●リプレイ本文
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洛中を冷たい風が吹きぬけている。それは死の匂いをはらんだ風だ。
頬を凍てつかせた八人の冒険者が陰陽寮を訪れたのは午ノ刻あたりであった。
レティシア・シャンテヒルト(ea6215)、渡部夕凪(ea9450)、風雲寺雷音丸(eb0921)、橘一刀(eb1065)、レジー・エスペランサ(eb3556)、セピア・オーレリィ(eb3797)、和泉みなも(eb3834)、イリーナ・ベーラヤ(ec0038)。
彼ら冒険者の前に一人の男が座した。
冷たい切れ長の眼には静かな光がゆらめいている。安倍晴明であった。
「大禍津日神?」
晴明の問いに、同じ陰陽師である可憐な少女が肯いた。レティシアである。
「うん。すでに二度、藤豊の家臣――加藤清正が狙われて、そして松永久秀は討たれたんだよ」
「で、その大禍津日神が神皇様、もしくは関白殿を狙っていると?」
「そうよ」
答えたは勝気そうな瞳の、すらりとした肢体の娘だ。こちらはイリーナである。
イリーナは続けて、
「それで、もう一度未来を観てもらいたいの。未来を予知したことで、多少は結果も変わっているんじゃないかしら?」
「無理ですね」
淡々とした語調で晴明はこたえた。
「無理?」
「はい。未来視は我々が何もしなかった場合の相が観えるのです。故に結果は変わらないでしょう。またその相は何時のことかも特定はできません。暗殺の瞬間を特定できない以上、大禍津日神の姿は手掛かりとはならないでしょう」
「ならば仕方あるまい」
溜息とともに、唸った巨漢がいる。雷音丸であった。
雷音丸は腕を組むと、
「守る対象は特定させてもらう」
「特定、と? では誰に?」
「決まっている。神皇様だ」
なかば叫ぶかのような大音声で雷音丸はこたえた。
「神皇様。‥‥では関白殿は捨て置くと?」
「ああ。この身は神皇陛下の剣、神皇様の盾と心得ているからな」
「そうだね」
夕凪が肯いた。そして晴明を見据えると、
「二兎追い、討ち果たせる相手ではないようだし」
夕凪は云った。
その言葉に間違いはない。が、彼女の心中はもう少し複雑である。
――廃藩置県‥主殿が描く世への一歩を成し得る御方を今失う訳にはいかぬ。私にとって秀吉では比較にもならぬし‥狸同様、此処で退いて頂くも‥良かろうさ。
夕凪の眼に極星の如き冷たい光が煌いた。
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鈍色の空。吹きつける風は刃のように鋭い。昨日までの、冬とは思えぬ暖かさは嘘のようであった。
その蒼灰色の景色の中、ものものしい行列が進んでいる。神皇の行列であった。
供の者の数はおよそ五十。腰に刀をおびた者もいる。
中に三人、冒険者の姿も見えた。
夕凪と雷音丸、そして少女としか見えぬ女――みなもである。晴明の働きによって神皇護衛の供侍として行列に加わったのであった。
他の冒険者はどこか。
レティシアは行列の後方にいた。時折空を見上げている。大禍津日神の姿を、その超人的ともいえる視力により探しているのであった。
そして残る四人の冒険者――一刀、レジー、セピア、イリーナも行列と距離をおき、索敵していた。一刀、レジーの場合、その隠密能力を活かし、陰より行列を追尾しつつ。セピアとイリーナは堂々とその姿をさらし。
「どのみち顔を知られているし、ね」
セピアは微笑った。どのみち目立つのなら、いっそ姿を見せた方が牽制になる。
「そうね」
イリーナは肯いた。
彼女の場合、敵には知られていないが、その身ごなし、さらに身にまとわせた壮絶の殺気は只者ではない。目立つといえばイリーナもそうであった。
と、微笑を消し、セピアは唇を噛んだ。
「守りきれないのを続けて、とうとう大元まで食い込まれちゃったけど‥‥今度こそ、止めきりたいところね」
「それはそうだけど」
普段ゆったりとしたイリーナであるが、しかしその表情はかたく強張っている。無理もない。敵中には彼女が身につけた剣流の創始者である宮本武蔵がいるのだから。
もし武蔵と戦って勝てるか。その明確な自信はイリーナにはない。
「でもやるしかない」
イリーナは自分自身にいいきかせるかのように呟いた。
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襲撃は突如来た。行列の脇で面を伏せていた洛中人が襲いかかったのだ。場所は城山瑚月の予想の範疇だ。
「無礼者!」
一斉に供侍達が抜刀した。無数の銀光がはねる。
が、襲撃者達に怯む様子はなかった。それぞれに得物をふりかざし、行列に殺到する。
対する供侍の顔には戸惑いの色が滲んでいた。襲撃者の顔ぶれが只事ではない。
壮年の男がいることは当然として、妖艶な女がいる。老人がいる。十ほどの女童もいる。それらが一斉に刃を舞わせているのだ。
「や、やれ!」
誰かの発した掛け声とともに、供侍達が襲撃者を迎え撃った。刃を叩き込む。
が、血飛沫を散らせたのは供侍達の方であった。
「こ、これは――」
呻きつつ、一人の供侍が刃を女童の首にあてた。が、刃がたたない。
女童はニィと笑うと、供侍の腹を貫いていた刃をこねた。
「あれは――」
愕然たる声を発したのは、行列の後方で潜んでいた一刀であった。
「まさしく黄泉人!」
一刀は叫んだ。
「黄泉人だと」
レジーが一刀に視線をむけた。
「敵は大禍津日神と死霊侍ではなかったのか」
「そのはずだが」
一刀の面に漣がゆれた。
「ええい、やるぞ」
レジーが虹色に光る弓をかまえた。
通常の刃の通じぬ黄泉兵に、警護の供侍達は成す術もない。このままでは神皇が危なかった。
待て、と一刀がとめるのもきかず、レジーは矢を放った。約半町の距離を一瞬で疾りぬけた矢が深々と老人の黄泉人を貫く。
「ぐあっ」
黄泉人が仰け反った。すると別の黄泉人がしゃあと怪鳥のような声を発した。
「ちぃぃ」
レジーが再び矢を番えた。が、乱戦のためにうまく狙いがつかない。
その間、二人の黄泉人がレジーに迫っていた。瞬く間に間合いを詰める。
その一人をレジーは射抜いた。が、もう一人の対応はできぬ。
レジーが身構えた時は遅かった。黄泉人がレジーに躍りかかる。
きら、っと光芒が噴いたのはその瞬間であった。
空に胴斬りされた黄泉人が舞い、その傍らに白髪が揺れる。一刀の刃が鞘におさめられた時、地に分断された黄泉人の身体が叩きつけられた。
「ゆくぞ」
一刀が走り出した。もはや隠密状態を保持するわけにはいかなかった。
と、一刀の足がとまった。その眼前に人影がうっそりと立っている。道脇の家屋の屋根から舞い降りてきたのだ。
「出たな」
刀の柄に一刀は手をかけた。
人影。それは二刀をもつ骸侍であった。
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レティシアは行列から離れたまま、周囲の様子を探っていた。
黄泉兵は陽動であるかもしれない。大禍津日神がどこかから機を窺っている可能性がある。
どこ?
レティシアの手が銀色の煌いた。
瞬間発呪。光は矢と変じて放たれた。
それはひたすら空を裂き、行列の中に――
しかしレティシアが矢の行き先を確かめることはできなかった。彼女めがけて迫る人影を見とめた故だ。
その人影は深編笠をかぶっていた。ちらと揺れる笠から覗いた顔は人のそれではない。
「死霊侍!」
レティシアが絶叫した。
彼女は知らぬことであったが、その死霊侍の名は愛洲惟孝という。惟孝は抜刀した。
反射的レティシアはゾディアックスタッフをかまえようとし――やめた。剣豪の刃に彼女の腕でたちむかえるわけもない。
新陰の刃が唸った。逃げもかわしもならぬ剣風は袈裟にレティシアの身体を断ち切っている。
鮮血とともに、ぐらりとレティシアの身体が揺れた。その顔に一瞬浮かんだものは血笑である。
斬られるより一瞬早く、レティシアはムーンアローを放っていた。その目的は――
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はじかれたようにセピアとイリーナはとって返した。が、たちまちその足はとまった。
彼女達の前にも空より舞い降りた人影が ぬっと立ちはだかったからだ。背に長刀を背負ったその人影もまた深編笠で顔を隠していた。
が、超人的戦闘力をほこるイリーナにはわかる。その人影が只者でないことが。
魂すら腐り果てそうなほどの瘴気を漂わせたその者は断じて人ではない。いや、それよりも――
人影から放たれる凄愴の殺気は、かつて彼女の相見えたことのないほどのものだ。イリーナは恐るべき大敵と対していることを悟った。
剣をふるおうとして、イリーナは咄嗟に手をとめた。
敵の背後には行列がある。ソードボンバーを放つわけにはいかなかった。
その時、人影の背から白光が噴出した。抜刀したのだ。
「させない!」
セピアが眩い燐光に包まれた。
発呪。異空より聖なる力が汲み出され、人影にむけて放たれる。
が、人影は微動もしない。セピアの放ったピュアリファイを無効としたのだ。
「ならば――」
セピアが手が旋風を生んだ。眼にもとまらぬ迅さで業火の槍が回転する。
ぴたりと槍がとまった時、その穂先から紅蓮の炎球が噴出した。
「やったか」
セピアが眼を眇めた。
その瞬間だ。炎を振り払い、人影が襲った。疾る刃は逆袈裟にセピアを切り裂いている。
血煙をあげて倒れるセピアを見つつ、しかしイリーナは動けない。彼女ほどの手練れが骨がらみ金縛りになっていた。
そして、同時に彼女は敵の正体を悟った。
異様に長い刀を軽々と操る刀法。それの意味するものをイリーナならばわかる。二天一流の使い手であるイリーナならば。
佐々木流。即ち敵の正体は佐々木小次郎!
紅の悪魔ゼパルと黒翼の天使ハルファスとすら渡り合ったイリーナの顔から血の気がひいた。
敵は剣聖宮本武蔵が宿敵とみなした剣豪だ。剣をあわせぬうちにイリーナが顔色をなくしたのもむべなるかな。
すでに諦めたか――そうと判じたかどうかはわからぬが、無造作といえる動きでするすると小次郎が間合いをつめた。
「むん!」
地から長刀がはねあがった。渾身の力をこめてイリーナが刃をあわせる。
戛然!
光の砕片が舞った。折れた刃の切っ先だ。
それが小次郎のものと知るより迅く、剣士としての本能に突き動かされるかのようにイリーナが刃を疾らせた。横殴りの一閃は小次郎の首を刎ねている。
斬った! 佐々木小次郎を斬った!
心中に凱歌の叫びをあげるイリーナであるが。
彼女は知らない。レティシアの放ったムーンアローにより小次郎の刃に微かな傷が刻まれており、それにより刃が折れ飛んだことを。
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夕凪が叫んだ。
「籠から離れるな。神皇様を守るんだ! みなもさん!」
「はい」
肯きつつ、みなもが矢を放つ。一人の黄泉人が身をよじらせた。
すでに幾人の黄泉人をみなもは仕留めていた。はちのに刺し、蝶のように舞う。みなもの攻守に隙はなかった。
と、そのみなもをかすめるようにして銀光の矢が疾った。それを眼で追い、次の瞬間、みなもは息をのんだ。ムーンアローが籠の守りの供侍にぶち当たっている。
「ぬう」
供侍の顔が瞬時にして変形した。人から金色に輝く髑髏へ。
「神皇、死ね!」
空間すら断ち切るように豪刀が袈裟に疾った。黄金髑髏――大禍津日神の一撃は籠もろとも神皇を切り裂き――いや、刃はとまった。籠の前に立ちはだかった男の肉体の半ばまで切り裂いて。
刃を引き抜き、大禍津日神が飛び退った。その眼前で男――雷音丸がニヤリと笑った。
「神皇様は殺りたければ、まず俺を殺るんだな」
「ぬうう」
大禍津日神の顔がわずかに揺れた。その視線の先で動いた者がいる。別の供侍だ。
「神皇、殺ったあ」
供侍――黄泉将軍が籠を刃で貫いた。手応えはある。
ニンマリすると、黄泉将軍は籠の戸を開いた。そして愕然たる呻きをあげた。
神皇が生きている!
「な、何故――」
うろたえる黄泉将軍はその時気づいた。神皇の側で一枚の呪符が崩れ去りつつあるのを。
「ええい!」
再び黄泉将軍が刃を突き出し――それは横から飛び出した夕凪の腹を貫いた。
「どうやら直前で成り代わったようだねえ」
夕凪が凄絶に笑った。
「幾つもの囮を仕掛け、あげくに己さえも囮とするとは――たいしたもんだよ、大禍津日神」
「くっ」
黄泉将軍が刀に力を込めた時、その首を矢が貫いた。みなもの矢だ。
「おのれ!」
大禍津日神が神皇に肉薄しようとし――動きをとめた。その前で仁王立ちする男がある。雷音丸だ。
「云ったはずだ。まず俺を殺れとな」
「ぬかせ」
大禍津日神が刃を振り下ろした。それを、敢えて雷音丸は身体で受けた。がっきと大禍津日神をつかみとめる。
「やれ! 俺ごと大禍津日神を殺せ!」
「すまない!」
夕凪が大禍津日神の背を切り裂いた。みなもの矢も飛ぶ。さすがの大禍津日神の不死身性も修復が追いつかない。
「ふん」
夕凪の村雨丸が空を薙いだ。黄金の髑髏が舞う。
その一瞬後のことであった。
レジーの矢を払い落とした死霊侍――宮本武蔵の二刀がだらりと垂れ下がった。
今だ!
一刀が動いた。神速の抜き打ちは武蔵の首を刎ねている。
ほぼ同じ時、武蔵の首と黄金の髑髏が地に転がった。
「やったぞ」
微笑みつつ、雷音丸は静かに瞳を閉じた。
ここに神皇は守られ、大禍津日神は斃れた。それは、希望が絶望を駆逐した瞬間であった。
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その日の夜のことだ。
呼び止める声に夕凪は足をとめた。
まるで耳元で囁くかのようなひそやかな声。何者か。気配はつかめない。
夕凪は周囲を素早く見回した。
その時だ。
物陰からすっとふたつの人影が現出した。
一人は侍で、一人は雲水だ。ともに笠をかぶっているために顔は見えない。
「誰だい?」
夕凪が問うと、ふたつの笠があげられた。
現れたのは輝くばかりの美貌と精悍無比の相貌だ。一目見、夕凪はあっと声をあげた。
「――公と風魔の頭」
「よう」
破顔したのは美貌の若者――北条早雲だ。傍らの風魔小太郎もニッと笑んでいる。
「お前に話があってな」
早雲は云うと、夕凪に歩み寄った。そして、
「よく神皇を守ったな。褒美に駿河をくれてやる」
「えっ」
さすがの夕凪が息をひいた。
「す、駿河をくれてやるって――」
「文字通りの意味だ。すでに神皇も了解している。お前には駿河藩の藩主となってもらう」
「冗談じゃない」
夕凪は激しくかぶりを振った。
「私はそんなものが欲しくて公の家臣となったわけじゃない」
「だからさ」
早雲は微笑した。
「そういうお前だからこそ駿河を任せることができるんだ。他の奴に任せて、変に色気をもたれては困るからな」
「それなら」
夕凪はある冒険者の名を口にした。同じ北条家の家臣である冒険者だ。
「藩主なら彼の方が適任だよ」
「まあな。が、藩主なんぞ置物でいい。しっかりした奴は家老の方が適任さ」
「じゃあ私は置物かい?」
「そういうことだ」
くすりと笑うと、早雲は背を返した。その背に、公、と夕凪の声がかかる。
「本当にいいんだね、駿河藩藩主が私で。もしかすると私も他の大名のように野心に狂うかもしれないよ」
「その時は」
早雲は振り向き、ニヤリとした。
「俺が潰すさ」