【鬼哭伝・江戸の騒擾】後編 〜人買い〜

■シリーズシナリオ


担当:御言雪乃

対応レベル:1〜5lv

難易度:やや難

成功報酬:5

参加人数:10人

サポート参加人数:5人

冒険期間:02月14日〜02月19日

リプレイ公開日:2006年02月25日

●オープニング

 ぽとり。
 ぼとり。
 だらりと下げた血刀から血雫をしたたらせて、京一朗は戦慄に身を震わせつつ思う。
 もし新吾がわざと斬らねば、この場に屍をさらしていたのは自身であったと。
 刃をかわした感触。我が新陰流、遠く及ばず。
 その人品、剣の冴え、若くして無為に散らせるには、ただひたすらに、惜しい――。
 
 柳は新吾を抱き上げ、よろよろと歩き出す。他の冒険者が眼に入らぬかのように。
 新吾の屍をこのまま晒しておくわけにはいかぬ。
 ――奴らに会う前に‥‥
 死の間際の新吾の言葉。
 そう。
 もっと早く出会えていたら、かけがえのない友となれたかも知れぬ。いや――
 僕にはそんな資格はない。

 また、心も思う。
 これを、どうしたものか。
 天から堕ちた星にも似た煌きをたたえる簪。手にひやりとするそれを、心はじっと見つめる。
 迦陵や信乃、そして七十郎達の首尾がまだわからぬものの、どうやら金狐教の当面の目論みは阻止したようだ。が――
 肝心の朱美の依頼を果たしたことにはならぬ。
 ――せめてお前だけでも帰っておやり。
 心は歩き出した。
 その姿が闇に消えた後も、しばらく。
 しゃりんという小さな鋼の触合う響きが、夜の底で泣いて――。

 足をとめ、雷に撃たれたかのように朱美は振り返った。
 今、誰かの声が‥‥新吾様?
 いや――
 耳を澄ませ、すぐに朱美は苦笑を浮かべた。
 声など聞こえない。どうやら木枯らしを聞き間違えたようだ。
 思いなおし、再び朱美は元向いていた方に身を戻し――
 ぎくりとして、朱美は身を強張らせた。
 眼前に――
 いつの間に現れたものか、巨躯の侍が立っている。月を背に負い陰となっているため人相まではわからぬが、その手の巨大な槍の禍々しさはどうだろう。
 我知らず恐怖を覚え、朱美は後退った。と――
 背にぞくりとする悪寒を覚え、朱美は顔をねじ向けた。
 その先。
 月の光をまともに浴び、総髪の若者が立っている。はっとするほどの端正な面立ちをしているものの、なぜか蛇にまといつかれているような怖気を感じ、
「ひっ」
 朱美は息をひいた。
「娘」
 声を発したのは槍の巨漢だ。
「余計な真似をしてくれたの」
「よ、余計な真似?」
「そうよ。冒険者などを引きずり込みおって。おかげで余興が台無しとなったわ」
「冒険者? ――まさか、新吾様の」
 朱美の眼がかっと見開かれた。すると巨漢の肩がゆらと揺れ――どうやら笑ったようだ。
「ふっ。承知しておるなら話は早い。我らの邪魔をしくさった代価、うぬの命で購ってもらうぞ」
 言葉が終わらぬうち、巨漢の槍がびゅうとうなった。それは流星よりも迅く朱美の胸に疾り――横からのびた手ががっしと槍の柄を掴んだ。
「待て、蔵人」
「九鬼――」
 槍の巨漢――蔵人が総髪の若者――九鬼花舟をじろりとねめつけた。
「何故、とめる」
「ふふ」
 九鬼が嗤った。ぱっと槍を放し、
「ただ殺すだけでは面白うない。それよりも――」
「俺がいただいていこう」
 第三の声が。
 次いで、闇に濡れた影がぼうと浮き上がり――
「美味そうな娘。この銀八がいただいていっても文句はなかろうな」
「かまわぬ。人買いの手におち、どのような生き地獄を味わうか。――いや、文字通りの地獄に堕ちるか」
 云って。
 きゅうと九鬼は口の端をつりあげた。

 魔影の気配が完全に消え去り――
 物陰からすうと立ちあがった影がある。
 朱美に簪を返すべき向かっていたはずの――心だ。
 偶然朱美が襲われるところにゆきあたり、咄嗟に助けようとしたものであるが。心は危うく踏みとどまった。三人の凶人を前にしてはとてものこと勝ち目はない。いや、自身の命を惜しむものではなく――ただ己が倒れれば、誰が朱美の危難を知らせることができるだろうか。
 簪を手に、心は地を蹴った。
 向かうは――冒険者ぎるど!

●今回の参加者

 ea8685 流道 凛(36歳・♀・浪人・人間・ジャパン)
 eb0983 片東沖 苺雅(44歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 eb1817 山城 美雪(31歳・♀・陰陽師・人間・ジャパン)
 eb2408 眞薙 京一朗(38歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 eb2918 所所楽 柳(29歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 eb3273 雷秦公 迦陵(42歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 eb3525 シルフィリア・ユピオーク(30歳・♀・レンジャー・人間・フランク王国)
 eb3534 平山 弥一郎(38歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 eb3773 鬼切 七十郎(43歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 eb3897 桐乃森 心(25歳・♂・忍者・人間・ジャパン)

●サポート参加者

黒崎 流(eb0833)/ 所所楽 林檎(eb1555)/ 玄間 北斗(eb2905)/ フィーネ・オレアリス(eb3529)/ 城山 瑚月(eb3736

●リプレイ本文


「なんと‥‥」
 愕然とし、鬼切七十郎(eb3773)は絶句した。
 すとんと崖かかる橋はずされるような心持ちに、眼を遣ってみれば雷秦公迦陵(eb3273)はただ肩を落としている。
 武器破壊の報せをと向かった冒険者ぎるどの中。たった今、青井新吾の死を、さらには朱美の攫われた事を知った二人である。
「許せないのですよ、ただ‥‥」
 押し殺した声音をもらしたのは片東沖苺雅(eb0983)。心というものを飼いならすことに長けた彼であるが、此度のこと――無辜の女を踏みにじる行いだけは、さすがに理性の手綱が緩みがちになるようで。
「で、その三人は何者なのだ?」
 迦陵が唯一の目撃者である桐乃森心(eb3897)に問うた。すると、心は肩を竦めて見せ、
「今のところはまだ‥‥ただ三人の名と、人相しかわかっておりませぬ」
「いや」
 一人のみは、と声をあげたのは平山弥一郎(eb3534)だ。彼には珍しく、面上の笑みを消し、
「蔵人と申す者、おそらくは――」
 平織虎長暗殺、そして江戸大火。その両大事件の裏に蠢く巨槍使い。直接面体を確かめたわけではないが、その蔵人と名乗る者こそ件の巨槍使いである可能性は高い。
「では銀八は? そのような剣呑な者とともにいるなど、只の人買いとは思えぬが」
「そこまでは‥‥」
 さすがに言葉なく、弥一郎は溜息とともに腕を組む。重い沈黙がごとりと落ち――
 ややあって、寒夜に舞い降りた白鶴のように山城美雪(eb1817)がするすると進み出た。
「朱美様の御名から何ぞ手掛かりが得られるかも知れませぬ故、私が相を観てみましょう」
 美雪が開いたのは呪符の一つ。天数曼荼羅、真眼に問う。
 ややあって瞳の時空を取り戻した美雪の面に不審の翳が過った。
「何が見えたのですか?」
 茶色のもこもこを抱いて身を乗り出した流道凛(ea8685)に、つっと向けた美雪の眼は複雑に揺れて――
「木乃伊、が見えました」
「木乃伊?」
 唇をやや尖らせ、もこもこ――シルフィリア・ユピオーク(eb3525)の愛犬かりんの頭に凛は頤を沈める。
 見えた木乃伊というのはおそらくは朱美であろう。人が木乃伊と変じるのにどれほどの刻がかかるのか良くは知らないけれど、きっととてつもない月日が必要なはず。いったい美雪はどれほど先の未来を観たというのか‥‥
 と、ふと思いついた心が、
「では、銀八についてもお験し願えますか」
「承知しました」
 頷き、再び美雪の心通は時の境を潜り抜けていく。
 そして幾許か後。現人に戻った美雪は落ちつかなげに艶光る髪に指をからませ、その人形めいた綺麗な面に先ほどより深い怪訝の色を滲ませる。
「今度は何が‥‥まさか、また木乃伊じゃないでしょうね」
 揶揄するシルフィリアであるが、すぐにその面が凍りついた。
「ま、まさか‥‥」
「その、まさかです」
「!」
 冒険者達は顔を見合せた。
 朱美が木乃伊と変じている未来の観相はわかる。が、銀八までもが木乃伊とはどういうことだ?
 と――
 暁闇の戸外に向けて、眞薙京一朗(eb2408)が歩み出した。
「どこへ」
 問う凛に、京一朗は背を向けたまま、
「決まっている。朱美を取り戻すのだ」
「取り戻す、と云っても‥‥」
「九鬼と顔見知りと知れた上は、奥州街道筋がくさい。女連れであるから、そう遠くへも行けまい。今から馬をとばせば日中にとらえられるかも知れぬ」
 そしてきりりと唇を噛み、告げる。
「的外れ上等だ。可能性は総て、潰す」
 命と魂、共に救えずして何の冒険者か。護ろうとした者達の一人‥死なせはせん!
 心中に期す京一朗の身に、曙光があかく――。


 凍てついた風が荒ぶ。
 飛び出そうとする所所楽柳(eb2918)の手を、姉の所所楽林檎が掴んで、とめた。
「どこへ行く気?」
「新吾殿の‥‥葬儀へ」
「行ってどうするのです」
「僕は――」
 ぴしゃり。
 柳の頬が鳴った。ついで柳の頬をうった林檎の繊手は翻り、柳の肩を掴む。
「しっかりしなさい。葬儀の手伝いならば私がやります。彼に、これ以上の不幸を報告したくないなら、やるべき事を、やってきなさい。貴方がいつも奏でているのは希望の詩のはずです」
「希望――」
 柳の手がのび――懐に差し込んだ鉄笛ぎゅうと握り締めた。
 
 それからわずか後。
 柳の姿は江戸市中にあった。
 あてがあるわけはなく。いや、あるはずはなく。されど柳はひたすらに朱美の名を口にする。
 それは牽制だ。
 新吾に一番近かった存在。柳が動くとなれば、必ず敵の眼をひくはずである。
 朱美を助ける――希望を掴むために自らの命を的にする。それが柳が見つけたやるべきことであった。


「それはそうと、その人攫いのこと、と云っては何なのですが」
 朱美の行方が知れぬという、顔見知りになった長屋の内儀。ゆるりと、凛は矛先を向ける。
「大火に焼き出され、人買いに縁者を売ってしまった者もいるとか」
「そうさ。この冬越せずに、子供を売っちまった者もたんといるって話だねぇ。現に留さんとこがさぁ」
 寒さとひもじさに耐えかねて、十になる娘を金にかえたという。親にしてみれば、かえってその方が子供のためであると考えてのことらしいが――まさに火宅。現世のそこかしこに血と怨嗟が溢れている。すでにこの世は地獄ではあるまいか。
「それで、その人買いなのですが」
「ああ。久蔵っていう、こんな顔した奴でさあ」
 云って、内儀は指で眼を左右に引っ張り、ついでに鼻を押し上げる。
 笑みを誘われながらも、しかし凛は落胆を禁じえない。
 何人かから聞き及んだ人買いの噂。そこに銀八の名も姿も浮かんではこない。


「――だらしがありませぬなー」
 声が、叱咤した。
 しゃんしゃん、と。
 嬌声と笑い声と、それから得体の知れぬ声が降る柳巷。そこをゆく二つの影。一つは大人で、げっそりとやつれて。もう一つは――これは叱咤の主で、どこかニヤニヤと。
 黒崎流と心の主従である。
「何を云う‥‥」
 流が心を睨みつけた。こっちは店が開いてからすでに三戦交えているのだぞ」
「遊女から人買いの事を訊き出すにはアレをするのが一番。仕方ありませぬー」
「ぬぬう。おのれはただ飯を食ってばかりおって――」
 怒る流であるが。そ知らぬ顔で横向いた心は、歩み寄ってくる苺雅を見とめた。
「どうでありました?」
「いや、なかなかに」
 熟し柿のように赤い顔で、ふうと苺雅は溜息を零す。かなり酒を過ごしたようだ。
「遊郭で女将に銀八のことは尋ねてみたが、知る者は一人も」
「こちらもご同様です」
 声とともに。眼に痛いほど煌びやかな娘が――フィーネ・オレアリスである。
「私も銀八なる人買いの噂を求めましたが、誰一人‥‥」
「おかしいですね」
 苺雅が首を捻った。
 人買いが女を手に入れた場合、十中八九遊郭にたたき売るはずである。しかるに、遊郭で銀八の噂は聞かない。名を変えている可能性はあるが人相風体までは別物とすることはできないはずである。
「あの方も焦っておられるようです」
 云ってフィーネが投げた視線の先――大兵の侍が地回りのヤクザらしき男を締め上げている。
「七十郎さん‥‥すでに三人犠牲になられました」
「あな恐ろしや」
 溜息とともに首振る心。
 それすら気づかず七十郎は次の獲物を求めてヤクザを放り出す。
 義侠塾壱号生、七十郎。
 義侠とは即ち、義に生きること。強きをくじき、弱きを助け――漢だてだ。そして紛れもなく、七十郎は漢であった。


 既知の騎影を見とめ、ほぼ同時に手綱を引き、京一朗と城山瑚月は馬をとめた。
「弥一郎!」
 呼べば、騎手――弥一郎は馬首を返す。
「京一朗殿、そちらの方はいかに?」
「いや――」
 京一朗は力なく頭を振った。
「こちらもです」
 相変わらず弥一郎の応えは流水の如し。何故なら――
 江戸の者を江戸においておくとは考えられず――弥一郎は各街道関所へと向かい、かつ街道沿いの茶店などに簪を見せ朱美目撃の情報を拾い集めたものだが、何れも空振りに終わっている。が、それは文字通りの空ではない。空の反転は満。街道に姿なしということは――
「おそらく、まだ江戸市中に」
「ならば俺は皆に知らせに」
 一声あげて、瑚月が馬腹を蹴った。


 京一朗と弥一郎が出会うより前――
 それは、足下の小石のように転がっていた。

「ちょいと良いかい?」
 割れた暖簾から届く声に、最初煩わしげであった居酒屋の親父も、声の主の見事な肢体を見とめたとたん相好を崩し――女将さんらしき女の罵声が飛ぶが、逆に睨み返す始末。ああ、男って奴は‥‥
「な、何か用かい?」
「ああ。人を探しているんだけどね、こんな人見かけなかったかい?」
「うん?」
 差し出された人相書きを覗き込み、親父は眉を寄せた。
「こいつは――」


 そして、また。
 真実は霹靂のように突然に。

 これもまた京一朗と弥一郎が出会うより前――自身も銀八の人相書きを手に入れた迦陵の姿は奉行所にあった。裏世界で知られた者であるやも知れずと、一縷の望みをかけて訪れたものであるが。
「すまぬ。訊きたいことがあるのだが」
「あん?」
 顔をあげた小者が迦陵を見返し、しかしすぐに転じられ――呼んだ。
「銀八さん」
「なっ――」
 はじかれたように迦陵は振り返った。


 闇に溶け込んでいく迦陵と心の二影を見送りつつ、苺雅は慨嘆する。
「まさか、銀八が下っ引であったとは――」
 吐息が落ちたところは、彼の掌の色染の米粒である。
 経緯は、こうだ。
 奉行所で銀八と遭遇した迦陵は、銀八の正体が下っ引であると知るに及んで奉行所外において監視を開始。と、そこに居酒屋の親父から銀八が下っ引であることを聞き及んだシルフィリアが合流し――迦陵に銀八の尾行を託しひとまずシルフィリアは仲間の元に。その後、迦陵の残した色染米を追って銀八の根城へ、という次第。
「しかし――」
 七十郎は釈然としない眼をあげた。他の冒険者も疑念は同じ。
 その眼前、銀八の潜む屋敷は黒々と闇に沈んでいる。

 廊下にわいた二影――迦陵と隠身の勾玉を握り締めた心は闇と同化しつつ、奥へ進む。玄間北斗から聞いた飯綱の忍びのやり口を胸中にひそめつつ。
 と、異様な臭気に気づき、二人は足をとめた。
 一つの部屋の前。気配のないのを確かめ、迦陵は障子戸を開け――
 凍りついた。
 部屋の中。行灯の光に浮かびあがる丸太のように投げ出されているもの――死体だ。それが幾つも転がっている。
 が、二人の忍びの身を凍結させたものは十数体の死体の存在ではない。
 顔。
 骨に乾きしなびた皮だけが張りついた――ただの死体ではない。木乃伊だ。着物から覗く手足もまた触れただけで砕け散りそうな風情である。
 頭のおかしくなりそうな惨状を前にさしもの二忍も声もない。
 ともかくも、と障子戸を閉めようとし、二人は身を強張らせた。
 声が、する。女のうめき声に似た‥‥
 慌てて隣との境の襖戸をかすかに開き、迦陵は内部を覗き見る。
 幾つもの人影。が、此度は生きて動いている。手足を縛られ、柱にくくりつけられてはいるが。
 そして――
 中に朱美の顔を見出し、迦陵が襖戸を開け放とうとした時。
「やはり鼠が入り込んでおったか」
「!」
 雷に撃たれたように振り返った迦陵と心の眼前、ぞわりと浮き上がった影――
 銀八だ!
「おのれ!」
 咄嗟に身構えたものの、迦陵は無手だ。するすると滑り寄る銀八が鞘走らせた刃に袈裟に斬り下げられ――どんっと心が銀八に身をぶつけた。
 その手には手裏剣。黒光る刃は豆腐を切るように銀八の背を刺し――
「あっ」
 愕然として心は息をひいた。
 確かに手裏剣の鋭利な刃は銀八の背に突き立っている。が皮も肉も裂けず、血も滴ることはない。
 銀八の顔がゆっくりと捻じ曲げられ――
「阿呆が」
 ニンマリと笑う顔が見る間に木乃伊と変じ――脇から通された銀八の刃が心の腹を貫いた。
「人の分際で小癪な真似を――」
 薄ら笑いつつ、血煙噴いて倒れた心に止めを刺すべく銀八はさらに刃を振りかざし――
 刹那、横薙ぎの刃が閃く。
 それは裏口から侵入した七十郎の一閃。夢想流の抜き打ちは刃影すら残さず銀八を薙ぎ払い――銀八の手にがっしと掴まれている。
「俺は斬れぬ」
 くつくつと嗤い――
 次の瞬間、苦鳴をあげつつ銀八が飛び退った。
「人を買う‥理由はどうあれ私はあなたの好きにさせるつもりはないんですよ」
 すすうと、菩薩の笑み、立ちはだかる。その傍らに立つのは月矢の放ち手――美雪である。
「ぬっ」
 銀八は血筋のからみついた眼で弥一郎を、いや彼の手の柊の小柄を睨みつけている。
「ここまでか」
 銀八が行灯を蹴倒した。 広がる油炎はたちまち触手を広げ、今度は弥一郎が飛び退った。
「お、おのれ――」
 せめて新吾の手向けをと、歯軋りする弥一郎。うぬだけは逃さぬと、足踏み出したのは京一朗だ。
 と、その京一朗を苺雅が引きずり戻した。
「危ない! 今は、奴よりも囚われの人々を!」
「くくく。惜しかったの」
 銀八の嘲笑は、すでに躍り狂う炎の彼方に――


「嘘っ!」
「嘘ではない。本当だ」
「でも、どうして‥‥」
 後日。朱美の住まいの前。
 呆然としつつも、朱美は切るような眼差しを投げ――その視線を、正面から京一朗は受けとめている。
「自分の命は惜しい。斬られる前に‥斬り捨てた。それだけだ」
「そんな‥‥助けてって頼んだのに‥‥」
 朱美の頬を涙が伝い――しかし、その面は細くつりあがっていく。
「恨んでやる」
 朱美の口から老婆のような声がもれた。
「お前のような冷血な侍がいたことを、私は忘れない。恨んで恨んで、恨みぬいて生きてやる」
「‥‥よかろう」
 ひっそりと応え返し、京一朗は背を向けた。項垂れてはいるが、しかし京一朗の口辺に小さな微笑がはかれていることに冒険者達は気づいている。
 たとえ理由はどうであろうと、朱美は云った。生きる、と。
 生きてある限り、必ず春はめぐり、日は昇り――いつか朱美の身にも希望の花が舞い降る日が来るに違いない。


 あれは――
 新吾様!?
 と、しか思えぬ後姿を追って朱美は墓地に足をふみいれていた。そして――
 くたりと朱美は身を横たえた。まるで春の日の微睡のように意識は薄くなり――霧を透かすように彼女の耳に声が、そして妙なる笛の音が響く。
 ――心配掛けてすまなかった。ありがとう。幸せになっておくれ。
「新吾‥様‥‥」
 閉じた睫から涙が滲み――寝息をたてる朱美の髪に柳の返した簪が。
 そして――
 小さな影が残した簪がきらりと光っている。
 鋼にとりつけられた飾りの真珠は新吾のように無垢で優しく――。
 
 手向けの花代わり。
 とどいておくれ、君の魂に――
 卒塔婆の前で、さわさわと風に吹かれつつ一人の侍が笛を奏でている。
 万感の想いを込めて。
 友よ、と。
 柳の笛は、哭く。