●リプレイ本文
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高松城。
玉藻城とも呼ばれる高松藩主城に八人の冒険者が辿り着いたのは、彼らが京を発してから五日めの明け方であった。
奥にむかう廊下を進みつつ、一人の冒険者が溜息を零した。
華奢で、女のように美しい若者。エルフのクレリックで、名をゼルス・ウィンディ(ea1661)という。
「四国も長らく来られませんでしたが、その間にこのような状況になっていようとは‥‥」
「う〜ん、人間の大名が戦争をしているのと同じように妖怪も大名の真似をしている」
唸ったのは羽根もつ老女だ。一尺強の大きさの体躯は人形のように可愛いが、その眼には深い知性のきらめきがある。ヴァンアーブル・ムージョ(eb4646)という名のシフールは肩を竦めてみせると、
「人も妖怪もやることは大して変わらないのだわ」
「感心している場合じゃないわよ」
前をじっと見据えた男が云った。
渡部不知火(ea6130)。筋骨たくましい身体に不羈奔放たる気風を漲らせた男は苦い表情で、
「此度しくじったら四国に明日はないのよ」
「とはいえ厄介なことじゃの」
重い声を発したのは異形の者――河童である。名を磯城弥魁厳(eb5249)という忍びは腕を組むと首筋を撫でた。
ている。そのことを思い出したのだ。
「わしにはわかる。さすが神と呼ばれるだけあって隠神刑部を討つは至難の業じゃ」
「でも」
可憐な相貌に決死の色を滲ませ、その娘は唇を噛んだ。ステラ・デュナミス(eb2099)という名の志士であるのだが、彼女もまた隠神刑部と戦ったことがあった。
「勝ち目はあるわ。例え神の如き力を持っていたとしても、決して神じゃない」
「そうだな」
もう一人の志士が肯いた。
こちらも女だ。凛とした、それでいてしっとりとした色香の匂うその娘の名は所所楽柳(eb2918)といった。
その柳の脳裏には、妹である所所楽柚の未来視の結果がよみがえっている。
伊予松山藩藩主である河野通宣――即ち隠神刑部が高松城をおさめ、そして伊予兵が高松城下を闊歩する映像。さらに多くの女子供が妖に喰らわれる様。おぞましき魔界の相だ。
柳はかぶりを振り、禍々しき光景を払った。
「奴は神じゃない。断じて、な」
「ええ」
琥珀色の肌の凛々しい若者が柳の手を握り締めた。と、柳の頬に紅が散った。
手と手をつなぐ。たったそれだけのことで、滅入りそうであった心が晴れた。まさに愛こそ最強の力だ。
そう、琥珀色の肌の若者――ルーフィン・ルクセンベール(eb5668)と柳は恋仲であった。この依頼の後、二人は新たな世界に旅立つことを夢想している。
と、先をゆく侍が足をとめた。
「殿がお待ちでござる」
侍は云った。
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怒涛のように伊予軍は進軍していた。それは濁流があらゆるものを飲み込む様に似て、凄まじく。
「ほう」
丘の上から見下ろす影がニヤリとした。ゼルスである。
「油断したところで、その頭を一気に叩く。‥‥何だか、関東の戦で早雲公の力をお借りた時を思い出しますね」
ゼルスは眼を眇めた。河野通宣の姿を探す。軍の中心に駕籠が見えた。
ゼルスはちらと上空を見上げた。小さな影が見える。霊鳥と、その背に跨ったステラであった。
そのステラの姿は、よほど注意していないと目視することはできない。曇天のため、空は暗く濁っていたからだ。リーマ・アベツ(ec4801)の仕業である。
「いくわよ」
ステラの澄んだ碧の眼がギンッと光った。一気に霊鳥――レグルスを降下させる。
ふっ、と。世界が白く翳ったように感じられた。
いや、事実世界は冷気で白く染まった。氷点下にまで及ぶ冷気により。
寒さに震える伊予兵を見下ろし、ステラはレグルスを反転させた。
「逃すな! 射殺せ!」
叫びが発せられ、数十という弓兵が弓をかまえた。
刹那である。暴風が吹き荒れた。数十という数の兵が吹き飛ばされる。弓を撃つどころではなかった。
「やらせませんよ」
悪魔のように微笑むと、ゼルスは呪紋を変えた。次に発動させるのはトルネードだ。
その時である。衝撃にゼルスは背をそらせた。
「何!?」
ゼルスは慌てて周囲を見回した。今の衝撃は何か。
「――ムーンアローか」
ゼルスは踵を返した。ムーンアローにより、すでに居場所は知られているとみた方がよい。
と、突然ゼルスの足元の影が爆発した。なんでたまろう。華奢なゼルスの身は軽々と空に舞い、地に叩きつけられた。
「――今度はシャドゥボムか!」
ゼルスはヒーリングポーションを口に含んだ。そして印を組み、呪的感覚網を広げた。
いた! 一体、一町ほど離れたところに。おそらくそれがシャドゥボムの発動者であろう。
その時である。ゼルスはさらなる接近者を知覚した。
大きさからして馬。そして人。騎馬武者だ。それが数十騎駆けてくる。
と、漆黒の闇がゼルスを包んだ。何も見えない。
「くくく」
闇の中から嘲笑が響いた。
「俺にはお前の居所がわかるぞ。が、お前には俺が見えまいが」
「そうかな」
ゼルスはトルネードを発動させた。敵のおおよその位置はブレスセンサーによりつかんでいる。
風が唸る悲鳴に似た音が響いた。が、敵の落下の衝撃は伝わってこない。
「飛んでいる!?」
刹那、突如闇が晴れた。あっ、と呻いたゼルスは見た。迫る来る騎馬の魔影を。
と、またもやゼルスの影が爆発した。重い衝撃にはねとばされ、ゼルスが地に転がる。
慌てて身を起こした時は遅かった。眼前に迫る騎馬武者の手が白光をはね――
(ゼルスさん!)
ゼルスの脳裏で声が響いた。ヴァンアーブルのものだ。
一瞬後、闇が降りた。シャドゥフィールドである。
(今の間に逃げるのだわ)
ヴァンアーブルの指示。が、その思念の最後は悲鳴でかき消された。
ゼルスには見えぬことであったが、飛翔していたヴァンアーブルの身がきりきり舞いしながら落下している。ムーンアローの仕業であった。
と、突如闇が晴れた。シャドゥフィールドの効果時間が切れたのである。
「いたぞ!」
殺戮の喜悦にふるえる叫びが響いた。騎馬が殺到する。
よろめきつつ、ゼルスはストームを放った。が、すべての騎馬武者を吹き飛ばすことはできない。
ぎらり、と白刃が光った。次の瞬間、ゼルスの意識は闇の彼方に消えた。
「ゼルスさん!」
ヴァンアーブルが心中にあげた絶叫を、ステラもまた放っていた。ゼルスとヴァンアーブルを救うため、すぐさまレグルスを降下させる。
「きゃあ!」
悲鳴はステラの花びらのような唇を破って噴出した。その身にムーンアローが突き刺さったからだ。
「な、何!?」
瞠目したステラは見た。伊予軍中からムーンアローが飛んでくるのを。
「レグルス!」
ステラが霊鳥を駆った。すぐさま戦域を離脱しなければならなかった。
が、ムーンアローから逃れることは不可能だ。ステラの身に、立て続けに銀色の光矢が突き刺さる。高速詠唱により放たれたムーンアローは瞬時にしてステラを絶命させた。
意識がなくなる前、ステラはフィディエルであるリリーの言霊により、少数の伊予兵が同士討ちを始める様を見た。
「くくく」
笑う人影がヴァンアーブルを見下ろした。それは荏原城城主である平岡房実であった。
そうと知ってヴァンアーブルは身を起こした。が、すでに満足に動くこともできない。
この場合、ヴァンアーブルは敢えて微笑んだ。
「わたくしが死んでも、きっと冒険者は勝つのだわ」
「ほざけ」
房実が刃を振り下ろした。それをヴァンアーブルはムーンフィールドで防いだ。が、それにも限りがある。
袈裟に斬り下げられ、ヴァンアーブルは絶命した。しかし魂の炎が完全に消え去る前に、小さくヴァンアーブルの唇が動いた。
流れたのは囁くような声音。それは隠神刑部と命をかけて戦った者達への賛歌であった。
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高松城周辺を異様なものが取り囲んでいる。
柵だ。それも石造りの。
それを満足げに見つめているのは金髪碧眼の、柔らかそうに肢体の女であった。
リーマ。ウィザードであり、かつ冒険者でもあった。
そのリーマはここで何をしていたか。高松城兵に柵をつくらせ、そのすべてを石化していたのである。
これが思いのほか時がかかった。そのために伊予軍の足止めにむかうことができなかったのだ。
そのリーマのもとに報せが届いた。ゼルスとステラ、そしてヴァンアーブルが戦死したという報せだ。もたらした者は魁厳である。
「本当ですか」
「本当じゃ」
昏い眼で魁厳は肯いた。
「こちらの首尾は?」
「だいたいのところは」
答えたのは不知火だ。彼は日中の間駆けずり回り、城下の民を逃していたのであった。
「ならわしたちもゆくか」
「ああ」
不知火が立ち上がった。
その時だ。どん、と壁に拳をうちつけた者がいる。柳だ。
「三人も‥‥殺されるなんて」
柳の頬を清らかな雫が伝い落ちた。
「く、くそ」
「ヤナ」
ルーフィンがそっと柳を抱きしめた。そして耳元で囁いた。
「せめて私達だけでも生きて戻りますよ。五人、全員でね」
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小雨の降る中、伊予軍は高松城に迫った。すでに篭城とみたか、一気に高松城下になだれ込む。が、城下に人の姿はなかった。
唯一残っていたのは商人や店主であった。酒や食い物を用意して伊予兵を出迎えたのである。
「お疲れでございましょう。どうぞお休みくださりませ」
「神妙じゃ」
河野通宣が肯いた。
「兵を休ませよ。しかし斥候はたてよ」
「はッ」
こたえると、家老である津島玄番は兵に休息を命じた。
それからどれほど時が流れたか。
突如、高松城下に只ならぬ呻きがあがった。
「火――火矢だ」
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紅蓮の炎に包まれる高松城下から伊予兵が退きつつあった。それを讃岐兵が追う。
それは讃岐兵側がおしているように見えた。が、事実は違う。時は伊予の味方であった。
「むだじゃ。しょせん讃岐に勝ち目はない」
河野通宣がニヤリとした。雨は激しさを増し、高松城下を洗っている。火は勢いを失いつつあった。
と――
伊予兵の動きが急にとまった。それは河野通宣の側に控える侍も同様であった。
「何が起こった?」
「し、身体が石に――」
「何!?」
さすがの河野通宣の形相が変わった。確かに家臣の者の云う通り、彼の周囲の兵達の身体が石と化しつつある。
それはリーマの仕業であった。およそ五町離れた地点でバイブレーションセンサーを発動し、敵の存在を感知してストーンを施している。
まさに無敵――と思えたが、当のリーマの眼には焦慮の色が滲んでいる。
ストーンの最大効果範囲はおよそ五町。それほどの広範囲であればかなりの伊予兵を石化することができる。
が、現実にはそうはいかない。五町の範囲には仲間や讃岐兵も含まれる。対象を振動によってのみ選別している以上、最大呪力をもってストーンを発動させることはできないのだった。
「このままでは――」
「ゆく」
不知火は軍馬――秀峰に跨った。
本来なら河野通宣までの道が開いていてほしかった。が、この混戦の中、そうこちらの思惑通りに事は運びそうにない。また見たところ、一町の射程しかないルーフィンの矢も河野通宣までは届きそうもなかった。
「このままでは機を失うわ」
「でも」
リーマは絶望的な眼を前方に投げた。
河野通宣までにはまだ多くの伊予兵が立ちはだかっている。このまま突入して、果たして敵首魁まで到達できるかどうか。
「それでもいかなきゃ」
不知火は笑った。底抜けに明るい笑顔だ。
不知火は傍らの魁厳に眼をむけた。魁厳が肯く。ニヤリと不敵に笑って。
リーマもまた微笑んだ。
神とも呼ばれる大妖怪を前に少しも怯むところはない。こんな仲間とともに戦えたことを誇りに思った。
「では私も全力で敵を排除します」
「頼む」
不知火が秀峰の腹を蹴った。同時に魁厳の身が爆煙に包まれた。微塵隠れだ。
銀の針のような雨を切り裂きつつ、不知火が疾駆する。その背を見送りつつ、リーマがアグラベイションを発動する。
「いってください。早く!」
リーマが叫ぶ。
次の瞬間だ。その額を矢が貫いた。
「くっ」
唇を噛みつつ、しかし不知火はなおも秀峰の腹を蹴った。仲間の死を無駄にしてたまるものか。
「どけい!」
吼えつつ、不知火は伊予兵を斬り払った。まっしぐらに河野通宣を目指す。柳を拾いたかったが、肝心の柳の姿は見えない。連携を欠いていた。
同じ時、魁厳は跳んでいた。空間を次々と。そして四度目の跳躍――
「椿!」
魁厳が現出した。
が、そこに津島玄番の姿はなかった。代わりに闇があった。
「馬鹿め。我らに同じ攻撃はきかぬ」
闇の中から笑う声が響いた。津島玄番は爆発音を耳にし、魁厳の微塵隠れを見破ったのであった。
「見えぬであろう。が、我らにはわかる」
「ぬっ」
魁厳の口から苦鳴が迸り出た。激痛が腹を焼いている。何かが腹部を貫いたのだ。
「む、無念」
魁厳の口から血を吐くような声がもれた。
そして不知火は――
轟乱戟を片手に敵陣に一騎躍り込んでいた。あと少しで河野通宣まで届く。
その時だ。突如、周囲に漆黒の闇がおりた。それは魁厳が四度目の微塵隠れを発動させた直後のことである。
「おのれ!」
闇の中を不知火は駆けた。河野通宣の位置はおおよそ掴んでいる。
刹那である。凄まじい衝撃が不知火を襲った。秀峰もろとも吹き飛ばされる。
地に叩きつけられ、朦朧となった頭を起こした時、ようやく不知火は真相を悟った。小山のような妖狸が屹立し、彼を見下ろしている。
と、隠神刑部の眼が動いた。その視線の先を追い、不知火は慄然とした。隠神刑部は柳を見ている!
「はっ!」
冴え冴えと。菊一文字が闇に閃く。
右往左往する伊予兵を斬り捨てつつ、柳は走った。その疾駆がとまったのは巨大な妖影が立ちはだかった瞬間である。
「しくじったか」
柳の身が怒りに震えた。
その時である。隠神刑部から放たれた銀光の矢が柳に突き刺さった。
「ああっ!」
悲鳴をあげて柳は身をよじらせた。
はじかれたようにルーフィンが飛び出した。冷静沈着であるはずの彼に、すでにその面影はない。柳を救うことしか念頭にはなかった。
と、ルーフィンの足がとまった。その身にもまたムーンアローが突き刺さったのだ。
「ヤ、ヤナ」
血まみれのルーフィンが這った。手をのばす。
こたえるかのように柳も這った。同じように手をのばす。
「ル、ルー」
指先が触れ合った時、二人の意識は闇に沈んだ。
「や、柳‥‥ルーフィン」
呆然と立ち尽くしたのは一瞬。
次の瞬間、不知火は渾身の一撃を隠神刑部に放とうとし――そして彼もまた呪縛された。いや、不知火は呪縛を破った。一気に隠神刑部に斬りつける。
隠神刑部の足から血がしぶいた。
刹那である。隠神刑部の足が不知火を押しつぶした。
薄れゆく意識の片隅で、不知火は聞いた。隠神刑部の咆哮を。
それは妖怪王のあげる勝利の雄叫びであった。