーションの射程距離へと。が、それは同時にストーンの効果範囲でもある。
黄幡神の身がふわりと浮いた。魔力の翼が生えたかのように。同じ時、ラザフォードの身も石化していた。
真崎が飛び退った。黄幡神との間合いをあける。ステラは離れたところに休ませてあるので、コカトリスの瞳を取りにゆく余裕はない。
「たとえ厄災の神とて。‥‥何かを慕う心持つ存在をただ歪める訳にはいかん。想いのみで敵う相手でなくとも、今はやるしかあるまい 」
ぎらりと真崎は血走った眼をあげた。
「唯緒が恋しいか」
真崎が叫んだ。
刹那である。ぴたりと黄幡神の動きがとまった。
(唯緒、だと)
真崎の脳内に黄幡神の声が轟いた。その破壊的ともいえる圧力に、たまらず真崎は膝を折った。
「そうだ。唯緒が恋しいのだろう。返してやる」
(ぬかせ。貴様達が殺しておいて。その報い、千の命で贖ってもらうぞ)
「違う!」
こめかみを押さえつつ、真崎は三度叫んだ。今にも頭蓋が砕けそうであったが、真崎は続けた。
「唯緒は生きている。もうすぐ俺の仲間がつれてくる」
(嘘だ)
黄幡神が襲いかかった。もはや真崎を石化するつもりなどない。肉片に引き裂くつもりであった。
ここまでか。
真崎がだらりと刃をさげた。哀しき神を傷つけるつもりはなかった。
と――
黄幡神の八つの首がとまった。真崎の全身に無数の牙が軽く突き刺さっている。
(唯緒)
黄幡神の思考が真崎の脳内に流れ込んできた。そしてわかった。黄幡神が唯緒の精神をとらえたことを。
「やったな」
薄く微笑み、そして真崎は気を失った。
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迎えに現れたのは伽羅と雷であった。雷とは鬼神である。正体はジャパン三大軍神の一柱である建御名方神であった。
「これでまた駿河が賑やかになるな」
去り際に伽羅が残した言葉である。珍しく子供のように微笑っていた。
そして伽羅は冒険者にも言葉を残した。
「これで、またもや江戸は冒険者に救われたな」