【この子の七つのお祝いに】後編

■シリーズシナリオ


担当:御言雪乃

対応レベル:2〜6lv

難易度:やや難

成功報酬:2 G 3 C

参加人数:8人

サポート参加人数:2人

冒険期間:04月21日〜04月26日

リプレイ公開日:2006年05月04日

●オープニング

 同心拝領地所内に立てられた長屋の奥。
 同心屋敷の門をくぐるなり、岡田源太郎は異変に気づいた。
 普段はもれているはずの暖かな灯りがない。おまけに山中の孤家のようにしんと静まっている。
 さらに――
 むっとする濃い血臭。たち込める空気には死の気配が充満していた。
 愕然とし、源太郎は慌てて屋敷に駆け込んだ。
「勢津! 多恵!」
 大声で呼ぶ。妻と娘の名を。しかし応えはない。
 焦りをおびた彼の声は悲鳴に近くなり――居間の戸を開け放つなり、源太郎の身が凍りついた。
 真紅。
 視界を染める戦慄の色彩。――血の海だ。
 その中に唯一対照的な白瓏たる影が横たわっている。
「勢‥‥勢津‥‥」
 世界が反転しそうになる目眩にたえ、骨の抜けたような足取りで源太郎は白影――勢津に歩みより、抱き起こした。そして気づいた。勢津の身の下に六歳になる娘の多恵もまた横たわっていたことに。
「勢津!」
 絶叫し、源太郎は妻を揺り動かした。
 が、勢津の首も手も力なく揺れるばかりで――すでに息絶えていることは明白だ。のみならずはだけた胸元、乱れた裾――辱めを受けたに違いない。苦悶にゆがんだ死に顔が妻の無念さを物語っている。
「な‥‥」
 息をつまらせ、源太郎は壊れた人形のように横たわっている多恵に震える指をのばした。
 血がこびりついてはいるが、眼を閉じた多恵はまるで眠っているかのようだ。しかしその身は路傍の小石のように冷たく――もはや二度と笑うことも泣くこともない。
「だ、誰がこのようなことを‥‥」
 源太郎の口から老人のようにしわがれた声がもれた。
 その時――
 吹きつける殺気を感得し、反射的に源太郎は振り返った。
 刹那、疾る。白光が。
 刀の柄に手をかけただけの源太郎に抗する術はなく、袈裟に斬られた彼は血煙をあげつつ倒れ伏した。
「やったか?」
「ああ」
 声がふたつ。
 ぬめりとした血溜まりに頬をべったりと濡らし、源太郎は降ってくるそれを聞いた。
 何者か。うっすらと見えるのは顔のみで正体は判然とはしないが、おそらく此奴らが妻と娘の命を奪った凶賊どもであろう。
 歯軋りし、しかし源太郎には身動きもならぬ。のみか意識すらも闇にのまれつつある。
 その源太郎を嘲るように、声が――。
「とどめは刺すなよ。こいつがじっくり死の恐怖を味わうというのがご隠居の望みだからな」
「わかっている」
「何がわかっているだ。娘は攫ってこいとのことだったのに殺しおって」
「けっ。ちょこまかと逃げようとするからだ」
 ご隠居?
 かすれゆく意識の片隅に、その言葉が明滅した。
 が、わずかに浮かんだ疑念も、底無し沼のような暗黒に引きずり込まれ――
 やがて埋没し、消えた。

 賊の残虐な意図。
 それが結果として源太郎を救った。とどめを刺されなかったことが幸いし、偶然にも立ち寄った岡引の治平により彼は一命をとりとめたのである。
 瀕死の状態でありながら、源太郎は凶賊の正体を大関屋久兵衛の手の者だと訴えた。押し込みに入った孫を斬られた意趣返しであると。
 が、奉行所は証拠がないととりあげることはなく――
 やがて八丁堀から岡田源太郎の姿が消えた。

 そして刻は流れ――

 茶色の染みの浮いた守り袋を握りしめ、孤影は寂然と星を見上げていた。
「旦那」
「治平か――」
 旦那と呼ばれた孤影――岡田源太郎が振り向くと、そこに炯とした眼光の男が立っている。長い顔に厚い唇。どこか剽げた面相の――岡引、治平である。
「どうしなすったんで、こんな夜更けに」
「いや‥‥多恵のことを思い出していたのだ」
「あっ」
 治平が水滴を吹きつけられたように眼を見開いた。
「そういや多恵様は‥‥」
「ああ。生きておれば今月で七つになっていただろう」
 こたえ、源太郎は睫を伏せた。治平に至っては声もない。
「ところで――」
 源太郎が眼をあげた。
「久兵衛の様子はどうだ?」
「へい。相変わらず別宅にすっこんだままで。その上冒険者とやらも雇ったらしく」
「冒険者か」
 源太郎が唇を噛んだ。
「厄介な奴らが現れたものだ」
「どうしやす。手を引きやすか?」
「馬鹿な」
 源太郎が吐き捨てた。
「下手人の一人は始末した。残るは江川左衛門と久兵衛のみ。多恵の生まれた日、必ずやその墓前に彼奴らの首を供えてやるのだ」

●今回の参加者

 ea8685 流道 凛(36歳・♀・浪人・人間・ジャパン)
 eb2918 所所楽 柳(29歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 eb3273 雷秦公 迦陵(42歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 eb3513 蛟 清十郎(26歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 eb3534 平山 弥一郎(38歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 eb3736 城山 瑚月(35歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 eb3886 糺 空(22歳・♂・僧侶・人間・ジャパン)
 eb4634 鎖堂 一(56歳・♂・浪人・人間・ジャパン)

●サポート参加者

風守 嵐(ea0541)/ 片桐 惣助(ea6649

●リプレイ本文


 冒険者ぎるどの奥。借りた一室に、ひそと七つの影がたゆたっている。
 その影のひとつ。
 少女と見紛うばかりの美童が項垂れている。
 糺空(eb3886)。
 先ほど、久兵衛からうけた不埒な所業について告白を終えたところだ。それに加え、すでにこの時、他の冒険者は雷秦公迦陵(eb3273)が読み取った岡田源太郎なる人物についてある程度の情報は耳にしている。
 そっと所所楽柳(eb2918)は空の細い胴に手をまわした。
 何があっても、空は空だ。そう理解している。どんな空でも受け入れる、と。空の望む以上のことをしない――その誓いを大切にしてきた柳である。
 と――
 一人。鎖堂一(eb4634)が閉じたままの眼をあげた。
「‥‥やはりあの爺、真っ黒だったな」
 陰惨ともとれる声音で呟く。
 ちらと気遣わしげに空と一の顔を見比べたのは流道凛(ea8685)である。
 空が受けた辱め。その耐え難い屈辱は女である彼女には良くわかる。もし一がその場に居合わさなければどうなっていたか。今更ながら総毛だつ思いだ。
「幾つかの瓦版屋を巡ってみたのですが、やはり岡田源太郎一家の危難は真実のようです。他にも幾つかの一家皆殺しがあり、そのうちの数件については幼児の姿だけが見えなかったということもあったようです」「幼児、の?」
「ええ。大関屋との関係までは掴めてはいませんが、久兵衛の所業をみるに、おそらくは‥‥」
「私は」
 突然口を開いたは平山弥一郎(eb3534)という侍だ。いつもは菩薩のように微笑んでいるのだが、今、薄く開いた彼の眼には鬼火の如き光が揺れている。
「奇麗事で世の中渡っていけるわけじゃありませんが、腐ったものを知ってしまった以上放置できるほどものぐさでもないんでね。それに何より」
 糺への所業、それはひいては冒険者への侮辱だ。許すわけにはいかない。
 やるつもりです、と弥一郎は云った。
「しかし相手は奉行所すら黙らせる札差。そう簡単にはいかぬでしょう」
「関係ねえな」
 軋るような声でこたえ、城山瑚月(eb3736)を見返したのは雷秦公迦陵(eb3273)だ。
「あの狸爺が誰を殺そうと知らんが、俺には唯一許す事が出来ない事があるんでね」
 云って、迦陵はぎゅうと拳を握りしめた。その拳の中――
 余人は知らぬが、その掌にはざっくりとのこる傷痕がある。
 空が危難に遭うた時、彼は必死になって飛び出そうとする己を抑えつけた。傷は、その際に自らの指でつけたものであり――いわば忍びとしての勲章でもあるのだが、同時に、彼は大切なものを奪われた。此度は何としてもそれを奪い返さねばならない。
 迦陵は瑚月を見つめたまま、
「えらく落ちついているが、城山はどうするつもりだ」
「俺ですか?」
 微動だにせず瑚月が問い返した。そしてすぐに、
「余計な心配はせぬが利口とかぬかしていたが‥探られて痛い腹を気取らせて感じぬ高慢ぶり、気にいりれませんね」
「じゃあ、俺は」
 よいしょとばかりに一が立ちあがった。
「帰らせてもらうぜ」
 数歩行きかけて、しかし一はぴたと足をとめた。彼は今、背に灼けつくような弥一郎の剣気を感じとっている。
 ややあって、心配はいらん、と一が告げた。
「こちらのことは漏らさん。相手も情報を出さなかったんだから、それでおあいこだ」


 一人。ぎるどに寄らず、蛟清十郎(eb3513)は奉行所にむかっていた。
 時として、彼の意固地なまでの真っ直ぐな性分は、彼自身をして孤独の道に追いやることがあった。此度も独断での行動だ。御守衆風の長である風守嵐もその点を心配し、
 ――水は有形にして無。型に拘るな。
 と注意を与えたものだが、清十郎に従うつもりはないらしい。むしろもうひとつの忠告、
 ――迷ったなら己の信念に基づいて行動しろ。
 そちらの方を胸にひめているようで。
「あなたが治平さんですか」
「そうで」
 頷くと、炯とした眼光の男が清十郎の氷蒼色の瞳を見返した。
「お前さんは?」
「蛟清十郎。冒険者です」
 こたえつつ、その時すでに彼は気づいている。
 凛が出会ったという不可思議な男。その特徴的な面相は眼前の岡引、治平に酷似している。
「岡田源太郎のことで聞きたいことがあります」
「岡田‥‥」
 そこから治平が語り出したのは、他の仲間が探り出した通りの内容だ。
「同心長屋から姿を消して、それっきりでさあ」
「ほお」
 清十郎の片眉があがった。治平が知らぬはずはないと見込んでいるが、今は問い詰める矛先がない。


「僕がいく」
 久兵衛宅の勝手から茶飲みののった盆を受け取ると、空はよたよたと歩き出した。すっと柳が側に寄り添いながら、
「大丈夫か、空?」
「うん。用心棒のおじさんのところだから」
 子犬のように笑う。が、その心底はいかばかりであろうか。
 でも、と空は身の震えを抑えている。
 ――大火で死んじゃった父様や母様みたいに僕を優しく守ってくれる‥柳お姉ちゃんが大好き。そのお姉ちゃんに心配をかけぬように。いつか僕が守ることができるように――強くならなくちゃ!
 その想いが伝わったかのように、柳が空の肩をそっと抱いた。
 ――もう側を離れたりはしない。あの時も、僕がついていれば空が傷つくことはなかった。それなのに‥‥

 茶をおいて立ち去った空と柳を苦い顔をして見送る江川左衛門に、ニンマリと笑いかけたのは一である。
「そんなものより」
 一は左衛門の前に一升徳利をどんとおいた。
「あんたらにはこっちの方が良いだろう」
「話がわかる」
 左衛門が顎をしゃくった。すると他の用心棒達が茶飲みを片手に手酌をはじめだし――自身も酒を舐めながら、左衛門が一に眼をむけた。
「おぬし、同じ冒険者でありながら、他の者とはどこか違うな」
「はっ」
 一が嗤った。
「俺は奴らと違って情に絆されたりしねえからな。それより――」
 一はつっと閉じた眼をあげた。
「あんた、女子供を斬ったことがあるかい?」
「なにっ?」
 左衛門の声が一瞬尖った。が、すぐに平静を装い、左衛門が問い返す。
「何故、そのようなことを訊く?」
「臭いさ」
 こたえ、一は人差し指で己の鼻をつついた。
「あんたからは女子供の血の臭いがぷんぷん臭ってくる」


「御隠居殿に怨みを持つ者が居る様です」
 突然来室し、告げる瑚月の言葉に、さすがに久兵衛はわずかに身動ぎした。そしてじろりとねめつけ、
「儂に?」
「左様。岡田という名にお心当たりは‥?」
「!」
 久兵衛が息をひいた。しかし、それも一息――
「知らん」
「左様か‥‥何か御隠居殿に逆恨みらしき思いを抱いていると聞き及んだもので、もしやと思ったのですが」
 落胆したように俯き――しかし内心、瑚月はほくそ笑んでいる。知らぬと云った以上、これで迂闊に岡田源太郎を襲撃することはかなうまい。それに――
 瑚月はちらりと天井に視線を走らせた。
 同じ忍び故わかる。迦陵ならば必ずや潜み、成り行きを見守っているはずだ。

 瑚月が去ると同時に、別の襖戸が開いた。
 ゆらり、入ってきたのは左衛門だ。
「久兵衛殿、拙いことになりましたな。まさか岡田のことを知られようとは‥‥ここは冒険者とやら、放逐してはいかがでござる」
「馬鹿な。今更放逐などできようものかよ」
「したが、このままでは」
「まあよい。所詮冒険者風情には事の真相などはわからぬわ」
 口の端をゆがめ、久兵衛が嘲笑った。


翌日のことだ。
「またおぬしか」
「いや」
 ごちる同心の前、弥一郎はひらと手を振った。
「此度は別のことで」
「別?」
 怪訝な顔の同心の前に腰をおろし、弥一郎はぽつりと岡田源太郎の名をもらした。
「ご存知でしょうか」
「おぬし――」
 同心が声をひそめた。
「その名をここで出してはいかん」
 忠告し、しかしその眼のみは痛ましげに細め、
「‥‥あれも憐れな男であった。まっすぐである故に‥‥い、いや、今更――」
 同心がそそくさと立ちあがった。それを追って弥一郎の声が飛ぶ。
「そうそう。この世には晴らせぬ恨みを晴らしてくれる者がいることをご存知か」
「それは――」
 言葉をなくす同心にはかまわず、弥一郎は続ける。
「いや、噂ですよ。ですが思うのです。もしどこかの悪辣な札差が死んだとしても、それは闇の裁きがくだったに過ぎないのではないか、とね」
 いいおき、もはや振り向きもせずに弥一郎は奉行所をあとにした。


 夕闇迫る頃。
 蕎麦屋で酒と蕎麦を胃の腑におさめた治平は家路を急いでいた。別に待っている者などいないのだが、急ぎ足は彼の性になっている。
 と――
 彼の背後に黒影がわきおこった。
 咄嗟に前方に治平が飛び――彼の手から捕り縄が噴出し、蛇のように黒影の右腕に巻きついた。
「やるじゃねえか」
 黒影――迦陵はニヤリとすると小柄を閃かせた。ぷつっと縄が切れて地に落ち――その一端を手にした治平が、
「何者んだ、てめえ」
 叫んだ。すると迦陵は逆手にもった小柄を眼前にかざし、
「岡田の居場所をはけ。吐かねばうぬ、さらにはうぬの身内も手にをかける」
「けっ、とうとう来やがったな」
 治平が歯をむきだした。
「俺には秤にかけるような身内はいねえよ。それにこの皺首ひとつ、いつ飛んでも惜しかねえ――殺れるもんなら、殺ってみな」
「脅しは無駄ですよ」
 声が――柔らかい笑みをひきつつ、物陰から現れた別の影を見とめ、治平が眼を眇めた。
「おめえは‥‥確か奉行所で」
「はい」
 こたえると、影――弥一郎は千切れた捕り縄の一端を拾い上げた。その背後、さらなる影は清十郎だ。
「我々は冒険者。故あって岡田殿にお会いしたい」
「そうはいかねえ。久兵衛に雇われた奴なんぞ、信用できるものか」
「いや、我々は――」
 云いかけた清十郎を、しかし弥一郎は制した。
「いくら云い募ったとしても、大関屋の依頼を受けた我らのことは信用なさらぬでしょう。が――」
 笑みはそのままに。弥一郎は目元のみにすうと刃縁の鋭さこめて――ある日付けを告げた。
「岡田さんにお伝えいただきたい。その日、屋敷戸は開いており、さらに用心棒の幾人かは眠っている筈と。まあ信用するしないはお任せいたしますが」
「それは――」
 毒気をぬかれたような面相で、治平がよろと足を踏み出した。その眼前、すでに迦陵は姿を消し、弥一郎の影は遠く――残る清十郎も凛とした背をむけた。
「仇討ちの成功を願っています」
 たった一言。
 清十郎の残した言葉は、静まる夜に響いて、消えた。


 五日目の夜。
 柳はいない。空は一人、久兵衛屋敷の一室にあった。
 だだっ広い部屋の隅、寒夜の子猫のように身を丸め、空の手は時折懐の小柄に触れる。その冷たい感触が彼の身の震えをさらに助長させるのだが、やはり手をのばさずにはいられない。
 ――僕は大丈夫。お姉ちゃん、気をつけて。
 仲間の手引へと柳を送り出した空であったが、彼のおかれた立場を考えるに、それは想像を絶した行為に他ならぬ。ただ思慕する柳の頬に幸運の接吻をした感覚のみが彼の萎えそうになる魂を奮い起こし――
 がらり。障子戸が開かれた。

 小さく木戸が軋み、僅かに開いた隙間から二つの影が滑り込んできた。
 ひとつは治平であり、もうひとつは岡田源太郎である。
「――旦那、お気をつけなすって」 
「もし罠であろうと、噛み破るまで」
 言葉を交わしあい、二つの影は音もなく屋敷庭を横切って行く。見送るように庭園の燈篭の影――弥一郎がすっと立ちあがった。


「触らないで!」
 空が、久兵衛の染みの浮き出た皺だらけの手を振り払った。
「僕はお金なんか欲しくない! お爺ちゃんの物なんかにならない!!」
「黙れ」
 久兵衛が空に掴みかかった。老人とは思えぬ膂力は、懐にはしらせた空の手を押さえている。
「千載一遇の機会、逃すまいぞ」
 久兵衛が空を抱き寄せた。捻る手のうちで空のそれが悶え、ぽとりと小柄が畳の上に落ちる。
 それでも懸命に空は身を引き剥がそうともがき――しかし所詮は大人と子供だ。すぐに空は半裸に剥かれてしまった。
「おお」
 空の青白い裸身に久兵衛は眼を吸い寄せ、舌なめずりした。そして野良犬のように襲った。

「うぬか」
 立ち塞がる左衛門を凝視つめ、しかし源太郎の眼の光は不審に揺れている。
 いつも多勢の為に近寄ることすらできずにいた仇二人。が、此度は用心棒の数が少な過ぎる。
 ああ、では――。
 卒然と源太郎は想到した。治平に託された冒険者とやらのことを。
 彼は知る由もなかったが、実は――片桐惣助の作りし松葉酒によって寝ぼけ眼となった用心棒達の半数は、瑚月の策略により裏口へとむかっている。この場にいる用心棒の員数が異常に少ないのもむべなるかな。
 源太郎はまだ見ぬ冒険者を思い、胸の内で手を合わせた。これで妻娘の仇を討つことができる。
「やれ! 生かして帰すな!」
 左衛門が絶叫した。おお、と呼応する用心棒達であるが――
 その眼前、すすうと一が立ちはだかった。
「じ、邪魔をするな!」
「へっ、こちとらも仕事なんでな」
 背でこたえ、一は源太郎に閉じた眼をむける。
「襲撃者ってのは、あんたかい。悪いが、依頼なんでね」
 その時、突如用心棒の一人が苦悶し、刀をがしゃりと落した。
 何が起こったのかわからない。ただ向かい合っていた源太郎のみは気づいた。用心棒の中に混じる可憐な娘が鍔鳴りの音を響かせたことを。
「あら〜変ですね。何にも種も仕掛けもないのに突然斬れてしまうなんて」
 娘――凛が小首を傾げる。まるで天女のように。
 それをぎりぎりと睨みつけ、
「う、うぬら――」
 裏切りおったな。そう喘ぐ左衛門の前で、平然と清十郎はうそぶいている。
 これは裏切りではなく、信念の故だと。
 刹那、颶風と化して迫る者。白光の弧線を疾らせつつ――岡田源太郎!
「左衛門、覚悟!」

 空の唇に自身の涎の滲むそれをつけようとし――
 久兵衛はがくりと身を崩折れさせた。そのまま死んだようにぐにゃりと畳の上に倒れ伏す。
 のみならず、その久兵衛の身の下にはしどけない空の寝姿が‥‥
 ややあって、天井からひらりと黒影が舞い降りた。その影は頭巾の下の血色の瞳をニンガリと笑ませ、
「春花の術は相手を選べぬのが難点よなぁ」
 呟いた。そして久兵衛をむんずと踏みつけ、
「一蹴りくらいくれてやりたいところだが、それは柳に任せるとするか」


 乾いた涼やかな風が心地よい。
 木陰に座し、空に膝枕を許した柳は、握った拳を見つめていた。眠り呆けた久兵衛の頬にめりこませた肉の感触は、今も鮮明に拳に残っている。
 その傍ら、凛は瓦版を読みふけっていた。
 元同心、大関屋久兵衛殺害後、自首――そこには、そう書かれている。
「晴れ晴れとした顔をしていたらしいですよ」
 告げる凛の手から瓦版を抜き取ると、瑚月はくしゃりと丸めて投げ捨てた。
「冒険者は襲撃者を排除出来なかった。それで良いでしょう」
 ゆったりと。瑚月は草に寝転んだ。