●リプレイ本文
●序
呼びとめられ、男女が立ち止まった。
歳の頃なら二十代後半。男の方は精悍な顔立ちで、二枚目といえなくもない。そして、他方。女の美しさはどうであろう。月の光で織り上げたような銀の髪といい、特徴的な耳といい――まさしく妖精。
ほっと。呼びとめた者――浪人らしき侍が溜息をもらした。それから慌てて、
「何をしている」
「散策でございます」
「なにぃ」
浪人者が眉を寄せ、応えた女を睨みつけた。男の方はといえば、女の背に隠れて震えている。浪人者の満面をあからさまな侮蔑の色がよぎった。
「そんな奴放っておいて、俺と遊ばねえか」
「失礼な」
女の拳が唸った。それは外見の手弱女ぶりからは想像もできぬほどの鋭さを秘め――必死にかわした浪人者の頬をかすめて過ぎる。
「こ、こやつ!」
うめく浪人者。そして背を返した男と女。が――
彼ら二人の前に、いつの間に忍び寄っていたか別の浪人者が二人。
「どうやら、ただの町娘ではなさそうだな」
刀の柄に手をかけつつ、浪人者が二人を取り囲むように別れた。
その様を――
歯噛みする思いで見つめている影が四つある。
隠身の勾玉で気配を消した朱鳳陽平(eb1624)と遠見に徹していた静守宗風(eb2585)。そして同じく隠身の勾玉を身につけた所所楽柊(eb2919)と所所楽柚(eb2886)の姉妹である。
我知らず踏み出しかけた陽平を、宗風が制した。
「くっ」
陽平の歯がきりきりと鳴った。
それは別所に潜む所所楽姉妹も同じ事。飛び出しかねぬ妹を支えつつ――それは柚のすってんころりの予防でもあるのだが――柊の面から笑みが消えた。
いかに冒険者といえど男――将門司(eb3393)の助力なくば、女――将門夕凪一人では浪人者達の囲みを破ることは困難だ。
そのとき。
「よせ」
声が響き、のび放題の草を踏みわけるように庫裏から、これも同じ浪人者が現れた。
「ここで騒ぎを起こすな。――そのようなへなちょこのいろなど、捨ておけい」
吐き捨てた。
驚き、感心し、笑う。
神代紅緒の反応は随分と派手だ。
新撰組屯所――
「お噺やないんやで」
苦笑する司であるが。こたえた様子のない紅緒は唇を突き出してみせる。
「でも見てみたかったな〜。将門さんのお嫁様って綺麗なんでしょ」
ねえ陽健、と叩いたのは真神陽健(eb1787)のちっちゃな背中だ。
「呼び捨てにすんなよな〜」
「子分は呼び捨てで良いの」
きめつける。
此度の依頼参加の挨拶に出向いた陽健を、一目見るなり子分と決定した紅緒である。
「紅緒ちゃん、きっと驚くぜ」
にんまりする陽平の後ろで、壁にもたれた宗風がぼそりと呟く。
「これは一つの犯罪だな」
「それはひどいですよ」
窘めた日下部早姫(eb1496)であるが、さすがに彼女も笑いを抑えきれぬようだ。
と、端座した美丈夫が僅かに身動ぎした。名を緋神一閥(ea9850)といい、志士である。
「で、結果はどうでした?」
「ああ――」
表情を改めると、司が廃寺周辺の地形と見張りの浪人の有無について述べ、続けて陽平が呪者の有無を、そしてと宗風が住処――庫裏の様子をつけたした。最後は柊である。
「柚の見たてだと中にいたのは五人だ」
「柚殿といえば、確か十剣党の一人、伊庭祁蔵をご存知とか」
「はい」
問う早姫に、やや青ざめた顔で柚が頷いた。
「それは、もう‥‥」
語る。その凄愴の様を。
柚の言葉が切れたとき、冒険者達には声はない。
祁蔵一人ですら厄介であったのに、もし残る八人全てが祁蔵並の、もしくはそれ以上の技量の持ち主であったなら‥‥
「相手として不足無し」
ようやく一閥がすうと眼を細めた。
「されど手練の剣客集団、僅かの油断で空を舞うのは己の首やもしれません。我々に勝るものがあるとすれば、互いの背を預けることのできる同胞と共にあるということのみ」
「まさに」
凛と。早姫が立ち上がった。
その背に、誠の一字がはためいて見えた。
同じ刻。
まだ参集せぬ冒険者の一人、備前響耶(eb3824)はひたすら刃を研いでいた。
きり、と。刃が尖り、それにあわせて彼の心魂も白く研ぎ澄まされていく。深く、、ただ深く。
彼――響耶は何かを待つ男であった。
それが何かはわからない。だが、あと少し。ほんのわずかで掴めそうな気配。
まだだ。まだ足りぬ。
そして、もう一人。
和泉みなも(eb3834)は黒緑に沈む林の中に佇んでいた。
木立をわたる風はすでに刺すように冷たく。しかし、少女のものとしか思えぬみなもの満面は汗にしとどに濡れている。
前回の入隊試験。戻る氷輪を受ける寸前に紅緒に斬り込まれ、彼女は咄嗟にわざと氷輪を空に逃してしまった。それは受け損ねによる損傷を恐れてのことだったのだが。
が、次からはそうはいかぬ。心技そのものを鍛えたたき、縦横に氷輪を操ってみせよう!
みなもの手から氷輪が飛んだ。それは密なる樹間をぬけ、光のもとに翻った。
●破
新撰組屯所中庭。
浅葱の羽織を纏った十一番隊隊士と私服の冒険者が鞘の内の刃のごとく、出立の刻を待っていた。一人、司のみ姿がないが――
と、湯気の立つ幾つかの椀を載せた盆を司が運んできた。
「俺の差し入れや」
「おお、これは」
歓声をあげて、隊士と冒険者が椀を受け取った。
しばしほおと溜息と汁を啜る音が交差し。陽健の隣で何かと面倒を見ていた――陽健は子供扱いするなと御冠だが――紅緒の側に、己の分の椀をもった司が腰を下ろした。
「噂に聞いたんやけど、紅緒はんは俺を推したみたいやな? 俺に何を期待するんや?」
「ふごっ」
頬っぺたを膨らせた紅緒が顔を向けた。慌てて咀嚼し、ごっくん。舌、火傷しちゃったと嘆きつつ、すぐに真顔に戻ると、
「私には良くわからないのですが‥‥でも、いつか十一番隊がゆく先に迷うようなことがあった時、将門さんなら良き方に導いてくれそうな。‥‥そんな気がするのです」
考え考え、云った。
その時。
一人の隊士が駆けこんで来た。十一番隊士の幾人かは顔見知りの、木戸隆道という侍である。
此度、土方から態のいいお目付け役としてつけられた彼は、同じ役の村田籐兵衛とともに先ほどまで廃寺を見張っていたものであるが。
八人ともに動きはないと伝える声音を耳に、一閥が眉をひそめた。
「何かしらの追撃がかかるであろうことを予測してはいると思われるが、それでも同じ隠れ家に居続けるということは、余程腕に自信があるか、人斬りといえど矜持があるのか」
「そうとは限らん。本命がいると、知れたわけではないからな」
響耶が嘯き、確かにと宗風も肯首する。
捕らえた庄司八郎の口より情報がもれる可能性を、十剣党の者が考慮に入れていないはずはなく。そう考えると、敵の不動がなおさら不気味に見えてくる。
「では、各々方」
すべてをひっくるめて。
静香が立ちあがった。
暁闇をついて疾る影十四。
それは斬り裂く意志であり、護る願いであり。命を賭して夜明けを呼ぶ、明けの明星たる者達は声もなく、また音もなく、ただひたすらに修羅場を目指している。
寅の一点。夜襲とはいえ、攻め入るは虎穴。牙がずらりと並んでいることもありうる。しかし、だ。
――それでもやらなきゃいけない事ってあるよな。
中の一人、柊は蒼みがかった笑みを浮かべている。貫く者。それが侍である故に。
微かな足音たてて。
立ち止まった十四の影のうち、再び三つの影が動いた。目指すのは庫裏の裏戸である。
暗い空の下、なお黒々とした獣のように横たわる庫裏の表。一人、無手の早姫のみは寒さしのぎの上着をはらりと脱ぎ捨て、身を軽くした。
屋内での戦闘。おそらくは得物をもたぬ彼女の動きが成否の要の一つとなるだろう。そうと知る早姫は身をひねり、筋をのばした。
その僅か後。
裏戸組もまた配置についている。
やってやるぜ、と意気込み仁王立ちの陽健であるが。ぐいと手をひき、みなもがしゃがませた。
「準備をしておいた方が良いですよ」
忠告一つ。だけあって、すでにみなもの手は、冬闇の冷気が凝ったかのような氷輪を弄んでいる。十分にやすみをとったその身は気も呪も充溢していた。
頃は良しと見たか――気配を消していた陽平が表戸組に合図を送るべく動いた。
土方副長に確かめたところ、平手は堺に赴いているという。どうやら警護のためであるらしいが――今は斬り込み、開くしかないだろう。
頷くと、静香が背後を振り返った。待ちきれぬように紅緒が鯉口を切る。
それが合図。しゃらんと引きぬかれた刃が、それぞれに蛍火を空に描いた。
一瞬後――
「新撰組、十一番隊や!」
戸を蹴り破り、司が叫んだ。同時に冒険者達が踏み込む。
残るは、宗風が独り。罠を警戒する野生獣の用心の持ち主の彼。が、心配なしと判断し、参戦せんと戦友の後を追う。後ろ髪は乱戦の只中においては周囲への警戒が怠ることであるが、一面二臂の人の身においてはそれも仕方なし。
その間、身軽な早姫と紅緒を先頭に、表戸組は奥に進んでいた。迎えるように剣呑の気配が濃厚になり――戸を開け放とうとした早姫めがけて斬撃。が――
カッと音たてて、刃は鴨居に食い込んでいる。
「馬鹿め」
煌く刃は巌流。地擦り下段から吹き上げる凍風一陣過ぎた後、血煙りに一閥はくるまれている。
刹那、横薙ぎの刃轟。あやうく飛びのいたものの、一閥の胸元が裂け、だらりと垂れ下がる。
なおも追い討ちの刃が翻り――夜目にも鮮やかな火花を散らし、柊の十手が受けとめた。
「押し切るぞ〜」
「承知!」
応えつつ、早姫は柊から敵を引き剥がし、空に投げた。狙うは敵の仲間であるが。
さすがにそれは果たせず――が、飛び来る仲間を避けるため、敵が動いた。それもまた早姫の目論みの一つ。
その動き――廊下に出た敵を追って、司と紅緒が疾った。
一気に間合いを詰め、司の掌底が獣の牙のように閃く。敵が見せた僅かな遅延は彼の左構えによるものか。はねあがった敵の刃もつ腕を擦るように、司の忍び刀が脇腹を貫いた。
「もらったで」
叫ぶ司の足が敵の身体にかかり、蹴りはなそうと――いや、はなれない。苦悶に身もだえしつつ、しかし敵の手ががっちりと司のそれを掴んでいる。
「なにっ!」
うめく司の背後に――袈裟斬り。
戛、と返したのは紅緒の刃だ。
「将門さん、そのまま裏へ」
「おお!」
他方。
静香が斬って捨てた浪人者の断末魔の響きにうたれたように、一人の浪人者が刃を舞わせて殺到する。どこへ――表戸へ。
この乱戦の中、常ならば逃亡も可能であったかも知れない。が、刺客の中には響耶がいる。この事あるを予期していた彼の刃は飛燕のように空を裂き――平突き。浪人者の背を刺した。
「逃しはせぬよ」
「やるな」
ぎらと眼を転じ。宗風は敵の一人――最も落ち着いた身ごなしの侍と対峙した。
おそらくは敵の頭目。そうと見てとった宗風の刃がすいと上がり――平青眼。逆手十手。次いで揺れる。剣尖が鶺鴒の尾の如く。
誘い込まれるように侍が横に薙いだ。鶺鴒の正体が鷹であることを知らず。
刹那、羽ばたく、猛禽が。爪――十手が敵の刃をはじき、嘴――宗風の刃が躍りかかり――
その時。
裏戸から、まろぶように二つの人影が飛び出て来た。
表戸組に直接押し出されたというより、圧に抗しきれず、態勢を立て直すためのようであるが、陽平が開いたおいた裏戸の空間が救いと見えたのかも知れぬ。
が、そこは救世の彼岸ではない。むしろ血の池、剣の山。
その証拠に、ほら鬼が――みなもの氷輪が、闇空をついて飛ぶ流星のように浪人者の背を撃った。
「なっ」
愕然とし、はじかれたようにもう一人の浪人者が振り返った。
とたん、蹲る。片足を押さえて。
何が起こったのか分らない。まるで見えぬ刃に斬りつけられたような衝撃が――
はっとあげた浪人者の眼は、唸りをあげた振り下ろされる刃影を見とめ――後は闇の深淵。
「新撰組十一番隊に朱鳳陽平ありき、‥覚えときな」
地に這った浪人者を見下ろし、陽平が刀を肩に担ぎあげた、その時――
裏戸辺りに熱泥が噴きあがった。
それは当然、その周辺の者――陽平と浪人者を吹き飛ばし、のみならず庫裏そのものを炎に包んだ。
「よ、陽健殿、貴方――」
みなもが顔色を変えた。
今の業は確かにマグナブローだ。しかし屋内への発動は厳禁としたはずである。なのに――
慌てて陽健が頭を振った。
「お、おいらじゃないよ」
「えっ! では――」
狼狽の眼を転じたみなもの前で、さらに炎が広がった。今度はどうやら表戸付近で発現したようだ。
罠。
陽健とみなもの脳裡に、この一字が過った、敵は仲間もろとも、十一番隊を始末しようとしている!
●奴の名は、岡田以蔵
「!」
雷に撃たれたかのように陽健とみなもは駆け出した。その間、さらに炎泥が地を揺らす気配。
悪夢の中をもがくような焦燥に灼かれつつ、ようやく二人が表戸に辿り着いてみれば――表の抑えとしていたはずの二人の隊士――村田と木戸が崩折れている。
抱き起こしてみれば、すでに息なく。斬り傷から察するに、ほとんど刃をあわせることもなく弊されてしまったようだ。
小鳥が飛び立つように、二人は表門をくぐり、路上に飛び出した。
「いた!」
陽健が指差した。
その方――確かに走り去る人影がある。反射的に追おうとし、しかしすぐに二人の足がとまった。
ゆらり。
二人の前に立ち塞がった影が、一つ。
大柄の、昏い眼をした男。闇よりもなお黒い着物をまとい、腰に野太刀をおとしている。
「どけ」
足を踏み出そうとし、陽健とみなもが凍結した。眼前の侍から吹きつける一触即発の剣気を感得した故だ。あと一歩踏み出せば胴斬りされているだろう。
「じゃ、邪魔するのか」
喘鳴のような声を陽健があげた。すると侍は死神のように嗤い、
「仲間が炭になっても良いのか」
と云った。
確かに、その通りだ。この侍と戦い、もし自分達にものものことがあれば、誰が仲間を助けるのか――
背を返そうとし、しかしみなもは再び眼を戻した。おそらくは二人の隊士を切り捨てたであろう侍に。
「名を、聞いておこう」
「岡田以蔵」
●墓前
「浪人者が吐いたわ。岡田以蔵もまた雇われた者の一人だと。加勢してもらえると思っていたようだけど‥‥どうやらまぐなぶろーの発動の障害になる者を始末する役目だったようね」
「そう‥‥」
眼を伏せると、紅緒は手を合わせた。枯れた木立のようにぽつんと立つ墓標の前。村田と木戸に手向ける言葉も花もない。ただ涙だけが零れた。
後ろに立つ静香の胸に、この時、柊のもらした言葉が髑髏の歯が合わさったように響いている。
隊全体の見分が目的だったりな〜?
静香の磁器のような頬が、さらに白くなった。