●リプレイ本文
「――九つ様!? そいつは確か‥‥」
問い返した所所楽柳(eb2918)はすぐに声をひそめた。
表戸の隙間に人影。見張り。
あらためて柳は形の良い眉をひそめた。
なぜなら――母、所所楽杏が受けた初めての依頼。そこで相対した忍びがもらした言葉。それが――九つ様ではなかったか。
「そのとおりですよ」
柳の心中の疑念を読み取ったかのように、平山弥一郎(eb3534)がむくりと身を起こした。
「私も聞きましたよ、その九つ様というのは。ねえ」
「ああ」
杏と行を供にしたことがある三人目の冒険者が身を起こした。月風影一(ea8628)という忍びであるが。
いつから眼を覚ましていたのか分らない。また弥一郎がその事にいつから気づいていたか。佐助と名乗った旅人が朱唇を歪ませた。
「寝たふりと、それと気づいていて知らぬふり‥‥人が悪い。驚くではないか」
「とは、見えぬがな」
次に起きあがったのは侍。眞薙京一朗(eb2408)といい、新撰組十一番隊組長である平手造酒に見込まれたほどの切れ者である。
「人が悪いのはどちらの方か‥‥」
薄く笑うと、すぐに京一朗は真顔になり、
「ま、慌てるも落ち着くも現状は同じ。贄ならば最低其の時まで命は有る」
ふてぶてしく呟く。無事戻るまでが依頼だ、と友人の木賊真崎が送り出してくれたが、そう上手く落ちがつくかどうか。
「――って、何落ち着いてんだよー」
また一人。月下真鶴(eb3843)が目覚め、ごちた。
「あー、うー、もう、僕とした事が不覚だよー。ああ、もう悔しー」
身悶えするかのように嘆く。
無理もない。真鶴にとって此度の仕事は初めての冒険。それが端からこの始末では少々聞こえが悪い。
その時、部屋の片隅から煩わしげな声が響いた。
「煩いわね。うだうだ云っても始まらないわ」
吐き捨て、真鶴を黙らせる。壱原珠樹(ea9521)は壁に背をもたせかけ、チッと舌打ちした。
「最悪‥‥百姓なんぞに捕まるなんて」
「ふん、うだうだ云ってるのはどっちだ」
嘲笑ったのは珠樹と同じくノ一の――天楼静香(eb2251)である。
なにぃ、と睨みつける珠樹であるが。実は、人の型として二人は驚くほど似ている。
無愛想なところといい、獲物を掴みとる為ならあらゆる手段を尽くす心魂といい。唯一大きく違っているのは、珠樹の胸の膨らみがさほど目立たないのに比べ、静香のそれは縄目から大きく突き出していることであろうか。
が、男なら誰でも気になるはずの静香の双丘にも、黒眞架鏡(ea8099)はさしたる興味はないようである。
薄闇に猫族の獣のように――金茶の瞳光らせ、彼は先ほどから抜け出す算段を巡らせている。
と――
ふっと自嘲気味の笑い声が漂い、夕弦蒼(eb0340)が跳ね起きた。彼は真鶴に眼を向けると、
「不覚なのは俺も同じでね。毒に関しては得手としていたんだが」
それが手もなく薬をもられるとは。やはり依頼を果たしたことに対する気の緩みか。
その傍ら。夜目にも鮮やかな白い太股を覗かせ、十番目の冒険者――糺空(eb3886)がすやすやと寝息をたてていた。
その数刻前。
いまひとりの忍び、片桐惣助は身を切るような寒風に吹かれ、地を疾走っていた。
未だ現れぬ弥一郎に異変の兆しを感じ取り、彼はその消息を追い――
「‥‥まずはここから抜け出すのが先だな」
「そのようだな」
架鏡に相槌をうつと、静香がゆらりと立ちあがった。
ばらり。彼女の足下に解けた縄が落ちる。
同じく縄抜けを果たした影一は、唸りながら身をよじっている真鶴のもとへ。
「暴れないで。今ほどくから」
「静かにね」
弱々しく笑う真鶴に――
誰がだ、と影一が胸の内で思ったのは内緒だ。
その間、蒼も自ら縄から抜け出、他の者の戒めをほどきにかかっている。珠樹は縄抜けには失敗したようだ。
「ふう、助かった」
小さく吐息をつくと、柳は自由になった腕を振りまわし、今度は空を縛る縄に手をかけた。すると、ようやく気づいたものか空がうっすらと眼を開け、第一声――
「あっ、柳お姉ちゃん‥やっぱりこんな格好恥ずかしいよ〜」
「うん?」
柳は眼を細めた。
空の身を飾る女様の着物。寝ぼけ眼でもそのことが――いくら可憐に見えても、やはり空は男の子である――気になっていたらしい。
苦笑を口辺にはき、柳は空の髪をくしゃりと撫でた。
「やっぱリ僕の見立てどおり、その格好似合うぞ。僕が保障するだけじゃ、駄目か?」
きらり。涼しい目元と歯が煌く。
「それより――」
頬を突ついて更に正気づかせ、柳は現状を空に話して聞かせ――
「えっ!?」
「しっ」
慌てて柳が空の口を押さえた。そのまま肩を掴んで身を伏せる。他の冒険者達も身を強張らせ――
幾許か。
見張りに動きがないのを確かめると、ゆっくりと柳は手をどけた。
「大きな声を出すんじゃないよ」
「うん‥‥でも、い、生贄って‥‥ぼ、僕、殺されちゃうの?」
「ばか」
こつんと拳固。そして告げる。僕がそんなことさせやしないよ、と。
「‥‥じゃあ、九つ様って上州の」
見張りの村人が顔を引っ込めた後、再び真鶴の提案にしたがって顔寄せあった冒険者達。その輪の中で、当の真鶴が声をあげた。
「そうです。確かに忍びがもらしていました。それがここまで‥‥」
弥一郎ほどの者がぞくりと身を震わせた。
九つ様とそれを崇める者の正体はわからぬが、すでに江戸にまでその触手をのばしている。闇の中で足下をくちなわが這い回っている気持ちの悪さだ。
「ちょっと待て‥‥。確か生贄には乙女を集めてたんじゃなかったか?」
ふと思いつき、柳が口をはさんだ。が、その答をもつ者がいるはずもなく。
「すべてはここから出てということになるが、さて」
牢内部を調べていた静香が眉を寄せた。
床からの脱出は大事になる。となれば天井から抜け出るということになるが――
縄目にしてあるという油断からか、天井には板もなく、藁葺きであるので抜け出るのは容易だ。が、梁が高く飛びつくことはかなわない。肩車とて無理だろう。格子も上部は板張りであるので使えず‥‥
「なっ」
悲鳴に近い真鶴の声に、慌てて静香が眼を遣ると――その前で、するすると空が褌を外している。反射的に眼をそらした静香であるが、次に京一朗の脱褌姿が眼に入る。
「な、何をしている!」
「えっ? ‥‥だって影一兄ちゃんが――」
きょとんとする空。
その手からすると褌を抜き取ると、影一は続いて受け取った京一朗の褌と結びあわせながら部屋の隅へ。次いでもぞもぞと装束をまくりあげる。
「な、何の真似?」
恐る恐る覗き込んだ真鶴は、今度こそ息をひいた。影一が引っ張り出したモノはまさしく――
応えの代わりに、湯気の立つ液体が褌を濡らした。
ややあって――
梁を見上げ音にならぬ呼気一つ。影一がぐっしょりと濡れた褌を投げ上げた。
それは狙い過たず梁に巻きつき、同時に雨のように飛沫をばら撒いて――影一が満足げに頷いた。
「良し」
「何が良しじゃ!!」
冒険者達は心の底から怒った。
何度目か。
村人が戸口から顔を覗かせた。
格子の向こう。冒険者達は依然として戒められたまま。奥に一塊になっているが、今までにとらえた旅人もできるだけ格子から逃れようとしていたので別段おかしくはない。
が――
二人横たわったままの者がいる。身動ぎ一つしない。
村長から生贄には気を使えと命じられていることを思い出し、村人がさらに戸を開いた。
「おい、そこの奴」
――
応えはない。変だ。
「おい――」
再び声をかけた時――
「――なんだ」
応えがあった。
胸を撫で下ろすと、村人は顔を顰めた。
「ずっと寝転がったままだけんど、何かあっただか?」
「別に。放っておいてくれ」
別の一人の声。すぐに、
「それより」
顔を引こうとした村人を、さらなる声が呼びとめた。
「貧乏な冒険者掴まえて得でもあるのか、この村は?」
「‥‥」
無言のまま、村人は戸を閉めた。
あとに――
羽織や冒険者の装束の一部をかき集めて身ごしらえさせた藁人形から眼を上げ、声色の主――架鏡はニンマリとほくそ笑んだ。
村長宅の雨戸を、ひっそりと一つの影が開け放った。
水で濡らした雨戸は音をたてることなく――そして影も無音。潜み入る。
すでに影一が母屋から得物や荷を発見していた。あとは村長の企みを掴むだけだが。
つつうと。影は廊下を風のように滑り――幾つかの部屋を見分した後、凝然と足をとめた。
部屋の奥。そこに仰々しく設えてあるのは神棚ではないか。
生贄の二文字を脳裡に閃かせ、影が近寄る。
瓶子や榊立て等。そこにあるのは神棚でよく見るものばかり。が――
奇妙なものが一つ。
小さな像。
これが御神体であろうか、と。のばしかけた手を影はとめた。
像は狐を象ったものであり――いや、それは別段珍しいものではない。それよりも――
狐の尾が九つに分れていることに気づき、影――静香は息をのんだ。
呼びとめた主――京一朗は皮肉な翳を片頬に過らせると、弥一郎に身を寄せた。
「佐助と申す‥どうにも引っかかる御仁だ。どう思う?」
「確かに変ですね」
弥一郎はちらと佐助を見遣った。
「あの村人の様子から察するに、彼は知りすぎている」
その通りだ。先ほど佐助から聞き出した村と村人の様子。また九つ様の生贄の件。とてもではないが囚われてから知ったとは思えない。
「‥‥一つ、心当たりがあるのですが」
「よかろう。が、くれぐれも油断するなよ」
囁く声で忠告し、京一朗は壁に背をもたせかけた。
瞬間――佐助の口元に浮いた薄い笑みに、しかし彼らが気づくことはなかった。
「なに、狐!?」
牢として使われている離れ屋の手前。静香の話を聞き終え、退路や陽動の為の経路を確認し終えた蒼は愕然として声を途切れさせた。
狐を崇める邪宗。確か柳や弥一郎は忍びがからんでいると云ってはいなかったか。
飯綱忍者――
蒼の脳裡に卒然とその名が浮かんだ時、遠くに見廻りの者らしき人影が見えた。
「ともかく戻ろう」
地を蹴った蒼の姿が蝙蝠のように空に舞った。
「おい、誰か!」
怒鳴り声に、慌てた様子で見張りの村人が顔を覗かせた。
「どうしただ?」
「この子の様子が変だ」
「なにぃ」
村人が眼を向けると、確かに柳の側で空が激しく咳き込んでいる。あっと声をあげ、近寄ろうとして、村人は足をとめた。
「その手にはのらねえだ。前にもそうやって逃げようとした奴がいただ」
薄ら笑いを浮かべ――すぐに、それが細波のように揺れた。
演技にしては、あまりに異常過ぎはしないか。
その思いは柳にしても同じであった。迫真過ぎる演技は生贄の価値無しと見られるとの懸念を起こし、空の顔を覗き込んで、彼女は顔色を変えた。これは――演技ではない!
「こいつの荷物に薬があるはずだ、頼む、持ってきてくれ!」
柳が叫んだ。が、村人は狼狽するばかりだ。すると、
「私達を傷つけると贄としての価値がなくなりますよ」
いやに静かな弥一郎の声。今度は村人が顔色を変えた。
「さっさとしなさいよ!」
珠樹の喚く声にうたれ、村人は戸口から飛び出して行った。
そして、幾許か。
息せき切って村人が飛び込んできた。右手には風御凪が用意した薬の袋。左手には瓢箪が握られている。
「早く、薬を」
柳が急かす。
村人はがくがくと首を振り――またもや足をとめた。さすがに牢に近寄るのは躊躇われるらしい。
「何をしている、早く」
「け、けんども――」
「私達は縛られているのよ。これでどうしろっていうの。早く!」
珠樹が叱咤した。
さすがにこの一言はきいたらしく、村人は腰にぶら下げた鍵で錠を開け、牢の中に。
「ほら、飲むだ」
村人が空を抱き起こし――ぽんと、その肩に手がおかれた。
「ご苦労さん」
弥一郎。菩薩の笑み。
さらに驚愕に声すらあげられぬ村人の前で、形ばかりの戒めをはらりと振りほどいた冒険者達がすっくと立ち上がる。
その時――
戸口の方で悲鳴が上がった。はじかれたように顔を振り向けた冒険者達の耳は走り去る足音を捉えている。どうやら薬を取りに行ったおり、見張りの者は村長にでも報せたものらしい。
弥一郎は見張りの村人に当身をくらわせた。
「急いで」
「承知」
柳が空を抱き上げた。
「大丈夫か」
「うん。一人で歩けるよ」
「無理するな」
空を抱きかかえたまま、柳が格子をくぐった。後に他の冒険者達も続く。最後に――
佐助が牢を出ようとした時、弥一郎が耳元に囁いた。
「六文銭‥も増やしにかかりましたか」
「‥‥」
瞬間。
二人の視線がからみあい――刃に似た煌きだけを残し、佐助は顔を背けると冒険者を追って闇に消えた。
ゆらゆらと。
紅蓮の火炎。それは呪詛のこもった鬼火のごとく揺れ――。
影一が火を放った納屋などの数箇所に向かって、炎に誘われる蛾のように村人が走っている。生贄が逃げたとの報せを受けて押っ取り刀で駆けつけているものだが――しかし、いくら狂信に憑かれていようとも農民は農民であり。対する冒険者は百戦錬磨だ。
もし村人全員に取り巻かれていたならば、いかな冒険者といえどひとたまりもなかったであろう。が、刻は深夜。周囲は闇。おまけに火を放たれて。さらに、なまじこれまで上手く事が運んでいた村には対処の用心すらなく。
たたき起こされた村人は数もそろわず、どこに向かって良いのかもわからず――
いたぞ、という掛け声で数人が向かったところで、架鏡と静香の拳が、あるいは柳のもつ棒きれが唸る。
そして、今も。闇に躍る桜光に吸い寄せられた二人の村人が京一朗と弥一郎のふるう刀――村人から奪った――の峰に打ちすえられる。オーラ付与の一撃の前に、村人は赤子の手をひねるようで。
その裏で――全く人気のなくなった村長の母屋から、他の冒険者達は荷を奪還していた。それを同じく母屋に繋ぎとめられていた自分達の馬に積み、朧と化して夜の、魔境の彼方へと――
ほっと。
安堵の吐息をつくと、ようやく空の面は微笑にゆるんだ。
慌ててかけたリカバーは何度も失敗――そう、彼はまだまだ未熟であるのに速呪唱を行っていた――し、柳の指摘を受けてようやく成功させたところであったのだ。
そこは算段済みの古社。すでに九人の冒険者が揃っている。共に逃げた佐助は行方知れずとなっているが。
と――
がさりという葉擦れの音がし、はっと冒険者達が顔をあげた。
闇の奥。現れたのは――影一と、その愛犬。苦笑とともに吐息を零した冒険者達であるが、すぐに京一朗は異変に気づく。
ものに動ぜぬはずの影一の顔色が紙のように白く‥‥確か火付けの後、村長の様子を探っていたはずだが――
「何かあったのか?」
問うた。
すると、
「大きな一揆がある。‥‥江戸が危ない」
顔色と同じく白茶けた声音で影一が告げた。