【鬼哭伝・江戸の騒擾】中篇 〜龍脈暴走〜
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■シリーズシナリオ
担当:御言雪乃
対応レベル:1〜5lv
難易度:難しい
成功報酬:5
参加人数:10人
サポート参加人数:7人
冒険期間:01月29日〜02月01日
リプレイ公開日:2006年02月06日
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●オープニング
呼びとめる声に、その陰陽師然とした男は立ち止まった。
背を向けたまま。身動ぎひとつない。
その様子にじれたか、呼びとめた主が再び声をあげた。
「こちらを向け」
「‥‥」
黙したまま、しかし口辺に嘲笑を滲ませ、男が振り返った。
やや吊りあがった眼と細い鼻梁。端正といえなくもないが、それよりも――
ぞくりと肌をそそけだたせるような、その眼はどうだろう。まるで毒蛇の顎をのぞきこんだような‥‥
はっと声の主が我に返ったのは、陰陽師然とした男の、何か用かという問いが発せられた刹那であった。
「裕福そうだな。――懐のもの、おいていってもらおうか」
「ほお」
男の眼の光が強まった。
「辻斬りか」
「そうだ。――おとなしく金をおいてゆけば命まではとらぬ」
「ふふ」
この場合、さして恐れるふうもなく陰陽師然とした男が笑った。
「何が可笑しい?」
「いや。――辻斬り物取りなどという、下衆な真似が似合わぬ御仁とお見受けしたゆえ」
「うぬに何がわかる」
ぎり、と。声の主が歯を軋らせた。
「下衆だろうと何だろうと、誰かが泥をすすらねば救えぬものがあるのだ」
「辻斬りごときで――」
くつくつと陰陽師然とした男が嗤った。
「どれほどのものが救えるというのか‥‥」
「黙れ!」
叫び、声の主の手が刀の柄にかかった。ぞわりと殺気が膨れ上がり、陰陽師然とした男の髪が風をうけたようになびく。
「もはや問答無用。金をおいてゆけ。さもなくば斬る」
「せっかちな。‥‥急いては事を仕損じると、などというではないか」
「ほざけ」
声の主が刃を鞘走らせた。
銀光一閃。流星よりも迅い横殴りの一撃は、陰陽師然とした男の胴を薙ぎ――いや、空をうった。刃風の外――わずかに身をずらしたのみで、陰陽師然とした男は間合いの圏外に逃れている。
「やるな!」
声の主が刃を八双にかまえなおした。が、すぐさま次の斬撃にはうつらない。
今の一刀をかわしてのけた身のこなし。常人とは思えない。
「うぬ、ただの法師ではないな」
「そちらこそ」
陰陽師然とした男が、ちらりと声の主のもつ野太刀に眼をとめ、
「中条流の業の冴えといい、眼光の鋭さといい――ただの辻斬りで終わるには勿体無うござるなぁ、青井新吾殿」
「なにっ」
うめき、しかし声の主――青井新吾は刃をおろした。
己の刃をかわしてのけた技量のみならず、己のことを承知しているという事実そのものにうたれ、下手に逆らうことの無意味さを悟ったのだ。眼前の男ならば、すべてを読み取って手をうっているに違いない。
「ふん」
新吾は自嘲ぎみに刃を鞘におさめた。
「で、どうするつもりだ。番所に知らせるか」
「役人など‥‥。下賎な役人に引き渡すには新吾殿は勿体無いお方にござる。そう、新吾殿はことは承知してござった。大火に焼き出された者達から人望あるお方と。なんでも難民の方々に救いの手を差し伸べられておられそうな。宗徒の者より聞き及んでござる」
「宗徒?」
「左様。金狐教と申す」
「金狐‥‥!」
新吾の眼がわずかに見開かれた。
金狐教。聞いたことが。――どころではない。難民の間に潮が満ちるように、静かに広まり出している宗教だ。確か九つ様なる救い手が末世のジャパンを救うという――
「ならば、この俺をどうするつもりだ」
「どうするつもりもござらん。いや、むしろしていただきたいのでござる」
「俺に? 何を」
「云うまでもない。今まで通り、民人を救っていただきたい」
「ほお」
新吾が口をゆがめた。
「辻斬りを続けろと云うか」
「いや」
陰陽師然とした男が小さく頭を振った。その眼の奥に鬼火のごとき蒼い光が燃え出してきたようだ。
「辻斬りなどは誰にでもできること。そのようなことではなく、新吾殿でなくばできぬことをしていただきたい」「俺でなくば――何だ、それは」
喘鳴のような声で新吾が問うた。すでにこの時、陰陽師然とした男の術中にはまっていることに彼自身は気づいてはいない。
陰陽師然とした男はじらすようにわざと一息おいて、
「蜂起していただきたい。新吾殿が盟主とならば、塗炭の苦しみに喘ぐ江戸の民人も従うでござろう。すでに根回しはすんでござる」
云った。
その一瞬後、ぼうと闇の彼方に二つの人影が現出した。暗くてよくはわからぬが、巫女と大兵の武士であるらしい。
「珠と城戸弥左衛門と申す。この者どもと新吾殿がまず火の手をあげ、それを合図として金狐教宗徒と難民の方々が蜂起するという寸法。一度火がつけば燎原の火の如く、たちまち叛乱の焔は江戸を焼きつくすことでござろう。が、まあ此度焼き尽くされるは源徳の方でござるがな」
「馬鹿な」
新吾が一笑にふした。
「ここは江戸ぞ。俺が蜂起ったとて、どれほどの者が従うかわからぬ上に、よしんば人が集まったとて、源徳支配のこの地では竜車に刃向かう蟷螂の斧――」
「左様かな」
陰陽師然とした男の口が鎌のように吊りあがった。
「近日中に九つ様の天罰が下される。その怒りは地の龍を斬り裂き、霊峰富士を燃え立たせ、このジャパンそのものを揺れ動かすことになる。その期を狙えば――」
「うっ」
新吾が息をひいた。
今、この男はなんと云った? 富士が燃えると? ジャパンそのものが揺れ動くと?
誇大妄想に等しい言辞だが、しかし笑い飛ばせぬ迫力が眼前の男には、ある。
震える声で新吾が問うた。
「お、お前は、いったい何者なのだ?」
「葛葉幻妖斎」
陰陽師然とした男――幻妖斎が応えた。
葛葉幻妖斎と青井新吾を見下ろす屋根の上に、すうと二つの人影が浮かびあがった。
ひとつは巨大な槍を携え、ひとつは学者風の身なりをしている。
「彼奴、何者だ? 始末するか?」
「待て、蔵人」
学者風の人影が槍持つ影――蔵人を制した。
「放っておいた方が面白くなりそうだ。上手くいけば、大火以来の地獄が見られるかも知れぬ」
云って、学者風の影――九鬼花舟はニンマリと笑った。
●リプレイ本文
流れ星、ひとすじ。
凍る夜空を、ゆく。
●
「柳!」
呼ばれ、所所楽柳(eb2918)は顔をあげた。
彼女の眼前――被災者をかきわけるように走り寄ってくるのは青井新吾だ。
「どうしたのだ、しばらく姿を見せないで」
「すまない」
柳はやや強張った笑みを返した。
「考えたいことがあってな。――新吾殿」
「なんだ?」
「聞いてほしいことがある」
●
「さて、朱美様のためにも青井様が何をされているのか突き止めねばなりませんね」
やや顎をそらし、そう山城美雪(eb1817)が言葉をもらしたのは柳が新吾と再会する少し前のことである。
「そのことだが‥‥」
重い口を開いたのは眞薙京一朗(eb2408)だ。
「おそらく青井新吾は辻斬りを行っている」
「!」
冒険者達は顔を見合せた。
と、此度からこの一件にかかわっている秋沢信乃(eb3982)が僅かに柳眉をひそめ、
「しかし浪人が大量の金子を所持しているのはおかしな事ではあるが、あり得ぬ事ではないぞ」
「では、これはどうだ」
京一朗がちらと木賊真崎を見遣った。
「真崎は新吾と同様の中条流を使う。そして――」
「辻斬りも、な」
乾いた声音で真崎が告げた。
「では、やはり――」
哀しげに、流道凛(ea8685)が長い睫を伏せた。
新吾が辻斬りであるという真実はどれだけの人を悲しませることになるか。その事に想到する時、さしもものに動じぬ彼女も続けるべき言葉をもたない。
たった一人――それまで寝転がって眼を閉じていた桐乃森心(eb3897)が、ぽつりと。
「朱美さん、可哀想だな〜」
横になったまま、依頼料である簪を見つめる。最後の最後まで朱美が手放さなかった品だ。
「心、眠っているのかと思ったぞ」
「寝てなんかないよ〜」
苦笑する黒崎流に心はふくれて見せる。情報すりあわせの前半部は居眠っていたのだが。それは――秘密だ!
「――したがこの一件、このままではすまぬかも知れません」
すうっと平山弥一郎(eb3534)が眼を開けた。そして続ける。新吾に接触する狐坂陣内――それに繋がる飯綱衆と金狐教のことを。
「その金狐教のことですが――」
九尾がからんでいる――ともらしたのは片桐惣助だ。所所楽石榴も肯首し、告げる。龍脈を断ち、富士を噴火させ、ジャパンそのものを沈没せしめるとい大妖九尾の陰謀を。
ややあって、それにしてもと喉にからまる声を押したのは鬼切七十郎(eb3773)だ。
「新吾と金狐野郎が接触したっってことは、必ずなんか仕掛けてくるのぉ。いったい江戸で何を‥‥」
「それでは私が占ってみましょう」
云って、ひゅるると美雪は呪符を翻した。
そして印を組むこと数瞬――空温が白く、また黒く。やがて美雪が眼を開いた。
「どうだった?」
興味津々といった態で問うシルフィリア・ユピオーク(eb3525)であるが、この時彼女の眼は、美雪のそれの奥に揺らめく恐怖に近い色を見とめている。
「な、何を見たの?」
「――青井様が、混乱の中で剣をふるっておられました」
「なにっ?」
雷秦公迦陵(eb3273)の血色の瞳が煌いた。
「その混乱とは?」
「‥‥」
美雪は頭を振った。 フォーノリッヂなる呪法は未来の数瞬を垣間見せることを可能とするだけで、その意味まで読み解いてはくれない。
その時、伊珪小弥太がニヤリとしてみせた。
「俺もそいつが何だかわからねえが、時期だけは推察できっぜ」
「おお、さすがは義侠塾弐号生殿」
義侠塾壱号生――七十郎が身を乗り出した。
「して、その刻とは」
「九尾が龍脈斬りを行う刻限さ」
続いて述べられる具体的な日時。皆まで聞かず、かっと弥一郎は眼を見開いた。
「拙い。もはや刻がない」
うめく弥一郎の視線がはしり、柳が立ちあがった。その手を、姉の所所楽林檎がそっと握り締める。
「‥‥独り乗り込む気概は認めます‥でも、無理はしないように‥‥」
「わかってる。でもとめなきゃならない。」
応える柳の眼は昏く翳っていた。
●
「‥あの後、どうすべきか考えていた。一人で立ち上がるには、僕は微力すぎるからな。そして遂に答を見つけた」
一気に。迷いの響きが混じらぬうちに柳は云った。
「共に歩ませてくれないか?」
「柳――」
手をさしのべかけて、しかし新吾は顔をそむけた。
「――い、いや、だめだ」
「何故――」
問おうとして、すぐに柳は項垂れた。
「そうか。やはり僕ごときでは信用してもらえないか」
「そうじゃない!」
半ば叫ぶように。そして、針を呑んだかのように新吾は顔をゆがめる。
「俺は‥‥」
「いや」
片手をあげ、柳は新吾を制した。
「かえって迷惑をかけたようだ。この話は忘れてくれ」
「待て」
踵を返した柳の手を新吾がしっかと掴んだ。
「お前に話したいことがある」
●
「――それは真実!?」
さすがに愕然とする凛に、はい、と美雪は頷いて見せた。
「暴動の計画があると所所楽様が」
新吾と接触を果たした柳との心話。揺れ動き、かなり雑念も混じってはいたが、間違いない。傍らの真っ黒で襤褸布をまとった巨漢も同意する。
「妖怪泥田坊?」
ではない。眼をぱちくりさせた心が見つめる巨漢は――被災民に紛れ込むため、煤を顔になすりつけた上に襤褸を身につけた七十郎だ。
一応、誰がだ、という突っ込みをいれてから、彼は続ける。被災民の中にも不穏な噂があると。
「やはり――」
深い溜息とともに弥一郎は腕を組んだ。
「憂える日々の暮らし、不安材料の多い今現状の打破という甘い蜜は飢えた民衆にとって魅力的。信頼する青井氏からの言葉であればそれが暴動という行為であっても正当化されたものとなりえましょう。金狐教はそこをついたものと思います」
「そういえば――」
何かを探るかのように、つっと迦陵が遠くを見た。
「思うところがあって、今日半日、武器の流通について調べていたのだが‥‥大量の武器を買い入れようとしている者がいるぞ」
「なるほど」
ぎらと、弥一郎の眼が光った。
「迦陵殿のおかげで暴動の裏がとれた。ならば、あとはその武器買いつけの主を探し出すだけです」
「よし」
風をまいて――
ぎるどを飛び出した影は四つあった。
●
ビシリッ、と。
そろそろとのびた手をはたいたのは四影のうちの一つ――シルフィリアだ。
「おいたはお仕事の話がまとまってからって云ったでしょう」
酔客を振り払い、シルフィリアは酒場を後にした。酒場を巡り武器の商売をもちかけてはみたものの、そう簡単に敵は釣れぬようだ。
と――
「娘さん」
「えっ――」
振り返ったシルフィリアの眼前――小間物の行商人らしき男が立っている。
「あたいに、何か用?」
「へえ」
男がニッと笑った。
「先ほど話しておられた武器のことですが」
「ああ。欧州の良質な武具があるよ」
応えると、シルフィリアは馬の背に乗せた針鞭などの武器を示して見せた。
「いるんなら仕入れてくるけど‥‥あんたが買うの?」
「いえ、私ではございません。さるお武家様が」
「ふーん。で、どれくらい?」
「へえ」
含み笑って男が告げた数は百をはるかに上回る。
「だめだよ、そんなにたくさんじゃ。すぐには無理だよ」
「そうですか‥‥」
あからさまに落胆の色を浮かべ、男は、またの機会にと云いおいて背を向けた。後を追おうとし、しかしシルフィリアは踏み出しかけた足を危うくとめた。
もしこの男が飯綱の忍びであれば、とてものこと一人ではかなわない――
が――
シルフィリアとは逆に、男を追って行った者がいる。
それは四影のうちの一人――凛。
彼女は武器を扱う商人を巡り調べていたのであるが。その過程で金まわりの良くなった商人のことを聞き及んだものの、当然というべか商人が取引相手のことをもらすわけもなく。ただ買い手の人相が弥一郎から聞いていた狐坂陣内に酷似していたことをつきとめたのみであった。
また荷も運び出されたのは夜であったらしく目撃者も少なく――蕎麦の屋台などの目撃点をなんとか繋いでいくうちに、彼女はゆきあたったのだ。道を急ぐ当の陣内らしき男に。
そして後を尾行けて来たものであるが――驚いた。なんと陣内はシルフィリアに接触しているではないか。
そして、幾許か。
気づけば、灯りの数はまばらとなり。そして、やおら――
ぴたりと陣内の足がとまった。一瞬後、振り向いた陣内の刃のような視線が空を薙ぎ――慌てて凛は物陰に身を伏せた。
やはり追尾の技能のない身では尾行は困難か――
熱泥のような悔恨が胸を灼いたが、もはや後の祭り。唇を噛む凛の元に、するすると陣内が歩み寄り――またもや陣内の足がとまった。
何故なら――この時、彼の耳は男女の睦み会う声音をとらえている。
――いや、こんなところで。
――いいじゃねえか。誰も来ねえよ。
ちっと舌打ちの音響かせて、陣内は元の歩みに戻った。凛が物陰から身を起こしたのは陣内の気配が完全に消え去った後のことである。
助かった。でも何だか空しい‥‥
声色の主――凛はがっくりと肩を落した。
●
暖をとるための、あるいは煮炊きのための焚き火が、まるで夜の海にたゆたう漁り火のように――
その中の一つ。
そこは賑やかだ。
大枚十両をかけての大盤振る舞い。そして、それを振舞うのはふるいつきたくなるほど魅惑的な美女。人が集まらぬはずがない。
「慌てないで。食べ物はまだまだあるわ。それより――」
美女が叫ぶ。聞いてほしいことがあると。
末法の情勢を作りて、民衆に不信の種を撒き
人望在りし憂国の士を民人の為と誑かし、天罰とし暴動を唆す
人々を掌の上で踊らせ、嘲笑うは魔物達
民人は、偽りの救いの元で殺戮に酔い、罪を重ね、憂国の士は拭えぬ大罪を負う
これが、あたいがパリで経験した事――哀切たる語調でシルフィリアが語り終えた時、人々は飯を口に運ぶ事も忘れ、声もない。
すると炊き出しを手伝っていた凛もまた。
「そうです。天網恢恢疎にして漏らさず――すべてはお上の知るところですから」
「待て」
声が。
はじかれたように振り向いたシルフィリアと凛の前で、青井新吾がうっそりと佇んでいた。
ここか――
闇に沈み。迦陵と信乃が顔を見合せた。
凛より聞いた陣内が立ち去ったという方向。そちらに武器が隠せそうなところはないかと捜索したところ――あった。無住の破れ寺が。
かなり大きなものであるらしく、そこに最近巫女が住みついたという。寺に巫女とは可笑しい、と近辺の者達は笑いあったらしいが。
「では、やるか」
信乃が立ちあがり、寺の門を叩いた。
「誰か、おらぬか」
応えはない。
今度はさらに強く、二度叩く。すると――
ぎぃと木戸が開き、女が顔を覗かせた。眼が細く吊り上がった、いやに肌の白い女だ。身なりから巫女とわかる。
「何か」
「道に迷った」
巫女を押しのけるようにして信乃が中に入り込んだ。と――
ぬうと、その眼前に立ち塞がった者がいる。大兵の武士だ。のみならず、その背後に町衆らしき初老の男の顔も見える。
「すまぬ。水をいただけぬか」
「邪魔だ。いねい」
武士の手がそろそろと腰のものにのび――
●
焚き火のゆらめきは遠く。
新吾が振り返り、よく光る眼を凛とシルフィリアにすえた。
「先ほど申していたこと‥‥俺が事か?」
「いえ――」
「その通りです」
応えかけた凛を遮るように。影に濡れながら心が歩み出した。
「お前は――」
「冒険者です」
名乗りをあげ、ついで心は簪をわざとらしく振って見せた。
「それは――」
「依頼主は安全の為明かせませぬが‥可愛らしい方で御座いますよ。その方のお頼みで、あなたにお話したいことが」
「話したい、こと?」
「はい」
応える心の笑みが鋭く尖ったようだ。
「こう見えてボクも忍びで‥それなりに情報通で御座いまして」
「ほお。何を知っているというのだ」
「傾国の大妖――金狐の宗徒には新田や真田の反源徳勢力も絡み、暗躍して居る様で御座いますね。近々、富士にて大乱を為す計画も実行に移されるとか」
「!」
新吾が息をひいた。
「きさま、それをどうして‥‥」
「それだけではない」
つつうと闇を割って現れたのは京一朗だ。
「貴殿はご存知であるまい、金狐教のやり口を。自身は表に出ず、弱者を操り踏み台にするのが奴等の手。そのような者どもの甘言に乗れば救うべき者達を無駄死にに導くのみ。其れが真に貴殿の望む志なのか」
「何故――」
ぎりっと歯を軋らせ、新吾が心を睨みつけた。
「何故、うぬら、それほど承知している‥‥まさか!」
雷にうたれたかのように新吾が顔をねじむけた。その先で――柳が苦悶にゆがむ顔をそむけた。
音もなく舞い降り――
見張りが眠りこけたのを確かめると、朧の影は床を滑るように疾り、並べられた幾つもの長持ちに近寄っっていった。張り巡らせた五感の糸にかかる不審の気配はない。どうやら信乃の牽制が効いたようだ。
ほくそ笑むと影――迦陵は長持ちを開けた。
「当たりだ」
びゅうと空が灼き切り、刃が疾った。
武士の抜き打ちの一刀。咄嗟に左手の十手で受けとめ得たのは陸奥流なればこそか。が――
そこまでだ。技量は武士の方が上。十手をはずした場合に襲い来る第二撃をかわしうるか、どうか。
凍結する信乃の背に、その時巫女が襲いかかった。くわっと牙をむき、化け狐たる本性をあらわして。
刹那――
血がしぶき、驟雨のように地をうちならした。
真紅の狭霧の中、首を断ちきられた化け狐は地に転がり、迅雷の剣の奮い手はただ寂と立ち――
「ふん」
金狐教宗徒の指導者らしき町衆のあとを尾行けて来た七十郎――鬼切の姓をもつ浪人はニヤリとした。
「おい」
呼ばれ、討ち果たした武士と町衆の男から七十郎と信乃は眼をあげた。
「迦陵か‥‥そちらの首尾は?」
まだ荒い息をつきつつ七十郎が問えば、迦陵は面倒臭げに肩を竦めて見せる。
「数が多すぎる。壊すのを手伝え」
●
「柳――貴様、裏切ったのか」
「僕は――」
柳は声をつまらせた。今更云い訳などしたくはない。代わりに口を開いたのはシルフィリアだ。
「待って、柳は悪くないよ。彼女は云ってた、あんたは良い器をしているって。柳はただ、あんたに正しい手段で人生を奏でて欲しいって思っただけ――」
「問答無用!」
絶叫し、新吾が抜刀した。
対する柳はすでに鉄笛を手にしてはいるものの、だらりと身体の脇に下げたままだ。
「待て。あなたのことを思いやっている被災者もいるんだ」
「黙れ!」
弥一郎に叫び返し、新吾は柳に殺到する。その前に、すすうと京一朗が進み出た。
中条流との真っ向勝負は不利とは承知している。しかし――
轟、と。
中条流の剣が唸り――
煌、と。
新陰流の刃が閃き――
どう、と新吾が崩折れた。
「貴殿、わざと――」
京一朗がうめき――その身ををおしのけるようして、柳が新吾に駆け寄った。
「新吾殿――」
「奴らに会う前に‥‥お前に会いたかった」
微かに微笑い――
新吾は逝った。